麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第32話―――見習い少女達の弟子入り…?

 

イリヤは黒曜石の台座を即席の作業台として、投影した金槌で軽く叩いてマナプリズムを砕く。

 

「サヨ、瓶を」

「はい。これですね」

「ん」

 

 イリヤは無色透明な瓶…というか試験管のようなものをさよから受け取る。そして封を開けると砕いた結晶の欠片の一つを入れた。指先ほどの欠片は瓶の中にある液体―――瓶と同様、無色透明で真水のように見えるそれに浸る。

 

「――――」

 

 イリヤは欠片が液体に浸ったのを確認すると、小さく呪文を唱えた。直後、瓶に薄紫色の光が淡く灯り…欠片は溶けて行き、瓶を満たす液体が赤色へと変わった。

 

「うん、できたー」

 

 調合の成功にイリヤは満足げな声を上げる。錬金術師的に。

 それらの作業を脇で見ていたエヴァがほう…と唸る。

 

「…魔法薬(ポーション)か。これがさっき言っていた有効活用の事だな」

「ええ、活用方法の一つね。魔力(エネルギー)資源として見るだけじゃなく、色々と使わないと勿体ないし」

 

 エヴァの問いにイリヤは肯定しつつ瓶に蓋をし、またもや短く呪文を唱えて瓶と蓋を溶接する…と言っても密閉するだけのもので、蓋を少し強めに捻るだけで綺麗に剥がれる軽い程度ものだが。

 

「これで良し…と」

「ふむ…瓶と蓋の素材は…水晶か。魔力の気化を抑えて封じ込める為だな」

「ええ、普通の硝子じゃあこれ程の魔力は留めて置けないから。経年劣化を考えるとエメラルドを使うのが一番なんだけど…」

「…それだと瓶だけで相当値が張る事になるな。使うのは天然ものの石なんだろう? 勿体無さ過ぎる。それに保存を考えるなら何もこの瓶だけに頼る必要はあるまい。専用の収納庫を用意すれば良いだろう」

「まあ…そうね」

 

 イリヤはエヴァの指摘に同意すると。続けて先と同じ要領で10本ほどポーションを作る。その内、4本をさよに渡し。

 

「ガンドルフィーニ先生」

「ああ」

 

 ガンドルフィーニを呼ぶと残りの6本を彼に渡した。

 

「一昨日にも説明したけど、今回は基本的な回復薬として作ったわ」

「……基本というには、魔力の結晶なんてトンデモナイものを使っているがな。溶かし込んだ液体だって“君が作った”霊薬だろ」

「そう言わないで。それでも一応ポーションとしては疲労回復、傷の治癒といったよくある効能の代物なんだから。…まあ、確かにこれほどの結晶を使っている以上、効能は劇的だろうし副次的に魔力回復も見込めるけど…」

 

 ガンドルフィーニの言いようにイリヤは苦笑するも尤もだという様相を見せた。

 霊薬もまた『キャスター』の知識を元に起こしたレシピで作った物で、その効果は四肢などの肉体の欠損以外はあらゆる怪我を治癒し、ある程度の不浄…毒なども癒せる。おまけに魔力結晶のお陰で副次的に魔力回復も出来、ネギクラスの魔法使いでも枯渇状態から全回復した上で余る程のものだ。某大作RPG風に言えばエリ○サーのようなものだろう。

 また余談ではあるが魔力回復に関しては、この世界の魔法薬では肉体の魔力循環を活性させて回復を早めるのが精々にすぎず即効性は殆どない。

 魔力というものを物体に純粋にそのまま留めて置くのは、それほど難しい事なのだ。

 勿論、この世界でも遠坂が得意としていた“宝石魔術”と同様、天然の宝石に魔力を移す魔法(ぎじゅつ)はあるのだが、宝石に則した属性に変質してしまう上、余程の物でも限り最上位呪文の1、2回分の容量(キャパ)しかない。故に回復魔法を籠めた『魔石』を作ったとしても、高純度の魔力結晶を使ったイリヤ謹製のポーションに及ぶ事は決して無い。イリヤしかまともな結晶化技術を持たない以上、希少度はこちらの方が上なのだからそれも当然と言えるかも知れないが…。

 

「…まあ、仕方が無いな」

 

 先程の瀬流彦の事もあってガンドルフィーニは悩んでも意味が無いと、割り切った様だった。

 そんな肩を竦めたそうなガンドルフィーニにイリヤは注意するように言う。

 

「取り敢えずそっちでも実験できるように渡したけど、いきなり人で試さないように。判っているとは思うけど」

「勿論だ。そんな無謀な事はしない。慎重にマウス実験から始める積もりだ」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニは真剣に頷く。

 そう、便利そうに思えるものであろうと、薬である以上その扱いには気を使わなければならない。況してや見るからに濃厚な魔力を秘めていると判るような代物だ。回復薬などと銘打っているが、人体に悪影響を及ぼす劇物の可能性もあるのだ。

 それに他にも気を使うことがあるかも知れない。それも確りと調べなければ……と彼は考える。

 

「そう。それじゃあ、レポートの方も宜しく。こっちの実験結果も問題が無さそうなものは提出するから」

「了解した。何にしろ君の判断は重要だからな。こちらの検証データは余す事無く伝える積もりだ。…少し不平等にも思えるがその方が良いだろうしな」

 

 ガンドルフィーニは仕方無さそうな言葉も口にするが、遺恨のない表情と口調で素直に応じる事を示す。

 イリヤはそれに頷くと、次にさよとエヴァと共に錬成陣に問題が無いか再度チェックする。

 

「どうですイリヤさん。私からは何も問題無いように思いますけど…?」

「ええ、私も問題無いように見えるわ。エヴァさん…そっちの方はどう?」

「ふむ。この錬成陣の術式や構成は初めて見るものだから正直、断言はしかねるが……恐らく問題無いだろう。此処の魔力溜まりへの干渉及び接続は確りしている。神木との方もな。これといったおかしな乱れ(ノイズ)は見られない」

「そう。サヨが見て、エヴァさんもそう言うなら大丈夫ね」

 

 頼りにしている弟子(さよ)妹分(エヴァ)の言葉にイリヤは安堵するように言う。自信はあるし、それなりに実験していたとはいえ、初めての試みでもあるので不安は在るのだ。

 

「だが、一応今後もイリヤ自身が定期的にチェックする必要はあるだろう。幾ら手引書があり、優秀な魔法使いが揃っている麻帆良とはいえ、やはりイリヤしか根本的な事は理解出来ていないからな」

 

 その不安を見透かしたかのようにエヴァが言う。

 

「そうね。瀬流彦先生もかなり優秀みたいだけど、理解できない部分が多い以上、何か問題があっても気付かない可能性があるし…」

 

 エヴァの言葉にイリヤは同意した。当分、忙しい日々が続きそうだとも思いながら。

 

 

 ◇

 

 

「―――それではこれで。私達は他の所を回ってきます」

「ああ、ご苦労だった」

「そちらこそ、お疲れ様でした」

 

 魔術師からの意識(スイッチ)が切り替わった為か。イリヤは再び敬語でガンドルフィーニに別れの挨拶をして広場を後にしようとする。…が、ガンドルフィーニは思い出したようにその背に。いや、その隣の人物に声を投げ掛けた。

 

「と―――エヴァンジェリン、ちょっといいか?」

「む」

 

 突然声を掛けられた為か、それとも別の要因によるものか、エヴァは如何にも不機嫌ですといった表情で振り向く。

 そんなエヴァの様相を見、ガンドルフィーニは緊張するも……彼女に手招きする。

 

「……なんだ」

「すまない。少し確認したい事があってな」

 

 不機嫌ながらも自分の傍に来たエヴァに軽く頭を下げてからガンドルフィーニは尋ねる。その際、自分の傍に寄りつつイリヤ達へ背を向けるようにした為、エヴァは不機嫌そうな表情の上に訝しげなものも張り付ける。

 

「気を悪くしないで聞いて欲しい……と言っても無理かも知れんが―――超 鈴音の事だ」

「…、そのことか」

 

 エヴァは思い当たる節がある為に小さく舌打ちした。

 

「確かに私は茶々丸開発の件で奴に協力していたが……―――それだけだ。元々ギブ&テイク。イーブンな関係だ。茶々丸その物を対価に技術提供をしただけで、それ以上でも以下でも無い」

「…そこは此方も判っている。その件のみならず、他の技術開発や研究に協会も幾分か情報や技術を彼女に提供しているからな。別に貴女を疑っている訳では無い。…少なくとも私や明石教授達は。イリヤ君も弁護しているしな。だが―――問題はその茶々丸だ」

 

 ガンドルフィーニの懸念はそれだ。開発者たる生みの親……超に恐らく茶々丸は逆らえない。原作知識を持つイリヤが忠告するまでも無く、要注意人物である件の天才少女が学祭の裏でこそこそと動き、何かを目論んでいるらしい事は既に掴んでいるのだ。

 エヴァは彼の抱く懸念を理解して真面目に頷いた。表情にも不機嫌さが消える。

 

「成程……なら安心してくれ。それもあって今日はアイツを連れて来なかった。仮にも私は協会職員だ。従者であろうと安易に情報を漏らす気はない。だが逆に言えば、アイツもそうだろう。親の恩義に反する事はしまい」

「そうか。それなら良いが…いや、貴女から茶々丸を通じて超 鈴音の情報を得られないのは残念だが……しかし、従者とその様な関係で貴女自身はそれで良いのか? 場合によっては―――」

 

 真面目に答えたエヴァの言葉が本気だと感じたのだろう。ガンドルフィーニは納得するも…それでもエヴァの心境を鑑みて、もう一度確認するように尋ねるが―――

 

「―――ああ。構わん」

 

 エヴァは即答した。

 一瞬の迷いも無い返答にガンドルフィーニは戸惑ったものの、短いその言葉に感じるものを覚えてそれ以上は追及せずに、

 

「判った。余計な事を聞いたようだ。……それではな。手間を取らせて悪かった。続けてイリヤ君の補佐を頼む」

 

 そう告げ、「当然だ。言われなくともイリヤを助けるさ」と答えて腰まで届く長い金の髪を靡かせて立ち去るエヴァの背中を見送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ガンドルフィーニ先生は何の用だったの?」

「当たり前のこと言っただけだ。イリヤの補佐を頼む…とな」

「…そう?」

「ああ」

 

 イリヤが尋ね、首を傾げるもエヴァは短く首肯するだけだった。

 

 

 

 その後、イリヤ達は残りの魔力溜まりを時計回りに順に見回り、正午を半ば過ぎる頃には最後の箇所である世界樹前広場を訪れていた。

 

「こんにちは、イリヤ君」

 

 そこでそう挨拶して来る明石とイリヤ達は会った。そしてイリヤ達も挨拶を返すと、

 

「お昼は済ませたかい? もしまだだったら一緒にどうかな?」

 

 そう、仕事前に食事を取る事を提案された。

 

 

 

 世界樹が見える高台の一角にレジャーシートを敷き、その上にイリヤとさよは持参してきた弁当を広げていた。

 そのテキパキと動く二人の様子を見て、

 

「うーん、皆にご馳走する積もりだったんだけど……この広場の前にある店は評判が良いし」

 

 逆にご馳走される事になるとは、なんだか悪いね、と。決まり悪げに明石は指で頬を掻きながらシートへ上がり、イリヤの隣に座ろうとする。

 

「…!―――まったくだな。教師たる者が女子生徒に声掛けて馳走になろうとは」

 

 イリヤの隣に席を着こうとする明石にエヴァは嫌味を言いながらそこに割って入る。その視線は冷たくも「何を勝手にお姉ちゃん(イリヤ)の隣に座ろうとするか、この中年親父は…! 先程の声の掛け方もそうだが、良い歳してナンパの積もりか…一度死ぬかゴラァッ!」と熱く威嚇している様であった。

 そんな謂われなき誹謗が込められた視線を受けて明石は「う、おぉ…」と顔を引き攣らせて青くする。彼の恐怖の代名詞たる“闇の福音”からガン付けられているのだ。当然と言えよう。

 

「まあまあ、エヴァさん。明石教授だって悪気がある訳じゃないんだから」

 

 剣呑な雰囲気を発するエヴァをイリヤが宥める。

 

「ふん、どうだか。イリヤを含めてこんな見栄えの良い女子達に囲まれているんだ。内心でどんな事を考えているか知れたものでは無い」

「は、はは…」

 

 イリヤに気安く声を掛けた―――エヴァ視点的にはナンパの真似事をした―――事が余程気に喰わないのか、容赦の無い言葉をぶつけられて明石は苦笑するしかなかった。

 実際、イリヤ、エヴァと妖精とも言える可憐な見た目の少女達に。さよ、愛衣といった可愛らしい顔立ちの美少女に加え、欧風の顔立ちから実年齢より幾分年上な容姿端麗且つスタイル抜群な美女にも見える高音といった五人の女子に囲まれているのだ。

 一応、小太郎も居るとはいえ、一体周りからどのように見えているか……考えると少し恐ろしくなってくる。世間的にも、社会的にも、教師的にも。

 

(いやいやいや、大丈夫だ。仲の良い生徒達とのコミュニケーションの一環と考えればそれほどおかしい事じゃない。瀬流彦君だって良く女子生徒達に昼食に誘われているんだし…)

 

 そう己を弁護するが、瀬流彦の場合は顔立ちも美形と中々に整っており、人の良い性格が外見からも滲み出ているのでそういった如何わしい雰囲気を抱き難いのだ。それに彼には何よりも“若さ”がある。

 明石も勿論人格者であるし、優しげな風貌で年齢の割には若くも見えるが……時折、娘が嘆くように中年男性特有のくたびれ感というか、悲哀というか、哀愁というか、年齢相応の気苦労も多い所為か、そういった雰囲気が拭えない。

 結果、明石は周囲の人々からチラチラと胡乱な視線を向けられていた。中には明石を見知っている者もいるだろうが、広い学園内の事…全てという訳には行かない。或いは知っているからこそ、こんな休日に女生徒を囲っている事を訝しげに思う者もいるだろう。

 

「はは…は」

 

 明石は何となく背筋に寒いものを覚える。今になって色んな意味でこの状況の拙さに気付いたのだ。だが、そんな明石の様子に気付かずにイリヤは尚もエヴァを宥める。

 

「教授がそんな事を考える訳無いでしょう。流石に少し失礼じゃないかしら?」

「そうです。教授は麻帆良の教師や…協会職員の中……でも特に優れた立派な人格者なのですから」

 

 一部の言葉を潜めて高音もイリヤの弁護に加わる。その隣に座った愛衣も同意してコクコクと頷いている。

 

「む…まあ、確かに言い過ぎたか。悪かった」

 

 イリヤに続いて見習いの二人にまで責めるような目を向けられて頭が冷えたのか、エヴァは明石に軽く謝る。しかし当の本人は、

 

「いや、エヴァジェリンの言葉もあながち間違いってないような気がするし……ご馳走になる身としては…ね」

 

 現状の気まずさの余りか、力無い声で明石はそう答えた。

 

 

 

「多めに作ったからたくさん食べてね」

 

 そう言ってイリヤが3つある弁当の蓋を開ける。

 

「お、サンドイッチか」

 

 中身を見てそう言ったのは気を取り直した明石だった。

 その通り、開けられた弁当の中で並ぶのは食パンに様々な具材を挟んだサンドイッチだった。

 

「タマゴにカツ、ツナ、野菜、ポテト…定番が揃っているな」

「分厚いベーコンとチーズを組み合わせたのもあるで。肉類が充実しとるのはええ事や」

「あ、小豆とクリームが挟まったのもある。私これ結構好きなんですよ」

「私もです。…普通に果物と組み合わせたデザートの類も抜かりなくありますね」

 

 エヴァ、小太郎、高音、愛衣が弁当の中身を見て思い思いに言う。

 

「今回は変わった物はなるべく避けた積もりよ。タカネとメイの好みが判らなかったから。…エヴァさんとアカシ教授が加わったのは予想外だったけど、何か不味いものはあるかしら?」

「大丈夫だ」

「僕もだ」

「ええ、私達もこれといって嫌いな物はありません」

「うん」

「早よ食べようや」

 

 イリヤの言葉にエヴァと明石、高音と愛衣が首肯し。我慢出来ないのか小太郎が逸り、それら見てイリヤは頷き、

 

「そう。なら―――召し上がれ」

 

 笑顔で皆に告げ、いただきます!…という声が彼女達の間に響いた。

 

「…美味しいですね」

「ええ、広場の前にある店にも負けていませんね。先程、教授が仰ったようにあそこは評判の店ですのに…」

「これ、イリヤ君が作ったのかい?」

「まあ、一応ね。半分はウチのメイドが手掛けてるから全てじゃないけど。…ホントは自分で全部作りたかったんだけどね」

「それは無理な話だな。アイツらにとって仕えるべき主人にそのような事をされるのは、苦痛に近いものが在るだろうからな」

「そうなんですよ。それでウルズラさんと何時も揉めて大変なんですよね」

「何時も…?」

「せやな。それでメシの時間がずれるのはちょい勘弁して欲しい所やな」

「サ、サヨ…!? コタロウ…!? その事は…!」

 

 イリヤの言葉を受けて合掌し弁当を頂く一同は、そうして談笑に興じる。

 

「良いじゃないですか。そんな恥ずかしがるような事じゃないんですし」

「そうやでイリヤ姉ちゃんは十分上手やし、自慢してもええくらいや。昨今の女子の中には真面に料理できん奴が多いっていうしな」

「そ、そうかも知れないけど……」

「ん。なんだ? どういう事だ?」

 

 無邪気に言うさよと絶賛する小太郎にイリヤは言葉に詰まり、エヴァが訝しむ。

 

「実はですね。イリヤさんはこう見えて料理が趣味みたいなんですよ。それでほぼ毎日私達の夕食を用意しているんです」

「そうなのですか!?」

「わっ! ちょっと意外…」

「へえ、確かに少し意外だけど、女の子らしくて良いじゃないか」

「…教授の言いようは偏見っぽい気がするけど、…まあ、自分でも意外だと思わなくもないし、褒められたと思っておくわ」

 

 さよの暴露に高音と愛衣は驚き、明石はうんうんと頷きながら微笑ましそうにする。それにイリヤは何とも言い難い表情を見せる。自分で言ったようにらしくないと感じている為、三人の反応を否定できないのだ。

 エヴァも三人に同感なのか、珍しげにイリヤを見る。

 

「料理か…」

「ええ、正直あまり趣味っていう感覚は無いのだけど、貴女の所でお世話になっていた時、茶々丸に教わっていたし、それなりに頑張っていたから無駄にするのも嫌だったしね。それに―――……楽しいのかなって思って」

 

 そう言ったイリヤの脳裏には、厨房…と言うには小さい一軒家の台所に向かって包丁やらフライパンやらの調理道具を振るう赤毛の少年の背中が浮かんでいた。

 本人は仕方なく…と言うが、やはり楽しそうに料理するその姿は―――まだほんの二ヶ月程前の事なのに、それがとても懐かしく遠い昔の光景(できごと)のように思えた。

 

「…イリヤ」

 

 その懐かしいものを見るような目を見て、エヴァは何と声を掛ければ良いか分からなかった。ただそんな目をして欲しくないと、その目が堪らなく嫌だとは思った。

 今、此処では無い何時かを。自分の知らない場所を見詰めてそこへ行きたそうな…自分の姿が無い所へ居場所を求めているような仕草が嫌で―――とても怖く感じた。

 しかしそれが我が侭だというのもエヴァは判っている。誰だって過去を懐かしく思い、故郷や嘗ての居場所へ戻りたいと思う事はあるだろう。

 特に自らの意志に関係無く、この世界に迷い込んだイリヤは……きっと―――。

 

「エヴァさん…?」

「あ、いや…これは…!?」

 

 ―――気付くとエヴァはイリヤの手を取って握り締めていた。途端、慌てて離そうとしたが……。

 

「……ゴメン、イリヤ…」

 

 離す事が出来ず、イリヤにしか聞こえない程度に小さくそう呟くのが精一杯だった。

 

「…まったく、本当にしょうがない子ね」

 

 小さくやはり自分にしか聞こえない声で呟くイリヤの声がエヴァの耳には入った。

 

 

 

 どうもエヴァにおかしな心配を掛けたらしい、とイリヤは思った。

 過去を思い返してもそこへ帰る事など出来ないというのに。またそれを覚悟して“(とびら)”を閉じたというのに……エヴァは自分が彼女の傍を離れて行ってしまうと感じたようだ。

 杞憂としか言えない…想像でしかない事だが、エヴァにとってはどうしても拭え切れない現実的な不安なのだろう。

 長い孤独を経験し独りだった辛さを、忌み嫌われて誰にも心の内を打ち明かせず己を理解されない痛みを―――それらを強く知っているから、例え僅かでも“そうなるかも知れない”というネガティブな可能性が怖いのだ。

 

 長い孤独から解き放ってくれた理解者。心から信じられるイリヤスフィールという大切な少女(ひと)が、今にも自分を置いて消えるかも知れない…と。

 

 そこまで想ってくれるなんて正直大袈裟ではないかとも、自意識過剰だとも思わなくはないが―――そうなのだろうとイリヤは考える。だから言う。

 

「大丈夫よ。私は此処にいるから。エヴァに黙って何処かへ行こうなんて思わないから」

 

 自分もまた信頼し妹のように思う少女(エヴァンジェリン)の不安を拭い、安心させる為に手を握り返しながら彼女の耳元でそう優しく囁いた。

 エヴァはその言葉に一瞬目を見開くも……黙って頷き、イリヤの手を離す。

 そして、突然の奇妙な雰囲気に首を傾げていた高音と愛衣とさよと小太郎にイリヤと共に何でもないと言って誤魔化した。

 

 

 

 

 明石はそんな二人の様子を間近で見て、

 

(……変わったものだ)

 

 そう内心で呟いていた。

 どちらが…とは言わない。エヴァとイリヤの両方だ。

 

 エヴァは、触れれば切れてしまいそうな鋭利で威圧的な雰囲気が消えて何処か丸みを帯びて。

 イリヤは、より大人に…以前以上に凛とした雰囲気を纏い、身体に確りとした芯が通った気配を持つようになった。

 

(けれど…)

 

 エヴァに関しては良い。あの恐るべき闇の福音たる彼女が、彼の英雄が望んだように光の当たる世界で生きようとしているという事なのだから。

 しかしイリヤに関しては……。

 

(初めて会った時から確りした子で。非常に大人びた少女であったが、何処かフラフラとした自己が定まっていない雰囲気があった)

 

 それ自体は無理も無いだろう。何しろ記憶を失っており、自分が何者か判らず正体があやふやだったのだ。

 

(だから記憶を取り戻した事は喜ぶべき事の筈……だ)

 

 記憶が戻り、己が何者か悟り、成すべき事が見つかり、目標が定まった。

 明石も記憶が戻った事を始めは喜んでいた……。

 

(それで凛とし、言動や振る舞いに芯が通ったと言えば確かに聞こえは良いんだけど…)

 

 しかし、それは張り詰めたというべきかも知れない。まるでパンパンに空気が詰まった風船のように、今にも破裂しそうな何処か余裕の無い危うい感じがある。

 事実、記憶が戻る前に比べてイリヤは明るく笑う事が減ったように思う。それほど頻繁に顔を合わせている訳ではないがそう見える。これも無邪気さが消え、より大人びたとも言えるが。

 

(…実は18歳だというから、それも納得して良いのかも知れないが……)

 

 つい最近明らかに成った事やその幼い外見の所為で忘れそうになるが、その事実を思い出しながら明石は胸中で呟く。

 

(でも、だからといってそんな大人として振る舞う姿だけが、イリヤ君の本当の姿では無い筈だ、多分…)

 

 確かに彼女の大人びた振る舞いはらしくあるし、様にはなっている。けれど外見相応に子供のように無邪気に笑い、振る舞っている方がイリヤの在るべき姿では?…とも思えるのだ。

 

(大体、今日日の女子高生や女子大生だってそんなに固くなる事なんて無い)

 

 社会に出る間際という事もあって、ある意味では遊び盛りとも言える年頃なのだ。大学で教鞭を取ってそんな学生達を相手にしている事や、明石自身も若い頃に覚えがあるから尚思ってしまう。

 

(けど、記憶を取り戻し、魔術師として研究に勤しみ。協会員として僕達に協力し共に仕事をするようになったイリヤ君には、本来持っているであろう無邪気さも今時の若者達が持つ雰囲気すらほぼ無い)

 

 それが明石にはどうしようもなく気に成るのだ。何しろこんな雰囲気を持っている人物をもう一人身近で知っている為に余計に…。

 尤もその彼はイリヤのように幼いとか、少女…いや、少年だとは言えない年齢なのだが。

 

(そう、どこか彼に―――タカミチ君に似ているのだ)

 

 かつて共に戦った仲間と尊敬する師を失い、残された事に罪悪感を覚え……最近知った事だが、“姫巫女”の守護という重荷を背負っていたという彼に。

 面倒を見ていた後輩であり、今や頼れる同僚と成ったタカミチ。

 その彼が纏う気配。そしてその重く抱える心情をそれなりに知る為、明石はそれに似たものを纏うイリヤが心配だった。

 

(できれば、その胸の内を明かしてくれれば良いのだけど)

 

 母の姿をした“この世全て悪(アンリマユ)の残滓”と黒化英霊。その存在が協力している完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)

 それらとの対策や対決に胸中で複雑に抱えるものがあるのだろう。それにまだ隠している事情もきっとある筈だ。

 それら全てを独りで抱えず話してくれれば年輩者として、仲間として、何か言葉を掛け、支えになれるのかも知れないが。

 

(まだそこまで深く話せる関係じゃない…か)

 

 知り合ってまだ二ヶ月程度。付き合いと呼べるものもほぼ無く、あくまで仕事仲間という浅い仲では難しい事だ。

 

(時間を掛けて信用と共に信頼を得て行くしかないな)

 

 口にマスタードが効いたカツサンドを運びながら、その味に満足すると共に自身の考えを納得させるように明石は頷いた。

 そしてその一環として先日イリヤに提案した件を改めてお願いする。それも彼女の為になると思って。

 

 

「折角、エヴァンジェリンが居るんだし……改めてこの前の話をさせて貰って良いかな?」

 

 明石は口にあるカツサンドを紙コップに汲んだ烏龍茶と一緒に飲み下してから、そうイリヤに向かって声を掛けた。

 

「この前の…? ああ、なるほど。それで…」

 

 明石の言葉にイリヤは僅かに首を傾げるも、直ぐに思い出して納得したように高音と愛衣の方を見た。

 

「えっと…」

「なんでしょうか?」

 

 イリヤから意味あり気な視線を受けて見習いの二人が戸惑う。その思わぬ反応にイリヤが「おや…?」と怪訝そうな顔をする。

 

「…もしかして聞いて無いの?」

「あ、その…」

「えっと…」

 

 イリヤが尋ねるも、二人の戸惑いは大きくなるばかりで困ったように互いに顔を見合わせるだけだ。

 その様子にイリヤは溜息を吐く。

 

「アカシ教授…」

「す、すまない。彼女達にも予め話して置くべきだった…」

「今日、うちに来てこうして仕事を見学させているのは、その件もあっての事かと思ったのに…」

 

 明石のバツの悪そうな表情と言葉にイリヤは呆れる。

 

「いや、まあ…君とエヴァジェリンの了解を得てなかったし、それで高音君達に変な誤解や期待を与えるのも拙いかな…と」

「確かに…それもそうね」

 

 バツが悪そうな明石の言い訳だが、イリヤは尤もかと納得する。

 

「で、何の話だ」

 

 自分の名前を出された為かエヴァが尋ねる。その表情は何処か不愉快そうだ。自分を蚊帳の外に置いて進んだらしい事、イリヤが即返答をしなかったらしい事から、かなりの面倒事か厄介事だと考えたようだ。

 高音と愛衣も非常に気に成るのか、次に出る言葉をジッとイリヤと明石の方を見ながら待っている。

 

「うん。先日…一昨日の事なんだけど、イリヤ君にお願いをしたんだ。高音君と愛衣君の指導、監督をしてくれないかな…って」

「え!?」

「それはっ!」

「…………」

 

 イリヤから教師たる貴方から話すようにと一瞥を受けた明石の言葉に、高音と愛衣は当然驚きを見せ、エヴァは沈黙して何か考えているようだ。

 

「つまりイリヤ姉ちゃんの弟子になるゆう事か。さよ姉ちゃんや俺みたいに」

 

 小太郎が言う。

 そう言葉にするように彼はイリヤを師だと思っている。無論、魔術師…もとい魔法使いとしてでは無く、戦士的な物としてだ。そこら辺はさよとは違うし、正式とは言い難いとも自覚しているが、それでも小太郎は戦いに関して誰に指導されたか尋ねられれば、我流であると前置きしながらもイリヤの名を上げるだろう。

 イリヤは小太郎の言葉にある思いを察して苦笑してしまう。胸中に何ともくすぐったく感じたからだ。

 

「私というよりもエヴァさんの弟子かしらね」

 

 苦笑浮かべながらもイリヤは言う。

 

「前にネギやアスナ…別の子達には言ったけど、私の使う魔法は独特で教えてあげられないから」

 

 英雄の息子であり子供先生として有名なネギは兎も角、明日菜達とまだ会っていない事を踏まえて言葉を言い直しながら答えた。

 

「…ふむ」

「エ、エヴァンジェリンさんの…弟子ですか?」

「へ、へぇ…」

 

 イリヤの言葉にエヴァは尚も考え込むように唸り、高音と愛衣は表情を引き攣らせる。

 二人にしてみれば噂ほどの恐ろしさは今の所は感じられないとはいえ、それでもやはり音に訊く闇の福音本人なのだ。仮に弟子となったらどのような事になるのか……得体の知れない不安があった。

 それを察したのだろう。明石が高音達に言う。

 

「まあ、二人の不安は判らなくはないけど。魔法使いの師と仰ぐとすれば彼女に並ぶ者はそうはいない。他に身近に居るとすればうちの学園長ぐらいだろう。悪い話じゃないと思うのだけど」

「それは、そうなのかも知れませんが……」

 

 明石の説得めいた言葉に高音は同意するも歯切れ悪い。その彼女の態度に当のエヴァ本人が尤もだという風に頷く。

 

「グッドマンが全面的に同意しないのは当然だ。いざ魔法社会に出る事を考えると“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”たる私が師というのは体裁が悪過ぎる。況してやグッドマンは“本国”の魔法学校首席で家柄も良いエリートなのだろう?」

 

 どこぞの考え無しのぼーや(ネギ)でもあるまいし、そんな将来を約束された人間がすき好んで私を師と仰ぐような愚かな事はしまい…ともエヴァは呆れ、小馬鹿にする様に言うが―――実の所これは高音の事を思っての言葉である。

 イリヤはそう思う。硬い殻を纏った一人の少女の素直に出せない遠回りな優しさ。エヴァの本当の姿を知る為にイリヤにはそれが判った。

 だが、同時に試してもいるのだろう。エリートとして約束された安易な道を行くか、それともそれを捨てて、世の為人の為成らんとする“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の信念を貫く為の力を得る機会を取るか……を。

 エヴァの言葉に逡巡する高音を見て、そしてそんな高音の様子を窺うエヴァも見て―――そうも考える。

 

「だが、判らんな。何故私とイリヤに突然そんな話を持ちかける?」

 

 逡巡する高音の答えを待つよりも疑問の方が気に掛ったらしく、エヴァが明石に尋ねる。するとさよも小首を傾げて見せた。

 

「私もそれが不思議です。高音さんはエヴァさんも言ったようにエリートでその実力も既に十分見合ったものを持ってます。それに見習いとしての修行期間も今年の秋頃で終える筈です。なのに今更こんな話が出るなんて…」

 

 奇妙です、と。さよは言った。

 それはイリヤも同意見だ。道は約束され、この歳で実力も並の魔法使いを大きく上回っている。本人は伸び代に悩んでいるようだが…敢えて新しく師を受け入れる程では無い。本職(プロ)の現場で実践を積み重ね、実戦を詰んで行けば自然と培った物が芽生えて行く筈だ。その下地は十分なのだ。

 

「うん。相坂さんの言う通りなんだが…」

 

 明石は、さよの言葉に大きく頷きながらも、チラリと高音に何か確認するように一瞥し…彼の視線を受けて悩むの一次取り止め、高音は構いませんというように首肯する。

 

「高音君から申し出があってね。修行期間を延長したい…とね」

「えっ! そうなんですかお姉様…!?」

 

 明石の言葉に愛衣が驚く。

 

「ええ、愛衣には話していませんでしたね。御免なさい」

「で、でも…漸く修行を終えて苦しんでいる人達の為に頑張れるって…力に成る事が出来るって…」

「そうね。張り切っていました。ですけど決めた事なんです」

 

 驚く妹分に高音は優しく諭すように言う。

 

「タカネ…」

「あ、イリヤさんとの事は関係……いえ、ありませんとは言えませんね。やっぱり…」

 

 事件での事が気に掛かってイリヤが声を掛けると、やはり高音はそれを認めた。

 

「私はあの事件で未熟だという事を思い知り、このまま一人前の魔法使いとして世に出る事に納得出来なくなりました。勿論、これが我が侭だと贅沢という事は判ってはいますが…」

 

 気掛かりそうなイリヤに高音は理由を…或いは言い訳か、そう告げた。

 一流には及ばないとはいえ、十分に魔法社会でやって行けるだけの力がありながらも見習いに留まろうとしている卑しさ。より力を求めて明石を始めとした職員にその方策を願い出て迷惑を掛けている自分の甘え―――とても恥ずかしい事だ。破廉恥だと罵られても文句は言えない。恐らく見習い課程修了後に予定……否、用意されていた先への着任は勿論、恵まれたエリート…キャリアとも言える待遇も望めないだろう。

 それでも―――と。高音はイリヤを見る。だがそれに答えたのは銀の髪を持つ彼女では無かった。

 

「なるほどな。とうに約束された花道を捨てる覚悟はあった訳か」

 

 その隣に座る黄金の髪を靡かせる吸血姫だった。

 修業期間の延長という普通であれば、謂わば留年ともいう未熟の烙印を押される事を顧みず、さらに正規職員達へ要らぬ迷惑を掛ける体の悪さを受け入れてまでの決意。

 

「良いだろう。正式な弟子に向かえるかはまだ決めかねるが、指導の件は引き受けよう。みっちり鍛えこんで一人前の魔法使いに仕立ててやる」

 

 エヴァは大きく頷いて高音に告げ、明石に了解の視線を送る。

 

「そうか。それじゃあお願いするよ。……愛衣君もそれで良いかな」

「え、えっと……はい」

 

 明石は安堵したようにエヴァに応じると愛衣にも確認し……それに思わず頷いてしまう愛衣。だが―――

 

「―――諦めなさいタカネ。エヴァさんがああ言った以上断れないわ」

「そ、そんなっ!!」

 

 エヴァが了解し明石が返事をする中で「え? いえ、だからといってイリヤさんや闇の福音(エヴェンジェリンさん)の教えを乞うとは……もっと別の方にお願いして…」と。エヴァの機嫌を損ねるを恐れて小さく口を動かしていた高音にイリヤがそう声を掛け、高音はガックリと項垂れていた。

 

 

 と、まあ…多分に誤解をあったもののエヴァは高音に心意気を買い。愛衣を交えた見習い二人の指導を及び監督役を担う事と成った。

 その裏にはエヴァなりに思惑…いや、期待だろうか。何やら考えがあるようだが、イリヤが知るのはもう少し後の事である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「でも、タカネの課程修了の延期なんて良く認めたわね」

 

 イリヤが明石にそう尋ねたのは昼食後の事だ。

 世界樹前広場に設置した錬成陣…やはり猫を模したオブジェクトの中にあるそれをチェックしながらイリヤは言った。傍に高音達はいない。さよとエヴァ共にこの周囲に在る結界のチェックを任せている。

 その疑問が出たのは、高音の実力が十分である事以外にも彼女の家柄的な事情がある為だ。エリートとして期待され、花道とも言うべき将来が用意されているのは何も実力だけでは無いのだ。彼女場合は。

 その辺の圧力はどうなのか? とイリヤは尋ねている。

 

「ま、確かに揉めに揉めたみたいだね。主に学園長を始めとした上層部が対応したから僕も詳しい事は判らないけど……」

 

 途中で言葉を切り、イリヤの傍で明石はこそっと言う。

 

「……やはり前回の事件での彼女の早まった行動が影響しててね。そこら辺を突いたらしい。精神面で不安を抱えているみたいに言って配属予定先の部署や彼女の家を納得させたのさ。本人もそれを望んでいる事も言ってね」

「…なるほど。確かタカネの配属先は……メガロメセンブリア、国務省・外交保安局の第三課だったわね。精神面での弱さがあってはそこでは使い辛いと思わせた訳か」

 

 メガロメセンブリア国務省・外交保安局は、旧世界の某大国の同名の部署とほぼ同様の警察機構でその活動は多岐に渡っており、第三課は旧世界を主に担当している。その活動は世界各国の情勢や情報の収集・分析を始め、一般人への魔法漏洩の隠蔽工作や国際手配された犯罪者やテロリストの追跡・捕縛も含まれている。それ故、実働部隊は戦闘力の他、高い判断力と強靭な精神力を求められている。

 なお明石教授の亡き妻も嘗てはそこに所属していたらしく、諜報や防諜活動を担う部署にも拘らず、意外な事に三課は旧世界各国にある魔法協会と関係が良好というリベラルな組織であった。

 それもあってMMは三課とは別に、旧世界への諜報を担っている部署が当然持っているのだが……それは兎も角。

 

「で、タカネをそうしてまでこっちに引き留めたのは……引き抜く為かしら?」

「はは…やっぱり判るか。うん…まあ、正直それもある。こちら生まれの愛衣君との仲は深まっているし、このままより長く此処(まほら)に留まってくれれば、“協会”への愛着も強くなるだろうし、将来的にこっちに留まる事も望むかも知れないからね」

「修業期間の延長…留年という傷を付けたのも、それを選び易くする為ね」

 

 喰えない事で、ともイリヤは言う。

 高音の申し出は、関東魔法協会にとって優秀な人材を確保する良い口実でもあった訳だ。けど…

 

「エリート候補の…それも影属性を持つ稀有で優秀な人材を取られる事となった三課からは恨まれない? 折角良好な関係だっていうのに。それにそうしたって延長期間中にタカネが成果を上げて再び花道へ返るかも知れないし、タカネの方だって花道が無くとも故郷(くに)勤めを望むかも知れないわよ」

「その辺は大丈夫だ。三課もこちらの裏は判っているようだしね。多分貸しを作る気なんだろう…もしくは借りを返す為でもあるかな…? 高音君が戻る場合になっても損は無いよ。どちらにしても彼女の実家や親類を通じた本国との強固な伝手(パイプ)を作れる訳だから。そういった繋がりは幾らあっても足りないぐらいなんだし」

 

 抜け目ない言葉にイリヤは半ば感心する。

 明石の話を聞く限り、高音が魔法世界ではなく旧世界の麻帆良で修業する事になったのは、始めからグッドマン家を通じた本国へのパイプを築く為であったらしい事が窺えるからだ。

 

(となると、祖母が日本人で興味があったから麻帆良での修行を希望したみたいにタカネは言ってたけど……そう誘導されたのかも知れないわね)

 

 その血の繋がりを意識させるように周囲の人間……家を出入りする業者や客人の他、魔法学校の教師や家庭教師などにそれとなく日本の事を話させ、卒業を控えた頃に麻帆良が見習い魔法使いの受付やら募集をしているという広報を幼い高音の下に流した、と言った所だろう。

 当然、三課もそれを察知して……いや、もしかすると麻帆良に進んで協力していたのかも知れない。高音という人材を精神面の不安を理由にあっさり手放したのもそれが理由か? その方が三課や国に益があると見たのか? それとも三課の方からグッドマン家に伝手を作ること協会に持ちかけたか? 或いは三課そのものが関東魔法協会にそのように誘導された可能性もある―――あの老獪な近右衛門や、その幼馴染だというこれまた油断ならない妖婆めいた“浦島 ひなた”の姿を思い浮かべてイリヤはそう思う。

 

「まったく。本当に喰えないわね」

 

 とはいえ、イリヤもその暗闘や謀略を嫌悪する気は無い。そこまで悪質という訳ではないし、本国の連中にしても似たような事はしているのだから。寧ろそういった手段をきちんと取り、躊躇わない協会を褒めたいくらいだ。善良過ぎる所が玉に瑕な麻帆良の人間を見て、これでMM元老院の特定勢力と対峙できるのか?と不安が擡げて来る事が多々ある為に。

 

(どんな世界であれ、綺麗事だけで通る事なんて無いんだし)

 

 イリヤは結構な事だと内心でうむうむと頷いていた。

 ただ、政治的に色々と利用され、これからもされるであろう高音に同情の念と罪悪感も懐いたが……それは明石や近右衛門も同じだろう。

 それもあってか、

 

「タカネには立派に成長して貰わないとね」

 

 そう、口に出していた。

 覚えた罪悪感を少しでも払拭する為、彼女が確りと強くなれるように、確かな力を持てるようにエヴァと共に指導しようと思って。

 

 


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