麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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今回は原作の考察も兼ねて今まで以上にオリ設定満載です。


幕間6―――遠き未来より、今という過去に救いを求めて。

 

 そこは白い世界だった。

 起きて眼を覚まし、周囲を見れば壁も天井も床も部屋を照らす照明も、今自分が横になっているベッドのシーツと枕も全てが白色だ。

 部屋の外へと通じる扉も白く。その向こうの廊下も他の部屋も同様に全てが白色で統一されている。

 

 その当時の自分は知る由も無かったが、今になって振り返ればまるで病院のようだったと思う。

 尤もその世界は、そんな人の命を救う為の施設とは程遠い物だったのだが……――――いや、その施設を運営する者達にとっては、偏りはあるものの多くの人々を救う為の重要な施設だったのだろう。

 

 いつもと同じ時間に目を覚ました自分は、先ず部屋に備え付けられたお手洗い場で用を足し、次に同じく備えられた“洗浄室”で身体を清め、何時の間にか新たに用意された清潔な衣服に…これも白い簡素な服だ……それに着替える。

 朝、昼、夕、晩、凡そ四回程…その日にある実験次第では更に洗浄室のお世話になる回数は増える。なるべく清潔さを保つようにこの施設にいる大人達に言われ―――否、命じられているからだ。

 身体を清潔にした次にする事は、部屋にある小さな冷蔵庫から幾つかの瓶や容器やケースを取り出し、その中に在るカプセル状の栄養剤とドリンク、ブロッククッキーを食べて飲む事だ。

 それが朝食だった。

 簡素で量も大してなく。味も良い訳でも無く。ドリンクとクッキーには甘みがあるが……それが返って何の温かみも無い無機質さをより強調しているようだった。

 

 だが自分はそんな事に何の疑問を抱くことは無かった。

 

 その白い世界ではそれがごく普通の事で、日々続く当然の日常であったのだから。

 そう、例え、

 

609(ろくまるきゅう)、部屋から出ろ』

 

 番号で呼ばれ、

 

『…拘束はそれで良い―――では始めるぞ』

 

 じっけんしつ…と呼ばれる所で身動きできないように寝台の上に縛り付けられても、

 

「ぁああああ――――!!! くぅ…っ―――うぁああああああああーーーー!!!」

 

 じっけんと称するナニカによって咽が枯れるほどに悲鳴を上げ、痛みと苦しさと辛さを訴えても、

 

『やはりダメか』

『ああ、この被験体には魔力の発現が認められないからな』

『しかし…遺伝子や霊的因子は極めて―――』

『―――そうだ。だから人工発現プログラムの方に回す。遺伝子や霊的因子が優れているのは確かなんだ。投薬とナノマシン注入による呪文処理を行なえば或いは…』

 

 悲鳴を上げる自分を…幼い子供を見ても助ける様子は無く、淡々と会話を交わす白衣の大人達がいても、

 

 

 ―――何の疑問を抱かなかった。それが自分の知る“世界”であったから。

 

 

 だが、そんな日々が続いたある日の事だ。

 

『よし、良いぞ。想定していた以上の数値が出ている』

『凄いぞこれは…! 記録にある嘗ての“英雄”に匹敵―――いや、上回る数値だ!』

『素晴らしい! 素晴らしいぞ! これが成功し、計画が順調に行けば我が軍の兵達もいずれは…! いや! 我らが民、全てに…! そうなれば失われた嘗ての時代…我々の世界を取り戻せる! 忌まわしい旧世界人どもを殲滅し―――なんだ…っ!!?』

 

 痛く、苦しく、辛い中で悲鳴を上げるのを堪えて頑張っていると、何時になく褒められ、自分を見て喜ぶ大人達にどうしてか顔が綻び、胸が暖かくなるのを感じていた時―――ドカンッと、遠くから聞いた事も無い大きな音が聞こえ、室内全体が震えた。

 

『どうした!? 何があった!!』

『大変です! B5-2区画の第3実験場で被験体が暴走を―――!』

『な!?…馬鹿な! 地下150mもある区画だぞ、そこは…! それが何故、この地表近くの区画まで爆発音と衝撃がっ!?』

『おい、今そこでは何の実験をしていた!』

『た、確か……300ナンバーの運用試験をしていた筈です。実戦投入前の最終テストだとの事で…』

『300ナンバーだと!? ホムンクルスの調整体達かっ!? 制御を誤ったな彼奴ら…! だから俺は始祖の遺産に手を出すのは反対だったんだ! クソッ…これは拙いぞ!』

 

 大人達が異様に慌てだした。

 

『アレが相手ではガードロボやオートマタは元より、戦闘要員でも対処は無理だ。最悪この研究施設が吹っ飛ぶぞ!』

『やむを得んな。国防省に連絡を取れ! 軍の出動を要請しろ! 我々は退避準備だ! 急ぎ資料を纏めろ! 可能な限りデータを持ち出せ。出来そうない物は破棄しろ! 被験体達もだ!』

『! この609も!』

『馬鹿を言え! 何を勘違いしている! 貴重なサンプルをみすみす失う気は無い! この被験体を含め重要な物は持ちだすんだ! 警報と共に施設全域に放送を掛けろ! 急げっ!!!』

『りょ、了解!』

 

 そうして大人達が慌ただしく動き回り……自分は、

 

「急げ609! 此処から出るぞ!」

「…出る? ここ…から?」

「ッ…! 良いからこっちだ!」

 

 一人の大人に手を引かれ、走る彼に言われるまま付いて行き―――…世界の全てが白いもので無い事を初めて知った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 西暦2035年。

 人類は初めて火星の地に降り立つ事に成功した。

 2005年以降、日米露が諸問題を抱えながらも克服し、経済協力の下に勧められ、欧州も加わった宇宙開発が僅か30年という短い時間で実を結んだのだ。……いや、計画を推進していた者達にとっては、ようやくと言うべきだろう。そう、ようやく目的達成の為の一歩を踏みせたのであった。

 

 そうしてそこから更に30年ほど。

 2060年代には、日本国が提唱した火星の緑化計画―――地球においてアフリカ並び中東やオーストラリア、南米などで試行錯誤を重ねながら成功し、それを真似た―――テラフォーミングも大気層の改良は60%。土壌開発と動植物の適応と生態系構築は20%にまで進み、僅かではあるが火星表面で人間が住まう環境が整い。この20%を土台に一気に10年以内には70~80%まで計画を進め、火星を地球と変わらぬ青く美しい緑溢れる星へと変革させる予定だった。

 なおこの時点で既に地下コロニーにて、凡そ3000万人もの人間が移住並び世代を重ねて火星で生活しており、宇宙航行技術の発達に応じてその人口は増加傾向にあった。

 

 しかし―――

 

 この第二の地球を開拓し、平和に暮らしていた人々の平穏は突如として破られた。

 そう、姫巫女が自らを犠牲にして眠りに付き、維持に努めていた魔法世界が原因不明の崩壊を起こし、火星の異なる位相に存在していた“魔法世界人”が、彼等の住まう都市や町村と共に現実世界の火星に出現したのである。

 直後、生じたのは混乱であった。

 魔法の存在が明るみに成った事もそうだが、何より切実な事情として火星に住まう“地球人”のほぼ倍の人口が現われたのだ。

 人が生きる上で先ず何が必要かと言えば、水と食料だ。

 しかし増加する人口に備えていたとはいえ、当時の火星は……いや、それから数十年経過した後の時代でも変わらないが。3倍に増えた人口を賄える十分な食料…穀物、野菜、肉類を生産することは出来ず。地球から送ろうにもそれだけの物資を集積するのは時間が掛かり、直ぐ輸送しようにも距離があり過ぎた。

 次に必要なのは土地だった。

 だが、これも同様に問題だった。火星地表のテラフォーミングは未だ20%程度。住まう事が出来る土地もあるにはあるが、とても限られ、人が満足に過ごせる大地はそのパーセンテージの100の1に達するかどうかだった。

 地下コロニーにしても無理である。現在居住する3000万人で一杯一杯であり、地上環境が整うに連れて新たな移住者も含め、増加する人口を地下で受け入れる予定だったのだ。

 

 これら問題に対して魔法世界人と地球人は当初対話を持って解決に望んだが―――…やはりというべきか、幾度かの交渉を経て決裂した。

 

 決裂の原因は、一言でいえば地球人側の無理解。或いは認識力の不足である。

 地球人……火星行政府と言われる、地球各国政府から委任されたこの統治機構は事態を相当楽観視していた。

 食糧に関しては、時間は掛かるが何れは届くものと解決の目途が立っており。魔法世界人が現われた土地も多少空気(さんそ)が薄く、気温も低く、不毛な荒野であろうと少し我慢すれば住めなくは無く、

 

「ある程度は環境が整った部分も分けてやっても良い」

「そもそも幾ら文句を言うと彼等が頼れるのは結局自分達だけなのだ。何を言おうが最終的には向こうが折れる」

 

 と。高慢ながらも考えていた。

 またこの時点で魔法世界人が軍事的オプションを選択する可能性は全く考慮されていなかった。それほどまでに火星は争いとは無縁な平和な世界であったと言う事なのだが…。

 

 だが、

 

 翻って魔法世界人……メガロメセンブリアはかなり焦燥し、怒りを蓄積させていた。

 飢えと寒さと薄い酸素の中で人々は苦しみ、平穏だった社会の治安は日に日に乱れて犯罪が横行。苦しみと絶望の余り自ら死を選ぶ者も現われていた―――だというのに、その実情を幾ら訴えようにも火星行政府はのらりくらりとまともに取り合わず、此方に足を運んで実情確認すらしない始末。

 確かに食料は配給制にし、幾らか支援も受けられたので地球から届くまで持つかも知れないが。土地の寒さは兎も角、酸素の薄さはどうにもならなかった。

 今でも住めているから大丈夫だろう。少し我慢すれば良いだけだという意見は浅慮にも程があり、MM政府の怒りは高まるばかりだった。

 高所や高山に住まうのとまるで訳が違うのだ。しかもそんな場所に居住するのは少数人で構成されるような村落ではなく、7000万人もの人間がいる都市や町である。消費する酸素の量は一体どれほどか。

 食料となる作物や家畜も、寒さや大気と土壌の変化で枯れ果てて死に絶える状況なのだ。当然、新たに育てるなど論外である。

 とてもでは無いが、人が生きて行ける環境では無い。

 

 その為、MMは食料の提供は最低限度…いや、最悪無くても構わない。居住可能な土地さえあれば対応可能だと判断し。今後の経済活動や広がるであろう居住可能な土地の優先譲渡や地下資源の権利などをかなり譲歩し、引き換えに今存在する緑の大地を求めた。

 地球からの移住者の一時停止や地下コロニーの新たな建設で、火星行政府も人口問題に対処出来ると判断しての事だ。

 

 しかし結果は前述の通り、火星行政府の無理解と認識不足のより決裂した。そこには突然現れたごく潰しの厄介者が、自分達が努力して開発した土地を奪うなどもっての外だ、という怒りもあっただろう。

 

 が―――それを聞いて寧ろ怒りたいのはMMの方であった。

 

 そう、火星行政府が認識を欠いていたというのはそれもある。

 何しろ火星まで地球人類が到達し、地表を開発できる程のテクノロジーを得られたのは魔法世界から関連技術と資材の提供があってこそなのだ。

 そして我慢と焦燥と怒りが限界に達したMMは、とうとう武力を持っての事態打開を選ぶ。

 

 

 

 かくして魔法世界人と地球人の戦争の火蓋が切られた。

 

 

 

 開戦初頭。優位に立ったのは先手を取った魔法世界人だった。

 元々火星に移住した地球人には軍事力と呼べるものは殆ど無く、警察に毛が生えた程度のものしか無かった。地球から遠く離れ、争いとは無縁であったのだからこれは当然の事だった。

 故に反撃すらままならず火星行政府は一週間も持たずに倒れ、火星に移住していた地球人は魔法世界人の管理下に置かれ―――捕虜というべき立場となった。

 勝利し、居住可能な土地を獲得し、地球人を地下に押し込めて管理下に置く事が出来。目的を達成したMMは矛を収める為に地球そのものに…国連を通じて講和交渉を申し込んだ。

 

 そして月にて行われた講和会議にて、地球側は開戦に至るまでの経緯を改めて確認し、非は火星行政府にあると判断した。

 さらにMMは食料を除き、現在ある土地以上のものは求める積もりは無く、火星行政府に譲歩したものとほぼ変わらない条件が妥協案として示し。賠償もなく管理下に置いた地球人を即解放する事も提示したので、地球側は前向きに講和を受け入れようとした。

 

 地球各国の政府としても火星行政府の下手から生じ、続けても何の利益を生まない、無意味な争いなど早期に終結させたかったのだ。軍事力と呼べるものがほぼ皆無だった事が逆に幸いして人的被害が少なかったのもある―――が、しかし。

 そこに地下より脱出した元火星行政府の人間達がフォボスの衛星基地に辿り着き、とあるメッセージを地球に送ってきた。

 

 曰く、平和的な解決を望んでいたのに突然の宣戦布告と共に騙し討ちを受けた。

 曰く、碌な軍備を持たなかったから虐殺とも言える一方的な攻撃を受けた。

 曰く、地下に閉じ込められて多くの人々が飢餓に苦しみ、今も死に瀕している。

 曰く、魔法世界人は、文明人とは程遠い卑怯卑劣な蛮族の如き悪逆な人種である。彼等の目的は我らが多大な費用と資源と人材を投入し、開発した火星を野蛮な盗賊のように奪い取り、火星に住まう我々を奴隷とする事にある。

 同じ地球人類を救い、我らの火星を取り戻す為にも。どうか、どうか、地球に住まう人々よ、同胞達よ、私達に力を貸して欲しい。

 

 と。

 そのような演説を“悪逆たる魔法世界人”の蛮行を示す、それらしい映像付きで地球に向けたのである。

 これを地球各国のマスメディアは積極的且つ活発に報道し、ネット上も遠い火星の事もあって情報が不足しており、真偽不確かなまま信じる声が多数を占め。世論は沸騰し、打倒魔法世界人! 魔法世界人の非道を許すな!との声が高まり、講和交渉はそんな世論の流れによって決裂してしまう。

 

 そうして戦争は継続するも、片道四ヶ月から半年以上という長い距離を貴重となった宇宙船―――重要な機材や資材、核心部品の多くを魔法世界の技術に依存していた為―――で戦力と物資を送らねばならぬ地球側と、総じても7000万人程度の魔法世界人もとい火星側では、互いに決定打を欠き。また重力が半分以下という火星環境に対応した兵器の開発や戦訓の反映に時間が掛かった事。テラフォーミングが未完了な事から戦場が限られ、大規模な破壊兵器の使用を避ける必要がある為に、数十年経ても戦争は終わりが見えぬ泥沼化した状況が続いていた。

 そして戦争に物資が消費される事で、テラフォーミングを含んだ火星開発は完全に停滞…いや、寧ろ戦争と言う破壊行為の影響を受けて、整いつつあった環境に悪化の兆しが出始めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 生存の為、緑の大地を手にする為、長い戦いで降り積もった恨みと憎しみを晴らす為に―――戦争は今も続いていた。

 この世界は地獄だと思った。

 限られた食料、限られた水、限られた空気、安全な住処―――それら求めて相争い、殺し、命を奪い合う此処はまさしく聖書や経典などで人が伝える冒涜と咎に満ちた地獄(せかい)なんだと。

 こんな世界に比べたらあの白い世界は天国だ。

 確かに痛い事も、苦しい事も、辛い事もあったが……それでも寒さと飢えに苦しむ事も、命を取り合う事も、明日が無いかも知れない事に怯える必要はなかったのだ。

 

「…大丈夫だ。もう少し、…この街を抜けて西を進めば味方の領域に着く。そうすれば安心だ」

 

 不安と恐怖に俯いていると、自分の手を引いて壊れた世界(てんごく)から連れ出した彼が言った。辛い状況なのに何故か自分に笑顔を見せて。

 

「…………」

 

 彼以外の大人達は皆居なくなっていた。

 白い世界の破壊に巻き込まれた人、ホムンクルスと呼ばれる恐ろしいモノに襲われた人、深い傷を負って動けなくなった人、敵と呼ばれる大勢の人達の攻撃を受けて死んでいった人。

 そうして自分は彼と二人きりになってしまった。

 

「ふう…やれやれ、施設の援軍の為に防衛線が薄まった隙とホムンクルスとの戦闘で生じた損害の所為で、この一帯の占領を許す事になるとはね。自業自得と言うべきか、あんな実験をしていた我々への罰かなこれは……いや、それは無いか。罰が下るというなら敵さんもだ。奴さん達も似たような事はしているだろうし」

 

 何も言わない自分に彼はそんなこと言う。いや、ただの独り言なのかも知れない。

 けど、色々と教えようとしているようにも思う。地球の事、火星の事、宇宙開発の事、戦争の事、味方や敵の事などを沢山。でもそれに何て答えればいいのかなんて自分には判らない。人と話す事なんてこれまで殆ど無かったからだ。

 話を聞き、暫くするとうつらうつらと首が縦に動くようになり、瞼が重くなる。

 

「…疲れたか。無理も無い。この二日間、殆ど休めなかったからな。強化された身体でも辛いわな。分かった横になって眠れ。見張りは俺がやっておくから」

 

 ぽんと頭を撫でられ―――言われるままに横になると、直ぐに眠りに落ちた。

 その瞼が落ちる直前、

 

(ここは灰色だ)

 

 隠れた廃墟の一室の壁を見て、意味も無くそんな事を思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「………懐かしい夢を見たアルな」

 

 時計を見るとデジタルの数字は午前3時50分丁度を示していた。アラームが鳴る10分前だ。

 役目を果たす事が無かったアラームを解除すると、ベッドからのそのそと彼女は出て、

 

「さて、今日も一日頑張るネ!」

 

 そう背伸びをしながら言った。

 見た夢の事を忘れ、振り切るように。

 

 

 

 超包子の開店は早朝6時である。

 学祭期間中の限定とはいえ……いや、だからこそ希少性があり、早く、美味く、安いこの出店はとても繁盛していた。

 5時からの仕込みを終えて簡単な味見をし、満足な出来にうむうむと頷いていると、

 

 ―――超さん。

 

 別の鍋を任せていた五月から声を掛けられた。

 

「ん? 五月、そっちはどうネ。問題ないカ?」

 ―――はい。大丈夫です。そちらは?

「うむ、ばっちりネ。これなら今日も完売間違いなしアル。流石は五月ヨ。今日明日は土日ととても忙しいが頑張るネ。頼りにしてるアル」

 ――――……………。

「ん? どうしたネ? やっぱり何か問題ガ?」

 

 元気よく答える超に五月は黙り込み、ジッとオーナーである彼女の顔を見る。

 

 ―――いえ、何でもありません、が。超さんこそ何かあったのでは?

「!――――…………いや、これといってなにも無いヨ」

 ―――…そうですか。分かりました。ですが何かあるようでしたら遠慮なく頼って下さい。先程あなた自身が言ったように。…勿論、超さんの事情も分かっていますから言えない事があるのも理解してます。でもだからと言って一人で何もかも抱える必要は無いと思いますよ。

「……まったく五月には敵わないアルな。分かったヨ。肝に銘じておくネ」

 

 この時代で出来た友人の鋭さに超は内心で舌を巻きながらも。何時もの調子でアハハ…と誤魔化すように笑って頷いた。

 

 

 

 

「さて、何とか街を抜けられたし、水と食料…衣服も調達出来た。移動手段(くるま)も上手いこと手に入ったのは僥倖だが…どうしたものか?」

 

 占領された街には無数の敵の兵士が配置され、外に通じる道という道には厳しい検問が敷かれていたが…捕まらずに無事街を出る事が出来た。

 当時の自分には、どのようにして彼がそれを成したのかは判らなかった。

 検問に引っ掛かり、怖い顔をして鋭い目を向けて来る兵士達が彼と話しをして暫くすると、どうしてかにこやかな笑みを浮かべて怖くなくなり、直ぐに解放してくれたのだ。

 その時、それを不思議に思って車の助手席から運転席に座る彼の顔を見上げていたら、

 

『どこの軍隊にだって出来の悪い兵士ってのはいるもんさ。この時間帯にそんな奴らが此処に回されるのは、この数日の観察で分かっていたからな』

 

 そう自分には理解できない説明をしたので、尚も不思議に思って彼を見ていると、

 

『お前さんには、まだそういうのは判らないか。まあ、子供なんだしそれで良いさ』

 

 苦笑しながらそう言ってまた頭を撫でられた。

 白い世界から逃げ出してからもう何日経ったのか、彼はそうして事ある毎に自分の頭を撫でてくる。

 嫌という訳では無い。寧ろ……―――何だろうか? 良く判らないが胸の辺りが少し暖かく感じるのが不思議だった。

 

「…やっぱり、そう幸運は続かないよな」

 

 親指と人差し指で作った輪を覗き込みながら彼がポツリと言う。千里眼という魔法を使っているのだろう。

 

「ドローンの奴が嫌というほどウロウロしている上に攻撃ヘリまでいる…か。奴らにとって敵地である西へ民間車両(このくるま)が向かって行くのを見たら、確実に不審に思うよな。まったくホントどうしたものか?」

 

 何時もの独り言のようにそう呟くと彼は、運転席のハンドルの上に広げた地図を難しい顔で睨んだ。

 

 

 

 

 身体を揺すられる感覚。車が荒れ地を走っている時のものとは違う。優しい揺さ振り。

 

「超さん、超さん」

「う…」

「あ、眼を覚ましましたか?」

「ん……」

 

 掛けられた声に彼女が顔を上げると、そこには眼鏡を掛けた見慣れた少女の顔があった。

 

「ハカセ…?―――と、ワタシもしかして眠っていたノカ」

 

 朝の忙しい集客時間が過ぎ、一息吐こうと客の空いたテーブルに席を着いたのだが……どうやらそのまま転寝をしてしまったらしい。

 

「はい。何だか幸せそうなのに、魘されているっていう…なにか良い夢を見ているのか、悪い夢を見ているのか良く判らない感じで」

「…―――そうカ、覚えていないから何とも判らないネ。そんな変な顔してたカ、ワタシ?」

 

 葉加瀬の顔に心配そうな様子が見えたので超はムムム…と腕を組んで眉を寄せ、大袈裟にわざとらしく如何にも悩んでいますといった様子を見せる。

 

「え、ええ…」

「そっか、しかし忘れるぐらいのものだし、どうせ大したことではないヨ。…ま、元々夢というのものは大半が5分もすれば忘れるものダガ」

「………………」

 

 誤魔化す自分を無言で見詰める葉加瀬。五月同様…いや、それ以上に付き合いの深い彼女には、何処となく自分がの様子が可笑しいのが分かるのだろう。しかし超は敢えてそれに気付かないフリをして尚も言葉を続ける。

 

「と、そんなことより、急いで片付けないと。授業が始まってしまうネ」

「……超さん。今日は土曜日ですよ」

「あ―――そうダタ!」

「超さんらしくないですよ。本当に大丈夫ですか。お疲れなのでは?」

「だ、大丈夫ネ。今のはちょっと寝ぼけていただけアルから」

 

 更に心配そうにする葉加瀬に、超は誤魔化し続けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夢見の悪さか、それとも変にうたた寝をした所為か。超は何度も出そうになる欠伸を噛み殺しながら歩き、予定通り龍宮神社の方へと向かった。

 時折、訝しげに自分の顔を窺う葉加瀬と共に。

 

「…………」

「…………」

 

 何となく互いに無言で歩き、居心地が悪かった。

 何時もであれば、実験やら研究やらサイエンス誌などの事や、超包子の新メニューなどの事で楽しくお喋りするのだが……何となく沈黙が続く。

 

(ここは、ワタシから話を振るべきなのだろうガ)

 

 しかし今一つそんな気には成れなかった。

 そしてその自分の様子に気付いての事なのだろう。葉加瀬もまた進んで話そうとしないのは。

 いや、正確に言うと研究一辺倒な所為で人間関係の機微に疎く。こう言った時にどう話しかけ、どんな話題を振れば良いのか分からないのだ。

 

(ある意味デハ、気遣われているというワケでもあるのダガ……何というか互いに不器用なモノネ)

 

 そう思った途端、超はクスリと笑みを浮かべた。

 科学を信望し、同志とも言える関係で、天才と呼ばれる二人(じぶんたち)が似た者同士だという事が何となく可笑しく感じたのだ。

 

「ふふ、ははっ」

「ちゃ、超さん…!?」

「いや、なんでもないネ。ちょっとナ……ふふ」

 

 突然笑い声を上げた超に葉加瀬が驚く。そんな如何にもと言ったビックリ顔に超はさらに笑いが込み上げて来て笑い続けた。

 何とも奇妙な情動だった。今一つどうしてそんな風に笑み浮かび、心に嬉しさを感じているのか。天才と言われる頭脳でもその理由は判らなかった。

 そんな自分を見て、葉加瀬は心配そうだったが……。

 

「おかしな超さん。……でも良かった、かな?」

 

 そう、溜息を吐きながらも安堵した様子だった。

 

 

 

「あらあら、チャオちゃんにハカセちゃん、いらっしゃい」

「お、おはようございますネ。真名のママサン」

「……おはようございます。お邪魔しますね」

 

 神社の境内に入ると箒を持ち、掃除をしている女性に声を掛けられて挨拶を返す。

 30半ばから40歳の間と年齢通りの外見持つ優しそうな中年の女性だ。細身で少し美人な感じでもある。そして超が言った通り彼女は真名の母親だ。勿論、血の繋がりは無い―――が、

 

「マナちゃんに御用? ああ! あの子の行っていたお客ってやっぱり貴女達なのね。もういつも素っ気ないんだから、しっかりと言ってくれたら良いお茶とお菓子を用意したのに…寮から久しぶりに顔を見せたと思ったら……ほんとにもう!」

 

 柔らかな口調のままプンスカという擬音が似合うほど娘に対して怒って愚痴を零す女性だが、そこには確かな親愛の情が感じられた。

 そう、例え血の繋がりが無かろうと、この優しげな女性は真名を愛しているのだ。自分の娘として。

 そして―――

 

「おや、超君に葉加瀬君か。久しぶりというほどでもないか? 少し振りと言うべきかな…うん?」

「あら、あなた」

「あ、パパサン、おはようございますネ」

「お邪魔してます」

 

 今度は宮司である真名の養父が姿を見せた。義母と同様、40歳程に見える中年男性だ。ただ細身で年齢に見合った感じの美人な妻に比べると、良い意味では恰幅の良く、悪い意味では小太りな体型で頭部も禿げ上がっており、容姿は余り良いとは言えない……が、顔には愛嬌があってそこは妻とも似合う優しげな雰囲気を覚えさせた。

 

「娘に御用かな? うん、なるほど。珍しく顔を見せたと思ったら君達と内緒話という訳か…うん」

 

 彼の癖なのだろう。何度も何度も頷きながら口を動かす。

 そんな所にも愛嬌を感じる。

 

「娘は本殿の方に居る。何時になく真剣に何やら祈っているようだが……うん―――無愛想な子だが、あの子をよろしく頼むよ。これからも仲良くしてやって欲しい。うん」

 

 そう、そのように告げる彼もまた、真名を実の娘のように大切に想っているのだろう。超と葉加瀬は真名の養父の言葉に頷き。娘がいるという本殿に向かった。

 その道の途中、

 

「あの夫婦には悪い事をしてるネ」

「はい。本当に申し訳ないです」

 

 自称“悪の科学者”コンビはそう呟いていた。

 何しろ、あの夫婦は麻帆良にある神社を任されているという事からも判る通り、本来ならば協会側なのだ。なのに自分達の行動を黙認し、半ば協力して貰っているような関係にある。

 

 ―――“娘”とその友達からのお願いを訊いて。

 

 だから超と葉加瀬は、出来る限り龍宮夫婦に累が及ばないように何も知らせていないし、娘の真名も両親に詳しい事は話していなかった。

 しかし自分達が要注意人物としてマークされている事は麻帆良の魔法使い達にとって周知の事実であり、その自分達がこうして揃って神社に出入りしている事から、夫婦にも疑いの目を向けられるのは避けられないだろう。

 

(それが少し…うむ、ほんの“少し”だけダガ……辛いネ)

 

 超は誰にも聞かれないにも拘らず、“少し”という言葉を強調しながらそう内心で呟いた。胸に覚える痛みを無視して。

 

 

 

 本殿に入る前に超と葉加瀬は真名と出くわした。

 

「ああ、二人共もう来ていたか」

 

 巫女姿の彼女は、養父の言う無愛想な顔を向けてくる…何時ものように。

 そんな余りにも普段通りの真名を見て、超は唐突に強い反発心を覚えた。自分らしくないという冷静に考える思考もあったが、それでも―――

 

「―――真名。ママサンとパパサンにワタシ達が来る事を伝えなかったアルカ。パパサンは兎も角、ママサンはとても怒っていたヨ…!」

「ん。そうか」

 

 やや怒気を込めて言うも、真名は真面目に受け止めていないようだ。それが余計にらしくない超の感情を刺激した。

 

「そうか…って、真名! 御両親としっかり話をしているアルカ…! まさか家に帰ってからずっとそんな態度でいたのカ!」

「…超さん!?」

 

 声を荒げると隣で葉加瀬が驚きの声を上げ。無愛想だった真名の顔にも驚きの表情が浮かぶ。そして目を見開いて超をマジマジと見る。彼女もここに来て超が普段とは大分様子がおかしく、らしくないと感じたようだ―――しかし、

 

「そうだな。超が怒るのも無理は無いか……分かった。久しぶりに家に帰ったんだからな。あとでしっかりと親孝行に務める事にしよう」

 

 超のらしくなさを指摘する事も無く、真名は少し目を伏せて自嘲するような笑みを浮かべて超の言葉を真摯に受け止めた。

 その冷静な返しに超の頭が冷える。自分のらしくなさに今更ながら気付き、また真名に心内を見透かされた事に情けなさを覚えた。

 だが、その一方で真摯な真名の姿勢に暖かなものを胸に覚えたのも確かだ―――同時に僅かな妬みも。

 そんな複雑な心境を抱く超の顔を、葉加瀬は不安な面持ちで見ていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 初めからではないかと超は思った。

 

 この時代に跳ぶと決めてから超は、この時代…西暦2000年から自らが生きた100年後の時代までのあらゆる事柄を己が脳に記憶し、またPCや携帯端末などに記録し入力していた。それら未来知識を可能な限り手にしている事こそが未来人を未来人足らしめる最大の優位性(チート)なのだから。

 

 そしてこの時代に跳び。その記憶と記録通りに事実が積み重ねられ、今に至る―――……筈だった。

 

 異なる出来事が起こったのは今年の2月。まだあの“英雄”が麻帆良を訪れる前の事だ。

 一年後に起こる筈の世界樹の発光現象―――麻帆良の聖地に魔力の満ちる時―――が今年に起こる可能性が高いと予測された。彼女の記憶にも持ち込んだ記録にも来年に起こるとされていた事が何故か早まったのだ。

 この事実に超の受けた動揺は決して小さく無かった。

 計画を一年早めなくては行けなくなった事もそうだが、そうなった原因に心当たりがあったからだ。麻帆良の魔法使い(かんりしゃ)達は近年の異常気象が地脈にも乱れが生じさせたのでは?と考えているようだが、それは違う。恐らく原因は自分だ。

 100年後の世界樹の魔力を使ってこの時代に跳んだ影響…未来の世界樹との共振か或いは時空震が原因だ。正直、超にも断定は出来ないが“勘”でその可能性が最も高いと判断していた。

 

 しかしこの程度ならばまだ修正が効く。時間的余裕が無くなり、茶々丸開発のノウハウを投入した戦力(タナカシリーズ)の試験運用も、さらにその先を見据えた次世代型完全自律ガイノイド(ネオ・チャチャシリーズ)の試作もまだだが。時間跳躍弾の検証とカシオペアの戦闘運用シミュレーションは済んでいる。

 学祭までには急げば何とかなる筈だ―――そう思った。

 

 だが、しかし。

 

 世界樹の発光の早まりを皮切りにしてか、記録に無い事が起こり始めた。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと名乗る白い少女の出現。京都で確認された黒い禍々しき存在に白い少女の母の姿をしたという呪いの存在。

 そして“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の活動と復活の兆しを魔法協会が認識した。

 白い少女や黒化英霊と呼ばれる存在と少女の母の姿をした呪いの存在も非常に驚きだったが、“完全なる世界”を協会が認識したのは何より超の予想を覆す出来事だった。

 自分の識る記録では、この年の夏に起きる魔法世界でのテロ事件に続く、新たな英雄達である“白き翼(アラ・アルバ)”と“新生・完全なる世界”の戦いの最中でその事実を確認する筈なのだ。

 

 

 その識るべき記録との違いの結果―――

 

 

「――――――京都で起きた事件を機に麻帆良の魔法使い達……関東魔法協会の警戒が高まった為、去年の学祭に続き、今年も行っていた物資の搬入……工科大を始め、麻帆良で実際に活動している各サークルや此方が用意したダミーサークルの発注に紛れ、私達の下へ運び込まれていた物資の存在が5月の頭早々に協会に察知されました」

 

 龍宮神社にある一室。

 カーテンを閉め切り、電灯も付けていない暗い部屋に浮かぶ映像を背に葉加瀬が説明する。

 魔法を使わず宙に投影される映像には、ここ一ヶ月余り…学祭準備期間中に搬入し、消費した物資の状況やら、それらを使い製造している器材の目録や数量などの様々なものがグラフとして表示されていた。

 

「その為、物資の搬入は制限され。タナカシリーズ及び多脚兵器の生産が大きく遅れ、次世代型ガイノイドの方は完全に停止し、学祭までに揃えられる兵力は予定の5割を下回り。更には鬼神制御用の躯体パーツも4割程度しか調達出来ないという有り様となっています」

「そうなると、鬼神の方も六体の内の二体しか使えないのか?」

「いえ、鬼神用の躯体は計画の要ですので工科大にある余剰資材を工面し、何とか予定数を揃える積もりです。ただ…」

「ただ…?」

「…………」

「葉加瀬?」

「―――ただし間に合わせの粗悪なパーツを使う事になるカラ、残りの四体の能力は40~45%程度になってしまうネ。装甲とフレーム以外は殆ど張りぼてのようなモノヨ。だから出力も機動力も低く、戦うとなったら防御で手一杯になってしまうネ」

「それはつまり実質戦闘では使い物にならないと言う事か」

 

 言い難そうにする葉加瀬に代わって超が答えると、真名がやや憂鬱そうな表情を浮かべる。

 超は、そんな真名に誤魔化しても仕方ないので、そうなるネ…と素直に答えた。

 

「なおこうなった要因には、協会の警戒が高まる共に学園地下の警備状態の見直しと改善が行われた事もあります。これによって私達が密かに設置していた製造ライン及び格納庫としていた地下施設を閉鎖ないし縮小する事になりました。つまり生産速度が低下し、製造を行なった兵器群の管理も困難になったという事です」

 

 そう言うと同時に葉加瀬の背後に投影された映像が学園地下の図面を写し、その多くが赤く染まる。龍宮神社の地下と他6か所程だけが安全を示す青色のままで、他にも注意を示す黄色やどっちともつかない灰色が見えた。

 

「さらにこれに付随して、計画実行時に予定していた戦力投入ルートである麻帆良湖に通じる地下空洞も結界で封鎖されてしまいました」

「あそこは鬼神の巨体も抜けられる程の大穴が開いているカラネ。警戒を高めた麻帆良としては封鎖するのは当然ヨ」

「はい。また当然と言うと、これらの件で私達は完全にマークされてしまいました」

「…焦っても仕方が無いとはいえ、そう淡々という事でも無いがな。あれだけの物資を協会に黙って搬入し、集積していたのがバレたからな。正直―――……」

 

 真名はそれ以上口にしなかったが、彼女が何を言いたかったのか…それはこの場に居る者達には分かっていた。

 

 ―――正直、その時点で詰んでいる、と。

 

 一応、学祭の出し物の為だという言い訳で物資搬入の件を誤魔化したとはいえ、協会がそれを真正直に受け止め、信じているとは思えなかった。これまで協会に対して行ってきた諜報活動の件もあって完全に眼を付けられた。

 それ故、世界樹の例の噂を意図的に拡大していた事もバレバレであったらしく先日に釘を刺された。これも予てからの事であり、先の事情により必要性が高まった為、マークされていると知りながらも已む無く行なった訳だが……これがむしろ決めてとなったと言えるかも知れない。

 

 超一味(じぶんたち)が学祭期間中に何かしらのアクションを取る、と判断されたのは。

 

 だがそれでもやはり…それは必要な事だった。

 警戒が高まる協会のリソースを少しでも割き、疲労による消耗を誘う為にも。しかし―――

 

「―――次に、昨今の協会の動きですが。非常に厄介な事に世界樹を中心とした六ヶ所の魔力溜まりに用途不明な魔法陣が敷かれました。ただし用途不明と言いましたが、ドローンや上空にある飛行船からの偵察並び観測の結果。本来なら魔力溜まりから周囲に拡散する筈の魔力が拡散されず、その場に留める効果があるらしい事が確認されています」

 

 映像が切り替わり、六ケ所の地点が幾つもの画面に分けて映され、ずんぐりとした巨大な猫のぬいぐるみが画面中央に特に大きく映り、サーモグラフィのように色彩が分布されたものが重ねられる。

 それを見ながら真名が小首を傾げる。

 

「………あるらしい、というのは? ハッキリとした言いようではないが」

「はい。それは…この巨大猫を捉えた『魔力可視化映像(マナグラフィ)』の時間的推移を見て頂ければ、判るかと」

「ふむ……――――なるほど。十二時間毎に高まった魔力が何故か消えているな。留まり続けているなら猫の中心部が濃くなり、大きくなる一方である筈だが…」

 

 早回しされる映像を見て、真名が理解したようだ。

 青を地とする映像の中心部が緑、黄、赤、白、と時間を経る事に濃くなって行くのに、ある時間に達すると色が低い数値を示す緑色に戻るのだ。

 

「先程も言いましたが、一昨日から設置されたこの魔法陣の用途は不明で。この魔力の変化の原因についても現段階では不明です。ですが…」

「ウム…これでは、噂を広めた意味が無いネ」

「はい。学祭中の私達の動きから目を逸らす為の陽動として、ネットや新聞を始めとした各種の情報媒体に世界樹の噂を麻帆良を始め、関東一帯の観光業界に浸透させたのですが。これで無意味となりました」

 

 超が落胆したように言うと、葉加瀬は捕捉するように答えた。

 超は溜息を吐きそうな雰囲気だ。無理も無い。二年余りの月日を費やして進めてきた計画がここに来て暗雲に覆われたのだ。

 そんな憂鬱そうな雇い主を見ながら真名が尋ねる。彼女にとってはそれが一番の懸念だ。

 

「…世界樹の魔力を抑えられたという事は、時間跳躍弾は使えないのか?」

「いえ、それに関しては大丈夫………―――だと思います」

「…言葉に間が開いたのは気に掛かるが、取り敢えず大丈夫だと判断した根拠を聞こう」

「はい。では…今度はこれを見て下さい」

 

 画面が切り替わり、今度は麻帆良学園を全体的に俯瞰する画像が映り、それにもマナグラフィが重ねられる。

 

「これは麻帆良の高々度上空にある飛行船から捉えた物ですが、これによる魔力観測を見る限り、あくまでも例の魔法陣が抑制しているのは六ヶ所にある霊的スポットの魔力だけで、世界樹を通じて麻帆良の土地そのものに満ちる魔力はそのまま……いえ、世界樹にもこれまた未知の結界が張られているので想定値は下回りますが、使用可能な数値には達する…筈です」

「…ふう。“大丈夫だと思う”に続いて、“達する筈”と来たか―――やれやれ」

 

 説明を聞いて真名は肩を竦めた。安心材料を得たかったのに当てが外れたと言った感じだ。

 それも無理は無い。何しろ、

 

「やはりあの少女……イリヤスフィール。そいつの仕業なんだろ?」

 

 用途不明な魔法陣やら未知の結界やらと聞いて、例の白い少女に思考が行き付いたらしい。もしくは予め彼女なりに情報収集に努めての判断か。

 

「ハッキリ言って“アレ”は手強い。その有する戦力や未知の魔法を扱うという事も勿論だが、頭の方もな。そんな奴が魔法使いとして魔力溜まりを協会公認の上で押さえた以上、ただ魔力を抑制しているだけで無いのは確実だ。しかも六ヶ所全てのポイントに仕掛けを施しているんだ。線で引けば綺麗な六芒星にも円にも成る霊的スポットをだ。だとすると奴も…」

 

 その可能性は超も葉加瀬も考えている。

 イリヤスフィールもまた最終日に高まる魔力を使って何らかの大規模な魔法か儀式を行う可能性があると、しかも協会の認可を受けて。

 これまで様々な要因から、扱いが難しかった世界樹の膨大な魔力を白い少女の協力を経て扱えるとなれば、関東魔法協会……いや、より正確に言えば日本の魔法社会を管理する東西の上層部はその試みに高い関心を寄せ。また彼等も少女に進んで協力するだろう。その技術とノウハウを取得する為に。

 だとすると計画は既に破綻していると言って良い。魔力溜まりを押さえられ、仕掛けられた魔法陣を撤去できるのかも怪しいのだ。いや、例え霊格が低かろうが麻帆良に封印されている鬼神を触媒にするのだから出来ると信じたいが―――あの少女は、それを覆すだけの力を秘めていても何ら不思議では無い。

 

「分かっているアル。手強いというのは……何しろあの闇の福音(エヴァンジェリン)が認め、彼女の封印をも解呪したバケモノネ。その上、何を考え、何を目的にし、どのような行動を取り、どんな手札を持っているのか……まったく“ワタシにも判らない”のダカラ」

「「………………」」

 

 その超の言葉……その意味する所を、未来人である事を知る葉加瀬と真名には良く判った。

 あれほどの人物を、確実に裏社会の歴史に記録されるであろう偉人に足る人間を超が知らない事実―――真名は以前、京都の事件の際、あの少女に不可解な物を感じた事が在った。

 

 ―――在り得ないモノ(イレギュラー)ではないかと?

 

 そしてそれは当たっていた。

 絡繰 茶々丸から得た情報だ。製造者―――生みの親たる超と葉加瀬に逆らえない…逆らおうなど考えない機械(かのじょ)は、余す事無くイリヤスフィールに関して知り得た情報を二人の親が問うままに全て話した。

 

 魔術、聖杯、英霊、聖杯戦争―――そして並行世界。

 

 そう、イリヤスフィールは正真正銘この世界には存在し得ない人間だった。そして超が知らないという事は……。

 

(そうアル、分かっているヨ。その事が何を意味しているのカ…)

 

 その意味…答えは、白い少女に関する情報の中に在った。

 

 即ち―――並行世界。

 

 これに気付いた時、気付かされた時。超は自分足元が、踏み締める大地ごとガラガラと崩れて行くような感覚を覚えた。

 勿論、その可能性を考えた事が無かった訳では無い。この時代に跳ぶ前から幾度も考えていた。

 SF小説や映画などで散々描かれ、科学者の間でも思考実験の一つとしてタイムパラドックス論と共に何度も呈され、数多の論文の具材に成った話だ。

 未来から過去へ移動した人物が居る世界は、本当にその人物が居る未来に繋がっているのか? 未来からその人物が移動した時点で変化が生じている訳だから既に繋がりの無い異なる世界では無いのか? もしくは時間移動…過去転移そのものが異なる世界…所謂、並行世界の移動手段ではないのか? 等などと、正に空想めいたそんな話だ。

 だが、それが現実になった時―――現実だと思い知らされた瞬間。改変の望み、起きてしまった絶望を回避しようと…無かった事にしようと願い、過去へ移動した人物はどう思うか?

 

 ―――変えられない…いや、変えられなかったという事カ。あの悲劇を、絶望を……ならワタシは、ワタシは一体何のタメニ…?

 

 悲劇が起きた世界から過去が似ただけの別の世界に移動しただけ。そんな世界で幾ら力を尽くそうとも似ているだけの別の世界である以上……繋がりが無い以上、自分の故郷たる世界に起こった悲劇は無くならない、消す事は出来ない。

 超の心は折れ掛けた。貴重な資材を費やし、時間を費やし、大切な仲間を何人も犠牲にし、皆の希望を受けて時を越えたというのに………――――――何の意味も無かったと突き付けられて。

 

 或いは……それを認め。折れたままに心を挫けさせ、膝を着いてしまえば楽だったのかも知れない。

 

 だが、超にはそれは出来なかった。

 まだそうと決まった訳では無い。未来にあった記録が間違っていたのかも知れないし、繋がりが無いと断定された訳では無い。

 犠牲になった未来の仲間と託された希望の為に、そして何よりも悲劇を回避する為にも絶対に諦める訳には行かなかった。

 だから超は、突き付けられた重い現実に挫けず、抗おうと今もこうして計画達成の為に心を奮わせ、膝を着かずに立っていた。

 

 しかし…現実というのは非情である。

 

 自分の心を挫けさせたイレギュラーが如何に手強く、厄介なのか。超は思い知らされた。

 英霊の力を宿す破格の戦闘力は勿論脅威だが、外敵の存在を利用し協力を持ち掛けて麻帆良で信頼を築き上げた手腕も恐ろしく。魔術という既知から外れた神秘によって協会戦力の強化を行なったため、対麻帆良を想定した戦闘シミュレーションの見直しを迫られ、さらには此方の打つ手を無力化し…計画を破綻させかねない要素まで持ち込まれてしまった。

 

 思うにイリヤスフィールという存在がやはり最大の要因なのだろう。麻帆良と対峙する障害という意味だけでなく。魔法協会が“完全なる世界”の復活を察知し、逸早くその脅威を認識して警戒を高め、さらには西との和解を進ませる等の、記録に無い事態を招いているのは……―――恐らく白い少女と同様、並行世界から訪れた“呪い”という存在を併せて。

 

「ホント、厄介で手強いネ。でも諦める気は無いアル」

 

 思考の淵から意識を戻し、葉加瀬と真名に向き直って超はそう決意を新たにする。

 多くを犠牲にし、物資と時間を費やして此処まで来た彼女は、もう後には退けないのだから。

 

 

 だが、そんな超に対して不安を隠せない葉加瀬は、曇らせた表情で彼女に言う。

 

「ですが、問題は山積みです。戦力の充足が望めず、陽動の手を潰され、要たる魔力溜まりが先に押さえられました。カシオペアや時間跳躍弾の使用にも不安があるという最大の問題もそうですが、麻帆良の戦力が強化されている現状も無視できません。あの少女が作ったアミュレットとタリスマンによる底上げ。警戒強化による職員の増員や西との協定締結による呪術協会からの人員派遣と連携……特にこの青山 鶴子が麻帆良に居るのは非常に脅威です」

 

 彼女の背後にある映像にその問題の女性が映る。その経歴や戦歴と共に。

 

「神鳴流の数百年に及ぶ歴史の中で最強とも謳われる剣士。その実力は大戦で英雄と呼ばれる事となった兄である近衛 詠春やネギ先生のお父さん…ナギ・スプリングフィールドをも凌駕し、真実最強であるエヴァンジェリンさんに匹敵するとまで言われています。事実10年前、行方不明になる前のナギ・スプリングフィールドが近衛 詠春と共に復活し掛けたリョウメンスクナを封印したと言われる事件が――――実は、完全復活したリョウメンスクナに二人が追い詰められた所を、彼女が単独で封印したという事が此方の調べで明らかに成っています」

 

 それを示す場面が画面に映る。

 負傷し衣服を赤く血に染めながらも、漆黒に染まる眼の中に爛々と黄金に輝く瞳を見せ、凶悪な笑みを浮かべて巨大な鬼神に斬りかかる黒髪の女性。

 麻帆良が西との和解を進める事を聞き。呪術協会の情報を得る過程で偶然極秘ファイルから入手出来た映像だった。

 京都の事件で不完全な状態であったそれとは訳が違う。画像からでも伝わる凶悪な威圧感を放つ“受肉を果たした”巨躯の大鬼。だがそれを鶴子が見事真っ二つに切伏せるという信じ難い映像があった。

 

「幾ら真名さんが優れた狙撃主で、如何なる防御も無効化できる時空跳躍弾とはいえ、“その程度の物”が彼女に通じるとは思えません。どれほど強力な攻撃でも当たらなければ効果は無いのですから」

 

 葉加瀬には、鶴子に挑むのはどう考えても無謀としか思えなかった。

 狙撃を行なったとしても、直前に察知されるか、或いは躱されるか。……そしてその幾瞬か、幾秒後には真名は確実に切伏せられる。

 

「それに先程、真名さんも超さんも手強いといったあの娘も……」

 

 茶々丸を通して得た京都でイリヤスフィールが示した力の記録。そして襲撃事件の騒動の裏でドローンを使って密かに得たバーサーカーと呼ばれる黒い騎士との戦闘記録。

 率直な所、葉加瀬は侮っていた。カシオペアと時空跳躍弾という破格の切り札(チート)があれば、最強クラスと呼ばれる魔法使いや達人であろう意味は無い。これがあれば必ずこちらが勝つ、と。

 だが、極秘ファイルから入手した鶴子と先の事件で得たイリヤの戦闘記録を見て、その考えが如何に甘かったか、間違いであったのかを思い知った。

 

(あんなのは人間じゃない―――!)

 

 音速か超音速の領域で身体を動かし、時には超極音速すら超えてその手に握る原始的な武器―――剣や槍を振るって行われる攻防は、さながら台風か竜巻の如き災害であり、周囲に齎す破壊の痕跡は凄まじいの一言だ。そんな人間の姿をした災害が好きに暴れまわれば、その一帯の地形は容易に変わり、建物があれば廃墟や瓦礫と化すしかない。

 魔法使いや気を扱う武芸者が超人的な力の持ち主だとは判ってはいたが、最強クラスと呼ばれる彼女達は本当に別枠……いや、規格外だ。

 時空跳躍弾は当たるとは思えず。カシオペアにしても扱うのは開発者の超本人だ。強化服で筋力や瞬発力を超人並に引き上げる積もりだが、それでも彼女たち化け物に及ぶ訳が無く。動体視力と反射速度に関しては素のままだ。

 これではカシオペアで擬似的な空間転移を行なおうとも、彼女達の反応速度の前に“追い付かれる”―――否、“追い抜かれる”。そう、時間移動を利用した座標軸移動を使い、不意を付いて背後に回ろうが、回避の為に距離を取ろうが、その次のアクションを取る前に彼女達の方が早く動くのだ。それも人の域を遥かに超えた神速を持って。

 ただ一応、連続時間停止による無敵化(ぜったいぼうぎょ)は彼女達の攻撃にも有効だと思うが……それも何処までか。

 

「……………」

 

 葉加瀬が淡々と説明に終始していたのは、その為だ。

 戦力を欠き、計画の布石が潰され、要所の既に抑えられている状況下にあり。そんな中で切り札が切り札に足りえないという重い事実。

 端的に言えば、彼女は計画達成を諦めていた。この状況を覆す術は無い。いや、絶対(ぜろ)という事は無いから難しいというべきだろう。

 だがその可能性は幾程か? 10%…5%もあるかどうか…。

 それに更に不確定な要素がある。

 彼女は手元の端末を操作し、ある情報を映し出す。

 

「…これは?」

 

 映された画像…新聞や雑誌記事のように並ぶ文字の羅列や写真を見て、真名が眉を顰めて不可解そうにする。

 

「およそ一週間前、MM本国並び現実世界にある各国魔法協会が内向けに発表したものです」

「MMから使節団?…人間界・日本支部に親善訪問…だと、まさか此方の世界に元老院の議員や高級官僚が来るのか…!」

 

 葉加瀬の言葉を受け、内容を確認した真名は驚きを含んだ声を上げた。この一世紀近く全く無かった出来事なのだからその驚きも当然と言える。

 

「はい、そうです。大戦終結から20年。あちらは言うまでも無く、此方もその影響を受けて魔法社会が不安定になっていましたが、それも改善しつつあり、平和に向かっていますので、それを魔法社会全体に大きくアピールする為に、そしてその平和をより安定させる為にも本国…MMに不審を持つ各国魔法協会に信頼回復を求め、此方の世界に使節団を送るそうです―――ここ麻帆良へと…多くの観光客で賑わう学祭時期に紛れて…」

「だが、そのようなアピールの為なら麻帆良で無くとも良い筈だ。むしろ本場である欧州の方が……観光地の多い地中海に面した国々ならば…」

「そうですが、なんでも『彼の大戦の最中、自分達の要請によって“不幸な行き違い”が生じ、関係が悪化していた日本の東と西の両協会が和解に向かっている。喜ばしい事だ。切欠となった我らも謝意を兼ねてこれに協力しよう』と日本の両協会に打診したそうです。“これも平和の為”と銘打って。恐らく直にマスメディアを通じて両世界の魔法社会に大々的に報道されるでしょう」

「……なるほど、平和の為の親善という看板により意味を持たせ、強める為にもか。極東の不仲は魔法界でもそれなりに知られた話だからな。その和解の手助けをするとなると向こうの民衆にはウケが良いだろう。……にしても原因となった連中が“仲を取り持ってやろう”とは。それを聞いて両協会の上層部がどんな顔をした事やら……まあ、大体想像は付くがな」

 

 真名は思いっ切り不敵に、そして皮肉そうに笑う。

 恐らく顔を赤くし、こめかみを引き攣らせて「余計なお世話だ! 何様の積もりか! 馬鹿野郎!」…などと口から泡を飛ばしながら激怒しただろう。

 

「だが、それも表向きの話ネ。それだけが理由なら麻帆良は断れたアル」

「…だろうな。親善だとか、信頼回復の為とか言いながら火に油を注ぐ事をしているんだからな。…となると、やなり先の事件が原因か」

「ウム、あの事件で結界を抜かれ、侵入を許した事をMMは不安に思っているそうネ。封印されたオスティアのゲートが麻帆良の地下にある事を含めて―――学園長は向こうのゲートから麻帆良に侵入される事を不安に思ったそうダガ、本国は本国で逆の事を心配したそうヨ」

「その辺の詳しい事情は私には判らんが……噂に聞く墓守の宮殿とやらの封印にそこから到達される事を心配しての事か?」

「さて、ネ―――兎も角、この件を出されると麻帆良は本国からの使節団…という名の“視察団”を強く断れないのは確かアル」

 

 超は、真名の疑問にワザとらしく誤魔化し―――話を続ける。

 

「断れば、未だ対策が万全では無い、保安が不十分だと言っているようなモノ。表向きとはいえ、此方の世界も安全だと平和になりつつあるとアピールしたい“使節団の”面子にも泥塗る事になるネ。関東魔法協会と学園長の信頼も大きく下がると思われるヨ」

「それは私達が騒ぎを起こしても同じです」

 

 超の話に葉加瀬が割り込む。

 

「使節団…いえ、視察団が滞在する中で麻帆良に騒動が起これば、関東魔法協会の信頼は間違いなく落ち。学園長は先の事件に続く失態の責任を取らされて確実に失脚するでしょう。そうなれば日本の魔法社会は混乱し、本国が付け込むに十分な隙が出来ます」

 

 そう言って葉加瀬は超をジッと見据える。

 確かに麻帆良で騒動を起こし、学園長の失脚を始め、関東魔法協会の多くの魔法使いが責任を取らされ、本国に拘束されるのは計画に含まれている事だ。

 だが、だが…それは、自分達の計画が成功した場合―――つまり超がその後の混乱を含めた世界情勢をコントロール出来る状況にある事が前提だ。

 しかしその前提は既に崩れつつある。それでも当初の想定通りならば問題は無かった。もし失敗し計画が阻止されても騒動は学園内に留まり、自治の範囲として学園長の政治的手腕で対処できると考えられていたから。

 だから葉加瀬は尋ねる。

 

「……超さん。諦めないと仰いましたが……“分かっての事”なんですよね」

 

 このまま計画を進め、麻帆良に騒動を起こせば日本の魔法社会は確実に混乱に陥る。失敗した場合の“保険”は働かない。視察団を通じて本国の眼に触れられ、自治の範囲を超えてしまい。保険である学園長が失脚する可能性が高まるからだ。仮に失脚しなくともその権勢は大きく落ちるだろう。

 そうなれば本国の介入を招き、関東魔法協会は西と再び対立する事になりかねず。ネギの身柄も元老院の特定勢力に押さえられる可能性がある。さらに悪ければ……“姫巫女”に手が及ぶ事も…。

 そうなったら―――勿論、全てを知っている訳ではないが―――超の居た未来以上の悲惨な未来が訪れるのは確実だ。代わりに“悲劇”は起こりようも無くなるかも知れないが……流石にそんな形で超も“無かった事”にしたくはないだろう。

 

「諦めないというのなら、私達は絶対に成功しなくてはいけません。でないと…」

 

 繰り返すようだが、超の過ごした時代よりも悲惨な未来が築かれてしまう。

 

 

 葉加瀬の問い詰めるような言葉に、超はこれが最後の分岐点なのだと感じていた。

 進むか、諦めるか、どちらかの。

 考えるまでも無い。超は既に決めている―――そう、自分の進む先は血に塗られた修羅の道。決して振り返る事も戻る事も許されない…否、出来ない。そう、託された希望を裏切れないのだから。

 例えその先に望む未来が無かろうとも……。

 

「“分かっている”ネ、ハカセ。確かに不利な状況に追い込まれ、色々と予想外な事態が重なってしまた。しかし全く勝機が無い訳でも、逆転の手が無い訳でもないネ。それに―――多分、ハカセの心配は無用アル。…だからワタシは諦めずに進むネ」

 

 そう答えて超は葉加瀬に首肯した。

 それは勘のような物だ。葉加瀬が危惧する事態になることは無い……脳裏に厄介な敵である白い少女の姿が浮かび、彼女が何とかしてしまうと信じられるナニカを感じたのだ。

 或いは―――

 

「いっその事、彼女を―――イリヤスフィールを味方に引き込めれば…ホントに心配が無くなり、此方の勝ちが決まるのダガ」

 

 感じたナニカを自らの手元に置きたいと思い、そう呟く―――が、

 

「―――それは無理だと思います」

 

 薄暗い部屋の入り口からそんな声が耳に入った。超と葉加瀬、真名が声の方へ顔を振り向かせる。

 

「茶々丸…」

「すみません。遅れました」

 

 会議に遅れた事に頭を下げる茶々丸。

 

「いや、それは構わないが……今の言葉はどういう意味アル?」

「それは…マスターからの伝言です。『もしイリヤを味方にと考えるなら無駄だ。アイツは決してお前には協力しない。魔法(しんぴ)を世に明らかにする事は魔術師にとって最大の禁忌だからな。ついでに言えば―――いや、これが最も大きいか。お前が未来人だと知られ、望みが過去改変だと知られたら、イリヤは絶対にお前を受け入れないだろう。だから目的を達したいと思うのならイリヤに余計な事は言うな』との事です」

 

 レコーダーのように主の声色と口調を再現して、茶々丸は超の問いに答えた。

 

「…そうか。イリヤスフィールを味方に引き入れるのは難しいカ」

「残念です。あの子が味方になってくれれば、ホントに此方の勝ちが決まりましたのに…」

 

 超は伝言にある言葉の中に気になる物がある為、茶々丸の言葉に頷きながらも顎に手を当てて悩む様子を見せ。葉加瀬はなお勝利が遠い事実が確認されて落胆する。

 真名は超同様、考え込むように腕を組んで、

 

「未来人と知られ、過去改変が目的だと知られたら……か」

 

 そう呟き、それが耳に入った超の肩が微かに震えた。それが彼女の気になる言葉だからだ。

 

「それともう一つ伝言があります――――………」

 

 落胆し、難しそうな顔をする三人の様子を気にしていない様子で茶々丸が再度口を開くが―――

 

「ん?」

「…どうしたの茶々丸?」

 

 何故か言葉を切って途中で黙り込み、超と葉加瀬が訝しむ。

 

「…………」

「どうした? 言い難い事なのか?」

「あ、その……ハイ……いいえ、ですが…」

「んん?」

 

 黙り込む茶々丸に真名も問い掛けると、茶々丸は機械(AI)らしくない曖昧な返答をする。尤も機械がそんな人間のような曖昧さを持てる事こそが凄いのだが……。

 そんな迷いを見せる茶々丸に超は何とも不安を覚え、彼女に声を掛ける。

 

「茶々丸―――?」

「……すみません。改めてお伝えします」

 

 生みの親にこれ以上心配を掛けてはいけないと思ったのか、姿勢を正して茶々丸はしっかりと主からの言葉を伝えた。

 

「……『超、葉加瀬。私はお前達が如何なる騒動を起こそうとも、麻帆良を困らせようとも、世界を混乱に陥れようとも関係無いと静観する積もりだった―――が、悪いな。それは出来なくなった。私は私の為に協会に……いや、イリヤに付く。だがそれを知り、もしお前達がイリヤに何か…そう、危害を加えようと思うなら止めて置け、私はどのような事をしても必ずその代価は払わせるだろう。……先程の事も含め、これらを伝えるのは義理だ。超…お前には少しばかり世話になったからな。以上だ。それら肝に銘じて置く事だ』との事です」

 

 茶々丸からの二つ目の伝言。それを伝えられて室内は重たい雰囲気に包まれた。

 

「そ、そんな……こ、これじゃあ…」

「……闇の福音(ダークエヴァンジェル)―――エヴァンジェリンが敵となるのか…!」

「……想定外もいい所ネ…」

 

 三者三様に驚愕して表情を強張らせた。ただでさえ低い勝率が下がった上に“伝説”と対峙しなくてはならないのだ。裏を知る者なら誰もが恐れ、対立を忌避する吸血姫と。

 特に超にしては、驚愕の他に当てが完全に外れたという思いもある。

 交渉や条件次第ではエヴァは味方に引き込めると考えていたからだ。無論、その代償は高いだろうが、計画達成を思えばどのような物でも……例え自分の命や魂であろうと、安いものだと差し出す覚悟だった。いや、むしろ永遠の命を持ち、富や名声に興味が無い相手だからこそ、そういった命を賭した覚悟を示す事が吸血姫を唯一動かせるものだろう―――だから本気で全てを賭ける積もりだった。

 だというのに……

 

「くっ…!」

 

 歯噛みする。此方が勝機を手にする最大の手札が失われた。

 

「いや…! まだ、まだアル!」

 

 故に超は脳裏に浮かんだそれに望みを託す事にした。エヴァの忠告にもあるように可能性は低いかも知れない。しかし試みる価値はあるだろう、何もしないよりはマシだと考えて。

 無論、それだけでなく。現状のプランを見直し、推し進められるだけの方策を講じるが。

 

「まだ、負けたと決まった訳じゃ無いアル…!」

 

 立ちはだかる重い現実と心を覆う不安に潰されないように、彼女はそう己を鼓舞した。

 懐に隠した懐中時計(カシオペア)を無意識にも握り締めて。

 

 

 

 ―――だが、やはり初めからではないかと思った。

 

 自分が識る世界とは異なるズレがあり、計画が崩れていたのは……―――今になってそう思うのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 色々な事が在った。

 白い世界が壊れ、そこから彼に手を引かれて逃れ、街を抜けた先でドローンやヘリからの攻撃と追跡を振り切り。安堵したのも束の間、MMでも火星行政府軍でもない第三の勢力に捕まり……保護とも言える扱いを受け、自分を守ってくれる彼とその勢力の下で過ごした。

 戦争に加わらずテラフォーミングを再開し、進めようとするその勢力の活動に共感して彼と共に頑張った。

 

 多くの事を学び、実践し……多くの事を成せたと思う。

 

 けど、けど……戦う力も少ない。それでも身を守るだけの力がある自分達。

 日和見的に戦争に加わらない、どちらの勢力にも手を貸さない事が、徐々に賛同者が増える事が気に入らないと言われ―――ある日、そこは炎に包まれた。

 

「…ここまでか…駄目だなこりゃ…」

「そんなこと無い! 大丈夫、大丈夫だから! 早く、早く逃げよう!」

 

 彼を肩から担いで必死に歩く。以前とは逆だ。私が彼を引っ張って逃げている。だけど―――

 

「……ありがとうなリン。けど……けど、な。…やっぱ、大丈夫じゃ…ないみたいだ」

「ッ!」

 

 彼の腹部…シャツが真っ赤に染まり、ズボンも塗れ、ポタポタと地面に赤い斑が出来る。

 それを見て、私は彼を担いで歩きながらも治癒魔法を使った。

 途端、激痛に身体が覆われる。代謝を活性し血を止めて、傷口をなんとか塞げる程度の低位の回復魔法で、魔力も大して使わないというのに、身体中に施された呪刻が熱く疼く。

 

「…よ、止すんだ…ゴフッ! …こっ、この程度の……ま…魔法じゃあ……どうにもならない……返って…魔力が探知され……敵に見付かる…だけだ」

 

 彼の身体から力が抜けて行く。青い顔をし、咽込んで赤い血を口から吐きながらも喋る。

 

「……だから、な」

「!―――ヤダッ」

 

 何を言いたいか察し、強く首を横に振る。

 

「き、聞き分けない事を…言うな。分かって……いるだろ」

「いやッ!」

 

 とうとう彼は膝を着く。ポタポタと落ちる赤い滴が大きくなり、水溜りのように地面に大きく広がる。

 もう助からない、治癒しても手遅れ―――それは判っていた。けど私は首を何度も横に振った。ヤダだとかダメだとか立ってだとか、幼い子供のように我が侭を言った。

 そんな私に彼は笑って言う。痛い筈なのに、苦しい筈なのに、辛い筈なのに。しっかりとした口調と声で。

 

「行くんだ。俺を置いて……そうすればリン、お前は生き延びられる。そしてきっと多くの事を成せる。きっと多くの人を助けられる。きっとこの明日が無い星を……希望がとても儚いこの世界を変えられる。だから―――」

 

 ―――いきなさい。

 

 最後のその言葉は日本語だった。

 生きなさい、行きなさい、と。そう二つの意味を込めて言ったのだろう。私はそれに―――

 

「―――ハイ。いきます」

 

 そう答えた。

 さっきまでの見苦しいまでの我が侭はなんだったのか、という程にあっさりとハッキリした声で。

 だってそれが最後の言葉だって、彼の遺言なんだって分かったから。それを子供のような我が侭めいた言葉で返す事なんて出来なかった。

 

 だから私は最後に頬が濡らしながらも笑顔で―――

 

「ありがとう。あの時、私の手を引っ張ってくれて。これまで守ってくれて。本当にありがとう。私は貴方の事が大好きで―――心から愛していました」

 

 ―――感謝の言葉を秘めた想いと共に告げた。

 

 

 

 私は生き残った。

 勿論、私だけでは無い。散り散りになりながらも多くの仲間が生き延びた。そして新たな戦いが始まり、私は彼の遺言を果たす為に―――いや、本当はただ取り戻したかっただけなのだろう。

 

『―――リン』

 

 そう自分の名前を呼んで笑い。頭を優しく撫でてくれる“赤い髪をした彼”との日々を。

 

 だから本当は私は、私は―――…未来を救うことなんて……けど、それでも背負ったものの為に、託されたものの為に…私は。

 

 ―――今という過去…この時代にいるのだ。

 

 

 




 イリヤとアイリというイレギュラーの影響で策士たる超鈴音が戦う前に詰んでしまってます。
 代わりに原作と異なる問題も生じてます。


 今回のあとがきは長くなりますが、宜しければお付合い下さい。

 本作は独自解釈や拙いながらも考察を行ない、原作を補完するように設定を作っているのですが、今回に当たってはかなり悩みました。
 というのも、原作では超が経験した悲劇ついては殆ど(全く?)描かれず、何処にでもあるありふれた出来事と言うだけでした。そして魔法世界の崩壊とそれに続く地球との戦争についても全く経緯が謎です。
 特に後者については2012年に崩壊したとあり、この年代で魔法世界人が火星に投げ出されては、とても生き延びられると思えず、また魔力が枯渇し崩壊した以上、地球とのゲートも機能するとも考えられず、どのような過程を経て地球と戦争に至ったか本当に謎でした。

 考えられるとすれば、MM上層部が崩壊を予測し、シェルターなどを建造していたと言った所でしょうか?

 しかし、この時点では地球人は火星に到達できたとは考えづらく。地球と戦争になるとは思えません。
 となると、何とかしてゲートを開いたか、宇宙船を建造して地球に赴いたかのどちらかでしょうが。それでも僅かに生き残った魔法世界人と地球人が戦争になるかと言えば―――恐らくは成らないでしょう。
 魔法使いが幾ら一般人よりも戦力的に優れていたとしても、その多く者が近代兵器で身を固め、訓練を積んだ兵士には及ばないのですから。況してや魔法世界人の生き残りは少ないのです。
 戦端を開けば戦争にすらならない一方的な虐殺となるでしょう…というか、魔法世界人に戦争を挑むほどの余力があるとは思えません。交渉して何かしらの対価を支払って援助と保護を得るのが普通です。
 まあ、代わりに難民問題が発生(生き残った人数が少ないと思うに数十~百万人程?)し、ある程度の衝突は起こるかも知れませんが。やはり“地球との戦争”という規模にはならないでしょう。

 そして原作の超曰く、今後100年で火星は人の住める星になるとの言葉。
 これを思うに地球人は火星に到達して…そこで魔法世界人と戦争に至り、“悲劇”も火星で起きたと考えられます。超も自称“火星人”ですし。ただ、起こった戦争と悲劇も前述の過程(魔法世界人の火星脱出後、地球への移住)を経て、到達した地球人同士が相争ったという可能性もあるのですが(むしろその可能性の方が高い? 真名が参加する火星独立戦争?)。
 しかし原作の流れを見ると、MMと地球人との戦争のように自分的には思われ……今話にあるように魔法世界が崩壊したのは原作の記述よりも後で、明日菜が眠りについて魔法世界の延命を図り、ネギ発案のテラフォーミングがある程度進んで地球人が少なからず移住した時では無いかと設定しました。
 で。様々な問題に直面し、本文にある通り戦争に至り……泥沼化しました。
 ついでに言うと、崩壊を回避出来なかったのは、プランを出したネギの計算と予測が甘かったのでは?とその世界では言われています。

 更についでに言うと、講和交渉の際、地下から脱出した火星行政府の人間達は、私怨であの演説と訴えを行なっています。
 自分達の政治的失態でMMに武力行使を選択させ、戦争となった責任を何とか逸らしたいという思惑と、開戦時の戦闘で子息などが犠牲になった怨念を晴らす為です。
 そして地球各国も世論に流されながらも慎重な意見も少なくなかったのですが、MMとの国力と軍事力の差から簡単に片が付くのではないかと。嘗ての火星行政府と同様の轍を踏んで楽観視して戦争のGOサインを出しました。
 火星と地球との距離や今後の宇宙船のパーツが貴重になる事実を余り考慮に入れずにです。ただ軍事関係者はこれを理解して反対しており、政治家がこれを軽視したともしてます。

 とまあ、色々とそれらしい設定を捏造しましたが、結構強引だと思ってます。戦争の発端や講和が決裂して泥沼に至った状況まで全て。

 あと、開戦時に人が住まう事が可能な土地はフィリピンぐらいの陸地面積分は一応ありますし、魔法世界人と地球からの移住者は総じても9000万~一億人程度ですから。
 多少きついですが、お互い我慢すれば本当に争う必要はありませんでした。

 超の過去については……彼女が戦う理由により肉付けしたかったのと、設定厨な自分の趣味以外何でもありません。これを言うと上記の事もそうなんですが…。

 最後の方の“彼”の遺言にある、あの言葉は某有名ラノベ作品からパクりました。
 あの台詞と場面は、数ある小説やラノベの中でも屈指の名言、名シーンだと自分は思っています。ただそれを堂々とパクった事を不愉快に思われる方も居られると思いますので、此処で謝罪させて頂きます。

 本当にすみません。最後の部分を書いていたら何故かあの作品のその場面が浮かんでしまい。借用せずにはいられなくなったのです。
 ただ悪意は無い積りです。あの作品が好きで、あのシーンが印象的だったからこそです。どうかご容赦下さい。

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