生と死の狭間から幻想入り   作:nica

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タイトルが浮かばん……
タイトルが浮かんだら編集しておこう。



第2話

 ―数十分後―

 ―迷いの竹林

 

 

 

 

 雨が降り注ぎ、不気味なまでに静寂に包まれた迷いの竹林に二人の女性が何の前触れもなく現れた。

 妖怪の賢者―八雲紫と、その従者たる八雲藍である。

 彼女達は何者かが幻想郷に侵入(はい)ってきた当初。すぐさま動くことはなかったのだが、暫くした後に莫大な妖気と濃密な闇の気配を感じ、急遽紫のスキマで迷いの竹林に急行したのである。強力な力を持つ妖怪が多くいる幻想郷ではあるが、一個人の妖気と無数の妖怪が集まって感じられた妖気を間違えることはありえない。

 そして、力の弱い妖怪達が八雲紫を動かす自体を作るほどの状況を生み出すことなど断じてありえないのだ。そんな事態が生じてしまえば、幻想郷の均衡(バランス)崩壊する(くずれる)ことになりかねない。

 だと言うのにだ。

 現に、彼女は此処に来た。

「紫様」

 険しい表情で行動を促してくる己が従者に頷く。

「えぇ、先に進みましょう。嫌な臭いがするわ」

 そう言い放ち、何の迷いもなく紫は歩を進める。周囲への警戒は怠らず、されど、集中しすぎて視野が狭まらないように。藍は紫との距離を若干おき、主に追随する。何が起きてもすぐさま対処できるように。

 嫌な匂いの元へと近付くにつれ、濃密な妖気を感じるようになってきた。だがそれと同時。嗅ぎ慣れた異臭の匂いも混じっていて。

 紫の顔が徐々に険しくなる。

「…これは、遅かったかしら」

 感じる妖気と異臭に、自然紫の速度は上がる。藍もまた、立ち込める妖気と香りたつ異臭に表情を顰め、主の後へと続き。

 少しだけ歩を進めていると、開けた場所に辿り着いた。そこで彼女達が見た光景は。

 

 

 

 

 死屍累々。屍山血河と評するのが相応しいものだった。

 濃密な妖気を放っていた筈の存在たちだったものは、どれもが無残な姿になっていた。四肢が引き裂かれた者。頭と胴が別々になった者。頭が切り裂かれ、胴体には空洞ができている者。胴体は微塵になり、頭は素手で割られた者。胸を穿たれ、絶望の表情で死に絶えている者。眼球を抉られ、四肢を喰い散らかされ、原型を留めていない者。全ての妖怪達が描写に筆舌しがたい死に方をしている。

 一体、何をどうすればここまで惨い終わり方を迎えられるのだろうか?どこまで残忍な性格をしていれば、ここまでの惨劇を生み出すことが出来ると言うのか……

 藍はおろか紫までもが、唖然としてこの光景に呑まれてしまっている。

 そして、この惨劇を生み出したであろう張本人は、身の丈以上もある漆黒の剣を右手にぶら下げ、屍達の山に佇んでいた。

「これは、一体…」

 嘗て大国を震撼せしめた九尾から呆然とした言葉が漏れる。

 力ある妖怪ならば、このような惨劇を生み出すことは造作もない事かもしれない。紫や藍を始めとして、力ある妖怪はこの幻想郷に数多く存在する。しかし、そういった者達は無駄な行為をしようとしない。このような残虐非道な行いをしない。無論そういう存在が全くいないとは言えないが…

 まして、この惨劇を生み出したであろう張本人が幼い少女であるならば、尚更に信じられない光景であろう。尤も、見かけ=年齢という図式は妖怪には当て嵌まらないのではあるが。

 だがしかしだ。いくら力のある妖怪でも、幾十、幾百もの物量差を物ともせずに事を為すが可能なのだろうか?どれだけ質が良くとも、疲れを知らぬ数の暴力に耐え切り、立ち上がっていられるものだろうか?

 あまりにもな光景に我を失っている二体の妖怪に、屍の山に立っていたルーミアが振り返る。手に持つ剣からは今尚紅い液体が流れており、服も所々が破れているが満身創痍には程遠い状態である。

 その姿に藍は恐怖する。自身よりも遥かに力が劣る妖怪に、恐怖を覚える。この惨劇を生み出した張本人に見つめられ、身体が震えてしまう。

 その事を気取られないよう、藍はルーミアを見つめ返す。背後にいる主との距離を測りつつ、思考を巡らせながら。

 だが、そんな藍の内心を気にするでもなく、ルーミアは自身に闇を纏わせる。藍と紫の表情が緊張と強張ると共に、彼女の身体は黒い球体に覆われその姿が視認できなくなる。

 藍と紫は瞬時に身体に妖力を纏わせ迎撃態勢を執るが、あろうことかルーミアは彼女達に襲い掛かるでもなく後退していく。

 意外な展開に藍と紫は虚を突かれるが、黒い球体が竹林の奥へと消えかかる寸前に藍が漸く言葉を発するも、

「…!?ま、待て、宵闇っ!」

 あまりにも遅すぎた。

 藍が宙に伸ばした手を嘲る様に、ルーミアは八雲二人の前から姿を消した。

 ルーミアの妖気の後を辿ることは出来なくもないが、闇と同化したルーミアの妖気を辿ることは、如何な八雲と言えど至難の業。ましてや、彼女を追うことに出遅れたのならば尚更の事である。

 それでも、ルーミアを放置できないと判断した藍はすぐさま彼女を追おうと脚に妖力(ちから)を溜め、

「待ちなさい藍!」

 主の鋭い声に思わずその妖力を霧散させてしまう。

「紫様?」

 何故自分を止めるのか?

 この惨劇を生み出したルーミアを追わせてくれないのか?

 そんな疑問符を浮かべたまま、藍は己が主に向き直る。

「彼女を追うのは後でいいわ。それよりも今は」

 そう言った主の腕の中には、いつの間にか一人の少年が抱き抱えられていた。主が見知らぬ人間を抱いていることに驚くが、それよりも驚くべきは―

「?…これは!?」

 少年の状態である。

 腹部からの大量の出血により、少年の顔は血の気がなく真っ青。処か、少年の身体には抉られている箇所が多々見受けられる。恐らくは、目の前で山になっている妖怪共に肉体を喰われたのだろう。

 出血量だけでも尋常ではないのに、あまつさえ妖怪に肉体を貪られているのだ。未成熟な身体で、この状態で生きていられる筈がない。強靭な肉体を持つ人間でさえ。この状態で生きていられはしないだろう。もしこれで生きているのなら、人間ではない。

 誰がどう見ても死に体だ。助けられる術なぞありはしない―この竹林の何処かにある、永遠亭の薬師に頼めば可能性はあるかもしれないが。

 そんな事は誰の眼にも明らかだと言うのに、主は少年を抱いている。鋭い目付きで自身を見つめて。

「彼女の事は、今は置いておきなさい。それよりも優先すべきことがある筈よ」

「ですが、紫様…」

 少年を助けると暗に促してくる主に、藍は言葉を返す。

「誰がどう見てもこの少年は最早手遅れです。ましてこの少年は外来人。我々妖怪が助ける道理などない筈」

 妖怪は闇に生きる存在。いくら幻想郷で人と妖怪が共存しているとは言えど、妖怪が人を助けることなぞ有り得ない。まして、外来人であれば尚更だ。

 それが解らない主ではないだろうに。

「まだ、手遅れではないわ。微かにですが、この少年には息があります」

「…………は?」

 普段の紫らしかぬ行動に戸惑っていた藍は、思わず呆けた声を出してしまった。主の言葉の意味が理解できず、藍は呆然とした表情で紫の顔を見る。次いで、主に抱かれている少年を凝視する。

 神経を研ぎ澄まし、妖力で聴力を強化すると、ほんの僅かだが少年の口から呼吸音が聞こえてきた。とてもか細く、今にも消え去りそうなほどに弱いが、確かに少年は息をしていた。

 そんな少年を、藍は信じられない表情で見つめた。

「誰がどう見ても、普通であればこの少年は手遅れでしょう。いくら息があったとて、この状態では手の施しようがない。ですが幸い、此処は迷いの竹林。えい……月の賢者であれば、この少年を救うことが適うかもしれません」

「……確かに、八意殿ならば救えるかもしれません。しかし、」

「貴女が言いたいことは解っています。ですが、今はその問答をする時間さえ惜しい。永遠亭にスキマを繋げ早急にこの少年を運ばねばなりません」

 従者の言葉を遮り、紫はスキマ生み出してその中に入って行く。言葉の通り、藍と問答する気はないようだ。

主の真意が読めぬ藍は渋面を作るが、これ以上言葉を重ねても無意味であると悟り主の後を追う。

「…解りました、今は急ぎ永遠亭へ向かうとしましょう。しかし紫様。スキマを繋げたとはいえ、永遠亭の内部にまで入れるのですか?あの屋敷には八意殿が造った結界が張ってありますが」

「その点に関しては何も心配ありません。いざと言う時の為に月の賢者とは既に交渉してあります」

「……然様ですか」

 いつの間にそんな交渉をしていたのかと思わないでもない藍ではあるが、その事に関して今は言及しない。何故なら、そう言った時の紫の頬が若干緩んでいたからだ。

 この時の紫にその経緯を問い質せば、十中八九長話になるだろう事は明白。歩みは止めたりはしないだろうが、この少年を月の賢者に渡した後、何時間にも渡って月の賢者との交渉話を話続けるだろう。そうなるであろう事は容易に理解できる。それは何故か?この身で既に、嫌というほど体験した事があるからだ。

 色々と疑問は尽きないが、今直ぐにでも解決しなければならない訳でもない。寧ろ、主の長話に付き合うつもりは毛頭ない。それだけは是非とも御免こうむりたい。

 主に遅れぬよう続き、様々な思考を展開させながら藍は今後の事を考える。

(八意殿にこの少年を渡し、奇跡的に助かったとして紫様はどうなさるおつもりなのだろうか?直ぐにでも少年を元の世界へ帰すのか、そのまま永遠亭に世話を任せるのだろうか?それとも……。こういう時にこの方の真意を測れないのが悔やまれる。紫様の考えが解れば今後の展開にも対策は立てられるのだが)

 主の真意を測れぬ事に内心で舌打ちをし、藍は考え続ける。

 八雲紫の式となり、永い刻を彼女と共に在り続けたが、未だ彼女の思考は理解できない。何を考えているのか、その片鱗さえも理解することができない。

 少しは、式である自分に考えの片鱗ぐらい見せてほしいものだ。

 自分は八雲紫の忠実な式なのだから、もっと信頼してくれてもいいと思う。そして願わくば、何も知らないままの自分を振り回すのは勘弁してほしい……してほしいのだが、それはきっと、永遠に叶わない望みなのだろう。それだけは断言できる。その事に関してだけは理解できる。だって、相手はあの八雲紫なのだから。

(……うん、考えるのはよそう。これ以上考えても虚しくなるだけだろうし。どうせ私はしがない式に過ぎないのだ。紫様に振り回されるだけの人生(?)しか送れないのだ)

 どうやら彼女は思考を放棄したようだ。彼女の顔は笑みの形を作ってはいるが、眼は笑っておらず涙がうっすらと浮かんでいる。何とも哀しい状態だ。ここはそっとしておくのが優しさというものなのだろう、きっと……

 そしてそんな従者の状態に気付いているのかいないのか、彼女の主は藍を無視してどんどんスキマの奥へと進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―紫達がルーミアと接触する少し前―

 ―永遠亭

 

 

 

 

 迷いの竹林の深奥に、人目を憚るかの様にその建物は在った。何人もの侵入を拒むかのように存在するその建物の名は、永遠亭。月の姫と、その従者である月の賢者が隠れ住む屋敷である。

 そんな永遠亭の一室に一人の女性がいた。

 長い三つ編み状の銀髪に、青と赤から成るツートンカラーの服を纏ったこの女性の名は―八意永琳。此処永遠亭の主の従者にして、月の賢者、月の頭脳と謳われし人物である。

 彼女は今読書中であるらしく、机の上には読み終わった本が山となっている。机の左端には六法全書並みの分厚い本が何十冊と山となっており、右端にも読まれていない分厚い本の山がまだまだ多くあった。

 彼女の眼と手は目まぐるしく動き、本の項は二秒毎に捲られている。そんな速度では内容はおろか文字さえも認識できまい。だが、それを成し遂げてしまうのが彼女という存在であった。常人どころか超人でさえ不可能であろう神業を披露し、次々と項を読み進めるのだった。

「………ん、少し休憩するかしら」

 また一冊読み終えた永琳はそう言うと、目頭を軽く揉みながら本を置いた。そして、長時間動かさなかった身体を解すかのように両腕を伸ばす。そしてふと、窓の外を見ると、

「あら、いつの間に雨が降っていたのかしら?」

 気がつけば雨が降っていた。

 確か自分が本を読み始めた当初は、雨は降っていなかった筈なのだが。どうやら時間間隔が判らなくなるほどに読書に集中していたらしい。そんな自分に内心苦笑し、彼女は外を見続ける。

 雨は最初弱めに降っていたが、若干雨足が強くなったように感じた。感覚的にそう感じただけなので、ひょっとしたら雨足は変わっていないのかもしれない。

 しかし。

「……少し、嫌な感じね」

 永琳が少し顔を顰めて呟くと同時、

「永琳、いるかしら?」

 扉越しに、儚くも凛とした声が聞こえてきた。

 その声に永琳が振り返ると、そのタイミングを狙ったかのように一人の少女が部屋に入ってきた。

 腰まである長い黒髪に、麗しい目鼻立ち。町を歩けば十人中十人の男が振り返るであろう美しき少女の名は、蓬莱山輝夜。此処永遠亭の主にして八意永琳の主である月の姫だ。

 彼女と永琳は、元々空に浮かぶ月に住んでいた存在であるが、今は訳あってこの幻想郷で暮らしている。彼女達が幻想郷にいる理由を知りたいのであれば、偉大なるgoog○e先生に尋ねるか原作をやるといいだろう。

 閑話休題(それはさておき)

「どうしたの輝夜?貴方が此処に来るなんて珍しいじゃないの」

 そんな永琳の問いに輝夜は苦笑を漏らす。永琳の言葉が正確に的を射ているからだ。余程の事でもない限り、輝夜はこの診療室(へや)に来ることはない。態々好き好んで、私事(プライベート)で薬臭い部屋に来る物好きはごく少数だろう。それなのに、彼女はこの部屋へ来た。

「ん、ちょっと嫌な感じがしてね。何となく永琳の所に来たって言ったら、貴女は笑うかしら?」

「まさか。私が貴女を笑うことなんてないわ」

「そう、それなら良かった」

 輝夜はそう言って溜息を吐き、永琳の傍へ歩み寄る。

 永琳はそんな彼女を横目に、思考を展開する。彼女が嫌な感じを覚えたように、輝夜もまた感じたようだ。自分のそれと同じとは限らないが、嫌な感じを。

 永琳の脳裏に、様々な憶測が浮かんでは消えていく。起こりえるだろう事。有り得ざる事。考えても詮無き事ではあるが、どうしても考えてしまう。彼女はそういった性格なのだ。

「また難しそうな本ばかり読んでいたのね、永琳ったら」

 本を何冊か手に取って読んでいた輝夜だが、内容が難しい以前に文字さえも読めない為に机に戻しながらそう呟く。

 そんな輝夜に苦笑を零し、永琳は椅子から立ち上がり輝夜と向き合う。今あれこれと考えても、無駄だろうと思い直して。

「別に難しくもなんともないわよ?後学の為に、貴女も何冊か読んでみる?」

 永琳のその言葉に、輝夜は明らかに嫌そうな顔をする。そんな彼女の反応に、困ったものだと言わんばかりに苦笑を浮かべる永琳。

 輝夜は勉学というモノが嫌いなのだ。

 過去、永琳を除く何人もの家庭教師役が輝夜に勉強や作法等を教えようとしたが、彼女はあの手この手で勉学等を退けていた。そして無理にでも教え続けようとすれば、彼女に脅されて泣く泣く諦めざるをえなかった。そんな彼女にまともに授業を行なえていた者は永琳を除いていなかったのだ。

 そんなことを思い出して苦笑する永琳を見て、輝夜もまた苦笑を浮かべる。彼女の師が苦笑している理由を察して。

 何とも言えない微妙な空気が診療室に漂い始める。

 がしかし、そんな空気をぶち壊すかのようにドタバタと喧しい音が外の方から聞こえてきた。その音のほうへ顔を向ける二人。

「あらあら。随分と慌しいわね、イナバったら」

「まったく……いつ如何なる時でも慌てるなと教えているのに」

「躾がなってないんじゃないの、永琳先生?」

「やれやれ。もっと厳しくしないと駄目なのかしら……」

 そんな軽口を叩きあいながら、彼女達は騒音を生み出している主が来るのを待つ。この永遠亭内で、ドタバトと走り回るのは一人しかいないが故に彼女達はのんびりとしていられるのだ。

 騒音が聞こえ始めて数分。騒音が部屋の前まで来ると同時に診療室の部屋が勢いよく開けられる。

「し、師匠!!大変です!一大事ですううううう!!!??!」

 そう言って入ってきたのは一匹の妖怪兎。名を鈴仙・優曇華院・イナバ。永琳と輝夜と同じく元月の住人である。

「騒々しいわようどんげ。姫様の御前ではしたない」

 あまりの騒々しさに顔を顰めつつ、鈴仙に苦言を呈す永琳。その言葉に鈴仙の動きはピタリと止まり、永琳の横に立っている輝夜の姿に視線が固定される。

「な、なななななななな何故姫様がこの部屋に!?」

「あら、この屋敷は私の物なのだから私が何処にいようと自由でしょ?それなのにイナバったら、私が此処にいるのはおかしいとでも言うのかしら?」

「そ、そんな、めめ、めめめめめ滅相もありません!?」

 声を若干低くしながらそう言う輝夜に、鈴仙の顔は青褪める。輝夜から発せられる雰囲気に気圧されながら、少しずつ身体が震え始める鈴仙に対し、内心でやりすぎたかしらと苦笑する輝夜だが、

「って、それどころじゃなくて大変なんです師匠!」

 再度慌て始める鈴仙に怪訝そうな顔を向ける永琳と輝夜。普段から慌てやすい彼女ではあるが、ここまで騒々しいのは稀だ。そう感じ取った二人は顔を見合わせて頷き、永琳が問いかける。

「何が大変なの?順を追って話なさい」

「じじ、実は、あのスキマ妖怪が!あの胡散臭いスキマ妖怪が永遠亭に!!」

 鈴仙から発せられたスキマ妖怪という単語。その言葉を聞いた二人の顔は鋭くなる。それと同時。永遠亭に張ってある結界が、微かに揺らいでいる事が感じられ…

 永琳と輝夜は弾かれたように診療室から出て行った。二人の行動の意味が理解できなかった鈴仙は一瞬呆然とし、我に帰ると直ぐに二人を追い始める。

「…っ!?ちょ、まま、待ってくださいよ!師匠、姫様!」

 

 

 

 

 一方スキマを通って永遠亭まで来た紫達は、永遠亭内部に侵入し正面入り口の通路を歩いていた。途中、人化している妖怪兎とそうでない妖怪兎達が警戒しまくって彼女達を威嚇していたが、紫は歯牙にもかけず進んでいく。そんな紫と兎達を見比べ、なんだかなぁと思う藍。進入したこちらに非があるのだから、問答無用で弾幕を叩き込まれても仕方ないのだが、ここの兎達はそこまで愚かではないようだ。せめて代表者をとっ捕まえて、事情くらい話せばいいのにと思わないでもないのだが、今の紫はそこまで気が回らないらしい。

 そんな主に、内心何度目になるか分からない溜息を吐きつつ藍も続く。確かに紫が急ぐ理由も解る。

 藍は紫に抱き抱えられている少年を見て眼を細める。本当に生きているのが不思議な状態であるが、少年は微かに息をしている。生きているのなら、月の賢者たる八意永琳に任せれば助かる見込みはある。その事を妖怪兎達に説明する時間は確かに惜しいものだが。

(一体、この少年の何が紫様にそうさせているのか……。確かに宵闇がこの少年を食べていなかった、どことか他の妖怪達から守っていた事には疑問が残るが……紫様自ら少年を助ける道理はないというのに)

 そんな事を考えていた為か。いつの間にか紫が歩みを止めていた事に藍は気付かなかった。故に。

「わぷっ!?」

 紫の背中にぶつかるのは自明の理。涙目になった藍は鼻頭を抑えながら、いきなり立ち止まった紫に訴えかける。

「いきなり止まらないで下さいよ、紫様~」

 しかし、そんな藍の声が聞こえていないのか。紫は藍の言葉に返すでもなく前を凝視している。紫のそんな態度に訝しげな表情を浮かべ、再度声をかけようとする藍だが、遅まきながら彼女も気付くことになる。強力な力を持つ者の気配が二つと、それには劣るがそこそこの力を秘めた気配を持つ物が一つ近付いてくるのを。

 藍の表情は自然と鋭くなり、万が一の出来事が起こってもいいように自然と力を溜める。いくら交渉をしているとは言え、最悪の事態は想定して然るべきだ。そして、最悪の事態を想定して動くのが従者たる自分の務め。

「こんな時間にお客とは驚きだけど、それがまさか八雲なんて意外にも程があるわね」

 そうして身構えていると、凛とした声が響いてきた。声の方に顔を向ければ、近付いてくる姿が三つ。一つは、この永遠亭の主にして声の主―蓬莱山輝夜。そして、その従者にして今回の目的人物である八意永琳。最後の一人は狂気を操る力を秘めた月の兎―鈴仙・優曇華院・イナバ。

 三人共に、表情は厳しい。警戒心を最大に、こちらの些細な動きを見逃すまいと構えている。それも当然か。自分達の領域(テリトリー)に侵入者が来れば誰もがそうする。いつ弾幕が放たれてもおかしくない状況下で、紫は一歩前に踏み出す。

 藍が止める間もなく輝夜達の前に歩み出た紫はそっと一礼し、

「いきなりの非礼申し訳ありません。ですが、火急を要する故に無礼を承知で参りました」

 普段の紫を知る者からは想像もできぬその対応に、輝夜達は眼を丸くする。あの八雲紫が、こんなしおらしい態度を取る真意が測れないのだ。輝夜達は顔を見合わせるが、そんな彼女達を気にとめず紫は言葉を続ける。

「月の賢者たる八意永琳に、救って貰いたい命があるのです」

 そう言って彼女は、腕に抱いている少年を輝夜達に見せる。そして少年の惨状を見た彼女達は、表情を強張らせる。

 今まで多くの患者達を診てきた永遠亭であるが、ここまで酷い状態の患者を大人以外で見たことはない。いや、見たことはあるが、その時の状態はそのどれもが手遅れで……

 一体どうすれば、子供がここまでの重症を負うというのか。どのような事が起きれば、この様な状態で生きていられるのか。あまりの出来事に言葉を失う彼女達。

「辛うじてではありますが、彼にはまだ息があります。助かる見込みは僅かしかありませんが、どうか…」

 頭を下げて少年を託してくる紫。

大妖怪が、あのスキマ妖怪が一人の人間を助けようとする珍事を前にして呆気に取られる輝夜と鈴仙だが、永琳の行動は早かった。

「うどんげ、急いで手術の準備をしなさい!輝夜はこの少年の時を止めて!」

「は、はははははははい!?」

 永琳の声に当てられ、鈴仙は脱兎の如く来た道を急いで戻り、輝夜は表情を引き締め永遠の能力を使う。実に今更ではあるが、これ以上の出血を見逃すのは拙い。最早気休めにしかならないのかもしれないが、能力を使わないよりかはマシになるだろう。

 輝夜が能力を発動したのを見た永琳は、紫から少年を受け取り先程まで自分がいた診療室へと急ぐ。この少年を助けるならば、最早時間はあまり残されていない。寧ろ、生きている事事態が不思議なのだから。

「この少年、確かに預かったわ。生きてさえいるのならば、必ず救ってみせましょう」

 紫の返事を聞かず、永琳はその場を後にする。輝夜は一度、紫と永琳を見比べるが直ぐに永琳の後を追うことにした。少年を助けるならば、輝夜の能力も必要になるからだ。

「後は任せたわよ、永琳」

 去り行く背中に、紫はそっと小さな声で呟いた。

 


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