『17●〇年 季節、もういらないんじゃないかなここ。
アリアドネーで生徒たちに教えているなう。数か月も私が顔を出さなかったことになんかすごく心配されている。いろいろあったことをみんな知っているぶんなんかやりづらい。そんなことを考えていたら着せ替え人形にされていた。な、なにをいっているか分からないが私にもわからなかった。まあ魔法球の中で数年間悩んでいたから折り合いはついていたと言えばついていたのだが。未練たらしくチャチャゼロを持って行ってしまうのは……やめやめ。
なんだあのノリ。勉強したい意欲の持ち主ばかりが集まる場所だろう。なぜはっちゃける。頭がよくなればよくなるほど馬鹿になるというのを正に体現している。嫌いか? いやあのノリは嫌いじゃない。でも限度って知っているのかアイツら……知らないんだろうなぁ。
しかし、折り合いはつけなければならない。容赦なく私は抜き打ちテストを行った。ふははははは、赤点だった奴は勿論INOKORIだ。青春の貴重な時間を私ではない、別の先生と対面しながら教室で過ごすがいいww。なんか全員高得点だった。範囲間違えたかと思ったが、カリキュラムみたらそうでもない。団結して先生驚かせよう! というアホが居たらしい。そしてなんでそれで団結する。アホか。いや、頭いいけどアホだあいつら。
正直気が楽になった。』
『17(∵)年 季節 省略
もうすぐ学習過程が終わるやらなんやらで、周りが忙しくなってきた。私も忙しくなってきた。外に出ていくのにあたって持っていくものはあまり多すぎない方が……魔法球に突っ込んでおけばいいか。薬やらなんやらの素材などは、割と魔法球の中で何とかなったりするので、年齢詐称薬などの調合は問題ないだろう。
空間圧縮とかいろいろ面倒な魔法をあちこちに施しているが、そうしなければ魔法球を背負って歩かなければならなくなる。それは面倒だ。マジックアイテムが素晴らしい。よくある魔法使いの鞄とか想像してもらえばいいだろう。魔法マジチート。これ近代科学追いつくのだろうか。現実世界のどこかの国では、普通に電話とかの科学があるらしい。ついでに空飛ぶカメも居るらしい。今回はそこにも行ってみよう。
チャチャゼロがいなくなった。朝起きたら抱いていたはずのそれがどこかに行ってしまっていた。探しているのだが…………。』
『17□○年
チャチャゼロが居ない。すぐに見つかると思っていたのに。どうしよう。誰かが持って行ってしまったのか。
セランに頼もうと思ったのだが、アイツはアイツで忙しいことを知っている。ダメ元で尋ねてみたら。意気揚々と私の頼みを聞いてくれた。後ろで秘書がものすごい勢いでこっちを見ていた。この書類の山どうするんですか……と、涙目で。セラン曰く、秘書がミスしてしまったものを手伝ってあげていたが、さすがに疲れたらしい。緊急性のものでもなく、予定もない。よーし私エヴァを手伝っちゃうぞー。と。張り切っていた。それでいいのかアリアドネー現代表。後ろの秘書が捨てられた女のように、行かないでー! と叫んでいた。
……いやセラン、お前夫いるんだから相手してやれよ……。』
『追記 私に気を利かせてくれていたようだ。迷惑をかけてしまったな』
―――――
声が聞こえ、その声によって意識を浮上させた。黒い着物を着たその男は自分の少し前を歩いている。ついて来い、とそう言っている様な気がして追いかける。慣れていないのかこの躰は動かし辛い。なにか懐かしい感覚に促されるまま、なぞるように体を動かす。違和感があるが歩くことは可能で、その黒い着物の男を追いかけた。
暗い闇夜の中だった。ほとんどの建物は明かりが消え、いくつかの窓からわずかに光が漏れる程度である。その中を男と共に歩いていた。外の空気はおそらく澄んでいるのだろう。雲が無く空の星は輝き、月が辺りを照らしているために男の姿ははっきりと見ることができた。
このまま当てもなく歩いている、というつもりではないのだろう。男を見上げるようにして尋ねる。
――それで、俺をどこに連れて行くつもりだ?
「すぐに着く。……悪いな」
――……謝る意味が分からねぇよ。
歩きながら男は静かな口調で謝る。ただ頭を下げるわけでもなく、それらしい表情をしているわけでもない。わざわざ夜中に連れ出して歩かせてしまっていることへの謝罪ではないのだろう。想像はできるが、考えることが億劫に感じ、相手が何か言葉にするまで無言を返答とすることにした。
しばらく無言で歩き続ける中、徐に男は口を開く。淡々とした口調で聞かされる言葉に、思わずため息を吐き出したくなった。
「これから先に迷惑をかける。テメェの意思は聞かん。だから、初めに謝っておこうと思っていた」
――ひでぇ言い草だな。俺には拒否権が無ぇってか。
男の言葉に鼻で笑い、互いに歩き続ける。歩幅は合っておらず、こちらに男が合わせる形になっているが、元々用が在ったのは男の方だ。此方に合わせる程度の事はいいだろうと。そう思いながら月を見上げる。イラつくほど輝く満月に、どこか懐かしいと思ってしまったのは、隣の男も同じなのだろう。そのことに少しだけ嫌悪を感じていた。
ゆっくりと歩き続け、やがて一つの小さな家へとたどり着いた。埃らしいものはあまり見えてはいないが、そこに人が住んでいる気配は感じることができなかった。その家へと男は無断で立ち寄った。住人が居ないことを知っているのか、戸惑うことなく歩みを進め、やがて一つの部屋へとたどり着く。
そこは、和室だった。アリアドネーという場所に、畳を使った部屋という文化は無い。部屋には綺麗に敷かれた畳に、木でできた四角いテーブルが窓際にぽつんと置かれている。そして、その上には木刀のようなものが置いてあった。
それは大太刀だ。男がかつて使用していた物であり、男はそれを手にすると、部屋の入口に佇む影へと向き直る。此方はそれを、ただ黙って見ていた。
低く構え鞘を掴み、反対側の手で柄を掴む。その構える姿にどこか既視感のようなものを感じていた。そして、抜刀。高速と言えるほどの速度で引き抜かれたその太刀筋に、知らぬはずだが覚えがある。
神鳴流、弐の太刀。ただ、本来あるべき刃は折れて鞘の中に残っている。それでも、壁へと大きく傷がついたのは、その男の腕前ゆえか。
――満足か?
「さて、な。心残りが無いと聞かれれば、あると間違いなく答えられるだろう」
――そりゃあそうだ。
大太刀を元あったように戻して、男は行儀悪くテーブルの上へと腰かける。そしてこちらを見下ろすと、無表情であった顔に苦笑の笑みを作り出した。その姿は、悟りきった老人のようにも見える。できたとするならば、こちらは眉間にしわを寄せて男の状態に苛立っていただろう。
「人間が魔と共に歩めば何時かは別れが来る。それが寝床の上か、戦場かの違いしか無い」
――んで、その違いで数年は留めさせられた気分はどうだ?
「さあな。従者としては明利に尽きるだろうよ。残せるものも残せた」
――だから、さっきの剣を俺に見せたってか?
人という存在が満足して逝けることに、その世界へと何かを残せたという実感だろう。それが、男にとっては人であった者の信念であり、魂へと刻まれた自身の技なのだろう。だからだ。此方はその軌跡をなぞるように行動しているだけなのに、まるで自分の者であったかのような感触が在った。男が見せたのは、極めった剣士としての太刀筋だ。それを最上に置いて目指せば、いずれその域へとたどり着くだろう。
男は刀と同じように置いてあった何かを手に取った。それは男の絵を描かれたカードだった。黒の着物を身に纏い、手には赤い刀。そして背後には魔方陣が描かれている。それを懐かしげに手に取ると、ゆっくりと此方へと近づいた。
それは、仮契約のカードだ。従者の死と同時に従者の仮契約のカードは消滅する。しかし、未だにそこに残ってしまっているのは、歪んだ方法で世界へと残ってしまったせいか。受け取れ、と言うように男はこちらへとそのカードを差し出した。溜息を吐いてそのカードへと手を伸ばす。
「真似しろとは言わねぇ。なんかの糧にでもしろ」
――うるせーよ。誰がテメェの真似なんてするか。
「確かにお節介だったな。ただ、少し心配だった。ほら、ご主人はアレだろう?」
――違いねぇな。俺は使えるものは使う、それだけだ。
「ああ、そう言うことは知っていた。だが一応言っておく。面倒だろうが俺の――――」
差し出されたカードをつかむ。その瞬間にぼう、と白い光が辺りを照らし、仮契約のカードがその魔力によって包まれた。そしてそのカードに描かれていた絵がゆっくりと変質する。
其処に在ったのは一人の少女の絵であった。若草色で短く整えられた髪にカチェーシャをつけられている。背中に在るのは可愛らしい蝙蝠の羽。そして黒い洋服に身に纏われたその少女の手には一つのナイフ、そして少女の何倍もある、テーブルの上に置かれたものと同じ大太刀だった。膝など間接の様子から、少女が人形であることを窺えた。男の主人が常に抱えていて、大切にしていた物だった。
月の光が、かつて男の使用していた私室であるその部屋を照らし、一つだけの影を映し出した。そこに先ほどまであった男の姿も、傷つけた壁もそこにはなく、ただ一つ、仮契約のカードと同じ姿の人形だけが、その部屋へと残された。
――あとは任せた。
「……俺ニ余計ナ物、背負ワセルンジャアネーヨ。
一度白い光が部屋を照らすと、数秒後に残されたのは夜の暗闇と一枚のカード。そしてその傍に座っている少女姿の人形だった。その人形がこの部屋まで来られたのは、自分の主と繋がれたパスによって流れてきた魔力によるものだ。消えゆくはずだった魂は、人形を憑代としてその場へと残り続けた。だからこそ、魂との契約である仮契約のパスが残り続けていたのだ。
それは彼女の主であるエヴァンジェリンが、望んで行った事ではないのだろう。無意識に共に在ろうとしたからこそ、魂は彼女の持っていた人形を憑代にした。その名前が、作った時の意思が、彼の魂へと適合していたという理由もある。
ならば、先ほどチャチャゼロが見ていたものは幻影だったのか。パスから流れ込んだ主人の夢か、それとも仮契約のカードに残された機能か。それとも、大太刀へと残されていた持ち主の念なのか。
どれでもいい。チャチャゼロはそう判断すると、窓際のテーブルへと近づいて、そこに置かれた大太刀へと目を下す。最後まで、自分の主人を護るために使われた刀であり、かつての自分だった者が使用していた物だ。
自分とこの大太刀の持ち主は全くの別物だ。少なくとも、チャチャゼロにとってはご主人と言う存在は、作られ弄られ抱きしめられた記憶しか存在せず、男が抱いていた様々な信念や意思は存在しない。だが、役目だけは理解していた。
「テメェニ言ワレズトモ、ソノツモリダ」
チャチャゼロは背を向けると、元入ってきた入口へと足を向ける。
起きたときに居なければ、自分の御主人であるエヴァンジェリンは、何が在ったのか心配になるのではないだろうか。それとも、話せるようになったこの姿を見て何を思うのか。
後悔するだろう。自分の我儘から、自分の行ったことが結果的に魂を解放することができず、留めることになるのだから。複雑だろう。共に在れればと思っていた従者が、人形と言う形で残ってしまったのだから。
だから、せいぜい勝手に悩めとチャチャゼロは思う。悩んでこその人間だ。元々魂も化け物で、現在も人形な自分に考えろという方が無理な話だ。
静粛が闇の中に染み渡る。まるでそこに元々人は誰もいなかったように、静けさだけがそこに残された。
こてん、とチャチャゼロは転んだ。魔力がなくなって帰れなくなったのは、余談である。
――――
『17□○年
チャチャゼロが動いた。眼が点になるとはこのことを言うのだろう。私がめちゃくちゃ驚いていると、ウルセー、首刈ルゾ御主人とか言われた。どう見ても私の知っている人と言っていることが似ています、本当に、本当にありがとうございました。いや、これ結構複雑なんだけど。
いろいろ考えて旅行先変更を決定しました。いや、流石にニートやり続けるのは違うだろう。まあ教師をやってもいいが、私の本来の目的とずれるし、なによりセランに負担がかかり続けると言うのも悪い。というわけで、いろいろ荷物を魔法球の中に突っ込んで、自分の荷物を整理中。卒業式とかいろいろあったから、なにかと慌ただしいことになっているが、それはそれ、これはこれ。
チャチャゼロが魔法球の中で物凄い動きしてた。気持ち悪いぐらい早く動くんだけど。あれ、人形だっけあれ。私糸とか何も使ってないのに。なんか剣が欲しいとか言ってきた。いろいろ考えて、外に出てから考えようと言う結論に至る。
なにやらクラスの連中がこそこそしている。何かしでかす気だろうか』
『17★×年
クラスの連中やら、私が世話になった奴らがなんか送別会を開いてくれた。ちょっと泣きそう。いや、泣いた。』
――――――
まだ太陽が昇る早朝、アリアドネーの外に出て、広い光景を見ながら大きく息を吸って吐き出した。城壁で囲まれた都市とはまた違う、清々しさが其処に在る。無論、都市が悪いとは言わない。ただ、自由と言うものを実感するのに、広い光景と言うのはぴったりだろう。
結局、エヴァンジェリンはアリアドネーを出ることにした。魔法の研究について問題は無い。不確定な要素がいくつかあるが、後は魔力の集まる霊地の確保や、それなりに信頼のおける伝手を作り出す必要があったのだ。もちろん、MMはまだ混乱している上に、その下の魔法協会も同じだろう。しばらくは現実世界でも、その手が伸びていない場所に向かおうと考えている。
日本にもササムの刀を打ち直しに向かうつもりだった。腕に持つトランクケースのような鞄の上には、自分が作った人形であるチャチャゼロが、心なしかだるそうな表情でそこに居る。その本人から聞いたのだ。長すぎて使えないから打ち直してくれ、と。
チャチャゼロ、という存在が生まれてしまった事に、複雑な面もある。自分がどのような精神状態であったのか、まともな思考をしていたとは思えない。少なくとも、今のエヴァンジェリンは魂をこの世界に残すつもりもなかった。だが、結果として残ってしまった事を、嘆くべきか、喜ぶべきか。
そして、エヴァンジェリンがこの都市を出ようと考えた最大の理由がそれだった。
「もう行くの? エヴァ」
自分がササムという人を亡くして以来、なにかと気を掛けてくれた友人の声が後ろからかけられた。朝早くにも関わらず、仕事から抜け出してきた、といわんばかりの仕事着のスーツを身に纏いそこに居る。そして彼女の傍らには、渡鴉の人見のゴーレムがただよっている。
エヴァンジェリンが今日出ていくことは知っていたはずだが、指定されていた時刻よりもだいぶ早く、彼女はこの都市の外へと行くつもりだった。別れの言葉は送迎会の中でさんざん言ったのだ。そのまま別れても悪くは無いとは思っていた。
しかし、そんな友人の事をセランはそのことは想像ついていたのだから、予め渡鴉の人見を配置していたのだろう。監視、というわけではないが、一日だけであったので、そこまで気にするものでもない。エヴァンジェリンもやれやれ仕方ない、というように肩をすくめた。
「ああ、少し早めに出ようと思ったのだがな。見送る時間としては随分と早いじゃないか、セラン」
「此処を出る時間にしては随分早いじゃない、エヴァ。思わず寝過ごしてしまうところだったわ」
皮肉に皮肉を返し、お互いに苦笑する。以心伝心、と言うには少しだけ遠いが、互いが何を思ってこの時間にこの場所に居るのか、おおよその見当はついているのだ。
セランはエヴァンジェリンにいう事が在った。そしてエヴァンジェリンはセランからその言葉を聞きたくはなかったのだ。そのことを、互いに知っている。
「ねぇエヴァ、本当にこの都市を出ていくの?」
やはりな、と。内心で思いつつもエヴァンジェリンはその言葉に迷いなく頷いた。前々から一旦講師としての授業などは受け持たず、アリアドネーの外に行くつもりではあった。しかしそれは拠点をアリアドネーにしていることが前提であり、いまエヴァンジェリンが都市を出ると言うのは、その拠点にせず旅に出る、という意味だ。
エヴァンジェリンが頷くのを見て、セランは少しだけ残念そうに眉を落とす。言葉にして出したわけではないが、視線がエヴァンジェリンに、なぜ、と。そう尋ねられ、エヴァンジェリンも申し訳なさそうに口を開いた。
「きっと……いや、そんな仮定ではないな。私は、怖いだけだろう。セラン、キサマという存在がなくなってしまう事が」
その言葉はセランからしてみれば矛盾そのものだ。居なくなる、というものを文字道理見るのなら、アリアドネーを出るということは、セランとは別れるという事だ。それを恐れるのなら、都市を出るとは言い出さないだろう。ならその居なくなる、ということは、正しくこの世界から居なくなる、つまり死別のことだろう。
ササム、という友人の死によって、同じようにセランにも訪れる死に恐怖したのか、そのような理由ならば、セランはエヴァンジェリンへと怒るつもりだった。友人であるからこそ、それを受け止めて欲しい、その思いも確かにあったからだ。だが、セランは何も口には出さず、エヴァンジェリンが何かを言うのを待った。理由がそれではないことを、なんとなくではあったが理解していたからだ。
エヴァンジェリンは鞄に座るチャチャゼロへと目を下した。その視線に気が付きチャチャゼロは、ナンダ御主人、と返す。それに対してなんでもないと答えると、セランへと向き直った。
「キサマが死んで、この世界から居なくなったら、私はまた、ササムと同じようにこの世界に留めてしまうかもしれない。それが、怖い。」
目を伏せて呟くようにエヴァンジェリンは答えた。その答えにセランは、何も言うことができなかった。
その彼女の鞄の上には、魂をこの世界の留め、人形を憑代として存在している友人の魂がある。不死者である彼女だからこそ、悲しみは背負い歩き続けるしかない。そのとき、初めにササムという大切な者への冒涜を行ってしまった。それが、セランにもやらないと言えるのだろうか。
それは逃げにも感じる。だが、彼女はやがて訪れるであろう悲しみを受け止めるつもりはあった。それでも、自分と言う存在が何をするのか分からず、それに恐怖する。
だからチャチャゼロという存在が世界に確立されてしまったことを知った時、エヴァンジェリンはただ謝った。ごめんなさい、と。そう言い続けていた。
そんな主人へとチャチャゼロは苛立ち、蹴り飛ばし見下ろしながら言う。シャントシロ、御主人、と。それは奇しくも、かつての従者と最後の言葉と同じだった。だから、ありがとうと答えることができた。それが、ササムと言う存在への冒涜であったにもかかわらず。
「……そう。私は、貴女がもうそんなことはしないと、そう言えるのだけれどね」
「かもな。ただ、私が臆病なだけだ」
おそらくエヴァンジェリンが親しい人物として、真っ先に死を迎えるのはセランだろう。だから、その死に目を見ることはできない。ササムと同じことをしてしまいそうで怖いから。どのような精神状態になるのか分からないから。だから離れようと考えたのだ。
セランはエヴァンジェリンに近づき、チャチャゼロと視線の高さを合わせてしゃがんだ。アン? と視線を返すチャチャゼロに、セランは口を開く。
「ねぇ、サ――いえ、チャチャゼロ? 私は彼女と共に行けないけれど、彼女を守ってくれる?」
「……ケッ、何デ御主人ノ友人ハ、オ節介バカリナンダ?」
肩をすくめるチャチャゼロは、セランへと視線を返し答える。
「出来ル限リ、ジャアネェナ。御主人ガ人ニ成ッテ死ヌマデハ、精々守ルツモリダ。心配スルナラ御主人ニシヤガレ」
その答えに満足したのか、セランは笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がりエヴァンジェリンを見た。初めて彼女を見たとき、自分と彼女は同じぐらい乗せで、同じような容姿であった。しかし、自分は背が伸び彼女は同じ容姿のままだ。だからこそ、自分は彼女が目的を為すことを見届けられることができない、と。そのことを実感する。
心配はある。最愛の友人である彼女が本当に目的を為すことができるのか。道中で倒れてしまう事は無いか。これから歩く道は茨道であるだろう。その過程で、何度彼女は泣くのだろう。そして、それを自分にはどうしようもないことが分かっているからこそ、つらかった。
セランはぎゅっとエヴァンジェリンを抱き寄せる。彼女の体温を感じ、生きているという事を確かに実感している様な気がする。伝えるべきことはもう送迎会のときに伝えたのだ。話すべきことは無い。だからこそ、ただ自分の体温を伝えるように抱きしめる。
「エヴァ、元気でね」
「ああ、ありがとう、セラン」
ゆっくりと名残惜しそうに、身体を離す。これ以上なにか言葉を通わせれば、後を引くだけだろう。
エヴァンジェリンは都市へと背を向けて歩み始める。鞄の上に座る従者が、共に同じ方向を見る。
その影はだんだんと都市を離れていき、やがて小さくなって見えなくなった。
――――
開いた日記帳を閉じる。誰かが部屋へと近づく気配を感じとり、椅子から腰を上げた。恐らく来たのは、赤毛の少年だろう。自覚はあるのかどうか分からないが、彼は周りの人物たちを巻き込んで、大騒ぎになる。それを微笑ましいと思ったのは、自分が歳をとっているからか。
何かを探して模索するという姿は、人として最も輝いているものだ。それを見ることができるのは誇らしくもある。
静かな空間に騒がしい声が聞こえる。またパートナーになにかをしたのだろう。騒がしくもあり、面白い日常がそこにあった。
思わず、小さく笑った。
これで第一部最終話となります。見ていただきありがとうございました。