エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

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 こんにちは、『エヴァンジェリンに憑依した人の日記』を書かせていただいています、作者さんです。
 以前は私の力不足で二部を削除しましたが、少しずつ書き続け改定などをすることで、二部を完結にまで運ぶ目途を立てることができました。
 そのため私自身も二部を終わらせ完結したいという思いもあり、厚かましくはありますがもう一度この作品の二部を投稿させていただくことに致しました。
 最後に、稚拙な私の話ではありますが、読者の方々が楽しんでいただければ幸いです。


2章
1/都市を出てからの日記


『18×〇年 季節、秋

 

 久々に帰ってきたぞ日本。霊地探しとか人脈作りとか、いろいろやることはあったがまずは京都だ。以前貰ったフリーパス券のような札を貰っていたので、またまた入り込んだ。なんか監視が凄いことになっていた。チャチャゼロがアレバラしていいとか執拗に聞いてくる。ねーよ。魂レベルで戦闘狂だけ移ったんだが。どうしてそうなった。

なにやっているのでござるか、と長瀬に突っ込まれ気が付く。彼女が私専門の受付になっている件について。正しく爆発物のような扱いを受けているのに思わず呆れてしまった。そして、変化の術なのか、初めて会った時と外見が変わっていない。此方への配慮だったのだろう。ササムのことも聞いてこなかったので、わりと落ち着けた。忍者空気読む力ぱねぇ。

 とりあえず、剣の打ち直しを依頼する。ササムの剣は根元から折れてしまっていたので、打ち直しは容易かったらしい。ものすごく血吸っているけど、なにやってたの持ち主、と聞かれてしまった。ササムェ……。首刈ってヒャッハーしていましたとか言えない。

短くなってしまったが、新しくなった刀をチャチャゼロがなんかすごく嬉しそうな目で試し切りしたそうだった。やめい。私はここまで来て指名手配されたくは無いんだ。

 呪術協会で近衛という術者に会った。かなり高位の術者で、私が以前来ていた時も、忍者以外の術での監視の目を絶やしていなかったらしい。高位の術者とあって、なかなか有意異議な話をすることができた。繋がりと言うには流石に薄いが、初めはこんなものだろう。』

 

 

『18××年

 

 普段通り辺りを放浪する。幻覚魔法超便利。吸血鬼だってバレないもん。流石私だ。

様々なところを訪れては離れての繰り返しである。流石に良い霊地はあらかた専有された後であり、その持ち主などに借りを作るのも面倒と言えば面倒だ。最高の場所として世界樹のある日本がかなり有力ではあるが、西洋の魔法使い兼吸血鬼の私に儀式の壇上として使わせてはくれないだろう。呪術協会に借りを少しずつ作ってはいるが、どうにも難しい。

 さておき、最近訪れた村で面白い話を聞いた。そこは魔法使いたちの村だった。悪戯をしている子供が居て、私は微笑ましく見ていたのだが、その親に捕まって怒られていた。そしたら親が、「悪いことばかりしていると、首刈り剣士がやってくるぞ」と子供に教えて怯えさせていた。私は噴き出した。ものすごく何処かで聞いたことがある話だ。チャチャゼロがにやにやしていた。

 ただ今とある村の手伝っている最中だった。狂暴な害獣やらなんやらがよく農園に訪れるため、何とかしてほしいとの依頼がギルドの中にあったため、普通に了承。実入りはそこそこだったが、何よりもおまけが素晴らしい。むふふふふ、今度の昼食が楽しみだ。』

 

「あるとき、人をさらったり、盗んだり、殺したりする、とても悪い人たちがいました。そんな人たちの集まりに、一人の男の人がやってきました。どこから来たのか分かりません。大きな剣を抜いたその男の人は、その光景を見て言いました。「悪いことをした魔はお前たちか?」と。暫くして、訪れた旅人たちはとても驚きました。悪い人たちがたくさんいると聞いていたのです。だけど、たくさんの身体はあるのにどこにも首がありません。

――魔法使いたちに伝わる寝物語『首刈り剣士――序章』」

 

 

『18××

 

死ね糞ジジイ。チャチャゼロがニヤニヤしている。思わず殴り飛ばした私悪くないもん』

 

 

『18××年 

 

 なんか行き倒れ拾っちったおwwww。なんか既視感が在るような白髪な小僧だった。そんでもって記憶喪失とかなにそれどこの主人公フラグww。俺は実は作られし存在だ(キリッっていう展開あるかもおっおww。止めて下しあ。そしてなんかキャラがおっさんくさいと言うかジジくさい。縁側で茶でも飲んで猫と戯れていそうな口調なんだけど。

 チャチャゼロが、バラシテいい?って煩い。そんなことしたらまた私が指名手配になってしまう。ぶっちゃけ私は許可したいが、イラついたよし死ねどーんな思考回路なんて、私は持っていない。しょぼーんとしているチャチャゼロを小僧が茶化して喧嘩になって、魔法球の中の庭がボロボロになった。何度自動人形の背中に悲しみを背負わせなければならないのだ……つーか、本当に小僧がそこらの主人公並みのスペックな件について。でも私のヒモはねーわ。その辺に放置したいと考えているのについてくんな。

 いやでも放置するのも問題だろうしなぁ……』

 

 

――――――――

 

 その少年にとって世界とはただ無色であり、感じ入る物は何も存在していなかった。

 昼間であるにも関わらず、薄暗い廊下を歩く足音が二つあった。一人は老人のような男性のもので、もう一つが少年の者だった。老人は逞しい肉体の上に上質なスーツを身に纏い、何度も襟を確かめるように直しながら歩いている。廊下の床や壁などに掘られた細やかな細工や、金の刺繍などをあしらえたその服を纏う男の立場は、世間一般的に見ても高い物であると分かる。具体的に言うのならば、国を動かすこともできる立場の存在だった。

 少年はその外見の年齢とは逆に、落ち着いた雰囲気を出している。黒を飾りに白が主体のローブは上質なもので、実際に魔法の品としては上級の物に入るだろう。ただその控えめの色彩は隣を歩く老人とは対照的であり、この場所にはあまりそぐわない。

 暫く歩き続けていると、一番奥の部屋へとたどり着く。老人はその手前でもう一度身なりを整えると、それを待っていた少年へと向き直る。それは少年が今まで見た中でも、真剣な顔つきであったと言えるだろう。

 

『いいか、フィリウスよ。この中には貴様の主と成られるお方がいらっしゃる。決して無礼をするなよ?』

 

『…………ああ、分かっておる』

 

 その少年、フィリウスの出したその声は、見た目相応ではなかった。老人を思わせるその口調は、フィリウスの前に居る老人以上に落ち着いている。老成した者の人格を宿したその躰は、主となる者へ失礼のないようにとその老人が調整したものだ。

 老人……キャメロン・クロフトにとってその人物は神にも等しい者だ。その者の力になるために、その老人は人の姿を捨てて、人外になってまで権力と言う名の力を求めたのだ。かつて人であったころに、正しく神の力を見た。創造主と言う名の存在へと、そしてその元で尽力するつもりであったのだ。

 だが、不老不死と言う形に自分を持っていくことはできなかった。人外になり長寿になったと言っても、その身体は徐々に衰えていく。だからこそ人形を完成させた。自分の生きた証が永久に、その主の元で在り続けられるように、と。

 クロフトはドアを軽くノックし、一言声をかける。そして静かにその扉を開いて部屋へ足を踏み入れた。

 

 そこは想像していたよりも、普通の部屋であった。普通、と言うには聊か豪華すぎるが、クロフトという人物の持つ屋敷の一室であるため、それも納得だろう。派手さは無いが家具などの品は確かに質が良く、多くの蔵書を置いた棚も目に入る。そして何か物書きをするための机には、変わった形の壊れた懐中時計がある。

 そして、部屋の奥にその人物は居た。

 纏われたローブの間から、深く暗い赤のドレスが目に入る。そして日光の射す窓辺で、椅子に座りながら佇んでいた。長い髪は二つに分けられ、横眼から見える瞳には、本来人が宿すべき光が無い。死人ではないのだろう。魔力によって強化すれば、呼吸もしていれば心臓音も地面を通して、フィリウスには理解することができただろう。しかしそのような命令を受けているわけでもなく、今のフィリウスがする理由は何もない。

 クロフトが片膝を立ててその人物へと跪く。それに倣うようにフィリウスも自分の主となる相手へと頭を垂れた

 

『お待たせいたしました、我が主よ。主のご協力もあり、無事に主の手と成る者を完成させることに成功しました』

 

『そうか……よくやった、クロフト』

 

 クロフトは自分の主の言葉に体を震わせた。直々に、自らの神からの称賛の言葉だ。それを受けて何も思わぬものは居ないだろう。涙が出そうなところをこらえ、何とか返答を返し、向かい直る。そしてその完成した人物であるフィリウスについての説明を始めた。不老長寿の完成、そして創造主として最も造りやすい存在である人形。その全ての原点となる者であると、演説でもするようにクロフトは語る。

 ただそれを、フィリウスは黙って聞き流していた。それらの情報は全て自分の頭の中には入っている。ただ、その情報になんの興味も無ければ、考えることすらしなかった。人格があっても、そこに感情は無かった。

 

人形と言うものはそういうモノだ。そこに移る光景に色も無ければ、熱を感じる事も無い。

 

『立て。……貴様がフィリウスか』

 

『はっ、我が主よ』

 

 声を掛けられ反応する。身体に植え付けられた人格が、頭の中でそれが正しい答えであると頭の中で導き出し、そのまま言葉にして現れる。

 その言葉を聞いて創造主は椅子から立ち上がり、自分よりも頭一つ分低いフィリウスの前に立つ。ゆっくりとかざす様に前に伸ばした手は、フィリウスの胸を抑えた。そしてまるで水の中に沈めるように、その手はフィリウスの身体へと沈み込む。

 魔法世界の者は魂へと殻を被っただけの存在である。そんなことフィリウスは既に知識として、クロフトによって埋め込まれている。そして創造主はそれら全ての根源である。世界に体を定着させる核と呼ばれるそれを、創造主は変質させていた。

 意識が堕ちて行くのを感じる。それは自分が気絶していく前兆だろう。しかし、ソレに抗えとも聞いていない。ただその流れに身を任せた。

 そして、魔法世界の仕組みについて思い出す。ただ、魂が殻を被っただけの人形たち。それらは感情と言う名の幻想に捕らわれ、生き続けている。

 

 なんて、意味のない存在だ。

 

 創造主は核を変質する。その思考の方向を、知識を都合の良いモノへと変える。

そのとき初めて、フィリウスは世界に色を与えられた。

 

 創造主が与えたその色は、無価値という無色の色だった。

 

――――――――

 

 

 今エヴァンジェリンは上機嫌だった。渓流近くの森の中で、丸みを帯びた石の上に椅子のように座っている。そしてその膝の上には、30センチ四方ほどの木の小箱が置かれていた。それは彼女の作り出したアーティファクトだ。中の空間と外の空間とでは流れている時間が極端に違い、ほぼ時間停止状態にあるものだ。そしてその中身は、本人がいつか食べようと考えていたデザートだったのだ。

 旅の途中で買った携帯食料なども食べ終えてはいたが、甘い物は別腹である。鼻歌交じりに小箱のふたを開ければ、焼き立ての甘い香りが辺りを包み込んだ。ごくりとつばを飲み込み、一旦ふたを閉じた。

 

「むふ、むふふふふふふ」

 

「御主人、気持チ悪ィゾ」

 

 小箱に何度も目を下ろし、にやにやとするエヴァンジェリンへと、チャチャゼロは淡々と事実を伝えた。だがそんな言葉も耳にはあまり入っていないのだろう。一瞬引き締まりかけた表情は、場に残されていた甘い香りのせいで、ふにゃ、とまた崩れてしまった。暖簾に腕押しな状態にチャチャゼロは肩をすくめると、手に持っていた林檎酒のビンを傾ける。人形のその身ではあるが、魔力へと分解できるため飲食もしないわけではない。ただ、雰囲気だけは楽しめる、という程度ではあったが。

 

「気持ち悪いとはなんだ。女の子がお菓子に対してにやけない方が失礼だろうが」

 

「400歳ガ女ノ子宣言スル方ガ失礼何ジャネーノ?」

 

 チャチャゼロは一度ビンに栓をして、エヴァンジェリンにそう答える。未だににやにやとしているエヴァンジェリンは、食べるのがもったいないとでも言うようだった。だらしなく涎も垂れそうになっているあたり、それほどまでに食べたいのだろう。恐らく彼女の中には、食べたい、だが食べたら無くなってしまう、という葛藤でも生まれているのだろう。アホか、とチャチャゼロは冷たい視線でエヴァンジェリンを見ていた。

 やがてふたを勢いよく開けると、中に入れてあったデザートを皿へと移し替える。それは焼き立てのアップルパイであり、まだ暖かいのか辺りには湯気も見えていた。アーティファクトであるその木箱の中は時間停止空間であるため、正しい意味で焼き立てのアップルパイだと言えるだろう。

 

「ん~♪ これだこれ♪ こういう時に時空魔法を齧っていて良かったと実感するな」

 

「叡智ノ無駄遣イニシカ見エネーヨ。便利ダケドナ」

 

 それは農家からの依頼で、魔法世界の猛獣を追い払う仕事だったのだが、依頼金のほかに特別に多くの林檎を貰ったのだ。そしてその農家の人に造ってもらったのが、そのアップルパイであった。

 さく、というナイフが切る音が響く。それと同時に出たのはバターと甘い林檎の香りだった。にやにやとしていったん手を止める自分の御主人に、チャチャゼロはもう無視し始めて、自分の武器である二つの剣を取り出した。

片方は打ち直し短くなった刀と、巨大な包丁のような剣であり、今のところ打ち直したササムの刀は使用していない。自分の元となった人物を真似ることが癇に障るというと理由もあり、また簡単に相手を殺せてしまう武器は、御主人の前ではあまり使いたくは無かった。最も、使うときは使うのだが。

 

「とと、食べる前に口を濯がねばな。一番おいしい食べ方は、空腹で口の中に何も入っていない状態だと決まっている」

 

「ミョーナ拘リ持ッテンダナ御主人。マァー食イ終ワルマデ俺ハ剣ノ手入レシテルカラ」

 

 チャチャゼロは手入れをしようと刀を手に取る。そしてアップルパイを皿に移し替えたところでエヴァンジェリンは立ち上がった。席を離れたエヴァンジェリンを横目で見ながら、手入れをするはずだった刀を引き抜いてそのまま構えていた。

 

「アン? ……アァ、ナルホド」

 

 誰かが此処に向かって近づいている。

エヴァンジェリンはまだ気が付いておらず、口を濯ぎに行った。遠くで風を切る音がそれをチャチャゼロへと伝え、仮契約のカードからエヴァンジェリンの魔力を勝手に引き出した。

 数は一、飛行してはいるが箒によるものではない。気、もしくは魔力を使った虚空瞬動にしては速度が無い。このままこの場所を通り過ぎるのならそれでもいい。だが、もしも自分の御主人を仇なす存在であるのなら。

 木と木の間からその人物を確認する。それは少年だった。白い髪はどこかその少年が人間であることに違和感を抱かせ、黒いパンツにフードのついた少年相応の服装はそれが薄まるような気がしてくるものだ。

 にやり、とチャチャゼロは口元を歪めた。アレが人以外の者であるのなら、斬ることに抵抗は少ない。久々に斬り殺せるのかもしれない、という期待感に胸を膨らませる。

 そしてそんな期待は、すぐに無くなっていた。

 

「……ハ?」

 

 空中を飛んで此方へと向かうその少年が、突然胸を押さえて苦しみだしたのだ。そして浮遊術を失ったその少年の身体は、慣性の法則に従って宙を飛ばされる。そして、もちろん落下する。

 

「へがぁっ!」

 

 サクグチャ、という音の次に、少年の間抜けな悲鳴が上がった。

打ち飛ばされたボールのごとく、少年はチャチャゼロの少し前への地面へと叩きつけられ、バウンドして木にぶつかるまで転がった。そしてピクリとも動かない少年に、チャチャゼロは思わず言葉を失った。辺りに流れる静粛が、これ以上になく居心地が悪い。意味の分からない光景だった。

 チャチャゼロが少し辺りの光景を見渡せば、どこかの誰かが座っていたはずの場所にあるクレーターと、その辺に吹き飛んでいるアーティファクトの小箱。もちろん中身は取り出したので存在はしていない。

 

「……ナンダコレ」

 

「おい、チャチャゼロ! 私の魔力が勝手にもって行かれたぞ、いったい何があ……た……あ……え?」

 

 勿論、先ほどの音に何も反応しないほどエヴァンジェリンも愚鈍ではない。何かが近づいてきているのが分かり、すぐに引き返したのだ。

 そしてその視界に入ってきた光景は、チャチャゼロが思ったのと同じく意味が分からなかった。が、それ以上に分かってしまった事がある。そして聡明な彼女の頭は、その光景を見て理解する。

 さらに切り取ったアップルパイの一片は、すっ飛んで地面にたたきつけられている。そしてその余りは、少年が地面に落ちてきた地点にあったため、良く熟れたトマトを踏み潰したが如く地面へと花を咲かせている。頭をアップルパイに打ち付けた少年は、大量のジャムが頭に塗られていた。

 

「私の……アップルパイ」

 

 ぷるぷるとエヴァンジェリンの身体全体が震えた。俯く彼女の周りに浮かぶ魔力が実際に見える程濃くなり、手に断罪の剣(武装解除の魔法付与)が造られた。

 

「うぅ……む……此処は……」

 

 やがて少年はゆっくりと身体を起こした。ぐらぐらと揺れる頭を押さえようと、手を伸ばす。

 

「ぬ……なんじゃこれは、気持ち悪いのう」

 

 そして手に着いたのは頭に付着されていたアップルパイのジャムであった。寝起きに頭を押さえてみれば、其処に在ったのはべたつく物体であった。それに驚かない方が無理であるだろう。

 が、その反応はその光景を見ているエヴァンジェリンに、油を注ぐようなものだ。

 

「き、ききキサマーッ!! 私の大事なものを奪っておいて何だその言い草はーっ!!」

 

「うおっ!? な、なんじゃおぬしは!?」

 

 頭を狙って横なぎに振られた断罪の剣を、少年は身体を地面に再度倒すことで回避した。そして断罪の剣が両断したのは後ろの木だ。武装解除の魔法を組み込まれたそれは、あっという間に木々の葉をすべて散らしていた。別に殺すまでは思ってはおらず、精々武装解除で全裸にした後につるしてやろうと、その程度の事しか考えてはいなかった。

 腕を地面に打ち付けその反動で飛び上がった少年は、エヴァンジェリンから距離を取る。ずきずきと痛む頭は地面に打ち付けたからか、何かを思い出そうとするたびに痛み出す。

 

「くっ、いったいどういう状況にある? ……そもそもおぬしは誰じゃ? いや……ワシはいったい何者じゃろうか?」

 

「なに?」

 

 痛む頭を押さえると付着したジャムが鬱陶しかったが、それでも抑えずにはいられなかった。そもそも自分はなぜ此処に居る? 何か用が在ったのか、此処で起き上がって少女に襲われたという記憶だけしか、頭の中にエピソード記憶は残っていない。

 ふと目をエヴァンジェリンから離した隙に、彼女は少年の懐へと潜り込む。そして少年の胸倉を掴むと、荒々しく上下に揺さぶった。

 

「なーにが記憶喪失だキサマぁあああああああ!! 私の大事な物の上に落ちたのだろう!? サックサクのパイの上に落ちたのだろう!? 何処からの刺客ださっさと思い出せ、私が契約の魔女である所以を教えてくれるわーっ!!!」

 

 がくがくと揺さぶるエヴァンジェリンに、少年ができたのはかすれるようなうめき声だけであった。少年は確かに人間と呼べる存在ではない。しかし頭を強く強打しその上記憶もあいまいなままだ。そんな状態で頭を揺さぶればどうなるのか。

 

 結果、とっくの昔に少年の意識は再度気絶という真っ暗闇に飲まれていき、そうなっていることも知らずに揺さぶるエヴァンジェリンは、チャチャゼロに指摘されるまで揺さぶり続けていた。

 気絶しているのを見て、自分が少年を殺してしまったのだと勘違いしてエヴァンジェリンが慌てたのは余談である。

 

 

―――――

 

 それはフィリウスにとっては過去の記憶であり、忘れてしまった記憶でもあった。

 自分の顔に光が差し掛かり、創造主と面会して気を失っていたのだと思い出す。彼女は自分の主であり、無礼を働いてしまっているということを理解した。ならば次に起こす行動は何か。

 頭を何か温かい物に乗せられている。その感触をフィリウスは知らず、ゆっくりと目を開いた。

 

『起きた?』

 

 そして映ったのは創造主の表情であった。二つに纏めていた髪を下し、蒼翠の瞳には輝きが無い。そこに感情と言うものは分からず、まるで人形の様であるとフィリウスは思っていた。

 どうやらここはクロフト共に訪れた部屋であり、自分はベッドの上に寝かされているようだ。枕の代わりになっているのは、ベッドに腰掛ける創造主の膝であった。だが、その姿を創造主と言うには違和感がある。それは纏っていた黒いローブが無いことからか、それとも明らかに雰囲気が創造主と離れているからか。

 

『……おぬしは誰じゃ』

 

『……ん、お姫様かな。……冗談、カグラだよ』

 

 無表情の中にほんの少しだけ口元を吊り上げて、その少女――カグラは微笑を作り出す。

 それは創造主と呼ばれた存在の人格ではなかった。華美なドレスは確かに姫という単語を連想させるが、そのような存在がクロフトの用意した私室にいるのも疑問だ。

 なによりも目の前にいるのは使えている主と全く同じ顔をした存在だ。それに対して敵対心を抱くわけもなく、そして寝かされている今の状態は失礼にあたるのでは、と思い直す。創造主によって自分の核と呼ばれるものを変質させられたためか、まだ体に違和感がある。

 起き上がろうとしたところをカグラは手で制し、そのままフィリウスの額へと手を当てる。ひんやりとしたその手が、どこかフィリウスにとって心地よい。起き上がるべきであったにも関わらず、その身体は動くことを拒絶した。

 

『寝ていて。あの人が無理をしたから、まだ辛いよ』

 

 言葉数は少なくとも、その言葉の中には此方を案ずる様子が感じられる。そんな声にフィリウスは何故かむず痒くなるのを感じた。そして彼女の膝から伝わってくる人肌の熱が、フィリウスの感覚を落ち着かせる。

 このまま寝てしまえばどれほど気持ちいいのだろうか。主の意向を無視して行動を起こすわけにはいかない。だが、その主の躰の主は良いと言っている。ならば――

 

 

『ゼクト』

 

『む? ……?』

 

『貴方の名前。凄く強い騎士の、英雄の名前。きっとそう』

 

 

 そう言ったカグラの顔は無表情のままだ。どう捉えれば良いのかフィリウスには分からない。自分の主から名前をいただく、と言うのは儀式的な意味としては重い物であり、それを光栄に思うのが当然なのだろうか。

 頭はまわらず、眠気がフィリウスへと襲い掛かる。突然つけられた名前であったにもかかわらず、どこかその名前が嫌いではないと、そう思いつつ目を閉じた。

 

 

『……寝ちゃった。おやすみ、ゼクト』

 

 

 そのカグラは再び目を閉じて、規則正しい呼吸を繰り返す少年を見下ろしながら、驚いたように目を丸くする。

 思考の渦に捕らわれているまま、フィリウスは意識を落としていた。創造主の行った核への改変がそれほどまでに身体に負担をかけていたのだろうか。創造主の知識もある程度手にしているそのカグラは、そっとフィリウスの髪を手櫛でといだ。

 

『……始まりの英雄。あの人と同じ。ゼクト、フィリウス……そう、そういうこと?』

 

 彼女は目を閉じて何かを思う。自分に体を預けているこの少年の事か、それとも創造主と言う存在を宿した躰に、まだ確立されているこの意思のことか。

 その少年は創造主によって世界に無色という色を与えられた。

そして、そのカグラに新たな色を与えられていた。そのことをまだ、少年は知らない。

 

 かち、という時計の音が響き渡る。それは机の上に置かれた壊れた懐中時計が動く音であった。

 


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