エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

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7/起きた頃の日記

『18■◆年

 

 アリアドネーの元代表が死んだ。私たちがダンジョンに入っていたからか、その情報が遅れて届いた。結局、友人の死に目すら看取れなかったのは、私にとっては良かったのだろうか。ササムと同じことをしない、その確信ができたのだから。

 ……こうして文章にしてしまえばそれを実感せざるを得ない。当然だ。相手は人間で私は吸血鬼だ。こうして死に直面することはある。ササムのときにそれは知っているはずだ。

 だが、虚無感だけは無くならない。いつまでも残り続けるそれを私はどうすればいい。ゼクトも何度も声を掛けに来る。チャチャゼロもだ。だが、それでも立ち上がる気力が出ない。

 二人に心配をかけていることは分かっている。過去に目を向けず前を向けと言うのがどれだけ難しいことか、実感した。それでも、私は前に行くと決めたのだから。だが……(ここから言い訳じみた文章が続いている)』

『追記 おいエロナスビ、この部分は消せ』

『追記の追記 いwやwでwすww』

 

 

『18■◆年

 

 だいぶ落ち着いてきた。沈んでいるのは変わらないが、それでも落ち着いて日記を書く程度の事はできる。こうして立ち上がることができるのは、ササムのときセランが立ち上がらせてくれたからか。一人で立ち上がらなければならない、それぐらいのことは昔から分かっていたはずだ。

 だが一つだけ懸念もある。ササムのときのように深く狂ったような感情を浮かべなかったことは、進歩なのだろうか。こうして何度も死に直面すれば私は、同じように立ち上がるための時間を短くしていくのだろうか。それは寂しくもあり、悲しいことだ。しかし、それもまた生きるということなら、私は受け入れよう。そのために、私は人に成ろうと決めたのだから。

 セランの眠る場所へと訪れてもいない。いい加減、会いに行こう。待たせてしまうのは悪い。』

 

 

――――

 

 大きな部屋つけられた個室からは、異様な雰囲気を感じることができた。その陰気は扉から滲み出ているのを幻視する。重い溜息を吐いてそのドアノブに手をかけて部屋へと足を踏み入れた。

 室内全ての窓にカーテンを閉め切られ、その上明かりすらつけられていないその部屋は、まだ昼間であると言うのに薄暗い。寝室用のその部屋には大きなベッドが中心にあり、そのベッドにもたれかかるように彼女は居た。

 膝を抱えて顔を伏せている。綺麗なはずの金の髪もぼさぼさで輝きを失い、ドレスのような洋服は皺だらけだった。一日前と何も変わらない姿に、ゼクトは思わず頭を押さえ首を横に振る。

 

「エヴァ」

 

「……ゼクトか」

 

 ゼクトの賭けた言葉に反応する様に、エヴァンジェリンが此方へと顔を上げた。そこにある表情は沈んでおり、涙は止まっているが流れた跡が残っている。喜怒哀楽の中で哀を見せるのは共に行動している中でも珍しい。

 だからこそかけるべき言葉が分からない。ゼクト自身には目的が無い、正確には忘れてしまっていると言うのが正しいが。エヴァンジェリンが悲しんでいる対象についても知らず、慰めるための言葉も見つからない。人を励ますことなど、ゼクトはやったことが無いのだから当然であると言えた。もやもやする。彼女のために何かをしようとは思って部屋に入ったが、いざ目の前にしてみればなんの言葉も出てこない。

 

「もう少しだけ待ってくれ、しゃんとしてみせるから」

 

 逆にエヴァンジェリンは、何かを話そうと考えているゼクトを気遣うような言葉をかける。ぎり、とゼクトは口元を歪ませ、拳を握りしめた。そんなことを言わせたかったわけではない。ただ目の前でエヴァンジェリンが沈んでいる姿を、見たくないと思っている自分がいた。かつて自分を抱きしめた『彼女』が、静かに泣いていた時と同じように。

 

 何を今更、彼女をこうして泣かせたのは、自分だろう。

 

「……そうか」

 

「うん」

 

 短く返した言葉に短い返事が在ったことを確認し、ゼクトは部屋を出る。チャチャゼロの事を出したのは、自分の事を話さないようにするためであった。今なにを考え、なにを感じているのか。それが自分でも分からなくなってきている。

 『彼女』が向けていた涙は何のため? 自分はいったい何をしていた? 今ここで沈んだ少女は何を悲しんでいる? その感情を向けている先の者は本当に『価値が無い』ものなのか?

 

 自分は今、なにを思っている?

 

 決まっている。彼女の落ち込んだ姿を見たくは無い。ならばなぜ自分はこの部屋へと入ったのだろうか。見たくないのなら、外で待っていればいいだけの話なのに。

 ずきんずきんと、先ほどから仕切りなしに頭が痛む。そんなもの、すべて無視している。それ以上に、今の思考は重要なのだから。

 

「……セラン……ササム」

 

 部屋を出る直前、エヴァンジェリンが誰かの名前を呟いた。その人物をゼクトは詳しくは知らず、なにも言う事ができない。なぜか、拳を強く握りしめていた。

 

 それが、数日前の話であった。

 

―――

 

 そこはアリアドネーのとある家の一室であった。部屋に置かれた賓の良い家具は、普段野宿や粗末な宿に泊まりなれているゼクトにとっては少し居心地が悪い。無駄に料金が高い所に泊まっているのは、チャチャゼロが勝手に借りたこともあるが、安全な場所としてそこを挙げられたからだ。

 現在アリアドネーでは少しずつではあるが活気を取り戻しつつあった。先代総長であった者が亡くなり、多くの者にその死を惜しまれた他に、都市は多少ではあるが賑わいを無くしていたのだ。だがそれもほんの数週間程度の事だ。何もなかったかのように生徒は学へと力を入れ、商人は商いを始めている。何時までも悲しんでいたところで前には進め話しない。人々は己が何を始めるべきなのかはわかっているのだ。

 が、そんな事情は余所者であるゼクトにとっては知ったことではない。彼がこの都市に足止めされている理由は、同行している人物がこの都市にとどまっているからだ。ゼクト自身、どこかに行きたいと思っているわけではない。だが、彼女について行かなければならない、という意思が元々存在しるためそれに従っているだけだ。そしてそれを否定しようとは思わなかった。

 

「オカエリ、買イ出シゴ苦労サン」

 

 買い出しを終えて滞在中に借りている部屋の一室にある広間に戻ると、ソファの向こう側から少女のような声がゼクトに届いた。エヴァンジェリンの従者でもある人形、チャチャゼロの声である。その姿が見えないのはソファの上で寝そべっているからだろう。近くに寄ってその姿を見たゼクトは顔をしかめる。

 

「おぬしの御主人は部屋から出てこないと言うのに、おぬしは随分と良い身分じゃな」

 

「アン? ナーニ言ッテンダ。英気ヲ養ウノモ仕事ノ内ッテナ」

 

 チャチャゼロの片手にはワインの入った瓶が在り、肩肘で頭を支えながら寝そべっている。そしてその手元にはアリアドネーで買ったのであろう雑誌とツマミ。完全にバカンス気分を享受している。先ほどまで自分が深く考えていたのはなんだったのか。

 テーブルを間に挟んで対面に座ると、チャチャゼロからグラスを投げられる。見ればテーブルの上には、開けられていないワインが置かれていた。

 

「ジジイモ飲ムカ? 昼間ッカラ酒モ案外悪クネェゼ?」

 

 遠慮しておこう、と。ゼクトは空のグラスをテーブルに置いた。つまんねぇの、とチャチャゼロは呟くと、開いていた雑誌を閉じて身体を起こした。対面に腰掛ける姿は人形らしく可愛らしいが、その手に在るワインのビンはそれを台無しにしている。本来操り人形を意図して造られたはずのその身は、今では殺戮人形であるのだから問題は無いと言えば無いのだろう。

 

「それで、エヴァンジェリンの様子は?」

 

「昨日一昨日ト同ジジャネ? 飯モ勝手ニ食ッテンダロ」

 

 短い言葉で結論だけ述べる。なぜかエヴァンジェリンの姿をゼクトは思い出したくは無かった。正しくは、暗く落ち込んだままの姿の彼女であるのだが。どこか思考がざわめくような気がして、それが鬱陶しい。考えない、という行為は尤も楽なことであり、ゼクトはその思考に流されたままだ。

 悪かった、と。一言自分が謝ったところでどうなる。自分の自己満足に今の彼女を突き合わせる程、ゼクトは無知ではない。だから心情的にもゼクトには重荷となっている。罪悪感という物が何時までもまとわりつくのは鬱陶しい。

 ゼクトの答えにチャチャゼロは大きく溜息を吐いた。手にあるワインのビンを傾けて、そのまま飲み干す。

 

「ソンデジジイハ、イッタイ何シテンダ?」

 

「何もしておらん。何をしろと言うのじゃ」

 

「カーッ、沈ンデル女ガ居タラ抱キ締メテヤルグライ、男ハシロッテンダ。テメェ本当ニ(ピー)付イテンノカ? アアン?」

 

 酔っぱらったオッサンのような絡み方でチャチャゼロはゼクトへと言う。まだ謝ってもおらんわ、と。頭の後ろに手を組んで座りながらゼクトは答える。

 抱きしめる、という行為はゼクトにとっては特別な物でもある。それは砂漠の町で思い出した過去の記憶であった。『彼女』、カグラという少女がかつて自分と共にいた。そして彼女からその行為によって思いを与えられた。そしてその記憶を失っていたのは、カグラ自身の手違いで在ったのだが。

 

「……そんなこと、おぬしがやれば良かろうに」

 

 ゼクトは拗ねたようにチャチャゼロへと答える。自分が彼女に言えることもなく、『彼女』のように与えられるような温もりもない。

 その言葉に対してチャチャゼロはわざとらしく溜息を吐いた。何を言っているんだこいつは、と言わんばかりのそれは、ゼクトを苛立たせる。しかし想像していた物と違い、チャチャゼロの言葉はすんなりと入ってくる。

 

「人形ガ自分カラ温モリヲ与エラレル訳ガネェダロ」

 

 当たり前のことを話す様に答えられた言葉に、ゼクトは思わず息を呑みこんだ。

 確かに目の前にいるのは人形だ。自ら言語を発し、動き、飲み食いさえもする。それでも、その姿は人型を取っていても人とは言い難い。

 人形を抱きしめても返ってくるのは自分の温もりだけだ。自ら熱を発せられることは無い。

 だがそれはゼクトにとって意外でもあった。エヴァンジェリンは自身を人として扱っている。真祖の吸血鬼であるというのにそうであろうとしている。それをゼクトも分かってきたから、チャチャゼロの言葉は意外だったのだ。人であろうとしている意志を持っている主人であるからこそ、従者も同じであるとゼクトは考えていたのだ。

 

「おぬしは、人形なのか?」

 

「人形ダ。俺ニハ考エルタメノ脳ナンテ無ェシ」

 

 チャチャゼロは人間ではない。人であろうとしたこともない。彼女がエヴァンジェリンを護ろうとしているのは、その魂に刻まれた命令が彼女を動かしているからだ。確かに感情もあり、思考することはできても、生きてはいない。ただ魂から命令された通りに動いているだけであり、何かを考えているわけでもなかった。だからこそ、その魂によってチャチャゼロは世界を与えられ、その指針によって突き動かされている。

 そしてそのように行動する存在について、ゼクトはなぜか引っかかる。チャチャゼロではない、自分に限りなく近い存在が自分の記憶に『居る』。

 

「魂ノ赴ママニ行動シテイル奴ノハ、人トシテ生キテイルッテ言ワネェヨ。ソンデモッテ、全部自分自身ノタメニ誰カヲ害スル」

 

 そう言ってチャチャゼロは自嘲する様に呟くと、グラスに注いでいたワインを傾ける。チャチャゼロに生き方も何もない、かつてあった男の信念の残滓から、チャチャゼロはそう在るしかないのだから。

 ゼクトの反応は無い。はたから見ればただぼんやりとしているようにも見えた。

 

 

「ソレヲ悪人ッテ言ウンダ。俺ノ『人形』以外ノ別ノ言イ方ナンザ、『化ケ物』シカネェヨ」

 

 

どくん、と、ゼクトの心臓が鳴った。

 

 

『我が命に従え、■■■■■』

 

 

 ただ命令のままに従い、誰かに世界を与えられて、そしてそれによって己が行動を決定している。その人物を、ゼクトは知っている。違う、その人物が記憶に在る。

 黒い鍵を模した杖、それを振り上げているのは白い髪の少年だった。そして湧き上ってくる記憶に流れた世界は戦場。多くの人間たちがぶつかり、魔法を撃ちあい、消えていくその場所に少年は居る。そして何の感慨も無く、その人間たちを『救済/■■』している。何の理由があって? なんの恨みがあって? 違う、ただそれが主の命令であるだけの話だ。

 

『こっちに来るな! どうしてこんなことするのよ! この化け物!』

 

『リライト』

 

 

 浮かび上がってきたのは誰かの記憶。母を護ろうと杖を振りかざした少女を、■■■■■はそんな思いも何もかも、消滅させたのだ。其処に在った筈の『■■』も纏めて。理由? 彼が人形だからだ。魔法世界の生物など、主が造りだした人形に過ぎない。そしてそんな幻影の上に重ねられた『感情』に、意味など無い。そんなものよりも、主から与えられた命令の方が重要である。なぜなら、『そのように自分は仕組まれているのだから』。

 その考えを持つ人物をゼクトは知っている。フィリウス、創造主の使徒でありキャメロン・クロフトによって造られた人形。

 

 

 

『それでもね、ゼクト。私はゼクトに考えて欲しい。ほんの小さなことでもいい、何かを考えて』

 

 

 

「……ああ、そうか。そうだったのじゃな」

 

「ジジイ?」

 

 何かに耐えるように頭を押さえたゼクトに、チャチャゼロは茶化しも何もなく怪訝そうに声をかける。だが、ゼクトにその声は入ってこない。

 チャチャゼロと言う存在が、改めて語ったその在り方がゼクトにとっては記憶の鍵であったのだ。全く同じように生きたその少年、フィリウスと言う存在の記憶は、他の何者でもない、ゼクト自身のものだ。だからこそ、それに連鎖する様にかつての記憶が思い出されてきたのだ。

 

 全て、つながった。

 

自分が魔法世界の存在に対して見下していた理由、感情を意味が無いと思っていた理由。全て、創造主から与えられてきた世界ではないか。そして自分と言う存在は――混乱の地に降りて魂を狩る、質の悪い死神と同じだ。それを―――

 

 ■■■■と呼ぶ以外に、なんと呼ぶ。

 

「……人形、か。確かにその通りじゃった」

 

 そこから出た声は小さく口の奥から出されたようであった。頭を押さえているはずの手で、自分の頭を強く掴む。そうでもしなければ、今自分が何をするかゼクトにも分からなかったからだ。

 

「人形は人形師の言う通りにしておればいい。そんな者に、誰かにかけられる言葉など無い。ワシもキサマと同じじゃよ、チャチャゼロ」

 

 ぎり、とゼクトは奥歯を噛み締めて、苦々しく吐き捨てた。

 思い出したのだ。自分が創造主と言う存在の使徒であったこと、カグラという少女が自分に託そうとしたことの意味、自分が今まで行ってきた、魂狩りという事実を。

 そして理解する。今まで出会った多くの感情に意味など無い。正しくは、『意味など存在していてはならない』。創造主がゼクトへと埋め込んでいた思想は、何も創造主が己の手足のように使うためではない。正しい意味でゼクトへの慈悲であったのだから。

 それは逃げだ。創造主によって与えられた思想をそのまま自分の物であるかのように語る。

 ゼクトの雰囲気が変質する。先ほどまであった気怠そうな気質はそこには存在せず、表情筋は動いていても感情の籠らぬ表情を造りだしていた。

 

「……オイ糞ジジイ。テメェ、記憶戻ッタダロ」

 

「ああ。あのバカ女め、中途半端に調整しおって。思い出させたおぬしには感謝するべきか?」

 

 無論チャチャゼロもそんな気質の変化に気が付いており、ゼクトの様子の変化に本人へと一つ頭の中によぎったことを尋ねる。自分の言葉のどこがキーとなったのかは分からない。皮肉気に答えられたゼクトからのその言葉に、チャチャゼロが起こした思考は、今この場所でゼクトと言う存在が、障害になりうる可能性が出た、という事だ。

 ゼクトは自分の身体に行われていたカグラからの調整に、思わず乾いた笑いを出さずにはいられなかった。中途半端なところで調整を無理やり終わらされた影響で、墜落から記憶喪失という状態にまでなったのだから笑えない。尤も、自分をエヴァンジェリンと同行させるという彼女の意図は達成できたのだろうが。

 

「テメェノ記憶、思イ出シタラヤバイ類ノ物ジャネェカ?」

 

「……そう思うか?」

 

「出会ッタ頃ノ事思イ出シテミレバ、一発デ分カンダロソンナコト」

 

 魔法世界の人間に限ってであったが、それらの人間に対してどうでもいいとハッキリと思っていたのだ。元々そう思う事の出来ることを行っていた、例えば完全な奴隷として扱い対等なモノと見ていなければ、あのような態度であったことも頷けた。

 

「ブッ飛ンダ考エノ人形(おれ)ト同ジ思考ナンザ、同類カ近イ何カシカネェダロ」

 

尤も、ソレを行っている者が人形であるなどという事は、チャチャゼロは聞いたことが無い。魔法球の中にも自動人形という存在は居るが、それらは魂の持たぬ存在であってゼクトには確かに魂は存在している。

 舌打ちの音が部屋へと響き渡った。

 それはチャチャゼロがゼクトに対して放ったものであり、もしもチャチャゼロが人間の肉体が在ったとしたら、その顔に忌々しげな表情を浮かべていただろう。

 

「……ナァ糞ジジイ。俺ハテメェノコトハ嫌イダ」

 

「奇遇じゃな。それはワシも同じじゃよ。おぬしと言う存在自体に嫌悪感が在る」

 

 ゼクトがそう思ったのは一種の同族嫌悪からであった。自ら発生したものではなく、外部より与えられた衝動によって動くのは、二人とも同じなのだ。主人を護る、という本能によって行動する人形がそこにはいた。自分もそれと全く同じであると、失ったはずの記憶が根源からゼクトへと語りかけるのだから、同族嫌悪を抱かずにはいられなかった。

普段の態度は小突き合う友人とも言える立場であっても、それだけは気にくわない。自分の同類を見て平気な態度でいられるほど、ナルシストで在るつもりは二人にはない。

 チャチャゼロは天井を仰いで溜息を吐く。いつも馬鹿みたいに笑っているその人形の表情が、ゼクトには心なしか沈んでいるように見えた。

 

「ダガナ、最近ノジジイハ嫌イジャナカッタ。……タック、儘ナラネェモンダ」

 

 美味い物を食べれば表情が明るくなり、それを取ったチャチャゼロとは喧嘩にもなる。三人の旅の結果に人助けが起きることも多く、そこから向けられた感謝へと微笑することもあった。こうしてエヴァンジェリンが沈んでいれば、同じように落ち込む姿も見られた。

 悪くは無い、とチャチャゼロは思っていた。自分と同じだと思っていた者が変質していくことに同族嫌悪は無くなっていくのを感じたし、皮肉を言い合う友人のような関係も嫌いではなかったのだ。

 それが一瞬で反転した。出会った直後まで逆戻りとくれば、チャチャゼロとしても落ち込まずにはいられなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 無言の中チャチャゼロが時折瓶を傾ける音だけが響く。話すことは無く、また何を話せばいいのか分からないのだろう。徐に立ち上がったゼクトはチャチャゼロの座るソファの横を通り過ぎようとした。そしてその脚の向かう先は、未だにエヴァンジェリンが閉じこもっている部屋のドアであった。

 チャチャゼロの横を通り過ぎようとした瞬間、首元に何かを突き付けられる。それをゼクトは初めて見る、洋風の人形が持つには明らかに不恰好な太刀であった。来たれ、という言葉と共に召喚されたそれを、チャチャゼロは逆手に持ってゼクトの行先を塞ぐように太刀を向ける。普段の戦闘に巻き込まれたときでさえ使わないそれを、チャチャゼロは取り出してゼクトへと尋ねる。

 

「ナア糞ジジイ。俺ハ本当ニ御主人ノ障害ニ成ルノナラ、餓鬼ダロウガ何ダロウガ躊躇イ無クソイツヲ殺ス。俺様は『悪人』ダカラナ。テメェハドッチダ」

 

「……」

 

 低い声でチャチャゼロは言う。だが、既にゼクトは己に課せられていた使命は思い出した。それは『カグラ』によって命じられていたことも、創造主によって命じられていたこともそうだ。

 静寂が辺りに訪れる。その静寂は昔、ゼクトが怪我をしてエヴァンジェリンに治療してもらった時とは違う、殺伐としたものであった。沈黙がやがて解かれようとしている。自分の中の思いは決まったのか、ゆっくりとゼクトは口を開いた。

 

「……何を言っておるこのアホ人形。ワシはただ一言二言、彼女と話すだけじゃ」

 

 表情も無くそう言うゼクトの言葉にチャチャゼロは違和感があった。気質が変化しているのを感じていたはずだった、同族であると思わせる雰囲気を出している。そして本人もそう言っていた。だが、どこかこの言葉に引っかかる。そしてそれが、チャチャゼロが太刀を振るい首を刈り落とさない理由となった。

 ゼクトは太刀を掴んでどけると、そのままチャチャゼロの横を通る。部屋のドアの前までたどり着くと、軽くノックしてから部屋へと立ち入った。チャチャゼロは、それを止めることはしなかった。空になった瓶をその辺に放り投げてチャチャゼロは呟く。

 

 

「アノ糞ジジイ。人間ガ人形ノフリヲシテンジャネェゾ」

 

 

 ああ、やはりアイツは嫌いだ、と。チャチャゼロは召喚していた太刀を鞘へと納めた。

 


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