エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

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8/理解

 そこは国と国とをつなぐ街道であり、夜間であるためか人一人すら外には出ていない。そんな暗闇の中、歩く影が在った。白いローブを纏い、髪を二つに結ったその女性、カグラは確かな足取りで歩みを進めている。

 その日はフィリウスは彼女の近くにいなかった。創造主の命を受け魂を狩りに出たのだが、カグラは待ち合わせていた場所から勝手に離れ、街の外に来ていた。

 通常ならば安全の確認できていない町の外に出るのは、危険な行為であることは間違いない。ただ、一度フィリウスの眼から離れる必要が在ったため、こうして外に出ていた。

 

「丁度いい、時間だ」

 

 静かで落ち着いたその言葉がカグラの耳に届く。

 そこに居たのは少女――ネージュであった。長い金の髪をローブで隠したその少女は、一つ指を鳴らして魔法を発動する。彼女が張った人払いの結界は、そこに結界があることを意識すらさせない高度な物であり、それを簡単に張ったと言う点でも、高位の術者であることが分かる。

 

「……おまたせ?」

 

「なぜ疑問形なんだ。まあいい。預けていたものは返してもらうぞ」

 

 早くしろ、と。手をふらふらと振って催促するネージュにカグラはふっと笑い、懐から何かを取り出した。

 それは懐中時計だった。面に月と星を描いたその時計をカグラは軽く放ると、ネージュは鼻を鳴らしてそれを受け取った。それをしばらく眺め、魔力を通すなどして簡単に調べると、彼女は軽く溜息を吐いた。

 

「やれやれ、壊れてはいないがまた暫くかかりそうだな。それで、どうする?」

 

「? なにが?」

 

 ネージュの言葉にカグラは思わず首を傾げていた。本来この場所で会って時計を渡すだけのつもりだったのだ。何をどうするも考えてはいなかった。

 

「まだ足掻くのか、と聞いている。もういいだろう? 世界が一つ保管される、ただそれだけの話だ。キサマには関係のないことだろう?」

 

 呆れたようにネージュはカグラへと語る。カグラが創造主と言う存在を押さえているからこそ、この世界はまだ崩壊へと踏み出していない。それをネージュはどうでもいいとでも言うように語っている。

 目の間にしわを寄せて恨めしそうな視線でカグラはネージュを見た。どうしてそんなことを言いうのか、そう目では語っている。ネージュからしてみれば本心からの言葉であって、カグラの態度には肩を竦めざるを得なかった。

 

「……関係、ある」

 

「それはあの人形への期待か?」

 

 ネージュの言葉にカグラは頷くと、彼女は大きく溜息を吐いた。カグラがあの人形に対して重ねて見ているのは知っている。ゼクトという名前は、魔法世界の住人や魔法使いなら、知らぬ者の方が少ないほど有名な英雄譚に出てきた人物のものであった。

ただその通りになるかどうかは別問題であり、夢見がちなその態度に腹立たしいと思っていることも事実だった。

 

「彼は、まだ知らないだけ。きっと、ゼクトは成る。私はそう信じてる」

 

「……まぁ、その気持ちは分からなくもないがな。だが、もうもたないのだろう?」

 

 フィリウスと言う存在は創造主の人形の一体でしかない。それに対してカグラが期待しているのは、同じように人形が人のように成ることを知っているからだ。少女もそうであった。彼女はこの世界で見ていたある人物が居たからだった。

 それでも、時間は足りない。創造主と言う存在の浸食は軽んじることができないものであり、もう暫くすれば身体の主導権すらなくなるだろう。

 

「……大丈夫」

 

「まぁ、後は封印で何年かもつかどうか、だ」

 

 ここでの封印という手段は一種の結界とも言える。任意の空間を停止することで、外部との時間の流れを切り離し、先延ばしにする方法だった。普通の封印では意味が無い。創造主と言う存在とカグラの元々持っていた力が、封印の意味を無くしてしまうのだから。

 暗闇の中に沈黙が流れる。カグラの行く先を知りネージュはただ憐れみの籠った視線を向けている。そしてもう話すことは無いと判断して、踵を返した。

 それをカグラは見ているだけであった。同じように踵を返して街に戻ろうとしたカグラに、ネージュはふと思い出したように声をかける。

 

「ああそうだ、キサマが居ない期間にあの人形に何かさせるなら、この世界の真祖の吸血鬼に送ることをお勧めするよ」

 

「? どうして?」

 

 振り向いたカグラにネージュは指を立て、悪戯っぽく笑って説明する。

 

「アレは面白いぞ。人形と共に居ることもそうだが、根本的に思考が飛んでいる。人形を壊したいのなら、アレに接触させてみろ」

 

 この世界にいる彼女の事を見て、何よりもその効果があることを知っているのは、間違いなくネージュだった。単純な興味から調べたものだったが、エヴァンジェリンと言う存在は面白いと言えるだけの価値がある。

 少女はニヤリと不敵そうな笑みを見せると、転移のための魔法を唱える。真下に造られた魔方陣が辺りを照らし、ついでにと言うように結界の解除を行った。

 どういうことか、そうカグラは尋ねようとする。しかし彼女がその一言を発するよりも早く、その魔方陣の上に居た少女の姿は消え去っていた。

 思う事が無かったわけでもなく、しかし今どうしようもないという現実を感じながら、カグラは踵を返して街へと戻る。

 

 りぃんと、鈴の音が鳴った。

 

 それが、カグラがフィリウスと別れる数か月前の話である。

 

――――――

 

 

 黄昏時の夕方、ゼクトはアリアドネーのとある場所に向かっていた。その場所にあるのは多くの墓標である。月日と名前を刻んだそこに魂は眠っていると多くの人間は信じている。だがそれは真実ではない。魂は全て魔法世界へと還元され、創造主の元で眠るのだ。そのことを、ゼクトは真実として知っていた。

 とある墓標の前に小さな背中が見える。その手には花があり、多くの供え物と共に置かれたその墓標の一角へとそれを置いて呟いた。

 

「あっけないものだな、セラン」

 

 その時の少女、エヴァンジェリンの表情はゼクトには見えなかった。

 街で買った花は決して高価なものではなかったが、その場所は既に多くの花が飾られていたのだ。それをその死者の友人である者が置いた、という事実が何よりも重要であるはずだ。

 元アリアドネー総長のセラン、エヴァンジェリンの友人である彼女は病気で亡くなったそうだ。まだ若く人間換算では60にもなっていなかったのだが、運が悪かったのだと言うべきか。ただ多くの事を為した彼女は、満たされた表情で逝ったのだと、ゼクトはアリアドネーの学生たちや住民が話しているのを聞いていた。恐らく此処に来るまでにエヴァンジェリンもそれは聞いただろう。

 『フィリウス』にとってそれは興味の対象には成りえない。死によって魂は完全なる世界の書庫へと保管され、創造主による世界の再編でそれは永遠の園へと送られる。死は誰にも訪れる平穏だ。俗っぽく言ってしまえば、天国とも呼ばれる其処へ行くのを待つだけの者達であると言える。だからこそ彼はそれらの魂に対して平等で在れたのだ。

 そんな彼を、『ゼクト』はただぼんやりと眺める。同じ自分であることは理解しており、フィリウスの考えに一片の間違いすら無いことも、同じく理解していた。

 

「まったく、いくらなんでも天国へ行くには早すぎだろうに。仕事のし過ぎで疲れたのか? キサマもそう思わんか、ゼクト?」

 

「……知らんよ。ワシは貴様の友人の事など分からんし知らん。なにも思わん、が返答としては正しいのじゃろうな」

 

 此方を見ずにかけられたエヴァンジェリンの声へと返答するが、それに対して返ってきたのは、相変わらずだな、と言うかのような苦笑であった。この世界の生物へと興味を示さない、それは原初から持っていたフィリウスという人形の価値観だ。そしてそれをゼクトは使い続けてきた。

 ならば今は? この墓標に記された人物の死は多くの者に悲しみを造りだした。街の住人もそう、今目の前にいるエヴァンジェリンもそう。確かにその人物は人に感情を浮かべさせていた。ならば自分が抱いているのは、何か。

 

「迷惑をかけてしまったか?」

 

 困ったような表情で語るエヴァンジェリンの声に、ゼクトは思考を逸らす。どちらにしても人形であるはずの自分が考えるべきことではない。返答をしなければいい、そう考えたが『ゼクト』はかけられた言葉を返す。

 

「ああ。せめて出かけるなら一言かけんか。チャチャゼロはおぬしが居ないと聞いて、かなりの勢いで出て行ったぞ」

 

「あー、それは悪いことをした。それなら帰りに何か買って行ってやるとしよう」

 

 エヴァンジェリンが部屋に居ないことを聞いて、部屋をゼクトよりも早く飛び出したのはチャチャゼロであった。ゼクトとしても驚きはあったが探すつもりであり、偶然此処に来て、偶然そこにエヴァンジェリンが居た。都市の中を駆け回っているチャチャゼロには悪いが、見つかって何よりと言うべきか。

 また、ゼクトにとってもチャチャゼロが此処に居ないのは好都合だ。人形である自分が、創造主の使徒である自分が今成すことは、創造主/カグラが言った通り、目の前の人物を連れていくだけだろう。

 

「…………」

 

「ゼクト?」

 

 此方を怪訝そうな顔つきで首をかしげる彼女に、ゼクトは返答することができなかった。

 カグラという存在が何のためにエヴァンジェリンと言う存在を求めたのか。なんの意志もない人形が、エヴァンジェリンと言う存在を無理やりではなく連れて来られるわけがない。それでも送ったのは、ゼクトと言う存在は命令をこなすために、エヴァンジェリンについて行かなければならない事をカグラは知っていたからだろう。そして、何を思わせ何を見せたかったのか。本当に『彼女』が望んでいたのは、今のゼクトと言う人形の姿なのだろうか。

 エヴァンジェリンをカグラの元へとたどり着かせたとき、カグラは何を言うのだろう。

 その答えはすでにゼクトは知っている。世界を滅ぼすことを目的とした、創造主と言う存在を留めていたのはカグラだ。ならば、その存在を滅ぼして欲しいと考えるのは当り前だろう。

 

「エヴァ」

 

 彼女の愛称を呟く。なんだ、と聞き返されたにもかかわらず、ゼクトはその先の言葉を続けることができなかった。

 行きたい場所があるから着いてきて欲しいと言えば、彼女は来てくれる。それだけの信頼はあると思っている。だがその先の言葉は出てこない。創造主という存在を滅ぼすことを止める、という使徒としての役目を果たそうと思っての事ではない。

 今の創造主という存在はカグラであり、カグラとは創造主でもある。ならば創造主を滅ぼす、という事は即ち、彼女自身を滅ぼすことに他ならない。

 

 だからどうした?

 

 ゼクトに元々あった人形としての自我が、フィリウスと言う存在であった自分の過去が、ゼクトへと語りかける。フィリウスは人形だ。与えられた命令をただこなすだけ。自分で考えることはせず、もしも創造主自身が自分を殺せと言ったのなら、それを成そうとするだろう。

 

 彼女に送られるのも滅びではない。救済だ。完全なる世界に送られたその魂は、最も幸福である時間を過ごすだろう。

 

 そうであると信じてきた。そう創造主から知識を与えられた。ならばどうして今、人形として此処に居るはずの自分は躊躇っている。天国とも言える楽園に送られることの、なにが間違っている。

 

「ゼクト、キサマさっきからどうしたというのだ? 言いたいことが在るのならはっきり言え」

 

 覗き込むように此方を窺うエヴァンジェリンとゼクトの視線が重なった。彼女の表情には数日前のように喪に服していた時の悲しみは無い。

 

「これからお主は、どうするつもりじゃ」

 

「……これから、か」

 

 ぐるぐると駆け巡る思考を止める。考える必要はない。考えてはいけない。思考を逸らすためにゼクトは、とりとめもない話題を出していた。

 顎に手を当てて考えるエヴァンジェリンは、ふっと笑って答える。

 

「そろそろ私も目的のために、力を入れてもいいかもしれないな」

 

「目的?」

 

 ゼクトはエヴァンジェリンの目的、生きる理由と言っていい物を知らない。生きているのだから生きたい、そう心のどこかで思っていたため、何かすべきことがあると彼女が言うのは意外に感じていた。

 エヴァンジェリンがこうして旅に出ていたのは、セランから離れるためであると言ってもいい。絆が強くなってしまう事を恐れ、またササムと同じように犯すことのないよう、心の距離を離そうとした。尤もその決意に意味は無く、心の距離も離れることはなかった。同じことをしなかったのは、エヴァンジェリン自身の成長の成果だろう。

 

「ああ。私は、人になりたい。いや、なる。そのために私は生きているのだから」

 

「……そのようなことが可能なのか?」

 

 真祖の吸血鬼という存在は、理から外れたものである。世界に存在を定着され、たとえ死を迎えても肉体は世界に残り続ける。魂の死を迎えようとも器は死なず、やがてその器は魂を持って動き出すだろう。

 創造主と言う存在はそれに酷似している。肉体が滅びようとも精神は世界に定着され、滅びることが無い。

 

「普通は無理だな。一度変質されたものをもう一度作り変えて、同じものにすることは不可能だ」

 

 たとえば、果汁で造られたジュースがある。それを加工して果実にすることはできないだろう。真祖の吸血鬼も同じで、一度人から変質してしまったものを、普通は元に戻すことができるはずがない。

 

「なら、作り変えなければいい。変質したからこそ戻れない。じゃあ変質したという事象が無ければ、そこに残るのはなんだ? そう、元々あった現物だよ」

 

「……馬鹿な、事象の消去じゃと!? 過去の改変などできるはずも無かろう!」

 

 過去に戻ってエヴァンジェリンが真祖の吸血鬼に至った時をなかったことにする。ゼクトはそう言葉から導き出す。そしてそれをエヴァンジェリンは首を振って否定した。

 

「いいや違う、戻るのではないさ。戻すんだ」

 

 自信を含んだ目でエヴァンジェリンは笑う。それは外見も相まって、子供が親に自分の夢でも語っているように見える。ただそれと違うのは、その言葉の中身は夢想のようであろうとも、実際にできるという確信である事だ。

 

「数百年前、確かに私は人間だった。なら、そこまで戻せばいい。私と言う存在を元あった状態に巻き戻せば、そこに残るのは人間であったころの私だろう?」

 

 時間操作、それ自体の魔法は確かに存在する。ただ、加速、停滞など時間軸の前に影響を出す魔法であり、決して過去に、後ろに影響を与えるモノは存在しないはずであった。そもそもエネルギーの量が違いすぎる。自身など一定の場を加速させるのと、自信を巻き込んで世界全体を巻き戻すのでは、必要とする魔力が段違いなのだから。世界の理に従う存在に、それだけの魔力を使いこなすことは不可能だ。

 しかしエヴァンジェリン、そして創造主はその理から外れた例外である。それを成すことが不可能でなくせる存在だった。

 その為に、研究を行った。過去へと巻き戻す魔法を、体内に取り入れるための方法の一つとして闇の魔法は開発された。時間を学ぶことの派生で空間の拡大、時間の停滞などの要素を取り入れた、ダイオラマ魔法球などの魔導具を造りだした。

 ゼクトはその言葉に息を詰まらせる。なぜそんなことを言うのか、そうとれる仕草を見せた。

 

 

「後は時間だけだ。必要な魔力は貯めているし、場は……まあなんとかするさ」

 

「その結果、おぬしはどうなる! おぬしの存在そのものが巻き戻されれば、その記憶は……」

 

「無くなるな。おそらく魔法を発動し終えることが、私にとっての終焉だろうよ」

 

 ゼクトの強い口調に、エヴァンジェリンは悲しげな微笑を見せる。心配してくれているのか、エヴァンジェリンはそう思ったが、無いとは言えないがゼクトにとって本質はそこではない。

 ゼクトは自分が言いようのない恐怖を感じているのが分かった。聞いてはいけない、聞きたくない。だからその恐怖を振り払うように叫んだ。

 

「それが……自らの存在を消すことに何の意味がある! 確かにそこにはおぬしが人間だった頃の肉体は残るじゃろう! だが、それだけじゃ! 死んでしまえば……存在しなくなればおぬしに価値など残らんではないか!」

 

「価値ならあるさ」

 

 ゼクトの言葉に、エヴァンジェリンは何でもないように答える。ふっと肩をすくめて笑い、言葉を続けた。

 

 

「だって、キサマは覚えていてくれるだろう?」

 

 

 その言葉に、ゼクトの躰が硬直する。儚げな表情であるが迷いは見えない。そう在ることが自然であるとでも言うように、エヴァンジェリンの言葉は続く。

 

「キサマだけではない、この世界に私が成したことは確かに残る。チャチャゼロも……私が私でなくなって、それでも『私』に着いてきてくれるかは分からんがな」

 

 たとえその存在が消えたとしても、世界に成したことは確かに残る。そうして人間に至ったエヴァンジェリンは、今ゼクトの目の前にいる者とは違う。

 その時周りにいる人たちは、覚えていてくれるだろう。世界に蓄積された記憶には確かに彼女の姿は残される。そうして何かを思うのだ。それは居なくなってしまった事への悲しみか、勝手に消えていくことの怒りか、それとも障害が一つ減ったことへの喜びか。

 『■ィ■■ス/ゼクトは』知っている。『誰かが消えていく』ことに、『消えてしまった者』に意味、価値が『■い/有る』ことを。

 

「……なんだ、それは。なぜそれが価値になる」

 

「私が歩み得た物を誰かに託すことができる。其処に悲しみなどの感情も確かにあるが、それ以上の事を伝えられる」

 

 

「ならばそれは、確かに私は価値を残せたことにならないか?」

 

 そんなこともう理解していたはずだった。人形のように、何も考えないふりをしていただけだ。エヴァンジェリンがこの世界から消えたとしても、確かに自分はその姿を覚えていて、『悲しむ』のだから。

 ふっと肩の力を抜いて、ゼクトは呟く。

 

「……そうじゃな。確かに、ワシは覚える。そして、感じるのじゃろうな……そうか、感じてしまうのか」

 

「? ゼクト?」

 

 額を掌で覆って目を抑えたゼクトにエヴァンジェリンは首を傾げる。どこか様子がおかしい、その予感がありつつも先の言葉を待つ。

 

「……はっ、はははは」

 

 乾いた笑いがゼクトの口から漏れる。

 そこに居るのは確かにゼクトと言う少年だった。たとえこの場所に来る直前で、フィリウスであったころの記憶を取り戻したとしても、誰かと聞かれたとしたらゼクトと答えるだろう。

 だからただ、人形のように何も考えなかった。エヴァンジェリンの元へと向かったのは、子供が怪我をして手当てを母親に求めるように、ゼクトも答えを求めていた。

 その答えは聞いた。砂漠の町で、手当てをされたとき、彼女が言うであろう言葉もある程度分かっているはずだった。

 ただその答えが、自分を深く抉るものであるということを。

 

 『死者に意味はある』。

 

やがてそれに至るだろうエヴァンジェリンに対して、確かにゼクトは意味があると、価値があると感じてしまった。

 

 それが最後の防波堤だった。言い訳を自分に言い聞かせることでしていた逃避も、もうできない。

 ゼクトが『フィリウス』ではなく、『ゼクト』であるが故に、崩壊は始まった。

 

 

 

「ははははははははははははははははは!! そうか、そうじゃったか! ワシが今までに『救った』者は、『救済』には、確かに意味が在ったという事か!」

 

 

 

 ゼクトは笑う。可笑しくて笑う。自分が行っていた事実が、どこまでも強大なことであるために、そしてそれを自分が行ったということに、自嘲することしかできなかった。

 フィリウスは何も知らない。だからこそ、創造主という存在の命令に何も思わず、多くの者達を『救済/■■』してきたのだ。

 子供を探すだけの依頼で、少女から貰った落書きをゼクトは嬉しいと思った。だから他者から向けられた感情に、その感情の持ち主に、価値があることを理解した。

 ゼクトと言う存在の感情の根幹に在るのはカグラの姿だ。彼女が他者を癒しているところを見ていたからこそ、砂漠の町で無抵抗の子供を嬲る男にゼクトは嫌悪感を覚えた。他者へと向けた感情に、自分に関わりのない他人という存在に、意味があることを理解した。自分が他者を害する行為を嫌悪するという事を、初めて知った。

 

 ならばそれらの存在を消すという行為が、『救済』という行為が、一人一人が持っていた価値を壊すことだとしたら。他者を害して、自らの益を得ることに嫌悪している今、その行為の事を何と言うのか。

 

 知ってはいけない。理解してはいけない。考えてはならない。

 

 崩壊を抑止していた頭の中の警告は意味を為さない。なぜなら、既にゼクトは理解してしまったから。

 

 

「ただ死にゆく運命だった子供も、両親を亡くした少女も、重傷で痛みと対峙する男も! 病魔に蝕まれ命を削る老人にも! 全て、全て、全て! 確かに意味が在った!」

 

 

 ゼクトは知っていた。そして考え、実感する。

 自分が『救済』してきた。フィリウスとして、創造主の人形として、魔法世界に還元させていた魂全てに。

 

 

「フィリウスが今まで『救済/殺害』してきた者達には、確かに価値があったのか!」

 

 

 狂ったように笑うゼクトは理解する。

 エヴァンジェリンの言った言葉は、自分が今まで殺してきた者達の存在を、意味を認めることだ。死者に価値も意味も無ければ、ゼクトに何ももたらさない。そこに意味があるからこそ、死者はゼクトに自らが行ってきた行為の『罪』を突き付ける。

 

 やがて笑い声も収まり、ゼクトは俯く様に掌を見る。何人消した? 何人殺した? その行為に対して、ゼクトは自分自身を強く嫌悪せずにはいられなかった。

 世界に魂は保管され、完全なる世界に運ばれる。だからどうした。今まで救済ころしてきた者達と、そこに繋がりのある者達に、死という現実を与えていたのは誰だ。

他者を傷つけ、その意味も分からず居た自分に、憎しみを抱かずにはいられなかった。

 

「ゼク…ト…」

 

 エヴァンジェリンはゼクトの様子に、ただ茫然とするように呟く。

 自分の言ってしまった事がそんなにもゼクトを惑わせることであったのだろうか。この世界から消えていくことを示唆した自分を、心配していたように見えた。だが、それは本当にそうだったのだろうか。そう頭の中で何度も考えても、答えは出てこない

 ゼクトは確かにエヴァンジェリンが居なくなることに感情を抱いていた。それ以上に、理解してしまう事を、考えることを恐れたのだ。

 

 

「のう、エヴァ」

 

 

 気軽いがなんの感情も籠らぬ声で、ゼクトは尋ねる。

 その瞳には瞳が宿らず、吊り上げられた口元が人形を連想させた。

 

 

「何千という人を消し、世界の多くの価値を消し飛ばした。そんな存在を――」

 

 

 バケモノ以外に、なんと呼ぶ?

 

 そう『ゼクト』は、壊れた笑みで尋ねた。

 


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