エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

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9/壊れた■■

 自分の少し先を歩き、時折後ろを見て小さく微笑むカグラが居た。

 そこはゼクトにとって昔見ていた光景であった。部族間の争いに巻き込まれ、多くの負傷者が寝かされたその街で、カグラはただ誰かを治療している。そう、ゼクトに見せている。向けられる笑顔に価値があり、そうして生きる時間に意味があることを教えるように。

 風景が変わる。それは過去の光景であり、村のはずれの土手で転び、膝から血を流して涙を目尻に溜める子供が居た。気が付けばゼクトの周りには誰もおらず、本来ならばそこに居たカグラの姿も見えない。ただ痛みに耐えるその子供の傍に、ゼクトは寄った。

 一言、治療の魔法を唱える。その光景でそれを行っていたのはカグラだった。それでも、同じように怪我は治り、きょとんとしたその子供は傷を治してくれたゼクトに笑みを向けた。ありがとうと、頭を下げる子供の言葉に、ふっとゼクトも笑みを作る。

 

『ゼクト』

 

 カグラの声が自分の名前を呼んだ。ふと顔を上げて後ろを振り返る。

 

 風景は変わる。

 

 そこもやはりゼクトにとって見覚えのある街であった。決して裕福な者達が住む場所ではなかったが、誰もが下ばかりを見て過ごしているわけではない。

 遠くに見えたのは獣人の少女であった。柔らかい毛並みは少女が虎の獣人であることを表しており、その姿にゼクトは見覚えがある。その少女はゼクトの傍に歩み寄り、首から下げられた画板から紙を外すと、それをそのままゼクトに差し出した。ゼクトが受け取ると少女の顔は花のような笑顔を見せた。

 その紙に描かれていたのは、自分が嘗て受け取ったものと同じであり、ゼクトは再度その少女に視線を戻す。

 そっとその少女の頭を撫でた。驚いたのもつかの間、少女は気持ちよさそうに目を細めて猫のように喉を鳴らした。そんな光景を、『ゼクト』は価値が在るモノであると感じていた。

 自分でも、カグラのように誰かから笑みを向けられることが在る。それをカグラは見ていてくれただろうかと、ゼクトは顔を上げて探そうとした。

 

 瞳に何も映さない、無機質な表情の少年が、そこにいた。

 

 手に在るのは、星を模した黒い杖。そして唱えようとしているのは、何千何万回も唱ええたその呪文。

 

「――――っ! やめ」

 

『リライト』

 

 

 無音の空間にその声は透き通ってゼクトの耳へと届いた。

 何度言ったのか、思い出すのが困難なほど呟いたその呪文は、ゼクトの目の前に居たはずの少女をあっけなく消し飛ばす。何が起きたのか分からない、そんな表情のまま少女は跡形もなく消え去った。

 

 

『意味のない理想、意味のない者達。思い出せ『フィリウス』。おぬしにこんな夢を見る資格があると言うのか?』

 

 

――――――

 

 

 樹の峰にもたれかかるように座り、目を閉じていたゼクトは、フィリウスという幻覚から目を覚ます。額に触れた手には汗が在り、寝ていただけにも関わらず、窒息から解放されたように息を荒くして吐き出した。

 夜に浮かぶ月の光は眩しく感じ、ゼクトは暗い闇の中に視線を戻す。そしてぼんやりと脳が闇の中に幻影を浮かばせた。見ていた夢はどこまでも優しいものであったはずなのに、ゼクトは考えることを止めていた。

 

 どうして、こうなってしまったのか。人形でいられればよかった。何も考えずに居られれば、自分はまた気楽な旅を続けていたのだろう。

 

『でも……それでもキサマはゼクトだろう?』

 

 ゼクトがエヴァンジェリンに問いたとき、彼女はそう答えた。

 狼狽えたような表情でそう彼女が言葉を出せたのは、単に彼女の歩んできた『人』生で、開き直って歩いてきたからだ。

 

『私が止めろと言っているのにチャチャゼロと勝手に暴れて、夕飯のおかずを取り合って、それでも価値について考えて、私に迷惑かけてばかりだったけれど』

 

『それでも誰かを救って、感謝だってされたじゃないか』

 

 そうエヴァンジェリンは力のない声で言う。彼女は記憶を失う前のゼクト――フィリウスが何をしてきたのか知らない。それでも多くの命を奪ったのだと察することはできた。

 ゼクトに何を言えば良いのか、エヴァンジェリンには分からない。彼女は『バケモノ』にならないために、今まで人としての道を歩いてきたのだ。そこから外れた者は例外なく敵対してきた。ならば罪人に、かける言葉などエヴァンジェリンには持ち合わせていなかった。

 

『私の知っているゼクトはバケモノじゃない! 間違ってしまったならやり直せばいいだろう! だから!』

 

 一緒に行こう、一緒に探そう。

 そう言って彼女は手を差し出した。

彼女自身今のゼクトを放置することは考えられず、彼が迷っているのなら、彼自身が否定しても彼女だけは肯定するだろう。

 かつて彼女には、自分の道を肯定する者は誰も居なかった。真祖の吸血鬼と言う存在であるからこそ、本当の意味で肯定できる者などおらず、手を差し伸べる者さえもいなかった。彼女の友人であったセランとササムも、彼女が手を差し伸べられる必要が無くなった時、ようやく出会えた者達だった。

 彼が必要としているのは肯定だ。そう考えてエヴァンジェリンは手を差し伸べた。

 

 

 だがゼクトはその手を取らず、こうして一人で彷徨い続けている。

 

自分は、フィリウスはバケモノだった。何も知らず何も分からず魂を狩って。その行為の意味を知れば、その罪はその身を押し潰すかのようにのしかかる。

 だからこそゼクトは直面しなければならなかった。創造主から出されていた使命も、カグラから与えられた役目も、気が付いてしまえば目の前に問題として映し出されてしまう。

 

 なぜ?

 

 なぜ自分がこうして考えて、悩んで、歩み続けなければならない。

 

 元々自分は創造主の人形で、人形として動く以外の事を教えられたのは自分の意志ではない。どうして自分は…………

 

「……なにが、使命じゃ」

 

 呟いた言葉は誰に行ったわけでもなく、夜の闇の中に消えていった。

 自分は何も知らないからこそ、創造主の使命を成すことができた。自らの手では行わず、自分に多くの魂を狩ることを行わせてきた。

 

「考えろ? ……何を?」

 

 それはかつての町でカグラがゼクトに言った言葉だった。

 カグラが自分に考えることを求めたから、自分はこうして考えなければならない。自分の根幹に居る二人の存在が、ゼクト自身を締め付ける。

 ならそこから解放されるにはどうすればいい? 根幹に存在する彼女たちが居るからこそ、自分は今こうして確立されている。

 

 世界の全ての救いを求めたからこそ、創造主によってフィリウスは生まれた。

 人形に意志を求めたからこそ、カグラによってフィリウスは存在していた。

 共に歩み世界を見たからこそ、エヴァンジェリンによってゼクトは生まれた。

 

 ならば、自分が行う事など、決まっているではないか。

 

 

「随分な面をしているようだな。あの吸血鬼と別れたという事は、そろそろ自分の役目を思い出したのか?」

 

 

 気配は辺りに存在していなかったはずなのに、その言葉と同時に現れたその存在は、ゼクトが見上げた木の枝に腰掛けるように座っている。何もなかったところから何の前触れもなく表れたその存在に警戒しないわけがなく、身構えたゼクトはその姿を視界に入れた。

 黒いローブは認識阻害の魔法がかけられており、顔まではっきりと見ることはできない。だが小物を飾り付けた人形のような服装や長い金の髪は隠れておらず、また体の大きさは10にも満たない子供の様だった。

 同じ姿を砂漠の町で見たことが在る。そのときは自分の事を人形と呼んでいた少女――ネージュであったが、今考えれば魔女という名が妥当なものだと分かる。

 

「……魔女か、余計な世話は要らん」

 

「キサマに無くとも私にあるのさ。何しろキサマを送らなければ世界が滅ぶとのことだからな。余計な時間は省くべきだろう?」

 

 ふわりと魔法によって重力の制御をしながら下りたネージュは、フードの下で笑みを作り出す。ゼクトよりもその背丈は低いはずだが、その態度や雰囲気が子供ではないという事を実感させた。

 この少女が自分の前に来た理由がゼクトには分からない。カグラの知り合いらしい、と言うだけで一度しか会った事のない相手を理解することなどできるはずがない。

 

「なあ、分かっているのだろう? カグラが何をキサマに望んでいたのか。さて、答えを聞こうか人形……いや、フィリウス」

 

 どうするのか、自分がなぜエヴァンジェリンと別れてこの場所に居るのか。カグラが本当は何を望んでエヴァンジェリンの元に送り、何を自分に思わせたかったのか。

 

 

「ああ。あの女は、カグラはワシが殺す」

 

 

 何の迷いすらなく、ゼクトは自らの根幹である存在を殺すと、ネージュに伝えた。

 ほう、とネージュは感心する。少女自身もなぜカグラが自らの死を望んでいるのか知っているからだ。

 カグラの躰に創造主が居るのは、カグラ自身が創造主になることのできる素質が在ったからだ。だが、その彼女自身を殺してしまえば、創造主はまた復活するまでに時間を掛けなければならない。

 そして今創造主を止めなければ、魔法世界の終焉までに到達してしまうだろう。

 

「いいのか? キサマ等にとって死は完全なる世界への道筋にすぎんが、キサマにとっては永遠の別れに成るのだぞ?」

 

 それはゼクト揺るがそうとしている少女の悪戯でもあり、親切心でもあった。ネージュにとってこの世界などどうでもいい。ゼクトがカグラを救いたいと言うのなら、それを選ぼうとすることを愚かと言う事は無いだろう。

 カグラと別れる時、何らかの情がゼクトにあったことをネージュは全てではないが理解している。

 

 

「それが、どうした?」

 

 

 ゼクトの表情は変わらない。自分と共に居た存在を殺すという事に、何の感慨すら表情に浮かべていない。

 流石にこれにはネージュも眉をひそめた。自分の想像していた状態ではないか判断するため、ゼクトの言葉を待った。

 

「殺されることを彼女が望んでいるのじゃろう? ならば殺そう。それが彼女からの命令ならワシが断る理由は無い」

 

「……命令、ね。おいおい、カグラを殺す理由が、そんな人形のようなものでいいのか?」

 

 口調は軽く見えるものの、フードの下にある少女の瞳は、何も笑っていなかった。

 ゼクトはそんなことには気が付かない、ネージュの言葉を聞いて表情を歪ませると、拳を自分の隣にあった木へと叩きつけていた。

 

 

「何が理由じゃ、何が人形じゃ、ワシを人形で無くしたのは、あの女ではないか!」

 

 

 叫ぶように言うゼクトの言葉は、ネージュには悲鳴のようにも聞こえていた。先ほどゼクトに会った無表情は崩れ、怒りで泣き出しそうなほど表情を歪ませている。

 

「何のために知らせた、何のために考えさせた、そんなことを教えてくれと誰が頼んだ!全てあの女が勝手にやったことじゃろう!」

 

 カグラが多くの人を救い癒し、感謝や笑みを向けられていることを知り、それに憧れさせた。だから『カグラの言った、英雄であるゼクト』という理想を造りだした。

 

自分のやったことがどれだけの価値を壊してきたか理解してしまった。だからこそ自分は『ゼクト』に成れないという現実を突き付けられた。

 

 ならば自分は何を考えればいい? 何千という魂を狩り、多くの者に在った筈の価値を消した事実を受け止めて、何を思えと言うのだ? 自分は理想に成れないと言う現実を突き付けられて、過去と言う負債を払えばいいのか? 人を消す前に感じていた多くの憎しみや悲しみの意味を、全て理解しろと言うのか?

 

 

 自分には罪があった。なぜ、それを理解させた。

 

 

「人形であれば考える必要も理解する必要もなかった! あの女がワシに言い培ってきた全てが、『ゼクト』の根幹だ! だから――」

 

「何も考えぬ、人形へ戻るために殺す、か」

 

 

 少女はゼクトの言おうとしていた言葉の続きを呟いた。

 そうして少女はゼクトを理解する。彼はもう人形としても人間としても、身動きすることができなかったのだ。

 人間としての情を理解させてしまったから、人形としての使命すら果たすことができない。人形だったときの業が在るからこそ、人として彼は歩むことができない。

 理想と言う夢へと歩む資格すら無くして、失意の中で絶望し、人形としての使命に嫌悪感を覚え、過去の自分に憎しみすら覚える。そんな精神状態が、まともであるはずがない。

 

 彼は壊れたのだ。

 

人間としても人形としても、だからこそどちらかに安定させようとしている。何も考えない、人形と言う存在へと。

 だから壊すのだ。彼の理想である『ゼクト』を、そのイメージを作らせた存在を。人形以外の事を伝えた存在を殺し、考えることを止めるのだ。

 

「それの何が悪い! 元々ワシはそのために造られた! 人形が己の存在意義を成そうとして、何が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「もういい」

 

 

 

 かち、という時計の音がゼクトの耳まで届いていた。そしてその瞬間に、ネージュの姿はゼクトの目の前に来ていた。

 棒立ちのまま辛うじて見えたのは、その魔女の白い掌だった。顎を狙ったその掌打を反射的に首を動かすことで回避すると、次の瞬間には地面が無くなったように身体が放り出されていた。それを自分が投げられたと理解するまでには、受け身を取れず背中からの衝撃が来るまでの時間が必要だった。

 

「っ!? 何を……っ!」

 

「氷槍よ」

 

 ほんの一言、ネージュが呪文を呟けば、その手には中級呪文である氷の投擲が造られている。

 魔法障壁で防ぐかそれとも……。この距離では多重の魔方障壁を張ることは難しいが、絶対防御に近いそれは、たとえ魔方陣の数が少なくとも抜けられるわけがない。万一抜けられたとしても、自らの腕で止めればいいだけだ。

 

「召喚!」

 

 そう論理的な思考はゼクトへと言っているにもかかわらず、取った行動は勘に促されるまま回避することだった。そして同時に創造主の使徒が扱う武器を召喚する。

 創造主の掟、鍵を模した黒い杖は何度も自分の魔法の補助として、また魂の収集のために使われてきていた物だった。これを起動させるために数秒すら必要ない。ただ、全ての魔法を無にするその言葉を唱える。

 

 

「リライト」

 

 

 瞬間、ゼクトが座標として見ていた地点、すなわち魔女のいた場所に爆発の様な強い光が現れる。魔法世界の生物を全て分解し在るべき姿に戻すその術は、その光に包まれた地点にあった動植物全てを分解した。

 絶対的な何かがそこに居て、殺されると言う恐怖。本来感じるはずのない絶対的な強者であるゼクトが、自らの存在を脅かされたことによる障害。そしてその恐怖は、理を無視した呪文によっても消えていないことを、すぐ近くに現れた気配が教えていた。

 

 

「馬鹿曰く、それは避ければなんの問題も無いらしい」

 

「なっ!?」

 

 

 かち、という音と共に横から現れたのは、何の傷すらもない魔女が此方に向かっている姿だった。

 ゼクトが選択したのは、体術による迎撃。ゼクトの手に造られた拳は、何処に当てても致命傷に成りうる力を持っており、それは確かに魔女に向けられていた。

 それを魔女は軽い動作で掴んでいなし、向けていたはずの拳は地面に下され、無防備な腹が魔女の目の前に現れる。そして地面にひびが入るほど踏み込んで、掌打をそこに打ち込んだ。

 弾丸の様な速度で木々をなぎ倒しながら吹き飛ぶゼクトを、魔女の影は追う。身体の痛みに耐えながらも目を見開いたゼクトは、吹き飛ばされながらも呪文を唱えた。

 

「……咎めの風よ、縛れ!」

 

 唱えるのは風系魔法最上級呪文である千の雷。吹き飛ばされるさなかで体勢を直し木の上に飛び乗ったゼクトは、箒も使わず空を飛ぶその魔女を捕捉する。そしていずれ魔女が通る地点へと、遅延魔法を発動した。

 魔女が宙を飛び、現れたのは宙へと現れる魔方陣だった。風を操って造られた空気の台座、その上に仕掛けられた魔方陣より風の鎖が現れ魔女を縛る。風系統の拘束陣、本来ならば出来損ないと呼ばれるその呪文は、世界最上級の力を持つゼクトが使えば、一瞬だけだが足止めも可能だった。そして十数秒もたたぬ内の攻防で、その一瞬は十分な時間だった。

 

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト! 契約により我に従え高殿の王(来れ 深淵の闇燃え盛る大剣) 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆(闇と影と憎悪と破壊復讐の大焔) 百重千重と重なりて走れ稲妻(我を焼け 彼を焼け其はただ焼き尽くす者)!」

 

 風系統最上級呪文、千の雷。そして遅延呪文として同じく最上級呪文である奈落の業火も並列して詠唱した。

 本来一つの得意属性魔法に絞っても発動できない最上級呪文を、ゼクトはたった一人を消し飛ばすために発動する。ゼクトの予想が正しければ、それでは足りない。それでは殺せない。嫌な予感よりも早く、その詠唱は魔女の口から洩れていた。

 

「リク・ラク ラ・ラック ライラック 契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしえのやみ、えいえんのひょうが 全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也。 」

 

 こおるせかい。半径30フィート全域を凍てつかせる氷系統最上級呪文。同じ位の呪文同士が衝突した波動は辺りを吹き飛ばし、嵐のような暴風がゼクトの身体を揺さぶった。威力は拮抗、だがそこにゼクトは唱えていた遅延呪文を発動した。

 

「千の雷! ……解放、奈落の業火!」

 

 拮抗していたその魔法の衝突を、二倍に押し込もうとゼクトは魔法を解放する。そして爆発が起きて視界が――

 

 

 目の前に、ネージュが居た。

 

「――ッがっ!」

 

 転移魔法の前兆すらなく、何の予備動作をしていなかったゼクトの首を少女は捉え、その小さな手で締める。喋ろうと吐き出そうとしていた息が肺を痛めた。常人ならば首の骨どころか胴体から千切れて飛んでいるだろう力を、ネージュは手に込めていた。

 呪文を唱えることすらできず、両手を自分の首を絞める少女の手へと持っていき、外そうともがいた。だが首を掴んで宙へと持ち上げる少女の手は、微塵も動かなかった。

 

「っ…!」

 

「……これが、あの馬鹿の希望だと? こんなモノにあの馬鹿は自分の全てを賭けたのか?」

 

 表情を歪め歯ぎしりをひとつして、少女はゼクトを睨みつける。フードの下には少女の苛立った表情があった。

 

「九十九の救いから一へと弾かれ救われず、もがいた結果がコレか。 ……ふざけるな。こんなモノのために、あの馬鹿は託したわけじゃない。全て失い、そこから築いたものも無くし、それでも継ごうとしたものが、キサマの様な人形で在ってたまるものか」

 

 少女の言っている意味がゼクトには分からなかった。自分が居なければカグラを殺せないのなら、殺されることは無いだろう。そんな風に沸いてくるはずの逃げの思考さえも浮かばせず、化け物の腕力で掴まれたその腕は解けようとはしなかった。

 少女の空いた片手に魔力が集まり、それはやがて剣の形となって手に収まった。『断罪の剣』、本来エヴァンジェリンがオリジナルで造りだしたはずのその魔法を、何の詠唱すらせずに少女は造りだした。

その剣はゼクトへと向けられている。生物が誰もが持つ根源的な恐怖が、ゼクトの視界を真っ赤に染めた。

 

 

「死ね。キサマでは『この世界のゼクト』には成り得ん。あの馬鹿がキサマに殺されるぐらいなら、私がこの手で決着をつける。だからキサマはここで死んでいけ」

 

 

 自分は、この光景を今まで与えてきていたのか。

 魔女の腕が振るわれる。当然それに追従する様に、断罪の剣はゼクトと言う存在を消し飛ばそうとした。

 

 瞬間、小さな影がその二人の間に飛び込んだ。

 

 

 

「ケ、ケケケケケケケケケケケケケケケケケケ!!!!!」

 

 

 

 狂ったような笑い声がゼクトの耳に届く。眼を見開いた瞬間、シャワーのように自分へと振り掛けられた血が視界を真っ赤に染めた。魔女の身体を大きく裂いたその一撃は斬魔の太刀。体格の違いから刀に振ら回さるように動くチャチャゼロは、構えたまま肩越しにゼクトを見た。

 

「イヨォ糞ジジィ! 随分ト面白イ事シテンジャネェカ! 水クセェ事言ワネェデ俺様モ混ゼロヨ!」

 

「けほっ……チャチャゼロ、おぬしなぜ此処に……」

 

 呆けたような表情のゼクトをけたけたとチャチャゼロは笑う。片手を抑えるネージュを油断なく見据え、殺人人形の如く身体を赤に染めていた。

 

「何故モ糞モネェヨ! 御主人ガ行キタイッテ言ウナラ付イテ行カナキャナラネェノガ従者ダロウガ! アア面倒クセェ!」

 

 従者、そしてその主が此処に行きたいと言っていた。ならば彼女は間違いなくここに来るだろう。

 何故、そう思うと同時にゼクトは安堵した。

 

「っ!」

 

 しかしそれは後悔にも繋がった。エヴァンジェリンを切り捨てたのは自分であり、既に道は分かたれたはずだった。

 安堵もいらない、後悔もいらない、人形にそんな物は要らないとゼクトは理解していたはずだ。それでも、その場を離れようとはしなかった。

 

 

「ゼクト!」

 

 

 自分が必要としてなかったはずの、その声が聞こえた。

 ほんの少し前に分かれたときと同じ、ローブと黒を基調としたゴシックロリータの洋服を纏った彼女は、息を切らしてその名前を呼んだ。

 

「サッサト御主人ト話シテコイ馬鹿ジジィ。ソレデモマタ一回ソノ面ヲ見セタラ、御主人ガ何カ言ウ前ニ殺シテヤルヨ!」

 

 そう言ってチャチャゼロはエヴァンジェリンに渡された魔力を体に張り巡らせ、人形である自身の身体を動かした。

 瞬動に近い高速移動術でネージュに接近し剣を振るう。障壁を無として扱う斬魔剣二ノ太刀。チャチャゼロはまだ元々の魂の主の様に扱えず、単なる斬撃として振り下ろした。対してネージュは面倒だと言わんばかりに、懐から出した鉄扇で軽くそれをいなす。

 

「人形か……邪魔をしてくれたな。キサマの目的は、と言うのは聞くまでもないか」

 

「ケケケ『吸血鬼』ッテノハドイツもコイつも同じようなことを言いやがる」

 

 チャチャゼロが誰かを斬ることに深い理由は無い。ただ自分の根源にある衝動に従い、その剣を振り回しているだけだ。

 けたけたと人形が笑う。表情を変えず音を鳴らす殺戮人形に、ネージュはわずかながらに顔を歪めた。

 

「テメェハ吸血鬼ダロウ!? 魔ダロウ!? ケケケケケケ、ダッタラ刈ラセロ! ソノ首、此処デ俺ニ刈ラセロォ!」

 


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