ちょっとどきどき。プリンツはアパートの階段をのぼりながら胸に手を当てる。
「っと、ここだよ」
階段を登り切り、通路を少し歩いてウィリアムは歩みを止める。
一つの扉。ここが、
「……じゃ、じゃあ、入るわよ」
「お、お邪魔、します」
「渋ってた僕が言うのも変かもしれないけど、なんでそんな緊張してるの?」
苦笑しながらウィリアムは扉を開けた。
「結構広いんですね」
「まあね」
あまりものはない。整えられていることもあり、どこか閑散とした印象の部屋。
「リビングと、あと、僕の寝室と、」
もう一部屋。
「妹の部屋。……まあ、空き部屋だから使ってよ」
「私は、う、ウィルの部屋でもいいわよっ」
「そういうわけにはいかないよっ」
むぅ、と唇を尖らせるビスマルク。
「大丈夫ですっ、私は、……攻めますっ!」
「なににっ?」
拳を握るプリンツに応じ、ウィリアムは肩を落とす。
「ま、……ともかく夕食、ちゃちゃっと作っちゃうよ。
待っててね」
「はーい」「ええ、わかったわ」
ともかく、ウィリアムに言われた部屋へ。
「兄さまの、妹さんの部屋、ですよね」
「ええ、……といっても、ずっと病院にいたみたいだけどね」
だから、妹の部屋、になる予定だった部屋。なのだろう。
病院にいたのなら、いつ退院するかわからない。退院したら帰る場所が必要になる。ここは、その場所。
だから、使われている感じはない。いくつか、最低限の家具があるだけ。最低限の家具、と。
「彼女、ね」
一枚の写真。写っているのは四人。黒髪の女性、大人の男性。
そして、満面の笑顔を浮かべる少年と少女。
「この娘が、メアリ、さん」
「そうよね」
満面の笑顔。とても、楽しそうに笑う少女。
「うー、……き、綺麗です」
「そうよねえ」
快活な笑顔の、綺麗な少女。
本当に楽しそうな、家族といる事が出来て、幸せそうな笑顔。いいなあ、と。素直に思う。
「ウィルは、……まだ、彼女の事を引きずっている、のかしらね?」
ぽつり、呟くビスマルク。おそらく引き摺っているだろう。
空き部屋とは思えないほど、綺麗に掃除され、整理された部屋。
「忘れるわけなんて、ないと思います」
プリンツは応じる。ウィリアムの優しさは知っている。彼が、喪った妹の事を忘れるとは思えない。
まだ、胸に自責を抱えているかもしれない。…………けど、
「それでも、兄さま。笑ってくれています。
だから、私は傍にいたいです」
まるで、宣誓するように、
あるいは、宣戦布告をするように、
プリンツは写真の向こうで笑う少女に告げた。
「…………え? ど、どうしたの?」
「……し、失敗したわ。
ウィルの部屋に入れるって、興奮してたら、」
「じゅるり」
崩れ落ちるビスマルクと、目を爛々と輝かせるプリンツ。反応が分からず固まるウィリアムは、とりあえずハンバーグを盛り付ける。
「兄さまの、……エプロン」
「あ、うん」ウィリアムは振り返り「服が汚れるのもなんだからね。変じゃない?」
調理する必然性から、特に何も考えず選んで買った。その言葉にプリンツはとろんとした目で、
「兄さま、……素敵、です」
「へ?」
気楽な問いに帰ってきたのは思わぬ称賛。きょとんとするウィリアム。
「あ、……あ、じゃ。じゃなくてっ! ええと、…………に、兄さま、あの、……お、お嫁さんのために、ご飯を作ってくれる、優しい旦那様、みたいだなあ、…………って」
出会った場所。基地でもウィリアムは嬉しそうに調理をしていた。とはいえ、そこは基地の食堂。優しい提督という以上の印象は持たなかった。
けど、ここは普通の家庭の、普通のキッチン。
家族、とその枠組みを考えれば、夫婦。と、そう思えて、
「プリンツは、……すてきな旦那様を持てて、幸せです」
「展開早いよっ?」
いきなり結婚を吹き飛ばしたプリンツの妄想にウィリアムは声を上げる。そして、
「で、ビスマルクはどうしたの?」
「…………は、裸エプロンの覚悟、してたのに」
「そんな覚悟そこらへんに捨ててきていいよ」
とりあえず朝食も自分が急いで作ろう、と。ウィリアムは決意した。
「ま、基地にいた時より簡単なものだけどね」
あの基地は元々、ドイツ軍からの補助があり、食材、調理器具の幅は広く、量も十分にあった。だから食材を選んで、という事はあまりなかった。
けど、ここは違う。ウィリアムが一人で暮らしている一室。そこまでの食材はない。
けど、…………
「そうかもしれないわね。
けど、私はこういうのも好きよ」
ビスマルクは嬉しそうに食事に取り掛かる。確かに基地にいたときほど潤沢な食材があるわけではないが、だからこそ、ウィリアムの個性が出る。
生活感のある手料理。そう思えば悪く思えるわけがない。プリンツも同感なのか嬉しそうに食事に取り掛かる。
「美味しいですっ! 兄さまっ」
「ん、ありがと。……いや、ちょっとほっとしたよ。
やっぱり基地にいた時みたいにはいかなかったし、うちに来るとは思ってなかったからあんまり物もなかったしさ」
「ウィルはいつもこんな感じで食べてるの?」
「そうだよ」
頷く。ビスマルクは嬉しそうな笑顔。
「ビスマルク?」
「ん、……ふふ、何でもないわ」
口元が緩む。自然と、笑みが浮かんでいるのがわかる。
ウィリアムの普段の食事。それを一緒に食べる。
家族、と。そう思えたから。
「兄さまと一緒にご飯っ、これはもうっ、兄さまの家族ですねっ!」
びしっ、と親指を立てるプリンツ。ビスマルクも頷いて、
「ええ、そうね。……ふふ、私がウィルのお嫁さんで、プリンツは二人の妹ね」
「わ、私が兄さまのお嫁さんでっ、姉さまは姉さまですっ!」
「……ふ、ふふ、言ってくれるわね。妹」
「はい、もう、どんどん言っちゃいます。姉さま」
「お、おーい」
割と真面目に睨みあい始めた二人。ウィリアムは恐る恐る声をかける。
「な、仲良く、仲良く、ねっ」
「ええ、そうね」
中途半端な笑顔で宥めにかかるウィリアムに、ビスマルクは頷く。
「プリンツは私の可愛い、大切な妹よ。
けど、たとえ相手がプリンツでも、決して負ける事が許されない戦いがあるのよっ!」
「そうです、兄さまっ!
この戦い、プリンツは絶対に負けませんっ! たとえ相手が敬愛する姉さまであろうともっ!」
「お、……おーい」
立ち上がり睨みあうプリンツとビスマルク。
「二人とも、食事中だよ」
「「はーい」」
一言で二人は仲良く声をそろえて素直に腰を下ろす。その、なんだかんだで仲のいい行動に、ウィリアムは自然と微笑。
「ウィル?」
「いや、やっぱり仲いいんだね。二人って」
「もちろんですっ! 私はビスマルク姉さまの事、大好きですっ!
あ、同じ好きでも、兄さまに向けるのとは別ですよ?」
「あ、……う、うん」
割と露骨な言葉とはにかんだ微笑を向けるプリンツに、ウィリアムは困ったように応じる。
そして、そんな甘い雰囲気に力づくで割り込むビスマルク。隣に座るプリンツを抱き寄せ、そのまま押し倒して爆沈。
「ふぁーっ」「ひゃーっ」
椅子から転がり落ちた二人が変な悲鳴を上げる。食事中に暴れるのはさすがにどうかと思う。けど、
「ぷっ、……ははっ」
睨みあったりけん制し合ったり転がりまわったり、……けど、結局は仲のいい二人に、ウィリアムは思わず声を上げて笑った。
ビスマルクが出て、プリンツが出て、……ウィリアムは入浴を終えてリビングへ。
さすがに入浴中に突撃してくることはなかったらしい。内心で安堵。
もっとも、さすがにそんな事はしないか、と。苦笑してリビングに戻る。
さて、話をしておこうかな。
「ごめん、おまたせ、二人とも」
「ぜ、全然、大丈夫ですっ!」
なぜか顔を赤くしたプリンツがふるふるする。ビスマルクは、ほう、と一息。
「ウィル、やっぱり眼鏡は掛けないべきよ」
「え、そうかな?」
「…………い、いえ、ちょっと待って。
確かに眼鏡をかけてるウィルも格好良かったし、……」
「兄さまと同棲すればどっちも行けますねっ!」
「それもそうねっ」
もちろん、そんな事は無理だとわかっている。
ウィリアムはLHOSの都合でHLにいる。自分たちは軍の都合で、明日にはドイツに戻る。
けど、一時のお別れはもう一度したこと。そして、また会えた。
だから、
「ウィルと同棲。…………ふふ、ウィル。私は主婦でもウィルが主夫でもどっちでもいいわよっ」
「そ、それは悩みますっ!
お仕事終わって帰って、兄さまにたくさん甘えるのもっ、お疲れして戻ってきた兄さまにたくさん甘えてもらうのも、魅力的過ぎますっ!」
「あ、あははは」
テンションが妙に高くなる二人。ウィリアムは困ったように微笑む。一息。
「ま、そんな楽しい妄想はいいとして、少しお茶にしましょう。
ウィル、私とプリンツで作ったお菓子よ」
「うん、ありがと。……へえ、可愛く作ってあるんだね」
丁寧にデコレートされたお菓子を見て感嘆の声を上げるウィリアム。プリンツも胸を張って「ミシェーラも、美味しいって言ってくれましたっ」
「ええ、期待しなさいっ」
「うん、じゃあ、いただきます」
期待と不安を見せるプリンツとビスマルク。一口。
「思ったより甘さ控えめだね。…………うん、僕はこういう方が好みだな。美味しいよ」
ぱんっ、と手を打ち合わせるプリンツとビスマルク。ウィリアムは紅茶を一口。
「ビスマルク、プリンツ」
「え?」「ふぁい? 兄さま?」
「ありがとう」
不意に告げられた感謝の言葉。二人は首を傾げて、微笑。
「こんな僕の事を、好きって言ってくれて、ありがとう。
どちらかを選べ、なんて言われるとまだわからない。けど、僕も二人の事、好きだよ」
告げられた言葉。一瞬、硬直。……その意味をじわじわと理解する、と。ともに、
「は、はわわわわ」「わ、……あ」
顔を真っ赤にして頬を抑えてふるふるし始めるビスマルク。固まったまま、じわじわと顔が赤くなるプリンツ。
だから、
「だから、二人が僕の事を好きだって言ってくれて、嬉しい。
けど、…………ごめん。僕の思いが、二人と同じか、わからないんだ」
「同じ?」
「僕は、……うん、二人には失礼な話だけど。
どうしても、妹がいて、ね」
困ったような微笑み。ウィリアムは紅茶を一口。
「泣き虫だった僕の手を、いつも引いてくれた。お兄ちゃんって呼んでくれて、僕の事を気にかけてくれた。……二人みたいに、ね」
だから、
「もしかしたら、僕は二人と、妹を重ねてみているのかもしれない。
二人の事、僕は好きだよ。けど、……それが、妹に向けていたものなのか、それとも、女性として、なのか、よくわからないんだ。……その、僕もこういうの初めてだから、なかなか、整理できなくて」
ウィリアムは困ったように微笑む。
「だから、ごめん。二人の思いには、ちゃんと応えられない。と思う」
ごめん、と、もう一度告げるウィリアム。けど、
確かに、失礼な話だと解ってる。
女の子が精一杯思いを告げて、それなのに別の女性の事を思っていたのだから。…………けど、
「ぷ、プリンツっ? あ、あの、……ええと、ほんとごめんっ、えと、し、失礼だよねっ、そういうのっ」
大慌てで声をかけるウィリアム。
……そこで初めて、プリンツは自分が涙を零している事に気が付いた。
「あ、……う、ううん、ち、違うん、です。
そ、そうじゃなくて」
ぽろぽろと涙を零すプリンツ。ビスマルクは微笑み彼女を抱き寄せる。
きっと、自分と思いは同じ、なのだから。
「嬉しいのよ。今まで、私たちの思いを伝えてきただけ、だったでしょ?
だから、ウィルからもちゃんと思いを伝えてくれて、……それが、すれ違っていたとしても、ね」
それでも、ちゃんと自分たちの思いにこたえてくれた。それがうれしい、と微笑むビスマルク。
プリンツも、ビスマルクの胸に抱かれて頷く。
「そっか、…………」
だから、ウィリアムは手を伸ばす。プリンツを丁寧に撫で、ビスマルクに優しく触れて、
「遅くなっちゃったね」
「う、……ううん、い、いい、ですぅ。
兄さまに、ちゃんと応えてもらえて、……それだ「そうね」」
十分、と、その言葉はビスマルクにさえぎられる。不思議そうに見上げるプリンツにウインク一つ。
「遅すぎるわよ。ウィル。
だから、一つ我が侭を聞いてもらうわ。女の子の、精一杯の気持ちをここまで引き延ばしたんだもの、拒否権はなしよ」
で、その我が侭。
「こ、……えーとお。こ、これはさすがに、恥ずかしい、な」
ウィルが呟く。応じるのはプリンツで、
「わ、私も、これは恥ずかしい、です。……うう、なんか、レーベたちに負けた気分」
「どういう意味?」
声は耳元から、すぐ近くに、顔を真っ赤にしたプリンツがいる。
「いいじゃない、ほら、少しくらいは甘えても、ね?」
「甘えても、……って」
ビスマルクの我が侭は一緒に寝る事。……もちろん、それだけでもいろいろ不安があった、が。
「といっても、……あの、ち、近い。っていうか」
一度、ビスマルクと同じベッドで寝たこともあった。少なくとも寝たときは軽く手をつなぐだけだった。
けど、今は違う。備え付けである一人用の、決して広いとは言えないベッドに無理矢理三人。
当然、左右の二人、ビスマルクとプリンツは中央にいるウィリアムに半ば抱き着くような形になる。お互い、いろいろ大変、だけど。
ウィリアムは、仕方ないか、と。
「あ、……う」「あの、兄さま?」
「なんていうか、……いろいろごめんね。巧くできなくて。
けど、」
丁寧に、優しく二人を撫でる。大好きは彼と一緒にいる事に、少し硬くなっていた二人は一息。ゆっくりと、力を抜いて、
「ありがと。……好きだよ。
ビスマルク、プリンツ」
優しく聞こえた言葉に、ゆっくりと目を閉じた。