比翼連理 作:風月
牛金が陳留に戻ってから、だいたいの話を聞いた曹操はすぐさま曹仁を使いに出した。荊州に情報を集めに行っている
それから二週間ほどで、荊州に情報を集めに行っていた珊酔が曹仁と共に帰還する。
相当無理をしてきたのだろう、二人とも土や草で汚れた服に、疲労の濃い表情だった。珊酔は曹仁だけ休むように指示をし、自らは服を替えた後に、曹操と共に足早に牛金の私室へ向かった。
重傷を負った牛金は、戻ってからずっと与えられた部屋で療養を続けている。部屋の前に立った珊酔は、主が起きているかどうか確認するために、まず握った手で扉を2度ほど叩いた。すると、すぐに中から間延びした女の声が聞こえた。
「はーい」
「俺だ。華琳もいる。入っても大丈夫か?」
「あ、犬野っち帰ってきたんだー。どうぞ」
殺風景な部屋の中に入ると、奥の寝台に枕を抱えて寝そべっている黒髪の美女がいた。体中に施された治療の跡が痛々しい。上半身をぐるぐる巻きにしている包帯は、背中部分が血が固まって黒く染まっていた。
「ごめんね、主人夫婦の来訪だっていうのに、こんな格好で。まだちょっと動けなくてさ」
うつ伏せで枕に顎を乗せ、特徴的なたれ目をゆがめて、牛金は自嘲気味に笑っていた。
牛金。真名は由利。長身の珊酔と並んでも拳一つほどの差しかない、長身である。曹操軍に加入する前は各地を放浪していた義侠であった。
由利という真名は、曹操軍の中でもほとんど知られていない。
気安い態度とは裏腹に、身持ちが固い牛金は、曹操・珊酔夫婦と、同じ隊で仲良くしている曹仁しか預けていなかった。それに、彼女の生まれた村では、真名を預けていない人が周囲にいる場合では、たとえ真名を預け合った仲だとしても呼ばないという事が通例であるため、公の場では珊酔も曹操も彼女の事を牛金と呼んでいる。
曹仁が曹操につけられた副将ならば、牛金は珊酔が自分で副将に抜擢した者である。家を出てふらふらしていた珊酔と縁があり、一時は共に戦った仲であった。曹操が陳留太守として赴任してきた当初、珊酔と再会し、誘われるまま珊酔の配下になったという経緯があった。
もはや妹同様に可愛がっている曹仁とはまた違った意味で、珊酔が頼りにし、大切にしている仲間である。
「由利、無理はするな。概要は華琳から聞いている。……すまなかった」
「なんで犬野っちが謝るのさ」
「張三姉妹の方は監視程度で危険がないと判断したのは俺だ。お前と一緒に周辺を警戒していた部下もかなり減らして、徐福の調査に回した。それで近づいてくる部隊の発見が遅くなったこともあるだろう。……俺がそっちにいれば、察知できた可能性もある」
呼びに来た曹仁の話に加え、ここに来る前に曹操からも報告を聞いて、状況は殆ど把握している。長安を統治している董卓軍の精鋭部隊が、何も悪い事をしていない旅芸人の公演を蹂躙するなど、想像もしていなかった。
牛金は確かに強いが、力技で兵士をなぎ倒すのには向いていない。
諜報部隊を管轄しているだけあり、特技はやはり気配を殺しての不意打ちであったり、身軽さなのだ。なのに、何の備えもなく前線で戦わせることになってしまった事を……大事な時にまた現場にいられなかったことを、珊酔は悔いていた。
自分がいれば、ここまで痛々しい姿にさせることはなかったかもしれないのに。
だが、牛金は軽い調子であっさりその考えを否定した。
「いやいや、逆にいなくてよかったって。第一、武装した官軍を察知したところで、近くで賊でも出たのかなーぐらいにしか思わないでしょ?だったら結果は同じじゃん」
「しかしだな、」
「それに!」
言葉をさえぎって、牛金は寝ころんだまま、珊酔に向かって真っすぐ右手の人差し指を突きつけた。
「犬野っち、自分がお偉いさんだって自覚がないからね。部下を助けようとして、昔みたく逆に身を投げ出しちゃう感じ?そんなことされて、下の者が逃げられるわけないじゃん。あの呂布って人、犬野っちがいてもどうにもならなかっただろうから、結果皆殺しっていうのが目に見えてるよ。荊州に回って正解正解」
「……」
「さすが、由利ね。犬野のことをよくわかってるわ」
「今までも、そこそこ長い間一緒に戦ってたからね。戦場で取る行動は、だいたいわかるよん」
全く否定できない珊酔は黙り込むしかなかった。
そして、その隣ではえへへと、無邪気な笑みを浮かべる牛金に、曹操が苦笑している。
悪意がないので、牛金相手には小さな嫉妬すら抱えていることが難しいのだ。
「しかし、その、呂布っていうのはそんなに強いのか」
「強かったよー。ほんと、今まで会った人の中で誰よりも強かった」
牛金は呂布と出会った時の事を思い出しながら言った。
あの日、張三姉妹の公演が行われた真っ只中に、真紅の旗に呂と記された旗を掲げていた歩兵部隊が突然なだれ込んだ。
親衛隊が盾になり、主役である張角たちを連れて逃走したが、兵士たちはそれに見向きもしない。
そのまま無差別に客に切りかかったため、会場は大混乱に陥った。
詳しい状況を探るために、近くの木の上で様子をうかがっていた牛金が混乱に乗じて部下と現場に近づいたとき、目の前に戟を担いだ赤い髪の女が突然現れたのである。
輝きのない黒い瞳と、視線が合う。
「……お前、つよい。ただの民じゃない」
風に翻る旗と同じ、真紅の髪。癖のある髪が二本、触角のように動いていた。
「強い奴は、みんな殺す」
「……っ」
そこで、背筋に怖気が走った牛金は百八十度体の向きを変え、部下の様子も見ずに現場から離脱を図った。
身軽さが武器というだけあり、牛金の足は珊酔に次いで早い。常人では一瞬で姿が消えたともいえる速度だったが、無造作に振るわれた攻撃は確実に牛金の背を捉えた。
それも、何度も。
幸いにして、足は傷つけられることがなかったため逃げ切ることができたが、少しでも傷を負っていれば、逃げ切れなかっただろうと思う。
「だいたい、確実に戟の範囲からは離脱していたのに、がつがつ背中を切られたってわけわかんない。走って追いかけられたわけでもないし。物語でよく見る、斬撃だけ飛ばしたってやつかも。いや~、犬野っちお勧めの、鉄糸入りのさらし巻いてなかったら、絶対死んでたよ、私。あれは、人間技じゃないね」
「……呂布といえば、董卓配下の中でも一番手に名が上がる武将ね。万を超える異民族を相手に、一人で敵陣に突撃して瞬く間に血の道を作り上げ、大将の首を取ったという話を聞いたことがあるわ。武勇伝にありがちな、誇張されているものだと思っていたけれど、呂布に関しては事実かもしれないわね」
信じられない気持ちの方が強いけれど、と曹操は腕組みをして牛金の負った怪我を見ながら、難しそうな顔で唸っている。
本来なら、民を守るべき官軍が、罪もない民を襲う。
ただでさえ官吏に対する不信感が募っている時期だ。噂は瞬く間に広がり、今までの不満も相まって、全国に急激に反乱が広がってしまった。
董卓軍は、あくまでも乱を起こした賊を討伐したと主張し、都側は調べもせずにその意見を信じ、蜂起した民を鎮圧するように命令を出した。
曹操の治めている場所でも賊が頻発しており、陳留の街で暴力や盗みの件数も増えている。警備部隊は警戒をより一層強めねばならなかったし、夏候惇を筆頭とした軍部も、あちこちで起こる賊の報告に休みなく出動を強いられている状態であった。
「張角も災難ね。いつの間にか反乱を起こした首謀者に祭り上げられてしまった。……ある意味、私たちの考えていた通り、ともいえるかもしれないけれど」
「こんな後味の悪い結果なんか望んでなかった。……徐福の事は気になるが、後回しだな。先に董卓か。わざと乱を起こしたかったとしか思えん。放置していたら厄介になる」
「……董卓に直接手出しはしないで。貴方は陳留に残って、春蘭たちの補助に回ること。彼女たちも、遠征が続いて殆ど休んでないの。まず、負担を減らさないといけないわ。張角たちの行方については、部下にやらせて。もちろん、董卓の兵に気を付けるように言い含めて、張三姉妹の居所をつかむことを最優先にさせて」
「は?」
既に頭の中で段取りまで考えていた珊酔は予想外の事を言われて慌てて曹操を見るが、曹操は視線を合わせないまま言葉を続ける。
「董卓軍は現状、表だって漢に逆らうには兵力も権力も不足している状況。だからこそ、こうして民の力を利用して、漢王朝を揺さぶりにかかったのでしょう。……色々と思うところはあるけれど、こちらから仕掛けない限り、我が軍と直接対立することはないはずよ」
「なっ……!」
珊酔の視界が赤く染まった。
全てを失ったと気づかされたあの日の絶望が、脳裏をよぎる。
曹操の冷静な口調が、なおさら珊酔の怒りを増大させた。
八つ当たりだと頭の片隅ではわかってはいたが、珊酔は怒鳴ることをやめられなかった。
「だから、こんな理不尽な事を後回しか!?金を納めてる兵士が自分達を攻撃したことが原因の乱だ。民の蜂起は、ある意味正当なものだぞ!うちにしたって、牛金は死にかけて、他の部下も安否が不明、被害が出てる。こんな状況で対立していないだと!!」
「犬野っち!?」
初めて見る珊酔の激昂に、牛金は飛び上がった。
一方、予想していたのか曹操は冷静な態度を崩さなかった。怯むことなく、怒りに燃えた珊酔を、正面から睨み返す。その瞳に、わずかながら悲しみの色が宿っていることに、残念ながら今の珊酔は気が付かない。
「この件は、あくまで董卓の治める土地で起こったこと。状況を説明したとしても、何故その場所にいたのかと問い詰められれば、私たちの方が立場が弱くなる。最悪、張角の仲間に仕立て上げられて、逆賊にされてしまうわ。董卓が官軍と対立しないであろう今、あなたのいう事は悪手よ。……私たちがすべきなのは、陳留の民を守る事。各地で起こっている小さな乱を鎮圧し、最小限にとどめること。そして可能なら、張角の首を取ってしまうこと。董卓の事は、その後でも十分よ。私たちには、まだ力が足りないの。冷静になれば、簡単にわかるでしょう?」
「この状況で、冷静になんてなりたくねえな!」
「ちょ、犬野っち!落ち着いて」
珊酔は激昂して、曹操に詰め寄る。言葉遣いも、普段とは違ってかなり荒っぽいものになっている。
慌てた牛金が、痛む体を無理に動かして二人の間に入らなければ、怒りのまま曹操の襟を持ってつかみ上げてたかもしれない。
「華琳のいうことは、陳留を統べる者として妥当だよ。私たちが守るのは、まず周辺の民の安全だよ。犬野っちだってそれはわかるでしょ!?……こんなの、らしくないよ。どうしたの?」
「うるさいな!牛金、どけ……っ」
割って入った牛金を反射的に突き飛ばそうとした腕が、その姿を認識したことで、すんでで静止する。
震える体、我慢しようとしても堪えられない痛みにしかめられた顔。
自分が何をしようとしたかを理解し、珊酔は後ずさった。
「くそっ……」
そして、やりきれない思いをぶつけるように、部屋の石壁を思い切りたたく。
よほどの力が込められていたのか、拳からは血が流れだした。
珊酔はそのままうつむいて肩を落とし、下を向いてしまう。
「すまん」
しばらくの静寂のあと、珊酔の喉から、なんとか絞り出すように声が出された。
曹操は珊酔を責めることなく、優しい声でそっと問いかけた。
「おちついた?」
「……この件については了承した。お前の指示に従う。貴族連中なんてろくでもねえやつばかりだが、俺もその中の一人だって事を認識させられたよ。最大級のろくでなしだ。……頭、冷やしてくるわ」
牛金にも、その後ろから顔を出す曹操にも一瞥もくれずに、珊酔は部屋から足早に立ち去ってしまったのである。
珊酔が出て行き、静かに自室の戸が閉まった音を聞いて、牛金はようやく体の緊張が抜けたらしい。
がくりと、石畳に膝をつきそうになる寸前で曹操がその体を支えた。
「ちょっと由利、大丈夫?」
「だいじょぶだいじょぶ、ちょっと力が抜けちゃっただけ~。ありがとね、華琳」
「礼を言わなければならないのは私の方よ。貴方が間に入らなければ、この場所で本気の夫婦喧嘩を始めなくてはならなかったわ」
「血で血を洗うってやつ?部屋が無くなっちゃいそうだから、それは勘弁したいねえ」
曹操に支えられて、いてて、と愚痴をこぼしながら牛金はなんとか寝台に戻った。
うつ伏せに寝転がり、枕を抱きしめてようやく人心地つく。今も平気そうな顔で軽口をたたいては要るが、医者にしばらく絶対安静を命じられるほどの重症患者である。
無理をさせてはならない配下に余計な負担をかけてしまったことから、曹操の表情も暗かった。
「ごめんなさい。由利に庇われることのないように、上手く犬野に言い含められればよかったのだけれど」
「謝らないでよ。主君を守るのは配下の務めってね。それに、二人の口論の理由に私も無関係じゃないわけだしさ。本当、弱くてごめんね」
牛金は自嘲ぎみに笑った。今回の件で、一番悔いているのは牛金である。自分の力の無さを突きつけられた上、部下を置いて自分だけ戻ってきてしまった罪悪感、おまけに主人夫婦の喧嘩の種にまでなってしまったのだ。内心は、ふがいない気持ちでいっぱいであった。
だが、その気持ちをおおっぴらに出さないことも、彼女の強さである。
「でもさ、犬野っちが理不尽に怒るの珍しい……というか、初めて見たよ。眠いときに不機嫌なのは良く見るけど」
「今回董卓が行ったのは、権力者の理不尽な民への暴行に加えて、自分がいないときに一方的にやられてしまった。犬野は、それが許せなかったのでしょうね」
「うーん?」
牛金は不思議そうである。身内と他人をはっきり分ける珊酔の性格を熟知している分、納得ができないようだった。
「犬野っちは優しいけど、割り切りはちゃんとできる人だと思うんだけど。第一、知らない人に起こった出来事で、怒り出すようないい人じゃないもん」
「そうね。……ところで由利、私と犬野がなぜ結婚したかは、犬野から聞いたことがある?」
「ないよ。聞いても、渋い顔になって教えてくれないんだよね~」
突然話題が飛んだことに驚きつつも、牛金は素直に返事をした。
「そう。本人が話していないのだから、そう詳しくは話せないのだけれどね。……犬野は、家族を亡くしているの。その土地を統治していた者の、理不尽で身勝手な仕打ちのせいでね。そして、その現場に犬野は居合わせることができなかった。犬野本人にとっては、不幸にも、ね」
「えっ」
牛金が絶句する。と同時に、珊酔が突然怒り出した理由も理解できる気がした。
今回の件と自分の境遇とを、重ね合わせてしまったのだろう。
曹操は昔を懐かしむかのように、視線を上げて遠くを見た。
「私からすれば、犬野だけでも助かってよかったと思ってしまうのだけれど。……私にとって犬野と出会ったことは救いであり、支えになったけれど、犬野にとっての支えになるには私はまだまだ力不足ということ。……情けないわね」
そう言って、曹操はさびしげな笑みを、牛金に向けたのであった。
読まなくてもいいあとがき
ちょくちょく名前だけ登場していた牛金を、ようやく登場させることができました。
黒百合をイメージに、黒髪で真名は由利と命名。
雰囲気を壊すので本文には書けませんでしたが、雪蓮と同程度のスタイルの良さをもち、胸の大きさも魏の武将格では一番です。
それが原因でよく桂花(たまに華琳にも)睨まれています。ただ、原因がわからず本人はきょとんとしていたり。
曹操軍の一員というよりは、珊酔の部下という意識が強い人です。
足の速さや気配の消し方は珊酔に次いで二番目。直接戦闘の能力は珊酔隊の中では4番目(秋蘭と同程度のイメージです)
食べることが好きで、同じ隊の
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。