比翼連理 作:風月
いくら善政を敷いている曹操であっても、訴えを聞かずに反乱を鎮圧していることには変わりなく、生じた民の不信感を取り除くのは大変骨が折れる作業であった。
また、黄巾賊と名付けられた者たちは、他の賊と違って、街を襲っている途中でも討伐軍を見るとあっさりと逃げてしまう。蜘蛛の子を散らしたように、わっと散ってしまう賊徒を追い回すわけにもいかずに、不完全燃焼のまま戻っては出撃という繰り返しに、先に軍の方が疲弊していくありさまだった。
地方の村出身の許褚は特に、他人ごとではないという思いが働き、まだ幼いというのに無理な出陣が続いていた。本人の強い希望もあって、周囲も強く止められないでいる。
張角の特徴に関して、官軍の中において、嘘の情報が流れているのが救いだろうか。性別は男で、体は大きく、頭には角が生え、老若男女気に入った人がいれば食べてしまうような『けだもの』であるということだった。都から姿絵も送られてきたが、人とも思えない容姿で描かれており、これらの情報だけではまず張三姉妹にたどり着けないだろうと思わせる物だった。このことは、直接彼女たちの公演を見に行った三人を、大いに安心させたのである。
とはいえ、
そんな状態であっても、珊酔は軍を率いて賊討伐に向かう傍ら、曹操に言われていた人員整理も進め、新たに新兵訓練の責任者も引き受けた。曹仁に任せきりだった警備隊の方の仕事も進んで行っていた。
珊酔の、仕事に逃げているかのような態度を周辺も気にはしていたが、みんな自分の仕事で忙しいうえ、本人が頑なになんでもないと言い張るため、うまい手を打つことができないまま日数だけが過ぎていった。
そんなある日。陳留から行軍に二日程かかる街が、黄巾賊に襲われたとの報が入った。数は数百ほど。
例によって、許褚が単独での出陣を希望したが、負担を考えて曹操が待ったをかけた。それに数名の幹部が同調し、結局は許褚が折れて、夏侯淵が千の手勢を連れて討伐に向かうことになったのである。
今まで何の苦も無く賊を追い払っていたという慢心があったため、軍の士気はそれほどなくとも、被害もなく帰ってくると誰も疑っていなかった。
しかし、三日目の朝、陳留に戻ってきたのは、汗だくになって援軍を求める夏侯淵の配下ただ一人だった。
「夏侯淵将軍より、伝令。賊に襲われている街を確認したところ、賊の数は三千を超えるとみられる。民が応戦しているため、援護に入る予定ではあるが、苦戦は必至。至急援軍願う、とのことです」
広間に集められた家臣たちからどよめきが起こった。その中でも、夏侯淵の姉、夏候惇は伝令に切りかからんばかり。
「なんだとう!そんな数、どこに隠れていたというのだ!秋蘭は今無事なのかっ」
「く、詳しいことはわかりません。私は賊と戦闘に入る前に夏侯淵将軍からこの任務を任されましたので、至急援軍願うとしか申しあげられません……」
使わされた者は、つい最近、夏侯淵隊に配属されたばかりの新兵である。当然、夏候惇の本気の圧に平然としていられず、真っ青になっていた。
「華琳さま!ボク、今すぐ出ます。許可をください!」
「あたしも!秋姉の事助けに行きたいっす」
「もちろん、私もです!秋蘭の危機とあれば、見過ごすわけにはいきません」
許褚と曹仁はさっと曹操の前に躍り出て、膝をついて頭を下げた。伝令にかみついていた夏候惇も、慌てて曹操に向き直って訴えた。
しかし、訴えられた曹操は難しい顔で、即答することはできなかった。
曹操自身も、もちろん夏侯淵をすぐにでも助けに行きたい。
だが、党首として状況を考えた場合、これからも鎮圧が続くことを考えると疲労がたまっている軍に無理をさせることはできないのである。
「桂花、すぐに動ける兵士はどのくらい?」
「ただちに、となると待機中の珊酔隊三百程度ですね。あとは皆疲労がたまっておりますので……季衣や春蘭の兵たちも一部ですが、明日の朝に動けるかと。合わせて二千ほどです」
「明日の朝だと!?それでは数も時間も間に合わないではないか。もっとなんとかならないのか!」
「うっさいわね。誰もかれもあんたみたいに体力馬鹿じゃないの。かなりの強行軍になるでしょうし、行軍途中で倒れられたら、戦力どころか足手まといになっちゃうでしょ。ついていける人員を考えると、このくらいが妥当なのよ」
「ならば、せめて今すぐ出立できるように準備を」
「春蘭さん、糧食や武具を準備する必要もありますのよ。丸裸の兵を連れて行きたいというのでしたら、別ですけれど」
「そんな戦力にもならない人間は、あんたも必要ないでしょ」
「うう~。華琳様……」
曹洪と荀彧にあっさり論破されて、夏候惇がすがりつくように曹操を見た。
「二千……私の親衛隊も入れて三千強。秋蘭の隊と合わせて四千いれば、賊相手なら十分ね」
「そんな、それでは陳留の華琳さまが手薄になってしまいます」
「私が出れば問題ないでしょう?この面子を行かせるのなら、手綱を取るものが必要でしょうしね。春蘭、もちろん私のことは守ってくれるでしょ?」
「はっ!賊など、華琳様の視界に入れる前にこの夏候惇が切ってすててやります。御身にかすり傷一つつけさせません!」
「ふふ、頼りにしているわ」
「さすが華琳姉っす。これで数は大丈夫っすね」
「……でも、明日の朝出立なら、街につくのは早くても明後日の昼……。それまで秋蘭さまが持ちこたえてくださればいいけど」
許褚が不安そうにつぶやいた。
皆の気持ちを代弁するかのように、広間の空気が重く静まる。
と、ここで今まで無言で曹操の隣に立っていた男が口を開いた。
「俺が先行する」
「犬野?」
「そうだな……
「それで、残りが秋蘭と合流する、と。秋蘭のことだもの、籠城している可能性が高いけど、どうするつもり?まさか、百にもみたない手勢で賊を急襲するわけではないでしょうね」
「俺の特技を忘れたか?俺の部下は皆、夜間演習も壁のぼりの訓練も積んでいる。俺と華侖ほどじゃないが、みんな器用だ。夜陰に紛れれば問題ない。……百程度だが、援軍を知らせるだけでも効果は出るだろ」
「そうね……」
曹操は顎に手を当てて一瞬思案した。珊酔の元気の無さは気になっているが、これ以上の案はないと思えた。
「それでいきましょう。犬野、華侖、わたしたちが付くまで、街と秋蘭隊を支えなさい。桂花、栄花は物資の準備を。春蘭と季衣はしっかりと体を休めること。いいわね」
『はっ』
曹操の決断は絶対である。不満そうなもの、ほっとした表情を浮かべる者と様々だが、ひとまず軍議はこれでおひらきとなった。
その後、珊酔隊100名は直ちに出立の準備を整え、陳留を出た。最短経路を珊酔が正確に把握していたこともあり、日付が変わる前には早くも街を視認できる位置に到着したのである。珊酔隊の異様な足の速さが成せる神業であった。
数人の部下を情報収集に走らせている間、珊酔隊は街から少し離れた林の中に身を隠していた。周辺の賊に見つからないことがまず第一である。賊の位置と数を正確に把握することが、何よりも重要だった。
「予想通り、秋蘭は籠城戦を選択したみたいだな」
夜半とはいえ、街に建てられていた夏侯の牙門旗を正確に視認し、珊酔が言う。背中には食糧が詰まった大きな布の鞄を背負っている。
曹仁もその隣に控え、若干身を乗り出すようにしながら街の様子をうかがっていた。傍には、今まで彼女の背中で運ばれていた矢の束が置かれている。
「外は木の柵、内側は石壁でぐるっと囲んであるなんて、中々しっかりした造りの街っすね」
「今は壊されているが、もともとは木も二重柵だったようだな。この街の統治者は中々防備に気を使っていたんだろう。……しかし、自軍の3倍もの戦力を、外柵だけの被害で抑えたか。流石は夏侯妙才だ」
珊酔は頭の後ろを書きつつ、隣の曹仁を見やった。普段は警備部隊の仕事が多く、今も自室療養中の牛金と違って隠密行動に参加することが少ない彼女は、どこか緊張気味の様子であった。
「兄ぃ、これからどうするっすか」
「まず……いや、華侖だったらまずどう行動する?」
「へ?」
「目標は籠城中の夏侯淵部隊と珊酔隊100名の無傷での合流。状況として、賊の位置と規模は把握済み、夏侯淵隊は俺たちが来ていることは知らない、かつ厳戒態勢中。俺もお前の指示通り動くとしよう。この場合、どうすれば安全に合流できると思う?」
曹仁はきょとんとした表情で、上官を見上げた。垂れたネコ目が楽しそうに笑っており、試されているのだとわかった。
共に成長を続けてきた二人ではあるが、最近では珊酔が得意とする分野においては、曹仁を試しつつ育てるという手法を取ることが多くなってきている。
曹仁はこめかみに指を当て、むむむとうなり始めた。きちんと考え始めた証拠である。即『わかんないっす』『あたしは動くだけっすから』と答えていた頃に比べたら、かなり成長したなあと珊酔は思った。偵察に出した部下が戻ってくる気配はまだない。曹仁の考えがまとまるまで、待つ時間は十分にある。
「……夏侯淵部隊が厳戒態勢ってことは、壁を乗り越えている所をみつかったら攻撃される可能性が高いってことっすね。だから、外の賊だけじゃなく中で警備してる兵士にも見つからないように侵入しなければならない……?」
上目づかいで『間違ってない?』と問いかけてくる曹仁に、珊酔は無言で首肯をかえした。それを見て、曹仁はほっとしたように話を続けた。
「じゃあ、兄ぃに頼んで中にいる人の気配を探ってもらうっす。いくら警戒していても、全部を見張るのは不可能っすから。人が一番少ないところに部隊を集めて、一気に侵入するっす。で、秋姉と合流するっす」
「……50点だな。だが、見張りはずっとその場に立ってるやつばかりじゃない。歩き回って警戒してる兵士もいるはずだぞ?その隙間を縫って、100ちょっとの兵を移動させるのは無理とは言わないが、かなり大変だろうな。それに、秋蘭もいきなり眼前に100の兵が出てきたら驚くはずだ。気がたっているだろうから、反射的に攻撃されるかもしれない。その場合は失敗だな」
「あ……」
「俺を使って中を探るという視点はよかった。慣れない仕事の事なのに、考えて答えられたのは大したもんだ。……きちんと成長しているよ」
少ししょげてしまった曹仁の頭をくしゃりと撫でる。
「全員で入ろうとするから大変なんだ。賊の場所を知って、俺に外から中の情報を探らせる。そうしたら、まず誰か一人―この場合は華侖が適役だろうが―秋蘭の信用を得ている人物が先に入って、秋蘭に援軍の報告をする。人数物資、侵入場所と侵入方法などだな。そうすれば中にいる兵は見つかってはいけない敵ではなく、味方になるわけだ。であれば、中に入った後のことは考えなくてもいいからかなり楽になる。背負った物資をどこに運ぶかなどの指示も受けられるだろう?それからこちらに戻ってきて、改めて全員で移動する」
「たしかにそうっすね。……じゃあ、部下が帰ってきたら、代表として兄ぃが先に街に入って、兄ぃが戻ってくるまであたしたちはここで待機ってことっすね」
「いや、中に入るのは華侖も一緒だ」
「え、あたしもっすか?兄ぃがいるならあたしやる事ないっすよね」
「華侖は夜間の潜入訓練はしているが、実践は経験したことがないだろう?せっかくの機会なんだ。いつ役にたつかわからないんだ。体験しとけ」
と、もっともらしい事をいいつつも、珊酔の本音は別のところにある。
夏侯淵が自分の事を完全には信頼していない事を、珊酔はもちろん察知していた。荀彧のように表だって反発せず、表向きは心を許しているように見えるのだから、余計厄介だと感じている。
そんな自分が夜中に現れ、こっそり援軍に来たと伝えても、夏侯淵に信じてもらえるかどうか自信がなかったのである。だが、曹仁を連れていればその心配はなくなる。
役に立たないどころか、曹仁には一緒に来てもらわなければ困るのである。
「兄ぃが言うなら……わかったっす」
曹仁は首をひねりつつも頷いた。軍の鉄則通り、曹仁は基本的に上官である珊酔に逆らわない。
不思議には思ったが、練習しろというならそれに従うのみであった。
その時、珊酔の敏感な気配察知網に、偵察に向かわせた部下の気配がひっかかった。
急に口をつぐんで虚空に視線をやった珊酔を見て、曹仁もそのことを察したらしい。ぐっと拳を握って、力をこめた。
「あたしはいつでも準備できてるっすよ」
「頼もしいな。だが、ここからは慎重に行くぞ。夜とはいえ、数では圧倒的不利だからな。下手を打って賊に察知されると大変だ」
「はいっす!」
こうして、夜間における小規模な侵入作戦の火蓋は切って落とされたのだった。
評価、誤字報告などなどいつもありがとうございます。
タイトルは悩んだ末にこうなりました。タイトル付けは好きだけど苦手なので、もっとセンスが欲しいと思ったり……これも練習あるのみですね。