比翼連理   作:風月

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合流と疑惑

 夏侯淵が籠っている街は、東西に門が設けられていた。

もちろん、現在はその門は固く閉ざされている。偵察に行かせた部下の話によれば、賊は街の東西に2000人ずつ分かれて、石や弓矢などの範囲外で休憩しているということだった。

珊酔は、部下の一人に陳留に戻って曹操に現状を伝えるように指示し、自分と曹仁は北側の防壁から侵入することに決めた。

 雲が多く、月明かりがほとんどない夜である。石壁の上に掲げられている松明の明かりが、うっすらと街の外郭を照らしていた。

慣れない者であれば、明かりなしで出歩くことは困難な闇の中、珊酔と曹仁はしっかりとした足取りで街に近づいていった。

 

「街の内部でも、こちら側に人の気配はない。秋蘭はじめ、軍のやつらは街の中心に集まっているようだな。北側を警戒している兵士はほとんどいない」

 

 珊酔は、半歩先を歩いている曹仁にだけ聞こえるような声でささやいた。

珊酔が普段暮らしている居城より小さい街である。内部にいる見知った気配など、ただ歩いているだけでも簡単に察知できた。

しかし珍しい、と珊酔は内心首を傾げた。見張りであろう気配が動いているのは、ほとんど東西の門周辺のみ。慎重な夏侯淵なら街全域に注意をするだろうに。

 

 見張りの少ない場所には何か罠でも仕掛けているのだろうかと珊酔が考え付いた時、先を進む曹仁は丁度木の柵に足をかけて登っているところだった。

続いて珊酔も柵に手をかけたとき、ふと、柵の向こうの地面に違和感を覚えた。目を凝らしてよく見ると、そこには地面はなく深い堀が夜の闇にまぎれて大口を開けていたのである。

 

華侖(かろん)、下だ!」

 

「え…」

 

 珊酔の小さいが鋭い声に反応した曹仁は、そこでようやく下を見て目を見開いた。慌ててなんとかしようとしたが、もう遅い。曹仁の体は既に木の柵を乗り越えて、先に有るはずだった地面を踏みしめようと飛び降りていたのである。重力に従って落ちていくしかない中、その足がせめてもの抵抗と、宙をばたばたと泳ぐ。

 可愛い副官が罠に落ちていくところを黙ってみているほど、珊酔は薄情でものろまでもない。長い体を活かして柵から半身を乗りだし、真っ暗な穴の中にそのまま落ちて行きそうな小さな体を、襟首をつかんでなんとか引き留めたのである。

 

「こんのっ!」

 

「ぐえっ」

 

「すまん、掴むところがなかっただけで悪気はなかった。大丈夫か?」

 

「はい……」

 

 急に襟首を掴まれた影響で、曹仁ののどからは変な声が出た。首を痛めてないか不安になったが、返事があったので珊酔はほっとした。

武将の中では力のない部類に入る珊酔が、曹仁が小柄で体重が軽かったことも幸いし、身を乗り出した不安定な体制のままでも曹仁の体を引き上げてもどすことができたのである。

 曹仁を地面に降ろしてからそっと柵の向こう側を覗き込んだところ、遥か下の方に杭のようなもので体を貫かれている死体がごろごろあった。

 

「こいつは……」

 

 良く見てみると、堀の縦幅は街を守っている石壁まであり、横は石壁に沿って街の周りを囲っているようだった。普通の人間ならば橋でもかけない限りわたれなそうな、しっかりしたものである。

見張りが少ない理由を目の当たりにし、珊酔の背中に冷や汗が伝う。間に合わなければ、曹仁も下で串刺しにされた者たちと(むくろ)を並べているところだった。

 同じことを思ったのか、珊酔の横で柵に手をかけて下を覗き込んだ曹仁も涙目だった。

陳留を守っている城壁から飛び降りても平気な身体能力を持っているとはいえ、不意打ちでこんな罠に落ちてしまったらまず無事ではすまない。

 

「うう、兄ぃ~」

 

「なんとか助かったんだから泣くな。……しかし、これはすごいな。跳んだとしても、向こう側に着地する場所がほとんどない。直接壁に張り付くしかないか。華侖、できるか?」

 

「あたし、それやったら壁にぶつかって落ちちゃうと思うっす」

 

「わかった。なら俺の背中に乗れ。そのまま侵入するぞ」

 

「うう……ごめんなさい」

 

 曹仁はお荷物にしかなれない自分を恥じながらも、上官の言うことに従ってその背中によじのぼり、ぎゅっとしがみついた。

珊酔は曹仁がしっかりと自分の首に腕を回したことを確認すると、改めて柵の一番上まで登り、伸び上がるようにして石壁に向かって音もなく跳躍した。

思ったより力を入れすぎたのか、珊酔は壁に取りつくどころか石壁を飛び越えてしまった。

 

「……ちょっと、飛びすぎたな」

 

 想定外の事にも慌てず騒がす、珊酔はふわりと柔らかに地面に降りた。そうして彼が飛んだ距離は、大の大人を3人は縦に並べられるような距離である。

曹仁はもう乾いた笑いしか出てこないようだった。

 

「兄ぃは、人間やめてるっすねえ……」

 

「一芸特化なだけだ。こんな時くらいにしか役に立たん」

 

そして珊酔は、背中から降りようとした曹仁を押しとどめ、背負ったまま夏侯淵のいるであろう街の中心部に向けて移動を開始したのだった。

 

 

 それからさほど経たない時間に、珊酔と曹仁は無事に夏侯淵と対面を果たした。場所は街の中央のにある開けた広場である。

眠っているところを起こされたというのに、彼女の様子は通常時と変わりない。見たところ大きな怪我もしておらず、不利な籠城戦を強いられたにしては元気そうだった。

 曹仁は夏侯淵の姿を認めると、すぐさま飛んでいき、その細い腰に抱きついた。

 

「秋姉!間に合ってよかったっす~」

 

「華侖、それに犬野様まで……しかも、こんな早くに援軍に来ていただけるとは。私の予想では、どんなに急いでも明後日ではないかと考えておりましたので」

 

 自分の周囲をぐるぐるとまわりながらじゃれつく曹仁をいなしつつ、夏侯淵は腕組みをしている珊酔の傍まで歩いてきた。

珊酔は肩をすくめて答える。

 

「まあ、そうだろうな。薬や食料、あとお前の軍の特性を考えて矢なんかも持ってきたが、この時間じゃあ用意できたのは連れてきた100人が持てる程度だ。微々たるもんだが、なにもないよりはましだろう」

 

「十分です。共同して賊に当たっていた大梁義勇軍の者たちに食料を配る事もできますし、士気も大分上がりましょう」

 

「大梁義勇軍?なんっすかそれ?この街の軍っすか?」

 

「いや、この街の者達ではない。この周囲の賊を追い払って回っている、乱世を憂いた民たちの集まりだそうだ。数の少ない我々が余裕を持って戦えたのも、この者達の功績が大きい」

 

 そう答えた夏侯淵は、その相貌にうっすらとした笑みまで浮かべていた。

 

「して、他の兵士たちはどこに?犬野様のことですから、既に見張りの兵に気づかれぬように街に入れているのでしょう?」

 

「嫌味か。普通の街であっても、荷物を背負ってる部下100人全員、誰にも気づかれないように街に入れる自信はないぞ。こんな罠が仕掛けてある街ならなおさら不可能だよ。華侖以外は外に待機させている。北側から侵入させるから、荷物運搬なんかの補助を頼みたい。あと長い縄が2本は欲しい。まず、部下たちにあのでかい堀を越えさせないといけないからな」

 

「ふむ。珊酔隊を苦戦させるとは、予想以上に優秀な仕掛けのようだ。了解しました。夜番の兵に向かわせます」

 

 珊酔は、夏侯淵が身近にいた兵士に言伝するのを聞きつつ、ようやく大人しく傍に控えた曹仁を見下ろした。

 

「華侖、俺は部下たちに合流する。お前は秋蘭から縄を受け取ってから、侵入した場所に来てくれ」

 

「はいっす。……みんな荷物持ったまま、あの距離渡れるんすかね?」

 

「非常時だ。できない奴の荷物は俺が持って往復するさ。普通の壁登りはさせたが、これは想定していなかったからな。下手に騒いで賊に見つかっても面倒くさい。……だから、お前もあまり気にするなよ」

 

「……べつに、気にしてないっすもん」

 

「ならいいけどな。じゃあ、頼んだ」

 

 頬を膨らませる曹仁に対し、珊酔は軽く手を上げてから、森で待機している部下達と合流するために移動を始めたのだった。

 

 

 夏侯淵はさすがに優秀だった。深夜だというのに、こちらの要望通りの準備をすぐに整え終えた。珊酔隊の面々も、普段の鍛錬の成果を存分に発揮し、誰も堀の犠牲にならずに街に入ることができた。

予想外だったのは、部下の殆どが荷物を持ったままだと渡れないと言ったため、珊酔の負担がかなり大きくなってしまった事だろうか。

曹仁をはじめとした部下たちは、一人で黙々と荷物を街の中まで運びこむ上官を見て、かなり居心地の悪い思いをしたということだ。

 

 

 

 

 

 やるべきことをすべて終えた時には、もう夜明けが近づいている時刻だった。

 夏侯淵が部下達に少しの間だけでも休ませるように指示し、自分の天幕に戻ろうとしたところ、敬愛する曹操の夫がふらふらと広場から離れていくのを見てしまった。

そういえば、彼は気配に敏感で、慣れない場所では殆ど眠ることができないのだった。遠征中などは、夜になると数名の部下をつれて本隊からかなり離れたところで休んでいたし、それができない時は殆ど寝ていないらしかった。日に日に機嫌が悪くなり、しかも隠しきれていないから大変だと、曹操が嘆いていたのをよく覚えている。

 

 珊酔が休むために広場から離れたのであれば、放置して天幕に戻るのが正解だろう。

しかし、夏侯淵はそうせずに、珊酔の後をついて行くことにきめた。夏侯淵と珊酔は、今まで一度も二人きりで話したことはなかった。会話が必要なときは、大抵は珊酔の傍には曹仁がいたし、そうでなくても夏候惇や曹操が一緒だった。

今まではそれでよかったが、こうして共に敵に当たるのであれば避けていられない。少しでも己の中にある、珊酔への懸念を晴らすため、彼女は彼の後を追ったのである。

 

 珊酔は、街の外壁まで到達するとそこで足を止めた。何をするでもなく、黙って壁に寄りかかり、猫背のままそらを見上げている。

夏侯淵はその傍にさりげなく寄って行き、無言で隣に腰を落ち着けた。

 しばらくは沈黙が続いていたが、沈黙に耐えられなくなったのか、おもむろに珊酔が夏侯淵に話しかけてきた。

 

「休まなくていいのか」

 

「すっかり目が冴えてしまいまして。このまま横になっても、眠気が来たころにはもう起きねばならない時間でしょう。天幕でぼうっとしているのも暇だと思っていたところに、犬野様が広場から離れていく姿が見えたましたので。こっそり追いかけてきました。今夜は、どうせ眠らないのでしょう?」

 

「……」

 

 見上げると、珊酔は困った様子で頭をかいていた。沈黙は肯定である。

 

「ならば、片手間に配下の相手をしてくださっても良いのではないかと思いまして」

 

「お前は華琳のものだろう。俺の部下じゃない」

 

「ええ。だからこそ、犬野様にどうしても聞きたいことがありまして」

 

 夏侯淵の鋭い視線が珊酔を射抜く。自分の中でどうしても理解できない事。官吏を嫌い、一人でも十分に生きていける珊酔が、おとなしく曹操の夫におさまっている理由。

これがわからなければ、夏侯淵はいくら曹操が大丈夫だといっても、珊酔の事を信頼することができない。

 

「犬野様は何故、華琳様の力になろうと思われたのですか?華琳様に惹かれて?それとも結婚することで得られる権力や金が理由で?」

 

「俺が権力や金に執着してるように見えるか?」

 

「いいえ。むしろ、犬野様はこれらを忌避する性質(たち)のように思えます。ですが、私には貴方が華琳様におぼれているようにも見えません。……残念ながら、私には、あなたが曹家に肩入れする理由が思い浮かばない」

 

「だから不気味でしょうがないし、信用できないってことか」

 

 深いため息をつく珊酔を見て、夏侯淵は何とも言えない気持ちになる。わかっているのであれば、なぜ自分のようなものに疑惑を持たせるような態度を見せるのか。

 夏侯淵は、彼が曹操の夫となってから、一度も楽しそうに仕事をしている所を見ていない。

曹仁や他の部下の様子を見ると、隊ではのびのびとやっているようだが、それ以上に公の場での疲れた表情が目立つ。曹操とは仕事の会話以外している所を見たことがないし、荀彧たちを紹介した宴でも曹操の隣には現れない上先に退席したと聞く。……一方で、仕事はできる。知り合いもなぜか多く、民の人気もある。

 これで警戒するなというのは、無理な話だ。

 

「有体に言えばそうです。だから、理由を聞いて安心したい。華琳さまが全幅の信頼を置いている貴方に対し、怖れを覚えることがないように」

 

「……お前が納得できるような答えを、俺は持っていない」

 

 青い相貌から目をそらすことなく、珊酔は言った。

 

「お前が思っている以上に、俺は華琳から多くの物をもらっている。だから、あいつの期待を裏切らないように慣れない事でも頑張ってるわけだ。惚れていないように見えるというが、あれは『夫』にそんな事を求めていない。少しでも俺が華琳に甘えて腑抜けになっていたら、とっくに今の関係は終わっていただろうな。俺を諦めて、別の奴を探していたはずだ」

 

「え?」

 

「華琳は信頼できる駒が欲しかった。俺は華琳が、王になる事を望んだ。……あいつが覇道を進み、頂点を目指す限り、俺たちの関係は変わらない。俺があいつをどう思うとか、そんな感情論を挟む余地なんかないのさ」

 

 

 夏侯淵は固まって目を見開いた。

曹操は、珊酔に惚れて、出自をも無視して結婚に踏み切った。少なくとも、夏侯淵をはじめとした家臣たちはそう認識していた。

家柄のせいで望まない結婚をせずに済んでよかったと、喜んでいたのに。

この話が本当ならば、曹操が彼と結んだのは、結婚を隠れ蓑にしたただの契約にしか過ぎないということになる。

しかも、曹操本人がそれを望んだという。普段の曹操の様子からすれば、とても信じられることではない。

 

「それは、本当なのですか?……私は一度も、華琳様からそのような事を聞いておりません。貴方に惚れ、どうしても欲しかったからだと、」

 

「これ以上話すことはない。悪いが、暇つぶしなら他の奴を捕まえてくれ。……朝から戦だっていうのに、これ以上疲れるのは御免なんだ」

 

 珊酔は声を荒げて夏侯淵の言葉を遮った。珊酔の表情は、どこか寂しそうで暗く、とてもそれ以上追及できるようなものではなかった。

壁に預けていた体を起こしてどこかへ去っていく珊酔を、夏侯淵は座ったまま、ただ見送る事しかできなかったのである。

 

 

 

 

 




今回は、プロットができていたのに清書にかなり時間がかかってしまいました。凄く待ってた!という方がいたとすれば、お待たせして大変申し訳ありませんでした。
夏侯淵は好きなのですが、なかなかうまく動いてくれません。英雄譚の魏を見直しながら四苦八苦してました。
考えた分、納得のいくものができたました。
読んでくださった皆様が楽しめて、続きが気になるような文になっていればとても嬉しいです。

6/1追記
次話投稿の前にプロローグを追加しました。
本編投稿に時間がかかっていて申し訳ないです。

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