比翼連理 作:風月
珊酔がかすかな頭痛を覚えて起きたたのは、まだ日すら登っていない早朝だった。
自分がどこにいるかわからず、目をこすりながら体を起こす。
ぼーっとした頭で周囲を確認すると、どうやら東の塔にある自室のようだった。
昨日は確か、警備関係を任せている小隊長たちと宴会で、そこで愚痴を聞きながら飲んでいたら飲みすぎて……それ以降の記憶が珊酔にはない。
記憶はないが、ここに帰ってきているなら問題はないだろうと、珊酔は寝ぼけた頭で結論を出した。
珊酔が二度寝しようとしたとき、ふと横に寝ている曹操が視界に入る。
曹操は珊酔の方を向いて、気持ちよさそうに寝息を立てていた。珊酔が起きたときに体にかけていた寝具がはだけ、今は裸の上半身が露出している。
「ん?」
珊酔は首をひねった。
隙間風も良く入るこの部屋は寒い。自分という熱源があるとはいえ、裸で寝ると風邪をひく可能性がある。曹操にしては不用心だなあと、曹操に寝具をかけなおそうとしたときにはっと気が付く。
そう、珊酔自身も裸であるということに。
「……え」
珊酔は固まる。一つの寝台で、しかもこの部屋で二人共が裸で寝てしまう状況は一つしかない。
とはいえ、普段は事を終えた後に夜着に着替えてから眠るようにしている。まさか、昨夜はそんな余力も残らないくらい運動したというのか。
全く覚えていない。珊酔は硬直し、蒼白になった。
最近特に欲求を押さえつけていたとはいえ、酔いに任せて襲い、しかも女相手を好むというと嗜好を知っているのに、疲れ果てるまで無理をさせ、しかも覚えていない。言い訳のできない、最悪な人間である。珊酔は死にたくなった。
丁度そのとき、寒くなったのか曹操が身じろきした。一拍の後、瞼がうっすらと開き、まだ濁っている青の瞳が珊酔をとらえた。
「……けの?」
「か、華琳」
「まだ夜明け前じゃない……寒いから、早くはいって」
むにゃむにゃと、めずらしく寝ぼけながら、曹操は珊酔の体に手を伸ばして寝具の中に引きいれた。
そして、珊酔に猫のようなしぐさですり寄り、腕の間に冷たくなってしまった身体を収めた。居心地がよかったのか、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
なし崩しに、曹操の体を抱きしめる形になってしまった珊酔はというと、冷や汗を流しながら必死に記憶を探っていた。
城の前で部下達と別れ、なんとか自力でこの部屋に戻ったところまでは思い出したものの、やっぱりその先の記憶が全く出てこない。
日が昇り、曹操がしっかりと目を覚ますまで、珊酔は落ち着かない時間を過ごすことになったのである。
「あなた、本当に覚えてないの?」
「すまん」
珊酔はごまかすことも考えたが、罪悪感に勝てず素直に曹操に記憶がないことも話し、謝罪した。
石の床に膝をついて頭を下げる。
曹操はあきれ顔だ。すっかり身支度を整えた状態で腰に手を当て、珊酔を見下ろしている。
「はあ。昨日はあんなに激しくしたくせに覚えていないなんて。ひどい夫ね」
「すまん」
「いったい私の事をなんだと思っているのかしら?それとも、私との情事は忘れなければいけないほど苦痛なの?」
「違う。だが、覚えていない以上、返す言葉はない。すまん」
珊酔はこれ以上ないというくらい、平身低頭の状態である。
「はあ……まあ、反省しているようだし、いじめるのはこのくらいにしてあげましょうか。昨日の酒宴は、ただの遊びで開いたわけでもないと知っていたことだしね。ただ、これからは記憶を失うまで飲まないようにして。いいわね」
「はい。もう記憶を失うまで飲みません」
「ならいいわ。……顔を上げて」
珊酔はおそるおそる体を起こす。しかし、予想以上に曹操の顔がすごく近くにあったのでのけぞってしまう。
珊酔が気が付かないうちに、曹操は珊酔の直ぐ目の前に移動し、石の床に立膝になって待機していたのである。
逃げる珊酔の頭を両手でがっちりとつかんで引き付けてから、曹操は口の端をつりあげた。
「あのね。犬野が私との情事を覚えていないのは当たり前なのよ。……だって、昨夜は何もなかったんだもの」
「はい?」
「だって貴方、酔って部屋に帰ってきたと思ったら、そのまま寝台に潜り込んできたんだもの。酒の匂いや知らない人の匂いをつけたまま寝台に入れるのは許せなかったのだけど、叩いてもゆすっても起きないものだから、せめて服だけでも剥いでしまおうと思って」
「いや、だってお前も裸で」
「それは、寝ぼけた貴方が勝手に私を抱き寄せたくせに、『抱き心地が悪い』って言った挙句、ぱっと放して反対を向いてしまったからでしょう!?腹が立ったから私も服を脱いで入ったの。何か文句ある?」
「ない、ない。悪かった、ごめんなさい」
覚えていない事より、抱き心地が悪いとわれた事の方が許せないのだけれど、と曹操は珊酔の頭をギリギリ締め付ける。
二日酔いの痛みと締め付けられる痛みの合わせ技に、珊酔は呻きつつもなんとか首を振る。
その表情を見て曹操は満足したのか、ぱっと両腕を離して立ち上がった。
「というわけ。貴方に乱暴されたわけじゃないから、安心して」
「ああ。本当に、安心したよ」
本心からの言葉だ。よろよろと立ち上がり、跡が付いてしまった膝をさする。
自分が悪かったとはいえ、かなり痛かった。
落ち込んでいる珊酔を、曹操は『妻』ではなく『王』の顔になって見上げた。
「で、結局、警備部隊の方は大丈夫なのね?あの子たちを
あの子たちとは、ひと月ほど前に新たな将候補として曹操軍に参加した、楽進・于禁・李典の三人組のことだ。
非常に仲が良く、私的な時間でも常に一緒に見かけるため、他の将の間では『三羽烏』とひとまとめで認知されていることも多い。
曹操は三人を見て、それぞれ個性的で光る物はあるが、まだ一軍を任せられるほどではないと思った。ただ、じっくり育てれば、いずれ曹操軍の中核を成す人材になるだろう、と。
ただ、個性を殺さず伸ばそうとすると、これがなかなか難しい。
なにかと部下の面倒見が良い珊酔が適任だが、既に曹仁・牛金という二人を抱えている。さらに三人の面倒を見させるのは負担が大きすぎるのではないか。
曹操は、珍しく迷っていた。
だが、そんなとき、意外にも珊酔の方からこの三人をくれないかと言ってきたのである。
ただ、副将としてではない。曹仁の直属の配下としてだ。
曹仁にはいずれ将として独り立ちしてもらわなければならない。おそらく最初は失敗するだろうから、自分の目の届く範囲で好きにやらせてみるのがいい、と。
そういうわけで、三羽烏まとめて警備部隊に入り、曹仁の教育を受けることになったのだが、現状、問題ばかりが出て大変らしい。
「混乱と言っても、俺の判断で何とかなるものばかりだ。昨日聞いた話じゃ、曹仁も自分で何とかしようと、限界ぎりぎりまで働いているみたいだしな。もう少し周りを頼ってもいいのに、部下に任せず抱え込んでいるらしいぞ」
「ふふ。今回の件、あの子がそうするように仕向けたのはあなたじゃないの?華侖には、『三人を部下につけるから、面倒を見てやれ』としかいわなかったと聞いているわよ?あの子なら全部自分でやろうとするに決まっているわ」
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる曹操に、珊酔は肩をすくめる。特にいじめるような意図はなかったが、曹仁が苦しんでいる現状、何も言えない。
「……まあ、華侖はこの二週間死ぬほど悩んで、いい経験をしたはずだ。あとは程々に助けながら伸ばしてやれればと思っている」
「楽進、李典、于禁のことも忘れないようにね」
「わかってるよ」
黄巾賊の反乱はまだ各地で続いているが、先日の戦で賊軍を散々に蹴散らしてから、曹操の統治している場所では賊が殆どでなくなった。
おかげで珊酔は自分本来の仕事に専念すると同時に、部下たちにもそれなりに気を配ることができている。どうなっても柔軟に対応できる準備はできていた。
その後、珊酔は軽めの食事をとってから警備隊の詰所に向かった。
今日は天気があまり良くない。陳留の街は厚い雲に覆われており、ぱらぱらと小雨が降っていた。
こういう時は何故か犯罪が起こりやすい。街の警備に回された部下たちは忙しい一日を送ることになるだろう。
年季の入った詰所に入ると、各所に頭を押さえながらも机で書き物をしている人間が随所にいた。昨夜珊酔が主催した宴に出席した、小隊長以上の地位にある者達である。
珊酔は、その中で一番近くにいた部下に話しかけた。彼女は警備部ができてからいる古株の女性で、珊酔や曹仁の信頼も厚い。
「おはよう。だいぶ具合が悪そうだな」
「あ、隊長。おはようございます。昨日は久しぶりに楽しい宴会でしたからねえ。皆のみ過ぎたんですよ。私も頭が痛くて……。隊長はどうです?昨日一番飲んでいたのは隊長だし、帰る時も足元ふらっふらでしたからね。無事戻れました?」
「戻ったは戻ったが、記憶があいまいになってな。朝から怒られた」
「それは災難でしたね」
けらけらと部下は笑い、それが頭に響いたのか、いててと頭を押さえていた。
「まあ、それはさておき。昨日言っていた曹仁様のフォロー、強引にでもちゃんとやってくださいよ?私たちも、目の下真っ黒にして、机にかじりついてる曹仁様を見るのはつらいですから。あの人は元気に動いているのがいっちばん似合ってます」
「確かにな」
要である曹仁の元気がないと、詰所や部隊の雰囲気も暗くなりがちだ。そろそろ改善しないと、全体に不和が起こるかもしれない。
「その曹仁はどんな様子だ?もう詰所には出てきてるのか」
「出てきたっていうか、昨日は帰っていないみたいですね。さっき隊長室にお茶を持って行った奴が言ってました」
「……わかった。今日は無理させず、早めに休ませることにする」
「お願いしますよ」
うなずいてから珊酔は隊長室に向かう。
隊長室と名はついているものの、実際には隊長の珊酔以外にも曹仁と牛金の席が用意されている。とはいえ、牛金は現在療養期間で出てきていないし、珊酔も城の方での仕事が多かったため、最近では曹仁一人の仕事部屋になりつつあった。
「華侖、入るぞ」
「あ~……兄ぃ」
戸をあけて中に入ると、隊長室の右側に配置されている曹仁の机では、主がぐったりと突っ伏していた。部下の言っていた通り、目の下には真っ黒な隈がある。生乾きの竹簡に擦ってしまったのか、綺麗な金髪がところどころ墨で汚れている。
少しくらいの無茶は見逃すつもりだった珊酔も、さすがに心配になった。
「おい、大丈夫か」
「うー……大丈夫って言いたいっすけど、眠くて頭が回らなくなってきたっす。始末書はもう見たくないっすよ~」
泣き言を言いながら曹仁は体を起こした。
よく見ると、彼女が突っ伏していた机に広げられていたのは、一つの竹簡だけではない。それが全て始末書であると知って、珊酔の顔もひきつる。
「おい……警邏中に物を壊したらしいのは聞いたが、こんなに数があるとは知らなかったぞ」
「あたしも知らなかったっす。なんか、今週は色々やっちゃった人が多かったみたいで。概算だと損害額は春姉が警邏した時に匹敵しそうっすよ。まあ、一番大きいのは三羽烏が吹っ飛ばした分なんっすけどね。ま、あたしもやっちゃったから人の事は言えないんすっけど。ははは」
曹仁は生気のない目でうつろに笑う。
三人に仕事を教えつつ性格や特技などを把握、育成方法を考えるというのは、今まで『育てられる側』だった曹仁にとってかなり難しいものだった。
曹仁は、とりあえず三人を自分の小隊に編入して警邏に向かった。だが、そこでまず楽進がやらかした。
楽進が盗人を発見し、捕まえようとしたら盗人が逃げ出した。それが思いのほか足が速く、このままでは盗人に逃げられると判断した楽進は、特技である気弾をぶっぱなした。
街中であるということは、既に彼女の頭の中から消えていたらしい。
賊は気絶して無事捕えることができたが、周辺の屋台が軒並み吹っ飛んだ。
どうも、彼女は不届きものと見ると反射的に気弾をぶっぱなす癖があるらしい。その日、楽進が見つけた賊の倍以上、店や屋台が吹き飛んだ。
曹仁は泣きたくなった。
また、その三日後、于禁がやらかした。
とある肉まんを盗んだ賊が于禁にぶつかった。その時、彼女の服に肉汁がべったりと服についてしまった。
すると、彼女は悲鳴を上げ、賊に見向きもせず一番近くにある服屋に駆け込んでしまった。
賊も驚いたらしく、その場で棒立ちになっていたので捕まえられたが、場は騒然となった。
流石に曹仁も注意するが、じゃあ汚れた服で仕事を続けろっていうのかと逆上されてしまった。
汚れてもいいような服を着ろと言っても、街中で変な格好をするわけにはいかない。オシャレは女の命であると言い張る。
説得の末、なんとか、戦場に来ていく装備のまま警邏に出ることで落ち着いたが、気に入った服屋や喫茶店を見つけると急に走って行ってしまう悪癖は治らなかった。
曹仁は泣いた。
そして、昨日。机にかじりついていた曹仁の耳に、李典が懐に持ってきた『からくり夏候惇』が壊れたと言って、突然暴れだしたという報告があった。
良くわからないまま曹仁現場に駆けつけると、半壊した家屋、そして螺旋槍を持って一般人を追いかけている李典と、それを必死で止めようとする部下の姿があった。
どうも、李典のが限定販売のからくり夏候惇将軍を落とし、それを拾おうとしたところ、足元を見ていなかった一般の民が踏んで壊してしまった。
それで李典が爆発し、このような惨状になってしまったということらしい。
曹仁は力づくで李典を眠らせて、被害を受けた一般人に平謝りするはめになった。
それでイライラがたまったのだろう。曹仁は、詰所に戻る途中で起きた強盗事件を解決する際に、強引に切り込んで店を壊し、犯人も皆殺しにしてしまった。
我に返った曹仁は、彼女にしては珍しく、全てを投げ出したくなった。
そんなこんなで余裕がなかったせいで、警備の日程やら訓練と警備に割り当てる人員の配置などに関しても色々失敗があった。そのせいで部下が混乱し、さらに失敗が増える。
元気が取り柄の曹仁だが、もう彼女は色々と限界だったのである。
「兄ぃ~。頼りにならない副将でごめんなさい。こんなあたしには、もう愛想がつきたっすよね。兄ぃに見捨てられたあたしには生きる価値もないっすね。あ、こんなところに、首を吊るにはよさそうな梁が……」
「おい、早まるな。お前はよくやっている。新米三人ぶち込んだんだ、ある程度うまく回らないのは織り込み済みだ。春蘭が警備してたころに比べたらまだ被害もすくないだろ。このくらい何とかなる」
「うう……でもお」
うだうだと言いつつ、曹仁はまた机に突っ伏してしまう。
珊酔は、竹簡を手に取って片端から目を通す。本来は失敗したものが全て書く始末書だが、今回は変わってやらねばならない。形式が決まっている始末書など、代筆したところで特に問題はない。
「でも、じゃない。これからは俺も助けに入るから、どんどん頼っていい。お前主体なのは変えないがな。二週間見て、三人はどんな感じだった?」
「基本的にはいい子たちっすよ?沙和ちゃんも真桜ちゃんも地雷踏まなきゃ言う事聞いてくれるし」
「地雷?」
「沙和ちゃんは服で、真桜ちゃんはからくりっすね。二人とも、興味のある店や物事があると、そっちに全部意識が行くみたいっす。そうなると、手が付けられない」
曹仁は深いため息をついた。
「でも、あたしが甘く見られている可能性もあるんで、兄ぃも一度一緒に警邏に行ってみてほしいっすね。それでも無理なら、警備隊所属は難しいかと思うっす」
「なるほどな。わかった、行ってみよう。楽進の方はどうなんだ」
「性格的には真面目で実直、つまらないこともきちんとやるんで、一番扱いやすいはずなんっすけどね~。気弾の被害が馬鹿にならないことを考えると……あれ、本人の意思というより反射で出しちゃうみたいなんで、困ってるっす」
「そのままだと仕事は任せられないな。発展するより先に街が壊滅する」
「笑いごとにならないっすよ~」
「……だなあ。今、三人は警邏に出てるのか?」
「まさか。あたしが詰所から離れられないんで、夏侯淵隊の部隊訓練の見学に行ってもらってるっすよ。目の届かないところで警邏に行かせるのは無理っす」
「うーん……」
珊酔は頭をかく。
話を聞くだけでも、三人ともかなり面倒な奴だとわかる。だが、癖があるとはいえ三人とも磨けば光る原石には違いないのだ。なんとか、上手く使えるようにしなければ。
でも、その前に。
「華侖、とりあえずお前は仮眠してこい」
「えっ……でも仕事が」
「俺はお前の上司だぞ。お前の仕事は全部やれる。三人を任せるとは言ったが、お前がつぶれては意味がない。俺にとってはお前の方がよっぽど大事だ」
「兄ぃ……」
曹仁は顔を上げて珊酔を見た。
白い耳がうっすらと赤く染まった。照れているのだ。
だが、竹簡に目を向けている珊酔は気づいていない。曹仁を追いやるように、しっしと手を振る。
「ほら、とっとと仮眠室に行け。目の下の隈が消えるまで出て来るな」
「は、はいっす」
そそくさと曹仁は隊長室を出て行った。
少しごねるかと思った曹仁があっさり引いたことに珊酔は面食らったが、手間が省けてよかったと考え直すことにする。
珊酔は曹仁の机の上に山と積まれた竹簡を自分の机の上に移動させ、黙々と仕事を始めるのだった。
前回の更新で久々に感想をいただき、狂喜乱舞した作者です。評価・お気に入りなどもありがとうございます。
今回は上手いところで切れなかったので、かなり長くなってしまいました。
できれば5000字前後であげたいのですが、難しいですね。