比翼連理   作:風月

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遅くなりましたが、最新話投稿!!


『距離』

 

 

 

「あ、華琳姉」

 

「あら、華侖(かろん)

 

 曹操が仕事の休憩がてら訓練場まで足をのばすと、曹仁が笑顔で手を振ってきた。いつもどこかの隊が汗を流している場所だが、今は他に人影はない。

 

「私の記憶が正しければ、今は夏候惇隊の訓練時間だったはずなのだけれど」

 

「そうっすよ。沙和ちゃんと真桜ちゃんの罰で夏候惇隊の基礎訓練に参加させてもらったっすよ。あたしはその付き添いで参加して、走り終わったからみんなを待ってるところっす」

 

 良く見ると、曹仁の額には汗が光っている。

 

「……あの子たち、またなの?」

 

 于禁と李典が罰として他隊の厳しい訓練に放り込まれるのは、曹操が知っているだけで3回目だ。

 

「いやいや、これでも、あたしが付いているときは真面目に仕事してくれるようになったんすよ?ただ、別の班に任せたら、警備するふりして喫茶店で休憩してたみたいなんで、こんな感じに」

 

 サボるなら、せめてもっと上手にやってくれればいいんっすけど、と曹仁は苦笑しながら続けた。

警邏中の小休憩や、ちょっとした買い物であれば、警備隊をあずかる身としても見逃すことができる。曹仁であっても、こっそり肉まんを買って買い食いすることもあるし、帯同している部下におごることもある。彼女の上司である珊酔もそうだ。

 最終的に成果を出すことが目的であり、締めすぎて部下のやる気が下がっては元も子もないとは珊酔の言であり、曹仁もそれに倣っている。

 

「犬野と共に警備部を統率している貴方が堂々と言うことじゃないでしょう」

 

「あはは。華琳姉とあたしだけしかいないんで、大目にみて欲しいなーなんて」

 

 曹操はあきれた口調で曹仁をたしなめたが、曹仁は悪びれずに舌を出して笑うだけ。

珊酔の全面的な助力もあって、竹簡の嵐から脱却し、一時期の死に体から復活した曹仁は元気だった。

悪びれない態度に、曹操も苦笑するしかなかった。

 

「ところで、犬野はどうしてるかしら?」

 

「兄ぃっすか?今日も普通に詰所で働いてたっすけど……兄ぃのことならあたしに聞かなくても、華琳姉の方が詳しいじゃないっすか」

 

 曹仁は小首をかしげ、不思議そうに曹操を見る。

 

「ここ数日、犬野は詰所の方に泊まり込んで仕事をしているのよ。私も外に出る機会がなかったから、姿を見てないの。その様子だと、貴方には黙っていたようね」

 

 曹操の言葉に、知らなかった、というように目を瞬かせて頷く曹仁。

 

「機嫌が悪くなかったから、気が付かなかったっす。兄ぃが泊まり込むときは切羽詰まっているときだったんすけど……あたしが知らないだけで、仕事がたまってるのかなあ。詰所に戻ったら、聞いてみるっす」

 

「よろしくね。……それから、城に顔を見せるのも、夫の責務だと伝えておいて」

 

「わかったっす!!」

 

 曹仁はびしっと敬礼をして応えた。そんな曹仁を、曹操は少し複雑な顔で見ていた。

 

 董卓関係の事で喧嘩してから、珊酔はほんのすこしそっけなくなった。賊に包囲された夏侯淵を助けに言った後は、明らかに自分を避けているような態度も見せていた。

先日、珊酔が酔って部屋に戻ってきたときは久々に傍で眠れたのだが、それ以来、互いに仕事が忙しく、会話さえ殆どなかった。

曹操は好きな相手に甘えたり、弱みを見せることは苦手だった。結果、一人で悶々としながら今日までを過ごしていたのである。

 曹仁は、珊酔に会いにも行けず、素直に会えなくて寂しいからとも言えない曹操の気持ちを察するような性質ではない。その点では、安心して伝言を託せる。

 

「はあ……」

 

 切なげな曹操のため息は、誰にも気が付かれぬまま空気に紛れて霧散していった。

 

 

 

 

 曹操と曹仁が会話していた頃、珊酔は警備部の詰所にある隊長室で曹洪と向き合っていた。

曹洪は、曹操軍の財布を一手に預かっている。守銭奴とまではいかないが、とにかく厳しく各部署の支出については取り締まる。一方、必要だと納得した事には躊躇わずに資金を投入するという柔軟さも併せ持っている。つまり、優秀な金庫番であった。

 曹洪は、珊酔の前に向き合うように椅子を移動して、優雅に腰をかけていた。ちなみにこの椅子は珊酔の副官の曹仁が普段使っている椅子を引っ張ってきたものだ。

曹洪の手には、曹仁が作り、珊酔がこっそり手直しした警備部の収支報告書がある。

しばらく無言で内容を熟読し、ゆっくりとあげられた彼女の表情はどこか暗い。

 

「一応、読ませていただきましたが……私としては、納得ができません」

 

「なんでだ。無駄な出費はないだろう」

 

「ええ。ですが、この部分……隊員の不手際による民衆への損害の部分ですわ」

 

 机に広げられた竹簡。その問題個所を、曹洪は手入れされた指で示した。

事件の原因と結果、損害の総額がずらずらと書いてある場所だ。その下には小さく、『以上の件に関しては特例措置とし、珊酔が隊に損害額を補填する』と書かれている。

 これは、珊酔が曹仁に黙ってこっそり修正した個所だった。

 

「お義兄様の名前で特例を実行するとありますが、これらの件に関して、お義兄様は関わっていらっしゃらないはず。お義兄様が身銭を切る必要はありませんわ」

 

「部下の失態は上司の失態。慣れないことを任せた責任もある。妥当だと思うが」

 

「部下が失敗するごとに上司が賠償金を支払っていたら、皆破産してしまいますわよ!!私が、何のために予算を振り分けていると思っていますの?……第一、この特例は春蘭さんがあまりに物や家を壊してしまって大変だった時に作ったものでしょう?」

 

 夏候惇が警備部の長だったのは一番はじめの時、つまり陳留の治安が一番悪かったころのことだ。

夏候惇は強いが、手加減ができない。警邏中に賊を発見する能力は高いのだが、どうにもやりすぎて周りの店や品物に被害を出してしまう。

 警備部の予算は、兵士の給料や装備・補修費用等々も含めて割り当てられている。夏候惇の出してしまった被害が多すぎて警備部の資金が足りなくなり、罰も兼ねて夏候惇の給料を天引きしてそこに充てるとしたときに、作られた特例だ。

個人が身銭を切って隊の資金を肩代わりするのは、本来は良くないことだ。一人がそれを始めれば、他の同じ立場の人間も同様に金を出さねばならなくなり、最終的には失敗をした兵士が給料から補填するという、悪しき習慣に発展しかねない。

 

「警備部の予算はまだ余裕がある状態ですし。前期までの余剰金もかなり残っているでしょう?春蘭さんでも特例を使って補填したのは、予算で回せない分だけでしたわ。今の状況だと、特例の適用条件には適さないと判断します」

 

「余剰金は、よっぽどのことがない限り手をつけたくない。武器や防具を買ったり、警備部の詰所の補修だったり、あるいは士気を上げるための宴会費用だったり、かなり金がかかるんだぞ。治安悪化の懸念がある以上、この時期に大きな金額を計上したくないんだよ」

 

 副官の曹仁には問題ないと言ってあるが、実際はぎりぎりだ。世が不安定な現状、緊急時のために余裕をもっておきたかった。

 

「おっしゃりたいことは、わかりますわ。ですが、これだけの額を肩代わりすると、お義兄さまの蓄えが殆どなくなってしまうではありませんか」

 

 珊酔の収入・貯蓄に関しても把握している曹洪は口をとがらせた。

重要な職についているだけあり、珊酔の給料はかなり高い。本人が殆ど使わないため、今ではかなりの蓄えになっていたが、家数軒をはじめとした損害を一人で賄えばその殆どがなくなる。

 

「問題ない。何かを買いたくてため込んだ金じゃないからな」

 

「……使い道がないのでしたら、そのお金でお姉さまに服でも買ってさしあげたらよろしいのに。すごく喜んでくださると思いますわ」

 

 お気に入りのぬいぐるみをギュッと抱え込んで、曹洪はあきれたようにため息をつく。彼女は曹操が、数少ない珊酔からの贈り物を、本当に大事にしている姿を見ている。曹操にもう少し気を回してほしいと思うのは当然だった。

 しかし珊酔は、椅子の背もたれに寄りかかって嫌そうな表情になった。

 

「お前、華琳の服がどれだけあるか知ってて言ってるんだよな?お前や春蘭や秋蘭が華琳のためにって買ってきた衣裳で部屋一つ埋まってるんだぞ。今でさえ着まわせてないのに、これ以上増やしてどうするんだ」

 

「う……でしたら、宝石ですとか、絵画ですとか、飾っておけるものでも……」

 

「変な物を買って突っ返される未来しか浮かばないから、却下だ」

 

「そんなことありませんわ。お姉様だったら喜んで受け取って下さるはずです」

 

「だとしても、後日ごみに入ってるところを発見する落ちだろう。華琳の好みのうるささは知っているだろうに。……第一、あいつは結構な頻度で好きな物を買っているぞ。何で俺に買わせたがるんだ」

 

「それは、お義兄様とお姉さまが夫婦だからですわ。わたくし、夫は妻になにかしら貢ぐ義務があると思いますの」

 

 拳を握って身を乗り出し、力説する曹洪。予算の話から脇道にずれていることにも気にせず、彼女の考える理想の夫の姿(妄想)について、ものすごい勢いで話を始めた。

 珊酔はとどまる事を知らない言葉の洪水を聞き流しながら、お手上げというように天を仰ぐ。お金が余れば妻に欲しい物を与える?毎日愛をささやく?仕事の前と、仕事から帰ったあとは口づけをする?

物語の中ならともかく、現実で『金も身分も何もいらない。ただお前さえいればいい』とかいう男は、ろくな男じゃない。二人で暮らせる衣食住がないのに、女だけ手にいれてどうするのか。馬鹿じゃないのかと思う。

そんな男は、相手の女に寄生して働かせて、自分は家で酒を飲み、楽に生きることしか考えていないような人間に決まっている。

 

「お義兄さま!!聞いていますの!?」

 

「ああ」

 

「でしたら!なおさら!警備部の予算を補填している場合じゃないことくらい!わかってくださいますわね!!」

 

「ようやく話が戻ったか。……まあ、華琳については、これからの給料でやりくりするということで手を打ってだな。予算の補填はこのままで頼む」

 

「お義兄さまっ!!」

 

「待て待て、別に華琳をないがしろにするわけじゃない。必要なところに先に出資するだけだ。余裕があるったって、これから先、何もなければの話だろう?赤字になったときに苦労するのは嫌なんだよ、俺は。落ち度もないのに部下の給料を減らすのはよくないしな」

 

 髪の毛を逆立ててつめよってくる曹洪を右手で制して、続きを口にする。

 

「それに、今は戦やら何やらで品薄だからな。ある程度落ち着いていい物が出た頃に、華琳になにかあげればいいんだろう?それで勘弁してくれ」

 

「……華侖さんがへそを曲げても知りませんわよ。割合としては微々たるものだとはいえ、自分の失敗の分を、貴方が金銭で補填したと知ったら傷つくと思いますし」

 

「その時はその時だ。出世払いで返せとでも言えば、落ち着く。……多分な」

 

「はあ……」

 

 こうなれば珊酔が引かないということも、曹洪は重々承知していた。

自分としても、赤字になってから予算を追加しろという要求を軽々通すことはできないため、赤字にしたくないという珊酔の気持ちはわからなくもない。

今特例を使って補填することが、珊酔にとって一番楽だということも理解していた。

納得はできないが、今回は自分が折れるべきだろう。

 

「わかりました。特例を適用し、お義兄さまの貯蓄から補填をしておきますわ」

 

「助かる」

 

「ですが!」

 

 収支報告書に印を押しながらも、曹洪は釘をさすことは忘れなかった。

 

「本来は良くないのですからね。次は、どんなにごねても、却下しますからね。最悪、お姉様にも出てきていただくことにしますから。赤字になるような損害が出ないように、しっかり部下を教育してくださいませ」

 

「了解した」

 

 珊酔はうなずく。まだ罰として訓練させられることはあるものの、李典と于禁の勤務態度は改善に向かっているし、楽進は牛金が復帰の体ならしついでに鍛えている。

楽進の、賊を見たら反射的に気弾を放つ癖を消すのは厄介だったが、今は改善に向かっていると報告を受けた。

もう少しすれば、警備部の方に回しても問題なさそうだとも聞いている。

 

「では、私は城の方に戻りますわ」

 

「そうか。忙しいのに、時間を取らせて悪かったな」

 

「忙しいのはお義兄様も同じでしょう?……お願いですから、お姉様のことも考えて上げてくださいましね」

 

「わかったわかった」

 

「もう。……本当に、お願いしますわよ。では」

 

 曹洪は深々と頭を下げてから立ち上がり、足音を響かせて隊長室から出て行った。

 華やかな曹洪がいなくなると、殺風景な隊長室はとたんにがらんとした雰囲気になる。

しばらく虚空に視線をさまよわせていた珊酔だが、やがて机に突っ伏した。

 

「……俺なりに考えて動いてるんだぞ、栄華」

 

 仕事が好きで詰所にこもっているわけではない。

 

 自分がいないことが曹操の幸せであると理解している男は、ぐしゃぐしゃと銀の髪を掻きむしったのだった。

 


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