比翼連理   作:風月

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いつも誤字脱字報告ありがとうございます。本当に助かっています。


偽者の……

 一時は四十万人規模まで膨れ上がった黄巾軍。しかし、官軍との自力の差が徐々に出始め、各地で連敗が続いた。

張角たちのいる本隊と言われる部隊は、官軍の追撃をなんとかかわしながら各地を転々としていたが、ついに董卓の騎馬兵に追い付かれてしまう。

呂布が、張遼が、華雄が、疲弊した民の集団を容赦なく蹂躙した。

張三姉妹と数百名の親衛隊が命からがら戦場から離脱したころ、戦場となった荒野には彼女たちを逃がすために犠牲になった四万の兵は全て屍となり、太陽に身をさらされることになったのである。

 

 張角、張宝、張梁の三人は、長い闘いのせいで精神的にも体力的にも疲弊していた。目に光を失ってしまった彼女たちを背負い、親衛隊はひたすら走る。

彼女たちは乱を望んでいなかった。それを知りながらも、親衛隊の男たちは立ち上がる事を選んだ。『らいぶ』に乱入し虐殺した董卓軍を、ひいてはそれを許している漢に対して強い憤りが爆発し、抑えることができなかったからだ。

 しかし、結果、彼らの一番大事な人たちが漢から狙われることになってしまった。……彼女たちは何もしていないというのに。

神輿として担ぎ上げ、挙句連敗を続けた親衛隊幹部の責任は重かった。

 なんとか、彼女たちだけでも安全な所へ脱出させよう。生き残った親衛隊たちの頭の中にあるのは、それだけだった。

 

 親衛隊は、度重なる董卓軍の追撃によってその数を減らしながらも、最終的には曹操の治める領地にまで到達した。

董卓軍は、他領に無断侵入を続けながらも、彼らを追いつづけていた。とはいえ、今まで通った土地は、黄巾軍の台頭で統治者が逃げ出した土地ばかりで、曹操のように統治がしっかりしている土地に入り込んだのは初めてだった。

 不慣れな土地ゆえに、董卓軍の足が鈍る。その隙をついて、黄巾軍たちは森の中に逃げ込んだ。その森の中は沼地が多く、水がないところも泥でぐちゃぐちゃだった。馬で追いかけるには適さない。

華雄、張遼、呂布は集まって相談をし、呂布とその配下が森の中に入って捜索を続けることが決まった。

ぬかるんだ道を、嫌そうに進む呂布軍を送り出してから、張遼は配下に馬で抜けられるような道がないか森に沿って探すように言いつけ、自分は華雄達と共に入口で待機することにした。

 

 

「しかし、いいのか?」

 

 木陰に入って愛馬の首を撫でながら、華雄がいう。呂布だけに嫌なことを押し付けたことに、若干後悔しているらしい。

 

「ええんちゃう?恋がやるって言うとるんやから、任せようや。うち、もう疲れたし」

 

 ぽつぽつと降り出した雨をうっとおしそうにしながら、張遼が答える。彼女も地面に座りこんでいた。行軍中、常に肩に担いでいた飛龍偃月刀は、今は木に立てかけてあった。

この雨でさらに森の中はぐちゃぐちゃになるだろう。足がとられそうな泥道を歩くなんてまっぴらごめんだった。

 張遼は、今回の討伐に対して乗り気ではない。

今回の乱の発端が、どこにあったのか。呂布も、今の上司である『董卓』も何も言わないが、薄々察していた。

 

「ずいぶんだれているな。この大規模な乱を起こした首魁を追い詰めたのだぞ!腑抜けた態度で逃しては承知しないからな」

 

「わかっとるって」

 

 気炎を吐く華雄を、張遼はどこか冷めた目で見ていた。

 

「なあ華雄」

 

「なんだ」

 

「何で自分、そんなにやる気なん?ここで張角を打ち取ったところで、手柄は皆あの女の物になるんやで。月より、あの女の方が良くなったんか?」

 

「張遼……侮辱するな!!私は、幼いころから月様に仕え、身も心も月様にささげると誓ったんだぞ!あの女のことは憎いさ。殺してやりたいと思っている。……だが、あの女に逆らえば、月様も、ねねも命が危ない。だから、一生懸命こうして命令通り賊を退治しているのだ。それを、おまえは……!!」

 

 華雄は顔を真っ赤にして張遼に詰め寄り、張遼の襟首を締め上げた。大斧を自在に振り回す華雄の怪力に持ち上げられた張遼だが、動じない。

 (まなじり)を下げて両手を上げ、降参の意を示しただけだった。

 

「あー、すまんな。本気で言うたわけやないんで、勘弁してや。……しかし、華雄はすごいな。真面目ゆうか熱血ゆうか」

 

「私は、戦うしかできない。できることをするしか、ないだろう」

 

 華雄は悔しさを隠そうともせず、唇をかんでうつむいた。

襟首から手を離された張遼はどさりと地面に落とされたが、ぶつけた腰をさすろうともせずにうつむいただけ。

 

 

 董卓。善政を敷き、民にも人気があったはかなげな少女は、今は囚われて幽閉生活を送っている。

代わりに長安を牛耳っている長髪『董卓』は、数年前に失踪した董卓の姉であった。本名を董擢(とうてき)という。

董擢(とうてき)は、自己顕示欲が強く、皆が自分に注目していないと癇癪を起こすような人間だった。もちろん、民のことなど考えもせず、城で自堕落な生活を送りながら装飾品を買いあさって過ごしていた。

そんな董擢(とうてき)を跡取りにはできない。控え目だが温厚で、よく周りが見え、勤勉である董卓が選ばれるのはあたりまえだった。

自分が家を継ぐものだと思っていた董擢(とうてき)は、父親からその旨を告げられた時に悲鳴を上げ、発狂したように暴れ、そのまま城から姿をくらましたのである。

 董擢(とうてき)が長安に再び姿を現したのは、ほんの2年前。優しい董卓はずっと心配していた姉が戻ったことを素直に喜び、城に招いて歓待した。

 

 それが、間違いだったのだ。

 

 董擢(とうてき)と共に城に入ってきた徐福という男が、太平妖術の書というものを使って董卓と陳宮を城の一室に閉じ込めたのだ。呂布が力づくで扉を吹き飛ばし、部屋の中に入ろうとしたが、見えない壁を越えられずに跳ね飛ばされた。中に入れるのは術を使った徐福と董擢(とうてき)だけ。

 董擢(とうてき)と徐福に攻撃をしようものなら、その力は妖術によって董卓や陳宮に移されてしまうと徐福は言った。

その言葉を信用できなかった呂布は、怒りに任せて諸悪の根源である董擢(とうてき)に向かって方天画戟の一撃を放った。確実に相手を屠る一撃を受けた董擢(とうてき)は顔色一つ変えなかった。そのかわり、部屋に閉じ込められていた陳宮の体から血が噴き出し、陳宮は声も出さず床に倒れ伏した。

まともに受ければ、あっさりと命を刈り取る呂布の一撃を受けたのだ。陳宮は一週間以上生死の境をさまよった。董卓の献身的な介護と、陳宮自身の生命力の強さから何とか一命をとりとめたものの、彼女の体には痛々しい傷跡が残されてしまった。

 そして、董擢(とうてき)は、これからは自分が董卓となって統治をおこなうと言い出した。賈駆をはじめとした側近たちは反発したが、自分の言う事を聞かなければ、董卓と陳宮は食事を与えず餓死させるという。

 

 董卓の側近たちは、腸が煮えくり返るほど怒り狂った。しかし、人質を取られては従う以外に方法がない。歯噛みしながらも、董擢(とうてき)に忠誠を誓うと宣言するしかなかった。

 とはいえ、手をこまねいていただけではない。徐福が太平妖術の書と共に城を離れた隙をみて、賈駆と張遼が董卓と陳宮の救出を試みたものの、見えない壁の効果は消えておらず、失敗に終わった。

太平妖術の書そのものを燃やしてしまえば効果がなくなるという予想は立てているが、普段、太平妖術の書がどこにあるか突き止めることもできないまま、時間だけが過ぎている状態だった。

 

「……あいつら、早よ長安から出て行ってくれへんかな。うちらの功績でそろそろ洛陽送りにできへんやろか」

 

 張遼が耳にした話だと、董擢(とうてき)は、董卓が持っていた領地を乗っ取るだけでは気がすまず、洛陽に進出してもっと大きな権力をとる算段があるらしい。あの耳障りな声を聞かなくてもいいのであれば、洛陽でもどこでも好きなところに消えてほしかった。

 張遼が吐き捨てた言葉に対し、華雄は、首をひねる。

 

「張角を打ち取れば、帝からお呼びがかかるとは思うが……月様と陳宮の解放はないだろうな。その後の我々の動きくらいは考えているだろう」

 

「せやなあ」

 

「徐福の近くにいる賈駆が、上手く太平妖術の書を奪うことを祈るしかあるまい。それはさておき、張角だ張角!!董擢(とうてき)にこき使われた恨みも乗せて金剛爆斧で真っ二つにしてくれる」

 

「あーあー張角たちもとんだ災難やなあ」

 

「ふん、罪人を一瞬で葬ってやるのだぞ。無駄に痛みを感じない分、感謝してもらいたいぐらいだ」

 

 鼻息荒く、華雄は張遼のそばを離れて行った。興奮してきたのか、雨の中に飛び出し、金剛爆斧を振り回している。

元気な事だ。

張遼は、そんな華雄の後姿を、どこかうらやましそうに見ていた。

 

 

 残念ながら董卓軍に所属する者達は一枚岩ではない。

 華雄のように、離れることを全く考えていない者に対し、董擢(とうてき)の言いなりになることを拒み、軍を去った者達もいた。そして、まだ董卓軍に残っているが、我慢できず離れるかどうか迷っている者は、実はかなりの人数いる。

一度も口に出したことはないが、張遼もその一人だった。

 張遼は、旅をしている途中に董卓と出会い、そのままなんとなく居着いた口だった。董卓は親友でもあるし、よい君主である。癖はあるけれども、賈駆や陳宮はかなりの切れ者。そして、呂布や華雄という自分と同じかそれ以上の実力がある武人と切磋琢磨する毎日は、とても楽しかった。

 その分、董擢(とうてき)の下で働くのは、張遼にとっては地獄だった。

 

 張遼は好き嫌いが激しい。嫌いな奴のために飛龍偃月刀をふるうのはとてつもない苦痛だった。

何よりも好きだった命のやりとりも、どこか他人ごとでつまらない。自分の武がどんどんさびついていくのを、感じていた。このまま董卓軍にいれば、何も残せず、つまらない死に方をするだろう。

 とはいえ、友人を見捨てて自分だけ楽になるのは、人間としてどうなのだろうか。それで、自分の武を貫いたと言えるのか。……言えないだろうと、張遼は思う。

呂布は全ての感情を失ったようになりながらも、働いている。華雄も、今できることをしようと頑張るらしい。

なら、自分はどうするべきなのか。

 

「ほんま、どないしよ……」

 

 張遼の迷いは、しばらく解けることがなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄巾軍本隊が、曹操の領地に入る数日前のこと。

 

 珊酔は久々に居城に戻ってきていた。警備関係の書類で、曹操に認可をもらうものがあったからだ。

緊張気味に、曹操の執務室の前に立つ。そして、慎重に室内の気配を探った。曹操は一人で作業しているらしく、『お取込み中』ではなかった。珊酔はほっと胸をなでおろし、曹操に声をかけた。

 

「華琳、俺だ。入ってもいいか?」

 

「犬野?どうぞ」

 

 曹操に招かれて、執務室に入る。何日かぶりに見る、妻がそこにいた。表情に出さないようにしたが、やはり会えるとうれしい。

 

「久しぶりね。同じ場所に住んでいる貴方に言うには変な言葉だけれど、元気にしていた?」

 

「ぼちぼちだ。たまに昼に寝に戻っていたこともあったが、会わなかったからな。……何日ぶりだ?」

 

「数えていないから、わからないわよ、もう。で?忙しい貴方が、私に何の用事?」

 

「警備隊の増員人数に関しての件と、各部隊の研修日程についてなんだが……」

 

 机に座っている曹操に歩み寄り、持っていた竹簡を手渡そうとしたところではじめて、珊酔は妻の顔をしっかり見ることになり……そして、竹簡を差し出した状態で固まってしまう。

 曹操はやつれていた。ただでさえスラリとしていたほほが更に細くなり、化粧で隠してはいるものの、目の下にはうっすらと隈が見える。端的に言って、ひどい顔だった。

 

「犬野?どうしたの、はやくよこしなさい」

 

「待て。それより大事な事に気が付いた」

 

「は?」

 

 珊酔は竹簡を懐に戻し、怪訝な顔をした曹操の後ろに回り込んだ。そのまま長い手を最大限利用して、曹操を抱え上げる。体格差のせいで、何も知らない者が見たら、父親が娘に高い高いをしているように見えるだろう。

そうやって久しぶりに抱えた曹操は、軽かった。身長が低めで、あまり食べる方ではないとはいえ、これは軽すぎる。

 

「ちょっと、犬野!何をするの!早く降ろしなさい!」

 

 珊酔の頭上でじたばたと暴れる曹操に対し、珊酔はひたすら無言だった。

夫の異常な態度に、曹操もおとなしくなる。必死に首を回して、珊酔の表情をうかがってきた。

可愛い……ではない。そんな事を考えている場合じゃないのだ。

 

「華琳。おまえ、ちゃんと飯食って寝てないだろ」

 

「……自分の体に必要な分は摂取しているわ」

 

「今朝は?」

 

「た、食べてない、けど。……仕方ないじゃない、お腹が減っていなかったんだもの」

 

 曹操が気まずそうに答える。もごもごと歯切れの悪い曹操というのは、大変珍しく、可愛い。

しかし、珊酔は追及を緩める気はなかった。

 

「きちんと寝台で休んだのはいつだ」

 

「三日前かしら。で、でも座ったまま仮眠は取っていたわ。仕事に支障が出てはいけないし、自己管理ができない子供ではないのだから、最低限のことはやっているもの」

 

「最低限にもほどがあるだろうがよ。化粧で色々と誤魔化しているくせに」

 

「それは!気がついても言わないのが礼儀というものでしょう!」

 

「わかったわかった。仕事する前に、まず飯だ。街に腕のいい料理人が入った飯屋があってな。中々うまい。そこに食べに行く」

 

「別に、お腹なんて減っていないもん」

 

「異論は認めん。食後用の菓子も充実している飯屋だから、それだけでもいい。何か口にしてくれ」

 

 珊酔は、曹操の体を正面から抱きしめる形に抱えなおした。

その瞬間、曹操が耳まで一気に赤くなり、そっと珊酔の服の袖を引っ張った。だが、曹操をここまで放置した他の側近たちへの怒りや、これからの段取りを考えている珊酔は気がつかない。

妙におとなしくなった曹操を不思議に思ってはいたが、好都合だと下手にいじらずにそのままの格好で部屋を出る。

 

 

 そのまま目的の飯屋まで行ければよかったのだが、曹操も珊酔も運が悪かった。いくらも歩かないうちに、焦った様子の夏侯淵と牛金につかまってしまう。

 

「華琳さま、犬野さまも一緒でしたか。丁度良かった。そのままで構いませんので、急いで謁見の間へ向かってください」

 

「なにかあったの?」

 

「張角に近しいとみられる男が、華琳様に謁見を願っています。どうしても伝えたいことがあると」

 

「あたしも確認したけど、確かに張三姉妹の『らいぶ』の親衛隊にいた人だったよ。幹部級なのは間違いないと思う」

 

「その、伝えたいことというのは?」

 

 一瞬で女から君主の顔になった曹操が、夏侯淵に尋ねる。

 

「わかりません。華琳さまに会うまでは、誰にも言わないと頑なな様子でして」

 

「本当なら追い返すなり、捕まえて牢に入れるなりしてもいいんだけどさ。今回の乱の発端が発端じゃない?で、一応手出しをしないで謁見の間に通したんだけど。……牢に入れた方がよかった、かな」

 

 明らかに不機嫌になった珊酔の様子をちらちらと窺いつつ、牛金が続ける。夏侯淵に至っては、珊酔を視界に入れないように、不自然に顔をそむけている。

そんな配下二人を、曹操は笑顔で褒めた。

 

「いえ、いい判断だと思うわ。犬野、このまま謁見の間にむかってちょうだい」

 

「……飯はどうするんだ」

 

「仕方がないから、その人物と話した後に行くわよ。だから、そんなに威嚇しないでちょうだい。秋蘭と牛金が怖がっているわ」

 

「約束だぞ。絶対に、一緒に飯に行くからな」

 

 珊酔とて、上に立つものとしての仕事が優先されることは分かっている。

不承不承行き先を転換することに同意し、早足で歩き出す。その後ろを、夏侯淵と牛金が駆け足でついていくのだった。

 

 






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