比翼連理   作:風月

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夫の心妻は知らず、妻の心夫は知らず。

珊酔(さんすい)達が到着した時、謁見の間には夏候惇、荀彧、許褚(きょちょ)、曹洪、曹仁の気配だけがあった。

曹操の身内と信頼できる配下数名のみが顔を揃えているということだ。

扉の外から気配を察知した珊酔はほっとする。反乱軍の幹部と土地を治める太守が直接会うなんて、本来はあってはならない。民が蜂起したきっかけを知らない者がいれば、面倒なことになる。

 

「流石に、この格好で中までは入れないか」

 

珊酔は抱きかかえていた曹操を、そっと床におろす。

だが、無理やり抱え上げられたはずの本人は、なぜか不満そうな顔で若干頬を膨らませていた。

 

「なんだよ」

 

「……いえ、別に。時間がもったいないわ、早く入りましょう」

 

「……おう」

 

 色々と言いたいことはあるが、全てのみ込んで、珊酔は曹操のために木の扉を開いた。

開かれると同時に颯爽(さっそう)と入室した曹操は、もう普段の調子に戻っている。

その曹操に珊酔は無表情で続く。夏侯淵と牛金は目立たないように、それぞれの立ち位置に移動した。

 

 

 

 曹操が壇上に唯一ある椅子に足を組んで座り、所在無げに立っている幹部の男に視線をやっただけで、男がびくっと体を震わせた。強い者が持つ独特の気に慣れていないのだろう。

成人した曹操と初めて会った人間は、大抵及び腰になるという。怯えた様子だけで小物と判断するのは早計だが、大した人物ではないな、と曹操の右隣という定位置に立った珊酔は思う

 家臣たちの興味深げな視線の中心にさらされているのは、中年の男性だった。白髪交じりの短髪で、後頭部は剥げが目立っていた。

男が着ている灰色の服は所々が擦り切れているうえ、血がこびりついている。そのなかでも、左腕に巻かれた黄色の布はシミひとつない綺麗な状態を保っており、目を引いた。

体格としては大柄ではないが、鍛えられた筋肉を持っているため、素人ということはなさそうである。楽進あたりと闘わせたら、いい勝負はしそうだった。

 

「……ん?」

 

 そこで珊酔は、無意識に首元に手をやっていた自分に気が付いた。普段着でこの場に来たものだから、首元がなんとなく落ち着かないのだ。

こうした公式の場で曹操の脇に立つときは、常に正装で首には襟巻をしていた。曹操が手製で作ってくれた、白の襟巻だ。

可愛くて似合わないと思っていたものが、今はないと落ち着かないとは。珊酔は小さく肩を落とす。

 

「待たせたわね。私が陳留太守、曹孟徳よ。隣にいるのが、夫の珊酔。それで、賊の幹部が、私に一体何の用?」

 

ことさら尊大な態度で、曹操が男に問いかけた。

 

「賊じゃない。おれは、周倉。旅芸人の、張三姉妹の命を、助けてほしい」

 

男は、拳を胸の前で握って、曹操を見た。

怯えはあるようだが、視線を逸らさないのは男なりの意地なのだろう。

 

「俺たちは、はめられたんだ。天和ちゃんたちは、普通に『らいぶ』をしていただけなのに、漢の軍が急に押しかけてめちゃくちゃにしやがった。俺たちは、命を守るために戦っただけなんだ」

 

「貴様、黙って聞いておれば、何を都合の良い事を!官軍がわけもなく民を襲うはずがないではないか!我々が戦った黄巾を名乗る賊軍は、張角は漢を倒すために立ち上がったのだとはっきり言っていた。そして、奴らは

それこそ全く関係のない民を襲っていたのだぞ!それが、漢全土で起こっている!天子から民を預かった我々が、乱の首謀者を助けるはずがなかろう!」

 

「違う!彼女たちは、何もしていない。関係ないんだ」

 

「関係ないはずがあるか!張角の本隊に襲われた村があることくらい、私も知っているのだぞ!」

 

 夏候惇が周倉と名乗った男の言葉を遮り、怒鳴る。傍に控えていた夏侯淵が見えないように服の裾を握っていなければ、とびかかっていただろう。

呂布が張三姉妹の公演に乱入して殺戮をした件に関しても知っているはずなのだが、そのことは今、頭にないらしい。湧き出る正義感に従い、ただただ、怒りを周倉にぶつけていった。

 だが、周倉も言われたままではいなかった。元々、命はないものと覚悟していたこともある。

ただ、一番は周倉の中にくすぶる怒りが、反射的に言葉を返していたというのが正しいかもしれない。

 

「抵抗するには、仕方がなかった!!あいつらに戦いを選んだことは、俺は後悔していない。賊に近いこともしたことは認める。でも、それは俺たち親衛隊が勝手にやったこと。張三姉妹は無関係なんだ。だから、だから、彼女たちだけは助けてほしい。曹操様は、民にやさしく、公平な太守なんだろう?女の子三人守るくらい、してくれてもいいじゃないか!そのためなら、俺の命だってどうでもいい。だから彼女たちだけは、どうか、どうか……」

 

周倉は床に崩れ落ちるようにして、頭を下げた。

 

 

 諜報部の報告で、ある程度の事情を知っている幹部たちである。(夏候惇だけは、鼻息を荒くしていたが)

張三姉妹に対する同情からか、その場にいる女たちの中には周倉から目をそらし、うつむく者もいた。

なんとも言えない沈黙が、その場を包む。それを、何の感情も乗せられていない低い声が破った。

 

「今更無理だ。阿呆か」

 

 珊酔である。もちろん、董卓に対しては強い怒りを持っているし、民の蜂起はやむなしと考えていることにかわりない。

だが、日にちが経って、珊酔も冷静になっている。曹操の事を考えると、とっととこの男を斬って、聞かなかったことにするのが一番良い。助けられない者に対しての同情なんて、珊酔にとっては無駄なものでしかなく、いらだちを増幅するだけだった。

 もちろん、曹操もこんな要求は直ちに蹴るものだと考えていので、頭の中は既に街中の飯屋のことに移っていたのだが。

 

 

 曹操は、どうやら珊酔と考えが違ったらしい。珊酔の言葉が聞こえていなかったかのように、笑顔さえ見せて周倉に話しかけた。

 

「顔をあげなさい。私としても、罪のない民を無下に殺すのは本意ではないわ。ただ、私の太守という立場では、張三姉妹を助けるということはまず無理。けれど……」

 

そこで、曹操はいったん言葉を切った。息を大きく吐いて男をみつめる。顔を上げた周倉が生唾を飲み込んだのが、はっきりわかった。

 

「私も一度、張三姉妹の公演を見ているの。彼女たちには観客を魅せる力があった。器量も良い。ここで死なせるには惜しい人材だわ。多少、無理をしたとしてもね」

 

「華琳、」

 

「華琳さま!?」

 

「本気でおっしゃっているのですか!?」

 

 珊酔が、荀彧が、夏侯淵が、驚愕の声をあげる。しかし、曹操はそれらの声が聞こえていないように、平然と言葉を続けた。

 

「何をしても良いと言ったわね。貴方と、親衛隊の中から他に二人。張角たちの身代わりになる覚悟はあるかしら?」

 

「……天和ちゃんたちの、身代わりに?」

 

「そう。討伐命令に従ってはいるものの、諸侯は張角たちの姿をはっきり知らない。性別すらもね。黄巾軍の本隊を壊走させ、張角を名乗るものの首さえあれば、何とでもなる。そして、連れてくるのが3人だけなら、曹操軍の少数精鋭で陳留まで連れてこられるわ。誰にも知られずに、ね」

 

 そうして曹操が目を向けたのは、珊酔、牛金、曹仁の三人である。

ここで、察しの良い配下たちは、黄巾曹操が本気で張角・張宝・張梁を欲しているのだと理解した。領地に入ってきた黄巾軍本隊を討伐して功績を得ることよりも、董卓軍と交戦せずに、優良な人材三人を手に入れるつもりだと。そして、こうと決めたら引かないという性格も重々承知していた。

 

「どう?貴方自身が納得し、仲間を説得できればの話だけど」

 

「それでいい。三人の命が助かるのなら」

 

周倉は即座にうなずいた。

彼女たちのためなら、なんでもやると決めた。自分のつまらない命でも、役に立つのなら本望。仲間たちも、そう思うはずだ。

 

「交渉成立、ね」

 

曹操は笑みを深めた。それから、複雑な表情でこちらをうかがう荀彧に視線を移す。

 

「桂花」

 

「はっ」

 

「周倉は陳留で処刑したことに。対外的な措置はあなたに任せるわ」

 

「かしこまりました」

 

 荀彧は言いたいことを呑み込み、曹操に頭を下げる。

漢の命令にそむく。本来はあってはならないこと。この事が外に漏れないように、万全の警戒が必要になる。

 荀彧は、ようやく見つけた真の主を、こんなつまらない事が原因で失脚させるつもりはなかった。

 

「犬野」

 

「……おう」

 

「董卓の手にかかる前に、三人を救出すること。あなたなら、できるわね?」

 

「……」

 

 珊酔は、一瞬返事をためらってしまった。

 

 牛金が怪我をしてからも、遠くからの監視は部下達が続けている。黄巾軍を追跡している軍の中には、呂布がいることも既に知っていた。当然、曹操も知っている。

牛金が怪我をした時、あれだけ、呂布を要する董卓軍と直接対立を避けていたのに。上手く美女三人を手に入れるとなったら、あっさり自分を呂布にぶつけるのか、と。男である珊酔などどうなってもいいのだと、言っているようにも感じたから。

 

「やってみせるさ。……お前が、それを望むなら」

 

だが、結局珊酔はそう返事を返した。

 

 あの日、曹操が女を好むと知っても傍に入れる決めたのは己自身。

その三人を、曹操が関係を持ちたいがために手に入れたいのだとしても。彼女を傍にいて、助けると決めた。その誓いを破るつもりはなかった。たとえ、自分がどんな扱いになったとしても。

 

「あと、国境に警備に回っている柳琳にも、伝令を送ってちょうだい。指示がない限り、董卓軍にも黄巾軍本隊にも攻撃はしないようにと」

 

 曹純。字を子和、真名を柳琳(るーりん)という彼女は、曹仁の妹であり、曹操の従妹だ。まだ若く、先日成人したばかりである。

曹純は、馬術が得意だった。それを曹操に買われて、親衛隊に配属されている騎兵部隊をつれ、国境の警備に赴くことになったのだ。

 性格は元気に跳ねまわる姉と違って、おしとやか。休みは書を読み、勉学に励む真面目でちょっぴり心配性な女性だ。……ただし、馬に乗りさえしなければ。

ちなみに、珊酔は彼女は地に足がついている限り、曹操の血縁の中で一番の常識人であると思っている。

 

「わかった。くれぐれも、馬には乗らないように伝えておく」

 

「お願いね」

 

「俺からも、一つ。……季衣」

 

「は、はいっ!ぼくに何か御用ですかっ?」

 

突然話を振られて、許褚が飛び上がる。

 

「一日に一回。昼飯時がいいな。今日から、俺がいない間、華琳を飯に連れて行ってくれないか。お前なら美味い飯屋を知っているだろう?どうも、こいつは監視している奴がいないと、きちんと飯を食わないみたいでな」

 

「……お腹が減っていなかったと言っているでしょう」

 

「知らん。とにかく、同行してきちんと何か口にするか確認してやってくれ。頼む」

 

「わかりました!」

 

「もう……」

 

 一瞬だけ、場が和やかな雰囲気になる。だが、会話の間、二人は一度も視線を合わせることはなかった。その違和感に気が付いたのは、誰もいない。

夫婦の会話についていけない周倉だけが、ぽかんと立ち尽くしていた。

そんな周倉に、曹操が向き直る。さっきまで軽口をたたいていた人物とは同一とは思えない気迫をまとい、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「この曹孟徳に任せなさい。貴方の……貴方たちの命、無駄にだけはさせないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、会議が終わったあと。

 

 珊酔は曹仁、牛金、そして周倉をつれて真っ先に出て行った。

仕事の途中だった夏侯淵は曹操にじゃれつこうとする夏候惇を連れて出て行き、荀彧は頭を抱えながらふらふらと謁見の間から出て行く。許褚は曹操と半刻後に正門前で待ち合わせという約束を取り付けてから、楽しそうに出て行った。

その場には会議では一度も発していない曹洪と、椅子に座った曹操のみが残った。

 

「なにか、言いたいことがあるのよね、栄華」

 

言外に、すぐに話せという圧力を感じて、曹洪はびくりと震える。少し迷った後、常に抱いているぬいぐるみを両手で強く抱きしめて、曹操を見上げた。

 

「わたくし、お義姉さまは、もう女性と関係を持つのはやめたと思っていました。そういう行為をすることに、興味がなくなったのだと」

 

「ええ」

 

「なのに、今更張角たちを手に入れようとなさいますの?私たちでは駄目なのに、旅芸人の三姉妹なら愛することができると。そういう事ですわよね」

 

 曹洪も、かつて曹操と関係を持っていた女性の一人だ。

しかしある日、曹操は突然女性と寝ることをやめた。夫以外に体を許す気が無くなったと、そういわれた。もちろん、曹操に愛されることに慣れていた女たちは反発した。

だが、曹操の意志は固く、諦めざるを得なかった。そういう経緯がある。

 

「向こうには、呂布がいます。張遼も、華雄も。お義兄様達でも、無事に帰ってこれるかどうかわかりません。そこまでして、欲しい物なのですか!」

 

 曹洪の声は震えていた。

彼女には、この救出戦は、女のために部下を捨てるような行為にしか感じられなかったのだ。

 

「栄華……」

 

 予想をしていなかったのか、曹操は目を丸くして硬直する。

そして額に手をやり、あきれたように、大きくため息をついたのである。

 

「何を馬鹿な事を言っているの。私は別に、彼女たちを手籠めにしたいから、犬野を向かわせたわけじゃないわ。そんなつまらない理由で、夫を死地に向かわせるはずがないでしょう?」

 

「えっ!?ですが、魅力的な人材だと……」

 

「張角たちの公演に行って、死なすには惜しい人材だと感じたのは本当よ。でも、一番は犬野のためよ。董卓軍の鼻を明かすことができる、絶好の機会じゃない」

 

 董卓はなぜか張角たちを執拗に狙っている。今も、他領に無断で侵入しながらも追い回していることから、何としても張角たちを殺したいに違いない。

しかし、世間的には張角は男だという情報が流れており、董卓はそれを否定していない。

仮に偽者の首だとわかっていても、『張角』を打ち取ったという事にして、朝廷に報告するしかないのだ。

 

「できると言ったのだもの。犬野なら、我が軍が関わっている痕跡も残さずに、張角たちを連れて来るわ。これで、牛金の件で溜まっていた犬野の溜飲も、いくらか下がるでしょう」

 

 まだ力のない自分では、直接董卓と事を構えられない。珊酔の気持ちに応えられない事を、曹操はひどく申し訳なく思っていて、ずっと気にしていたのだ。

牛金が怪我をしてから、どこか関係がぎくしゃくしている。珊酔自身も元気がないように見える。

 

張角たちを救出し、生活を保障することで、少しは珊酔の機嫌が直ってくれればいい。

曹操は、周倉の言葉を聞いた時、そう考えたのである。

 

「本当に、お義兄様の気持ちの為だけに、このような馬鹿げたことをやろうと……?」

 

「腐敗した漢王朝に忠実に尽くしているだけでは、面白くないでしょう?」

 

いたずらっぽく、曹操が言う。今度は曹洪があっけにとられる番だった。

と、同時に安堵する。

色に狂わされたのではなく、自分が知る曹孟徳のままだとわかったから。

 

「納得してくれた?」

 

「はあ。お義姉さまが寵愛を与えるために彼女たちを助けるというなら、反発いたしましたけれど。今でも、無茶な作戦だとは思いますけれど。実行者であるお義兄様が何も言わないのであれば、私もどうこう言うのはやめますわ」

 

「ふふっ。ありがとう、栄華」

 

曹操は満足げに笑って伸びをした。

 

「心配しないでも、犬野ならさらっとこなして帰ってくるわよ。こういう事なら犬野は天下で一番。誰にも負けはしない。貴方はいつもどおり、ここで仕事をしていれば良いの」

 

「わかりました」

 

 そこまで言われては、うなずくしかない。くたっと(しお)れてしまったぬいぐるみを抱えなおして、曹洪は大きなため息をつく。

そして、曹操の高い期待に応え続ける珊酔を、改めて尊敬したのである。

 




16日中に上げようと思って頑張りました。
見直しはしたつもりですが、眠かったので誤字脱字が多かったらすみません(……いつもか?)
直しますので、見つけたら教えて下さるととてもうれしい、です。



注 曹純の性格について
:「地に足がついていれば常識人」というのはオリジナルの設定となります。本来は、いつでもおしとやかで姉について心配している心優しい女性。つまり、常に常識人ということのようです。





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