比翼連理   作:風月

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黄巾の乱開始直前から、物語は始まります。英雄譚キャラも何人か出る予定です。


黄巾の乱
歴史の脈動


 思わぬ形で許褚という新たな仲間を増やしてから、多少の糧食の問題はあれど、大した被害もなく曹操軍は陳留へ帰還した。

 

 親衛隊を夏侯淵に任せてから曹操が城内へ戻ってくると、それを入り口でいたたまれない顔をした曹洪が出迎えた。肌身離さず抱えているぬいぐるみも、主にならってしょげているようにも見えるから、不思議である。

 

「お帰りなさいまし。怪我がなくて何よりですわ」

 

「ただいま、栄華。私たちがいない間かわりはなかったかしら?」

 

「ええ、まあ」

 

「なに? 何か言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

 

 歯切れのわるい曹洪の言葉にいらだちを隠せない。ただでさえ、食料を切り詰めたまま行軍してきたばかりなのだ。無駄なやりとりをするより手短に終わらせて食事をとりたい。

 

「は、はい。城にどこかの間者が侵入したことと、新しく雇った官吏の不正が何件か。全て大事になる前にわたくしとお義兄様で対処しましたわ。」

 

「間者? たかが陳留太守相手に? どこの手の者かわかった?」

 

「それが、庭でお義兄様が瞬殺されましたので……。お姉さまや秋蘭がいない分書類仕事も増えて忙しくなりましたでしょう? 睡眠不足でいらいらしているところでの出来事でしたので、手加減ができなかったようですの」

 

「ああ……そう」

 

 曹操は天井を仰いだ。

 趣味が寝ることという夫は、あまりに睡眠がとれなくなるとイライラしだす。加えて、気配に非常に敏感で、慣れないものが索敵範囲にいて変な動きをとると生肌に虫が這ったような気持ち悪い感触がするらしい。

八つ当たりをすることはめったにないのだが、今回は我慢できなかったのだろう。

 

「申し訳ありません」

 

 本当に落ち込んだ様子で曹洪が深々と頭を下げた。

 曹操は頭を上げさせ、不安を減らせるように淡い笑みを浮かべて話しかけた。

 

「あなたが謝ることじゃないわ。私たちがいない間、よく陳留を守ってくれたわね」

 

「いいえ、そんな。わたくしには勿体ないお言葉です」

 

「まったく、褒めているのだから素直に受け取りなさいな。ところで、犬野(けの)は自室かしら?」

 

 曹操の夫は珊酔(さんすい)、字は伯信(はくしん)、真名は犬野(けの)といい、豪農の家の子として生まれた。

 今まで二度曹操の命を救ったことが縁となり、曹操自身が熱烈に縁談を望んだため、表だって反対する者もなく、子はいないが良好な関係が続いている。

 

「いいえ、執務室でお仕事を。今日中に片づける書簡が少し残っていまして、その処理を。俺の分も出迎えてやれ、とのことでしたのでわたくしが先に挨拶に参りました」

 

「ふうん? ……まあいいわ」

 

 人見知りでものぐさな面を持つ珊酔(さんすい)のことだ、わざと出迎えなかった可能性もある。

しかし、その場合曹洪が素直に言うことを聞かないだろうし、今回は本当に忙しいのだろうか。

まあ、詳しくは本人に聞けばいい。

 

 気持ちを切り替えた曹操は可愛い従妹の頭をなでた。すると、きりっとした顔がふにゃーんと、マタタビを与えた猫のようにとろけた顔になった。

こんな顔を見られるのは何人いるのだろうかと思うとゾクゾクするものがあるが、今は戯れている場合ではない。

 

「急だけど、今夜、新しく加わった軍師と将候補を歓迎する宴を行うわ。祝勝会も兼ねてね。準備をお願いしてもいいかしら」

 

「もちろんです、お姉さま! わたくしに任せて下さいませ」

 

「ふふ、期待しているわよ」

 

 言い残して、曹操は足早に台所へ向かった。自分の食事と、働いているだろう珊酔(さんすい)が何か口にするものを作るためだ。

 

 

 曹操は手早く台所で肉まんを作り、冷めないように籠に入れて執務室に向かった。自分は一つだけ先に食べ、あとは珊酔(さんすい)と話しながら食べるつもりである。

 制作途中で腹を減らした夏候姉妹や大食い魔人の許褚の襲撃を受け、予定より数は減ったがそれでも5つあれば十分だろう。

自分も珊酔(さんすい)もそう食べる方ではないのだ。

 

「犬野、入るわよ」

 

「ああ」

 

 木製の扉の奥からぶっきらぼうな返答があったのを確認してから、曹操は珊酔(さんすい)の執務室に入った。

 向かって正面と脇に机が一つずつ、そして資料の棚が二つという殺風景な部屋だ。

正面の大きな机の両脇には木簡の山、そして机の主は眉間にしわを寄せ、不景気そうな顔で頬杖をついていた。

 

「酷い顔ね」

 

「眠い。ただでさえ人が足りないのに、お前と秋蘭が抜けたら書簡処理が回らん」

 

普通に処理していたら統治に支障がでるから、3日徹夜で1日夜休める程度だと、珊酔(さんすい)は愚痴る。

 

「そうなの? 因みに今日は何日目?」

 

「今日で3日目。誰が何と言おうと、今夜は寝る」

 

「……はあ。今夜戦勝の宴を開く予定だから、その前に仕事を中断して一度寝ておきなさい。宴には新しく加わったものの紹介も、その時するのだから、私の夫であるあなたも必要なのよ。ひと段落ついたら先に抜けていいから。わかったわね」

 

「おう」

 

 最大限の譲歩というのが伝わったのか、むすっとした表情のまま珊酔(さんすい)は頷いた。

 薄萌木のゆったりした上下に長身の体を包んだ珊酔(さんすい)は、比較的露出を好む漢民族の中では珍しいものだ。雑に刈られた銀色の頭髪は、収穫前の麦のように天井に向かって伸び、普段はネコ科の獣のようにきりっとした目は寝不足からか濁りが見える。

 

「栄華から侵入者があったと聞いているわ。情報を聞く前にあなたが殺してしまったそうだから、所属も目的もわからないそうだけど、それについて何か弁明はある?」

 

「特に」

 

「あなたねえ」

 

「袁紹に呼びつけられた時に城にいた奴だよ。見たことがある。どうせお前の弱点でも探ろうとしていたんだろうが、所詮小物だ。何も取られていないし、それ以降音沙汰もない。総じて害はない、以上」

 

「……次に見つけた時は生きたまま捕縛して」

 

「善処はするよ」

 

 珊酔(さんすい)の、一見文官と見まがう体型は、しかしその実筋肉をしっかりつけている。その珊酔(さんすい)が椅子から立ち上がって大きく伸びをすると、縦長の体がもっと長く見えるのだった。

 曹操は無言で自分の身体を眺め、珊酔(さんすい)と並べれば兄妹に見られる程度の身長しかない自身を嘆いて溜息をつく。成長期はとうに来ているはずなのに、なぜ自分は小さいままなのだろうか。

 伸びをしていた珊酔(さんすい)が、ようやく曹操が持っている籠に気が付いた。興味深そうに近づいてきて、中を覗き込んでいる。

 

「ん、お前、帰ってきたばかりなのになんか作ったのか」

 

「え、ええ……。先ほど台所でちょっと肉まんをね。部下の計算違いで遠征の食料がたりなかったから、私もお腹が減っていたのよ。あなたの分まで作るつもりはなかったのだけれど、春蘭たちの分も作ったら余分に余ったから」

 

「へえ、そいつはありがたい。お前の手料理は上手いからな。いただこう」

 

「どうぞ。妻の手料理なのだから、味わって食べなさい」

 

「わかってる。……うん、いつもながらうまい。ありがとう」

 

「わ、私の料理ですからね。美味しいのは当然よ」

 

 手製の肉まんを頬張った顔が珍しく、うっすらとだが笑みを浮かべるのを見て、華琳は思わず目をそらしてしまった。普段は厳しい顔のままでめったに笑わないくせに、こういうところがずるいのだ、と思う。

 しかし、むしゃむしゃと咀嚼しながら珊酔(さんすい)は不思議そうな視線を曹操に向けた。

 

「お前、部下が失敗した割には珍しく楽しそうだな」

 

「そうね。空腹に耐える以上に、いいものを見つけられたから」

 

「へえ。お前の眼鏡に叶う人材が出たのか。有能な者が増えるのは喜ばしいな。……新しく増えたのは、一人か? 先ほどから、慣れない気配が春蘭の後をついて城の中をうろうろしているようだが」

 

 目をつむって何かを探るようにした珊酔(さんすい)が曹操に問いかける。

人間離れした気配察知能力は脱帽ものだが、もう一人は元々城で働いていたから、知らない気配を探るという大雑把な探索には引っかからないようだ。

 

「そうね、その子が一人。許褚といって、まだ幼いけど力のある戦士だったわ。武将候補よ」

 

 曹操はうなずく。

 

「そしてもう一人は元々城で働いていた文官よ。使えるようだから、軍師に抜擢することにしたの」

 

「名は?」

 

「荀彧。字は文若よ」

 

「荀彧……ああ、あの男嫌いの倉庫番か。確かに、仕事はできそうな奴ではあったな」

 

「あら、顔見知り?」

 

「というほどでもない。少し前に、どこぞの兵に絡まれているところを拾ったことがあるだけだ。俺の顔を知らなかったようで、男に触られたのなんだの煩かったから、適当なところに置いてきたが」

 

「そうだったの。じゃあ彼女、私の隣にいるあなたを見たら卒倒しちゃうかしらね」

 

「けがらわしい男の事なぞ覚えてないかもしれんな」

 

「気にしているの?」

 

「別に。アレにこちらから歩みよる気はないがな。個人の嗜好だ、仕事上問題なければ俺が口をはさむこともないだろうし、気にしていない」

 

 とはいうものの、珊酔(さんすい)は面白くなさそうであった。けがらわしいと言われて喜ぶのは変態ぐらいであろうから、当然と言えば当然だろう。

 

「……まあ、文官も武官も新しく入れたやつは、柄が悪いのが混ざってたからな。絡んだのはそのうちのどれかだろう。お前達がいない間にボロを出した文官は処罰したが、これからは全体的に本腰入れて直していくべきだな」

 

「そうね。期待してるわ」

 

 そう言うと、全て俺に任すつもりかというような視線が曹操に飛んできたが受け流す。そういう輩を見つけ出すのが一番得意なのは目の前の夫である。適任者に任せるのが一番効率的だ。

 しばらくお互い睨み合っていたが、珊酔(さんすい)はこちらがどうしても譲らないとみると、諦めたようだった。

そのまま新しく籠の肉まんに手を伸ばした。間髪入れずに食べ始めるあたり、今回の差し入れはとても気に入ったようである。

 

「しかし、お前が抜擢するほどの者が軍師になるなら、大分楽ができるな。今まで後手に回っていたが、暴動に対しての調査もいくらか進められるだろう」

 

「ええ。核となる者の目星はついた?」

 

「予測は立っている。だが突飛すぎて確信がない。そんなところだ」

 

 曹操は驚いた。調査を頼んだのは自分だが、まだ反乱軍同士の横のつながりすら見えていない状態で、目星をつけているとは考えていなかったからだ。

あらためて、自分の夫は優秀だと感じた。

 

「そう。民のために一刻も早く名前を知りたいところだけれど、確信がないということは、答えはしばらくお預けかしら」

 

「ああ。ま、予想通りなら、首謀者とされる名前が全土に広まる前にこちらで居場所をつかめるな。上手くいけば官軍が賊を叩いた効果が出てきたころに、襄陽の手前で首謀者のいる本隊が集結するところまで追い込めるだろう。その前に起こるだろう小競り合いの方は任せた。負けるなよ」

 

「誰に物を言っているのかしら。私は曹孟徳よ。寄せ集めの、軍とも言えない者たちに負けるような戦をすると思われているなら、心外ね」

 

「さあてな。戦に絶対はない。こんな俺がお前に二度も会ったことも含めて、何が起こるかわからない世の中だからな。昔の俺に、お前とこうなると言っても絶対に信用しないだろうさ」

 

「あなたと再び出会ったことも含めて、そうなる宿命だった。そう考えているわ、私はね」

 

曹操は籠を机に置いて歩み寄り、肉まんを食べ終えて空いた珊酔(さんすい)の両手を自分の両手でそっと握った。見上げると、遠くに切れ長の相貌があった。

 

「あなたとの約束を果たす第一歩が、ようやく踏み出せるところまで来た。これからが天下にむけての正念場よ、力を貸して」

 

「言われなくとも」

 

間髪入れずに返ってくる返答が心地よかった。曹操は笑顔になる。

それが、先ほど曹洪が見せていたような、完全に心を預けた者にしか見せないものになっていることは、本人は全く気が付いていなかったが。

 

 


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