比翼連理 作:風月
英雄と色とは切っても切れないものでして -1
洛陽は燃えていた。
袁紹が極秘に進めていたはずの『反董卓連合』の存在が、どこかから董卓陣営に漏れてしまったため、董卓陣営が
迅速に戸外の部下を動かし、洛陽にいた袁家に関わりのある者を女子供の区別なく次々と斬首刑に処していった。
予想をしていなかった袁紹陣営は不意をつかれ、殆どが董卓の凶刃に倒れた。
反董卓連合に関わりのある者の縁者の屋敷は全て放火された。董卓の部下達は火に追われて逃げてきた人々も全て殺害し、死体は直ちに火の中にくべて灰にする。自分に反逆する関係者は全て殺すという、董卓の信念がそのまま現れていた。
洛陽の街は厳戒体勢がひかれ、残った貴族も民も、街の片隅で怯えながら
『悪逆董卓』
袁紹の
洛陽が地獄と化してから数日が経ったある日。
洛陽から南下した位置にある宛の城では、
小男の名前は
用意された座り心地の良い椅子の上で、
曹家に養子として入った彼は、昔は義父の後を継ぎ曹家をより大きくしようと希望にあふれたしっかり者だった。だが、位が上がるにつれ数々の政争に巻き込まれ、何度も命の危機に見舞われると、元々弱かった心がぽっきり折れてしまった。
権力に引かれる馬鹿な女を囲ってちやほやされるのは好きだったが、自分の命には代えられない。そう判断した
今回も洛陽にはなじみの芸妓に会うため、ふらっと立ち寄っただけなのである。
手持ちのお金を存分に使い、女を侍らせて遊んでいたところ、曹操の父ということで襲われ、娼館もろとも火をかけられた。表に逃げ出し、首に剣を突きつけられ万事給す…といったところで命を救ったのが
「いやあ、助かりましたよ
自分の命は彼女が握っているのだ。娘と同じ年の女性に頭を下げることになるが、意地と命は代えられない。
一方、城の主である
「そんなに緊張しないでください。おじさまには、小さなころに沢山可愛がっていただきましたもの。この程度、なんてことありませんわ」
曹操は父に隠しきれていると思っていたのだが、あちこちに妻や愛人を持ち種をばらまく(自称)恋愛の達人である
その縁で、2人は何度か顔を合わせていたが、
「いえいえ、そんな。いくら現役を退いて長いとはいえ、董卓殿のお力は知っております。自分に、董卓殿に逆らってまでの助けていただく価値がどうしても思い当たらなくてですね。一歩間違えば宛も火の海ですよ、火の海。董卓殿はご気性が荒いとはきいていましたが、これでは傍仕えの者は大変でしょうね。同情します」
「おほほ、董卓様はご自分に害のない者には何もなさりませんわ。ご意見番として傍に陳宮様がいらっしゃいますから、今回もめったなことにはならないでしょう。どこぞのお馬鹿な方々のように、表だって逆らわなければよいのです」
「いやあ、その、耳が痛い話で申し訳ない」
「あら、ごめんなさい。決しておじさまと華琳ちゃんを馬鹿にしたんじゃないんです。気分を悪くなさらないで」
長い銀髪が首筋をくすぐり、慣れた手つきで髪を後ろに流す所作も美しい。女の見た目に厳しい
視線は豊満な乳房に釘付けであった。こんなときでなければ。彼女を閨に呼んで思うままに啼かせたら、さぞ楽しい時間を過ごせるだろうに。
それに、洛陽の件から考えても、
当時、曹操が
「はは……ええと、つまりですね。私の救助は董卓殿への反抗にはならないと?」
「おじさまは引退しておりますし、洛陽へも偶然遊びに行かれただけの、一般人といえます。何か罪を犯したわけではありませんから、陳宮様に相談申し上げたら十分でしたわ、董卓さまも何もおっしゃらなかったようです。お二人の詳しいやりとりは存じませんが、今も何もないことが何よりの証拠でしょう」
「そ、そうですな」
平然と言う
これは洛陽から宛へと上手く逃げおおせたのではなく、単に虎口から龍の口の前に移動させられただけかもしれない、と。
「あらかじめ言っておくと、私は人質としては役立たずですよ。わが娘は肉親の情より己の出世が最優先で、私に対して仕送りもほぼありませんからね。ま、だからこそしがらみもなく、自分の貯金や寄付を使って、各地を渡り歩いていけるんですが。昔は自分を慕って後をついてきた可愛い娘だったんですけどね」
「己の出世が最優先、ですか。己の事を律して国の行く先を憂いていた華琳ちゃんがそうなってしまうなんて……。いったい誰のせいなのかしら。いえ、理由を探している暇はないですね。私が目を覚まさせてあげないと。そのためにも……おじさま、こちらを」
「これは」
「おじさまに届けていただきたい書状です。一通は華琳ちゃんに、もう一通は華琳ちゃんの旦那さまに。華琳ちゃんには、こちらの黒の扇も一緒に渡していただければと思います。この扇は、昔華琳ちゃんが
「はあ。それは良いのですが、そのような大事な物は私に預けるよりご自身の信の厚い者に託すべきでは。私に預けるより、確実に娘の元に届くと思いますがね」
「陳留まで届けるだけなら、私もそういたします。ですが、それではだめなのです」
「
両腕を力なく机に落として、顔を上げた
「そこで、
「
「誇張していただける分には、いくらでもしていただいてかまいません。華琳ちゃんが
書状の内容が気になるところだが、龍の口にいる以上は不用意な発言は慎むべきなのだろう。好奇心よりも娘よりも最優先されるのは身の安全である。
「なるほど。それなら、喜んで預からせていただきましょう。婿殿にも、娘と同じような事を言って返事を書かせればよいのですな」
「いいえ、華琳ちゃんの旦那様からのお返事はいりません。こちらの華琳ちゃんの旦那様……確か珊酔殿でしたかしら。珊酔殿宛の書状は
「なんと、董卓殿の側近殿からの書状ですか」
「詳しい内容は
「はあ……」
「あほな小娘たちとお思いですか。いやだ、恥ずかしい……
「いえ、あいにく、男は守備範囲外でしてね。婿殿についても、娘を助けた恩人ということしか知りませんねえ。個人的な印象を申しますと、彼は女性にしか興味のない人種と思いますが。旅の際にどの娼館に寄ればいいかなど、その辺の話は豊富に持っておりましたからね」
「そうですの。残念です」
肩をすくめて、視線を落とす
「陳宮殿が言うには『やらなくてもそう影響は出ない仕事だから、
「その順番に何か意味があるのですか?」
「ええ。そのほうが、華琳ちゃんが困りますもの」
「娘を困らせるためだけに、手の込んだことをなさる」
「先に私を
口の端だけをあげる、意地の悪い笑み。
いい父親としては断るべきなのだろう。だが、
彼は娘の都合など知ったことではないと考えており、残念ながら娘を売ることに罪悪感のかけらももちえていなかったのだ。
今の
曹操ほど優秀な子どもはいないが、家長が変わってすぐ曹家が滅ぶわけもないし、滅ぶにしても自分が死んだ後の事だろう。
「かしこまりました。仲直りしてくださるなら、乙女のじゃれ合いに手を貸すくらい問題ないでしょうな」
そそくさと二通の書状と扇とを手前に引き寄せ、着物の内側に丁寧に収めてから
「それでは、陳留に向かいます。洛陽で助けていただいたご恩は忘れません」
「おじさま、そこまでかしこまらないでくださいな。困ったときはお互い様というでしょう。誰かに城の外まで案内させます。ただ、陳留まで護衛して差し上げられないのが、残念ですわ……」
「おかまいなく。他人との旅は窮屈でかないませんので。賊から身を守る程度の武はありますし、一人の方が女性としっぽり楽しみやすいのでねえ」
「そうですか。……誰か
心の中で娘夫婦に悪態をつきながらも、表面上はにこやかな笑みを浮かべた
執務室の扉が閉まり
と同時に、床の一部がずれてそこから眼鏡の美少女が這い出てくる。
「おつかれさま。確かに、この目で確認させてもらったわ」
「ありがとうございます。腹芸は得意じゃないのだけれど、上手くできていたでしょうか」
「不得意ねえ。……まあいいわ、
「殿方など、そのようなものでしょう。約束通り、華琳ちゃん……曹操の身柄と、身柄拘束後の許昌は私の好きにさせていただきますわ」
「ええ。間違っても、曹操配下に反乱なんてさせんじゃないわよ。反董卓連合とかいうふざけた連中の相手だけで手いっぱいなんだから、あんたの所に回す兵力はないと思いなさい」
「わかっております」
「ふん」
美少女は腕を組んで鼻を鳴らし、何事か考えるように虚空を見上げた。
彼女の名前は賈駆といった。董卓軍の軍師で、本物の董卓を助けるためだけに反董卓連合の関係者の殺害を指揮・実行した人物であり、また危険人物である曹操を潰すために徐福の使い走りをさせられた不運な人物でもある。
軍師という立場上、この後
「後は特に用もないし、あたしも城に帰るわ。あんたも上手くやんなさいよ。あたしは徐ふ、じゃなくて陳宮のように直接手助けはできないけど……あんたの宝物が手に入るように祈ってるから。地獄に落ちても、離すんじゃないわよ」
「もちろん。華琳ちゃんと一緒になれるなら、地獄の炎に焼かれながらでも生き延びて見せますわ。賈駆さまも、色々とありがとうございました。忙しいとは存じますが、お体もご自愛くださいませね」
「待っていてね、華琳ちゃん。私が必ずあなたを正しい道に戻してさしあげますわ」
大変お待たせいたしました。待っていて下さった皆様、本当にありがとうございます。
楽しんでいただけていたら幸いです。
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この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
今回は藤田麻衣子さんの曲リピートで書き上げました。
……曹操様出せなくてごめんなさい。次話こそ珊酔と曹操両方出ます。