比翼連理 作:風月
翌朝、陳留の街は雲一つない快晴だった。絶好の視察日和である。
視察に赴くのは、曹操、夏候惇、夏侯淵、
どうせならこれから警備にも携わるであろう許褚に、詰所の位置と警備隊の雰囲気に触れさせたらどうかという珊酔の提案により、最初は二手に分かれて視察を行うことになった。
「行くぞ」
初めに、珊酔が曹仁と許褚の年下組を率いて先に出た。
今朝も曹操より先に起き、出発前にあれこれと部下の指示出しに走り回っていた珊酔は、既に特徴的な猫目が濁っていて表情が硬かった。
それに許褚が若干おびえていることが気がかりではあるが、こればかりは慣れてもらうより仕方がない。まあ、曹仁がついているし、珊酔も雰囲気が怖いだけで意味なく部下に当たる人間ではない。
めったなことにはならないだろう。
「しかし、
曹操より一歩後ろに下がった位置に立ち、三人を見送っていた夏侯淵がつぶやいた。
「え?」
「何をしたいのかよく解らないというか、つかみどころがない、といいますか。……何と表現するのが適切か悩むのですが……」
夏侯淵はとても困っているようだった。
不思議そうな顔でこちらを見る曹操に対し、珍しく視線を合わせず、言葉を探すように視線を宙に彷徨わせている。
「華琳様が望まれたから、犬野様は曹家に婿として入られました。地位に胡坐をかくわけでもなく、仕事もでき、人を使う能力も十二分にあります。ですが、その一方、他者との私的な交流は持とうとされない一面がある」
夏侯淵は難しい顔で言葉をつづけた。
「昨日の宴会でも、折角家臣の者たちと交流を持てる場でしたのに、早々といなくなってしまわれました。今もそうです。季衣にどう嫌われようとかまわないという、そっけない態度といえます。なのに、一方では
「怖い?」
その言葉に曹操は首を傾げる。
曹操からすれば、珊酔はわかりやすい人物である。仕事には真面目で優秀だが、人見知りで、我儘で、面倒くさがりで、子供だ。
身内になれば甘く、それ以外はどうでもいい。荀彧の件でもそうだが、他人とは最低限仕事が回る程度の人間関係以上を望まない。
『何を考えているかわからない』という夏侯淵の人物評とはかけ離れているように思えた。
「犬野は良くも悪くも単純よ。今日も、身内だけの視察だから無理に取り繕うつもりがないだけで、季衣に対してどうこう考えているわけではないわ。華侖がついているから、甘えている部分も大きいわね」
「……甘えている、ですか。私は、犬野様といると未だに壁を感じます。華琳様の次に支えるべきお方だとは分かってはいるのですが……出自も違い、この環境が好きでもないあの方が、なぜおとなしく華琳様の下で働くのか、疑問に思うこともあるのです」
「秋蘭は犬野が信頼できないのね?」
「……」
夏侯淵は沈黙した。それが何よりも雄弁に彼女の気持ちを表してしまっている。
「秋蘭、おまえ、何を言っているんだ」
そこで姉の夏候惇が、空気を読まずに話に割り込んできた。
「そんなもの、華琳さまが好きだからに決まっているではないか!でもまあ、わが軍の中で華琳様を一番好きなのは私だと思うがな。わはははは!」
と、胸を張って堂々と答えるが、あまりに的外れにすぎる。案の定、疲れた様子で水色の前髪を掻き揚げた夏侯淵に注意されてしまった。
「姉者は少し黙っていてくれ」
「お、おう」
妹の怒気を感じ取った姉は、戸惑った様子で口を閉ざした。
曹操はそんな姉妹のやり取りを見て、溜息をつく。
うつむいてしまった夏侯淵の顎に手を伸ばし、不安に揺れる琥珀色の瞳と視線を合わせた。
「私が私である限り、彼は裏切らない。この曹孟徳が、真名に誓って保証しましょう。この私の言葉が、これでも、まだ信じられないかしら?」
「華琳さま……その言葉はずるうございます」
「ふふ、褒め言葉として受けとっておくわ」
最後にするりとなめらかな頬を撫でて、曹操は夏侯淵から離れる。
珊酔との結婚を決めた場に、この二人はいなかった。だから、あの場で珊酔が持ちだした条件も、互いに交わした約束のことも知らない。
珊酔は、曹操の目から見てもかなり能力が高い。繊細な面がある夏侯淵が、普段の珊酔を見て思うところが出てもしかたない。
だが、曹操自身があの時のことを話す気がない現状、この方法以外で彼女を抑える手はなかった。
曹操はくるりと踵を返して、二人に背を向け、歩き出した。
「さて、私たちも出発するわよ。時間もあまりないことだしね」
曹操が治めている陳留は、この乱れ始めた時代において、珍しくも発展に向かっている都市のひとつであった。
発展するにつれて人口が増え、治安維持も難しくなってくるこの状況下で、現在、治安・警備の最高責任者に置かれているのが珊酔である。
当初、治安と警備の責任者は軍事筆頭である夏候惇が就いていた。
しかし、彼女はどうも加減というものが苦手らしく、喧嘩の仲裁にしても、捕り物にしてもやりすぎてしまい、逆に問題を増やしてしまうことが常であった。
結果、その始末に妹の夏侯淵が奔走する羽目になり、別の仕事が大きく滞ってしまったため、不慣れであることは承知ながら珊酔が責任者に据えられることとなったのである。
増える難民、悪化する治安、足りない人材と問題が山積する中、文句をいい睡眠を削りながらも改善の方向に持って行った珊酔の能力は異次元ともいえるものだった。
同時に曹仁を立ち直らせ、牛金をはじめとした優秀な人材を育成してきたのだから、曹操としても驚きだった。珊酔本人は喜ばないが、人を見抜き育てる力は曹操に勝るとも劣らないのである。
そこが、夏侯淵の不安を助長させる一因となっているので、難しいものだ。
「もし……そこのお方」
「……何か用かしら?」
「もしよかったら、この管路の占いを聞く気はないかね」
陳留で一番発展している商店通りを抜けて、人がまばらになったあたりで曹操は突然呼び止められた。
呼び止めたのは、みすぼらしい衣に身を包んだ老人であった。日に焼けて茶色に変わった
管路といえば、『世が乱れた時に天の御使いが降りてきて、この世を救うと』いう、大変
未だその者は現れていないらしいが、中には躍起になって天の御使いを探している勢力もあるらしいと聞く。詳しく場所を聞こうにも、管路自身はすぐに次の場所へ移動しほとんど消息がつかめないらしい。仙人であるという噂が立つほどである。
名を聞いて警戒を強める夏候惇と夏侯淵を左手だけで制して、曹操は老人にむかって一歩踏み出した。
「……そうね。占ってもらおうかしら」
「華琳様!」
「この者たちは無視して構わないわ。」
咎める声を無視して、管路を促した。
管路はしばらくじーっと曹操の顔を見つめる。しばしの沈黙の後、管路はようやく口を開いた。
「おぬしは天性の才能がある。文武両道、全てにおいて一流以上。運もある。
「貴様っ!」
「秋蘭、黙りなさい」
「しかし、華琳さまっ」
管路の占い結果を聞いて激昂した秋蘭を、曹操は振り向きざま睨みつけてその場に押しとどめた。いつ取り出したのか、彼女が愛用している弓には矢が番えられていた。
許可さえ出れば、即座にこの年老いた占い師を射殺してしまうであろう。
一見似ていないようであるが、こと華琳のことで
ちなみに夏候惇の方はというと、管路の占いの意味が分からず、きょとんとしていた。
「部下が失礼をしたわね。……占いはそれで終わり?」
「いや。……今、お主の近くに銀の獣がいるな? あまたの人居れど、お主の道を本当の意味で共に歩けるのはその獣のみ。同じ方向を向き、心に寄り添い、支えることができる。ごまかしも懐柔もその獣には意味がない。ただ、信頼し、誠実であり続けること。かの獣を傍においておく方法だ。ゆめゆめ、忘れぬように」
「……心に留めておくわ。春蘭、この者に礼を」
「はっ」
曹操の指示に従い、夏候惇が懐からいくばくかの金子を取り出して老人の前に置いた。
老人はそそくさと懐に金を入れて、ほんのわずか曹操に向かって頭を下げた。
そこまでを己の目で確認してから、曹操は部下二人を促してその場から離れた。
夏侯淵は、まだ主に暴言を吐いた管路を放置したことに納得がいっていない様子であった。
表情に出さないように努力しているのは見て取れるが、殺気を隠せていない。
無意識なのか、普段より早足の夏侯淵に歩調を合わせるように、3人は歩を進めていった。
途中の少し開けた路地で、何やら女3人の旅芸人が歌っていたが、顔立ちが整っているだけで特に何も感じなかったため、3人は目も向けずに素通りする。
「しかし秋蘭、なぜ怒っているのだ?」
「むしろ、私は姉者がなぜ私より先に飛び出さなかったのかが知りたいな」
「飛び出すもなにも、私にはあの占い師が何を言っているのか理解できなかったからな。華琳様のお声がかかるまで、意識を飛ばしていたのだ!」
はっはっは、と夏候惇はなぜか胸を張って言う。
意図せず、曹操と夏侯淵は顔を見合わせる。
それから、夏侯淵は額を抑えながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「……あの者は華琳様のことを乱世の奸雄といったのでな。私はそれに怒ったのだよ」
「その『らんせのかんゆう』というのはどういう意味なのだ?」
「世が乱れている隙に、悪い知恵を働かせて利益を得る泥棒のようなもの、という意味ね」
曹操の注釈を聞き、意味を理解した夏候惇の顔が、怒りでみるみると熟れた林檎のように赤く染まっていく。
「なんと! そんな失礼なことを華琳様に言ったのですか! この春蘭、即座に取っ手返し奴を切り捨ててまいります!」
「やめなさい。怒るわよ」
踵を返して今来た道を走り出そうとした夏候惇の服の裾を、曹操は両手でつかんで引き止めた。肩ごしに振りむいた夏候惇は、叱られた子犬のように目を潤ませている。
曹操はげんなりとした。
「ですが、華琳様……」
「私のいう事が聞けないの?」
「うう……わかりました」
夏候惇の意志が折れたことを確認してから、曹操も服の裾から手を放す。
夏候惇が勉学が不得手でよかったと思う。なにせ、先ほどの時点で彼女が言葉の意味を理解し、即座に切りかかっていたとしたら、曹操では止めることはできなかっただろうから。
「まったく、あなたたちときたら……。今の話は所詮占いに過ぎないわ。どう答えられたとしても、私は私の道を歩むのには違いないのだから。どうしても腹が立つのなら、管路にあった事自体を忘れてしまいなさい。いいわね」
「はっ」
「了解しました」
曹操は、今日何度目かわからないため息をついた。
まったく、この二人、忠実なのは良いのだが、時々暴走するのが玉に傷である。
その後は取り立てて問題もなく、合流する広場にたどり着いた。
広場に作られている石造りの椅子に、見慣れた3人組が腰かけている。どうやらあちらの組の方が、詰所に寄ったにもかかわらず、先に視察を終えていたらしい。
「あ、華琳姉たちが来たっすよ!」
「華琳さま、春蘭さま、秋蘭さま、お疲れ様ですっ」
曹仁と許褚が足音をたてて、こちらに駆け寄ってきた。
姿が近づくにつれ、二人の両手に何かが抱えられているのに気が付く。
はたして、それは竹細工でできた籠だった。
そして、覇気なく、よろよろと猫背で二人の後ろから歩いてきた珊酔は、いつのまにやら自分の体よりも大きな風呂敷包みを背負っている。
……まさか、入っている物全てが、似たような竹細工の籠なのだろうか。
「3人とも、何を持っているの? まさか視察を放っておいて遊んでいたのではないでしょうね」
「ち、ちがうっすよ。これには事情があって……」
「そうなんです! 籠売りに来ていた商人に声をかけられて、ちょっとだけと思って、華侖さまと覗きに行ったんです。もちろん、犬野さまにも許可をとりました!」
曹操に問い詰められ、焦った様子で、曹仁と許褚が全身をあたふたと動かしながら説明する。
珊酔は何も言うつもりがないのか、風呂敷包みを背負ったままぬう、と立っているままである。
「それで、籠をよく見てくれって言われたから季衣と一緒に近くに行ってみることにしたんすよ。そしたら、端の方に持ち手がついている変な形のものがあって……」
「商人は全自動籠編み機っていうものなんだって言ってました。それでボクたち、ついやってみたくなって持ち手を回しちゃったんです。そしたら、途中で籠編み機がきしみ始めて……」
「ボンって爆発したっす……幸い誰にも怪我は無かったんっすけど、周りにいた人お客さんみんな逃げちゃって」
「危険を承知で置いておいた商人たちもよくないけれど、結局こちらの不手際でしたから。申し訳ないからって、犬野さまが売り物の籠を全部買ってくださって。で、こんな感じに……」
顔の前で指をもじもじと動かしながら、許褚が締めくくった。曹仁も気まずそうに、ちらちらと珊酔を窺っている。
二人とも、十分反省はしているようだった。
夏候惇と夏侯淵は、なんとも言えない表情で曹仁たち二人と珊酔を見比べている。
曹操は珊酔の方を見上げた。
「それで、こんな状態なわけ」
「……視察に関しては、ちゃんとやった」
「わかったわ。……この子たちが原因なのだから、何もあなたが荷物持ちをする必要はないでしょう。保護者ではないのだから、甘やかしすぎないようにね」
「今回はきちんと叱ったし、甘やかす意図はない。俺とこの二人が街を歩いていて、俺が手ぶらでこの二人が大きな荷物背負って歩いていたら、見栄えが悪いだろ。それだけだ」
その光景を想像し、曹操は押し黙った。事情を知らない人から見れば、大の大人が幼女をこき使っているようにしか見えない。
珊酔がずり落ちてきた風呂敷を背負いなおす。それに合わせて、背負っている荷物がガシャガシャと音をたてた。
通行人が近くを通るたび、珊酔の背負っている荷物を見て目を剥いている。
……正直、目立ってしょうがない。
「珊酔、まさか、その格好のまま視察を続けるつもりじゃないでしょうね」
「……駄目か?」
「駄目ね。……はあ。珊酔、あなたは残りの視察はいいから、城に戻ってこの籠をなんとかなさい。こんなのが隣を歩いていたら、目立ってしょうがないわ」
「了解した」
「あと、2つくらいならいいけれど、全てを部屋に持ち込むのは駄目よ。部屋が狭くなるわ」
「わかってる。幸い、品はかなりいいものだ。とっとと帰って、午後出かける前に知り合いに配ってくるさ。華侖、季衣、俺の分もきちんと視察して来い。報告書は俺たちで作らなきゃならないからな」
「了解っす」
「はい。あの、珊酔さま、本当にごめんなさい」
「もう十分謝ってもらったからいい。……じゃあ、俺は帰る」
許褚の頭をぶっきらぼうに撫でてから、珊酔はゆっくりと城に帰って行った。……周囲の視線を浴びながら。
その後、残された5人は駆け足で残りの予定地を見て回り、とくに問題なく視察を終えることができた。
ちなみに、曹仁の持っていた籠は、偶然部屋の籠が壊れていた夏侯淵が譲り受け、許褚のもっていた籠は城で留守番をしていた荀彧のお土産になったのである。
あとがき
沢山のお気に入り、評価、感想本当にありがとうございます。
これほどの方が読んでくれることになるとは思わず、大変うれしく、また驚いております。
重ねてお礼申し上げます。