比翼連理   作:風月

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仕組まれた動乱

 長安。

 涼州にほど近く、堅固な城壁に幾重に守られたその町は、今は董卓の治める土地となっている。

 董卓は善政者として民に人気がある統治者であった。董卓本人の姿を見た者はいないが、施政の良さから慈愛にみちた優しい領主なのであろうと思われていた。

 長安を歩く民の顔はみな明るく、これからの発展を疑うものはほとんどいないという。

 

 董卓が住んでいる城は、街の中央に位置している。

 三重もの強固な防壁に覆われており、ネズミ一匹通すことのないとも言われる厳しい警備でも有名であった。

 

 その城の中央にある、謁見の間には、今一人組の男女がいた。

 女は君主用に作られた奢侈(しゃし)な赤い椅子に背中を預けて、昼だというのに優雅に酒を飲んでいた。

 年はまだ若そうである。女は通る人がいれば一度は振り返るであろう美貌を持ち、長くのばされた黒髪はそのまま背中に流されており、いかにも高そうな衣服を身に着けている。漢民族の例にもれず、露出が多い。

 酒に塗れた赤い唇はなまめかしく、この女に言い寄られればどんな男でも参ってしまうような色香を醸し出している。

 

 対する男であるが、女の前に頭を下げたまま跪いているため顔は見えない。男の体を覆う筋肉は内側から服を盛り上げるほどがっしりしたものであり、かなり鍛えられていることは一目瞭然であった。

 

「で、徐福(じょふく)よ。例の首尾は一体どうなっておるのだ。妾の知る限り、各地で単発的に戦が起こっているものの、腑抜けた官軍に鎮圧される程度のものばかり。これではいつまで経っても先に進めぬではないか」

 

「恐れながら。今は私は『陳宮』でございます、『董卓』様」

 

「董卓? ……ああ、そうであった。妾は董卓で、おぬしは陳宮だったな。未だ慣れぬゆえの失態だ、許せ」

 

 女は一度意外そうな表情で目を見張り、すぐに何かに思い当たったようで酒を一口含み、苦笑を見せた。

 

「改めて問おう。陳宮、どうなっておるのだ」

 

「はっ。太平妖術の書を預けた旅芸人たちは予想通り、順調に信者を増やしております。ただ、信者共が予想以上に旅芸人たちに傾倒しておりまして。近づくのは容易なのですが、旅芸人の芸に不満もなにもかも吹っ飛んでしまうようでして、大半は唆した程度では乱を起こすに至らぬのです。ゆえに、官軍共にも簡単に鎮圧されるのでしょう」

 

「簡単に鎮圧されるのでしょう、ではないわ。ばれぬように武器や物資を融通するのも一苦労なのだぞ。何のために(わらわ)がお前を飼っていると思っている。上手くやってもらわねば困るのだ」

 

 女は苛立ちを隠せないようだった。素足が露わになるのにもかかわらず堂々と足を組み、空いている左手は椅子の肘掛(ひじかけ)をコツコツと叩いている。

 しかし、男は泰然(たいぜん)とした様子のままである。

 

「私としても董卓様に力を得てもらわねば困るのですから、粉骨砕身働いておりますとも。ですが、私も神でも仙人でもございませんので、全ての事を思うがままに操ることはできないのですよ。……もちろん、次善の策は用意しておりますが」

 

 男はそこで顔を上げて、女を見た。中年だが、体と同じく精悍な目つきがまっすぐ女をとらえる。

 

「呂布を直ぐに動かすことは可能でしょうな?」

 

「お前が陳宮としてここにおるのだ、もちろん奴も妾の言いなり通りだとも。で、あの戦うしか能のない間抜けを何に使うつもりだえ?」

 

「都合よく、奴らは今長安の近辺で涼州公演の準備を始めたばかり。公演初日、旅芸人と信者が集まっている中、呂布隊を突撃させます」

 

「それでは妾の軍が一方的に悪となるではないか。せっかく奴の政策を維持して評判を落とさぬようにしておるのだぞ」

 

「旅芸人……それぞれ張角、張宝、張梁、と申しますが、彼女らが民を動員して反乱をたくらんでいるとの噂を流せばよいのです。反乱を察知し、いち早く董卓軍が蹴散らしたとでも言えば、間抜けな都の官吏どもは信じましょう。信者共も、彼女たちを守るために戦うでしょう。……彼女たちの信者は今や大陸全土に散らばっております。各地で起こる武装蜂起(ぶそうほうき)にあわせて、こちらがさりげなく支援してやれば、ぼろぼろの官軍なども打ち破るはずです」

 

「ほほう……それは実に面白い。しかし、あまり力をつけすぎて妾の軍に大きな被害が出ても困るのだぞ。陳宮、それは分かっておろうな」

 

「おかしなことを心配なさる。董卓軍は呂布をはじめ、張遼、華雄という豪傑をそろえております。多少装備をそろえた民程度、腐った都の軍と違って蹴散らしてくれましょうぞ。……戦いに関して心配は無用にございますよ」

 

 ただ、と男はあざけりの笑みを浮かべながら言葉を続けた。

 

「頭脳の方はいささか問題があるように思えますがな。あと、間者に関しての警戒も我々の方で対処せねばならないでしょう。……またあっさり、罠にはまってもらっては困りますゆえ」

 

「はは、違いないのう」

 

 女は愉快そうな様子である。景気よく盃に残っていた酒を飲み干すと、それを部屋の隅に投げて放ってしまった。

 

「妾が天に立つまで、奴らには役に立ってもらわねばならぬ。それまでは、生かさず殺さず……まとめて飼ってやるとしようか。……ところで、牢の方はどうじゃ」

 

「はっ。警備は十分、誰にも察知されておりません。董卓だったものに関しては、全てを諦めたのかおとなしい物でしたぞ。陳宮だった者に関しては、まだ元気よく悪態をついておりましたが。どちらも食事はきちんととっていたので、我らが手を下すときまで死ぬことはないでしょう」

 

 男は再び頭を垂れて報告を行った。

 牢の周辺は手練れの部下が見張っているし、自殺することができぬように工夫も凝らしている。位置を探るような真似をすればすぐに殺すと通達しているので、優しすぎる連中は歯噛みしながらも、自分たちの言う事を聞くしかないのである。

 

「ならばよい。……呂布には妾が直々に命じておこう。陳宮、もう下がってよいぞ」

 

「董卓様、お待ちください」

 

 黒髪をなびかせて優雅に立ち上がり、去ろうとした女を男は慌てて引き止めた。

 

「呂布軍が変な事をせぬよう、私と部下が先んじて旅芸人たちのもとに参りたいと思います。太平妖術の書を回収する必要もありますし、我々が旅芸人たちを一方的に襲ったという事実が万が一にも他に漏れぬよう、周囲を警戒する必要がありますので。許可を下さいますか」

 

「好きにせい。細かいことは妾にはわからぬ」

 

「……かしこまりました」

 

 女はハエでも追い払うように、しっしと手を振った。

 男の能力は買っているが、所詮は下賤の身である。女とは出自が違う。

 利用できなければ、視界にすら入れたくないというのが、女の本音であった。

 そんな女の態度に腹を立てた様子もなく、男は深く頭を下げてから立ち上がり、足早に部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 陳留城下では、今日も民の元気な笑い声が響いている。

 曹操、珊酔(さんすい)、曹仁三人が張三姉妹の公演に行ってから、今日でひと月ほどが経過している。その間、曹操が統治している地域で、黄色の布を巻いた民による反乱は起こらなかった。

 

 公演後、珊酔は警備関係の仕事は曹仁に丸投げし、自身は情報集めに奔走していた。

 張三姉妹はかなりの強行軍であちこちで公演を行っており、周辺でも戦に関わったというものはいなかったらしい。

 一方、背後で三姉妹に資金援助をしていた襄陽の商人、徐福に関しては調べれば調べるほどきな臭い話が出てきた。

 いわく、金さえ出せば賊であっても武器や食料を提供しているらしい。

 武芸に秀で、過去には傭兵をしていた。暗殺の仲介業としても働いていた、等々である。

 極めつけに、張三姉妹が公演を行った街の近くでは、黄巾賊が現れる前に商人としては体つきの良い男が商売に来ていたという複数の報告も受けた。

 

 おそらくこれが徐福であろうと見当をつけた珊酔は、危険を承知で牛金と合流し、張三姉妹の周辺に徐福が現れないかと探りに入った。

 しかし徐福は、先日陳留の近くで行った公演が終わったのち、大量の資金を張三姉妹の付き人に渡したあと行方知れずになったという。

 その事を知った珊酔は、痛烈な舌打ちを残しつつ、報告のため単独で陳留へ戻ったのである。

 珊酔が戻った事を受け、曹操は主要な臣下を集めて会議を行うことにした。

 声をかけたのは、珊酔、荀彧、夏候惇、夏侯淵、曹洪、曹仁、許褚の計8名である。

 

 豪勢な絨毯が敷かれた会議室に、珊酔の声が響く。

 珊酔は疲れた表情ながらも荒れることなく、淡々と集めた情報について話していた。

 円卓についた面々は、みな一様に難しい表情のまま立って発言している珊酔を見つめていた。

 

「……わかったことは以上だ。張三姉妹はそろそろ董卓領に入るころ。徐福の行方については、引き続き探索させているが、潜伏されている以上俺の部隊だけで探すには限界がある。本拠があるという襄陽にも部下を行かせたが、店が既に畳まれていて、何の手がかりもつかめなかったそうだ」

 

 円卓に両肘をついた曹操が、壁に寄りかかっている珊酔を見上げる。

 

「周辺に聞き込みは?」

 

「聞いてみたが、誰も行く先をしらなかったらしい。ひと月ほど前に、何の前触れもなくいなくなったようだ」

 

「先ほどお義兄様から聞いた反乱の動き、それに徐福のこの時期の失踪……怪しいですわね。張三姉妹という旅芸人を隠れ蓑に、裏で暗躍していた可能性が高いと思いますわ」

 

「乱の首謀者と決めつけるには早いが、何か後ろ暗いことをしていたことは間違いないだろうな。とっとと捕まえて吐かせてしまえばすっきりするのだが……居場所がわからないのではな」

 

 曹洪に加え、珍しく夏候惇もまともな意見を発した。

参加者一同、驚いて夏候惇の方を見たが、本人はなぜ注目されたのか分からず、頭に疑問符を浮かべている。

 

「ん? みな、どうして私を見るのだ? 秋蘭、わたしはなにか変なことをしてしまっただろうか?」

 

「いや……姉者はきわめて真っ当な事を言ったと思うよ」

 

「そういいながら秋蘭、なぜ私の額に手を当てるのだ」

 

「うむ……熱が出ていないか急に気になったのでな。実際、特に熱は無いようだが……」

 

「当たり前だ! 私は大人になってから風邪も熱も出したことがないのだぞ!」

 

「そうだな。さすが姉者、体はとても頑丈だな」

 

「当然だ! 健康でなければ、華琳様をお守りできないからなっ! ふははははは!」

 

「はい、二人ともそこまでよ。話が脱線しているわ」

 

 収拾がつかなくなる前に、曹操が夏候惇と夏侯淵のやりとりに割って入った。

 完全にあきれた顔である。

 

「とにかく、徐福の動きがわからないわね。何故突然姿をくらましたのかしら」

 

「おそらく、何者かが探っていることを、徐福自身が察知したのではないかと」

 

 気を取り直すように咳払いをしてから、荀彧が刺々しい声で続けた。

 

「……完全に逃げられましたね。珊酔様、なにかへまをしたのでは?」

 

 荀彧は、敵意を込めて珊酔を睨みつけた。

 珊酔と荀彧の関係は未だ良好とはいえない状況である。

 今まで、張三姉妹と徐福に関してのこと、それに先日の公演の件を秘密にされていたことに一番腹を立てていたのが、軍師になった荀彧であった。

 曹操の判断という事は伝えられたので、表立っての抗議は控えているが、曹操の軍師であるという自負と、男である珊酔への不信感から言葉が異常に刺々しい。

 ちなみに睨まれた珊酔の方はというと、肩をすくめるだけで殺気をやり過ごしている。

 荀彧の指摘は当然だと考えていたし、前に言った通り、仕事さえ円滑に回れば荀彧に好かれようが嫌われようがどうでもいいのである。

 

「実際見失っている以上、俺の失敗ではあるだろうな。すまない。……だが、前々から張三姉妹の追跡は行っていたが、露骨に聞き込みや内部まで探ったのは最近だ。公演の時の聞き込みが露骨だったと言われれば、否定しきれないが……そも、俺たちが統治側だとは気が付かれていないはずだ。即座に逃げ出すほどの情報を与えたとは思えない」

 

「……犬野様。出店の出品者に徐福本人がいた可能性はありませんか?」

 

 控え目に、夏侯淵が挙手をした。いつもあまり気持ちを表に出さない夏侯淵であるが、今は多少表情が暗い。

 

「秋姉、それはないと思うっす。お店をだしていた人たちの中には体の大きいひともいなかったし、強そうな人もいなかったっす。あたしも一応武将のはしくれっすから、元々傭兵をやっていたような人がいたら絶対にわかるっすよ」

 

 曹仁が夏侯淵の疑問を即座に否定する。食べてばかりではなく、曹仁も自分なりに商人たちの様子を観察していたのだから、間違いない。

 曹操も首肯する。

 

「そうね。私が見た感じでも、徐福の容姿に一致する者はいなかったように思うわ。犬野、あなたの感覚にも、何も引っかからなかったのでしょう?」

 

「有象無象の気配は腐るほどあったが、俺たちに注目したり粘着した動きは全くなかった。あのとき、俺の感覚はかなり過敏だったから、会場一帯で不審な動きがあれば間違いなく気が付くさ。ちなみに、当時周りを警戒させていた部下からも報告は受けていない」

 

「ならば、その場で気が付かれたことはないでしょうね。……犬野、それ以前に何か不審な点は?」

 

「わからん。さっきも言ったが、特に接触せずに、遠くから後をつけさせていただけだからな。同じ人間を張り付かせたわけでなし、普通の商人程度ならまず気が付かないだろうが……」

 

 珊酔は腕を組み、立ったまま深く深く息を吐き出した。

 

「本人を捕捉して吐かせない以上、ここで話していても正解は出ないだろうな。栄華、駄目もとでいい、よしみのある商人たちに頼んで徐福の動向を探れないか」

 

「……聞くだけなら、可能ではありますわ。ですが、お義兄様が調べてわからなかったところまで探れるかとなると、かなり難しいかと」

 

 珊酔の情報力を知っている分、曹洪は不安げな様子を隠せないようだった。

 彼女の得意分野は経済面での交渉事である。適正な取引を行うための調査力には本人も自信を持っているのだが、今回はまた勝手が違う。

 下手に動いて、事態を悪化させてしまう可能性もある。

 

「栄華。慣れない仕事だということは私もわかっているもの、結果失敗したとしてもかまわないわ。とりあえずやってみてくれないかしら。……華侖、可能なら栄華を手伝ってあげて。犬野についている貴方の方が、こういうことは得意でしょう?」

 

「任せるっす!」

 

「華侖さん、頼りにしてますわ」

 

 曹仁の助けを得られると知って、曹洪はようやく穏やかな笑みを浮かべた。

 

「あとは……襄陽を治めている劉表に渡りをつけられれば、違った情報を得られるのでしょうけどね。普段全く交流のない私が、これらの情報だけ持って行っても門前払いが関の山。……桂花、あなたの知り合いで劉表の傍に仕えているものはいないかしら?」

 

「申し訳ありません、華琳様。私の一族は殆どが都で官吏をしているか、袁紹の所に出仕しておりますので……一族の名を使ったとしても、劉表を動かすまでには至らないかと」

 

「そう。ならば仕方ないわね。犬野はこのまま徐福の探索と張三姉妹の監視を続けること。もちろん、陳留周辺の村に出している警戒も解かないように。負担が大きくなるけれど、犬野なら可能よね?」

 

「……なんとかする」

 

「季衣。華侖が栄華の方を手助けしやすいように、あなたは警備隊の方を手伝ってあげて。春蘭、秋蘭、桂花、あなたたちは通常業務に加えて、戦の軍備を引き続き行って。緊急事態が起こってもすぐに出動できるように、準備をしっかり整えるように」

 

『はっ』

 

「さしあたっては、これくらいね。各々、直ちに職務に戻るように!」

 

 曹操は立ち上がって、会議を終了させた。

 珊酔が足早に会議室から出て言った事を皮切りに、続々と臣下たちが席を立ち、部屋の中には曹操だけが残る。

 曹操は皆が出て行った後も円卓に頬杖をついたまま、目をつむって会議内容を頭の中で反芻していた。

 今できることはやった。珊酔をはじめ、優秀な者達の集団である。できる限り、最善の結果を出すであろうことは疑っていない。

 だが、曹操の中で、漠然とした不安が消えなかった。

 何かをやり残しているのではないか。

 曹操はかなりの時間、姿勢を保ったまま思索にふけっていたが、持病の頭痛が曹操の思考を邪魔したこともあり、答えをだすことはかなわなかったのである。

 

 そして、曹操の不安は当たった。

 この会議が終了してから二日後、張三姉妹の見張りに着けていた牛金が、息も絶え絶えの状態で陳留の城に戻ってきたのである。

 そして、その日のうちに、大陸のいたるところで黄色の布をつけた民が蜂起した。混乱に乗じて関係のない賊もいたが、この日に立ち上がったのは、ほとんどが数え役満しすたぁずのファンであった。

 

 そして。

 この蜂起がおこってから数日のうちに、乱の首謀者の『張角』という名は、図らずも中華全土に響き渡ることになったのである。

 

 

 




なんとか4月中に一話あげられてほっとしていたりします。

そして、いつも評価、感想、そして誤字脱字報告をしてくださった方々、本当にありがとうございます。
今回はパソコンの調子が悪く、書きかけの文章が2度ほど消えてしまい、辛かった分、いつも以上に励みになりました。

本当にありがとうございました。


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