スキマ妖怪、邁進す 作:りーな
ようやくゲヘナ編終了。
悪魔の攻勢は、ここに臨界点を迎えた。
総大将・オーエンの登場を受けて士気が最高潮に達したらしい悪魔の軍勢は、人間達を押し潰さんとして今まで以上に苛烈な包囲殲滅陣形を披露。冒険者も王国軍も分け隔てなく血の海に沈めるべく、地面以外の全方位から襲い掛かる。
人間達の必死の奮戦の賜物か、それとも圧倒的優位に立つ悪魔達の余裕と気まぐれか。激烈な攻撃とは真逆のゆっくりとしたペースで、一人、また一人と物言わぬ骸へと変わっていく。だというのに悪魔は減るどころかその厚みを加速度的に増す一方。
ある場所では腕を掴まれた冒険者が群れの中に引き摺り込まれ、断末魔の叫びと共に肉片が飛び散る。またある場所では
これだけに留まらない凄惨な光景が、至る所で繰り広げられていく。無論、それはオーエンの場でも変わらない。
「そーれ、っと」
気の抜けた掛け声と共に振り抜かれた大鎌が、蒼の薔薇4名とガゼフを冗談みたいに容易く吹き飛ばす。5人は空中で姿勢を整え、着地直後に再度突撃。五方向から武技を交えて襲い来る武器を鼻で嗤い、オーエンは片手で操る大鎌でその全てを捌き切った。
「そーい」
オーエンの
5人は徹頭徹尾全力で掛かり、しかし尚オーエンの意識を“戦闘”に切り替えるには至らない。未だに“余興”で固定され、恐らく揺らぐことはないだろう。そんな事、全員が分かっている。オーエンが未だ遊び感覚で相手しているから生存を許可されているのであって、飽きられたら即座に命を刈り取られること位は、とっくのとうに。
今まで誇ってきた自身の技量が、今まで頼もしかった手元の武器が、今では酷くか細く頼りないものに思えてしまう。同じ土俵にすら立てない歯痒さと、そんな中、憐憫と悪意でもって“生かされて”いる悔しさ。戦友の献身に報いることのできない不甲斐なさ。奥歯を噛み締める事でそれら全てを押し潰し、5人が揃って一歩を踏み出す。余興で結構。気紛れでも構うものか。無様に嬲られる事で、一秒でも長くオーエンの足を止めていられるのなら────それでも、良い。
悲壮な決意を嘲笑で以って出迎えたオーエンに刃を向け、5人は生も勝利も度外視して駆け出した。
夜空に奔る、二条の残像。誰あろう、六本の腕を自在に振るって攻め立てる
モモンは右手と左手の大剣でそれぞれ上側と下側の各二閃を防ぎ、その隙を狙って放たれた右腕による突きを身を捩って回避。カウンターとして繰り出した斬撃が
傍目には死闘を繰り広げているように見えるが、当然ながらどちらも本気ではない。
いくら
場の立ち回り、戦闘の組み立て、その他諸々の戦士としての技量を十分に学んだと判断し、
不味い。
苦境の極みと言っても過言ではない現状だが、そこに追い打ちを掛けるように、オーエンが段々
少なからずオーエンと
オーエンが目を閉じて、軽く息を吐く。開かれた目には、初めて見せる微弱ながらも明確な殺意があった。握り直された鎌が立てた微かな金属音は、戦闘の喧騒が鼓膜を震わせる中にあって嫌にはっきりと耳に届いた。オーエンがゆっくりと鎌を持ち上げる。その様は処刑人が振り上げる断首の斧にも似ていて、飾りっ気のない単純な死を思わせた。
大きく後ろに引かれた鎌の刃が、オーエンの踏み込みと共に一瞬霞み────
────オーエンのすぐ横に墜落した存在に、その動きが硬直した。
オーエンが咄嗟に横に振り向き、その姿を捉えて目を見開いた。
「────
驚愕の滲んだその声に、交戦していた悪魔も人間も思わず手を止めて視線をオーエンに向けた。戦場に似つかわしくない行動の原因は、この場において最も驚愕から縁遠そうな存在の、多分に感情の篭った絶叫だったからだろうか。
土埃の晴れた場にいたのは、蟲に酷似した姿を各所に持つ悪魔の姿だった。強者特有の圧を放っているが、その身は既に裂傷によって満身創痍。誰かと交戦し、そして敗北して
この強大であろう悪魔をここまで追い詰めうるのは、ただ一人。
オーエンが舌打ちと共に顔を歪め、その得物を頭上に振り抜いた。そこに先刻までの余裕も慢心もない。文字通り神速の一閃だ。
それを二本の大剣で受け止めた影が一つ。その影は攻撃の勢いを利用して再度跳躍。オーエンと5人の間に降り立ち、その背に5人を庇った。
「────良く耐えた」
低い、威厳の滲む声。
「さあ────決着を着けようか」
漆黒の戦士が、大悪魔に辿り着いた。
人間側から悲鳴にも似た歓声が上がり、悪魔らがその声に圧されたように数歩退く。意気を削がれた悪魔側に追い打ちを掛けるように、
「どうだ、オーエン────
息も絶え絶えに啖呵を切ったのは、蒼の薔薇の誇る
墜落したのは、悍ましい外見を持つ悪魔────
オーエンを警戒しながら、2人が大きく回り込んでモモンの後方に位置を移した。オーエンの魔法無効化能力は堅牢な上に、程度の差こそあれど2人とも魔力が枯渇している。
オーエンは渋い顔をし、次いで溜息と共に指を一つ鳴らした。主人の意を汲み、悪魔が包囲を解いてオーエンの後方に集っていく。
それを見て、モモン以外の者達もまた悪魔に倣うように下がっていく。元より、あの2人の戦いには余人が入り込む余地はない。
「────行くぞ」
「────来い」
オーエンが告げ、モモンが応じる。暫しの沈黙の後、どちらからともなく一歩を踏み出した。
初動が早かったのはオーエン。距離を一息に詰めると、モモンの大剣のリーチの外から、得物が長柄であることを活かして攻め立てる。軌道どころか刃そのものが見えない程の速度で幾度となく振るわれる鎌を、モモンは危なげなく全てを捌いていく。
モモンはオーエンの袈裟懸けの一撃を一方の大剣でいなし、そのまま踏み込むともう一方の大剣で斬りつけた。オーエンも素早く引き戻した鎌の柄でそれを難なく受け止め、モモンの攻撃の勢いを利用して大きく後退した。後退する途中、オーエンの体が一瞬ブレる。着地と共に、その現象の理由が結果を以って露わになった。
オーエンの姿が不意に横にずれ、その軌道上にも姿を残していく。その数は四。明らかに尋常の光景ではない。────魔法、それも幻術である。
オーエンの取った戦法は、六腕の“幻魔”サキュロントとほぼ同一のもの。ただし魔法の位階が違い、戦士としての技量が違い、存在としての格が違う。使用者が異なるだけで、トリックに近いと嘲られた戦法も、絶死の魔技へと変貌する。
4人のオーエンは各々が独立して動き、モモンの前後左右に陣取った。四本の鎌が引かれ────そして振るわれる。前後のオーエンは大上段からの斬り下ろし。左右のオーエンは挟み込むように横薙ぎ。四閃の内、本物はただ一つ。よしんば幻術を見切ったとしても、オーエンの幻術がサキュロントのような害のない生易しいものとは思えない。
対するモモンは左腕を前、右腕を後ろに、自身の体に密着させるようにして構え────振り抜いた。
暴風の如き回転と共にまず前後のオーエンが切り裂かれる。そのまま右側のオーエンが霞と消え、唯一、左側のオーエンのみが大鎌を盾にして防御した。モモンは剣を受け止めたオーエンを軸にして、勢いそのままに地面を滑る。瞬き一つほどの間を挟み、モモンがオーエンの隣に躍り出た。薙ぎ払うように繰り出された剛撃を、オーエンは後方に跳躍して回避。耳障りな金属の擦過音を立てながら距離を取る。
モモンは一息にオーエンの懐まで踏み込み、追撃を敢行。どちらも神域の戦士だが、モモンの得意な間合いにまで接近してしまえば、魔法戦士であるが故にさしものオーエンもモモンに技巧で一歩譲る。
モモンの連撃がオーエンに降り注ぎ、その身に纏う鎧に決して浅くはない傷を付けていく。反撃としてであろうか、時折放たれる抉るような石突の突きをもモモンは軽やかに回避する。絶えることのない連撃に耐えかねたオーエンが、大きく鎌を振るって距離を取った。
「────【悪魔の諸相:煉獄の衣】」
呟くと共に、オーエンの身を覆う深紅の業火。離れていてなお汗が滲むほどの規格外の熱量を前に、しかしモモンの姿は揺らがない。ぎし、と踏み込むと同時に、オーエンの業火に黒いものが混じる。夜闇の中にあってなお黒々と映える、破滅的なまでの邪気を放つ漆黒の炎。全身を黒一色に染め上げたその姿は、まるでモモンの姿を揶揄したかのようでもあった。
「…地獄の炎か」
モモンの独り言には、強い警戒が宿っていた。
オーエンはモモンに再度接近し、得物を振るう。身に纏う獄炎が鎌をも覆い、焼き尽くさんとモモンに迫る。モモンはその一撃を大剣で受け止めるが、失策を悟ったように短く呻いた。
白煙を上げながら、モモンの大剣にオーエンの鎌が食い込んでいく。超一級品であろうモモンの装備を、それを上回る熱量で獄炎が融解させているのだ。得物だけではない。モモンの纏う鎧も、接近したオーエンの獄炎が
すぐさま鎌を払いのけ、モモンが初めて後退の意味で後ろに下がる。しかしオーエンがそれを許すはずもなく、執拗に距離を詰めていく。傍に在るだけで鉄を
鎧が赤熱していく攻防の中、モモンが首から下げたネックレスがきらりと光った。
「────解放!」
瞬間、冷気が迸る。空間ごと凍るのではないかと思われる程の絶大な冷気だったが、オーエンの獄炎の熱量はそれを上回る。しかし和らげる事は出来たらしく、冷気の霧から飛び出したモモンの鎧は熱を奪われ固まり、オーエンの纏う炎は心なしか弱まったように見えた。
大きく距離を離しはしたものの、両者にとっては一歩の間合い。しかし張り詰めた空気の中、オーエンの敵意が唐突に掻き消える。そのまま後方に跳躍し、更に距離を取って構えを解いた。
「……駄目だね、これは。決着がつきそうにない」
やれやれ、とでも言うようにオーエンは態とらしく肩を竦め、首を横に振った。そこに先程までの刺々しく冷たい殺意はない。他人を煙に巻くような飄々とした態度で、へらりと笑う。
「だから────うん。帰らせてもらおうかな」
「な────」
声を漏らしたのは誰だったか。気負う事なく、悪びれる事なく。殺戮と暴虐の嵐を振りまいておきながら、あっさりと撤退すると述べたオーエンに、抑えきれない怒りが湧き上がる。
それを察知したのか、片眉を上げ、悪魔らしい嗜虐的な笑みを浮かべてオーエンは手札を切った。
「おやおや。帰すものか、と宣うのは結構だが……諸君、まさか何の準備もせずに私がここに居ると思ってはいないだろうね?」
甘いと言わざるを得まい。時に暴力で、時に奸計で、嬲り貶め嘲り弄ぶのが悪魔の本領。なればこそ、魔神をも超える大悪魔がただの暴力だけで満足するはずもなし。
僅かに顔色の悪くなった冒険者達を見やり、オーエンは笑みを深めて手を明かした。
「────王都各地に、多数の悪魔を待機させている。その数はこの地に用意していた軍とほぼ同数だ」
最初から、オーエンの軍は二手に分かれていた。【ゲヘナの炎】の効果範囲内に陣取る本軍と、王都各地に部隊単位で散らばり、撤退時の牽制役を兼ねる予備部隊に。オーエンを含めた本軍は囮、本命は予備部隊の方である。
王都の危機に、逃げることも出来たはずの冒険者達は立ち向かった。それは少なからず自身の拠点である都市を、そしてそこに住む民を思うが故。だからこそ無視できない。巨悪を見逃すとしても、悪魔達を暴れさせるわけにはいかない。罪なき者達の屍が更に積み上がるから。国軍なら尚更のこと。知を以って心を攻める。その為の────むしろその為だけの、この大軍だった。都市攻略、敵軍撃退などといった戦略的な目的のないオーエンだからこその作戦である。
表情に怒りを浮かべ、血が滲まんばかりに手を握り締める冒険者を愉しげに一頻り眺めた後、オーエンは視線をモモンへと固定した。
「そういう訳だ、モモン。申し訳ないが私は帰らせてもらうよ」
「……仕方ない、か」
隠しきれない悔しさが見えるモモンの声音に、最も反応したのは王国軍でもなく冒険者でもなく、オーエンだった。苛立ち混じりの声が響く。
「残念そうにするな。誇れ、胸を張れ」
悪魔が並ぶその更に奥から、霧が現れる。全く見通せない程に濃い霧は、瞬く間に悪魔の軍を包み込んでいく。
「この私を退けたのだ、お前は確かに英雄だとも」
悪魔達が完全に霧に包まれる。オーエンが足元に魔法陣を展開した。長距離を移動する、高位の転移魔法である。
「────では王国の方々、冒険者の諸君、そして漆黒の英雄。さようなら。また、いずれ」
オーエンの姿が搔き消える。同時に霧も唐突に消え去った。そこに悪魔の姿はなく、ただ破壊の爪痕だけが、悪魔達が幻の類ではなかったことを示していた。
勝利とは言い難い。少なくない犠牲が出た。徹底的に破壊された。オーエンも、二体の魔神級悪魔も健在だ。
それでも、絶望の具現たる大悪魔と互角以上に渡り合い、撤退を選ばせ、果てには認められさえした英雄がいる。
誰からともなく、声が上がる。初めは小さかったその声も、周囲に波及して大きな喝采へと変わっていった。戦士も、騎士も、冒険者も、王さえも。皆が皆、声を枯らさんばかりに歓声を張り上げる。
国を救った英雄を称えて────。
王都内、ある貴族の邸宅の一室。歓声が微かに耳朶を揺らす中、夜明けの光が差し込むその部屋で、仕立ての良いソファに座り寛ぐ人影があった。誰あろう、この夜間の騒乱の元凶たるオーエンである。側に誰も置かず、ただ一人で座し、目を瞑って歓声に耳を傾けていた。
その一室に、一人の悪魔が転移する。スーツを身に纏い、隠しきれない気品を漂わせる悪魔────デミウルゴスである。
デミウルゴスは躊躇いもなく膝をつき、頭を垂れる。そこで漸くオーエンは目を開き、デミウルゴスを一瞥した。
途端────その体が黒く染まり、歪む。
鎧も武器も、何もかもが歪み、深さの全く見通せない影となる。影は更にその身を歪ませ、別の形を象っていく。そのまま色づき、その後にはオーエンとは全く別の姿があった。
八雲紫。ナザリックの支配者の片割れである。
「お手数をお掛けして申し訳ございません、八雲様」
「構わないわよ。久々に楽しかったし」
頭を下げたままのデミウルゴスの言葉に対し、紫はひらひらと手を振りながら鷹揚に答えた。冒険者稼業にかまけて中々帰ってこないアインズの代わりに書類を捌くだけだった紫は、有り体に言って暇だった。その中での今回のような盛大な規模の悪巧みは、良いリフレッシュになったと言っていい。
「ところで、全部終わらせたの?」
「無論でございます。全て、御指示の通りに」
紫は満足げに頷いた。デミウルゴスの優秀さと忠誠は疑いようもないが、確認しないと落ち着かない。社会人として歯車の一つとなることを経験したことのある者の、悲しい性である。
「では、帰りましょうか。私達のナザリックへ」
言い残すと、紫はスキマの中に身を滑らせ、消えた。残ったのは、後に巻き起こる悲嘆と怨嗟の坩堝を思って喜悦に顔を歪める悪魔のみ。紫が座っていたソファへの一礼ののち、その姿も転移魔法で掻き消える。
未だ響く歓声は、ただ一人の名を叫んでいた。
悪魔襲撃の報告書
被害概要
・物資の大量略奪
・大多数の住人の拉致
・衛士、兵士、戦士、冒険者の負傷及び死亡
・建物の倒壊、焼失、破損
備考
・略奪を免れた物資は一割にも満たないと思われる。要調査。また、八本指における悪魔の被害が輪を掛けて甚大だった模様。
・拉致されなかった住人は六十二名。内、同居人が存在する者は皆無。悪魔が引き離したという多数の証言あり。
・冒険者の死者に関しては、冒険者チーム・蒼の薔薇リーダーのラキュース殿により大多数は復活済み。一部、悪魔による捕食などにより遺体の損傷が激しく、復活不可と判断された冒険者も存在する。
・およそ六割の建物に被害を確認。
・多数の住人からの証言により、首魁の悪魔オーエンが配下に何かを捜索するような指示をしていたことが判明。被害状況の確認の際、八本指所有と思われる隠し倉庫から、莫大な魔力を有したマジックアイテムを発見。魔術師組合の鑑定魔法でも付与された魔法は不明であったものの、悪魔が捜索していた物品であると判断。現在、魔術師組合と冒険者組合が合同で保管、警護を行なっている。