「……待っても無駄のようでありんすね」
彼女が訳の解らない状況に陥って既に半日。栄えある至高の41人が治める最高のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の一階層から三階層の守護者をつとめるシャルティア・ブラッドフォールンはそうひとりごちた。
視界が闇に閉ざされ、気付いた時にはこの森の中で一人立っていた彼女。空を飛んで俯瞰してみるも見渡す限り森が続いている。不測の事態に陥ったことは明らかだがギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点、ナザリック地下大墳墓以外を碌に知らない彼女からすればどうすればいいのか見当もつかないのだ。取り敢えずは迎えが来るかもしれないと半日の間待ち惚けてみたものの、一向にその気配はしない。日が落ちたところで真祖の吸血鬼である彼女はどうということもないがやはり心細くはなる。
それは闇が恐怖の対象であったり、いつ襲い掛かってくるかもしれない魔獣がいるからという理由ではなく、もしかして自分は捨てられたのではないかという想像が彼女を蝕んでいるからだ。
至高の41人のために在り、ナザリックを守護するために在る。それがシャルティア・ブラッドフォールンの存在価値だ。ギルドにはもはやかつての隆盛は見る影もなく、主も一人を除いては殆ど姿を消したとはいえ彼女の生きる意味は変わらない。
故に最後に残った主までが姿を隠し、ナザリックの存在そのものがなくなってしまったのかと彼女が思ってしまうのも無理はない。だが持ち前の能天気さとおバカさでその絶望的な推測はなんとか考えないようにしている。
しかしこうも時間を持て余すとまたもやそんな考えが脳裏を過ってしまうのは仕方のないことだろう。だからこそ彼女は立ち上がり、迎えが来ないならばこちらから帰還してやろうと思い立った。
「まずは森を抜けるか……抜けるでありんす」
彼女の本来の口調は至って普通だ。しかしそうあれかしと設定された可笑しな廓言葉は、今は唯一の拠り所。ナザリックと彼女を繋ぐ大切な絆だ。故に無理にでも使用する。そうしないと孤独と絶望に押し潰されそうだから。
何かを振り切るように彼女は暗い空を駆ける。
それはさながら黒く輝く流星のようで――だからこそ彼女も気付かない。恐ろしい想像が現実だと思いたくない彼女は気付かない。
その速度に負けて、何重にも重ねた胸のパッドが彗星の尾のように零れ落ちていっていることに。
王都リ・エスティーゼ。此処を拠点とする冒険者は多く、駆け出しの新人から最高位のアダマンタイトの冒険者まで広く滞在している。それは王都最高との呼び声も高い『蒼の薔薇』の女性チームも例外ではない。今日も彼女達はこの国の第三王女からの秘密の任務を終えて、お洒落なカフェで自分達の体を労っていた。
「今日の紅茶は今一ね」
「そんなもん腹に入っちまえば一緒だろ?」
「腹筋に入るの間違いかも」
「胸筋の可能性もある」
優雅にお茶を飲んでいるのは『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。店員が替わったのか紅茶の味が変わっていることに顔を顰める彼女はこの国の貴族でもある。貴族から冒険者になるというのはお転婆どころの騒ぎではないが、それが許されるのも偏に彼女の類稀なる実力故だろう。条件が整えば死者の蘇生すら可能にする彼女は世界単位で見ても並び立てる者は少ない。
そんな彼女に身も蓋もないことを言っている男――と見紛う筋肉質な女性、ガガーラン。豪放磊落という言葉が最も似合う彼女はその見た目にもかかわらず童貞食いが趣味の困ったさんである。
その筋肉を揶揄してからかうのはまだ幼さの少し残った二人の少女ティナとティア。その見た目からは想像もつかない壮絶な人生を歩んできている彼女達だが、紆余曲折あって今はこの『蒼の薔薇』に所属している。ちなみに彼女達もガガーランと同様に変態チックな性的嗜好持ちだ。ティアは同性愛者、ティナはショタコンである。
更に言えばリーダーのラキュースは重度の妄想癖があるため、ぶっちゃけてしまうと『蒼の薔薇』は変人の集まりでもある。そして今は少し外している最後のメンバー、イビルアイこそが唯一の良心なのかと問われれば――否定せざるを得ない。むしろ一般人からみれば彼女こそが一番の変人だろう。それは彼女の容貌に理由がある。とはいっても醜女であったり痛々しい傷跡があるといったようなことではない。その理由は彼女の服装、体を覆い隠すような外套と奇妙な仮面にある。
いまだ仲間以外には素顔を晒したこともない彼女の容姿は密やかに住民に噂されている。幽居な佇まいと相まって神秘的な美少女であると言われたり、目を背けるほどの醜さなのだと囁かれることもある。
そんな彼女の正体が実は伝説の吸血鬼『国堕とし』であるというのはトップシークレット、仲間以外にはほんの一握りしか知らない最重要機密である。実際彼女の実力は伝説に違わぬ強さであり、彼女以外の『蒼の薔薇』の面子が束になってかかったとしても勝利できないほどだ。
そしてそんな彼女が仲間から離れて何処にいるのかといえば、装備の新調である。とはいっても大仰なものではなく消耗品に近い低級の装備群をそろそろ替えたいというだけなので大した時間もかからない。既に揃えおわり、足早に仲間のもとへ向かっているところだ。だが大通りを曲がり、カフェに近付いたところで心なしかざわついた気配を感じ辺りを見渡す。
そしてその理由はすぐに解った。信じられないほどの美少女が優雅に大通りを歩いているのだ。ゴシックな黒の衣装を身にまとい、可愛い日傘をちょこんとさしている。青白い肌は絹よりも滑らかさを感じさせるきめ細かさを持ち、紅い瞳は魔性といっても差し支えないだろう。ちらりと見える牙はチャームポイントのようで可愛らしく――
「ってちょっと待てえ! おい、ちょ、そこのお前だ」
「……? 妾でありんすか?」
「そうに決まってるだろう! この……ちょっとこっちにこい」
イビルアイは衆目を嫌って人気のない裏路地へシャルティアを引っ張っていく。残念そうな顔をするものが多かったが、イビルアイほどの有名人が絡むとなればそれ以上首を突っ込む者は居ない。姿を隠した二人の少女を追うものは皆無であった。
「……何故吸血鬼が街中に入り込んでいる? というかどうやって入った」
「お主がそれを言うでありんすか?」
「――っ」
イビルアイは正体を隠すために仮面と外套を被っている。それは表面的なものだけではなくアンデッドの感知も掻い潜るマジックアイテム的な意味合いでもあるのだ。一見して彼女が吸血鬼と見抜くことなどありえない。しかしシャルティアは看破出来た。その理由は――ただの直感である。同族故の奇妙な感応が働いた結果かもしれない。深く考えないあーぱーなシャルティアは自分の直感には素直に従うことの出来るスーパー吸血鬼なのだ。
「……何が目的だ?」
「ただの情報収集でありんすよ。ぬしは知りんせんか? ナザリック地下大墳墓……もしくは沼地にある墳墓の情報があれば教えなんし」
「……そんなことを調べたいがためにわざわざ侵入したのか」
「……そんな、こと?」
イビルアイはこの世界でも屈指の実力者である。彼女に比肩するものなどほんの一握りしか存在しない。だからこそ彼女は常に自信に溢れ、本質的には大抵の人物よりも自分の方が上の立場であることを疑わない。
しかし、だ。その強者たる彼女をもってしても自分に起こった事が理解できなかった。わかったことといえば、気付けば首を掴まれて命の危機に陥っていたことだけだ。
「今なんて言った……言ったでありんすか?」
「ッ!……ごほっ……離……」
「答えなんし」
衝動的に捩じ切りそうになった首を離し、崩れ落ちたイビルアイの頭を掴んで無理やりに立たせるシャルティア。彼女は平静に見えてもいまだその身の内には不安が渦巻いている。突けば破裂するような風船のように彼女の情緒は不安定なのだ。そういう意味では無かったとはいえナザリックを軽んじたような発言に激昂してしまう程度には揺らめいて、余裕もない。
「はあ……は……? お前、泣いているのか…?」
「――っ」
昂って、抑え込んで、悲しくて、寂しい。襲ってくる寂寥感に両腕で身を抱いて耐えるシャルティア。大丈夫、自分は捨てられたのではない、突発的な事変に巻き込まれているだけだと無理やりに言いきかせる。
前日の夜から幾度か経験したフラッシュバックのような絶望が過ぎ去るまでひたすらに耐える。その様は恐怖に怯える子供のようで、そしてその容姿と相まって今しがた殺されかけたばかりのイビルアイですらどうしていいかわからずに立ちすくんでしまうほどに憐憫を誘っている。
「……悪かった、別に調べようとする行為を蔑んだ訳ではないんだ。ただ知らないようだから言っておく。吸血鬼が街に入り込んでいるとなれば大騒ぎになるし、情報収集どころじゃなくなる。それは本意じゃないんだろう? 人に危害を加えないと約束するなら正体を隠すマジックアイテムも貸そう。調べものも手伝う……だから、もう泣くな」
自分より圧倒的に強いことが理解出来たならば、今がどういう事態かも把握している筈のイビルアイ。どう控えめに言い繕おうが国家存亡の危機だ。国の全力を挙げてすら尚滅ぼせない可能性がある化物が現れたのだ。
それでも、イビルアイは何も出来なかった。孤独に泣きすさぶ少女が、在りし日の自分と重なってしまったから。なにもかもを失ったような表情の少女が、吸血鬼に変わってしまったあの日の自分を思い起こさせたから。
「ナザリックという場所は聞いたことがないが、これでもコネはあるほうだ。暴れないでいてくれるのなら全力を尽くすことを約束しよう」
「……」
「私の仲間達は種族なんて気にしないし、この国の権力者でもある。無責任にきっと見つかるとは言えんが無ければ無いと解る。探している以上存在しているんだろう? 幸いと言っていいかは解らんが、私達のような者に寿命などあってないようなものだ。見つからないのなら、見つかるまで探せばいい」
「……す」
「うん?」
「そのダサい仮面は嫌でありんす……」
「そこかよ!」
見つからないのなら、見つかるまで探せばいい。その言葉に希望を見出したシャルティア。今自分がすべきことは何としても帰還することだと決意を新たにし、気を取り直して仮面を外したイビルアイの可憐な素顔を見て――唇を歪ませる。
「さっきは悪かったでありんすね……首は大丈夫でありんすか?」
「ん、ああ……問題ない、ちょ……な、何をする」
「痣が残っていないか確認しんす。ほらもう少しはだけなんし、よく見えんせん」
「近い! 近い! ちょ、こらそこは……」
こうしてイビルアイの苦労の絶えない日々が始まることとなった。リーダーは厨二病で、仲間はチェリーイーターとレズビアンとショタコンの変態カルテット。
そこにシャルティアが加わればどうなるかは――まだ誰にも解らない。
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