数とは力だ。弱者が無数に襲い掛かってこようとも強者であれば容易く退けられる、そんな質が物を言うこの世界でも確かな力なのだ。多数の弱者が強者を襲うならば、それは力たり得ない。しかし大勢の弱者が少数の弱者を襲う時、強者にはどうしようもない状況というものが出来上がる。
たった一人の強者が大勢の弱者を守護することができるか、という問題だ。敵が愚直に攻めてきて、かつそれを迎え撃つ強者が多数の殲滅を得意とするマジックキャスターならばどうにかなることもあるだろう。しかし今の神都の状況に鑑みれば、たとえ凄腕のマジックキャスターが居たとしても如何ともし難いことは明白である。
悪魔の軍勢と死者の群れがひしめき合い、生者は装飾を――あるいは生命すらも奪われていく。広域を破壊する魔法ならば確かに解決できないことはないだろう。しかし法国の核たる神都が、事が終わった後に国民も建物もなくなったというのではなんの意味もない。
故に『絶死絶命』は、法国の最大戦力はあらん限りの速度で街を駆けまわっていた。悪魔は人に危害を加える様子がないため、アンデッドを優先して討伐していく。尋常ではない速度での殲滅は人の目に映っているのかも定かではないほどだ。
が、それでも神都を救うにはあまりにも足りていない。街の中心である神殿から放射状に被害が広がっていく事を思えば、たった一人での対応など間に合う筈もない。とはいえ、いくら王都に戦力を集め戦争の準備段階にあった神都でも戦力が彼女一人などということは有り得ない。
神官の数では周辺諸国最高を誇るこの国ならば、アンデッドの群れ程度は充分に対応できる筈のものであった。しかしながら人の強みとはその智慧にある。智慧をもって知恵となし、叡智を紡ぎ武器となす。
つまり人は武器を持って初めて人外の存在と渡り合うことができるのだ。悪魔の軍勢に全てを攫われた後、死者の軍勢に対抗できる者など法国と言えどもほんの一握りしか存在していない。
故に街の中心から放射状に広がる死者を、彼らは三方向に追った。
一つは陽光聖典。失態を演じた隊長の処遇を待っていたために、彼らはいまだこの神都に身を置いていたのだ。たとえ装備を失ったとしても、彼らは全てが第三位階を扱うことのできる精鋭の集団である。有象無象の死者の群れなど圧倒できぬ筈もない。
一つは神殿に存在する常駐戦力。巫女姫を守護する者から始まり、要所を守るために配置されている、こちらも精鋭の集団だ。陽光聖典とは違い戦士が多いものの、そもそも低位のアンデッドなどとはレベルが違う。素手で頭蓋をかち割り、あるいは肋骨を砕き、広がる死者をなぎ倒していく。
そして最後の一つは言わずもがな、国家最大戦力『絶死絶命』だ。一人でありながら、自分以外の聖典全ての戦力を凌ぐ化け物。一人でありながら、他二つの勢力が倒した死者を足した数以上に駆逐する存在。
死者の軍勢が発生してから然程時間が経っていない今ならば、この三勢力で解決することもできるだろう。相当数の犠牲は免れないが、街が消え去るとまではいかない筈だ。
しかし首謀者にとってそれは大した問題でもない。何故なら全ては――単なる囮でしかないのだから。
「おっひさー……カイレ様ぁ?」
「…貴様! クレマンティーヌ!」
「はいはーい、クレマンティーヌですよー」
「裏切り者がノコノコと…! 貴様、自分が追われていることを理解しておるのか?」
「ぷ……くっ、ひゃ。そうなの、私こんなところに居たら番外席次に殺されちゃう~……あっれー? でも……居ないねー?」
「くっ、この…!」
なんともおかしそうに、クレマンティーヌは片手を眉の上に持っていき周囲をわざとらしく見渡す。神殿の奥の奥……まさに秘奥であるが故に悪魔すらいまだ立ち入ってないこの聖域を、彼女は最短距離で一気に踏破してきた。聖典の上位、漆黒聖典であるからこその大立ち回り。追っている獲物がわざわざ身の内に入ってくることなどありえないと、上層部が彼女をそう軽視していたことがこの無謀な試みが成功した要因でもあったのだろう。
「さーてと……お嬢はカイレ様を殺せば戻るのかなー」
「…わざとらしく『様』なぞつけおって、敬虔な信者たる兄と何故これほどまでに差が――くあ゛ぁっ!」
「いまなんつった? 糞ババア」
「ぐ、うぅ…」
使用者を殺せば洗脳が解けるのか、それとも使用者が解除しなければ戻らないのか。こういったものはまず間違いなく前者であるが、神の至宝と言われるアイテムに関しては流石にクレマンティーヌであっても判断に迷うところがあった。この使用できる者が限りなく少ない至宝がもし後者であったならば、解除されない可能性を考えて軽々しく殺すべきではない。
そんな慎重さをもって考えを巡らしていた彼女であったが、しかし憤るカイレの言葉には触れてはいけない逆鱗が含まれていた。兄という単語を聞いた瞬間――否、『兄と比較された』瞬間、スティレットを老婆の足に突き刺しぐりぐりと開いた穴を拡げていく。
「一応保険として殺さないようにしておこうと思ってんのにさぁ、神経逆撫でするってどういう了見だよ、ああ?」
「ぐっ、あ゛ぁぁ! や、やめっ」
「おいおい、この程度で無様を晒すってどういうことだよてめぇ。私達には拷問されようが情報を吐かないよう課してるってのに」
「ぎ、ひぃ! お前達現場の人間と儂は違うだろぅ゛、げ、がはぁっ!」
「喋んな、加齢臭がくせぇ」
両足を刺された老婆は立つこともままならず地に伏した。そしてクレマンティーヌは追い打ちをかけるように体に蹴りを入れる。ワールドアイテムは絶対不壊であり、埒外の防御力を発揮するがしかしダメージが通らないなどということもない。
血反吐を撒き散らす老婆を狂気の瞳で暫く眺めた後、ようやく彼女は今の状況が一刻を争うものであると思い出した。
「おっとと……じゃ、意識あるとめんどいし気絶しとけよ」
「ぎ、ぎざっ…!」
右手、左手、右足、左足。全てに風穴を開けられた老婆は、最後に頭を強打されて気を失った。一見死にかねないようなやり方ではあるが、拷問好きなクレマンティーヌはどの程度まで人間が生きていられるかを誰よりも熟知しているのだ。
再使用できないとも限らない神の至宝を慎重に剥ぎ取り、裸の老婆を大きな頭陀袋に入れて持ち上げる。
「んー……やっぱ着れないか。『神』の血はこいつよりよっぽど濃いと思うんだけどなー」
一応自分にも装備できないかを試しつつ、予想通り特別な才能がなければ装備できないことを再確認させられたクレマンティーヌ。来た道を同じように、そして最大限の警戒をしながら疾風のように駆け抜ける。召喚された悪魔は、武技を使用した際の彼女とほぼ同じ速さで動くのだ。ここにきてトンビに油揚げを掻っ攫われるような事態はご免被りたいのだろう。
「あいつら、大丈夫かなー…」
そんな尋常ならざる速度で駆ける彼女は、ふと思い出したように呟いた。漆黒聖典、ズーラーノーン、蒼の薔薇。いずれも正義の頂点、悪の象徴、無頼の最高峰ではあったが、一番居心地が良かったのは――きっとその呟きが答えなのかもしれない。
悪魔と死者と生者が犇めくこの神都。どこをどうみても勢力が拮抗しているなどとは言い難いが、しかし生者にとって救いはいくつかあった。まず悪魔とアンデッドの群れは協力関係に無い……それどころか敵対しているような形であるということだ。
レベル差故にアンデッドが悪魔を傷つけることは叶わず、けれど悪魔は攻撃手段を持たない盗みに特化した存在だ。装備を持たないアンデッドを、それでも何か盗まなければならないという義務感からか肋骨や脛骨などを無理やり剝がしているのが涙を誘う。
死者が悪魔と人間を区別しているわけではないが、逃げる者と向かってくる者のどちらが優先対象になるかなど解りきった答えだ。
しかし。もしこの状態で悪魔の方が唐突に消えたのならば、標的は残った生者でしかありえない。つまり――ようやく超位魔法の効果時間が切れたということである。
「何ということだ…! 謎の悪魔の軍勢に、死者の群れだと!? いったい何が起きたというのだ!」
「(…黙っとこ。というか死者の群れは俺のせいじゃないよな。いや、超位魔法の効果が変わったということもある、のか?)」
「くっ……占星千里、首謀者を探せ。これは自然発生するようなものではあるまい。私は神と従属神様方をカイレのもとへ案内する。一人はクインティアを無事な巫女姫のもとへ。この状況ならば一番力を発揮してくれるだろう」
法国の頭脳の一人たる神官長は転移して目に入った光景に歯ぎしりをしながらも、ほんの少しの逡巡だけで判断を下した。最優先は間違いなくシャルティア・ブラッドフォールンの解放。それだけは絶対に間違ってはいけない最重要案件だ。
人の気配を読むのにもっとも長けたこの男から見て、今のモモンガの心情は『驚き』であった。彼はこの惨状がモモンガ達と無関係だとは一切思っていなかったのだが、死者の群れを見て意外そうにしている骨の様子からは、己が力の爪痕を見ているような気配はまったく感じられない。
となればまずは従属神を一刻も早く解放し、少しでも心証を良くすることが肝要だろうと考えたのだ。
「ほう、よいのか?」
「それ以上に重要なことなどございません」
「殊勝なことだ。まあ己の分を弁えるということは大事だからな(自分に一番言いたいけど)」
「はっ! 神の御言葉を賜れた栄誉を誇りに思います。心にしかと刻み付けました」
「う、うむ、そうか…」
つい口に出た言葉まで心に刻まれてはおちおち喋ることもできないじゃないかと、モモンガは心の中で悪態をついた。そして全力で畏まりながら神殿に案内しようとしている神官長から視線をずらし、成り行きでくっついてきた『蒼の薔薇』の面々に話しかける。
「お前達はどうする? ついてくるというならば構わんが」
「ありがとうございます……でも、苦しんでいる人々が居るなら私達は助けに行きます。シャルティアもきっとそれを望んでいるから…!」
「ねーよ」
「ないな」
「リーダー頭打った?」
「ボス交代」
モモンガの問に、シャルティアの事はお任せしますとアンデッドの討伐に向かうことを告げたラキュース。ラキュースノート56ページ12行目に書かれた、かっこ良い決め台詞の章仲間託し編第3項をばしっと決めてみたはいいものの、仲間達の辛辣な返しによってあえなく撃沈した。
「うむ……まあ、ないな」
「ありえませんな」
「想像デキン」
さらにはモモンガやセバス、果てはコキュートスにまで満場一致で否定される始末。ラキュースが悪いのか、シャルティアが悪いのか難しいところである。まあモモンガについては設定から推測してそう言っているだけなので、まだ救いはあるだろうか。
「とにかく行きましょう!」
「やれやれ…」
「ま、感動の再会を邪魔するのもわりいしな。オラ! どけどけ雑魚共ぉっ」
見事な連携を取りつつアンデッドを一掃していく蒼の薔薇を見て、モモンガは懐かしいものを見たような目で見送る。そして横に視線を向けると、生気の無い目で同じように彼女達の後姿を見つめているシャルティアが目に入った。まるで何かを心配しているかのようなその佇まいに、モモンガは動くはずのない自分の表情が歪むのを感じた。もちろん――良い意味で。
「アウラ」
「は、はいっ」
「手を貸してやれ。目を覚まして早々友人が死んでいたなどとなれば、シャルティアも悲しむだろうからな」
「はいっ!」
神都がどうなろうと知ったことではないが、蒼の薔薇に関してはモモンガもそれなりに気を払っているのだ。NPCの成長の可能性――実力的にもそうだが、精神的な部分の変容について彼女達は大きな可能性を秘めていると感じたからだ。
ナザリックでも最上位に近い強さ。ナザリックでも最低に近いカルマ値。そしてナザリックへの忠誠が他のNPC同様だったとすれば、シャルティアの状況はまさに奇跡とも呼ぶべきものではないだろうかとモモンガは思い至ったのだ。
アルベドならばきっと暴虐の限りを尽くしながらナザリックを探すだろう。デミウルゴスならば裏から国家を操り、情報を集めつつ人類を衰退に導くだろう。パンドラズ・アクターならば……想像したくない。
セバスやユリならばきっと人々を助けながらナザリックを探す旅に。コキュートスやヴィクティムなどは色々と苦労することだろう。アウラならば意外と上手くやりそうで、マーレなら勘違いに次ぐ勘違いで普通の村人の女の子が血塗れになりながら苦労することもあるかもしれない。ナーベラルもがんばる、たぶん。
一部変な電波が入ったが、とどのつまりモモンガはシャルティアに『可能性』というものを感じているのだ。二人ほど吸血鬼やオークなどの人外が居るとはいえ、『蒼の薔薇』はれっきとした人間の冒険者パーティーだ。そこに所属して、あまつさえ友ができるなどという事態はナザリックに所属する誰に聞いても一笑に付されるか、四方山話にさえならないだろう。
だからこそ、そこに価値がある。宝石よりも美しく黄金よりも尊いなにかが。僕達がナザリックへ捧げる忠誠は依存に近い。もちろんそれが悪い事だとは一概に決められないが、視野が狭み成長の可能性を妨げることはあるかもしれない。
進歩を止めた存在はいずれ何者かによって超えられる。たとえカンストしていようとも、なにがしかのブレイクスルーが起きてレベルが200まで、あるいはそれ以上に高くなる可能性も0ではないのだ。その時、ナザリックが前時代の遺物などと呼ばれては仲間に合わす顔もない。
まあ顔は無いし、墳墓だから遺物といえば遺物なのだが。
「では案内せよ」
「かしこまりました」
そんな思考を巡らしながら、モモンガは先を歩く男の後ろについていく。ようやく、ようやくナザリックのNPCが揃うことに達成感を覚えながら。まずは一つ。そしてこの調子ならば二つ目――狂おしい程に渇望したギルドメンバーもあっさり帰ってくるのではないかと、そんな想いを抱きながら。
作中にどなたかの作品が混じっているような気がしても、それは気のせいです。