「ふーむ、前に来た時も思いんしたが、陰気な森でありんすねぇ……」
草木が鬱蒼と生い茂る暗い森を進む一行。その内の一人であるシャルティアは進めども進めども大して変わらない景色にうんざりとした表情で愚痴をこぼす。彼女がこの世界で最初に気が付いた地、トブの大森林。当初は眷属を使って多少の探索を行ってはいたのだが、あまりにも広大だったために途中で諦めた経緯がある。
「まあ入る人間も殆ど居ねえしな、基本的には魔物の領域だ。仕方なかろうよ」
「ん……もしやぬしもここの出身でありんすか」
「んなわけあるかっ!」
いまだに人間ではないと勘違いされているガガーランは断固として否定する。いったいこいつの頭と視力はどうなっているんだとシャルティアを睨み、その視線の意味が解らずに首を傾げている彼女に対してため息を溢す。他のメンバーは相変わらずケラケラと他人事のように笑っており、事実他人事なのだからそれも仕方ない。そんなくだらないやり取りを繰り返しながら彼女達は森の奥へ奥へと足を進めていく。
森の変事とはどういったことだろうと考えながら、周囲の観察を怠らず注意深く探索していくその様はやはり数少ないアダマンタイト冒険者の面目躍如といったところだろうか、喋りながらといえどもその観察眼は見事なものである。
「それにしてもゴブリンが多いわねえ……おかしいっていうのはもしかしてこのことかしら」
「伝説の魔獣がその程度で変事というわけもないだろう。他になにかあるんじゃないか? シャルティア、お前はどうなんだ。多少の探索はしたんだろう」
「わらわは探知系のスキルは一切修めておりんせんの。眷属が感じたことをそのまま受け取れるわけでも無いでありんすからねえ」
興味無さげに答えるシャルティア。ナザリックに関する訳でも無し、情報を得られる訳でも無しとなれば彼女にとってこの冒険は何の意義も意味もないのだから当然のことかもしれない。冒険そのものではなく、イビルアイが言った人間とのコミュニケーションに慣れる――つまり彼女達と一緒に行動するという目的が無ければさっさと帰っていたのは間違いないだろう。
「はあ……飽きたでありんす。わらわがちゃちゃっと見てきんすからぬしらは勝手に進みなんし。後で合流すれば文句はないでありんしょう?」
そういうが速いか、シャルティアは翼を広げて森の上空へと飛び立ち適当に異変を探し始めた。上空から眺めただけでそんなものが解るかという疑問点はシャルティアに期待するだけ無駄である。
「あ、ちょ……行っちゃった。どうやって合流するのかしら」
「何も考えてないに金貨10枚」
「同じく」
「賭けになんねえな」
10分後、それに気づいたシャルティアが上空を飛び回って彼女達を探す羽目になるのはもはやお約束のようなものである。
♦
広大な湖とそこに点在する蜥蜴人の集落、その一つである『ドラゴン・タスク族』の集落。この森に棲む蜥蜴人はいくつかの部族に分かれており、その中で最も勇壮であり最も実力に重きを置く部族がこの『ドラゴン・タスク族』である。意見を通したくば、我を通したくば強さを示せ。彼らにとってそれが正義であり、絶対の掟だ。それは蜥蜴人の中でも特殊な人種である『旅人』を彼らのリーダーとしてみなが認めていることからも知れるだろう。
基本的に部族のみで完結し、排他的な気質を持つ蜥蜴人は外の世界に何も求めない。森で産まれ、森で生きて、森で朽ちる。それが当然であると彼らは思っているし、それになんの疑いも抱いてはいない。
しかし極稀に外の世界に興味を示し、好奇心を抑えられなくなった若い蜥蜴人が集落を飛び出すことがある。そんな者達を驚きと畏敬と侮蔑を持って『旅人』と呼ぶのだ。外の世界で生き抜き集落では得られぬ知識と経験を積んだ彼らは尊敬され、しかし里を抜け出した事実故に時として除けもの扱いにされることもある。すなわち『旅人』だ。
帰ってきてからも『旅人』という特別な者として扱われ、集落の階級とは別のところに置かれる。権力を持つことは出来ないがさりとて極端に蔑まれるわけでもない。『旅人』は勇者であり、強き者であり、集落の新しき知恵と知識である。しかし『旅人』は異端であり、抜け人であり、純然たる集落の者とは少し違っているのもまた確かなのだ。
そう、そんな『旅人』でありながら部族のトップであるというのは、つまりその蜥蜴人の実力故だ。圧倒的なまでの強さが彼を『旅人』であると同時に『リーダー』であることを許している。そんな部族であるからして、その気性がどういうものかは説明するまでもないだろう。
そしてそのトップも言わずもがな、荒い気性に巨大な体躯を持ち、傷跡だらけの全身は凄みというものをこれでもかと滲ませている。
その者の名はゼンベル。蜥蜴人でも屈指の実力を持ち、筋肉が異常なほど発達している右腕と裂けた口、潰れた尻尾は蜥蜴人をして異形であると言えるだろう。彼はその強さとカリスマから族長として慕われているが、本人はただ自由に生活しているだけでもある。好きな時に寝て、好きな時に食べ、好きな時に呑む。蜥蜴人は酒を嗜む習慣はあまりないが彼は旅人として外の世界を見て回っていた折、ドワーフに酒盛りの楽しさをこれでもかと教えられていたのだ。
そして自由奔放な彼は今日も起き抜けに好物の蟹を探して湖の浅瀬をうろついていた。今蜥蜴人は食料危機の真っただ中であり、他部族との戦争も視野に入れるほどの緊張感が湖を中心に覆っているがそれはそれ、これはこれなのである。蟻一匹ならぬ蟹一匹見逃すまいと足元を凝視しながら歩き、ドワーフに譲り受けた槍を杖のようにして陸地との境、水辺を行ったり来たりしていた。
しかし見つからない。まあ簡単に食料が見つかれば食料危機などに瀕しているわけもない。当然の結果であるがゼンベルは未練がましく泥の中をパチャパチャとこねくり回しているようだ。その背中からはなんだか哀愁が漂っている。
「見つかんねえな……うん?」
「見つからないでありんす……ん?」
森の湖の淵、大きなワニさんが可愛い少女と見つめあっている。簡潔に言い表すならそんな感じであろうか。双方とも探知能力に劣っているからこその出会い方である。暫しの沈黙が流れ、シャルティアの方が先に口を開いた。
「ガガーラン……でありんすか?」
「誰だよ」
でかいごつい厳つい。三つ揃えば今日から誰でもガガーラン。おバカなシャルティアにかかればかの王国戦士長ですらガガーランになるのかもしれない。
「違いんすか。ぬし、魔物と吸血鬼と人間の冒険者パーティを見んせんしたか? 魔物はぬしによく似ていんす」
「ああ? どんなパーティだそりゃ。そんなもん見たら忘れようにも忘れねえぜ……つーか、俺に似てるってことは蜥蜴人だよな? どっかの部族の客人か?」
「ふむ……? よく解りんせんが、知らんなら別にいいでありんす。もう少……む、時にぬし、森に異変が起きているそうでありんすが何か知りんせんか?」
知らないならさっさと別を当たろう、そう思ったシャルティアであるが『蒼の薔薇』としての目的を思い出しついでに問いかけてみる。彼女もなんだかんだで馴染む努力をしようとは思っているのだ、それがナザリックに続く道ならばと。
そしてゼンベルもゼンベルで何だこの状況はと内心で首を傾げていた。この森で人に出会うだけでも珍事と言えるのだが、更には自分を見ても全く自然体を崩さないその様子に毒気を抜かれてしまっていた。普通の人間がこんな状況に陥れば即座に警戒態勢を取るだろう、にもかかわらず少女は恐れや警戒の素振りを見せない。まるで危険なことなどあり得ないと言わんばかりに。だからつい質問にすらすらと答えてしまっているのだろうと自分の心の内を分析しながら話を続ける。
「異変ねえ……まあ異変といや異変だが、食料が少なくなってんな。ちけぇうちに部族間の戦争が始まるだろうし不穏な空気が漂ってるっつーのは間違ってねえ。今すぐってこたぁねーだろうが巻き込まれねえ内にさっさと帰った方がいいぜ? 俺は別に気にしねえが、蜥蜴人ってやつはとかく余所もん嫌いなのよ」
「ふむ……? 自分が蜥蜴人じゃないような言い方でありんすな」
「俺は……あれだ。そういう面倒くせえところがうっとおしくて飛び出したこともあるのさ。一番の理由は強くなりてえからだったけどな」
おかしい、とゼンベルは喋りながらもずっと考えていた。初対面の少女、それも自分の巨腕で握り締めれば折れそうなほどに華奢なその矮躯の人間に対し何故これほどペラペラ蜥蜴人の内情を話しているのか。旅人なんてものになっていたのだから他種族に対して他の蜥蜴人よりは寛容だという自覚はある。しかしいくらなんでもこれほどは、と考えたところで自分をじっと見つめるその双眸に違和感を覚えた。
紅い、紅い、真紅に染まり輝く瞳。吸い込まれて飲み込まれそうなその眼差しはおよそ人間とは思えない。いや、と首を振りゼンベルは確信した、目の前の少女は人間ではあり得ないと。そしてやっと気付いたのだ、己の本能が警鐘を鳴らしていることに。
知識と知恵は本能を覆い隠す。理性が発達するならば犠牲になるのは何なのか。それはまさにゼンベルが実感していること、つまり“直感“ともいうべきものだ。人間と比較するならば蜥蜴人はそういった感覚に優れているのは確かだろう。しかし彼らは獣ではない。言葉を使い、掟を重んじ、他者を尊重する。それによって失われたものは間違いなくある筈だ。
そう、敵の強さを量り、彼我の戦力差を判断する“本能“ともいうべきものが。
「おまえ……人間じゃねえのか?」
「……? 見た目に反して鈍いでありんすねぇ、むしろ見た目通りと言うべきでありんしょうか」
ゼンベルはやっと気付いたのだ、目の前の少女が自分よりも圧倒的に強者であると。外の世界を歩けば自ずと解ることがある。それは自分が広い世界においてどの程度の実力であり、どれほどちっぽけな存在かということである。前回の戦争においてゼンベルは蜥蜴人の至宝『フロストペイン』を持つ『シャープ・エッジ族』の族長に敗北を喫した。その悔しさから集落を飛び出し自分を鍛えたのだ。
しかし外の世界に出れば自分がどれほど矮小で、井の中の蛙だったかを思い知った。勿論彼は弱くない。蜥蜴人は――というより亜人と呼ばれるものは基本性能からして人間より強い傾向にある。それでもゼンベルより強い者などいくらでもいるのは事実である。
恐ろしい魔獣に襲われ無力を味わったこともあれば、たかが人間と侮って殺されかけたこともある。その経験の中で培った本能がシャルティアを恐れ、無意識に彼を従順にさせていたのだ。
「無礼な口調は有益な情報で相殺にしてあげんしょう……けれど肝に命じておくでありんす。牙の抜けた亜人など人にも劣る。敵の強さも感じられぬなら獣にも劣る。そのなりは張りぼてでありんすかえ?」
「ぬ、ぐ」
「くふ、わらわ優しい」
タメ口を許したばかりか助言まで与えるなんて、もはや他者へのコミュニケーションは完璧ではないかと自画自賛して飛び立つシャルティア。森の雰囲気がおかしい理由も解明したことであるし、全ては結局自分が解決したと自らの優秀さに酔いしれていた。
「そういえば《メッセージ/伝言》の存在を忘れていたでありんす。ふむ……もし、ラキュース、ラキュース。 どこをほっつき歩いているでありんすか。もう目的は果たしたで――」
「――――」
「……ラキュース? もし、返事しなんし……むぅ」
逼迫したような切羽詰まった声が脳内に響き、そしてすぐに《メッセージ/伝言》が切れた。ただごとでは無い様子に考え込むシャルティア。自身には及ぶべくもないとはいえ、この周辺諸国では集団としてなら最強クラスだと自負していた彼女達をシャルティアは特に心配していなかったのだ。実際にその辺の冒険者を見た限りでも殆どが十把一絡げの雑魚であり『蒼の薔薇』は確かに抜きんでていると確認している。もちろんシャルティアは相手の実力を量る技能など持ち合わせてはいないが、それでもなんとなくの雰囲気で解ることはあるものだ。
彼女の直観が判断するところ、下位冒険者は『ちり』中位から上位は『あくた』最上位で『爪垢』ぐらいの違いは見て取れる。イビルアイぐらいまでいくと『小動物』くらいであろうか。とにかく自分を基準におけばそれぞれの差などあってないようなものではあるが、それでも『蒼の薔薇』が強者であるらしいことは認識しているのだ。その彼女達が《メッセージ/伝言》を受け取れないほどの事態になっているのならば相手方もそれなりのものなのだろうとシャルティアは考えた。
「……ま、いま死んでもらっても困りんす。あのまま進んでいたならあっちの方向でありんすかね」
そう呟くと羽を限界まで広げ、シャルティアは全速力で飛び始めた。耳に残るラキュースの悲鳴を思い出しながら、なるべく急いでやるかと眼下に広がる大森林を見渡す。なんでもないふうを装う彼女の様子は、しかし誰かが見ればこう言っただろう。何をそんなに急いでいるんだろう、と。
♦
時は少し遡り、シャルティアがゼンベルと邂逅する少し前。
「随分深くまで来ちまったなあ……地図にしたら、このへんか?」
「だいたい合ってると思う。この辺りにどんな病気でも治せる薬草が採取出来るって情報があった」
「へえ? こんなとこまで来るってなると結構難易度高いんじゃねえか?」
「ミスリルからアダマンタイトってとこかしらね。さっきのガガー、トロールも凄く強かったしイビルアイが居なければかなり苦戦したわよきっと」
「おいコラ」
「冗談冗談」
シャルティアと離れた後、更に森を突き進んでいた彼女達。その途中で巨大なトロールに出会い森の異変について尋ねた彼女達であるが、話し合いどころか単なる食料としか見做されなかったために戦闘に移行したのだ。結果は語るまでもないことではあるが、それなりに苦戦したのは彼女達からしても意外でありトブの大森林の奥深さを体験させられた一事であったようだ。
とはいえ彼女達は知る由もないが、件のトロールはトブの大森林の『三強』と言われる存在であり人間ではまず勝ち目のない強者である。彼女達がアダマンタイトクラスであり、集団戦に長け、更にイビルアイが居たからこそ多少の苦戦程度で抑えられたのだ。
それにしても、そんなことがあったとは思えないふうに雑談をしながらキャイキャイと進む彼女達はやはり若い女の子でもあるのだろう。静謐な森を行く様はまさに王都で流行りの森ガール。筋肉ムキムキだろうが、百歳超えていようが、レズだろうがショタだろうが中二病だろうがとにかく女の子はいつまでもガールなのだ。そしてそんなガールズにどこからともなくおずおずとした声が掛けられる。
「ね、ねえ、君達……」
「っと……ドライアード? 全然気付かなかった」
雑談をしていようが双子の忍者は警戒を怠っていた訳ではない。しかし気付かぬ内にすぐそばまで接近を許していたことに少々驚愕する全員。まあ接近を許したというよりは、彼女達が自分から近付いていったからこそ気付かれなかったという理由も多分にはあるのだが。
「君達、人間だよね? ちょ、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」
「お願い?」
「うん、ずっと前に魔樹を倒した七人を連れてきてほしいんだ。こ、このままじゃ世界が滅んじゃうかも」
「……物騒な話ね。でもこれは、ビンゴかしら」
まさに彼女達が探していた異変そのものといえる情報に、全員が顔を見合わせて頷く。ラキュースはピニスン・ポール・ペルリアと名乗った目の前のドライアードに続きを促し、詳細を聞いていく。なんとも語彙が少なく要領を得ない話し方ではあったのだが、その内容は彼女達をして想像以上であった。
ずっとずっと大昔、ピニスンが生まれるよりもなお古い時代。空を切り裂き数多の化物が突如現れた。世界を幾度も滅ぼしかねないその化物達は、事実凄まじい力を以って世界に多大なる被害をもたらした。余人には手に負えないその化物達を倒すべく、世界最強の存在と言われる竜王達が立ち上がりこれを駆逐していった。結果竜王側にも少なくない被害はでたものの、その殆どが討伐された。
しかし中には討伐されたように見せかけ封印状態で力を蓄えていた化物が存在し、その一体がこのトブの大森林に封印されているらしい。その化物の名は魔樹『ザイトルクワエ』 封印状態でありながら分体のような存在を生み出し、周囲に被害をもたらすこともあるようだ。
しかし既にその封印は解けかかっており、いつ復活してもおかしくないほどに事態は切迫しているのだ。ピニスンはかつて分体を倒した『七人』と約束をしており、いつに日か封印が解けることになった時にはまた助けにくるという言葉を信じて『蒼の薔薇』に言伝を頼んだのだ。
「……ちょっと想像以上だわ。私達だけじゃ……どうしたのイビルアイ?」
「いや、少しな。ピニスンといったか……その七人の外見、間違いないか?」
「え? うーん……そう言われるとなんだかなあ。魔樹の名前だってさっきやっと思い出したくらいだし。でも多分あってると思うよ」
イビルアイはピニスンの話に出てきた七人の外見に言及する。彼女もこう見えて永い時を生きた吸血鬼だ。端々の情報からおそらくピニスンの話が真実であるのは間違いないと考えている。そして事態の深刻さも。
「その七人、もしかすると十三英雄のことかもしれんな。推測される実力、人間とそれ以外の混合パーティ、それに人間側にそのあたりの情報が残っていないことから考えてもかなり昔のことのようだしな」
「ううん……貴女がそういうならそうなんでしょう、イビルアイ。それで、どうかしら?」
「……シャルティアが居ればあるいは、だな。竜王が出張るレベルとなると私達……というより国家規模でも厳しいだろう。それに今の話を聞いてシャルティアの……いや、今はいいか。とにかく一旦合流しよう」
なんとなくシャルティアの正体に思うところが出来たイビルアイ。彼女も詳しく知る訳ではないが、100年程の周期で違う世界からの来訪者が現れるらしいということは知識にある。そして「ぷれいやー」なるものの人外じみた実力も。
「事が大きくなってきたな……あるいは何かの兆しか? 神話の再来など、誰も望んでいないというのにな」
遠くを見つめて独りごちるイビルアイ。一時とはいえ、手に入れた平穏だ。気の置けない仲間も出来た。守るためなら全力を尽くそうと決心し、仲間のほうへ振り向く。
「イビルアイっ!」
「うわっ、なな、なんだ!」
「わ、私もやるわ! 一人だけずるいわよ!」
「なにがだよ!」
何かを察したように瞑目し、覚悟を決めたように目を開き、顎を引いて遠くを見つめる。謎の言葉を呟く。これが先ほどのイビルアイを客観的にとらえた姿だ。そしてそんなものがラキュースの琴線に触れないわけもなく、興奮した彼女は自分も続かねばと適当な大きさの岩を見つけて片足を乗せた。
「――――来るわ」
「なにがだよ」
空を仰いでピキューンと何かを受け取ったように呟くラキュース。イビルアイの突っ込みも空しく彼女は第二の人格が目覚めてしまったようだ。受け取ったのは恐らく変な電波だろう。呆れる他の面子を尻目に妄想に耽る彼女はピニスンから見てもドン引きである。
「ふふ、私の剣は何者にも屈しない。この剣の煌めきは誰にも陰らせない。セリャァッ!」
魔剣キリネイラムを一閃。振るった一撃の鋭さはまさに英雄のそれだ。衝撃波が数十メートル向こうに着弾し、それを確認した後ラキュースはくるりと華麗に振り向いて剣を鞘に納める。
「さあ、行くわよみんな!」
私達の戦いはこれからよ! といった感じで決めポーズを取る姿は、見る者が見ればカッコよさに惚れ惚れし、見る者が見ればその痛々しさに悶えるだろう。ちなみにイビルアイ達はどちらでもなく、呆れてものが言えないとばかりに肩を竦めていた。ちなみに今から行くのは戦闘ではなく仲間との合流と国への報告である。
「何をしてるんだか。さっさと……っ!?」
「なっ!?」
地面が揺れ、空気が震える。先ほどまで何も無かったその空には、大地から聳え立つ巨大な魔樹『ザイトルクワエ』がその存在を誇示していた。人間などとは比べるのも烏滸がましいその巨木は、太い幹に恥じぬ巨大な六本の枝を携えて今、顕現した。
「うわわわわわ、き、君の攻撃で刺激したせいで復活しちゃったじゃないかーーー!? ど、どうするのさ! 世界を滅ぼす魔樹だよ!? 死んだ、私絶対死んだーーー!」
「め、めんご」
「言ってる場合か! 逃げるぞ!」
「ちょちょちょ、置いてかないでー!」
「お前もさっさと逃げ……って本体は木か! ああもう……ガガーラン、引っこ抜け」
「よしきた」
「あだだだだ、痛い痛い! もうちょっと優しくしてよ!」
「きまし」
「ティア、流石にそれはない」
もはやてんやわんやなこの事態。しかし彼女達は忘れていることがある。それはザイトルクワエが目覚めた要因がなんであるか、ということだ。
「な、なんだかこっち見てないかしら」
「そりゃあ、お前がヘイトかったからな」
「な、なにか飛ばしてきそうな雰囲気してないかしら」
「そりゃあ、木だからな。実か種でも飛ばしてくるんじゃねえか」
「な、なんか――」
「あほかお前ら! 避けろ!」
現実逃避気味のラキュースへ向かいザイトルクワエから種子のようなものが飛ばされる。かなりの距離があるとはいえ、高速で飛来する種子はピニスンの本体を担いでいる彼女達には完全に回避することが出来なかった。正しく言うならば何とか回避はしたものの、種子が爆発するという予想外の事態が起きたために爆風の煽りを受けたといった方がいいだろうか。
「……っ、大丈夫か、お前達」
「なんとか」
「同じく」
「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》 本気でまずいわね……いったい何故こんなことに」
「誰のせいだ誰の」
「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」
この状況にしていまだ緊張感のないやりとりは流石アダマンタイト冒険者といえばいいのだろうか、とにかく無事であった彼女達は起き上がって歩を進める。唯一の救いは今のところザイトルクワエが自分から動いていないということだろう。むしろ樹が自分から動けるのかどうかは疑問である。
そんなポジティブっぷりを見せつける彼女達とは裏腹に、ピニスンは絶望していた。この期に及んでまだ自分を担いで逃げるようなことは無いだろうと。誰だって自分たちの命は惜しい。むしろあの状況にあってここまでしてくれる人間の方が珍しいだろうと考え、それでも一縷の希望に縋り彼女達に懇願しようと顔を上げた。
「うう、あの、助かったら何でもするから……え?」
だがその行動に意味はなく、必要もない。何故なら彼女達は人情溢れる正義の使者でアダマンタイトな冒険者『蒼の薔薇』だから。元からピニスンを置いていくことなど頭にはないのだ。とはいえそんなお人よしはラキュースとガガーランの二人だけで、後は仲間のためというところが強いのだが。更に言うならば正義よりも精気が好きな変態が過半数であり、使者というより死者というほうが正しい者がいるのは触れてはいけない部分である。
とにかくピニスンは彼女達の行動に感謝と感激で胸がいっぱいだった。知り合って碌に時間も経っていないというのに、自分達の命を危険にさらしてまで助けてくれようというのだから。
「あ、ありがとう! もし生きて帰れたら――」
「それ以上は不吉だからやめろ」
「なに言ってるの? イビルアイ」
「経験則だ」
永い時を生きれば言ってはいけない言葉も身につくものだ。俗に言う死亡フラグというやつもイビルアイにかかれば発動する前に封殺することも容易いのである。
「もし生きて帰れたらなんでもするよ!」
「言うなって言ったよな!?」
やっぱり、ダメだったようだ。
「でももう安全圏じゃない? ここまで離れたら……っと、シャルティアから《メッセージ/伝言》よ。『シャルティア? 今どこに――』」
「――っ! 伏せろ!!」
「え? ……ぁ」
自ら動けない樹木が世界を滅ぼしかねない魔樹などと言われる訳もない。この歪んだトレント『ザイトルクワエ』は根を器用に動かし移動することも当然のように出来る。そしてこの魔樹に限らず植物の根っことは地表に出ている部分よりずっと大きいことがままあり、その例に漏れずザイトルクワエも巨大な体躯に見合った根を張り巡らせている。そしてそんな根を動かすとなれば広範囲の地震と地割れを伴うのだ。
彼女達が地を全力で走っている以上、いきなりの揺れに足を止めざるを得ない。そしてその隙を魔樹は見逃さなかった。罅割れた大地から現れた根の先が彼女達を縛り、拘束するのに数秒。普段ならなんなく躱せる程度だが、地に足を取られている状態ではそれも難しい。咄嗟に魔法で空へ浮かんだイビルアイ、そして影から影への短距離転移スキル『影渡り』を使用したティアとティナだけが拘束を逃れた。
「ガガーラン! ラキュース! ……があられもない縛られかたを!?」
「言ってる暇があったら助けてくれないかしら!?」
「うおおっ!? 離しやがれ!」
魔樹だってお約束の重要性は知っている。という冗談はさておいて、こうなればもはや拘束された者に抜け出す術はないだろう。レベルに換算すれば圧倒的なまでの差があるのだから。むしろ何故今握りつぶされていないかの方が不思議な程である。
「ティア! ティナ! お前達は――」
「ん、もう大丈夫みたい」
「何? どういう……」
イビルアイが漏らした焦燥の色を含んだ声は、数瞬の後に安堵のため息に変わった。ヒーロー、というよりダークヒーロー、もといダークヒロイン、ならぬダークヒドインのご登場である。
「人が急いで来てみれば! 何特殊プレイで悦んでるでありんすか! 流石のわらわも予想外!」
「どう見たらそう見えるのよ! とにかく助けてーー!」
「まったく……枯れ木風情がわらわの玩具に手を出すとは不届きにも程がありんす。焚き木の材料にしてあげんしょう」
スポイトランスを握りしめ、目にも止まらぬ速度で突きを繰り返していくシャルティア。その速度はもはや摩擦熱で火がでそうな勢いである。ラキュースを拘束している根を断ち切り、ガガーランを拘束している根を断ち切り、ついでに転がっている樹にランスの先っちょをぷすりと刺した。
「痛ぁーーー!! 私悪いトレントじゃないよ!? 刺さないで、刺さないでーーー!」
「……なんでありんすか、これ」
「これじゃないよ、ピニスンだよ!」
「シャルティア、そいつは敵じゃない。やめてやってくれ」
「……まあ別にどうでもいいでありんすが」
騒々しいな、とピニスンを一睨みして黙らせるシャルティア。そしていまだにうねうねと動くザイトルクワエの根を《フォース・エクスプロージョン/力場爆発》で吹き飛ばし、こちらを睨んでいる本体へと視線を向ける。
「図体だけはでかいでありんすが……さて」
この攻撃は耐えられるかと、日に数回しか使用できない『清浄投擲槍』を生み出して構え、MPを消費して必中効果まで付与する大盤振る舞いである。さしものシャルティアもあの巨体にちまちまと攻撃しては埒があかないという判断をしたようだ。一人になってから初めて「敵」といえるレベルであるのを察したのかもしれない。
投擲された槍は当然の如く目標へと到達し、膨大を誇るザイトルクワエのHPの大半を削った。体力だけならばシャルティアをも上回るこの魔樹も、しかしそれ以外の部分に実力差がありすぎた。苦悶の叫び声をあげ、苦痛に身を捩らせる。その様はシャルティアの嗜虐心をそれなりに満足させるに至り、そしてこれ以上魔樹が存在する必要性が無くなったことも意味していた。
「ふむ、耐えるでありんすか……なら約束通り、焚き木の材料に。くふ、それともそのまま燃やしてあげんしょうか、そうしましょう」
「お、おいシャルティア、まさかとは思うが――」
「《ヴァーミリオンノヴァ/朱の新星》」
爆発の如き炎の奔流は魔樹をその根の先まで悉く焼き尽くし、その一片に至るまで原型も残さず灰塵と帰した。無慈悲なその一撃は、その様子を目撃していたピニスンをお漏らし……もとい葉脈から水分を垂れ流しさせるほどの忘我に追いやった。けしてお漏らしではない。
そして何より大事なことが一つある。それはここが森であるということだ。
「あほかーー! おまっ、ちょ、燃えてるじゃないか! 消火しろ消火!」
「わらわ水属性の魔法は覚えておりんせん」
「じゃあなんで燃やしたんだ!」
「んんー……そんなこと、気にしても、しょうかありんせん」
「洒落を言う程気安くなってくれたのは嬉しいが! 今じゃないだろう! ああもう!」
「ぬしは最初会った時より感情の起伏が激しくなったでありんすな」
「誰のせいだーー!」
ごうごうと燃える森をバックに、おバカな喜劇は続くのであった。
トブの大森林の運命は如何に