例えば、タイムマシンがあったとして過去を変えるとどうなるか。
時の流れは常に一本道であり、過去、即ちより後ろの道の向きを変えれば、必然、そこから先の道も変わってしまう。しかし、それが本当に正しい理論なのかは甚だ疑問である。
例えば、親や自分自身、或いはその他の自分という存在を確立させた者達、そういった者達を今よりも過去の時間において、殺害やなんらかの手段で自分との関わりを絶った場合、果たして自分という存在のありどころはどこになるのか。親殺しのパラドクス、過去で自分が親を殺せば、現在の自分は生まれなくなる、しかし自分がいなければ親は殺されない、親が殺されないなら、自分は生まれてくる、自分が存在しているならば、やはり親は殺される、しかし親が殺されれば……と永遠に続いていく。親を殺した瞬間、自分はどうなるのか、この解消できない矛盾はいくつかの説を生んだ。
例えば、そもそも時間逆行は不可能であるという説、またはどうやっても未来に影響を与えるような改変は失敗に終わるという説、そして時間の道は一本ではなく幾つも分岐しているという説。それらの説はきっと人類が時間旅行を可能とするまで議論が続いていくだろう。
そしてある時、とある物が過去を変えた。その物は、争い、憎みあい、いがみ合い、互いを思いやる暖かい心を持っていない同胞達を嘆き、争い、憎みあい、いがみ合い、それでも互いを思いやる暖かい心を持った人間の為に、自らが消失してしまうかもしれないことを分かった上で、過去を変えた。
そしてその物は世界から消え去った。だが、その物は知らなかった。世界から消えることは、存在が消えるということではないことを。世界は、過去を変えたその物達をその時間軸から追放したのだ。彼らの歩んできた歴史の線は丸々切り取られ、そこに改変された新たな歴史が組み込まれる。元の歴史の線は一度世界の外側に出され、斜めに傾く。そして崩れるように上端、つまり過去の方からさらさらと砕け、その破片は滑り台のように歴史の線を流れてゆく。段々とその線は短くなってゆき、そして最後の一欠片が落ちる。
彼らの歴史は消え去った、ただ彼らは、そこで起きた事象は細かく分けられ、世界に歪みが起きないように様々な歴史の糸に無作為に散っていった。
世界は合理的だ、新たな歴史の為に消費されてしまった糸は、補う必要がある。外から持ってくる必要はない、いままであったものをまた使えばいいだけの話。そして、また糸が必要になった時は既に存在している糸から少しずつ集め新たな糸にする。そうして世界は均衡を保っていたのだ。
そこには神などいない。完全に無作為、機械のように合理的に物事は完遂される。だからきっと、その物が、否、その者が、もう一人と共に辿りついたのは絶対に間違いなく神の悪戯や運命なんてものではない。
それをなしたのは、合理的とは正反対で理屈に合わない、だけれども強いチカラを持っている感情だろう。
それは人によっては愛と呼ぶものかもしれない、だけれどもここでは愛に近いがまた少し意味の異なる別の名前で呼ぶことにしよう、それは友情と呼ばれる。愛なんていうほど大層なモノではない、けれども互いに思いやることの出来るその感情は愛にも引けを取らない。
その者は、彼女はゆっくりと瞼を開けていく。体の中でエネルギーが再び回り始めるのを感じる。目が覚めて始めに思い浮かんだのは疑問だった。彼女の記録、否、記憶は確かに残っている。そして彼女が大切な友達から受け取った暖かな感情も確かに心が覚えていた。次に彼女は喜んだ、今自分がどうなっているのか、どこにいるのか、そんな事はどうでもよかった。友達との大切な思い出が残っていたことがとても嬉しかったのだ。
暫く、その暖かな感情を味わった後に、彼女は自分が置かれている状況を確認し始めた。小さな暗い部屋のような空間、そこは彼女にとって見知った場所だった。慣れ親しんだ様子で辺りに手を伸ばし、ボタンやレバーのような物を幾つか彼女が動かすと、モーターの回り始めるような音と共に部屋に明かりが灯る。その部屋は幾つものボタンやレバー、計器やレーダーのような物が配備されており、何かのコックピットを想像させる。
再び、彼女が幾つか装置を動かすと彼女の前面にスクリーンが現れる。どうやら部屋の外の様子が映し出されている様だった。
「水の中…海の底かしら?」
そこには岩場が広がっており暗く、生き物の姿は殆ど見当たらないようだった。
「ジュド、聞こえるジュド?」
彼女は部屋全体に向けて問いかける。マイクや電話でどこかに連絡をとっている風ではなく、その部屋そのものも声を掛ける。その呼び声に応じるように、部屋の天井から丸くて穴のようなものが三つ空いた青いボウリングの玉のような物が、すり抜けるように落ちてきた。落ちてきた音に気が付いた彼女はその丸い物体に駆け寄り抱きしめる。
「よかった…ジュド無事みたいね」
「うーん…ぼくもう食べられないよう…むにゃむにゃ…」
よくみるとその球体の下半分は黄色になって、手や足、口や目のような物がついていた。誰かが見たならその色合いからヒヨコのようだと言うだろう。彼女に抱きしめらたヒヨコは瞼を閉じなにやら夢見心地の様子だった。
「起きて、ジュド起きて」
彼女が揺り動かすとヒヨコはゆっくりと目を開け、大きく欠伸をした。そして彼女の手元から飛び降りるとまだ半分ほど閉じている目で辺りを見回し、ゆっくりと自分のいる場所を確認する。やがては自分がどこにいるのか、目の前に誰がいるのかを確認してはっきりとそのヒヨコは目を見開いた。
「リルル…?」
「ええそうよ」
「ほんとにほんとにリルルなの?」
「だから、そうだって言ってるでしょ」
目の前の彼女が、自分の知っている彼女だと分かると、彼は短い脚を限界まで使い、彼女の胸に飛び込んだ。その目には涙が光、ヒヨコとは思えないほど感情豊かに表情を変えていた。
「リルル…リルル…よかった、よかった」
「ジュド、大丈夫よジュド」
彼女もまた彼を拒むことはなく、あやすように彼を抱きしめる。暗い海の底の小さな部屋での再会はゆっくりと過ぎ去ってゆく。時間の経過の分かり難い海の底で、彼らにとってはとても長く時間が感じられた。
やがて涙の収まった彼が顔を上げる。
「リルル、ここはどこなの?」
「分からないわ…でもメカトピアじゃなさそうだし、たぶん地球だと思うわ」
「でも、過去を変えちゃったから僕たちは消えてしまう筈だったんじゃないの」
「それも…分からないわ、でも確かに過去は変わった筈」
彼女達は進んだ技術を持っていたが、時間旅行に関する技術にまで到達していなかった。故に過去改変による影響を理論でしか知らなかった、それ故に消えてしまう筈だった自分達が存在していることには疑問を抱かずにはいられなかった。
「ならいいんじゃないかな」
「……そうね」
「なんで僕たちがここにいるのかは分からないけどさ、ここが本当に地球ならまた皆と会えるかも知れないじゃない!」
「そうね、その通りね。 なら早速彼らを探してみましょう、とりあえず海から上がってみましょう」
その言葉を聞き彼は落ちてきた天井に向かってジャンプして、またもすり抜けるように天井に入りこんでいった。
「操縦は任せて、リルルは回りに何かないかよく探してみて」
「分かったわ」
彼女の見ている画面がゆっくりと動き出し、海底から浮上していく光景が映し出される。だんだんと画面が明るくなっていき海面に近づいているのが分かるようになり、遠くの方で魚影らしきものも確認されるようになってくる。やがてザバッと水を掻き分ける音と共にまぶしい程の光が差しこんでくる。周囲には何もない海が広がり、空は快晴、太陽の光が直接降り注いでいた。
「ジュド、周囲に島影は見える?」
『うーん…よく見えないけど、なんかあっちのほうで光が見えたようなきがする』
「いいわ、ならそちらを目指して進んでみましょう」
水面近くを映し出していた画面はまたもゆっくり動き始め、完全に水面から浮かび上がった位置で一度止まり、光の見えたという方向に向きを変える。そしてその高さのままその方向に向かって映像は移り変わっていく。
ある程度進んだところで、普通の人類よりも遥かに高性能に造られた彼女の視界があるモノを捉えた。
「あれは…人間? それと魚みたいな変なのもいるわね」
『リルル、あの人達、あの変な魚みたいなと戦ってるんじゃない? 助けにいかなくていいのかな?』
彼が発した助けるという言葉に、彼女は一瞬だけ躊躇いを抱いたが、それも本当に一瞬のこと。彼女達の大切な友達は命がけで、同胞である人間達を守ろしていた。かつてはそれが何故か理解出来なかったが、今は違う、暖かな感情を持って思いやるということを知った彼女は躊躇いを振り解く。彼女は人間の全てを見たわけではない、全ての人間が優しい心を持っているなんて思わない、けれども彼女の友達が守ろうとした人間達を見捨てることは出来なかった。
「行くわよジュド」
遠く離れた時間軸の遠く離れた星からやって来た彼女は、その日、再び人類と出会う。そして初めて、深海棲艦と艦娘に出会う。