例の屋敷の事件の数日後、僕は永遠亭にいた。
「正直、相当参ってるわ」
永琳は、手を額に当ててやれやれという仕草をした。
「一定間隔の催眠状態もどきに関しては、いわば一種の強烈な刷り込みね。
それも幅が一定してないから、それに合わせて刺激の負担を消すことも事実上不可能。
完全ランダムでパターンが全然読めないのはどうしても厄介だわ。
ここまで念入りに継ぎ合わされると、無理矢理ちょん切ってもくっつきそうだし―」
「・・・素人でもわかるように説明してほしいんだけどな」
「はいはい、わかったわよ。ここに長い紐があります。で、この長い紐を・・・」
永琳は、紐を何度も何度も堅結びにした。
「はい、この状態で紐を元通り真っ直ぐ戻せるでしょうか?」
滅茶苦茶に何回もきつく縛った結び目である。到底戻すことは出来ない。
「無理、だろうな」
「でしょうね」
続いて永琳はビーカーに液体を注いだ。
「気を付けてね、これ強酸だから」
そう言うと、永琳はきつく堅結びをした紐をその中に落とした。
シュワシュワと勢いよく泡が立ち、紐は一気に溶けていく。
「大体、こんな感じかしら」
「・・・悪い、余計意味が分からなくなった」
「はい、じゃあもういちど説明するわね。まず、きつく縛った結び目は、一種の術のようなもの」
永琳は再び、紐を取り出すと堅い結び目を作った。
「この結び目は、怨念の術と思って。ほどくことのできない、キツキツに縛られた結び目、そう、解くことのできない、強力な怨念の術よ。それが―」
永琳はもう一度紐を何度も、きつく縛り始めた。
「こんなふうに、何回にも、何重にも渡ってかけられてる状態。わかる?というわけで、これを解くことは不可能ってわけ」
「そんな―」
まさか・・・それじゃもう彼らは・・・助からないのか?
「で、この酸の登場よ」
永琳は再び酸を入れたビーカーを持ちだした。
「この酸は、『日数』を意味するわ。大体そうね、二週間くらいかしらね。この酸に入れれば・・・」
永琳は再び縛り固められた紐をビーカーに入れた。
シュワシュワと音を立て、再び紐は勢いよく溶けていく。
「この紐みたいに、二週間も経てば、術は綺麗さっぱり解けてなくなるわよ。特に薬も必要ないし、後遺症もないから安心して」
「そうか・・・良かった」
「ただし」
「ん?」
「もう一度、これを見て」
先程の紐が溶けているビーカーに、永琳はもう一度目を向ける。
「もの凄い勢いで溶けているでしょ?泡をシュワシュワ出しながら」
「ああ」
「この激しい泡立ち・・・彼らにとっては治るまでの拷問、といったところかしら」
「どういうことだ?」
「・・・彼らは一様に奇声を上げたり、誰かがずっと見てるといったり、奇妙な声がずっとすると訴えたり、不眠に悩まされたりしてるわ。『悪霊の声がする』『恨みに満ちた顔が見える』って、全員そんなことを言ってるのよ」
「そんなことが・・・」
「・・・ま、術が解けるまでの辛抱ね。紐が全て溶けきれば泡も経たなくなる。さっきも言ったけど、その怨みの術から来るそういった症状も、二週間経てば綺麗さっぱり無くなるわ。何度も言うようだけど、後遺症も心配なし。二週間の間の幻聴や幻覚も、術が消えることで記憶から抜けていくはずよ」
「そうか・・・良かった」
「ええ、でもできれば・・・なるべく苦しまずに治してあげるのが一番なんだけど」
「うん・・・そうだね」
「悔しいわね」
「え・・・?」
「月の医療技術をもってしても、上手くいかないこともあると思うと・・・」
「・・・君はいつも患者さんに対して、優しく一生懸命じゃないか。それで十分―」
「残念だが、それは所詮綺麗事だよ」
「え・・・?」
聞き覚えのある声がした。
「どうにも努力しても、手を施しても、助けられない命だってあるもんだ。外にいた時に何人もそんな奴らを見てきたよ。悲しいが、それも定めって奴なんだろう。・・・俺だって、神様ではあるが、限界ってものはあるんだ。残念なことにな」
「あなたは・・・どうしてここに?」
「緊急事態っつーから駆り出されたのよ。お久だな、半化けの兄ちゃん」
癒しの神様じゃないか。髪は綺麗に結っており、口髭も整えられている。・・・相変わらず顔色が悪いが。
「あら、知り合いだったの」
「うん、まあね」
「初めてこの地に来た時に世話になったのさ」
神様は歯を見せて笑ったが、すぐに真剣な表情になった。
「幸いあいつらは助かったが・・・とんでもねえぞあの術。俺の力がてんで効かねえよ」
・・・なんてこった。癒しの神である彼の力でも簡単に回復できないのか。
「恐ろしい術だな。あれを仕掛けた奴は、相当な腕だろうな」
「ああ、本当に恐ろしいよ。私も、最初は治療をためらって、逃げだしたいほど恐ろしかったよ。どうなる事かと思った」
そこまで危険な術が仕掛けられていたのか。でも・・・
一体誰が?何のために?
それからまた後日、僕は鈴奈庵を訪れていた。
「こんにちは」
「あ・・・こんにちは」
小鈴はいつもに比べ、元気のない顔をしていた。やはり、例の事件でショックを受けているのだろう。
「あの、すみません」
小鈴は遠慮がちに僕に言う。
「この本、お代はいいので、お返しします」
「・・・」
この前の呪いの屋敷について書かれた本だった。
「そうか、じゃあ返してもらうよ」
僕は本を受け取ると、真剣な眼差しで小鈴の顔をじっと見た。
「・・・例の、この前の事件のことだけど」
「え、あ、はい・・・」
・・・思い返せば、あの野次馬の中に、小鈴の姿もあったな。阿求と二人で真っ青な顔をしていたような・・・当時はそれどころじゃなかったけど。
「いいかい、一歩間違えれば、君も同じような目に逢ったかもしれない」
「はい・・・」
「前にも言ったけど、君の好奇心旺盛なところは決して悪いことじゃない。でも、この幻想郷では、人間は弱い存在なんだ。魔理沙や霊夢と一緒に過ごすことが多い君は、いまいちピンと来ないかもしれない。妖怪は憎むべき存在でも、敵対する存在でもない。ただし、人間としての立場はある程度わきまえないといけないんだ。いいかい?しつこいようだけど、あまり危険なことに首は突っ込まないほうがいい」
「・・・はい、ごめんなさい」
「どうしても、という場合は、きちんと大人や専門の退治屋の人に相談して、指示を受けるべきだ。もちろん魔理沙や霊夢でもいい。・・・僕だって、君が良ければいつでも相談に乗ってあげるよ。わかったね?」
「・・・わかりました。気を付けます」
小鈴はシュンとした表情で頷いた。
例の事件の載った新聞と雑誌と何回もにらめっこしながら、僕は色々考えていた。
どういうわけか、やたらと喉が渇く。あ、お茶がもう少しで無くなりそうだ。・・・彼女もお代わりが要るかな。
「お茶入れ直すけど、お代わりするかい?」
「いいえ、結構でーす」
能天気な返事が帰ってくる。僕は新しいお茶を入れると、もう一度彼女のそばに戻った。
「まあ結局のところ、若気の至りって奴みたいですねー」
「若気の至りねえ・・・まったく、どうしようもないな」
僕はやれやれと肩をすくめた。
「仲間内で酔っぱらって、肝試ししようぜー、だったらあの呪いの屋敷に行ってみるか、結界なんか弾幕でぶっ壊しちまえ、ってなノリで」
しかし、噂が山にまで広がっていたとはな。いや、種族的にこういう手の噂が速攻で広まるのは自然なことか。
「同じ鴉天狗として、本当に恥ずかしいですよー、まったく」
「文、君も人のことを悪く言える立場じゃないんじゃないか?」
「ちょ、聞き捨てなりませんね。私はあんなDQN連中とは違いますよ。清く正しくやってますからね」
「・・・この前、君の書いた新聞記事をボロクソに言ってたぞ、霊夢が」
「あやや・・・参りましたね。私はしっかり事実をありのままに書いたはずですけど」
「・・・問題なのは、プライバシーの侵害のほうだよ。そういうのはほどほどにしといたほうがいい」
文を店から見送った後で、僕は一旦情報を整理することにした。
あの呪いの屋敷に入ったのは、鴉天狗の男女5名だったそうだ。彼らは連携型の弾幕で一気に結界を破壊したと思われる。そして、しばらく進んで、問題の屋敷に入った。
しかし・・・一体そこで、彼らに何があったんだろう?
・・・もう一度、記事を読み返そうかな。
―あれから数日、何回、新聞や雑誌を読み返しただろう。大体想像はつくことと、想像のつかないことの差が大きいんだよな。ここは一回、現場近くにもう一度行ってみる必要もあるかもしれない。入れる場所は限られるだろうけど。もしくは・・・
ふいに、ガチャリ、と扉を開ける音がした。
「むぅ」
店に入ってきたノッポの青年は、不思議そうに扉の上方向を見る。
「いつもの心地良い音がしないではないか」
「あー、すまないね。それ今壊れてて」
「早く直してほしいものだな。拍子抜けしてしまう」
そう言うと彼は不自然な形の風呂敷包みをテーブルの上に降ろした。
「なるべく早く直すよ」
僕は立ち上がると、彼が持ってきた荷物に目をやった。風呂敷を開けると、外の世界の道具が数個入っている。
「あれ、今日はこんなものかい?」
「残念ながら、それしかなくてな」
伏し目がちに彼は呟いた。
「今回は不作。自分の所の敷地しか収穫が無かった」
うーん・・・下道荘(しもつみちのしょう)なら広いからもっといっぱいありそうなものだけど。・・・いやそうか、今はほとんど耕作地で他人の畑が多いんだった。
「よし、とりあえずじっくり鑑定させてもらおうかな」
「あいわかった」
青年はすくりと立ち上がると、店の出口に体を向けた。
「明日までに鑑定を頼む。ではこれで失礼」
「ちょっと待った!」
僕は大声で彼を呼び止める。
「今日はこれから暇なのかい?」
「特に用事は無い・・・まだ何か?」
振り向いた彼のギョロ目が、僕の顔をじっと見据える。
「呪いの屋敷の事件の話を、聞かせてほしいんだ」
「っ・・・」
彼のギョロ目が、一層真円に近くなったような気がした。
「第一発見者である君の話をね」
僕は彼にも負けない鋭い視線を向けていた。