闇の謀殺、暗殺の蔓延る魔都、洛陽へと。
朝と夜は寒さが肌を刺して、薄着の私たちにとっては苦手な季節がまたやってきてしまった。夜は恋や月たちと一緒に毛布に包まって抱きしめあって寝るのが当たり前となった今。あ、抱きしめあっていると言っても、恋だけだからね?大切な妹だし。
恋が言い出したこの事に、当初は詠たちに顔を真っ赤にして反対されていたけど、大胆な事に月が賛成し、今では私と恋に混じって寝ることもあるほどにまで馴染んできている。たまに川の字で寝るんじゃなくて、月たちが私に密着して寝ていることもあって、私自身が恥ずかしくて、逃げ出すこともあったけど。
ついにこの日が来た。いや、来てしまったというべきなのかな。
夏前に朱儁将軍が直々に勅使として来たことでこの日が来るのは覚悟していたけど、いざ来てみると、嫌な胸騒ぎが収まらない。
月を筆頭に私たちは謁見の間に集まり、月が玉座に座り、私と詠が月の両脇に控える。恋たちは文官と武官に分かれて並び立って来る勅使を待つ。
謁見の間は異様な雰囲気で包まれていた。
ピリピリとした肌が痛くなるような空気と諦観した雰囲気が入り混じっている。
何故こうして集まっているのか。
それは、二日前に突如として私の部屋に飛び込んできた矢文が発端だ。
お気に入りの障子を破って来たから、思わず矢文だけを取って矢を投げ返したけど。……飛んで行った方から悲鳴が上がったような気もしたけど……うん、気にしない。(朱儁の潜んでいた城壁の一部が矢によって粉砕)
放ったのは、以前と同様に朱儁将軍がこっそりと忍び込んで放ったのだと思う。確かに、安定の街は最低限の見張りしか立っていないけど、私を筆頭に恋たちと一緒に鍛え上げた兵たちであり、そこらへんの隠密如きでは討たれない。
むしろ、逆に討ってやる程の腕前たちだ。そんな手練たちの中をくぐり抜けて平然と城まで忍び込んでくるのだから、呆れてしまう。
それは置いといて、手紙の内容は私と詠の顔を強張らせるものだった。血を思わせる鉄の匂いと共になぞられた赤い文字。血書だ。
ーー帝より正式に董仲穎を洛陽へ呼び寄せる旨の勅が下った。されど、この勅は帝からではなく、十常侍によってもたらされたものと断ずるべし。より一層、用心されたしーー
この密書を詠に見せたら、忽ち顔を青くして、震えていた。
帝からの勅を装って十常侍から勅が来たということは、間違いなく、十常侍は月を葬ろうとしている。自分らの存在を脅かす存在として。
ーーギリッ!
思わず歯軋りの音が漏れてしまう。恐らく、私の顔は今までになく、怖いものだっただろう。でも、詠はそんな私を見ても、怖がることもなく、悲しそうに顔を歪めて私の手を握ってくれる。握ってくれた手が暖かくて、激昂した感情を落ち着けてくれる。
前に朱儁将軍が来てから、詠は五月雨にお願いしていく度もなく情報を集めてもらっていたり、私は各地から訪れる商人や旅人、流浪人から話を聞いたりして、できうる限り情報を集めては手を打った。月が洛陽に行かなくても済むように、王允さんや、司馬防さんたち、禁中にも影響力を持つ人にもお願いして。
代償に洛陽に来て、女物の服を着て一日だけでもいいから、娘として過ごしてくれって言われたのは恥ずかしかった……。
王允さんは嬉々としてみるからに高そうな着物を着せてくるし、司馬家は司馬防さんの八人姉妹に着せ替え人形のようにされては何でか、撃沈していたし……鼻血を出して。
(プルプル震えて+涙目+上目遣いのコンボにより)
でも、朱儁将軍からこうして血書が来たということは全てが無駄になってしまったということなんだろう。
王允さんや司馬防さんたちの努力も十常侍には及ばず、覆されてしまったのだろう。
でも、幸いなのは、帝の血書の事は十常侍にはまだ気づかれていないみたい。
どうやら、建前では、安定の城郭都市を発展させ、異民族との交易を図ったことによる経済の安定の手腕を称えて、荒廃した洛陽の都を全盛期の頃にまで戻して欲しいという“帝の要望”を建前としているようだ。
これでは、断ることもできない……いや、勅という時点で断る、という道は閉ざされたも同然。断ったら、帝に弓を引く者、つまり反乱者として見做される。
八方ふさがりとは正にこの事だ。
はぁ……、とため息を吐きたいのをこらえて前を向く。ちょうど勅使が到着したみたいで、鈴の音が鳴り響く。
そして、入ってきたのは意外にも、皇甫嵩さんだった。十常侍の息がかかっている汚職にまみれた官人かと思えば、皇甫嵩さんだからびっくりだ。
「ご機嫌麗しゅう。董仲穎どの。姓を皇甫、名を嵩。字を義真と申します。この度は帝より勅使の任を仰せつかり、馳せ参じた次第でございます」
「勅使の任、誠にお疲れ様でございます。今宵は宴の用意をしております。ゆるりとお過ごしください」
「お気遣い、感謝致します。さて、本題に入りましょう。帝のお言葉でございます」
皇甫嵩将軍と月の形に沿った挨拶を交わす様を見ていると、さっさと本題に入った。帝のお言葉と聞いて一斉に跪いて手のひらに拳を当てる供手の構えを取る。懐から取り出した紙の巻物をスルスルと開いていく。
「コホン。ーー董仲穎を執金吾に任命する。安定の都を全盛期以上にまで発展させた其方の類稀なる手腕を洛陽の都でも発揮されんことを真に祈る。汝の敘官に合わせ、配下の将にも官位贈呈も計らいたい。ーー以上になります」
「はっ、勅命、平頭してお受けいたします。帝のご期待を裏切らぬよう誠心誠意務めます」
執金吾、かぁ。前に司馬徽先生に教えてもらった時は洛陽の太守的な役目だと聞く。
洛陽の都は他の都市と違って皇帝の居住である禁中も合わせた巨大な城郭都市であり、漢の首都であり、人口も膨大。
この安定はこないだ漸く五十万を数えるかというところまで増えてきたけど、洛陽は三百万はいると言われている。それに合わせるかのように城郭も大規模。この安定の四倍はあるんじゃないかってほどに巨大な城郭都市。
その都市の管理を行う執金吾という役目は単なる太守とは異なる。それこそ、州刺史と肩を並べるか、それ以上の権限を持つ。下手したら、三公、相国に肩を並べるかもしれない。一つの都市の太守から大出世になる。
でも、権限には責任と重責も伴う。ますます月の自由は制限されてしまう。私たちの動きも思うようにはいかないかもしれない。
どこに誰の目や耳があるかわからない。十常侍の息がかかった者がいるかもしれない。もしも、虚偽の報告を真実の報告として十常侍が帝に告げ口すれば、瞬く間に月の首は飛ぶ。それだけはなんとしてでも止めなくてはならない。
それに、洛陽は【魔都】だ。
十常侍を筆頭に、人の欲望や思惑が蔓延り、魑魅魍魎の蠢めく淀んだ嫌な空気を感じさせる都。弱肉強食の世界を表したかのような都だ。
私もあの都には好き好んで居たいとは思わない。あの都に居たら気が狂ってしまいそうで怖い。
だから、三年前に訪れた時は本当ならば一年ほど滞在する予定だったのが、一ヶ月も滞在しないで直ぐに洛陽を出て長安、宛などの城郭都市を訪れたり、早めに荊州に入ったりしていた。一ヶ月の内で司馬防さんや、王允さんと繋がりができたのは幸運だと思う。
それ程にまであの都を包む空気は異様だ。これは私がおかしいのかもしれないけど、空気が澱んで見えるほどにまで暗く見えた。
華琳でさえ、洛陽にいるときは息が詰まって好きになれないわね、と言っていたから余程のものだね。
「呂風将軍。洛陽に来られた暁には帝がお呼びしたいと申されています」
「………私をですか?」
「はい。帝は大層、お気に入りのご様子です。以前、【白麗公】と御呼びしてから会いたいと申されていましたゆえに」
「………分かりました。洛陽に到着し次第、主と共に禁中に赴きます」
「それが宜しいでしょう」
思わず表情が強張るのが分かってしまう。
帝直々の御呼びって、なんだか嫌な予感がする。
でも、断ることなんて出来るはずがなかった。相手はこの国の皇帝。それに比べて私は一つの州にある一つの城郭都市の主に仕える一人の将。皇帝から見れば陪臣のそのまた陪臣であり、身分的にも大層な差がある。天と地並には。比べるのも烏滸がましい。私と恋の血筋的に見ても。私と恋は匈奴の血と漢民族の血が混じった異種の子だ。
頭が痛くなる思いだった。
そして、皇甫嵩将軍が勅使としてやってきてから満月を二回経た月。洛陽から派遣された交代の役人と引き継ぎを終えて、交代した役人が仕事に慣れて、緩やかにだが、安定の経済も発展し始めた頃。
もう辺りは白い雪が舞い、薄っすらと化粧されたかのように白い世界に染まり、吐く息は白くなる頃となった。
私たち、月を筆頭に董卓軍四万五千は洛陽へと進軍を開始した。先頭に私たち呂風軍。後発として月が率いる董卓軍が続く。極寒の中での進軍だが、虎や熊などの毛皮や匈奴との交易で手に入れた様々な毛皮で厚着を作り、それを羽織ることである程度は寒さを誤魔化せているけど、平温時と比べても進軍出来る距離は短いから駈歩で進むことにした。できるだけ早く進んで山岳地帯を抜けて夜になる前に野営地を築かないと凍え死んでしまう。
城門を出て、街の大通りを進むと、街の人々が口々に感謝の声、別れを哀しむ声、引き止めようとする声をあげて大通りの両脇に大勢が詰めかけてくれる。
この二年で安定の街並みは見違えるかのように発展した。
ボロボロだった城郭は一度崩して多くの煉瓦を積み上げ、その上に漆喰を塗ることで白く、荘厳な一体の壁のような城壁になって、見る者を魅了する美しい城郭となった。
そして、街並みも、以前はボロボロの木を適当に打ち付けてなんとか家の体をなしていた、貧困街のような街並みだったけど、いまでは、各地の山で切り出された上質な石の表面に繊細な細工を施したものを積み上げて、屋根も瓦にして、火に強い構造に作り変えることで、火事による延焼の解消や、戦になって火矢を放たれても大丈夫なほどに強い作りとなった。
通りも白磁の石畳が敷かれ、カランコロン、と下駄の足音が響いて風流を感じさせてくれる。
此処に来た、二年前の面影なんて、全く無かった。二年でここまで大きく変化した。
ただ一つ、豪快な性格の人情は変わらないけど、暮らしぶりは大きく変化していった。
税金が下がり、様々な物流が出来、匈奴との交易も始まったことで、万里の長城の向こうの西の国の珍しい品物もよく並ぶようになり、商人たちも気前よく値段を下げてくれた。なんと、半額にまで大幅に安くなっているものもある。
それに治安も、この乱世の中では奇跡と言えるほど安定している。今でも夜になったら居酒屋の辺りで喧嘩が頻発するけど、それすら街の風景の一つとなり、喧嘩を中心に賑やかな騒ぎが始まる。でも、誰一人も迷惑そうな顔をしないで……あ、お店の人は迷惑そうだけど……。周りの人々は笑顔でどっちが勝つかどうかで煽っては煽りまくる。
でも、犯罪はここ半年では強盗が一件起きただけになって、その強盗も盗んで逃げる途中に街の人々にボコボコにやられてあえなく御用となったそうだ。強盗の取り調べをした時、元の顔がわからないほどたんこぶで埋め尽くされていたのはびっくりした。
街の人々が、時折恐ろしく感じてしまうけど、それすら安定のいいところなんだろう。
交代でやって来た官人ーー張温さんもこの街の発展、治安の良さ、経済の発展に目を見開き、「これがあの安定なのか……」と感涙していた。張温さんは月が安定の太守になる前の太守だったそうで、安定が衰えて行くのを止められなかったと悔やんでいたが、ここまで発展し、全盛期の姿を拝めるということも夢ではなくなった事がとても嬉しかっんだと思う。
此処に来る前は晋陽で朱耀さんの後継として太守を務めていたが、安定の太守の座が空くと聞くなり飛んで来たそうだ。温厚な御老人であったが、平和主義の考えを持つ政治家であり、匈奴や西羌など異民族を見下す考え方を持たない珍しい人で、匈奴との交易の最前線にある安定の太守を務めあげるのに相応しい人だった。
交代の引継ぎの際にも「若いのが此処まで持ち直して見せたのですから、老体に鞭打って一層の発展を見せ、いずれ漢随一の大都市を築いて見せましょうぞ」と心強い言葉を残してくれた。ち
二年。長いようで、短かったこの年月は毎日が濃密な日々で放浪の旅をしていた日々が遠い過去のことのように感じてしまった。
「呂風さまー!お元気でー!」
「呂風お姉ちゃん!いってらっしゃい!」
「気をつけてー!」
あ、お酒屋の売り子さんといつもよく遊ぶ子供達だ。これでお別れになるのは寂しいね……。でも、笑顔で見送ってくれているのだから、私も笑顔で答えてあげなきゃね。
あ、結局、最後までお姉ちゃん呼びは変わらなかった。
……で、片隅に集まっている男たちは何をしているんだろう?まるで通夜のような沈痛な雰囲気だけど……。
「ウオォォォ………、呂風さまの心を奪えなかった……!」
「お前、まだ諦めてなかったのかよ!?っていうか、呂風さまは男だろ!」
「そんなこと、俺は信じねぇぞ!見てみろ!あの可憐な容姿を!華が咲くような笑顔!あの包容力!嫁にしたら自慢出来るぞ!?ちくしょう……!」
「………まぁ、それは分かる。だが、それは女であった時の話だろ」
………なんの話をしているんだろうね?聞こえなかったなぁ〜。
ひらひらと手を振って馬を進めていく。手を振るたびに歓声が上がって、手を振り返してくれるのは嬉しいことだけど、同時に寂しくもある。洛陽に着いたら、この安定に戻ってこれるのはいつになるか分からない。もしかしたら、ずっと戻ることはできないのかもしれない。一生の別れという可能性もある。今は乱世なのだから。
カポカポ、と石畳の道を蹄が踏みしめていく音が響き、太陽が頂点になる前に城郭を出ることができた。
見渡す限り、白と黒の世界。単純な色でありながら、純粋な色でとても美しいと感じる。
「……星?」
「やぁ、恋。響、この美しい風景に見とれるのもいいですが、日没までに山岳地帯を抜けなくては我らは凍え死にしかねませんぞ?」
「ん?あ、そうだね。今からだとあと三刻(六時間)ほどかな。ギリギリ麓にまでたどり着けるかな?」
「そうですなぁ。欲を言えば、麓も抜けて近くの街に辿り着きたいものですが、それは過酷というものでしょう」
「そうだね。雪でぬかるんでいる道を走るんだから、必然的に進軍速度はそんなに出ないからね。それに足を取られて落馬しかねないし」
「………駈歩?」
「月たちの事も考えないとね。私たちだけが先行しすぎてもいけないし、詠は馬に乗れないから月と一緒に馬車に乗っているから、歩速以上、駈歩以下の速さだね」
「ふむ。それはそれは世知辛いものですなぁ。本当にギリギリとなってしまうでしょうな」
「仕方ないことだね。ーー全軍駈歩!」
轟と地響きを轟かせ。
轟々と雪崩を打つように。
四万五千の精鋭が進軍を始めた。
呂風軍一万八千が逆鶴翼の陣を引き、董卓軍が長方陣で呂風軍の中に収まる。
先鋒が恋。次鋒が私。左翼が霞。右翼が星。
突然の奇襲を受けても柔軟に対応出来るように配置している。安定付近は比較的平和であると言っても、そこから一歩出れば山賊、私兵を抱え込む豪族。又は何者かによる闇討ち。上げていけばキリがないほど危険が月を蝕む。
現在も月と詠の側には五月雨と禊が直接守っている。五月雨たちの力量を疑う訳ではないが、暗殺の恐ろしさは何処から忍び込んで来るか分からない。通りかかった木の陰から毒矢で暗殺。紛れ込んだ隠者による毒殺。
それに、月を呼び寄せて殺そうと考えているのは十常侍。暗殺や謀殺を得意とする奴らだ。私たちでは思いつかない方法を取ってくるかもしれない。
この四万五千は全員が安定の住民であるに関わらず、全員が月に、私たちについて行きたいと言ってくれた。彼ら、彼女らの家族も。
しかし、そうなると安定の守りが脆弱になるのではないかと危惧したが、張温さんが洛陽、長安、晋陽に兵を要請し、三万が派遣された。練度は兎も角、比較的平穏な今ならば問題ないと思う。
私と恋たちは二年くらいしか接していないけど、それでも此処の兵たちは、良く言えば忠義、悪く言えば愚直なまでの忠誠心と勇猛な敢闘精神を併せ持つ信頼出来る仲間だと断言出来る。一部、私たちを崇拝、盲信している人も居るみたいだけど……。
彼ら、彼女らが共に来てくれるのなら、心強いと思う。
ほぅ、と息を吐けば、白い霧が生まれるも直ぐに後ろへ流れていく。思わず振り向けば、吐いた白い霧もかき消されて曇天の彼方に消えていく。
私たちの行く先を示すかのように洛陽の方角には曇天が立ち込めていた。
次回、戦闘巻の予定です。