天下に響く風   作:霧のまほろば

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お久しぶりです。
先週、一時帰国しましたので、向こうで少しずつ書いていたのを見直して投稿しました。
どうぞご覧くださいませ


第15話 黄巾の乱〜洛陽の戦い

「ーーてめぇら、何やってやがる!さっさと前に進め!押し潰せ!」

 

馬の上で怒鳴りつけるのは張獏。

元は流浪の武芸者だがあるきっかけで、黄巾の主党三人に協力し、近隣の山賊、近くの農村、町から合流した黄巾賊を率いる指揮官になった。

なったのは良いのだが、所詮は山賊や農民の一端であり、正規軍のような練度や装備がある訳でもなく、また張獏自身も軍学がある訳でもない。単純な軍の動きを指示し、自身も前線で武器を振るう武将。

故に十万を超える大軍でも練度はお粗末、装備も杜撰。荒くれ、ごろつきどもが集まっただけの軍とも呼べない、群れ程度であったために、数の差で圧倒的に勝る筈の董卓軍でも押し潰せない。否、寧ろ押し返されつつある。

 

遠目にでも見える二つの旗。

鈴の音の鳴る白地に蒼い呂の字。

血の如き真紅の地に黒の呂の字。

天下に是人有りと響かせる呂兄妹を表す旗と先頭に立ち戟を振るい、陣を突破してくる二人。

 

天下無双と鬼神。

 

 

この二人によって押し返されつつあった。

しかし、張獏は認めたくなかった。認められなかった。事実を否定していた。

たったの二人に戦況を覆されつつあるというこの理不尽な現実を。

 

「ーー認めん。認めんぞッ!たったの二人に十万が押し返されるなどあってはならんッ!」

「張獏ッ!掛かるぞ!」

「おうとも!劉辟!厳政、厳成ッ!裴元紹ッ!一斉にあの白いヤツに打ち掛かるぞ!」

「天下無双の首獲ってやるっ!」

 

張獏の血を吐くような気勢に乗った四人の副将も気勢を上げてそれぞれ槍を振り上げる。

目指すのは天下無双と鬼神。

この五人は黄巾の賊将の中でも腕に自信がある。山賊の頃もこの腕一つで幹部にまでのし上がった。

相手は二人いるといえど、離れているのだ。一人一人ずつ討ってかかれば問題なく討ち取れる。そして、その首を穂先に掲げ、我らこそが天下無双、乱世に有りと謳う。さすればかの三人も我らを認め、大幹部に昇格でき、あらゆるものを思いの儘に出来る。

それ程、天下無双と鬼神の首には途轍もない価値がある。この二つの首があるだけで周りは畏敬の念を抱き、平伏し、崇めたてる。

天下無双、鬼神だと。

 

 

 

ーーーされど、彼らは天下無双が如何なるものか。どれ程の高みに有るのか。それを知らなかった、否。理解できなかった。

余りにも実力に差があり過ぎて高みの先が霧の中に隠れて見えないのと同じような感覚さえ覚えた。

 

「ーーん?ひーふーみー………五人かぁ。この五人を討てば崩れるかな。うん、皆は下がってて。私がやるよ」

「響さんっ!私もーー」

「手出し無用、だよ。胡花、参考にならないかもしれないけど一応見ておいて。見れるギリギリまで速さを落とすから。恋もね」

「……ん」

 

ふわりと微笑んだ呂風。やんわりと、しかしきっぱりと援助を断る。その真意を理解した姜維は頷いて、熱り立つ白迅隊の兵士を下がらせつつも油断なく戦場に気を配りながら目の前の一騎対五騎の戦いを見守る。

 

「……お仲間を下がらせるなんてなぁ?よっぽど死にてぇらしい!」

 

ニヤニヤと厭らしい笑いを浮かべた張獏を含めた五人。いや、裴元紹だけが笑いを浮かべつつも呂風と距離を置くかのようにジリジリと下がっていく。その額当ての下には滝のように冷や汗を浮かべ、笑いも引き攣った笑いへと変わっていく。

 

(なんだよ……、このバケモノは……!?本当に人間、なのか!?なんで、皆気付かねぇんだよ!)

 

裴元紹は少しだけだが、立ち寄った村で気功を武器とする人物からコツを教えてもらっていたため、常人よりも気の巡りには敏感だった。

その裴元紹の目には呂風の体から滲み出る気の質がどれ程異様で濃厚かを感じ取っていた。それ故に本能で、目の前に立つ天下無双から距離を置きつつあったのだ。

並の人の気をそよ風に例えるならば、達人で暴風と例えられる。しかし、呂風はーー

 

(達人なんてレベルじゃない……!天災そのものじゃねぇかよ!?)

 

時折襲い来る落雷、嵐、台風、竜巻。火山の噴火。巨大地震。

人の智慧など到底及びもつかない、正に神の所業。

呂風の体から滲み出る気を視ると裴元紹に襲い来る天災の幻影が見える。

 

雷鳴轟く暗雲が空を覆い潰し、木を薙ぎ倒す程の暴威が吹き荒れ、握り拳大の氷の塊が殴りつけるように降り注ぎ、大地の遥か彼方では山が紅く染まり、黒い噴煙を吐き出し、大地そのものがうねるように揺れて地面が割れる。

ありとあらゆる天災が纏まって襲い来るかのような幻覚さえ覚えた。

襲い来る大自然の猛威の前に人間など矮小な存在でしかない。増してや、大自然の原理を理解していないこの時代の人間にとっては神の怒りに触れたと恐れ戦慄き、天に祈りを捧げ、救いを乞う事しかできない。

謂わば、神に等しい天災を垣間見せる気を持つ呂風は災いを齎す神に見えた事だろう。

なんて物に敵対しているんだ、と真っ先に戦意喪失したのは裴元紹だ。ポキリ、と心が折れる。

災難なことに、気の巡りを感じることが出来るのは此処には裴元紹しか居なかった事だろう。

 

「ぁあ……っ!」

「お、おい!如何した、裴元紹!?」

 

すっかり腰が抜けて尻餅をついたまま後ずさりする事しか出来なくなった。

落馬した音に反応した張獏らが裴元紹の異様な様子に訝しんで寄るも、錯乱した裴元紹は腕を振るって近寄らせないように振るう。

暫く叫びながら暴れていたかと思えば、気の糸がプツリと切れたのか、ばたり、と地面に倒れ伏せる。

 

「なっ、は、裴元紹!?裴元紹!しっかりしろ!」

「……駄目だ、気を失ってやがる。くそっ、厳政、厳成、裴元紹を連れて下がれ!」

 

首を傾げて不思議そうにする呂風を睨みながらも裴元紹を介抱し、下がっていく厳政と厳成を除いて、張獏、劉辟が残る。

 

「合図したら掛かるぞ」

「応!」

 

「ーー征く」

 

目を合わせて頷く二人。しかし、呂風はそんなあからさまな隙を見逃す筈が無く、凄まじいまでの闘気を漲らせる馬の腹を足で叩き、全速力で飛び出させる。

呂風の跨る馬は、呂布が乗る赤兎馬の兄弟馬であり、毛並みこそ赤くはないが、呂風の色に合わせたかのように真っ白な馬だった。黒い斑なども無く、純粋無垢の純白な馬だ。それでいて尚、赤兎馬と肩を並べるほど精悍で屈強な巨馬である。

呂風と呂布の身体能力であればこそ乗りこなせる程の気性の荒い暴れ馬である。騎馬に長ける張遼ですら十全に乗りこなせず、逆に振り回されるという有様だ。

しかし、その反面、身体能力が凄まじく、12丈(29m)程の距離も一回の瞬きの間で踏み潰す。元々立っていた地点に深い蹄の跡が辺りの土を巻き込んで陥没して残り、一歩、二歩の内に12丈ものの距離を無に還し、そんな速度にすら余裕で追随出来る呂風の月光叉槍の鋭い一閃が奔る。

しかし、その速さは何時もと比べれば半分以下にも遅い。胡花ーー姜維や配下の将兵たちに指南をするために見えやすい速さで月光叉槍を振るっているのだ。

もはや、呂風にとって、十万に攻め寄せられるこの戦ですら卓の上で行われる遊戯にしか過ぎない。百姓や山賊崩れの碌な練度も無い軍などただ、そこに立っているだけの群れにしか過ぎなかった。同じ十万なら、烏丸族、匈奴、西羌など、異民族の十万の方が遥かに手強かったかなと思う呂風だった。

 

 

目に見える速さで振るわれてくる長大な刃を避けられない訳が無く、余裕を持って回避する。その動きを見た呂風の目から光が消える。そこにあるのは暗い赤色。

失望の色だった。此れが恋や星、霞だったら、紙一重の差で躱し、強烈な一撃を叩き込もうと戟を引き絞っていた事だろう。

 

「ーー弱い」

「……あぁ!?」

 

ポツリと呟かれた一言に思わず激昂する張獏。劉辟も額に血管を浮かび上がらせ、剣を握る手にも力が入る。憤怒の形で一歩踏み出そうとして、

 

「そして、鈍い」

 

ーーザシュ。

血飛沫が弾ける。

頭が真っ白になり、劉辟が立っているであろう、その地点を信じられない物を見るかのようにゆっくりと振り向く。

其処には鎖で繋がれた長大な刃が劉辟を腹から背を貫いていた。

 

「劉辟ィィーーッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

十万はいた筈の大軍も戦が終われば、半分近くにまで討ち減らされ、生き残った三人の将に率いられて這々の体で洛陽域から逃れていく。行く先には漢水があり、其処を沿って青洲方面へ逃れていくのだろう。しかし、董卓軍はそれに対して追撃をしなかった。いや、出来なかったと言うべきだろうか。

朝廷から即刻参上せよとの通達が届いたからだ。追撃に移ろうとした呂風軍も二の足を踏み、その場で戦況の整理、戦功の調整に追われることになった。

尚、この一戦で、董卓軍並び呂風軍に戦死者は終ぞ出ず、敵の矢が刺さったのが数千人人と骨折が数百人程度である。

 

「朱耀さん、後はお願いできますか」

「あいよ!任された。……十常侍には気をつけてね。響もだ、お前は特に目立つからな」

「……え?あ、うんっ。分かってるよ」

「……響さん?」

 

珍しく誤魔化すかのような笑みを浮かべた呂風に不思議そうな声をかける董卓。高順も声に出さなかったが、目を細めた。

今の呂風は何かを悩んでいるように、苦しげで儚い雰囲気だった。何時もは前を向いていた顔も俯けがち。

 

「響さん、もしかして先程討った賊将の言葉ですか……?」

 

姜維の言葉にピクリと反応する。

困ったような笑みを浮かべる呂風の顔を見て、ふと思い出した。

 

振り切った反動で反対側の槍を飛ばして、ぐるりと周囲を飛ぶ飛槍で劉辟を殺し、動揺した隙を突いて馬から突き落とし、捕縛した賊将ーー張獏。片腕を失い、夥しい出血で意識が朦朧としながらも、最期の気力を振り絞って怨嗟の声を吐いた。

 

『ーー何故、それだけの力があって、この歪んだ国を正そうとしねぇ!あんたらの目にも写っている筈だ!何の謂れも無い民が官僚どもの自己満足の為に理不尽に殺される。この理不尽な有様をな!もう俺たちは長い間耐えて来たんだよ!親父や爺の代よりも前からな!もう………耐えられねぇんだよ!俺たちだって、あんたらと同じ人間なんだよ!同じ血が流れている、そこらに立っている一人の人間なんだよ!なのに、なんであんたら官人はそんな簡単になんの罪もない奴を笑って殺せるんだよ!ヘラヘラと笑って、甚振るように殺せるんだよ!ーーグ、ガフッ!ゴホッ……!』

 

涙を滲ませ、血を吐きつつも吼える。叫び続ける。何の謂れもない事で虫螻のように殺されていく民の怨恨の声を代表とした叫びだった。

その涙にはどのような感情が込められているだろうか。悔しさか、哀しみか。又は憎しみか。

血を吐きつつも叫ぶ男に呂風たちは何も言えなかった。“民の血”を吐き、“民の涙”を流す男から目を反らせなかった。いや逸らしてはならない。逸らしたら、民に尽くそうとする【慈愛の王】である董卓や、呂風は、『董卓』や『呂風』では居られない。真正面から受け止めなくてはならなかった。その他の者とて同じ事だ。趙雲も、張遼、果てには呂布たちも同様に痛みを耐えるかのような悲痛な表情に歪める。手が白くなり、爪が食い込むほど強く握って自身を押さえつける。そうしなければ悔しさや哀しさでどうかなってしまいそうだったからだ。

揺めき、薄れゆく命の灯火を最期まで燃やし、最期のその時まで想いを託す。

 

『ゴホッ、ゴホッ!ーーもう……耐えられなかった。耐えられなかったから……俺たちはあの三人の呼びかけに応じて、立ち上がった。あの三人なら……漢を、倒せる。この理不尽を壊せる。俺たち……民に残された……民の唯一の希望なんだ……。皆がもう理不尽に……殺されなくても……いい世に………、笑いが絶えない平和な……。青い空を眺めて……肩を並べて、草っ原に寝転べる……そんな世に…………ああ、見たかったなぁ………』

 

 

蒼天 既に死す。黄天 起つべしーーー

 

 

そう最期にポツリと雫と共に溢して、呂風の介錯の刃に討たれた。弾ける雫の音と共に首がずれ落ち、地に落ちる前に刀を放り投げて涙を浮かべた呂風に抱き抱えられた。

その首の表情は怨恨に満ちたものでなくーー安らかに。

穏やかに眠るかのような穏やかな死に顔だった。

頰に涙の雫を残すも凛然とした死に顔だった。

 

 

ーーこの張獏も元は流浪の武芸者だった。ある時、立ち寄った街で、役人の私兵がまだ若い娘を連れ去ろうとしていた場面に遭遇し、役人の私兵を一人残らず叩きのめして睨みを利かせた。この家族に手を出せば許さんと。

暫く街に厄介になっていたが、彼とて流浪の旅人。資金も尽いた事もあり一点にとどまることは無く、ふらりと街を出て、盗賊を討伐したり、農民たちの依頼を受けて猪や熊を狩ったりしながら、次の街に辿り着いた。その街の酒屋で飲んでいたらある噂話を聞いた。

前に立ち寄った街で助けた娘が夫の居ない間に連れ去られ、残酷な拷問の末に、腹を切り裂かれ、磔にされたという話を。夫は街を出て、行方知れずという。

それを聞いた男は自分を責めた。死にたくなるほど自分を責めた。何故、あの街に居続けなかったのか、あの役人の性癖を理解していなかったのか、と。

自身の愚かさに絶望し、宛てもなく彷徨い歩いた末に辿り着いたのは嘗て救った娘の夫が根城にしていた古城。其処で豊かな黒髪が灰のように白く染まった髪と何も映さない白く濁った目を持つ変わり果てた男と再会を果たした。

そして、男の望みを聞き、力になろうと決め、配下になることを選んだ。此れから起こるであろう叛乱の先鋒となる事を承諾し、民が無意味に殺されていく理不尽な世が終わりを告げる事を夢見ていたが、夢半ばで斃れた。

 

ーー此れが最期の時まで民の為に生きた男の生き様だった。最期に希望の灯火を託しーー

 

 

 

「……うん。月に仕えて、2年。豊かになって平和な安定で過ごしていたから、旅をしていた頃の印象も薄れて来たけど……此れが今の漢の現状なんだって改めて思い知らされたって感じかな……」

 

苦しげな表情を浮かべる呂風。

胸の前で身に纏う白い衣をギュッと握る。心が痛い。悲しい。

虚しそうに、透き通る白い髪が風に力無く揺れる。

 

「へぅ……。私も、忘れてしまっていたのです……。安定から一歩でも外に出たらこんなにも悲しいことばかりだって………」

 

董卓の言葉にそっと目を伏せる賈詡たち。

余りにも安定の都での生活は豊かで、平和すぎた。

確かに、夜になれば居酒屋で喧嘩が勃発するような荒事も、日常の一幕、安定の変わらぬ風景画である。役人たちも、賈詡や呂風たちの厳しい審査を通過した者たちが着く。痴情の縺れの末の殺人や暴力はごく偶に起こるが、法規が行き渡っているため、行き過ぎた裁きは起こり得ない。

安定の都では全ての歯車が奇跡的にかち嵌り、潤滑に回れるからこその平穏であるのだ。

安定付近の村や町との交流や取引はあっても、その村や町も豊かなった安定の恩恵に肖って、戦乱に飲み込まれつつある漢の中でも数少ない戦乱の世を忘れて平和、平穏を謳歌できる地ーー桃源郷とまで唄われるのが安定の都。憧憬の地と全国で噂になり、貧困に窮した者たちが命を懸けて長い旅を経た末に辿り着くその地は正に夢にまで見る平穏なひと時そのもの。余所者ですら迎え入れ、畑を与えられ、課せられるものといえば、低い税率のみ。軍も徴兵は行わず、志願兵のみという理想の都。

嘗ては匈奴や西羌の侵略に晒され、洛陽から半ば見放され、滅亡の道へ歩いていたと言われても誰もが信じないだろう。城壁跡などの痕跡はあっても、最早面影は見えず。

今や漢の国有数の大都市にまで成長して尚、頂が見えぬ安定の都。

 

賈詡や郭汜の放つ密偵にからの情報で安定から離れた街や村の過酷な近況は知らされていても、己の目で見ていないのだから実感は湧かない。

そんな中、現実を改めて突きつけられたという形になったのだ。

寧ろ、この戦乱の時代、栄華の道を歩んでいる安定の都が異常であり、衰退して行くのが条理であり、普通なのだ。

 

「今も民の皆は苦しんでいる………。私……私達、どうしたら良いんだろう……もっと何か、民の為に何か出来なかったのかな……。安定だけじゃなくて、もっと……」

「響。気持ちは痛いほど分かる。無力さに嘆いているのだろう?もっと自分に出来ることは無かったのかとな。だが、響。お前は一人の人間なんだ。この漢の国全ての地域に響がいるような事は有り得ないだろう。所詮は人間なんだ。手が届く範囲内でしか人を幸せにする事しか出来ないんだよ。悔しいけどね………」

「朱耀さん……」

 

苦しげに表情を歪めて説くのは高順ーー嘗ては丁原と呼ばれ、晋陽の太守を務めた女傑である。晋陽がある幽州は安定の都と同じように度々異民族の来寇に遭う、謂わば漢の盾のような立場であり、張遼がいたとしても蔓延的な人手不足にさい悩まされながらも撃退し続けて来た経歴も有する、董卓の先輩太守のような存在だった。

そんな経歴を持つ高順の言う事は重い。

 

理解はしている。けど、納得出来ない。そう言いたげな表情の呂風だったが、目の前に立つ高順の顔を見れば言葉に出来ない。

 

丁原も又、そんな理不尽な現状に心を痛め、手を尽くして来た事はよく知っている。出来る限り悪徳役人の情報を集め、侵入して来た異民族の対処に加え、晋陽の都の内政も全てが丁原の肩にのしかかっていた。

 

寧ろ、良く一人で此処まで回せたものだ、霞は政務など碌にしなかったしな、と後に振り返った高順の言葉にもあるように多忙の極みを見ていた。不意に口を突いてチクリと張遼に毒を吐く位には苦労している。

しかし、そんな高順でも呂風と呂布の生まれ故郷の村が襲われ、救援に向かうも間に合わなかった。二人を残して全滅した。

 

その時の丁原を襲った無力感、罪悪感、自責感は途轍もないものだろう。絶望もしたに違いないだろう。

しかし、それでも丁原は今出来る最善のことを尽くした。呂風と呂布を引き取って少しの間でも養う。本当ならば養子にしようとも思っていたが、晋陽を出た二人の想いを聞かされては引き留めることが出来なかった。

 

「今の私らに出来る事は、今出来る最善を尽くすことだよ。後でどんなに後悔してもいい。今、打てる最善の手を打っていくことだ」

「最善の手……」

 

いつだって、道に迷う若者を導くのは年長の役目だ、と言わんばかりの微笑みを浮かべて呂風をそっと抱きしめる。

ふわりと太陽に照らされた藁の匂いが呂風を包み、じんわりと背中に回された手と密着した体から体温が伝わってくる。

体勢が崩れてきょとんとする呂風を胸の上で抱き抱えた事で心臓の鼓動が耳を打ち、一定の間隔で打つその音は人を安心させる。

 

ふと、呂風の脳裏に掠れ行く遠い過去の記憶が蘇った。呂布がまだ産まれたばかりで、呂風も二歳と幼き子の頃の記憶。まだ母も父も生きており、良く良く恋と一緒に母に抱かれていた。母の匂いが大好きで甘えていたなと思い出した。父と共に畑で働き、よく転んで泥まみれになっては恥ずかしそうに笑う、褐色色の肌と赤い目を持つ匈奴の女性だった。

父は元烏桓の将軍で、異民族最強と謳われた壇石槐の配下として名を馳せていたが、母と恋仲に落ち、将軍の地位を捨て漢の辺境の村に住むようになった。

 

周りの人も羨むような夫婦の仲で、先ず呂風を授かり、純白の髪と明るい赤の瞳の異端の子であったが、それでも我が子に変わりなく無限の愛情を注ぐ。

その2年後には呂布も産まれて、幸せも最高潮だった。

しかし、どんな幸せにも必ず終わりは告げる。壇石槐の侵攻が始まったのだ。父は壇石槐の元を去ったという負い目から壇石槐の誘いを断ることが出来ず、泣く泣く家を去り、烏桓族の侵略軍に加わるも、敗戦を喫して父は討たれる。

母も父の訃報を知り、その日から弱っていき、最期はふくよかな体つきが嘘のように痩せこけて変わり果てた姿となってこの世を去った。呂風七歳、呂布五歳の時だった。

 

 

「朱耀さん、ちょっとこのままでいさせて」

「私の胸くらいいつでも貸すよ。ほら、恋もおいで」

「……ん」

 

封じていた記憶が蘇ったことで、母が恋しくなり、涙が出そうになる。

そっと高順の背中に手を回して、流石に胸は恥ずかしいから肩に頭を押し付けると優しく頭を撫でてくれる。

何処か羨ましそうな雰囲気を醸し出してジッと見つめていた呂布も呼ばれて、高順と呂風を抱きしめる。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

【おまけ】

 

そうして暫く経った頃だろうか。

 

「………うぅ……、恥ずかしい……!」

 

抱擁から解放された呂風が白い頬を真っ赤に染めて両手で顔を覆って羞恥に悶えていた。何せ、此処には高順、呂布の他にも董卓、賈詡、趙雲、張遼、姜維、李傕、郭汜、郝昭、陳宮もいる。更には配下の将兵たちも後始末を中断させて生暖かい笑みを浮かべて微笑ましい光景を眺めていたからだ。

一見すると一人を除いて皆が見た目麗しい美少女と美女揃いだ。それは無論呂風も例外に含まれず、確りと将兵の中では美少女に分類されていた。

 

「いやぁ、中々に熱い抱擁でしたな。少々羨ましく思いましたぞ」

「おっ、なんや?星、ウチらも響を抱きしめてみよか?響の体、柔らかいやろ?どやったん?朱耀の姐さん」

 

ニヤニヤと笑いを浮かべながら此処ぞとばかりに弄りに入る自由奔放派の二人。響との模擬戦で黒星ばかり付けられている恨み、此処で晴らさないでいつ晴らすべきか、と二人の目がそう語っていた。

ついでに両手もワキワキと動かし、頬を紅潮させ、舌なめずりしながらにじり寄ってくるものだから恐怖モノである。そして、女性がしていい顔では無いというのはいうまでも無い。

此れには流石の呂風も身の危機を感じズザッと飛び退る。その顔は羞恥で赤く、涙目になっているのも趙雲と張遼の嗜虐心を擽る対象であるのに気づかないのだった。

 

「ちょっ、何言ってんの!?そんなんじゃないから!?霞も!手をワキワキさせない!」

「ん?19の男にしては柔らかいぞ。寧ろ、下手な女よりも柔らかくてな、最初抱きしめた時は軽く自信喪失に陥りかねたぞ。それに、匂いもいい匂いでな……」

「わぁわぁー!?朱耀さんも其処まで!もうこれ以上恥ずかしいこと言わないで!」

 

涙目になってしゅうしゅうと湯気を立てかねないほど顔を赤くした呂風にトドメを刺したのは妹の呂布だった。

 

「……ん、お兄ちゃん。暖かくて、いい匂いで気持ち良かった」

 

ほんのりと頬を赤く染めて微笑んで、もっとしてと抱きついてくる呂布。

思わず硬直してしまった。

 

「あうぅ………」

 

暫し呂布の抱擁の元の沈黙の後、か細い声で唸るようにして小さく蹲る呂風。その顔は耳まで真っ赤に染まり、純白の髪に強調されて林檎のようだった。

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