少々スランプ気味ですが、どうぞご覧ください。
チラリ、と平伏し、石造りの床が広がる視界の片隅で周りを見る。目の前には冷たく硬い石造りの床の上に赤い絨毯が敷かれている。右を見れば赤い官服を着て、武官の証である雉の羽が付いた冠を付けた男女。左を見れば同じように赤い官服に文官の証の巻いた冠の男女。尤も、女性の割合が大きく、男性の肩身が狭いような気もする。
そして、絨毯が伸びる先には一段高く作られた台座があり、金箔をふんだんに使った龍の玉座。そこに腰掛ける一人の女性。病の噂に違えぬような白く痩せこけた肌を見せているも、気丈に振る舞う。儚げな深窓の令嬢のような妙齢の美女。赤と金の衣を纏い、様々な玉石を垂らした冠帽を頂く。
漢の臣民の頂点に立つ帝、霊帝。
その御人である。
以前より病弱のため、政には殆ど関われず、一日の殆どを寝床から離れられない程容態は悪かった。
しかし、呂風の紹介で各地で名医と名を馳せる華佗が時々訪問し、治療するようになってからは二日、三日に一度起き上がり、政まではいかなくとも散策、子らと語り合う程度のことは出来るようになった。
今日も訪問していた華佗を傍らに置き、嬉しそうに微笑みながらゆったりと腰掛けていた。
「よう来たの、董刺史、白麗公」
「陛下におかれましてもご機嫌麗しゅうございます」
「うむ、大義である。……ほんに話に違わぬ可愛らしく美しい容姿じゃの。女の身である妾とて、羨ましく思うぞ」
「私如きの身で、恐縮に御座います」
平伏する董卓と呂風。二人はあの戦を終えた後、万雷の拍手と歓声を浴びながら洛陽の都の城門を潜り、帝の住まう宮殿へ伸びる道を軍勢を率いて上洛し、広場に整然と陣を整えさせる中、二人は宮殿の控えで身を清め、謁見の間に通された。
「して、白麗公よ。この華佗を寄越したのはそなただそうじゃな?」
「はい、差し出がましい真似を致しました」
「なんの。妾は子を二人産んでからは寝床を離れられぬ生活ばかりじゃった。我が子と遊んでやれぬ、話も少ししか出来ぬ。母としての役目すら果たせず、何が帝ぞ、何が母ぞと失意の底にあったのじゃ。そこを救うてくれたのはそなたが寄越した華佗ぞ。感謝こそすれ、何ら疎むことなど無い」
「勿体無いお言葉です」
前半を寂しげに、悔しそうに眉根を寄せて嘆き、後半を心の底から嬉しそうに微笑む霊帝。華が満開に開き、咲き誇るかのような微笑みを見せてくれる。華佗が傍らでドヤァ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべていたのは少し腹立ったけれど。
だが、その霊帝の笑みも儚いものと変わる。
「うむ。だが、妾はもう長くはあるまい。病に侵されていた時期が長過ぎた。最早、春を見る事も無かろう」
「ーーっ!?お戯れを!」
「妾の体の事は妾が良く知っている。其れに華佗の診察に誤りはあるまい」
不吉な言葉に思わず反応する董卓を宥めすかし、真正面から向き合う、寂しげな笑みを浮かべた霊帝。その傍で華佗が悔しげに唇を噛んだ事で、否応無しに悟ってしまう。
彼女はこの謁見の僅か二ヶ月後、春を見る事もなくこの世を去る。もしも、華佗が呂風の紹介で訪問していなかったら、既にこの世を去っていた事だろう。少しでも寿命を伸ばせた華佗の手腕は賞賛されるべきである。僅かな時間であったが、中国の歴史上最大規模と言っても過言ではない修羅の乱世に突入するまでの猶予を残したのだから。
もっと我が子と話したかった。もっと触れ合いたかった。そんな想いがひしひしと伝わってくる。
この時、次期皇帝となる劉協、劉弁は10にも満たない少女少年だ。劉協が妹であり、劉弁は兄であるが男である。皇帝の位は掴むことはできない。王か公として何処かに封される事になるだろう。
もっと母の愛を授けたかった事だろう。そして、まだ幼い我が子に皇帝の重責を負わせる事になる己の身に激しく憤り、深く絶望もした。そんな霊帝に差し込んだ一筋の光。
「董刺史、白麗公。皇帝では無く、一人の母としての頼みじゃ。どうか、聞き届けてくれぬか」
「はい、何なりと」
「妾はもう直ぐ死ぬであろう。心残りは残される我が子二人じゃ。弁も協も幼子。協が妾を継ぐ帝となり、弁がそれを支えるのであろうが、まだ時期が早すぎる」
無言で平伏する二人。二人には帝が何を言わんとしているか良く分かっていた。
『帝としてではなく、一人の母としての頼み』この言葉で察する事の出来ない二人ではない。それは此処に集う百官もだ。動揺が走るも誰も口を開かず、続くであろう帝の言葉を待つ。
「弁と協の後見人となって支えて欲しいのじゃ。幼い弁と協の教育係となって欲しい。無論、此処には優れた教師がおるが、皇帝としてならばの但しが付く。しかし、一人の人間として、民を思いやれる人徳は何なのかを教えられるのは二人しか居らぬ。弁と協を託せるのはそなたたちしか居らぬのだ。どうか、先の短い病の身の願い、聞き届けてくれぬか」
「………畏まりました……!陛下に満たぬ人徳しか持ち得ぬ私たちですが、尽くす事を誓います………!」
その時の董卓の表情は何と言ったら良いのだろうか。頼られて嬉しいのだろうか、帝の先が短いのが哀しいのだろうか。
しかし、ポタリポタリと平伏する董卓の影に小さな丸い点が落ちた。
小さく肩を震わせて平伏する董卓を愛おしいものでも見るかのように穏やかな微笑みを浮かべる霊帝。
「義真、弁と協を此処へ」
「はっ」
立ち並ぶ百官の筆頭に立つ皇甫嵩、字を義真。大海を思わせる蒼い髪が特徴の妙齢の女性が列を離れ、暫くすると二人の幼い少女と少年を伴って霊帝の側に来る。
「「お母様!」」
「ああ、愛しい愛しい我が子。弁、協、紹介しましょう、董刺史と白麗公よ」
百官の面前にもかかわらず、霊帝に駆け寄ってひしっと抱きつく二人の少年と少女。少女らを心の底から愛しい表情に緩めて抱きしめ返し、くるりと二人の体の向きを変えさせると自己紹介を促す。
「お初にお目にかかります、董仲穎にございます」
「呂風、字を万武と申します」
二人の幼い子から見ればこの二人は英雄。方や荒廃しきり、漢王朝から見捨てられた安定の都を復興させ、この洛陽にも差し迫るーーいや、肩を並べるどころか置き去りにしようかというほどの栄華を極めさせる太守。
方や十万余の大軍を鎧袖一触とばかりに総崩れに追い込み、自身は軍の先頭に立ち陣の奥深くにまで斬り込み、起死回生の抵抗すら容易く食い破り、総大将の首を討った天下無双。その戦は城外まで遠く離れた禁城でも見えた。
この名声はどんな物にも変え難く、それが畏敬、尊敬を集め、英雄譚として群衆に声高々と唄われる。
二人の子は如何に皇族といえど、十にも満たない子供だ。子供は総じて英雄というものに憧れる。この二人とて例外では無かった。
目を見開き、キラキラと輝かせつつも、憧れの人が目の前にいることから恥ずかしそうに霊帝の腕に隠れようとする。母の腕を握って持ち上げて、広がる袖に隠れ、チラチラと様子を伺ってくる。
これに困ったのは霊帝だ。可愛いものが困らせようとしている時に浮かべるような苦笑を浮かべた。
「これ、二人とも自己紹介をせぬか。董刺史と白麗公が困っておるではないか」
「き、協でしゅ……!」
「ええっと……、弁です……」
慌てて自己紹介し、舌を噛み、顔を真っ赤にして俯く協と、オタオタと視線を彷徨わせ、弱々しく呟いてはサッと母の腕に隠れる弁。
そんな二人に流石の霊帝も呆れた苦笑を零すばかり。
「全く、この子らは……。董刺史、白麗公。弁と協を託す。後宮への立ち入りを許可する」
「「はっ!」」
拱手して霊帝の言葉に返事を返す。
前宮と後宮合わせての総称を禁城。
前宮は皇帝や百官が執務する為に誂えた建物であり、謁見の間もこれに含まれる。そして、此処に入れるのは袁家や司馬家のような官人を輩出している名家といえど、官位が無ければ、許可が無く立ち入る事は不可能。自由に立ち入れるのは十常侍、大将軍、宰相、百官ら官位を有する者、禁城に仕える宮仕えばかりだった。
それに対し後宮は皇族の住居地であり、大将軍、宰相など、高位の官位ですら立ち入りを制限され、此処を自由に動けるのは皇族の身の回りの世話をする十常侍と、お付きの官女のみという聖域である。此処に如何に功績を積み立てつつも、比較的低い位置にある執金吾の董卓とその配下の将である呂風の二人に立ち入りを許すのは前代未聞のことであった。よくよく歴史を紐解いてみればいるかもしれないが後漢の歴史では初めてのことだった。
これに霊帝がどれだけ二人を頼りにしているかが分かるだろう。身にのしかかる信頼に身が震えそうになる董卓と呂風だった。
その後、霊帝の体調が崩れかけていたのを察知した華佗に休むことを勧められ、承知した霊帝は弁と協を伴って、謁見の間から退く。
そして、大将軍何進が賊伐に出陣し不在のため、順位が繰り上げられ現在文官筆頭の皇甫嵩から執金吾の証である金印を受け取り、励まれよの言葉を受け取り、謁見の間を退出する。
「ふぅー、緊張したね。大丈夫だったかな?敬語」
「へぅ……、大丈夫と思います。本当に付け焼き刃なのかと思う程だったのです」
「そっか、良かったよ」
ニコッと不意打ち的に微笑む。
想定外の不意打ちを受けて、耐性が出来た筈なのに、頰を染めてしまう董卓。
「………?華佗?」
「よう、響ー!………お邪魔だったか?」
「へうっ!?そ、そそそんなこと!?」
桃色な空気になりかけたのを透明に戻したのは全力疾走する華佗だった。石を平らに削り仕上げた廊下に焦げ跡を付けて、急停止しては空気が読めない人物特有の発言をかます。
空気が読めずとも凄まじく鋭い指摘は董卓の羞恥心を抉る。
プシュゥ、と湯気を立てて沈黙する董卓の頭を撫でて、どうしたの?と華佗に問いかける。穏やかな雰囲気の華佗だが、全力疾走して迄来るという事は良からぬ事だと経験上知っていた。
「陛下の容態の事なんだがな……。此処で話すのはちょっと不味い。誰かの目耳があるか分からねぇからな。何処か安全な場所ないか?」
想像以上に良からぬ内容のようだった。此処は前宮。百官は勿論、十常侍の息がかかった者の目耳がある可能性が高い。
董卓が洛陽に呼び寄せられたのは、帝の血書もあるが、十常侍が偽りの帝の書として送られたからである。偽りだと見抜いたとしても、建前上では帝からの書である。断ることは出来ない、断ったら、叛逆と見做されるからだ。断っても良し、来たら何かしらの罪を着せればいいという思惑が明け透けだった。
匈奴という敵がいる間は有能な駒として使えるが、匈奴と同盟を組んだ平時だと自身の立場を脅かす脅威として認識され、疎まれ排除されてしまう。
それはこれまでの歴史が証明して来ているのは明らかだろう。韓信然り、白起然り、李牧然り。何も名将として戦場では凄まじい無双っぷりを発揮したが、いずれも政争で命を落としている。戦場に身を置いていたため、政争に長けていなかったために魑魅魍魎共に喰われたのだ。
ピクリと眉を動かした呂風は自然な談笑をする風を装い、周囲に気を配り始め、落ち着いた董卓の案内の元、執金吾に与えられる執務室がある屋敷へ向かう。屋敷は皇帝が住む宮とは別場所にあり、王允、皇甫嵩、朱儁、司馬家が用意したのだそう。
洛陽屈指の富豪、王允が自身の持つ屋敷を提供し、建設の名手である皇甫嵩が考えられる限りの要塞化を施し、司馬家の息がかかった使用人、御用商人が用意されるという徹底振り。朱儁が護衛兵も用意しようと言ったが、安定から付いてくる精兵と比べるまでもなく圧倒的に実戦経験に乏しい事に気付く。
過酷であったこの時代の中でも特に修羅の地と化した涼州、并州、幽州の都の一つである安定の都は、一年に一回は匈奴や西羌などの異民族と民族浄化に近い地獄のような殺し合いを経験している、正に修羅の地であった。
そんな地で戦い、生き抜いた精鋭の猛者と、比較的平安な司隷の都、洛陽で育った兵など比べようがない。勿論、洛陽の兵も厳しい訓練を重ねているだろうが、それでも幾重にも渡る過酷な実戦を乗り越えてきている安定の兵には到底及びようがなかった。
頭を悩ませた結果、武具の用意を担った。洛陽にある鍛冶屋、武器商人、鍛冶屋と契約し、武具の納入を優先してもらえるよう、手を回していた。更には安定から付いてきた兵の家族も洛陽で過ごせるよう、家や仕事などの世話も朱儁が担うことになった。
正に居たせり尽くせりだ。
更にいい加えるならば。
人外の領域に踏み入った 呂風、呂布兄妹。
遊撃戦の名手 趙雲。
神速の騎馬軍を率いる 張遼。
董卓軍随一の防衛戦の名手 郝昭。
呂兄妹に次ぐ破壊力を誇る 華雄。
指揮能力が致命的に欠けている呂兄妹の補佐を務める 姜維、高順、陳宮。
董卓の護衛と諜報を務める【草】を統べる 郭汜。
歩兵団を指揮し、董卓の親衛隊隊長を務める 李傕。
董卓軍の知恵袋、賈詡。
そしてそれらを統べる『王』董卓。
これらの将を挙げてしまえば、護衛兵は要らないんじゃないか、というのが王允らの纏まった思いだった。
そして、これは董卓配下の将ならば知ることであるが、董卓自身も見た目に反して相当戦闘能力が高く、単独で熊を狩れる程で、時折呂風とも手合わせもしている。並の将兵では歯が立たないだろうが、戦闘を好む性質では無いため、滅多に前線には立たない。
他の軍ならば百人隊長級の実力をもつ兵卒が巡回し、【草】と呼ばれる隠密衆が人目に触れぬところから隈なく警戒し、鋼線の使い手である郭汜が董卓の近くに賈詡と華雄と共に。外出する時も、呂風が付き添い、呂布が兄に付いていく。
趙雲や張遼も暇あれば董卓の執務室に入り浸るだろうし。
姜維や高順らも練兵や鍛錬で不在の時が多いけれども、夜は勿論屋敷に滞在する。
さらに言えば、百戦錬磨の猛者揃いの董卓、呂風軍からも護衛兵が割かれるだろうし、という結論に至り、問題ないか。という判断が降り、護衛兵は付けなかった。
そんな要塞化された董卓の執務室兼屋敷。
大人を肩車しても届かない程に高く、火矢防止の白塗りの塀。所々に弓弩が放てるよう穴が開けられていた。その手前には上に三人、4人が手を広げて並べられる程深く大規模な空堀が張り巡らされ、底には乱杭が打たれ、塀側の堀壁には逆茂木が植えられていた。
そんな要塞化が施された塀と堀に隠された屋敷は董卓軍の主要な将が寝泊まりするのに充分な広さと千人の兵が入れる程の庭があった。
かつては王允自慢の風光明媚な庭園があったが、皇甫嵩は容赦無く取り潰し、食用の実が成る木を植えた。ここも用心深く、忍び込み木に隠れた刺客が矢で部屋の中を狙ってもほんの僅かな空間しか狙えないように配置された。
屋敷も元々は木だった壁を石積みで覆い、白漆喰で塗り固め、屋根を青銅瓦で覆うことで火攻めを受けても問題ないよう設計されつつ、中は装飾が施された元の木の壁をそのまま残してある。桟や柱、床板が外れるようになっている場所が数箇所あり、そこには刀剣、槍が隠されている。
井戸も複数設けられ、その一つに隠し通路があり、そこを通っていけば少し離れた区画に屋敷を構える司馬家に通じ、有事の際に逃れることが出来るようになっていた。
正に司馬家は全力で支援する構えであった。
やり過ぎよ!?と、この屋敷を見た賈詡が叫ぶことになるのは明白だった。
何せ、此処は洛陽の街中。上流豪族や名門の多くが屋敷を構える区画に要塞化された屋敷があるのだ。違和感どころではなく、誰かと紛争を起こす備えーー所謂、叛乱の用意でもしているのかと問い詰められても仕方無い屋敷だった。それほどにまで過剰な防衛力を持った要塞……もとい屋敷があった。
「あの馬鹿は………程々に、自重しろって言った筈なんだがなぁ………」
と頭を抱えるのは高順。元は丁原と名乗り、晋陽の都の太守を勤め上げ、その経歴で皇甫嵩、朱儁、盧植の三将と知り合い、生涯の友となる。
丁原が武に秀で、皇甫嵩が築城、内政に長け、朱儁が隠密として諜報を、盧植が謀略を張り巡らし。それぞれの長所と短所をお互いに補完し合い、それでかの鮮卑、檀石槐の度々なる襲来を耐え、退けてきたのだ。
その築城、内政に能力を振り切った皇甫嵩、字を義真。だが、彼女には困った性格がある。
「………いや、あの内政馬鹿に自重しろと言っても無駄か……」
頭が痛そうにがっくりと項垂れる高順を見たら分かるだろうが、皇甫嵩の辞典には自重という言葉が載っていないらしい。尤も、皇甫嵩も戦馬鹿の丁原にだけには言われたく無いと言い張りそうであるが。
特に築城となれば、手を抜くなどあり得ないとばかりに、これでもかとばかりに堅牢な防御を施すのだ。
野外の一時的な陣でもそれは同様であり、その堅牢さはかの檀石槐が十万の大軍で五度攻めよせるも反撃を喰らい、攻めあぐねる程であったという。
もしも、彼女が居なかったらとうの昔に幽州は愚か、隣接する冀州ーー黄河の北全体は鮮卑の手に陥ちていただろうというのは当時を知る将兵が思うことであった。
それほど、築建能力が振り切った皇甫嵩が手掛けた屋敷。周りは敵ばかりの洛陽の都では頼もしい拠点となるだろう。
董卓軍の兵卒と呂風軍の兵卒から選りすぐりの猛者の兵が屋敷の護衛兵として、万が一の時は少数精鋭の軍として動くことになる。
「いやはや、大したものですなぁ」
「子師さん(王允)も、建公さん(司馬防)たちも張り切り過ぎだよ……」
開かれる門の奥の光景を見て、趙雲が呆れとも感心とも取れる言葉を吐き、その隣の呂風がちょっと(?)張り切った方々に引き攣った笑顔を浮かべた。
開かれた門の両脇にはこの屋敷の使用人と思わしき者達が並び拱手して董卓らを迎えていたからだ。老若男女関わらず一目で優秀だと分かる者ばかりが並び、尊敬や崇拝に近い表情で迎えていた。中には涙すら浮かべる者さえ。
「へ、へぅ………」
「わぁー……」
「お帰りなさいませ、主人様、響様、恋」
「あ、久しぶり。白葉」
「……ん、久しぶり」
その圧巻とまで言える光景に気圧され、尻凄みする董卓と呂風の前に進み出て拱手し、拝礼した、何処か呂風に似たような色を持つ少女。明るい灰色の髪を肩で切り揃え、眠そうな金銀の左右の色が違う瞳を持つ16歳程の少女ーーー司馬懿、字を仲達。真名を白葉、司馬家の次女だ。
史実で諸葛亮と智慧を競った稀代の軍略家にして策略家である、が。
ーーー此処ではただの引き篭もりである。年頃の娘であるが、他人とは違う自身の容姿を気にしてか家から殆ど出ない出不精な上、書簡なども全て枕元から寝床の脇に山と置いてあり、1日の中で寝床から動くのはお昼ご飯晩御飯と花を摘みに行く時のみという凄まじい引き篭もりだった。別に顔を合わせたく無いとかそういう理由では無く、単に動くのが面倒だという怠け者なだけであるが、そうなったきっかけも自身の容姿もある。左右の瞳の色が違うのは、十人十色のこの国でも珍しい。それに加えて明るい灰色の髪も相まって物珍しい奇異の目で見られるのは日常茶飯事であった。
幼少の頃は気にしなかったが、成長していき、思春期に入るとその目が気持ち悪く感じるようになり、その目を避ける為に出来る限り人目に触れないようになったのだ。
司馬懿の母、司馬防はその事を大層惜しんでいた。司馬懿の才は姉妹の中でも一際優れていた。そんな優れた才を不世出にするなどと。しかし、司馬懿を普通の容姿の子に産んでやれなかった負い目がそれを言い出す事を許さなかった。
事実として、姉の司馬朗、妹や弟たちは皆が黒やこげ茶の両親の遺伝子を受け継いで生を受けていたのだ。故に夫からも不義の通じをも疑われる程であった。
そんな環境の下にいた司馬懿が引きこもるようになったのはそう遅くは無かった。司馬防らも惜しいとは思いつつも、なす術も無かった。
ーーー呂風に出会うまでは。
「はい、お久しぶりです。響様」
「………えっと、や、その様ってやめてほしいかなぁって……」
「ーーふぐっ……あっ、失礼」
様を付けて呼ばれた事に何処か隔たりを感じて、悲しそうに目を伏せて時々上目遣いでチラチラと見つめて来るのは凄まじい威力を発揮した。これが態とではなく天然だというのだから、末恐ろしい。
久しく会っていない司馬懿に呂風耐性が有るはずが無く、急所に命中し鼻から愛が漏れ出す。
「ちょっ、白葉!?」
「あぁ、いけません!御身の衣服を破こうなど!」
「鼻血っ、鼻血出てるから!?」
あわあわと慌てる呂風は司馬懿の鼻血を止めようと布を探すも何も無かったため、自身が身に付けている衣の端を破ろうとしたが、畏れ多い!とだくだく鼻血を垂れ流す司馬懿に止められる。
わぁわぁといきなり騒がしくなる董卓執務屋敷の広場。そこに集う者たちは微笑ましく、或いは呆れの笑みを浮かべた。
「誰か助けてよ!?特に華佗!」
「む、そうだな!たかが鼻血、されど鼻血だ!ホァアアアーーーッッ!ゴッドヴェイドーーーッ!!」
思わず涙目になってしまう呂風の叫びに反応したのは勿論の事、華佗である。瞬時に気を練り込み、手に気玉のようなものを作り出しては司馬懿の顔目掛けて、
ぶん投げた。
そう、ぶん投げた。豪速球、正に矢の如し。
武に嗜みが浅く、文官筋である司馬懿に反応できる筈が無く、諸に顔面に直撃を受けて仰け反る。呂風も突然の事に呆気に取られて仰け反って行く司馬懿が遅送りの映像を見ているかのような錯覚さえ覚えた。
そして、うつらうつらとしていて、何が起きたのかすら気づいていなかった呂布。
「……え?」
「………?」
「ちょっ、白葉!?」
司馬懿の足が地面を離れようとしていた時に呂風の意識が追いついた。慌てて受け止めようと、手に持っていた月光叉槍を放り投げて駆け出す。この時すでに司馬懿の体は頂点を過ぎて落下を始めていた。
もしも、呂風ではなく一般の兵ならば、呆然と眺めている間に司馬懿は地面に落ちていたことだろうが、人外の領域へ踏み入った呂風にとって、この刹那の時間ですら止まって見える。戦場で、幾千幾万にも及ぶ矢が自身に迫っても、余裕をもって僅かな隙間を縫うように、自身に当たる矢のみを切り落とす事も造作ない呂風にとっては容易いことだった。
一歩踏み込み、そのまま滑り込むように宙を舞う司馬懿の背中に回り込むと、そっと壊れ物を触れるかのように優しく抱きしめてふわりと地面に降り立つ。勿論お姫様抱っこするのも忘れず。
「おっとと……、華佗!やり過ぎだよ!?」
「ん?鼻血は止まったぞ」
確かに司馬懿を見れば、さっきまでだくだくと流れていた鼻血は止まっていた。その代わり、顔を真っ赤にしてあわあわと口をパクパクさせていた。
「こ、こここ、これが……!俗に言う、姫様抱っこ……!」
「よかった……、大丈夫?」
何やら感動してるように金銀の瞳を輝かせて呟く司馬懿に心底安心したという微笑みを浮かべた。
「ーーーはふぅ……」
ボシュッと湯気を立てて気絶してしまう司馬懿。慌てて介抱する呂風であった。
今年最後の投稿になります。それでは、皆様、良いお年を!