サブタイトルにあるように、呂風と曹操が中心です。
では、ご覧くださいませ
韓遂叛乱。匈奴を含めて総勢八万の大軍が【武威】を発ち、【天水】、【武都】を経て、長安へ侵攻中。今は漢中を攻略中で軍の動きは止まっていた。
この事態を重く見た朝廷は直ちに、この反乱軍の平定の命を下した。
真っ先に応じたのは何進大将軍が率いる洛陽軍。配下には皇甫嵩、朱儁と、慮植の漢の三大将軍がつき、"偶々"洛陽を訪れていた袁紹軍、曹操軍らも合流し、長安の郊外で布陣し、反乱軍を迎え撃つ体制を整えた。
しかし、反乱軍は八万の大軍だったのに対し、官軍は袁紹軍の一万五千と曹操軍八千を含めても五万程度。
本来なら十万の大軍を召集出来るはずだったのに関わらず、だ。
これには理由があった。各地で蜂起した山賊の対処に七千ずつを十軍、総勢七万の過剰戦力で出撃したのだ。これ程の規模の軍を動かす事で、朝廷の権威と力を見せつけて、各地の不穏分子に対する抑えとしたかった。
だが、今回はそれが裏目に出たというわけだ。
そのため、本来ならば、副戦力とする筈の曹操軍と袁紹軍を主戦力に据えなくてはならないという、何進にとっては屈辱の結果となった。
そして、この時既に精鋭と知られていた曹操軍から見れば、何進が率いる洛陽軍はお粗末という他無かった。
平和を謳歌していた洛陽軍の軍備は形ばかりであり、それを扱う兵士の練度は極々低いものだった。
辛うじて袁紹軍が曹操の許容範囲にある練度を保っていたが、手足のように動かせるかと言われたら、疑問に思わざるを得ない。
かと言っても、自身のもつ八千の兵だけで八万の大軍とぶつかる訳にはいかない。
何せ、相手の兵の大半は精強で知られる涼州兵の騎馬隊と生まれてから死ぬ時までを馬の上で過ごすと言われる匈奴の騎馬軍。
下手すれば……否。上手くいったとしても、自身の10倍の兵力を有し、しかも練度も優秀な相手に勝てるとは到底思えなかった。悪くて全滅、良くて七割の損耗。
それがこの乱世において類い稀なる曹操の頭脳が弾き出した結論だった。だからこそ、彼女は頭を悩ませていた。
ーーどのようにこの戦、切り抜けようかしらね……。十中八九、この戦、負け戦。少しでも被害を減らすためには………?何事?
外から聞こえてきた喧騒で曹操の思考は断ち切られる。軍配の嘶きと、足踏みの音。それも数百や数千どころでは無い。万は確実に超える軍勢である。そして、どよめきや歓声が響いてくる。何進配下の兵もあれば、袁紹の兵もある。それに曹操の兵も歓声を上げる者たちがいる。
一体何事かと思い、傍に控える従姉妹の夏侯惇元譲と夏侯淵妙才を引き連れて自身の幕舎から出ると、何進が拠点を構える幕舎の前に夥しい数の逞しい軍馬とそれに跨る軍兵が見事な隊形を維持して整列していた。
ざっと一万から二万はあるだろうか。それも相当な激戦を生き抜いた猛者で構成された百戦錬磨の精鋭たち。曹操軍と見て劣りもせぬどころか、上を行くような練度が見て取れる。触れれば切れるような鋭い気配を軍兵一人一人が纏う。
正に曹操が理想とするような最精鋭の軍勢がそこにあった。
そして、その軍勢の先端で翻る旗は曹操をして驚かざるを得ないものだった。
「な……、鈴が付いた白い絹の地に金の縁取りで飾り付けられた蒼い字の【呂】!まさか……!」
夏侯惇の驚きの声も耳に入らない。そこにあるのは純粋に驚きだった。
「「「呂風将軍のご到着ーー!!」」」
歓声と共に【武神】の着陣を報せる波が官軍に響く。
将に呂布、張遼、郝昭を据え、総勢一万二千の軍勢を以って呂風着陣。
これを見て、曹操はどれだけ被害を少なくするかどうかという消極的な考えを捨て、自身の軍功をどのようにして最大限に立てるかを考案する。しかし、その為には、呂風軍が大きな壁として立ちはだかる。
ーー呂風と呂布は正に一騎当千……いえ、一騎当万の怪物。単騎で一つの精鋭で構成された軍に匹敵する。【春蘭】と【秋蘭】の二人を圧倒する武勇を見せつけ、数ある伝説を打ち立てた傑物。そして、【神速の張遼】と謳われる張遼も一騎当千の将と見て間違いない。郝昭なる人物がどれほど有能なのかは分からないけれど、あの呂風が従えたのだから、優秀とみて間違いないでしょう。それに、軍の兵一人一人が精鋭。おそらく一人一人が同時に二人までを相手にできる精鋭。単純に計算しても四万相当の戦力。……本当に私のところに欲しいわね。
流石は異民族からの侵攻を防ぐ最前線の雍州兵。その中でも、【安定】は国境に近く、万里の長城があるとはいえど、幾度もそれを乗り越えてやってくる匈奴を撃退する軍が董卓軍。その中でも最近加わった呂風が率いる一軍は最強を誇り、董卓軍の最高戦力にまでなった。(呂風と呂布が先陣を切って突撃するのだから、結果的に最強の軍となる)
そんな軍が此処へやってきたのだ。
何処か恍惚した表情で呂風の軍勢をーーその軍の先頭にいるだろう、呂風とその隣に控えている筈の呂布がいる方向を見つめる曹操を、またかと言わんばかりに苦笑した夏侯惇と夏侯淵の二人が笑いあう。この主は以前に呂兄妹と出会ってから時々こうなるのだ。
すると、一人の伝令兵が駆けて来ては、短い書簡を渡してくる。夏侯淵がそれを読み、要件を伝える。
「華琳様、何進大将軍から召集令が来ていますが、いかがなさいますか?」
「……行きましょう。久しぶりに呂風と呂布に顔を見せられるわよ。それに貴女たちも雪辱を晴らしたいのでしょう?」
興が削がれたと言わんばかりに不機嫌な顔になるが、すぐに若き覇王の顔に戻す。
それは、と口籠ったまま、何も言わなくなった夏侯惇を見て、首を傾げるが、直ぐに答えを得て確かにと頷く。彼女の妹である夏侯淵も目を伏せて溜息を吐く。
「確かに、呂風と呂布の強さは尋常じゃないわ。単騎で万の軍勢を相手出来るほどに。それは数々の伝説が示しているわ。……でも、あの呂風といえど、人間なのよ。人間である限り、失敗はするわ。そこを突けば良いだけの話よ」
「ですが、華琳様……、その機会をあの呂風が見せるでしょうか……?」
「いつに無く弱気ね、春蘭。見せてもらうのを待つのでは無く、誘うのよ。いいかしら?」
「……はっ、必ずや勝利を華琳様に捧げましょう」
にっこりと魅力的な笑みを浮かべて、夏侯姉妹を引き連れて何進のいる幕舎に向かう。
幕を潜り抜けると、上座に何進がでっぷりと脂ぎった貫禄のある体をよじって玉座かと思える程豪華な装飾が施された特大の椅子に座って、厭らしい目つきで此処に召集した君主、武将を舐め回すように見つめていた。
此処に集まった将軍、曹操軍はもちろん、袁紹軍も美少女、美女揃いであり、何進が夢にまで見る酒池肉林の一風を成していた。
そんな何進の顔つきに一瞬眉をピクリと動かすが、一つの国と言っても過言ではない、城郭都市の一つ【陳留】を任されている曹操だ。幾千の思惑が蔓延る政治を行う、城の主である彼女にとって、表情を抑えるのは最早慣れてしまったことだ。口論のやり取りは僅かな表情の動きだけで心中を察せられ、不利になる事もあり得る、戦場で武器を振るって命を刈り取る事とは違うが、確かに城内も戦場だった。
そんな戦場を潜り抜けてきた彼女にとって、何進の表情は見慣れたものであるが、此処まであからさまに露骨に見つめてくるとは思わなかった。
特に何進の視線が向いている友人である袁紹 、字を本初……【麗羽】を見遣ると怒りを何とか抑えようとその端麗な顔を赤くして歯を食い縛っていた。此処で怒り出すのは限りなく不味い事だということは彼女も理解している。だからこそ、必死に堪えているのだ。
「……曹孟徳。此処に罷り越しました」
「おお!曹操殿!急な召集ですまんな!我らに援軍が来てくれたのだから、紹介してやらねばと思ってたのだ!」
割れた銅鑼のようなしゃがれた大声で叫ぶように言うと、そのまま下卑た笑い声を上げる。
そんな声に持病の頭痛が再発しそうになるのを、呂風に再び巡り会えるという期待と高揚感で懸命に抑えていた。
そして、ザワザワとしたざわめきが収まり、耳がおかしくなったのかと思う程の静寂が包む。外には数万の兵がいるに関わらずに、人の気配が途絶えたかのように何も音がしなかった。耳が痛くなるほどの静寂の中、幕舎の外から聞こえる三人の足音がやけに大きく響く。
バサッという音と共に幕舎の入り口にかけられた革の直垂が捲られ、三人の美しい少女たちが入ってくる。
先頭を歩く少女はこの十人十色の大陸でも珍しい、雪のように透けて見えるほど真っ白な、腰まである美しい髪と柘榴石のように、血のように赤い目。体つきはとても華奢で特に胸は全く無いようで平坦。
その後ろに控える二人の将のうちの一人は赤黒い髪と赤い目と小麦色の肌を持つ少女。黄金比の取れた理想的な体つきを持つ少女。常にぽけーとした雰囲気を漂わせるが間違いなく虎のような強さをもつ少女である。
そして、最後の一人は明るい紫色の髪を簡単に結わえ、豊満な胸にサラシを巻き、その上に陣羽織を羽織り、袴を穿いただけという女性にあるまじき大胆な露出をした少女。
一人目から呂風、呂布、張遼である。
その瞬間、曹操は己が目を生まれて初めて疑った。自身の記憶が正しいのならば、先頭を歩く少女ーー呂風はれっきとした"男"である。それは呂風が滞在していた時に起きた、ちょっとした"事件"でしっかりと目撃している。
しかし、目の前の呂風を見れば、その記憶は勘違いだったのかと混乱してしまう程、男に見えないどころか、美という文字が付くべき少女へと成長していた。
それも曹操自身の好みど真ん中を貫いてくる。曹操も自覚していることだが、自身も女性でありながら、女色を好み、防御範囲はとても広いと自負している。しかし、目の前の呂風には身を焦がされるような激しい衝撃を感じた。
自身の表情が珍しく唖然とするのを理解しつつも、その表情を元に戻せない。なんとか保った理性を全力稼働することでチラリと横目で後ろに控える夏侯姉妹を見ると自身以上に動揺して絶句しているようだった。夏侯惇は口をあんぐりと開いて、全身を慄かせ、夏侯淵に至ってはいつもの仏頂面を崩して、目を見開かせてあり得ないものを見るかのような顔に変化していた。
「お初にお目にかかります。姓を呂、名を風。字を万武と申します。此度は我が主、董仲穎より援軍の命が降りました故に一軍を率いて罷り越しました」
「………はっ!?あ、おあ!大義である!………ううむ」
「どうされました?何進大将軍?」
「んあ、いやぁ……。ムグフフ……」
呂風の容貌に惹き込まれたが、我に返った後は再び……いや、体を笑いで揺らしながら先ほどよりも厭らしい顔つきで呂風の体を舐め回すようにじっくりと見つめる。恐らく、このブ……失礼、この男の脳内は既に韓遂の反乱のことは既に消え去り、この美少女をどのように愛でるかのみしか考えられていないのだろう。
しかし、この何進の前に立つ美少女が実は男だったと知ればどんな反応をするかそれが楽しみで仕方なかった曹操と夏侯淵に袁紹、顔良、文醜の五人。夏侯惇は未だ衝撃に打ちのめされていた。
内心で爆笑している曹操と同様に笑いが表面に出ないように苦心していたのは呂風たち三人もだった。
だが、そんな余裕を楽しむ程予断は許さなかった。幕舎の外から馬が駆ける蹄の音が響くと、一人の兵の肩を借りて、身体中に矢を突き立てた一人の兵士がふらめきながらも呂風の隣まで来る。
「漢中城陥落……張魯殿は降り、反乱軍総勢八万、真っ直ぐ長安を目指し、騎馬隊中心の軍勢……五丈原にあと四刻程(八時間)で………」
最後まで持たず、付き添いの兵が慌てて支えようとするも、兵士は膝から崩れ落ちてそのまま地面に伏して、そのまま動かなくなる。呂風が兵士の首に手を当てて脈を取ると既に鼓動は止まり、体は冷たくなっていた。
死後硬直であるが、いくら何でも早すぎる。その兵はたった今倒れたばかりなのだ。
「真逆、この人は此処に来る前に既に死んでいた……?」
「嘘やろ?たった今普通に喋っといたやろ」
「……気力で死んだ体を無理矢理動かして此処まで来たんだと思うよ。前にも一回似たような事見た事あるしね。………貴方の勇気と名は生涯忘れません。命を引き換えに情報を運んでいただいた貴方はこの漢の誇りです」
目を見開いたまま絶命していた兵のまぶたに、手を置いて優しく撫でるように目を閉じさせる。そして、静かに瞑目し黙祷する。
曹操たちも呂風に倣って黙祷を行い、暫しの間、幕舎に沈黙が訪れる。
「ーーーさて、早速軍議を始めませんか?」
「それもそうね。あと四刻で敵は此処に来る。それも匈奴や涼州兵の精鋭で構成された八万の大軍がね」
呂風の発言に曹操が賛意を示した事で漸く軍議が始まる。
もちろん、総大将は何進大将軍を据える事は周知の通り。
後は策を練るだけになるのだが、此処にはこの乱世で最高と言える用兵家の曹操とかの司馬徽の手ほどきを受け、【鎮風】の雅号をつけられた呂風。そして、この二人に劣るものの、洛陽軍の頭脳として知られる皇甫嵩の三人がそれぞれの策を言い合う。
美少女や美女が頭を寄せ合って、一つの卓に身を乗り出して策を言い合うその様は実に妖しくも美しき、何者にも抗えない魔性の魅力。卓に乗り出す事で揺れる甘美な腰から覗く魅力的な細く白い脚と、言葉を紡ぐ為に波打つ艶やかな朱い唇は同性でも魅了する。
同性でも魅了されるその様に女色を好む何進が耐えられる訳が無い。視線は益々のめり込むようになり、膝の上に置かれた手は目の前で自身を誘うような動きをする腰を撫でますかのような厭らしい動きを。息が思わず荒くなるも昂った気持ちを抑える事など出来ようが無い。
もちろん、呂風たちもそんな何進の視線に気づいて、何進に見えない角度でその端麗な顔を歪めて、お互いにしか聞こえない程度の小さな声で毒を吐き合う。
特に呂風の心中は本気で何進を呪いたいほど嫌悪感に満ちていた。何が悲しくて同性である何進に食い入るようにみつめられなきゃならないのか。男である自身に性的欲求を満足させることを求めるなと言いたかった。そもそも、何故、自身は男らしく育たず、男であるにも関わらず、男性も女性も魅了する容貌に育ったのだろうかと自身の遺伝子を責め立てたかった。
そんな思い……怨念と言うべきか。そんな思いを込めた深い深ーい溜息を吐いた呂風を曹操陣営と袁紹陣営の将は同情の念を込めた苦笑を浮かべ、事情を知らない皇甫嵩たちは首を傾げるだけだったが、何進の視線には気づいていたので、顔を顰めて溜息を吐きたい衝動に駆られていた。
一悶着はあったものの、結果的に策は立てられた。
先ず、ここ、長安と漢中の間ーーー【五丈原】。言わずと知れた、史実ではかの諸葛亮孔明と司馬懿仲達という稀代の天才の最後の攻防戦の大舞台となった地である。なだらかな丘陵地帯と平原に覆われ、大軍が展開しやすく、騎馬隊が動き易い地帯だった。
初め、皇甫嵩と曹操は五丈原に陣を構えるのは敵に利するだけと反対したが、その後に話された呂風の策を聞き、成る程と納得し次第に賛同するようになった。
呂風の策は、かつての匈奴侵攻で用いたような堀と、掘る事で出る土を高く積み上げて土台にし、馬防柵を立てて直線上に突っ込んでくる騎馬隊の流れを二つに割り、土台の上から弓矢で攻める。此処の役目は洛陽軍と袁紹軍に。
袁紹率いる冀州は弓や弩に用いられる木材が豊富にあり、その影響で弓兵が精強であり、このように誘い込んで殺るには最適な役目であり、その事を褒めたてながら依頼すると袁紹も照れを押し隠しながらも快諾。
最も、敵も只で殺られる訳がなく、騎射で応戦してくる筈。騎射で応戦し始めたら、あらかじめ陣の周りにある山に伏せておいた、呂風軍と曹操軍の騎馬隊を一気に突撃させ、特に呂風軍は突撃時の突破力は此処にいる全軍中最強。それは曹操ですら認める事だった。
呂風と呂布、張遼と郝昭の二つに分けて敵軍の中央から後方にかけて突撃を敢行し、敵軍総大将である韓遂の首を狙うようにして動く。でも、韓遂も直ぐに持ち直して痛烈な反撃を加えてくるだろうから、余り敵軍深くに攻め入らないようにする。ただし、此れは相手の動き方に対応する事にして、混乱したまま、動く気配が無いならそのまま突き進んで反対側に突き抜けて分断する事もあり得る。
此処に曹操が最初戦って、態と負けて陣地深くに引き込む事を提案し、提案した事もあり、曹操と夏侯惇が囮となり、夏侯淵が伏兵となる事になった。猪突猛進の猪武者である夏侯惇を制御するためとして曹操が夏侯惇と共に動く。
陣地では袁紹軍と洛陽軍の二つの軍勢がいるが、弓矢での攻撃は袁紹軍が担い、敵軍の動きが止まった時に一斉に攻めかかるのは洛陽軍。
軍議は実にスムーズに済み、半刻も掛からず、各軍は即座に各々の役を行う為に展開する。
三刻後。
既に陣地は呂風の指示によって一つの堅牢な土の砦となり、袁紹軍と洛陽軍合わせて四万の軍勢が丸々収まる巨大な陣地。
そして、その陣地の堀の向こうには曹操と夏侯惇が率いる青い鎧の三千の騎兵。
更に離れた両側の丘陵地帯の頂上には夏侯淵率いる五千の騎兵と呂風軍丸ごとの一万二千を二つに分け、その時を待つ。
バタバタとはためいていた軍旗が収まると同時に丘陵地帯の向こうからもうもうと土煙が立ち込め、横一杯に黒い影が薄っすらと見えてくる。
「来たわね……」
「全軍迎撃用意をなさい!」
僅かに聞こえていた地鳴りの音が大きくなり、迫り来る影の輪郭がくっきり見える頃には雷鳴の如き轟音が轟く。一万や二万の軍勢では到底出すことのできない、正に八万の騎兵からなる大軍が生み出せる轟音であった。
勢いを落とすことなく突き進んでくる黒い影にゴクリと誰がか唾を飲む。
「喰い散らせーッ!!」
「「「オオオオオッッ!!!」」」
物騒な命令と共に迫り来る匈奴と涼州兵から咆哮が上がると更に速度を増して巨大な壁となり、地を揺るがして攻め寄せてくる。
そんな凄まじいという言葉では到底言い表せない程の圧倒的な勢いに気圧され、浮き足立ち始める兵士。それは精鋭の曹操軍でさえ例外ではなかった。それも仕方ない事だ。
曹操軍の拠点は【陳留】。比較的内地にある兗州の洛陽寄りである陳留は異民族からの侵攻に晒される事も無く、精々山賊や盗賊、又は数の少ない私兵を持つ豪族の討伐などに出る事がほとんどだった曹操軍にとってはこの匈奴との戦は、軍同士での戦は初めての経験と言っても過言では無く、尚且つ、自身より10倍という圧倒的な数を擁する大軍が壁となって迫り来るなんていう事は初めてだった。
精鋭と言っても、それは厳しい練兵と軽い討伐戦を経て一人前となった兵士の軍という意味であり、呂風軍や董卓軍の兵士のような毎度毎度侵攻してくる匈奴と激しい攻防戦を繰り広げ、その地獄を生き抜いてきた百戦錬磨の猛者が揃う最精鋭の軍と質が違いすぎた。
その証拠にこれだけの威容を見せつけて侵攻してくる軍を見ても、山に潜む呂風軍は浮き足立つどころか、益々闘志を燃やし、その中には口角を吊り上げて好戦的な表情を浮かべ、今か今かと『林の如く静か』に待ち構えていた。
「ーーー其徐如林。林の如く静かに」
栗毛色の馬に跨った呂風は月光叉双を地面に突き立て、腕を組んで静かに木々の間から漏れ見る状況を冷静に見つめていた。
僅かな変化を見逃さないように赤い目に無機質な輝きを灯しながらーーー
「そろそろ頃合いね。全軍、退きなさい!春蘭にもそう伝えなさい」
「はっ!」
半刻程が経ち、既に曹操軍は先遣隊の騎馬隊、およそ二万の波に飲み込まれつつあったが、夏侯惇の獅子奮迅の如き武者働きと曹操の神業的な統率によって六倍以上の差があるにも関わらず、同等以上に渡り合っていた。されど、二万対三千では到底厳しいものがあり、ジリジリとその数を減らしていき、その数を二千七百にまで減らしていた。しかし、ゆっくりと戦いながら後退していた事で敵は此方の陣地深くにまで誘引されていた。
「おーっほっほっほ!!罠とも知らずにまんまと引っかかってくれましたわね!全軍、放ちなさい!」
高笑いと共に陣地の高い土台に現れたのは袁紹。その声に応えるように袁紹軍一万五千のうち、弓や弩を持つ兵、九千が一斉に姿を現し、猛烈な弓矢の嵐を目の前の騎馬軍に叩き込む。四千五百の半数が矢を放つと直ぐに三歩下がり、後方に控えていた四千五百が前に出て矢を放つというリサイクルを繰り返す事で短い間隔で四千五百本の矢が唸る。
「好機です!攻めかかりなさい!」
それに呼応するように皇甫嵩と朱儁、慮植の三人に率いられた洛陽軍が一斉に喚声を上げて猛攻を加える。
これにはさしもの匈奴も混乱し、次々と矢に射られ落馬し、槍に突かれる。騎馬隊の弱点は横からの攻撃に滅法弱いという事が挙げられ、今回はそれを突いた。
しかし、先遣隊の指揮官も中々の手腕で直ぐに立て直すと騎射を行いつつ円を描くように動き回る。
先ほどの官軍の襲撃で四千程が死傷したが、それでも一万六千程の騎射は凄まじく、洛陽軍や袁紹軍からも次々と矢に射られる者たちが続出する。
「亀甲隊、前に出なさい!」
袁紹の命によって身の丈ほどもある盾を構えた兵士が前線に出て、弓兵を庇うようにし、その隙間から次々と反撃の矢を放ち、更なる出血を強いいる。
不利だと悟ったのか、先遣隊は後退を指示するが、直ぐ後ろには六万の騎馬隊がたむろしており、射程外に後退する事も出来ず、混乱に陥る。
「ーーー其侵如火。侵すこと火の如く。全軍突撃!!」
呂風率いる六千の騎馬軍が轟音を立てて、丘陵を駆け降りる。
「ウチらも行くで!」
「全軍突撃!」
張遼率いる六千も呂風と連動して突撃を始める。
「私たちも行くぞ。全軍喚声を上げよ!」
夏侯淵率いる五千も咆哮を上げて姿を現す。
真っ先に敵軍にぶつかったのは呂風軍六千。
その先頭に居るのは【乱世の化身】とまで評された【武神】呂風、【飛将軍】呂布。
単騎で万の軍を相手に出来る、人ならざる武を誇る二人の傑物。豪傑。英傑。
その二人が武器を振ればーーー
「うわぁああ!?な、なんなんだよォ!?この怪物はァ!?」
簡単な事だった。死神と化した彼らは容易く兵の命を刈り取り、体を空高く吹き飛ばし、馬に踏み潰される。
愛馬が一歩踏み出すたびに二閃、三閃は得物が煌めき、霞み、更なる死を招く。
片手で握り直した月光叉双が唸り声を上げて一閃し、横腹を見せている匈奴や涼州兵の数人をまとめて斬り飛ばし、本体から飛んで行った矛は凄まじい勢いで体を貫き、そのまま投げとばし、数人の騎兵を殴り飛ばす。
無情に体の一部が宙を舞う。頭が。腕が。手が。胴体が。脚が。足が。
矛についた血を巻き上げながら次々と新たな血を生み出す。
縦に振り下ろせば、体を馬ごと縦に斬り裂き、衝撃波が大地を割り、馬ごと兵を吹き飛ばす。
数瞬もしないうちに数十人が命を刈り取られ、体を散らす。
その破壊力を欲しいままに振るい、敵軍を深く斬り裂き、その威武で恐慌に陥れ、呂風たちが突っ込んだところから恐怖は伝播し、崩壊していく。一歩でも呂風から遠く離れようと悲鳴を上げながら逃げ惑い、それが更なる混乱を招き、韓遂が必死に声を張り上げるも浮き足立つどころか、崩れ始めた軍は簡単に立ち直せない。
二人の武は、武の極地にまで至り、美しくも恐ろしく狂い咲く白い華はは見る者全てを魅了し、畏怖で身震いさせる。
一騎当千。言葉にすれば軽く聞こえる。だけど、目の前にある乱世の化身はそんな軽さを簡単に消し飛ばす恐ろしささえ感じる。
たった二人の武で万を超える大軍をすり潰すという非現実的な光景を初めて見た曹操軍、袁紹軍、洛陽軍の兵士から将に至る全てが茫然とし、動きが止まる。
それは曹操でさえ例外ではなかった。開戦前に呂風の武を評価していたが、アレでもまだまだ過小評価だ。想像を遥かに超える絶対の武の極地。夏侯惇も高みに登ったかと思っていたが、とんでもない。
あの乱世の化身の足元にも及ばぬ、到底超えようがない断崖絶壁の壁が目の前に聳えるような錯覚すら覚えた。夏侯惇が呂風に打ち掛かったとしても勝てるかどうか。ーーー否。本気で呂風が相手すれば、10合も打ち合えず、首を刈り取られるのは直感で理解した。理解せざるをえなかった。
ーーー美しくも恐ろしい。ああ、貴方は私を何処まで夢中にさせれば気が済むの?どうしようもなく、貴方のすべてが欲しい。その武も、その智謀も、その美貌も、暖かければ、冷たい眼差しも。人形のような可愛らしい手も。貴方を成すあらゆるものを私に向けて、私という存在を愛して欲しい。私のためにいて欲しい。
「ふ……フフフ、アハハハ………、アハハハ!!そう、そうよ!それが呂万武、貴方よ!貴方の前ではあらゆるものが意味を成さない。何の価値を成さない、絶対の存在!私は………貴方に惹かれた!貴方そのものが欲しい!」
後退し、陣地に入った曹操は大衆が居るというのに、呵々大笑する。
頰を赤く染めて、その若く、美しい覇王は目の前で狂い咲く戦乱の華を狂喜をもって見つめ、想いの底をさらけだす。
戦乱の中にあるというのに、艶やかに、妖しく笑う。曹操の周りの時が遅くなったように感じられ、紅潮した顔を妖艶な笑みに変えて、白い腕を広げ、己の体を抱き締める。遠くで美しく舞う白い華を抱きしめるかのよう。
「呂万武。貴方は本当に罪な人ね。私の心を此処まで捕らえて離さないのだから。私は必ず貴方を手に入れるわ。貴方の大切なもの諸共ね」
妖艶な笑みを浮かべるのは乱世の覇王。
乱世に覇を唱える王者。その王が惹かれるのは乱世の化身。
初めて芽生えた異性に対する恋情を凛とした声で告げた。
ええと、今更なのですが、感想下さい……