ご迷惑おかけしました。
そして、今更ですが、呂風の容姿のモデルとしては、『織田信奈の野望』に登場する【上杉謙信】です。
相違点は胸が無い事と、表情が豊かであることです。
更に衣装までそのまま使っていますので、どう足掻いても女の子にしか見えないのでございます。
韓遂の首を討って、自身の馬に下げて何進と袁紹が待つ本陣に戻ってきたのは日が昇り始め、赤と藍色がせめぎ合う頃になっていた。
「くぁ………あふ。ふにゅう、眠い………」
「…………」
不意に出てきた眠気に口元を押さえて欠伸を隠そうとするが、目尻に浮かぶ涙までは隠せなかった。そして、呂布も既にうつらうつらと馬の歩みに合わせて頭を揺らし、半分眠っている。
この二人だけではなく、今回夜戦に動いた呂風軍、曹操軍の全ての面子がとても眠たげにしている。
無理もない。昨日の初戦から日を置かずに夜戦を行ったのだ。二刻程仮眠を取ったとはいえど、短い間での二戦は相当堪えたらしく、目を擦りながらも馬を進め、ふらつきながらも足を進める。
そんな中でも曹操は眠い頭を振って気を引き締める。頭である自身が眠っては配下のお手本とはならないとばかりに気を張っている。
「全く、しっかりなさい。呂風。軍の頭ともあろう者がそんなんじゃダメじゃない」
「ん〜……。それはわかっているんだけど、私たちは四日前に【安定】を発ってから昨日、此処に到着するまでほぼ一睡もしていない状態なんだよ。三日間あんまり寝ずに馬を駆けて来たからもう限界なんだよ」
「み、三日間………。それでよく保ったわね……。それにそんな状態であの戦ぶりなのだから末恐ろしいわよ」
【安定】から【長安】までは徒歩で一週間半。馬の駈歩なら六日。ほぼ全力疾走である襲歩で三日の距離がある。
一応、河原で馬を休ませたり、二刻程駆けて一回の休憩で一刻程休眠は取ったりしながら軍を進めて来たが、それは嘗てない程過酷な進軍であり、それが出来たのは呂風、呂布、張遼、華雄、郝昭、高順、李傕、郭汜という英傑が揃い、涼州という戦の絶えない過酷な地である、涼州が【安定】の兵だからこそ耐え切り、戦場で暴れまわることが出来たのであって、他の軍は到底出来る事じゃ無い。
珍しく引き攣った表情を浮かべる曹操からそれがどれほど異常な事か。
さらに言うならば、そんな極限状態で並ぶべき者無きばかりの戦ぶり。
もしも、休養充分の状態であったならば、如何許りか。それを想像しては背筋を冷たいものが走り抜け、栗肌が立つ。
「本陣に戻ったら心行くまで寝てやるー………うにゅ……」
そんな畏怖もこの呂風の気の抜けた言葉で霧散してしまうが。
兎も角、一つの歴史の分岐点を乗り越えたと安堵の息を吐く。しかし、曹操の目には次なる乱に目を向け、それに備えようとする決意が現れる。
次の日の朝。帰還して直ぐ、自身の幕舎に入った呂風軍は兵卒から士官、はたまた将に至る、今回の戦に参加した者たち全員は一日丸ごと死んだように眠りこけ、気づいた時は既に次の日の朝となっていた。
何進に対する報告は、眠いのを我慢した曹操がしてくれたそうで、申し訳ない気持ちでたっぷりだった。
詫びを入れたら、「今日は陣に留まって兵たちを休ませるつもりだから、今日一日私に付き合いなさい」との事。
それを了承した呂風は副官である張遼と郝昭に軍の指揮と呂布を任せ、曹操の元に赴いている。その際、呂布が寂しそうな顔で見つめてきたのには流石に罪悪感が湧き、【安定】に戻ったら、呂布の好きなようにしていいよと言うとたちまち機嫌が良くなり、抱き締めて行ってらっしゃいと送り出してくれた。
その時、呂布の目が怪しく光ったのには気づかないふりをして。
ほぼ一日を曹操の陣営で過ごし、曹三姉妹と夏侯姉妹たち、曹操の配下の将と数年前を思い返し、思い出話しで盛り上がったり、手合わせしたりして過ごしていた。
「ーーそういえば、呂風の武器……確か月光叉双って言ったかしら。それっていつ出来たのかしら?」
「む、そういえばそうだな。前に【陳留】にいた時は質素な偃月刀だったな」
不意に幕舎の入り口に立て掛けている呂風の愛槍、長大な双槍ーー月光叉双を見て曹操が話を切り出す。それに同意するように夏侯惇も当時を思い返すと一つの武器が思い浮かぶ。【陳留】にやってきたばかりの頃は何の装飾もなく、ただ、木の柄に三日月の刃を付けただけという非常に質素な偃月刀であった。此れはまだ幼い頃、【晋陽】太守である丁原、現在は高順と名を改めた女傑に、旅に出る餞別として腰に差している二振りの刀と共に貰ったものである。
丁原としてはこんな質素で鈍の偃月刀ではなく、業物の偃月刀か槍を用意させたかったのだが、陰口に嫌気がさした呂風と呂布が飛び出した事で自身の持つ二振りの刀と兵卒用の偃月刀しか用意出来なかったという経歴がある。因みに二振りの刀について、本人としては「護身用の剣」と言っているが、れっきとした大業物であり、かの『青紅剣』や『倚天剣』、『七星剣』と並ぶものである。
「ああ、それはね。【陳留】を発って豫州に入る前の州境の辺りにある村に寄ると絡繰や武器の製造が得意な女の子が居てね。店頭に飾っていた武器が綺麗だったからその腕を見込んで作って貰ったんだよ。まぁ、路銀を使い果たしちゃったんだけどね」
「見たところ、相当な業物と見受けるが……」
あははと笑いながら白磁の頰を掻いて笑いながら確か名前を李典、字を曼成だったと思い返す呂風とそれをしっかりと脳裏に刻み込んだ曹操。
必ず配下に加えてみせると意気込む。なにせ、呂風が天下無双たる武を発揮できる名器を作ったのだから、何が何でも配下に加えたくなる。
「そうだね。何でも、この月光叉双の考案を練るとき、私と意気投合したから、ヤル気が出て、いつもよりも良い物が出来たって言ってたよ」
「どんな絡繰でもあるのですか?」
疑問を出したのは曹仁。目の前に憧れの存在がいるため、頰を僅かに染め、目を細めて嬉しそうな表情を浮かべ、何時もの切れ切れの口調は丁寧になる。此れに目を点にしたのは曹操を除いた者たち。憧れを抱いているのは知っていたが、此処まで変貌するとは思わなかったからだ。
「この両端の矛が外れるようになっていて、柄の中に十丈(23.4m)の鋼鉄の紐を仕込んでいて矛と繋がっているんだ」
「ふむふむ」
「柄を捻ると矛が外れて、それを伸ばしながら斬ることもできるんだよ。戻すときも柄を捻るだけで戻るんだ」
「おぉ〜!」
入り口にある月光叉双を手にとって実演しながら説明する。それを蒼い目を輝かせて聞き入る曹仁。夏侯惇や夏侯淵も呂風攻略の為に武器の特徴を聞く。
「なぁ、呂風。その武器の説明をするのは良いんだが、それだと他の誰かに使われたときに不利になるんじゃないのか?」
「ああ、それは問題無いよ。多分だけど、此れを扱えるのは私以外には出来ない……恋、呂布なら出来るかもしれないけど」
「……どういう事だ?」
「手に持ってみると分かると思うよ」
そう言って はい、と月光叉双を手渡してくる。怪訝な顔をしながら受け取るが、その瞬間、答えが理解出来た。
「ぬおっ!?むむむ……!」
「姉者!?」
槍を手に取った瞬間、思わずつんのめり、屈み込む事で何とか耐える。落とすまいと大地に引かれる槍に対抗しようと顔を真っ赤にし、唸りながら踏ん張ろうとする。
「ど、どういうこと!?春蘭が持ち上げられないって、どんな重さなの!?」
「だあぁっ!」
曹洪は目の前の光景が信じられなかった。曹操軍最強の武人である夏侯惇。手にする武器は身の丈ほどもある大刀『七餓狼刀』は身の丈ほどもある鋼鉄の塊であり、凄まじい重量を持つ。およそ七十斤(15.6kg)そんな重量武器を片手でも軽々と振るえる剛力の持ち主が持ち上げる事も出来ないとは。
因みに史実で良く伝えられている関羽の青龍偃月刀は八十二斤(18.3kg)である。
夏侯惇と火事場の馬鹿力と言うべきか、叫びと共に月光叉双を足に落とさない程度に放り投げる。
〈ズシィンッッ!!〉
『….………ゑ?』
放り投げられた槍は凄まじい轟音と共に地面に亀裂を作って地面に減り込み、土煙をもうもうと立ち込めさせる。
その有り得ない光景に呂風以外の目が点になって絶句する。
「おお〜、結構大きな亀裂出来たねー。あ、夏侯惇、気をつけるようにと言うの忘れてた!ごめんね」
「………ねぇ、呂風。この月光叉双、どれほどあるのかしら?」
手を合わせて片目を閉じながら謝るが相当、呑気な呂風であった。
頰をヒクッと引き攣らせながら訪ねてくる曹操。それに対し、呂風はズズッとお茶を飲んでふぅ、とため息を吐く。
「ええと、確か………二百三十斤(51.2kg)だったかな」
「なん……だと……」
「にひゃく、さんじゅう、きん………?」
「???」
流石に愕然とせざるをえなかった曹操陣営。
その一方、呂風は可愛らしく首を傾げて、唖然とした曹操たちを不思議そうに見つめる。
「そんな細身の何処に二百三十斤ものの超重量武器を軽々と振りまわせる力があるのかしら………。確か二百三十斤って、十三、十四くらいの子供の体重と同じくらいよね……」
「え?恋の方天画戟の方がもっとあるよ?」
あ、これダメなやつだと頭を抱える曹操たち。此処でも長い間人外の領域に妹共々踏み込んでいた弊害が現れた。因みに呂布の方天画戟はおよそ二八十斤(62.4kg)である。成人を片手で軽々と振りまわせるのが二人の間では当たり前のように捉えてしまっていた。
呂風の月光叉双は一対一から一対多を想定したものであり、そこに加えて短弓を備えた中距離の兵を射程にした武器である。流石に強弓、連弩や強弩のように長距離射撃兵器までは届かないが、呂風の脚は馬よりも疾く走れ、飛んでくる矢は槍でも刀でも容易く斬り落とせる。又は飛んでくる矢を掴み取っては遠心力を利用して投げ返すことすら出来る。
今までの戦でもそうしてきたし、多分、今から起こるであろう戦でもその形は変わらないだろう。そして、呂風は自分がどれ程規格外なのかを明確に理解していなかった。いや、明確ではなく、ぼんやりと、曖昧にだったが、自分が常人の域には居ないという事は理解していた。だが、“それだけ”だった。自分が武人としてどの位置に居るのか、他の武人とどれ程差があるのか。それがわからなかった。妹である呂布も人外の領域に足を突っ込んでいたが故に。
曹操たちの常識と呂風、呂布の常識とすれ違っていた。
村にいた時はまだ幼い子であり、村人たちとの交流もあったため、常人と大差無い思考であったが、五年間の呂布との放浪の旅。此れで致命的な迄にズレが生じてしまう。
たった五年。されど五年。
共に人の常軌を外れた兄妹との五年の放浪の旅。一年に一度か二度は都市に在留していたが、それでも進みゆく知識のズレを止める事は叶わなかった。………高順(丁原)の純粋に育って欲しいという願いは叶ったかもしれない(呂布と呂風のご飯に対する真摯さ、真っ直ぐな心)が、真逆此処まで一般常識がすっぽり抜け落ちていることになろうとは思わなかったのだろう。その事を知った彼女は膝から崩れ落ちて旅に出した事を後悔した模様。せめて、14か15まで自身の手元で育ててやれば良かった……!と。
然もありなん。
「あー……。ええと……ま、まぁ、呂風と呂布だし?」
「むー……、なんだか腑に落ちない感じ……」
「ああ、そういえば、あの古城を陥した方法が知りたいのだけれど、説明してくれないかしら?あの城は確かに古いわ。骨董品と言っても過言じゃない位には。されど、楚の覇王、項羽が築いた要害はそう容易くは攻め落とせないと見通していたのだけれど」
あからさまな話題の逸らしに一瞬、何の事?と言いたげな表情を浮かべたものの、直ぐに反乱軍に夜襲をかけた時、呂風軍はぐるりと迂回して城を攻め落としてから反乱軍の背後から奇襲をかけた戦術を指している事に気づき、頷きを返す。
五丈原の近くの山峡入り口に建てられた関に近い要塞は項羽と劉邦の二龍の争いの最中、劉邦を追う項羽が異民族に睨みを利かすために建てたとされる要塞。数十万に登る大軍を率いて侵攻してくる異民族を防ぐためにこの城は洛陽を中原地方からの侵攻を防ぐ、汜水関、虎牢関にも負けず劣らずの堅牢さを誇る城として建てられた。しかし、項羽が敗れた後、漢の国も立ち、現在のような版画が出来上がると共に、【天水】や【安定】などの城郭都市の運営も安定し、この古城も存在する理由が無くなったため、廃城となる事が決まり、つい100年程昔に当代の皇帝によって城は火を放たれ廃城となる。されど、石で組まれた城は焼け落ちる事はなく、使われる事が無くなった城はただ静かに佇む。
「確かに廃城となったという事は記録にも記され、遥か祖先の時からーーそれこそ殷の時代から争いの絶えなかったこの大陸では珍しい事では無い。それに廃城となったその城は盗賊が占拠していたとの情報もある。およそ千から二千の群衆のようだが、それでも十分な脅威だっただろう?」
夏侯淵の言うようにこの城はつい一昨日まで盗賊が根城として使い、盗賊の手によってあちこち修復され、完全には程遠いが戦には十分耐える堅牢さを取り戻しつつあったそれを反乱軍は盗賊を仲間に引き入れる事で占拠する。只でさえ堅牢で有名な城は反乱軍が入った事で攻略難易度は跳ね上がり、厳しいものだと曹操たちは断ずる。故に反乱軍が拠点にしたと斥候からの報告には眉を吊り上げたものの、手出しはこちらの被害を無闇に増やすようなものと判断し、手出しはしなかった。……兵士が勝手に酒盛りを始め、行軍どころでは無くなったという事もあるのかもしれないが。
「確かにそうね。あの城はたった千人や二千の兵だけでも充分な堅牢を持つ城に変貌するわ。それに加えて反乱軍の負傷兵を含む1万を残したそうじゃない。攻城兵器を持たない状態でどうやって陥したのか気になるわね」
兎も角、反乱軍は本陣へ夜襲を掛けるために城を出撃し、留守役として負傷兵を含む1万の兵士を置いて行った。その隙を突いたという訳になるのだが、本陣から全速力で間道を駆け抜け、城まで向かった呂風軍はまともな攻城兵器の一つも持たない。
投石機や井楼、衝車など攻城兵器の基本とされるもの。どこかの城や要塞を攻め落としたいのならば、これらの一つや二つは持っていくのが道理である。
だからこそ、曹操は攻城兵器を持たない状態でどうやって僅かな時間で陥したのか。それを疑問に持っていた。だが、帰ってきた攻略法はやはりと言うべきか、呂風と呂布くらいにしかできないであろう常道をはずれた奇道も奇道。
「え?普通に城門をぶっ壊せば中に入れるでしょ?」
「だから、その方法………ーー真逆……」
「うん、この月光叉双で壊したよ」
『……ゑ?』
きょとんとした顔で答えを言う。その答えに苛立たしけに顔を顰めた曹操だったが、少しの沈黙でその回転の速い頭脳で有り得ない、あってはならない正解を導き出した。果たして、その正解は呂風の口から語られ、疲れたように溜息を吐く曹操と、きょとんと可愛らしく首を傾げた呂風を除く全員が目を点にする。
此処に付け加えておくと、古城の城門は当時にしては珍しく、鉄で造られた巨大な城門であり、城門の上にある手押し歯車によってロープを巻き取り、開閉する仕組みであった。重さにして実に150石(4トン)の重厚な巨門である。
それを呂風はーーー叩き壊した。
月光叉双。李典が心胆込めて一から作り、自身でさえ、過去最高傑作とまで言わしめた大業物。材料には『隕鉄』を使ったものであり、その硬度は二万を斬っても刃毀れすらせず、鉄塊を紙でも裂くかのようにいとも容易く両断する。正に天下無双たる呂風を支える天下最強の武器と言っても過言では無い。
「……一番やらないと思っていた方法だったけれど、呂風に私たちの常識を当てはめない方が良いわね……」
「む、失礼な。此れでも常識は理解しているつもりだぞー?」
「あのね、呂風?普通の人は、夏侯惇でも城門は武器で壊せないのよ?」
唇を尖らせて文句を付けるも曹操の正論による一蹴を受け、沈黙せざるを得なかった。
比較の対象に夏侯惇が挙げられたのは曹操軍最強の武人である夏侯惇は“比較的”人外の領域に近い存在であるからである。最もまだ扉の取っ手に手を伸ばしかけているところまでしか達していないだろう。
「むー……、恋たちが敵の目を引いている間に私が岩壁を伝ってこっそりと城門まで行って、油断している間に、ばごーんって壊したんだ。その後はまぁ、いつも通り?」
「へ、へぇ………」
最早顔を引き攣らせるしかなかった。
城門を壊した後は呂風を筆頭に雪崩れ込み、瞬く間に1万の兵を討ち、呂風軍には被害らしい被害を出さずに制圧し、直ぐに城を放棄して進軍、反乱軍が後方より襲撃をかけた、という訳である。
その日の夜。
呂風は曹操と二人で曹操の幕舎で酒を飲み交わしていた。一年程の付き合いがあった二人とはいえ、酒を飲み交わすのは此れが初めての事だった。
「んく………んん。……あら、本当に美味しいわね」
「あ、やっぱり!これ、気にいると思っていたんだ。荊州の河賊と知り合った時に教えて貰ったんだけど、甘すぎなく、辛すぎなく、程よいまろやかな味わいだったし、さっぱりした喉応えだったから勧めてみたの」
ニコッと嬉しそうに顔を綻ばせ、目を細めて首を傾げながら笑う。それに思わず動揺する曹操。完全に不意打ちだった。酒で上気していた頰が更に赤くなる。
【水鏡】と呼ばれる司馬徽の元に身を寄せていた時には呂風は15になり、司馬徽の好意の元、元服の儀を終えたため、酒を飲むことが出来るようになった。そのため、何かある度に司馬徽に呼ばれて夜を酒を飲んで軍略、政略について語り合ったりしていた。
情事に及ばなかったのは呂風の異性に対する耐性の低さでなんとなく理解出来るだろう。なにせ、曹操の元にいた時に起きた事件を今でも思い出す度に赤面するほど耐性は低い。日常の会話をする程度であれば、問題無いのだが、抱きついたり、抱きつかれたりするようなスキンシップには顔を赤くする。そんな呂風が妙齢の美女である司馬徽と情事に及ぶ事など出来ようか。
司馬徽としては残念に思うようだったが、ともあれ、呂風の純潔は未だ守られたままである。
閑話休題。
司馬徽が持ち込む酒には様々な種類があり、それを飲んでいく度に呂風は酒に拘りを持つようになり、董卓のに仕えるようになってからも街の居酒屋や酒造を訪ねては良酒を買って行き、董卓を始め、賈詡、高順、李傕、郭汜らと酒を飲み交わしては舌鼓をうつ事が平和な一時の呂風の日常だった。
ああ、勿論、呂風に割り当てられた仕事を優先し、それが済み次第、見回りの次いでに酒を買いに行くのだから、賈詡も強く言えないようで、『程々にしなさいよ』としか言えなかった。それに加えて自分も呂風と飲み交わす一時を楽しみにしている節があるのだから余計に複雑であった。
さて、荊州の河賊と知り合ったと云うのは、司馬徽の元で師事していた時、義賊の出現に伴い、相当な手練が頭をやっていると話に聞いて、興味が湧いた呂風は呂布を引き連れて河賊が根城にしている所まで行き、一戦交えた。一戦交えたと言っても、生死のやり取りではなく、模擬戦のようなものだったため、死者は居らず、それどころか、二人の圧倒的な強さに尊敬、惚れられ、慕われるようになった。それに加えて、呂風の性格が純粋とまで言える程、義理堅いという点も義俠であったこの【甘寧】率いる河賊に受けは良く、数年来の仲間であったかの様に受け入れられた。それに甘寧のライバル関係にあった【文聘】も共鳴した。
そんな出来事があった時にも酒宴があり、その時に出された酒のひとつが呂風のお気に入りになり、度々商人から取り寄せたりする。
「そんな事があったのね。それにしても、あなたの人脈の広さが気になるのだけれど?」
「そうかな?放浪の旅でもしていたからあちこちに繋がりができたのかな」
呑気に酒を流し込むように飲みながら話すが、北は公孫瓚、趙雲、関羽に荀家。東は袁紹、文醜、顔良らに孫乾に曹操らに李典、楽進、于禁ら。中央は司馬家。南は司馬徽、甘寧、文聘に諸葛亮、龐統、徐庶。
西は董卓らと馬超、馬岱、華佗、姜維ら。
一部であるが、上げてみれば凄まじい交流の広さである。しかも、名家に挙げられる袁家、荀家、司馬家、孫家とも付き合いがあるのは異常とも言える事だった。
只の放浪の旅では此処まで繋がりを広げる事など出来ようが無い。それが出来るのは呂風なればこそという事だろうか。
万人を惹きつける魅力。
万人を吹き渡る風。
万人に響く武。
その全てが呂風を天下無双たらんとせしめる。天下という舞台で白き華は美しく咲き乱れ、万人を惹きつけてやまない。
かくいうこの曹操も同じであった。
覇王たる自身に並び立つ乱世の化身。智謀で自身と肩を並べ、並ぶものなき絶対的武。
そして、白雪のような髪と肌。その中に浮かぶ儚げでありながら芯の通った赤い瞳と傾国の美貌。
なんとしてても自身の手に収めたかった。だが、『天下無双の武神』としてではなく『一人の異性としての呂風』として、である。
知らず知らずの内に曹操は自身でも気付かぬまま、呂風と距離を縮めつつあった。その目は潤み、頰は酒の酔いでは無い朱に染まる。
幕舎の隙間から流れてくるそよ風に吹かれ、呂風の匂いが漂い、曹操の鼻腔をくすぐる。石鹸のような清潔な匂いに交じって香の匂いが鼻をくすぐり、否が応もなく感情が昂ぶってくる。思わずほぅ……、と熱い息が漏れ、体も熱くなるのが分かる。
「そ、曹操……?」
「私の真名……、貴方に預けるわ。ーーー華琳、と呼んで頂戴」
そして、呂風の長い睫毛から赤い瞳の虹彩の模様まで見える程近くに顔を寄せてくれば、呂風も流石に慌てるも、磁石で惹かれ合うかのように視線を反らせない。
鼻先が触れ合う程にまで近づき、呂風は顔を真っ赤にして、ぎゅっと目を瞑り、曹操は首を傾けて呂風の唇を奪おうと近づく。
そしてーーーー
〈ドォーン……ドォーン……ドォーン……〉
突如陣中に太鼓の音が響き、ビクリと体を震わせた二人は一気に正気を取り戻し、此れでもかとばかりに顔を真っ赤に紅潮させ、そそくさと元々座っていた場所に戻ってバッと顔を背ける。
顔をそらしながらもチラチラと視線をお互いに向けあってはパチリと合い、パッと逸らし、恐る恐ると向ければ又同じタイミングで視線が合い、思わず硬直しどちらからとも無く自然に笑みが溢れる。
「ぷっ、あははっ」
「ふ、ふふふっ」
そんな一時がなんだか可笑しくて、どうしようもなく愛しい。彼女とこうしている一時は今までのどの時間よりも鮮烈で強烈でありながらも甘美な刻だった。
「華琳から真名を預けられたんだから、私も預けないと礼儀に反するね。私の真名はーー響」
「響………。そう、響ね……」
とても大切なものを手に持ったかのように、両の手で虚空に消えつつあった響の真名を包み込み、自身の胸に抱く。
「んー………。もう子の刻かぁ。華琳と飲むのとても楽しかったからあっという間に終わっちゃったね。またいつか飲めたらいいな」
「その時が来るのを祈るとしましょう。今度飲む時は私もお酒を見繕って持ってくるわ」
「わ、それは楽しみだなぁ。それじゃ、おやすみ。華琳」
「ええ、おやすみなさい、響……」
呂風が槍を持って幕舎を出て行った後もその背中を追うように無意識のうちに視線を動かしていた。
もしも、あの時、太鼓が鳴っていなかったら、間違いなく、曹操と響は一線を超えていた。どうしようもなく抗えそうにも無かった魔性に魅入られたかのように引き込まれ、半ば無理矢理にでも呂風の貞操を奪って、自身も処女を失っていたのかもしれない。そんな未来もあったのかもしれない。
だが、そうなったとしても、後悔はしなかっただろう。欲しいものは手に入れる。それが曹操孟徳だ。
曹操は妖しげな微笑みを浮かべると、床に就き、朝の日の出を待つ。
日が昇り、悠久たる大地を赤く染め上げ、藍色の空が眠りに就く頃、反乱軍討伐の軍は解散する事となり、既に何進と袁紹は洛陽へと引き返していき、残るのは呂風軍と曹操軍である。両軍は未だ一昨日までの激戦で溜まった疲労が解消されていなかったため、日が昇ってから退却を開始する手筈となっており、今は幕舎を畳み、幕布を荷馬車に載せて陣を引き払っている最中である。
そんな中、呂風と曹操はその陣を一望できる小高い丘に立って一望していた。
「………うん、出立の用意もそろそろ終わるかな」
「私はこのまま洛陽には寄らず、真っ直ぐに陳留を目指して進軍するわ」
「そっか……」
「ええ」
その時、突如として風が吹き、二人の髪を靡かせる。二人にこれ以上の言葉は要らなかった。
「響。私は、この乱世で天下に覇を唱えるわ。天下の民が笑顔でいられるように。少しでも早く平和を実現させるわ。……貴方の望みは何かしら?」
「私、は………。名前を残す、事かな」
オレンジ色の大地が自然の色を取り戻す頃になり、藍色の空もどこまでも澄み渡る蒼い空。そんな空を見上げて少しの間を空けてそうポツリと呟く。
彼の視線の先には一体どんな風景が映っているのだろうか。
「名前を?貴方は今でも高名じゃない。【武神】なんていう二つ名が付くほどに」
「ううん。『今』だけじゃ無くて、千年も、二千年も遥か先にまでこの時代に、この呂風が、呂万武がいたんだと。かの太公望や項羽のように、ね」
「それは……、また壮大ね……。かの太公望や項羽に並び立つ……」
曹操もまた呂風と同じように目を細めて蒼い空を見つめる。まるで吸い込まれそうになる蒼い空はどんな悩みや願いも吸い取って、ありのままの自分を曝け出してくれる。
また暫し会話が途切れ、半刻が途轍もなく短く感じた間を経て会話が再開されたのは、出立の用意が出来たと張遼と夏侯淵の両名が呂風と曹操を呼びに来た時だった。
「ーーー嫌な風だね。………華琳。恐らく、早ければ二年、遅ければ五年の間に大きな乱が起きる。この国を全て巻き込む大きい、大きい乱……」
「そう………。やはり、貴方も其処に辿り着くのね……。最早この漢の命運は途絶えつつあるわ。その先は群雄が割拠する乱世の始まりよ。直に洛陽の営みを見てそう確信したわ」
ヒュウウゥゥゥ………と不気味な風が吹き、黄色い砂を巻き上げて地平線の果てを覆い隠す。そんな風の中でも色褪せぬ白と金が鮮やかに色踊る。
曹操の脳裏には洛陽の街並みが、人々の営みが浮かんでいた。洛陽は漢の首都であり、およそ100万が住む大都市。劉邦の時代に隆盛を極めた都市は次第に衰え始め、表通りは変わらぬ栄華を極めつつも、其処から一歩でも裏通りに出れば栄華が幻影だったかのように廃墟と見間違う荒屋が立ち並ぶ貧困街が広がり、腐敗臭が漂い、職にあぶれた者たちが与えられる事のない恵みに縋って細々と死に向かいながら生きている。
黒く変わり果て、蠅が集る乳飲み子を抱きながら骨が浮かぶほどにまでやせ細り、乳も出ない乳房を与える哀れな母親。
何日も口にする事も出来ず、生きることに意味を見出せず絶望の淵に立たされ、虚ろな目で空を見上げる年幾多もいかない少年少女。
働き手である男も何日も碌に食にありつけず、皮と骨だけになってしまい、表通りを恨めしげに睨みつける。
正にこの世も末とばかりの光景だった。
これがあの栄華の洛陽か。
帝のおわす洛陽か。
漢の首都の洛陽か。
愕然とせざるを得ない光景だった。思わずよろめき、慌てた夏侯惇と夏侯淵に支えられたのも記憶に新しい。
曹操の祖父である【曹騰】は帝の側近である宦官であり、影ながら帝を操り、漢の政治を取り仕切っていた怪傑であり、現在の十常侍の先輩にあたる人物であった。宦官と言えど、宦官にあるべきではない権力を握っていたが、老衰によって宦官の地位を退き、徐州の海が見えるところで父の【曹嵩】夫妻と共に隠居している。
祖父の代にも僅かながらも隆盛の影を見ることが出来たそうだったが、その影も見ることもない。それどころか、その時代よりも悪化していそうである。曹騰がこれを見れば憤死しかねない有様だった。
洛陽を覆う空気も淀み、居るだけでも気分を害しそうなものだったが、裏通りはもっと凄惨なものだった。一歩踏み込んだだけで襲い来る怨嗟の空気。
憎しみ、怨み、嫉妬、殺意。
その負の感情全てをひっくるめたかのような濃厚な空気だった。
首都である洛陽でさえこの惨状なのだから近隣の町や村はどのような惨状か。幽州や併州、涼州といった異民族の侵略に晒される過酷な土地の民はどのような思いか。重い税を課され、搾り取られていく農民はどのような思いか。
一年や二年ならば耐えられるかもしれないが、その圧政が五年も十年も続けば、積もりに積もった怨嗟の声は遂に形を取る。爆発する。
一揆として。
反乱として。
大乱として。
革命として。
「そっか……。私も数日だけだったけど洛陽に寄ったことがあるからあの悲惨さは知っているつもりだよ。だから華琳の言いたい事も理解できるよ」
「流石ね。陳留に戻り次第、軍備の増強に努めるつもりよ。この捕虜の大半も正規兵として訓練させるつもりよ」
「安定の方はまだ街並みの復興と農地の開墾で手一杯かな。人口も大陸の中でも、一、二を争うほど少ない筈だし、将も集まり始めているとは言っても手が足りないという状況だから、軍備は当分先かな。今回と前回の匈奴戦役で敵は総大将も失う損害を出したのだから、暫くは動けないと思うけど」
「………そうね。安定はそういう所だったものね。でも貴方たちがいるのだから問題はないでしょうね」
「んー、でもやり甲斐はあるよ。帰ったら、今考えていることを賈詡と陳宮に提案してみるつもりだし、うまく行けば復興どころか最隆盛を見る事も可能な筈だし、楽しみだよ」
「そう、成功を祈っているわ。……ああ、そうだわ」
「文通、でしょ?」
「ふふっ、流石ね。私のことを理解してくれてるわね。これ程嬉しい事は無いわ。楽しみにしているわ」
これ以上もないほど嬉しそうな笑みを浮かべて、傍に控える夏侯淵を引き連れ、自軍に戻って行くのを見送った呂風は飄々と佇む張遼の方を向いて、行こうかと促して吹いてくる風に髪を靡かせながら歩みを進める。
曹操は歩兵がいるため、歩兵に合わせた進軍速度で陳留方面に。
呂風はほぼ全てが騎馬で構成された騎馬軍であったため、駈歩で山を越えていく。
この時、かの『黄巾の大乱』まで後二年。
漢という国を基盤から大きく揺るがした歴史にも残る大乱。
漢という国の滅亡を暗示する、民によって民のために起こされ、皇帝に時代の終わりを突き付けた反乱。
二年。この長いようで短いこの間に各群雄、英傑、豪傑は来るべき大乱に備える事が出来るかどうかによって大乱の先を生き残れるか。死ぬか。その道筋が決まると言っても過言では無い。
呂風は既に己の勘と大陸を覆う黄色い風によって来るべし大乱を感じ取り、董卓と賈詡に内政の充実を図ることを勧め、それに張遼や高順も同意した。その案に陳宮が軍備も視野に入れなくてはならないと付け加え内政の充実と共に軍備増強に励む事となり、それに合わせて匈奴や西羌との和解、交易の道を探る。
曹操は理論を解き詰めていった結果、近いうちに反乱が起こると判断し、人材の充実を図り、国を豊かにする事に奔走する。それに合わせ、夏侯姉妹に練度の上昇、軍備の増強を指示し、忙しなく動き回ることとなる。
孫堅も娘の孫策、孫権と共に呉の地に国を起こし、基盤を固めようとする。孫策の類稀なる勘による行動の賜物で、周瑜、黄蓋を始めとする優秀な人材が集まり始める。
そんな折に大陸に奇妙な噂が流れ始める。
『白き彗星に乗りて遥か東方より“天の御使い”参られたり。白く輝く衣服を纏いて乱世を治めし者なり。此れを得よ。さすれば天下への道は開かれん』
占い師の管路によって予言された言葉は戦に疲れた群衆を湧き上がらせ、近い将来に太平の世が訪れることを予感し、明日とも知れぬ一日に希望を見出した。
変更点は曹操と呂風の口吻成立から口吻失敗へと。
ですが、この件以降、呂風も曹操の好意に気づいたので、悩みつつも接していくこととなります。