The transmigration of Eagle 作:fumei
頬に当たる冷たい感触。腕は後ろで固定されているのか、動かすことができない。
覚醒した意識に、瞼を開いたアルタイルの薄暗い視界の端に松明の灯りがちらちらと映り込む。どうやら自分は縛られて床に転がされているらしい。
「目が覚めたか」
アルタイルが声の聞こえる方に体を無理やりねじると、そこにはクィレルがいた。天井につきそうなほど大きい鏡の前に立ち、こちらを見ている。
(あれは…みぞの鏡か……)
アルタイルは自らの原作知識からその存在を思い出すと、やはり自分は最終局面の場に連れてこられたようだと理解した。
「ご主人様がお前を連れてくることをお望みだったのだ」
クィレルがアルタイルに状況を突きつけ恐怖を煽るように言ったが、アルタイルは話の内容ではなくクィレル本人に意識を向けていた。
クィレルを
時間経過によって衰弱したヴォルデモートの魂は血の恩恵によって力を取り戻し、今は休眠状態にあるようだった。
「僕のことは諦めたんじゃないのか」
気を取り直したアルタイルがここ最近の尾行がなかったことを指摘すると、クィレルは酷薄な笑みを浮かべる。
「お前には協力者になる以外にも使い道があるのだ」
「……」
失敗したときの脱出用か、とアルタイルは目星をつけた。クィレルは自覚していないようだが、その体は呪いに蝕まれとても健康と言える状態にない。石を手に入れるのに失敗したとき用に予備の体を用意しておくのは完璧主義なら当然の発想だ。ヴォルデモートは魂が体と馴染んでいないアルタイルなら体を乗っ取ることも容易いと考えたのだろう。
黙り込んだアルタイルを満足気に一瞥したクィレルは再び鏡を調べる作業に戻った。
アルタイルは横になったままその様子を見る。もう少しすればこの場にハリーがやってくる。そうすればこの男はハリーの身を守る防護魔法によって身を滅ぼされるはずだ。
~sideハリー~
スネイプの問題を解き、部屋に入ったハリーは中にいた予想外の人物に息を飲んだ。そしてその人物の近くに倒れこむもう1人の姿に気づき、彼の名前を呼ぶ。
「ブラック!どうしてここに!?」
ハリーの呼びかけに反応して顔を上げた彼を見て、ハリーは安堵した。しかし、
「私が連れてきたのだ」とブラックではなく、クィレルによって返された答えにハリーは驚愕する。
「あなたが!」
クィレルは冷笑を浮かべ、落ち着き払った声で続ける。
「ポッター、君にここで会えるかもしれないと思っていたよ」
「でも、僕は……スネイプだとばかり……」
「セブルスか?」
クィレルはハリーの間違った予想を鼻で笑った。そして、スネイプのいかにもな態度やそれを目くらましにして自分が暗躍していたことを暴露する。ハリーはクィレルの言っていることが信じられなかった。
「スネイプが僕を救おうとしていた?」
「いかにも。彼がなぜ次の試合で審判を買って出たと思うかね?私が二度と同じことをしないようにだよ。全くおかしなことだ……そんな心配をする必要はなかったんだ。ダンブルドアが見ている前では、私は何もできなったのだから。他の先生方は全員、スネイプがグリフィンドールの勝利を阻止するためだと思った。スネイプは憎まれ役を買って出たわけだ……随分と時間を無駄にしたものよ。どうせ今夜、私がお前を殺すのに」
クィレルが指をパチッと鳴らすと、どこからともなく縄が現れブラックと同じようにハリーの体に巻き付いた。
「そこでおとなしく待っておれ。私はこのなかなか面白い鏡を調べなくてはならないからな」
その時初めてハリーはクィレルのうしろにあるものに気づいた。クリスマス休暇にロンと抜け出して見に行ったあの『みぞの鏡』だった。
クィレルは鏡の枠をコツコツと叩きながらつぶやく。
「この鏡が『石』を見つける鍵なのだ……。ダンブルドアなら、こういうものを思いつくだろうと思った……しかし、彼は今ロンドンだ……帰ってくる頃には、私は遠くに行ってしまう……」
ハリーは縄を解こうともがいたが、結び目が固くできなかった。なにか使えるものはないかと焦って周りを見渡す。その時、クィレルの近くで倒れているブラックが視界に入る。なぜ彼が捕らえられているのかはわからなかった。しかし、彼には以前助けてもらったことがある。今度は自分が助ける番だ。なんとしてでもこの場を切り抜けなければ、とハリーは自分を奮い立たせた。
クィレルが鏡に集中できないようにするために必死に言葉を捻り出す。
「でも、スネイプは僕のことをずーっと憎んでいた」
「ああ、そうだ」とクィレルがこともなげに返した。
「全くその通りだ。お前の父親と彼はホグワーツの同窓だった。知らなかったか?互いに毛嫌いしていた。だがお前を殺そうなんて思わないさ」
「でも、2,3日前あなたが泣いているのを聞きました……スネイプが脅しているんだと思った」
今まで余裕ぶっていたクィレルの顔に初めて恐怖がよぎった。
「時には、ご主人様の命令に従うのが難しいこともある……あの方は偉大な魔法使いだし、私は弱い……」
「それじゃ、あの教室で、あなたは『あの人』と一緒にいたんですか?」
ハリーが息を飲む。
クィレルは自分がどのようにしてヴォルデモート卿と出会ったかを静かに語りだした。当時の己の誤った考えを正し、新たな道を示してくれる主に心酔し、忠実な下僕となった彼は吸血鬼を恐れる気弱な一介の教師ではなかった。
クィレルは鏡の裏を調べ、また前に回って、食い入るように鏡に見入る。
「『石』が見える……ご主人様にそれを差し出しているのが見える……でも一体石はどこだ?ご主人様、助けてください!」
「その子を使うんだ……その子を使え……」
クィレルとは異なる声がハリーの耳に届いた。その声はクィレル自身から出ているように聞こえる。クィレルはその声の命令に従い、ハリーの縄を解いた。
「ポッター、ここへ来い。……ここへ来るんだ!」
ハリーはクィレルの言葉に従い、ゆっくりと立ち上がった。足が震えていた。縛られたままのブラックが「行ってはダメだ」と目で訴えかけている。それでも、この場を切り抜けるために、彼を助けるために、もつれそうになる足を一歩ずつ踏み出さなければ。
「鏡を見て、何が見えるかを言え」
ハリーはクィレルの方に歩きながら、必死で頭を働かせていた。今、ハリーはクィレルよりも先に石を見つけたい。だから鏡を見れば賢者の石がどこにあるのかが映るはずだ―――そしたら、何が映ってもバレないように嘘を言うんだ。
鏡の前に立ったハリーのすぐ後ろにクィレルが回るの気配を感じながら、ハリーは思い切って閉じていた目を開けた。
まずハリーが目にしたのはやけに青白い顔をした自分の姿だった。鏡のハリーはにやりと笑うとポケットから赤く光る何か―――賢者の石だ―――を取り出した。そのままウインクをして、ズボンのポケットにそれを戻した。と、同時に何も入っていないはずの実際のハリーのズボンのポケットに質量が加わる。―――ハリーは思いがけずして石を手に入れてしまった。
意表を突かれた動揺を辛うじて抑え込んだハリーに、クィレルが急かすように聞いた。
「どうだ?何が見える?」
「…僕がダンブルドアと握手しているのが見える。僕のおかげでグリフィンドールが寮杯を獲得したんだ」
望み通りの返答が得られなかったクィレルが苛立たし気に鏡の前に立っていたハリーを押しのけた。この瞬間に逃げ出そうか?でも、ブラックをどうやって逃がそう?
じり、と後ずさったハリーの足を留めるようにまたあの不気味な高い声が響いた。
「こいつは嘘をついている……嘘をついているぞ……」
「ポッター! ここに戻って、本当のことを言うんだ! 何が見えた?」
「…わしが話す……直に話す……」
まるで奇妙な腹話術を見ているようだった。クィレルは口を開いてないのに別のところ、正確には彼の後頭部から声が聞こえるなんて―――その理由が今ようやくわかった。
クィレルの頭を大きく覆っていたターバンは全て彼の手によって剥ぎ取られ、露になったクィレルのそれは小さく感じられた。いや、それどころではない。ゆっくりと体を後ろ向きにしたクィレルの後頭部には、もう一つの顔があったのだ。
見る者全てに恐怖を抱かせる形相だ。ハリーがこれまでに見たどんな顔より恐ろしく、醜かった。
「ハリー・ポッター……ポケットにある石を渡すんだ…」
彼はハリーが嘘をついていることに気づいていた。本能的な恐怖からよろめくようにして後ずさるハリーに、顔だけのヴォルデモートがささやく。
「馬鹿な真似はよせ……命を粗末にしないで、俺様につけ……さもないとおまえも両親と同じ目にあうぞ。二人とも命乞いをしながら死んでいった……」
「嘘だ!」
ハリーは叫んだ。両親がどんな人物だったか記憶はないが、自分の両親はそんなことをするわけがないと思った。
「胸を打たれるねぇ……そうだとも。お前の両親は勇敢だった。俺様はまず父親を殺した……勇敢に戦ったがね。しかし、お前の母親は死ぬ必要がなかった……お前を守ろうとして邪魔だったから殺したのだ……さぁ、母親の死を無駄にしたくなかったら石をよこせ」
「やるもんか!」
ハリーはブラックを連れて、逃げようと駆け出した。幸いにも、足を縛られていなかったブラックともに炎の燃え盛る扉に向かう。
「捕まえろ!」
ヴォルデモートが叫んだ次の瞬間、クィレルがブラックの服を掴んでいた。手を縛られているせいで早く走れないのだ。
「ハリー、先に行くんだ!」
クィレルを引きはがそうとしながらブラックがハリーに言った。ハリーは一瞬このままブラックを置いていくか、助けるか逡巡してしまった。
「早く!」
急かす声にハリーは、決断した。
「この……離せ!」
ハリーは後者を選んだ。抵抗するブラックが逃げられないように腕を掴んでいるクィレルの手に飛びつく。その途端、針で刺すような鋭い痛みが額の傷跡を貫いた。頭が割れるような痛みに反射でハリーは悲鳴を上げ、もがいた。同時に、つかみかかられたクィレルも苦し気な声をあげ、ブラックから手を放した。
「捕まえろ!捕まえろ!」
ヒィヒィとわめくクィレルに鞭打つようにヴォルデモートが叫ぶ。クィレルが今度は痛みに倒れこんだハリーの上にのしかかり、両手を首にかけた。ハリーに再び激痛が襲いかかり、目がくらんだ。
「ご主人様、ヤツを押さえていられません……手が……私の手が!」
クィレルは膝でハリーを地面に押さえつけていたが、首を絞めていたはずの両手を離していた。ハリーはその手が真っ赤に焼けただれ、皮がベロリとはがれているのがしかと目にした。ブラックがその隙をついて、ハリーにまたがったクィレルに思いっきり蹴りを入れてなぎ倒す。
ハリーは立ち上がり、再び出口に走り出そうとした。だが、クィレルは諦めず、「殺せ!」というヴォルデモートの命を果たすためにハリーの足首にしがみついてくる。ハリーは咄嗟にクィレルの顔を掴んだ。
「あああアアァ!」
クィレルが耳を覆いたくなるような悲鳴を上げ、ころがるようにハリーから離れた。顔も手同様に焼けただれている。ハリーは直感で、クィレルはハリーの皮膚に直接触れることができないこと、触れればひどい火傷を負うとわかった。―――ならば、方法は一つ、痛みで行動不能にするしかない。
ハリーはクィレルの腕を捕まえ、力の限り強く掴んだ。クィレルは振りほどこうと躍起になり、さらに額の痛みがひどくなった。あまりの痛みに目がくらみ、何も見えない……クィレルの恐ろしい悲鳴とヴォルデモートの何事か叫ぶ声が聞こえるだけだ。
「殺せ!殺せ!」
ハリーの脳内に響くもう一つの声が叫んでいる。
「ハリー!」
ハリーは自分の手の中でクィレルの腕が砂のように零れ落ちていくのを感じた。全てが崩れていく。ハリーの意識は闇の中へと落ちて行った―――
~side out~
目の前でハリーに掴みかかられたクィレルが灰となり、崩れ落ちていくのを見ていた。人が死ぬ姿を、殺す姿を見るのは初めてだ。自分がやったことではないが、傍観していたあたり同罪だと非難されても弁解の余地はないのだろう。
間もなくクィレルの着ていた衣服と灰の山から立体的な靄のようなものが湧いて出てきた。それは年老いた男のような顔を形作り、ハリーのすぐそばで立ち尽くしていたアルタイルの前にやってくる。
宿主を失い、ゴースト以下の存在に成り下がった魂だった。ハリーがクィレルに与えたダメージは寄生していたヴォルデモートにも通っていたのか、その様子はひどく弱弱しい。
ヴォルデモートの魂は杖を構えることができずに突っ立っているアルタイルに目を付けると、襲いかかってきた。
「アルタイル・ブラック……貴様の身体を……寄越せ!」
保険策を実行に移そうとしたのだ。魂と身体のバランスが取れていない個体は滅多にない。しかし、存在しないわけではない。
例えば、自我が発達していない赤ん坊、精神的に不安定な者。そして、魂を分割した者。これがあてはまる場合、彼らの魂は身体との連携がうまく取れない。そこに付け入る隙がある。ヴォルデモートはアルタイルの魂が身体に馴染んでいないのを
だから、ヴォルデモートは別の可能性を考えていなかった。
「……何だこれは!?」
ヴォルデモートの魂はアルタイルの身体のすぐ近くで膜のような何かに阻まれ通過できなかった。
「まさか……魂が身体の器を凌駕しているというのか!?」
全く別の可能性。それは魂が身体に収まりきらないほど大きいという普通ならあり得ない事態。
転生者という規格外な存在だからこそ、そのあり得ない事態を可能にした。健康体であれば魂の大きさは身体の成長とともに大きくなる。しかし、アルタイルは前の世界での魂の大きさそのままでこちらの世界にやってきたから、身体では収まらないほどになってしまった。
アルタイルは身体を覆って余りある魂の形を操り、侵入者が入り込めないようにした。イメージは膜。どこにも隙はない。
完全に身体から溢れ出す魂の一端を
「僕は人の思い通りになるのが嫌なんだ」
アルタイルが言う。
だから、誰の言いなりにもならないし、この世界の筋書きにも乗らない。何者にも支配を許さない。
自己愛の極致。それがアルタイルのもう一つの顔だった。