僕は人間という存在が非常に嫌いだ。何故なら、僕という存在が人間だからである。まあ、こんなことを言ったところで誰も、僕の言葉の真の意味を理解してくれない。いや、これだけ短い言葉では、僕が人間が嫌いだという理由を理解出来ない。それに、僕すら、人間という存在が嫌いな理由を本質的に理解できていない。
だが、僕は生まれた瞬間、いや、生まれて死んで、そして、また生まれたこのサイクルの中で一度も人間という存在を理解できたことはない。歴史上の偉い人は人間は猿から進化した、と説明している。それを僕はちゃんと理解している。でも、誰も、人間という存在の心理と行動理念、そして、僕が確実に恐怖している理由を理解出来ない。そして、恐怖している筈の僕すら、僕と同じ人間という存在を恐怖する理由を理解することが出来ないでいる。
だが、僕は演技、道化を演じるのが非常に得意だった。それは、同じ発音をする特異と表現することが出来るくらいだ。小さい頃から僕は人々の好感を持てるような道化を演じ、自分という存在の本質の部分を隠して生きてきた。そして、死んだ後もその道化は変わらないで存在し続けている。まるで、僕を、僕という存在を縛り付けるようにこの道化という存在は存在し続けている。
僕は東北の田舎町で生を受けた。東北というと訛りが強い印象があるだろうが、僕は成長する過程でその訛りのようなものを何一つ習得せず、いわえる、標準語、標準的な日本人が使用する日本語と呼ばれるような言葉を使っていた。だが、時には不慣れながら、道化を演じる時に大根役者のように訛りを使用したことがある。もしかするとその道化の演技で使用された訛りという存在が本物の訛りだったのかもしれないが、僕は、あの訛りを本当の自分の話した言葉だとは思えない。それが、僕が道化を演じた中の一番の失敗だった。
僕は特に夢などなく、両親と兄妹に言われるように東京の大学に進学して、医者の学位を手に入れようとした。これもまた、道化という存在を受け入れ過ぎてしまった自分の過去、といえる行動である。もし、ほんの少しでも我の自分を表現できる人間ならば、自分の進みたい道に歩みを進めたのだろうが、僕という存在、道化を演じ過ぎ、そして、両親や兄妹にも警戒心のようなものを持ち続けていた僕は、勧められた道を歩む以外になかったのだ。これもまた、道化だ。
僕は物心ついた頃、いや、生まれた瞬間から演じ続けてきた道化を大学でも演じ、人々の人気者、陽気でひょうきんな二枚目を演じ続けていた。僕は、その道化の仮面を地面に投げ捨てることが出来ず、そして、僕に気を許していたであろう人間に殻の中の本性を見せることが出来ないで、いや、見せたくなくて、何の進歩もない日常、人間を毛嫌いしているが、人間という存在から離れられない生活を無気力でありながら、労力を使って長々と続けていた。
僕は人間が嫌いだし、生物も嫌いだった。人間嫌いな人間は、動物に優しいなどという話を聞かないわけではないが、僕は、やはり、人間と同じように動物も嫌いだった。嫌いになった理由も人間が嫌いな理由と同じように、固まったものは存在しないのだが、道を歩いている犬、そして、森に茂っている草木すら、僕は憎悪のような感覚を有していた。だが、それを欺く道化を身につけていた。
僕には、友達と呼べる存在はいた、らしいが、僕はその友達という存在を本当の意味の友達と考えたことは一度もなかった。嫌いとか、好きとか、安らげるとか、そういう感情は一切無く、人間という存在が僕という存在の生存権、執着し続けている生という謎の存在を脅かすと思っているからである。そして、それは今も変わりはしない。多分、僕という存在がこの世界から消えない限り、その考えは変わらないのであろう。それは、誰よりも理解しているつもりだ。
僕は、人助けという言葉が大嫌いだ。これもまた、理由はない。あるとするならば、人間という存在を心の底から毛嫌いしているし、自分の命を張って、他人に情をかけるという行為の意味を理解出来ないでいたからだ。でも、道化を演じるために回数こそ少ないが、僕は人を助けたことがある。いや、その大嫌いな言葉の意味、人を助けるという意味、大嫌いな人助けという行動を理念を不本意に実行して死んだのだ。皮肉な話だ、僕は、僕という存在が毛嫌いしている、この世から自分以外は消えてしまった方がいいと思っている人間を助けて死んだのだ。これは、僕がやった道化の中で一番、やらない方がよかったと思う道化だ。
そして、僕は地獄のような人生という牢獄にもう一度閉じ込められている。そして、道化の仮面を着け、そして、道化に惹かれた存在に愛想という名の道化を振りまいている。そして、人間という存在の本質を知りたくもないのに、見たくもないのに、感じたくもないのに、それを知らされている、見させられている、感じさせられている。これは罰なのだ。僕の、人を道化で欺き続けた道化師である僕への僕が嫌いな存在、人間の信仰する神様と呼ばれている存在からの嫌がらせのような罰なのだ。