二度目の地獄を送っていく中で、僕は一人の少女と運命的な出会いを果たした。だが、僕はその出会いを運命的だとは思わなかった。何故なら、その出会いは僕の嫌いな人間との関係を確固たるものにするだけであって、それ以外の特別な何かを含んでいるが、それは、僕を縛り付ける何かになってしまうのだ。
彼女は僕のことをとても気に入っていた。僕は女性という存在を人間の中でも特に嫌ってしたため、完璧な道化を演じてはいたのだが、やはり、心の中で彼女のことを嫌っていたし、僕の完璧な道化に欺かれる姿も背筋が凍るように恐ろしかった。いや、これは彼女にだけ言えるものではない。昔から、僕は女性という存在に縁が強かった。大嫌いな人間、男の仮初の友人は居たが、それ以上に僕と親しくなろうとする女性は沢山存在した。それは、街を歩いていて突然声を掛けてきたり、酒を嗜んでいたBARの隣の席からだったり、はたまた、最初の故郷の顔くらいしか覚えていなかった存在だったり。僕は、自分が人間を嫌っている理由と同じように女性が何故、自分のような人間に何かしらの気持ちを持っていたのか見当がつかなかった。ただ、男性にも、女性にも、絶対に嫌われない道化を演じていたことは確かだ。そして、誰にも本当の自分を話していないということも、確固たる事実だ。
僕は二度目の幼稚園生活の中で、高町なのは、彼女という存在に出会った。そして、その出会いは前世、そう呼ばれるような存在で起こしてしまった過ちをまた繰り返し、人助けという名の行為、そう、僕が大嫌いな人助け、人を助けるという意味の人助けで彼女と出会ってしまった。これもまた、僕の心の外側、そして、内側まで浸蝕してしまった道化という存在が引き起こした不運なのだ。
僕は彼女を助けた後、僕は人生の中で何よりも使ってきた道化というものを使用し、愛想よく、大丈夫かい? 怪我はないかい? 痛くないかい? そんな、嫌いな存在に、殺されても言いたくないような言葉を彼女に呟いたのだ。すると、彼女は涙目になりながら、飛び込んでほしくない、触られたくもない、感じても欲しくもない、僕の胸に抱き付いて、ただ、ただ、怖かった、怖かった、と何度も繰り返したのである。僕の道化はいつものように、彼女の心を掴むように、頭を撫でさせた。だが、僕の本当の気持ちは、この気色の悪い存在を突き放し、その場から逃げ出してしまいたいと思う、それだけだった。
それ以来、彼女は僕のことを見つけると、とても嬉しそうな笑顔になり、猫なで声にも似た、甘い口調で挨拶をしてくる。それが堪らなく嫌だった。僕は人間が嫌いだ。出来るなら、自分一人の空間の中で、本物の自分、疲れることのない本当の自分を素の状態を保っていたかった。だが、僕以外の存在が居るとするならば、本当の自分をさらけ出すことは絶対に出来ない。いや、出来る可能性は残されているが、その可能性を僕の道化の部分が掻き消し、そして、可能性を極限まで薄くしている。だから、僕は完璧な道化師だと自分を自負している。自意識過剰かもしれないが、僕は、僕は、自分以外にこれ以上の道化を演じている人間を見たことがないからだ。
僕の道化は進化していない。僕の道化は多分、生まれた瞬間から変わらない状態で現在の道化の形を保っている。最初から最後まで完璧な存在を僕は知らない。ただ、僕の道化の部分は微妙な誤差のようなものは存在するだろうが、生まれた瞬間から、死んだ瞬間から、また生まれた瞬間から、今現在を生きている瞬間まで、僕の道化は完璧に人という存在を欺いている。だからこそ、だからこそ僕は、完璧に近い道化師なのだ。虚しい話だ。
彼女は僕のことを大層気に入っている。いや、僕という本来の存在が好きなのではなく、彼女が好いているのは僕の道化の部分だと思う。愛想がよく、話が面白く、容姿が非常に整っている。容姿の部分以外はすべて、僕が有している道化という存在が作り出したものだ。つまり、僕という個人が製造している模造品なのだ。だからこそ、僕の道化の部分に何かしらの感情を持っている彼女のことが嫌いだった。多分、普通の人間よりも、ずっと、ずっと、消えて欲しいと思うくらいに。
だが、僕は彼女のことを殺したいとは一度も思ったことはない。それは、犯罪者になるとか、そういう恐怖心ではなく、僕は、僕という存在も、道化の部分も、生まれて一度も人を殺してしまいたいと思ったことがないからである。人に死んで欲しいと思ったことは何度も、いや、数えられないくらいにある。下手をするとこの世界の人間がすべて消え失せて、そして、自分だけしか人間が存在しない世界を夢見たこともある。そう考えると、僕は人類の敵になる。何だろうか、道化を演じる自分よりも、人類の敵である自分を想像した方が、しっくりとくる。いや、自分らしいと思える。これが俗に言う危険思想だろうが、僕の心の中には、危険思想で満ち溢れている。だからこそ、こんな捻くれた本当の自分になり、こんな真っ直ぐな道化が誕生したのだろう。
僕は彼女を避けるように行動したが、もし、その回避が失敗した時は、また、道化を使用して彼女の好きそうな言葉を選んで会話をした。それはもう、彼女に不快な思いを一度もされることなく、彼女が楽しい、面白い、嬉しい、そんな気持ちしかわかないようにだ。これもまた、苦痛に近いものが存在した。
僕はその日、自分の家に向かう為に道を歩いていた。僕の家は閑静な住宅街の一角にあるわけではなく、それより少し外れた場所に存在した。だが、通学の便はそこまで悪いわけではなく、その以前に、幼稚園に通っていたから、送り迎えのバスに乗車している。だから、適当な表現は目的地に移動する便は悪くないといえる。だからこそ、彼女の異様な行動を容易に理解できた。
何度も繰り返すが、僕は自分の家に向かう為に道を歩いていた。すると、見知った、大嫌いな存在があたかも、偶然にも鉢合わせたように僕の目の前に歩いてきたのだ。そして、あたかも偶然出会ったような道化を演じたのである。だが、僕は彼女より長く、上手く道化を演じ続けてきた。だから、この道化を容易に見破ることが出来たし、僕は、あの日、彼女を助けた後に彼女の家の前まで送り出したのだ。幼稚園児の行動範囲なんて微々たるもの、だからこそ、彼女は僕と出会うためだけにこの場所に歩いてきた。あるいは、僕が必ず通る道を調べようとしていたことを息を吸うように、当たり前に理解できたのである。
心の中で気持ちが悪いという感覚が巡ったが、そんなものは僕の道化の前では無いに等しいものに変化する。だから、僕は彼女が好きそうな言葉を選んで、そして、嫌われないように、好かれるように、そして、嫌がる素振りなど見せないで完璧な道化を演じたのである。すると、彼女はいつものように、または、当たり前のように笑みを浮かべて、猫なで声のような声を出して笑うのである。気色が悪かった。いや、苦しかった。僕は、彼女の行動の意味、笑顔の意味、声色の意味を理解出来ない。だから、苦しかった、喉に何か詰まったような苦しさが巡っていた。だが、そんな苦しみは僕の染みついた、消えることのない道化の前では無意味でしかなかった。
「お父さんの病気が治ったんだよ!」
よく考えると彼女の父親はいつ死んでも可笑しくない状態だと聞かされた。完璧な道化の前では、大抵の人間は心を開く。そして、僕の道化の前では、包み隠さず、そして、自分の辛い何かを必ずと言ってもいい程に打ち明ける。だが、僕は自分の辛さや、苦しさ、そして、自分という存在の道化を打ち明けることはない。それは、生まれて、死んで、また生まれたサイクルの中で一度もない。両親にも、兄妹にも、学友にも、酒の席でもそれを愚痴のような形で吐き出したことはない。だから、彼女のすっきりとした、澄んだ、喜びの微笑みのようなものを長さで例えるならば、一ミリも理解出来ない。これも、彼女のことを嫌っている理由の一つだ。
その言葉に僕は道化を演じた。よかったね、だとか、いっぱい甘えないといけないね、だとか、幼稚園児の表現できるような簡単で、心の籠ったような、そんな、甘くて、優しくて、心が満たされるような、そんな道化を演じた。多分、僕はそういう感情を感じたことがないから、誰よりも上手く、高密な演技という名の道化を演じられたのだろう。そして、道化は彼女の心に深く染み込んでいく。
僕は心底嬉しそうな笑みを見せて、彼女の頭を撫でた。本当は絶対に触りたくない、突き放してしまいたい頭を、女性特有の甘い、クラクラする嫌な香りを漂わせた髪に触れながら、僕は、いや、道化が撫でさせた。すると気持ち良さそうに彼女は目を閉じて、また、猫なで声を発するのである。吐き気がした。でも、その吐気を道化が揉み消し、そして、彼女を欺くのである。