第九話 ハーミット
雨が燦々と降り続く。
御虚彩人は降水確率を低く見積もっていたアナウンサーに怒りを覚えながら学校からの帰路についている。正確には降水確率を計算したのはそのアナウンサーではないが、ちょっと心の中で思うくらいは許してほしい。
彩人は鞄の中にあった折り畳み式の傘を開いて、自宅へとトボトボ歩きながら帰ってる最中だ。
「ん? あの娘……」
通学路の脇道にある神社。その境内に一人の女の子がいた。
緑色の外套に長靴、左手にウサギのパペットを着けている。
青い髪に人形のような可愛らしい顔。年齢は士道の妹の琴里と同じくらいだろうか。この大雨の中傘も指さず水溜まりをぴょんぴょん跳ねている。
「おーい、こんな雨の中遊んでたら危ない――」
彩人が見かねて声をかけると、その女の子はビクッと肩を震わせて体勢を崩した。
「まずい……!」
彩人は傘を捨てて疾走する。地面に前のめりに倒れそうになる少女の前に急いで移動して、その両肩を掴んで支える。
「……!」
「ごめん、大丈夫か?」
彩人が支えたので倒れずに済んだものの、少女は目を逸らして彩人から距離をとる。
「こ……こないで……くだ……さい」
「? えっと……一体どうし――」
彩人が理由もわからず尋ねようとすると、その二人のどちらでもない声が割って入る。
『ノンノン、おにーさん。そんなに激しく迫ったらよしのん困っちゃうってばー』
「え……?」
彼女が左手に装着しているウサギのパペットの口が動き、手がその台詞に合わせて動く。
当然このパペットが人間と同じ声帯や頭脳を持つ生物なわけがないので、彼女が腹話術で話しているのだろう。
『それにー、わざわざ声までかけて助けてくれるなんてもしかしてナンパ? きゃー、おにーさんの色男!』
「……誤解だ。確かに驚かせて悪かったけど、こんな雨の日だと地面もぬかるんで危ないから。早く家に帰って着替えた方がいい」
多少見方を変えればナンパにも見えなくもないかもしれないが、彩人に幼女趣味などない。
『アドバイスどうもー! それじゃあねー、おにーさん。また今度』
「ああ、気をつけて帰れよ」
少女はペコリと頭を下げて雨の中走り去っていった。
「何だ……今の感じ……それに、今の娘って……」
あの少女を見たときに感じた
十香と初めて対峙したときにも同じようなことになった気がする。
そう思うと、あの少女も十香と負けず劣らずの美少女だったな、という考えに至った。
その人間離れした美貌に見惚れていた……? いや、むしろ目で捉えてしまったというような……
「いかんいかん、あんな小さな娘に見惚れるなんてどうかしてるぞ……」
彩人はさっき放り投げた傘を拾って、再び帰路に着いた。
◼◼◼◼◼
「士道、どうした? 随分顔色が悪いけど」
「聞いてくれ……」
翌日、学校に着くなりぐったりしている士道を見つけた彩人は興味半分、心配半分で事情を聞いてみた。
「昨日、訓練があって……」
「うん」
「十香と風呂に入らされたり、トイレしてる所に行かされたり、一緒のベッドで寝かされたり……そんな感じのことが……」
「……ああ」
何となく想像できた。彼の妹、琴里による女性に慣れるための訓練なのだ。
士道は先日、プリンセスこと
士道が行った封印とは、『自身と精霊の間に霊力の経路を繋ぐ』というものらしい。つまり、十香の精神状態が不安定になると、その経路を伝って霊力が逆流する恐れがある。そうならないためにも、士道は女性の扱いや機嫌の取り方を学ぶことが義務づけられている。
が、結果は惨敗のようだ。
「士道、俺だからいいけど、他のクラスメイトの前でこんな話しない方がいいぞ」
「……! そうか、そうだよな……」
士道の顔が一瞬青ざめて、すぐに元に戻る。
十香は封印後、間もなくこの来禅高校の士道たちのクラスに入学してきた。まだ入学して日は浅いが、彼女の容姿は男女問わず羨望の眼差しを向けられた。特に男子の『彼女にしたい女子ランキング』で見事に上位にランクインしてしまった。
「下手に殿町とかに言ったら呪い殺されるかもしれないからな」
彩人は少し離れた席に座る士道の友人、
「ま、他にも精霊は何人もいるって琴里が言ってたからな。そうなる度に口説いて、惚れさせて、キスするんだろ? だったらこれくらいは乗り越えないとその内死ぬぞ」
「……何か言葉通り聞いてるととんでもなく如何わしいことをしてるみたいだな、それ」
「仕方ないだろ。そうしないと空間震はなくならないし、精霊だって安心して暮らせない。
俺もできるだけ援護はするから、士道はそっちに専念してくれよ」
二人で雑談程度に話していると、ホームールーム開始のチャイムが鳴る。
お互いに話を中断させて、自分の席に座った。
◼◼◼◼◼
四時間目。目の前の教卓で行われている古文の授業を彩人は半分くらい聞き流していた。
元々国語や社会が死ぬほど苦手な彩人からすれば大して珍しくもないのだが、聞き流してしまう理由はさっきの士道との会話における懸念について考えていたからだ。
(精霊の封印……今回は色んな偶然や士道の頑張りで成功したが、次もこういくとは限らない……)
彩人は自分の斜め右前に座る、長い夜色の髪の少女。十香はきっちりと来禅高校の女子の制服に身を包み、一緒に授業を受けている。確かに彼女の美貌は並大抵のものではないが、クラスメイトという点では完全に溶け込んでいる。
士道と彩人はつい数日前、精霊である彼女を救えたのだが、それは彼女がある程度の良識と人間らしさを持っていたというのが大きい。
精霊と言っても千差万別。十香のように仕方なく反撃していたような者ではなく、真正面から人間と敵対する輩がいる可能性の方が高いのだ。
(もしそうなったら……)
琴里との協力の内容は精霊やASTから士道への攻撃を防ぐこと。十香との件で士道はそう簡単には死なないように措置が施されているのだが、基本的な能力は常人程度だ。
もしそんな精霊が現れたら、必ず止めに入る。飛天御剣流の継承者としても、士道の友人としても。それが彩人のやるべきことだ。
「雨……降りすぎだろ」
左腕で頬杖をつきながら、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。昨日といい今日といい、絶え間なく雨が降り続けている。
洗濯物を部屋干しにしないといけないので非常に困る。などと地味に現実的なことを心配していると、前で授業をしている中年の男性教師と目が合った。
そこで、さっきから全く授業を聞いていないことに気づく。
「どうした、御虚。ボーッとして。聞いてるのか?」
「え? ああ、はい」
「そうか、ちゃんと聞いておけよ」
その教師は特に気にする様子もなく、授業に戻った。
そうだ、今は彩人もこのクラスの生徒だ。いつ訪れるかもわからない危機について考えるより、授業に専念する方が先だ。
彩人が少しだけ笑い、筆記具を手に取ったときだった。
ウゥゥゥゥゥ――
「「「!?」」」
空間震警報。その聞きなれた音に教室にいた全員が目を見開く。
尤も、士道、彩人、折紙の三人は別のことが頭をよぎった。精霊が現れた、と。
さっきまで教鞭を振るっていた教師も慌てた様子で避難を促す。彩人は士道の肩に手を置いて、避難方向とは別の通路を指差した。
「士道」
「わかってる……」
士道と彩人は避難するクラスメイトの中からこっそりと抜け出した。
できれば今度は派手な戦闘になりませんように、と祈りながら。
◼◼◼◼◼
「来たわね、ちょうど空間震が起こったところよ」
士道と彩人は空中艦フラクシナスに移動していた。中では琴里がいつものごとくチュッパチャップスを口に咥え、椅子に足を組んで座っていた。
「今回の精霊は〈ハーミット〉。彼女も何度か現界してる個体ね」
「ASTは?」
「ASTはまだよ。精霊は……今モニターに出すわ」
クルーの一人がコンソールを操作すると、部屋の巨大なモニターの映像が切り替わる。
半球状に抉り取られた発生地の真ん中に小柄な少女が一人、立っている。
「なっ……!」
彩人はその少女に見覚えがあった。昨日の帰りに神社で会った少女だ。あのときと同じウサギのパペットを左手に付けている。
「? アヤ、どうしたんだい?」
モニターを見て固まる彩人に令音が尋ねてくる。
「令音さん、俺、あの精霊と会ったことあります」
「何ですって!?」
「本当か、彩人!」
彩人の言葉に琴里と士道が驚きの声を上げる。
「ああ、昨日の帰りに……でも空間震は起きてなかったはずなんだが」
「多分、十香と同じように静粛現界してきたんでしょうね……」
琴里が冷静に推測していると、画面の端から無数の光線が少女へと降り注いだ。
「っ!? ASTか……」
話しているうちにASTの部隊が到着したようだ。十香のときと同じく、全く容赦のない銃撃。彩人は歯軋りしながら映像を見ていた。
「あいつら……あんな小さい子に……!」
士道が思わず映像を見ながら口走っていた。彩人も心境は同じだったが、言っても無駄だと口をつぐむ。
「ASTにとって、外見は関係ないわ。相手が精霊である以上、全力で殲滅にかかる」
「でも、だからって……!」
反論する士道に、琴里はビッと人差し指を立てて士道と彩人を指差す。
「そのために、あなたたちがいるんでしょ」
士道は核心を突かれたように表情を固め、「ああ」と決意を示す。
「それでこそ、私のおにーちゃんよ」
琴里も嬉しそうに唇を吊り上げて笑う。
彩人は「さて」とわざとらしく大きめの声で言って部屋の出入口へ向かう。
「俺が先に行ってASTの注意を引き付ける。士道はその後、あの子と接触してくれ」
彩人は振り向かずにドアをくぐろうとするが、琴里に後ろから声をかけられた。
「彩人、油断して死なないようにしなさい。
「……委細承知」
平静を保ったまま、彩人は転送用の部屋に続く通路目指して部屋を後にした。
去り際、琴里の声が微かに耳に入る。自身ありげな彼女の可愛らしい声が。
「さあ、私たちの
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