私、御影硝子は他の三人、大泊爽、早走彰、南囃子菜香に比べれば、ごく一般的な思考であり、嗜好をしているのだろうと思う。
人食に肯定的ではなく、死体に欲情することもなく、人形のようになってしまった異性を好きになったり、自分自身をそこまで愛することはできない。
私が抱えるごく一般的な思考であり、異常な嗜好というのは、誰しもが持っているものだ。誰しもが持っている欲求であり、欲だ。
「……ただいま帰りました」
玄関の扉を開けても、返事は聞こえない。菜香はこれを寂しいと言っていたが、私はそうは思わない。返事がないということは、そこに誰一人として人がいないか、或いは返事ができる能力を持つ人間がいないという証明になる。それはつまり、平和の証であり、私だけの世界が平和であり続けているということの証明だった。
玄関から続く廊下を進み、部屋の扉を開ける。
「ちゃんと、お留守番できていましたか?」
部屋の中の奥。そこにおいてある、人間工学とやらで設計された椅子に座る彼に、私はそう問いかける。
「……ぁー」
無表情。しかし、私の帰りを喜んでくれる彼。力なく、すがりつくように、私に体を預けようとする彼を押し返して、きちんと座らせる。
「大丈夫ですよ。私は貴方を見捨てません。私がいなければ何もできない貴方を、私は捨てませんよ」
そう囁くと、それでも動こうとしていた彼の動きが止まり、落ち着く。
「それではご飯を食べましょう。ごめんなさいね、最近はお友達からお願いが多くて、ちゃんとしたご飯を用意できませんでした。今日は大丈夫ですから、精一杯豪華なご飯を作りますね」
静かに待っていてください。
実のところ私はあまり料理が上手ではない。何せ、こうして
そこまで言ってしまえば私が、ごくごく普通の一般家庭で生まれたのではないということが分かるのだろう。私は、あからさまにお金持ちの家で生まれた。生まれた時点で私は、一生遊んで暮らせるだけの富と名声を約束されていた。だからこそ私は全てに余裕を持つことができる。根本的に多くの問題や争いは、時間とお金が解決してくれる。感情や理屈なんてものは、それらのない人々が代替品として作り出した、問題解決に役立つというまやかしだ。結局のところ誰しも時間が欲しくて、お金が欲しい。
そういう所有欲にまみれている。それはお金が有り余る私にだって当てはまる。お金は欲しい。使いたくない。更にお金を増やしたい。この世のお金を全て独占したい。そんな欲求がふつふつとこみ上げてくる。
早走彰は、そういうものを持ち合わせていない人間達の間に生まれたらしく、故に精神的余裕がほとんどない。だから彼は私に告白したのだろう。勿論、本当に恋愛感情なるものがあるのかもしれないが、どちらにせよ私には彼の願いを叶えることはできない。
「ご飯、できましたよ」
そう言ってテーブルの上に、作った料理を並べていく。人肉すらも美味しく調理してしまう大泊爽に――過去に一度だけ騙されて食べさせらたことがあるが、正直とてつもなく美味しかった――料理指導をしてもらった甲斐もあり、満足のできる味だった。これならば彼も喜んでくれるだろう。
彼の椅子をテーブルの近くにへと寄せて、改めて姿勢を整える。彼は何もしない。彼は何もできない。
「ご飯の時間ですよ。さぁ、口を開けてください」
彼は言われるがまま、雛鳥が親鳥から餌を貰うように見上げて口を開ける。スプーンでご飯を口の中へと運ぶと、彼はゆっくりと咀嚼し、ごっくん、と静かに飲み込んだ。あとはそれの繰り返しだ。運び、咀嚼し、飲み込む。数十回、数百回、数千回もの、ゆっくりとしたループを間近で見続ける。この特権もまた、お金のように私は独占したい。独占したくて、独占している。
「……っ」
声を漏らしてしまう。湧き上がる感情を無理矢理に抑え込む。どうしようもないこの感情を私は異常だと認識している。異常だと認識し、尚且つそれが人間的には正常であるとも認識している。
「満足、しましたか?」
「……ぅ、ん」
こくんと頷く彼の姿を見て、私は満足する。さて、次だ。
「お腹が一杯になりましたね。少し運動をしないといけませんね、散歩でもしましょうか。散歩をしましょう」
さて、散歩をしている間に、彼のことを説明しなければならない。
彼は今、精神がまともな状態ではない。そして、二度と戻ることはない。しかし彼の精神は修復不可能な程に崩壊しているという訳でもない。むしろ、ふとしたキッカケで回復するようなものだ。
彼は自らを責め、責め続け、攻め続けたが故の精神崩壊だった。つまり、自分を否定するという攻撃によって、自壊したのだった。だから、自己肯定が一定量を満たされてしまえば、彼は精神崩壊から回復する。それでも彼は一年間、一度足りとも回復の兆しを見せたことはない。むしろ、それどころか、こうして今の尚彼は自分を責め、攻め続ける。彼は治すどころか精神が崩壊した上でも、自分を壊しに、殺しにかかっていた。
一通りの
「……ふふっ、お疲れ様でした。さて、それでもう眠りましょうか。大丈夫です、私が貴方の側にいます。私が、貴方の全てを見ています。私が側にいますから、何も考えなくていいんです。何もしなくていいんです。ただただ、私に
耳元で私は囁く。
「もう、二度と貴方は失敗しないで済みます。もう、あんな失敗はしません。大丈夫、全て私に任せてください」
さて、ここからが、
囁く。そして問いかける。問う。分かりきった答えを、わざわざ、あえて、問う。
「私の言うことを聞きましょう。何もできず、失敗ばかりだった貴方を、救ったのは誰でしたか?」
「……ぁ、……ゃ」
震える右手で彼は私を指差す。いや、彼に指を動かすなどという難しいことはできないのだから、私の方へ腕を向けたというのが正しい表現なのだろう。
更に囁き、問う。
「そうです、私です。落ちこぼれで、誰にも見向きされなかった貴方を見出したのは、私です。私が見出したことで、貴方はどうなりましたか?」
問うが答えさせない。そんなことを、例え思考できない状態であるとしても、私は彼に思考をさせない。そんな身勝手を私は許さない。
「貴方は多くのことで成功をおさめるようになりましたね。本来ならば社会に出ることすら難しかった貴方が、逆に起業するようになりましたね」
続ける。
「さて、起業した貴方は私になんと言ったのでしょう。――あとは僕が頑張るから、だからもう大丈夫だよ。貴方はそう言ったのです」
もはや問うことすらせず、ただただ事実を告げる。
「貴方は私から離れようとしました。すると、どういうことでしょう、それまで成功していたことが全て上手く行かなくなりましたね。どうしてでしょう。簡単ですよね。――貴方には何の能力もなかったのです。私がいたから貴方は成功できた。だから私から離れてしまえば、貴方は何もできない愚か者に成り下がる。貴方は私がいなければ何もできないのです」
そして一言。確認のための問いだった。
「貴方は私の側にいなければ、ならないのです。それはもう、疑いようのない事実ですよね?」
その問いに、彼は涙を流しながら、こくんと頷く。
「ふふっ……、いい子ですね、貴方は。ちゃんと、自分の愚かさが分かっている。弱さが分かっている。安心してください。貴方の愚かさも弱さも、私に従えばそんなものは関係なくなります。何も考えず、何もせず、思考も意識も、全て、全て私に捧げましょう。たったそれだけのことで、貴方は幸せになれる。幸せになりたいですよね。大丈夫ですよ、これまで不幸だった貴方には、幸せになる権利があります。……私に従いなさい。たったそれだけで、貴方はその権利を、受け取ることができます」
こくんと、更に頷く。
更に耳元に口を近づけ、囁く。私は囁き続ける。たったそれだけでいい。
「貴方は、私のモノ。私は、貴方の
私は、囁く。それだけでいいのだ。殺して食うことも、単に殺してしまうことも、人形のようにしてしまう必要もない。私は、状況を整えて、ただただ囁き続けるだけ。たったそれだけで、私の欲求は十分に満たされる。
囁くだけで、彼はこうして、涙を流しながら私に服従してくれる。
サドマゾヒズム:サディズムとマゾヒズムが成り立っている状態のこと。
※今回は、サディズムを支配願望、マゾヒズムを被支配願望とみなしています。
彼女は、支配すると同時に、「支配すること」に支配されており、それを望んでいます。