永遠亭の三番弟子   作:車輛運搬具減価償却累計額

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 漢字だらけなのは筆者の趣味です。

 摩頂放踵(まちょうほうしょう)……自分の身を犠牲にして、他人の為に尽くす事。


本篇
一 摩頂放踵


 檐下(えんか)に雀の囀りを聞く朝。朝食を(したた)め終え、(さて)、今日は何をしようかと頭を回す。椽側(えんがわ)から見えるのは竹、竹、竹。晴れ渡った空とは対照的に、その奥は(うすぐら)い。見慣れた景色ではあるが、()えて文章にすると聊か不気味な感じがする。実際、胴欲な妖怪が徘徊している危険地帯である。そんな場所の只中にあるにも拘わらず永遠亭が平穏無事を保っているのは、住人が皆意味分からないくらい強いからだ。元から師匠さんや鈴仙さんが()の手此の手を使って追っ払っていたので近付く妖怪は少なかったが、永夜異変でドンパチやってからは低級妖怪すら近付かなくなった。博麗の巫女や妖怪の賢者と言った錚錚たる顔触れが押し入ったのに、異変後に何事も無かったかの如く平然と元の生活をしていれば聳懼(しょうく)するのは当たり前だ。私もここに住んでいなければ跣足(はだし)で逃げ出す。師匠さんは怖い。

 そんな適当な事を椽側に座って考え乍ら時間を潰す。竹から伸びた影は僅かに角度を変えている。ふと、空を見ると雲が一つ。うん、平和だ――と思った矢先、廊下の奥から声がする。

 

「ちょっ、師匠、何ですか急に」

鳥渡(ちょっと)実験に付き合って頂戴。大丈夫、すぐ終わるから」

「私先週実験やった(ばか)りですよ!? 何でまた私なんですか!? 実験なら別に『識』でも……」

 

 ……平和だ。……平和か? いや、初中後(しょっちゅう)聞くような内容だから平和だ。屹度。

 

「今回はそんなに危険な実験じゃないから、慌てなくても大丈夫よ、ウドンゲ?」

「そういう科白で宥めようとしている時点で色々怖いんですけど!? あっ、ちょっ、待っ」

 

 ……それ限、声は聞こえなくなった。(たし)か先週の実験の副作用は、「川で犬○家の一族ごっこをする」だったか。全く以て訳が分からない。どういう薬を飲めばそんな副作用が出るのか。師匠さんは怖い。

 

「……珍しく二週連続で(たが)が外れたね」

「危うく側杖を食いそうになったけど」

「二週連続で箍が外れたって事は、暫くは安心かな?」

「そうだと思いたい……」

 

 そうだと思いたいが、師匠の実験は気紛れで始まる。付き合わされる側としては堪ったものではないが、本当に何時始まるか分からないから、綢繆未雨(ちゅうびゅうみう)のしようが無い。あな、恐ろしや。

 

(さて)、鈴仙が犠牲になった事だし、洗濯でもしますか」

「その気分の切り替え方ってどうなの」

「何時もの事じゃん。気にしたら負けだよ」

 

 そう言って、因幡さんは脱衣所へと歩いて行った。

 

 

――

 

 

 先程一瞬出てきたが、『識』というのは私の名前だ。兎にしては物を『()っている』という所から、或るヒトに付けられた名前だ。姓は無い。元々は雪の降る山間(やまあい)で普通の野兎をしていたが、紆余曲折を経て竹林で(おとしあな)に落ちて、何故か姫さんに「うちに住みなさい」(など)と言われ、今に至るという訳である。何処で選択を誤った。……まあ、そんなこんなで永遠亭に腰を落ち着け、師匠さんの三番弟子みたいなのを遣っているという訳である。

 

 因みに『箍が外れる』とは、師匠さんの実験を指している。というのも、月からの追っ手から逃れる為の永夜異変が終結し、妖怪の賢者から「別にこそこそ隠れずとも結界があるから追っ手はここに辿りつけない」というような事を言われてから、師匠さんの態度が豹変した。『別に隠れなくていい→つまりおおっぴらに実験出来る!』という様な思考に至ったのか、それ以降意味の分からん実験に付き合わされるようになり、兄弟子共々辟易しているのだ。

 

 普段は普通の優しい美人女医である。服装こそ奇抜だが。だが実験の事となると性格ががらりと変わる。目を爛爛と輝かせ、鼻息を荒くし乍ら「さ、識、実験遣るわよ」なんて迫られれば逃げ出したくなるのは道理というものであろう。

幾ら縹緻(きりょう)良しと(いえど)も、あれはしてはいけない顔の部類に入る。最初見た時は気でも()れたかと思った程だ。()てて加えて、この状態の師匠さんは普段のゆったりとした動作からは想像出来ない敏捷性を見せるので、逃げ切るのは先ず無理である。全速力で走って逃げたのに、気が付いたら前に回り込まれていたのだ。な、何を言っているか分からないと思うが以下略。

 

 そんな状況でも文句を言えないのは、偏にこの永遠亭が師匠さんの作る薬で成り立っているからだ。それを理解した上で彼の言動をしているのであれば相当質が悪い。併し文句は噯気(おくび)にも出さない。いや、出せない。出したら漏れなく実験室行きである。誰でも命は惜しい。

 

 嗚呼、鈴仙。君の事は忘れない……。まあ、死ぬ事は無いだろうが。

 

 

――

 

 

 太陽は南中近くになり、昼の献立も決め、さあ作るかという頃、漸く鈴仙さんが解放された。焦点の定まらない視線と覚束ない足取りは、宛ら幽鬼である。鈴仙さんはその儘、こちらに一瞥もくれず廊下の奥へと消えた。()の状態の時に話しかけると、思わぬ反撃を食らうので接近は厳禁である。自己防衛機能は一丁前に機能しているのだ。以前、()の状態の私に話し掛けた鈴仙さんが、私に返り討ちにされて満身創痍になったという話を正気に戻った時に聞いたが、記憶が全く脱落しているので説明のしようがない。普段からは想像もつかない連撃を食らったとは彼女の談。取り敢えず、平身低頭し誠心誠意謝罪した。

 こんな暴力的な状態だが、何故か人里の人間は襲わないという親切設計。その思い遣りを少しでもいいから此方に分けてください。切実に。

 因みに私も返り討ちを食らった事があるので、御互い放置が暗黙の諒解である。遺恨は残さないに越した事はない。

 

「危険じゃない実験にしては随分時間が掛かりましたね……」

「ウドンゲが一杯頑張ってくれた御蔭で色々捗ったわ」

「へえ」

 

 『色々』の内容は詮索してはいけない。知らぬが仏、触らぬ神に祟りなし。

 

「所でお昼は?」

「これからです」

「今回は色々張り切っちゃったから、少し多めに作って頂戴」

「諒解です……」

 

 果たして、この何とも言えぬ気分は如何様(いかよう)に処理するべきか。

 

 

――

 

 

 夜になっても鈴仙さんは帰ってこなかった。実験後、踪跡(そうせき)不明になるのは何時もの事である。襲われないかという心配はあるにはあるが、縦令(たとえ)襲われたとしても鎧袖一触に終わるだろうから問題無いだろう。以前、人里近辺に出没していた妖怪が、鈴仙さんに一方的に嬲られていたなんて事もあったし。当然、当人にその記憶は無いので、礼を言われた際には「えっ? えっ?」と戸惑っていた。不知不識(しらずしらず)の内に株を上げるとは中々の遣り手である。

 

 昼食後、師匠さんは普段通り製薬に勤しんでいた。実験は突発的だが、一日に二度は行われない。と言うのも、家事は鈴仙さん、因幡さん、私の当番制であり、そのうち料理係は鈴仙さんと私の(いず)れかである。つまり、一日に二度実験をすると飯係が揃って幽鬼化するのだ。当然、過去に何度か因幡さんに料理をさせようとした事はある。併しその度に、身長が足りないだの、腰が痛いだの適当な事を言って逃げるので、既に諦めている。何故(かたくな)に料理だけ拒むのか。料理に苦い思い出でもあるのか、将又(はたまた)別の理由か。まあ、因幡さんの事だから、どうせ大した理由は無いのだろう。考えても詮無い事である。

 

 

――

 

 

 あれから二日経ち、空が黄昏れてきた頃、鈴仙さんが戻ってきた。実験は長かったが、徘徊期間は短めで済んだようである。今回も彼方此方(あちこち)行ったようで、体中が薄汚れている。

 

「お帰り。今回は割と短めだったね」

「あれから何日経ったの?」

「二日強。所で額が赤いけど、すっ転んで顔面から突っ込んだ?」

「気が付いたら只管木に頭突きをかましていたわ。一体何の儀式よ。しかも傍で哨戒天狗が憐憫の目でこっち見てるし。一応弁明したら分かってくれたみたいだけど、()の気遣いは心に響いたわ。悪い意味で。羞恥プレイにも程があるわよ」

 

 身体的被害は少ないが、代わりに精神的被害が大きかったようである。果たして、只管木に頭突きをし続けるウサミミ美少女を見た哨戒天狗の心情は如何なるものか。

 

「……まあ、先週と違って下着丸出しにはならなかったんだし……」

「五十歩百歩よ。毎度毎度精神をゴリゴリ削られる様な感じがするんだから。私が玉兎じゃなくて普通の妖怪兎だったら()っくに(やつ)れ果ててるわよ」

「さいですか……」

「お風呂入ってくるわ。早く洗い流したい。色々と」

「……ご(ゆっくり)

 

 そう言ってさっさと行ってしまった。心做(こころな)しか、普段よりも耳が縒れているような気がした。一度苦労人属性がつくと、そこから抜け出すのは至難である。その背中は既に中間管理職の如く愁いに満ちていた。何と言うか……強く生きろ。

 

せめてもの救いに、夕飯の献立は彼女の好物を作ってやろう。

 

 

 そして夕飯の後、明日は我が身なのかと椽側で呆け乍ら空を仰いでいたら、鈴仙さんが晩酌に誘ってきた。若干目が据わっている様に見えるのは気の所為か。

 

「鳥渡付き合ってもらっていい?」

「下戸でよければ」

「別に無理して飲まなくていいわ。話し相手が欲しかっただけだから」

 

そう言って隣に腰掛ける鈴仙さん。

 

「随分とお疲れの様で」

「そりゃそうよ。別に師匠の箍が外れるのは今に始まった事じゃないし、二連続で巻き込まれるのも偶にあったけど、今回程副作用は酷くなかったわ」

「まあ、副作用と言うよりは、単に運が無かっただけとも……」

()の悲劇を運が無いの一言で片付けたくないわ。全部副作用に(かず)けないとやってられないの。どうせ恥を搔くんだったら先週みたいに一人でひっそり搔いた方がマシよ」

 

 尤もである。恥は搔かないに越した事はないが、衆人環視の中よりは夜深人静(やしんじんせい)の中の方が後々楽である。私も似たような目に遭ってはいるが、何かと割りを食っているイメージの強い鈴仙さんは別けて不便(ふびん)に見える。

 

「出来る事なら昔の師匠に戻ってほしいわ。永夜異変の時は凜然としていたのに、()の師匠は何処に行っちゃったのよ」

「人間、どういう切っ掛けで性格が変わるか分からないからねぇ。正確には蓬莱人だけど」

「変わるにしても、もう少しましな変わり方もあったでしょ。誰も明後日の方向にぶっ飛んでほしいなんて思っちゃいないわ」

「そりゃそうね」

「仏教徒にでもなれば、こういう目に遭っても因果とか縁の一言で片付けられるようになるのかしら」

「……改宗するんだったら慎重にね」

 

 酔いが回ってきたのか、剃髪染衣(ていはつぜんえ)を検討しだした。這般(しゃはん)の事が相当堪えたようである。

 そんなこんなで、適当に脱線しつつ愚痴を聞いていると、思わぬ人が入ってきた。

 

「あら、鈴仙が晩酌なんて珍しいわね」

「あれ、姫さん、こんな夜更けに何か御用で?」

「話し声が聞こえたから気になったのよ。鈴仙にしては珍しく荒れているみたいだけど、どうかしたの?」

「あんまり詮索しないであげてください。下手すると髪を剃りだすかも分からないので」

「仏教徒の件は冗談よ」

「あ、そうですか……」

 

 どうやら酔いの回りはまだ浅いようである。

 

「まあ肯えては訊かないけど、鈴仙の愚痴を識が聞いているという事ね」

「そうです」

「そうね……遣っている事も丁度区切りのついた事だし、私も交ざっていいかしら?」

「私は構いませんが……鈴仙さんは?」

「大丈夫です」

 

 姫さん、まさかの途中参加。皓月千里(こうげつせんり)の夜に咲く話の花は、まだ閉じない。

 




檐下(えんか)……のきした。
胴欲(どうよく)……非常に欲深い事。惨い事。非道な事。
聳懼(しょうく)……恐れ戦く事。びくびくする事。
(たし)か……恐らく。たぶん。間違いなく。
側杖(そばづえ)……そばにいたために、直接関係ないのに災いや迷惑を受ける事。巻き添え。とばっちり。
綢繆未雨(ちゅうびゅうみう)……前以て準備して災いを防ぐ事。
縹緻(きりょう)……顔立ち。みめ。容姿。
()てて加えて……その上に。更に。悪い事が重なる場合に言う。
踪跡(そうせき)……人などが通った足跡。あとかた。転じて、ゆくえ。
(いず)れ……二つ以上ある物・場所などから一つを選ぶ時に使う語。
夜深人静(やしんじんせい)……非常に静かな事。深夜に辺りがひっそりする事。
不便(ふびん)……気の毒な事。可哀相な事。「不憫・不愍」は後の当て字。
剃髪染衣(ていはつぜんえ)……髪を剃り墨染の法衣を着る事。仏門に入って僧・尼となる事。
皓月千里(こうげつせんり)……明るく輝く月が、遠くまで照り渡る様。
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