夜話やら
「大方、実験の時の永琳の愚痴でもしていたのかしら?」
「まあ、それ以外に愚痴る所もありませんし」
偶に人使いならぬ兎使いが荒くなる事もあるが、箍が外れた時の酷さが他の不満を全て吹き飛ばしてしまうのである。
「普通の態度で普通に頼んでくれれば、協力するのも吝かではないんですが……」
「あら、実験が嫌なんじゃないの? 毎回結構抵抗しているみたいだけど」
「突如研究室に連れ込まれる感じが何とも……。尤も、今回の酷い副作用の所為で実験自体に嫌気が差した感じはありますが……。兎に角先ずは
「顔とテンションに関しては分かるわ。千年単位で永琳と一緒にいるけど、
「分かって頂けますか……」
実験に巻き込まれるのは殆ど私か鈴仙さんだが、稀に姫さんも巻き込まれる。標的を定める基準は未だに不明である。併し、一度的を絞られたが最後、逃げ遂せる事は出来ない。出来ないのだが、何故か因幡さんは一度たりとも巻き込まれた事が無い。
「でも、永琳の実験癖は昔からあったみたいよ。私が
「そうなんですか?」
「ええ。視線が合うと実験室に連れ込まれるとか、気付いたらベッドで拘束されてたとか、被害例は枚挙に
「……今と大概変わらないですね」
「自重してくれと言っても聞く耳持たずで、言うと寧ろ被害者が増えるっていう話もあったわね」
「大概所か全く一緒じゃないですか」
どうやら師匠さんの暴走癖は
「そんなに酷かったのに、何で又急に治まったんでしょうか」
「さあ?」
「さあって……」
「いや、当時は皆訝って訊いたみたいだけど、結局真意は分からず仕舞いだったの。で、それからはずっと平和だったみたいね。尤も、私が地上に堕ちた後は知らないけど」
凡人の
「それが、何で今になって復出てきたんでしょうかね……」
「まあ、私の我儘に付き合って地上を逃げ回っていた時も静かだったから。加えて、四六時中追っ手の目を気にしなきゃいけないから、相当抑圧されていたんじゃない? それが、逃げ回る必要が無いと分かった途端に、文字通り箍が外れたんじゃないかしら」
「それ、私と識は完全に
「私も偶に巻き込まれているから、それでおあいこに……」
「なりませんよ!? 私と識が思いっ切り割を食ってるんですから、悪いと思ってるんだったらもっと巻き込まれてくださいよ!」
「いや、
「だったらもう
「御免なさい。私が主人てのも、かなり形骸化してるから」
「だったらどうするんですかこの状況!? 未来永劫知らない間に恥が増え続けるなんて嫌ですよ!」
今度こそ酔いが回ってきたのか、次第に鈴仙さんの口調が荒くなる。自分の師匠の主人に対して酷い口の利き方だが、姫さんも姫さんで悪いと思っているのか、聞く側に徹している。
「鈴仙さん落ち着いて。あんまり大声出すと師匠さん起きますよ?」
「何で識はそんなに落ち着けるのよ!」
「全部諦めてるからです。人生諦めが肝腎」
「納得いかねぇ!」
キャラも壊れて始めてきた鈴仙さん。この儘だと不満が青天井なので、取り敢えず宥め
「取り敢えず落ち着いて。今の会話が洩れたら
「うっ……それは嫌だわ」
そう言って、
「そういえば識、普通に人生って使ってたわね」
「妖生とか兎生とか言うと、何だか語呂が悪いので。人型になっている時点で殆ど同じだと思ってます」
「そんなもんなの?」
「そんなもんです」
然りげ無く姫さんが話題転換をしてくれた。こういう気遣いは出来る人である。
「妖怪でも、情に
特に天狗
その後、鈴仙さんが酒に飲まれて眠りこけたので、その儘お開きとなった。
――
目が覚めたら既に太陽は昇り切っていた。寝惚け眼を擦り乍ら
「お早う御座います。といっても、もう十時ですがね」
「お早う。昨日は色々ありがとね。吐くもの全部吐いてすっきりしたわ」
「そりゃ何より。まあ私も着替えさせる時に色色拝めたのでおあいこです。眼福でした」
「何処見てるのよ」
起き抜けに妙なカミングアウトを受けた。同じ女なのに、識は結構おっさんじみた事を言う。どういう生き方をしたらこうなるのか。
「何処かは秘密です。それはそうと、何か軽く食べられるものでも作りましょうか?」
「いいの? じゃあ御願い」
かと思えばこんな事を言い出す。本当、よくわからない性格をしている。
――
識は、私が永遠亭に転がり込んだ時には既に居た。自己紹介の時は「此処の
そうこう考えていたら、識が料理を持ってきた。
「どうぞ。しこたま酒を飲んだ後なので、これ位かなと」
「……なんか患者用の食事みたいなんだけど」
「自分の体の丈夫さに
ぐうの音も出ない。まあ、ここは素直に好意に甘えておこう。
量が量だったので、直ぐに食べ終わった。識は私が食べ終わる迄待っていた。
「御馳走様」
「御粗末様でした。
「……ありがとね」
そういって食器を下げる識。台所に行く時、頭を鴨居に強かに打つけていた。「ガンッ」という音と共に「おごっ!?」という女が出しちゃいけない声がした。何とも締まらない。
――
それからは、
そうして、
「……まだ恐怖が抜け切りませんか……」
「だ、だって仕様が無いでしょ。体が勝手に反応しちゃうんだから。これでも色々落ち着こうと努力してるのよ」
「でも、尽く
「うぅ……」
この儘迷惑を掛け続ける訳にはいかないのに、体が言う事を聞いてくれない。こういうのをトラウマって言うんだっけ。
「焼け石に水かもしれませんが、温かいお茶でも飲みます?」
「……おねがい」
優しさが心に沁みる。
識がお茶を淹れに行って直ぐ、声が聞こえてきた。
「識、今いいかしら?」
「へえ、家事は大体終わったので、今お茶を淹れてる所でうぇい!?」
「何よ、人の顔を見て行き成り。まあいいわ。鳥渡気になる事があるから、付き合って頂戴」
「あー、因みに拒否権は?」
「無いわ」
「ですよね……」
そして何かを引き摺る音と識の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」という声が
「いやー危なかったね鈴仙」
「
「それは企業秘密ということで。偖、識が連行されちゃったし、あたしが代わりにお茶淹れようか?」
「何か腑に落ちないけど、頼むわ……」
「あいあーい」
てゐはおちゃらけた様子で台所へ行った。私も歳取ったらああいう佼黠な感じになるのかな……。是非とも避けたい所だ。
今回は識が巻き込まれてくれた御蔭で助かったけど、こういうのを「禍福は糾える
――
識が行方不明になったので、自動的に私は食事係に戻されたが、家事一般を遣っているうちに師匠への恐怖心も漸次薄れていった。どうにか立ち直れたのでほっと一息
というのも、識が一週間経っても帰ってきていない。此処迄長い徘徊は初めてだ。私の僅か許りの軍属としての矜持を見事に
そんな状況なのに師匠は何処吹く風と普段通りだった。薄情なのか自分の薬に絶対の自信を持っているのか定かではないが、せめて心配する素振り位は見せてほしい。
そんな感じでそわそわしていたが、次の日に漸く帰ってきた。何故か顔中切り傷だらけだ。
「あー……豪い目に遭った」
「何処行ってたの!? さんざ捜したのに影すら見付けられなかったわよ!?」
「と、言われても記憶が脱落しているので何処を徘徊していたかは全く覚えが無いです。只、気が付いた時には紅魔館の窓硝子に頭から突っ込んでました。御蔭でこの
「紅魔館って、私が行った時にはそんな事一言も言われなかったわよ」
「じゃあ恐らく鈴仙さんが尋ねた後に突っ込んだんじゃないかと。何故か四階の窓に突っ込んでましたけどね」
「貴女
「さあ、皆目見当が付きません。あれですよ、全部薬の所為です。以前鈴仙さんも言ってたじゃないですか。全部薬の副作用に
「何時正気に戻ったの?」
「大凡二日前です。硝子に突っ込んで迂闊に動けない状況だったもので」
「でも普通咲夜さんが見付けそうなものだけど……」
「その十六夜さんですら殆ど通らない場所だったらしく、助けが呼べなかったんですよ。偶々通り掛かった妖精メイドが血塗れの私を見て逃げ戻って、漸く十六夜さんも気付いたという感じです。見付けてもらう迄ずっと干された布団みたいな体勢だったもんですから、頭に血が上るわ腹が苦しいわ大変でした」
「良く生きていたわね……」
色々悪条件が重なって今の今迄放置されていたらしい。師匠の薬はどれだけ私達を苦しめれば気が済むのだろうか。
「そういえば、実験からどれ程経ちました?」
「今日で八日目よ」
「そんなに経ってました? 気恥ずかしさから謝罪もそこそこに逃げ帰ったので日時を訊くの忘れてました」
気恥ずかしさと言うよりも罪悪感が凄そうだ。
「後で詫びの品と修繕費を持っていかないと……。紅魔館だから高そうだなぁ。冬の前に懐が寒くなるとは……」
そこを気にするのか。人生諦めが肝腎なんていっていたし、もう気分を切り替えているようだ。見習うべき……なのか? これは。
「そんな訳なので、今日明日の家事は任せてもいいですか?」
「勿論、私の時も色々よくしてくれたんだから、三四日は任せて」
漸く心が休まりそうだが、それよりも先ずは顔の傷の手当てをしなければならない。三週連続で箍が外れたんだから、せめてこれから二个月位は平穏であってほしい。そう思わずにはいられなかった。