弟子という体でいるからには私も薬売りはする。尤も、薬にどういう成分が含まれており、如何様に作用して効果が表れるか抔という深い知識は私には無い。只、このような場合にはこの薬をこれ位使えばいい、という可成曖昧な用法・用量しか知らず、動もすれば医療事故驀地のような有様である。と言うのも、自ら師事を願い出た鈴仙さんは刻苦学儒しているが、師事を願い出た訳ではない私は元々この程度の知識しか教えられていない。にも関わらず特筆する様な問題が発生していないのは偏に師匠さんの能力の御蔭か。
薬売りはそこそこの頻度で行っているが、人里に医者が居ないのかと問われれば答えは否である。抑々永遠亭の存在が大っぴらになる前から人里は存在している訳であり、其処に医療知識のある人間が居た所で何等不思議ではない。当然其処でも薬は売っているのだが、如何せん値が張る。此処は幻想郷。人里から一歩出れば百怪魑魅が跳梁跋扈しており、薬の原材料の調達には多大な危険が伴う。単身で薬草を採りに行こうものなら高確率で
別に人里の医者が藪井竹庵と
故に、診察や軽い治療、突発的な売薬は人里の医者、日常的な売薬と高度な治療は永遠亭と互いの領分に
朝食もそこそこに済ませ、背負子に薬と帳簿を詰め、既に日が昇っているのに
竹林を抜ければ人里迄は然程遠くはない。が、竹林を抜けるだけでも結構神経を使うので多少は疲れる。木陰で小休止して空を
――
「えっ、前回は鈴仙ちゃんだったの!?」
「ええ」
永遠亭で作っている薬の使用期限は
で、薬売りは誰が担当するかは明確に決まっている訳ではない。実験の
「なあ識ちゃん、何とか次回は鈴仙ちゃんが来てくれるように頼んでくれないか?」
「生憎誰が担当するかは当日にならないと分からないので。可能性としては最近全然遣っていない因幡さんが高いと思いますが」
「何っ!? てゐちゃんだと!? くっ、そっちも捨て難いな……っ!」
急に幼児趣味へと流れて
「まあ、善処しますので、期待せずにお待ちください」
「頼んだぜ!」
無駄にいい笑顔で頼んでくるのが無性に腹立つ。玄関の引き戸を閉めてそそくさと次の家へ向かう。すると背後から遊冶郎の叫び声が聞こえてきた。いや、私は何も聞いていない。いないったらいない。でも夫婦諠譁で薬を使ってくれれば此方も利潤が出るし、向こうも
――
午前中に回る最後の家での用を済ませ、茶屋に入り一服する。太陽は南中を
「あややや、これはこれは識さん、奇遇ですねぇ」
「……毎度の事乍ら、よく飽きませんね……」
態とらしい挨拶と共に営業用の笑顔を張り付けた鴉天狗が距離を詰めてくる。薬売りに来る度にこれだから辟易している。
「又候取材ですか……」
「そんな嫌な顔しないでくださいよ。山の連中にも貴女の事を知りたがっているのが結構いるんですから」
「山の外に出る素振りを微塵も見せない癖してよく言いますね……」
射命丸文。鴉天狗という引き籠りの
「外には出たくないけど、知りたい事は知りたいんですよ」
「
「あやや、手厳しいですねえ。否定出来ないのが辛い所ですが、是非とも私を見習って外に出て欲しいものです」
「観摩すべきは犬走さんの
「鴉天狗は蝗か何かですか」
「蝗は食べられる分鴉天狗より数段増しです」
抔と下らない会話をしつつ転記を続ける。会話に意識を遣ると誤記が心配なので、目の前の鴉は極力意識から排遣する。生返事は危険極まりないので無視を決め込むのが一番。「おーい、識さーん」抔と呼ばれようが馬耳東風だ。えーっと、彼所の家は売掛金を回収したから……此の家は現金支払い……此処の売掛金膨らんでるなあ、貸し倒れになりそう……。
そうして一通り転記し終え、茶を啜る。
「あ、終わりましたか。随分集中してましたねえ」
「ええ御蔭様で。意識して視界に入れないようにしたので捗りましたよ。さ、お帰りは彼方です」
「そんな!? 今迄ずっと健気に待ってたのに帰れと!?」
よよよ、と手で顔を覆う射命丸さん。この茶番迄が一連の流れだ。よく飽きもせず遣るものだ。毎回付き合っている私も大分毒されているが。
「その副急涙は何度目ですか。演技力は鍛えても取材には応えませんよ。と言うか、自分で健気と言ってしまったらもう駄目です」
「むう、つれないですねえ。其処は「分かりました、私の負けです」位言ってもらわないと」
「貴女に負けを認めたら何書かれるか分かったものじゃないので。
「其処迄酷くないです……よ?」
「
彼女の書く記事が真面でないという事は公知の事実であり、話半分に読むものだという認識が浸透しているが、嫌なものは嫌なのだ。流言蜚語を流布する世間雀に話題を提供する義理は無い。鴉なのに雀とはこれ如何に。
「では、私はこれで。まだ午後の仕事が残っているので」
「あ、でしたら私も一緒に……」
「疫病神連れ回してたら客が出て来なくなるので結構です」
「幾らなんでも疫病神は酷すぎやしません!?」
「では妖怪の「妖」の字繫がりで
「元凶とそのものじゃ大して変わってないですよ!? もう、大人しく取材されてくださいよ」
「矜持は既に棄てましたが尊厳迄棄てる気は無いので」
――
次の家へ向かっていると、豆腐屋の前に
「どうも、校尉さん」
「ん?……ああ、君か。その呼ばれ方はどうも慣れんな」
「でも或る意味分かり易いとは思いません? 私しか呼ばないですし」
「自分と紐づけ出来ないから呼ばれている感じがしないんだがな」
其処迄頻繁に会う訳ではないが、会った時は必ず「校尉さん」と呼んでいる。結構昔からの縁だと思うが、未だ慣れてもらえないらしい。何て考えていたら豆腐屋の店主も混ざってきた。
「コウイさんって、藍さんの事か?」
「そうらしい。学校の「校」に慰めるの上の部分で「校尉」だそうだ」
「それはどういった意味で?」
「狐の異名に「
「初めて聞いたなそんな言葉。識ちゃんの感性って偶に変な方向に行くよな」
「全くだ。抑々私を綽名で呼んでいる奴抔識だけだ」
「私は基本的に苗字呼びなので、苗字が被ると別の呼び方にしないと不可ないので……」
「だったら普通に「藍」でいいだろうに」
「下の名前で呼ぶのは余り好きではないんです。頼まれればそう呼びますが」
「じゃあ藍と呼んでくれ」
「校尉さんはもう校尉さんで決まっているので」
「おい、前言を撤回するにも早過ぎるぞ」
「アハハハ、相変わらずの変人ぶりだな、識ちゃん」
変人か。まあ自覚はあるが、改める気は更更無い。何故なら今迄そう遣って生きてきたのだから。
「で、私に何か用か?」
「いやあ、久久に黄色い山を見掛けたのでつい。もう直ぐ冬ですし」
「とどのつまり、気分という事か」
「ソレに突っ込んだら
「別に咎めている訳ではないのだが……」
「あ、じゃあ
「それは私の管轄では無いのでな。そういう事は紫様に頼んでくれ。何なら取り次いでおくが」
「えー、
「そんな尻軽の典型みたいな真似は絶対しないぞ。私はそんな軽い女になる予定はない」
「むう、残念。こうなったら師匠さんに屠殺してもらって肉屋に卸すしか手は……」
「そうなったら貴様も肉屋に並べるぞ」
「
「頼むから洒落にならん
「そりゃ失礼」
「なあ、識ちゃんも藍さんも、店の前で物騒な話はやめてくれ。客が逃げちまう」
「大丈夫、校尉さんが油揚げ買い占めますから」
「遉に其処迄の手持ちは無いぞ。というか、そういえば私は油揚げの品定めをしていたのだったな。識の所為で要らぬ疲れが溜まったぞ」
「愚痴を吐きたかった。相手は誰でもよかった。今は反省している」
「故意犯か。愚痴を吐くなら半獣教師辺りが好個の相手だろうに。というかそのネタは何処で仕入れた」
「
そう言うと、
「じゃあ、私は仕事に戻りますね。後、愚痴聴いてくれたお礼にこれを。油揚げ代の足しにでも」
「本当に変な所で律儀だなお前は。怒るに怒れん」
そう言って再び歩き出す。与太話で多少すっきりしたのは事実なので礼は欠かさない。
そうして、今日の分の仕事を終えて帰途に就いた。帰った後、発生した現金過不足を問い質されて、実験室に拉致されたのは御愛嬌。