姫さんの引き籠もりは今に始まった話ではないが、師匠さんの出不精も似た様なものだ。果たして最後に師匠さんが玄関を潜ったのは何時だったか。八雲もそうだが、歳を食うと外に出たくなくなるのだろうか。そうだとしたら歳は食いたくないものである。抔と以前鈴仙さんと話していたら、要らん所で地獄耳を発揮した師匠さんに兄弟子共共首を絞め落とされた事がある。何故女とは此処迄年齢の話題に敏感に反応するのか、女乍ら解せないでいる。年侵するに凍梨が著しくなるのならいざ知らず、偸嫩の必要性抔微塵も感じない師匠さんが、ああ迄反応するのは繊細な乙女心故なのか。年齢[禁則事項]桁の乙女抔寒気がする許りである。
偖、何故こんな愚痴を吐かしているのかといえば、今日は師匠さんに「薬草採ってきて、序でに食料も(要約)」と言われたからである。頤使されるのは今に始まった事じゃないだろう、と思った其処の貴方。その通り、反駁の余地無し。併し乍ら、本人の居ない所で愚痴を吐くという事は、大概の人なら経験があるだろう。要はそれである。溜まった鬱憤は適度に晴らすに限る。私は清濁併吞の出来る聖人君子じゃない。
「あーあ」
蹻趹をぺたぺた鳴らし乍ら慨息する。もう少し扱いが良くなれば泣いて喜ぶんだがなあ、と考えている私は安い存在か。でもまあ、この位なら覬覦ではなかろう。これを覬覦と言うのなら私は泣く。神は死んだ!!……遉に大袈裟か。
――
適当な林に入って採取を開始する。石胡荽、地血、臙脂菜抔、目に付くものを適当に背中の籠へ放り込む。人里の路傍や空き地に生えているものもあるが、人里の外は人の手が入らないので草が裘茸している故大量に採れる。以前、同じ様な事を考えて金儲けを企てた阿呆が居たが、案の定這う這うの体で帰ってきて上白沢さんに折檻されていた。そんな彼は、上白沢さんの折檻を機に苛められると悦ぶ変態に成り下がって、上白沢さんを恐怖のどん底に突き落としたという。何とも逞しい奴である。
閑話休題。薬草を採取するには否応なしに跼る為、腰への負担が激しい。況してや鴨居に頭を打つける程背が高い私には一種の拷責の様に感じられる。時偶、腰を反らして「あ゛あ゛あ゛あ゛」と呻く。妖怪と雖も辛いものは辛いのである。糅てて加えて、何の嫌がらせか私に宛がわれた籠は矢鱈と大きく、満杯には程遠い。身長か、この身長が全て悪いのか。
己が高身長を憾みつつ作業を続け、細流が見えた所で小休止を決めた。磧に腰を下ろして長大息を一つ。潺湲の流れに耳を欹け、霊台方寸の滌盪を試みる。淙淙たる細流に煩累を乗せ、暫し虚静へ臻る。嗷嘈を闢けた恬謐たる空間は、精神の安定に最適だ。焦点の合わない眼で儵煜する水面を矚る。鬼の居ぬ間に洗濯とはよく言ったもので、時間や水の流れと共に全てが滌われる様な感を覚える。出来る事なら、ずっとこの儘でいたい。
そうして、霎時阿呆面を晒していると、川上から何やら流れてきた。特徴的な淡い青の服に緑の帽子。そう、頭の皿の有無が判然としない幻想郷の河童である。それが、汨羅之鬼宜しく俯せで流されていった。
「…………」
空間に異物が闖入した事により、一気に現実へと引き戻される。まさか斯様な形で邪魔されるとは……。まあ、腰の懈さは和らいでいたし丁度良かったのか……。あれか、中級妖怪に片足突っ込んだ程度の手前にそんな高尚な雰囲気を纏う資格は無いという事かコノヤロー。
私は、名状し難い複雑な感情の儘採集を再開した。偖、訴訟だな……。
――
妖怪の山。幻想郷ではその名が浹洽している最高峰だ。曩昔には鬼が統治していたが、その鬼が地底に蟄した為、現在は天狗が跋扈……もとい統治している。とは言うものの、大概の妖怪は天狗によって擯斥されているので、天狗以外には陸に知性を持たない妖怪や、天狗が擺撥している小妖怪が僅かに住んでいる程度なので、実質は天狗一強である。いや、河童も居たか……。尤も、昔よりかは儀宇が柔らかくなっているので、頑張れば新たに居を構えられる可能性は無きにしも非ず、という具合である。だが、肩身の狭い思いをする事は瞭然なので、その様な物数奇は今の所現れていない。
偖、この妖怪の山、絶巓は邈かにある高峰であり、裾野はかなりの面積を誇り、自然は豊富に存在する。故に、質の良い薬草も沢山採れますよーとは某操觚者の談である。以前、その言葉後から「薬草を採る位なら這入っても大丈夫なのか」と勝手に解釈して、哨戒天狗に追い出された経験がある。どうやら却却取材に応じてくれない事に対する嫌がらせだったらしいが、天狗様の遣る事にしては随分セコい気がする。
爾来、私は疆域の手前迄しか近寄らない事にしている。尤も、疆域手前でも十分採れるので然したる問題は無い。私は、薬草採取の際には、毎回この辺りで籠の半分以上を埋める事にしている。その方が師匠さんは喜ぶからだ。生憎私には細かい品質の違いを甄別出来ないが、経験から師匠さんの譏嫌を取れる事を見出したので、鳥渡した優越感を持っている。
閑話休題、籠の半分を埋めるという事は、長時間其処等辺を彷徨いている事になるので、而してそれは哨戒天狗にも見えている訳であり、何人かとは仲良くなっていたりする。何処の世界も下っ端は苦労しているようである。
今回も復、暇している哨戒天狗が一人、此方に飛んできた。
「今日はー。復薬草ですか?」
そう話し掛けてくるのは、哨戒天狗の犬走さん。私より遥かに小柄で、ひょこひょこ動いている耳と毳らかそうな尻尾が何とも愛らしい白狼天狗だ。ぐへへ、鳥渡頭撫でてもいい……おっと危ない。
「そうですよ。腰が砕けそうです助けてください」
「生憎哨戒中なので……」
「どうせ誰も来やしませんって。それに駄弁るのも手伝うのも大して変わらないでしょうに」
「それを言われると何とも返せないのですが……話しているだけなら万一見つかっても訊問という言い逃れが出来るので……」
「こんな靄然たる訊問見た事無いんですけど。そんなに腰を懈くするのが嫌ですか」
「そりゃ進んで腰を痛めようとする人なんて居ませんよ。それこそ被虐趣味でも持っていない限り」
「あれ、犬走さんって慥か撻たれるのが好きだったと……」
「勝手に変な嗜僻を追加しないでください。私はノーマルです」
何とか道連れにしようとしたけど敢え無く失敗。籠は満杯には未だ足りないが、取り敢えず小休止とする。
「それにしても、又何時になく大きな籠ですね」
「ええまあ、何の嫌がらせかは知りませんが。精根を憊竭させてから屠殺でもする気なんじゃないですかね」
「遉にそれは外道が過ぎますよ……」
勿論串戯だ。併し、何時もよりデカい籠を背負わせた理由は見当がつかない。コレを一日で満たせとかどんな苦行だ。
「冬に備えて今のうちに……とか?」
「あー……確かに姫さんの能力使えば萎びたりしませんからね。能力の無駄遣いも甚だしいですけど」
「今のうちに一杯採っとけば、後で楽出来るとか、そんな気遣いでしょうか」
「だとしたら余計な御世話なんですが」
何回かに分けた方が腰的にも気分的にも楽なのだが。まあ、彼の人の思考が読めないのは今に始まった事ではないが……。
――
「どうにかなんねぇのかなぁ、これ……」
識と犬走とが雑談で花を咲かせている頃、天狗の棟梁は惰気満満という風に呟いた。口調こそ男性然としているが、歴とした女性である。
呟きの理由は、彼女の机の上にある、堆く積まれた紙の山だ。幾ら自分の仕事とはいえ、毎日似た様な作業許りしていれば挫気するのも然もありなん。頑張って減らしてはいるが、翌日になれば元通り。
憂さを晴らそうにも、自分の地位が災いして友人と言える様な存在は仲間内には居ない。旦那は居るが、今迄愚痴を吐き過ぎて気が引けてしまう。八雲辺りは、下手に弱い所を見せると強請られる事請け合いなので論外である。唯一、何も気にせず話す事が出来ていた兎妖怪と離闊してしまっている今の状況を彼女は憾悔せずにはいられなかった。
「……気晴らしに其処等辺彷徨いてくっか……」
この儘うじうじしていても埒が明かないと考えた彼女は、適当な下女を捉まえて外出の旨を伝え、空へ飛んで行った。
――
お互い下っ端である事から、犬走さんとは毎回話し込んでしまう。何処の世界も下っ端は肩身が狭いのだ。
「……で、文さんったら何回言っても尻尾触るのやめてくれないんですよ」
「お返しに翼でも弄り倒してみたらどうです?」
「それ遣ろうとするとちょこまか逃げ回って、結局追い付けずに疲れて私の一人負けになるんです。何か良い案無いですかねぇ……」
「いっそ寝込みを襲うか、或いは……」
「或いは?」
「諦めましょう」
「投げ遣り過ぎやしませんか?」
「いやいや、いっそ全てを諦観すれば、逆に清清しい気分になれますよ。師匠さんの実験に巻き込まれるのも、全て身を任せればスーッと気分が楽に……」
「駄目だこの人、もう手遅れだ」
「人生、時には抛擲する事も必要です。と言う訳で、私も尻尾モフっていいですか?」
「どさくさに紛れて何言ってるんですか。と言うか、貴女迄敵に回るんですか!?」
正直な所、彼の尻尾を好きなだけモフれる某操觚者が結構羨ましかったりする。普段は疎ましいのに。
抔と陸でもない話をしていたら、不図、空に見慣れない天狗の姿が。翼の色は鴉天狗同様黒色だが、大きさは其処等の鴉天狗の比ではない。
「ねえねえ犬走さん」
「何ですか、尻尾は触らせませんよ」
「いえ、そっちではなくて」
「じゃあ何ですか?」
「あそこに飛んでいる天狗、矢鱈翼が大きいですけど、あんなの居ましたっけ?」
そう言うと、犬走さんも瞻仰する。すると、途端に顔が蒼褪め出した。心做しか体が顫動している。
「犬走さん?」
「な、何で天魔様がこんな所に……。不味い、サボってるのがばれたら私……」
「サボっている自覚はあったんですね」
「んな事言ってる場合じゃないですよ! どうしよどうしよ、と、取り敢えず識さん、私に訊問されている体を装ってください。そうすれば何とか……」
「つまり、全部ちくわ大明神と答えればいいんですね?」
「んな蒟蒻問答やってたら私の首が譬喩無しに吹っ飛びますよ!? 今度何か奢りますから、本当御願いします!!」
切羽詰まった犬走さんが一気に捲し立てる。ちくわが駄目ならちくわぶならいいか? 抔と適当な事を考えていたら、件の天魔様が此方に飛んできた。
「と、兎に角いきますよ! 貴女、こんな所彷徨いて何為てるんです!? 此処から先は我ら天狗の領分ですよ!」
「すんません、今ちくわぶしか持ってないんで勘弁してくだせぇ」
「んな腥いモン携帯して何になるんです!?」
「……新手の漫才か? それは……」
天魔様が胡乱気な目を此方に遣りつつ故に呆れた風な口調で問うてくる。私からすれば只の古馴染なので神色は普段通りの儘だが、当の犬走さんは遽てふためき、顔は逾蒼褪め流汗淋漓、視線は惺鬆している。まあ、職務怠慢の現場を上司、それも選りに選って棟梁に押さえられたら惶遽するのも然もありなんというものである。
「あー、あのー、えーっと、お疲れ様です天魔様。あのー、こ、これはですね、そう、訊問です。我等の領域を侵犯しようとした不審者を訊問していた所でして……」
「……そうか? 遠目からだと豪く靄然と話していた様に見えたが」
「そ、それはですね、何とか引き返して頂こうと説得していたんです。ほ、ほら、高圧的な態度で追い返して、逆恨みでもされたら後後面倒じゃないですか。ですから、なるべく柔和な感じで……」
「そうかそうか。でも残念、会話の内容は風を使って全部聞いているんだよね。言い訳御苦労さん」
「はぐぁっ!!」
哀れ犬走さん、譾劣な言い訳は全て徒労に終わった。相手は実力も階級も雲壌月鼈、端から勝ち目は無かった。
四つん這いになって項垂れる犬走さん。一方の天魔はと言うと何やら気持ち悪い笑みを浮かべている。此奴は昔から部下を弄る時は大抵変な笑みを浮かべる奴だ。
「にっしっし、偖偖、どんな罰にしよっかなー」
「取り敢えずその排水溝の滑りみたいな気色悪い笑い方止めてくれませんか? この儘だと目が腐ってしまいます」
「幾ら何でも酷過ぎねーか!? つーか排水溝の滑りみたいな笑い方ってどんな譬えよ、全然想像出来ないんだけど!?」
「奇遇ですね、自分で言っといてなんですが私も分かりません。要はそれ程酷い面をしているという事です」
抔と適当な事を吐かしたら、今度は天魔が四つん這いになって項垂れた。「そ、そんなに酷い? 自分でも顔の作りは結構良い方だと思ってたんだけど……」とか何とかぶつぶつ呟いているが全て無視する。因みに犬走さんの方は、冤枉で死刑宣告された人の様な絶望した顔をしており、先程の会話は全く耳に入っていないようだ。
偖、項垂れる天狗二人を見下ろす兎という奇妙奇天烈な絵面が出来上がってしまったが、どう処理しようか。