ビブリア古書堂 事件の裏で   作:ayaka_shinokawa

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夏目漱石 それから

引き戸が開く気配がしてゆっくり顔を上げる。父からは「お客さんが来たと思ってもあわてて顔を上げちゃならない。そういうときに限ってお客さんというものは逃げていくからね」

とのことだった。それが父のげんかつぎだと気づいたのはいつの日だったか。

 

「あ、買取ですか?」

と声をかけてお客の男性に顔を上げる。「うわ、いかつい」というのが第一印象。それを顔に出さずに聞いてみた。

このお兄さん顔はいかついけど、ちょっとシャイらしく、何か言いたそうにしているけど何かわからなかったので少し腰を上げてみた。

「……買い取りじゃなくて、ちょっと見てもらいたいだけなんですけど、いいですか。昔、うちの祖母がこの店で買った本のことで」

声のトーンは普通だったからあたしのことを値踏みしただけだとわかった。そりゃ、こんな小娘がカウンターに座っていたら、バイトの高校生と思われるだけだろうし。

話が続くと思って待ってみたが続かない。バイトの高校生に通じるのか迷ってしまったのかも。

カウンターに紙袋が載せられる。アトレウイング(大船駅ビル)のものではなく横浜のデパートのだ。

中からは夏目漱石の全集の一部「第八巻それから」が出された。表紙の見返しに何か書いてある。

「このサインなんですけど」

なになに、「夏目漱石 田中嘉雄様へ」

「うわ、夏目漱石って書いてある!これ本物ですか?」

思わず聞いてしまった。買取の本を運ぶ手伝いはするけど、高価そうな本の中まで見たことが無かったのであたしにはわからない。

「それが分からなくて、ここへ来たんです」

あ、お兄さんが困惑している。質問に質問で返されたらそうなるか…。

「そうなんですか……んー、どうなんですかね?」

率直にそう答えてみた。単に高価な本を売りに来ただけのお客さんだったら、この態度でだいたい帰ってくれる。

「……本物かどうか、見てもらえませんか」

あ、なにか因縁のある本を見てもらいたいお客さんのほうだったか…。あたしには姉とは違って真贋が分かるわけではないし、本にこめられた思いというか、ストーリーは読み取れない。仕方なく、もうひとつの台詞を言ってみる。

「あ、今は無理です。店長がいないんであたしはそういうのわかんないし」

これで帰らなかったら仕方ない姉のところに持っていくか…と覚悟をする。

「店長さんは、いつ頃戻られるんですか」

「……入院しているんです」

と答えてから、大船中央病院まで行くルートを考え始める。

「ご病気ですか」

「いえ……あの、足を怪我したんですけど……本の持ちこみがあると、あたしが病院まで持っていって査定してもらわないといけないんですよ。ああもう、すっごく面倒くさい!」

思わず大きな声が出てしまったけど、病院にいくのは別に面倒ではない。大船駅までは一駅だし自転車でもいける距離だから…。

「まぁ、大船中央病院だから、そんなに遠くはないんですけどね。ここから自転車で15分くらいだし」

だけど、行ったら帰ってくるのが大変なのだ。このお兄さんの漱石全集はそんなに重くなさそうだけど病院から持って帰らされる本の量が尋常じゃない。

姉の査定の速さもさることながら、顔見知りの看護師さんから困った顔で「文香ちゃん、申し訳ないけどお姉さんに病室は仕事場じゃないのよって言って」と部屋からはみ出そうな本を大量に持たされるのだ。

せっかく大船に出るんだったらイトーヨーカドーかライフによって食材を仕入れたいのに…。

「……あ、あそこか」

とぼそりと言ったのが聞こえた。ということはこのお兄さんはこの近所、つまり大船か鎌倉に住んでいるってことだ。

「とにかくお預かりします。あたしも夏休み中は部活があって、すぐ病院に行けるかどうか分からないから、何日かかかっちゃうけどいいですか?」

ウソではない。実際、今日だって部活をしに学校に行ってたし、店を閉めたら家事をしたり買い物に行かなきゃならないし、重い全集なら小分けにして運んでいくことになるし…。

「あの、ひょっとして大船中央病院によく行ったりします?」

「……うちの近所だけど」

アタリだ。

「だったらこの本を病院に持っていってもらえませんか?あたしから連絡しておきますから、その場で鑑定してもらえますよ!」

「え?」

とお兄さんが驚いている間にメールを打ってしまう。

お兄さんは大船の住民だったし帰り道で査定できちゃうから一石二鳥ってもの。

「いや……そこまでしてもらわなくても……」

と言ってきたが言い終わるころには送信ボタンを押し、あたしはにっこり笑い、

「メールしときました!これでいつ行っても大丈夫ですよ」

と声をかけた。

 

その後、あのいかついお兄さんは五浦大輔さんといいうちの店で働くことになった。

 

 

アルバイトの女子高生と思われていたあたしが、実は店主の妹であることを知った五浦さんはちょっと驚いていたようだ。

あたしもお客さんとして会って早々にアルバイトとして採用する姉にも驚いていたが…。

とりあえず、レジの打ち方と掃除用具の在り処を教えておけばいいか…と判断しそのようにした。アルバイトとして採用されたということは、あたしがいない午前中を中心に店番をお願いするつもりなのだろう。

ということは買取についてはあたしがやったように「預かり」にすればいい。

「うちのお姉ちゃん、本のこと以外は全っ然世間知らずだからなー」

と知らず知らずのうちに繰り返していたようである。それもそのはず、

「こないだも母屋の方に空き巣が入ったんですよ!なにもぬすまれなかったんだけど、このへんもなんか物騒になっちゃってー」

空き巣が入るとしたら店のほうだと思ったのだがなぜか母屋のほうに侵入してきたので、知り合いになった警察の刑事課盗犯係の刑事さんや古書店を管轄する生活安全課の刑事さんたちが不思議がっていた。ただ、女二人の生活だけに十分に注意するよう指導された。

そんなことを考えながら一緒に仕事をしていたが、履歴書にあるとおり実家が食堂をしていたということだけあって接客についてはあたしも認めるくらいになっている。そのためカウンターにあるパソコンでの仕事もお願いすることにしている。

また、買取をした本と査定の終わった本の持ち帰りは五浦さんにしてもらっている。

なんだか、病院に通う五浦さんはうれしそうだ。そして、姉から来るメールにも五浦さんのことが話題になるようになった。姉にもやっと春が来たのだろうか…。


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