魔王の玩具   作:ひーまじん

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雪合戦も立派な戦争である

冬休み。

 

本年度も残すところ後数日。

 

押入れの中から炬燵を引っ張りだし、ぬくぬくとしながらゲームをする。炬燵のダメダメオーラを抗うことなく受け入れ、俺はダメ人間街道まっしぐらな冬休みを過ごしている。

 

普段は息をしていない居間も炬燵の出る今の時期だけは食う寝る遊ぶの全ての時間において利用されている。きっと居間が擬人化したならさぞご満悦な表情をしているに違いない。

 

冬休み中はひたすらゲーム三昧だった。なんならバイトと飯の買い出し以外は家から出てないほどだ。実に有意義な時間を過ごしている。高校時代の生活に見事返り咲いた。

 

しかし……思ったよりも遥かに暇だった。

 

いや、ゲーム三昧だったので暇だったというのは少々語弊があるかもしれないものの、クリスマスなどのイベントにおいても、俺は普通に家に居た。

 

どうせ、雪ノ下陽乃に呼ばれるんだろうとタカを括っていた俺は少し拍子抜けだった。別に期待していたわけじゃない。なんなら全身全霊で警戒していた。

 

だが、雪ノ下陽乃からの反応はなく、この冬休み中は何事もなく、普通に家で過ごしていた。寧ろ、何の反応も見せていないことが気がかりではある。

 

あいつの事だ。俺を遊ぶよりも面白いイベントにでも参加したに違いない。面白さを求めるという点において、雪ノ下陽乃は他の人間の追随を許さないからな。

 

ともかく、このまま何事もなく、平和に新年を迎えたいものだ。そしてお願いしよう。雪ノ下陽乃が少しは大人しくなりますようにと。

 

そう思っていた矢先、携帯が鳴った。

 

最近は着信メロディをダースベイダーから、FFVのボス戦の音楽に変えてみた。ボスと今から戦う感が溢れている音楽なので、俺自身は結構気に入っている。

 

しかし、音楽は気に入っていても、掛けてきた本人は気に入ってないので、ちょっと嬉しくない。というか、この音楽が嫌いになりそう。

 

「もしもし」

 

『ひゃっはろー。久しぶり、景虎』

 

ひゃっはろー。世紀末ですか、今は。またよくわからない挨拶をしやがって。

 

「何の用だ。まあ、ろくな事じゃないと思うけど」

 

『失礼な。もしかしたら、景虎とお話ししたいだけかもしれないじゃない』

 

「そうか。なら、今の時点でその線はねえな」

 

元々、その線だけはありえない。雪ノ下陽乃が俺と話をするためだけに電話をかけるなんて、俺が正気を疑うし、なんなら心配する。

 

『む~、可愛くないなぁ、景虎は。もしかしてクリスマスの時、一緒にいれなかったから、ヤキモチ妬いてるの?』

 

「はぁ?そんなわけねえだろ。ただ、お前を警戒しすぎて、一人踊らされた事にはムカついてる」

 

『それ自業自得だよね』

 

そんな事はない。いつもの行動のせいで俺の心に警戒しなければいけない可能性を作ってしまった雪ノ下陽乃が悪い。普段から大人しくしてれば、俺はもっと優雅にかつ落ち着いて過ごしていた。

 

「で、もう一度聞くが何の用だ」

 

『景虎。今暇?』

 

「あ?暇……だな。これが思ったよりも」

 

そろそろ新しいゲームでも買おうかと考えていたくらいだ。何の襲撃もなかったが、襲撃に備えてめちゃゲームしまくったから、冬休みゲーム計画が予定よりも遥かに早く完遂してしまっていた。

 

いや、それよりもだ。

 

「お前なんかあったのか?」

 

『んー?何がー?』

 

「いつもならこっちの都合なんて考えてなかったろ」

 

雪ノ下陽乃は相手の事を全く考えていない事に定評がある。それ故の魔王属性だ。

 

なのに今日に限ってはどういう意図かこちらの都合を聞いてきた。どういう風の吹き回しか。

 

『うーん。なんでだろうね。私にもよくわかんない』

 

雪ノ下陽乃のその言葉が嘘か真か。その辺はよくわからない。今目の前にいたら、なんとなくわからなくもないが、電話越しなら全くわからないので、それ以上言及はしなかった。

 

『でねー。もし暇なら大学に来て。面白い事するから♪」

 

それであちらも察したのか、すぐに話題を切り替えて本命を話す。

 

「はぁ……その面白い事とやらはもしかして外でするのか?」

 

『まあね~♪』

 

何故わかったのか。それは実にシンプル。

 

カーテンを開ければ、辺りは一面雪景色。

 

そう。昨日はここ十年の内、一番の豪雪だった。ありとあらゆる交通機関は停止し、こうして終わった後も雪がかなり積って交通機関に影響を与えている。

 

そんなレベルの雪が降ったとなれば、それなりにニュースにもなるし、子どもなんかは大はしゃぎしてる頃だろう。雪合戦とか雪だるまとか、後は……カマクラとか。

 

そして俺の予想だと雪ノ下陽乃も考えついたのだろう。このクソ寒い中、よくもまあ外で遊ぼうなんて考えついたもんだ。大体の人間は家で引きこもっていたいと思うんだが。取り巻きの奴らは雪ノ下陽乃からの召集だから、よほどの事がない限り、絶対に行くだろう。

 

「俺以外の人間は?」

 

『いるよ。三十人くらいかな』

 

三十人。よくもまあ、集まったもんだ。ある意味尊敬する。

 

「わかった。直ぐに行く」

 

『あれ?景虎こそどうしたの?いつもならもっと嫌がるのに』

 

「嫌がったところで何も変わらん。学習しただけだ」

 

駄々をこねる程度で取り下げられるなら、とっくの昔に駄々をこねまくっている。いや、駄々をこねまくっていたけど、何も変わらなかったから、もうしないだけだ。

 

「それじゃ、切るぞ」

 

そう言って電話を切り、外の景色を眺める。

 

見渡す限りの雪化粧と窓越しにも伝わる冷気が外の世界の過酷さを俺に教えてくれる。

 

………外に出たくねえなぁ……炬燵そのまま持っていけたりしねえかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソ寒い中、バイクが使えないので歩く事二十分。

 

大学に着くと、入り口には数十人の大学生が集まって喋っていた。

 

数を数えると、雪ノ下陽乃の宣言通り三十人。雪ノ下陽乃を含めて三十一か。当然ながら俺が最後のはずなので後から誰か来るなんてことはないだろうし、あいつが誰かを待つなんてする事をしたがらないはずだ。

 

「景虎、おっそーい!」

 

取り巻きの人間と話していた雪ノ下陽乃は俺が来たのを確認すると、そう言ってこちらに歩いてきた。ちょっ、そういうのやめてもらっていいですかね。嫉妬の視線がやばいんですが。

 

「バイクが使えなかったんだよ。歩いてくればこんなもんだろ」

 

「走ってきてよ。寒いし、これからする事にはちょうどいいよ」

 

これからする事って……体動かすのかよ。割とハードなやつを。

 

「なんだよ。クロスカントリーでもするのか?」

 

「そんな死ぬ程面白くない競技を、私が人数集めてすると思う?」

 

「ねえな」

 

クロカンなんてひたすら走るだけの競技、雪ノ下陽乃がするわけがない。そして俺達もしたくない。疲れるだけだ。その点においてはこの場にいる全員一致しているはずだ。

 

「景虎。ここに雪があります。さて、この雪を使って何をするでしょう?」

 

「雪合戦」

 

「せいかーいっ♪今回は変な答えを出してこなかったね」

 

「俺とお前の二人じゃないしな。ハルがいて、この人数でするならそれしかないだろ」

 

まあ、この人数だと本当に合戦になりそうだけど……いや、俺しか狙ってこない可能性が高いから合戦じゃなく、ただの処刑かもしれない。或いはリンチ。

 

「皆ー!じゃあ、今からバトルロイヤル式雪合戦を始めまーす!」

 

雪ノ下陽乃の宣言と共にどよめきが………起こる事はなく、何故か皆テンションが高い。流石は人の上に立つために生まれてきた女。カリスマ性が違うらしい。

 

「ルールは簡単。最後の一人になるまで雪合戦をして、最後に残った人が勝者。一発当たったら即脱落ね。当たったのに当たってないって言う人は私許さないからねー?優勝者には豪華景品が待ってまーす!」

 

雪ノ下陽乃の最後の一言に大きな歓声が沸き立つ。豪華景品て……普通ならタカが知れてそうだが、こいつが言うと本当に凄そうなものがありそうだから反応に困る。

 

「ゲーム開始は一分後。それじゃあ、よーい……スタート!」

 

雪ノ下陽乃の掛け声と共に俺と雪ノ下陽乃以外の人間全員が一斉に散っていく。この流れの速さをもってしても、雪ノ下陽乃信者の飲み込みの早さには目を見張るものがある。というか、ほぼ脊髄反射の領域じゃないだろうか。

 

「景虎は行かなくていいの?一応私も参加者だよ?」

 

「開催者も参加者かよ。そんな事だろうとは思ってたけどな」

 

一つ息を吐いて、一足遅れで俺もその場から離れる。

 

ある程度離れたところで、人の視線がない事を確認する。

 

雪ノ下陽乃はバトルロイヤル式とは言ったものの、これまでの事を考えて俺が集中攻撃を受ける事は火を見るよりも明らか。そして雪ノ下陽乃もそれをわかってそうしただろう。普通に戦って勝ち目はない。

 

なら、普通に戦わなければいい。待ち伏せであれ、なんであれ、最終的に勝てば良い。雪ノ下陽乃の言う、勝てば官軍負ければ賊軍というやつだ。勝者こそがルール。

 

「よっ、と」

 

でかい木に登り、その木に隣接している校舎の屋根の上に登る。屋根の上といっても、実際のところは出っ張っている部分だ。そこまで高くはない。久々で出来るかどうかは不安だったが、存外やれるものだ。

 

そうして一分が経過し、上から軽く覗いてみると、早くも合戦が勃発していた。

 

いくら俺を優先してたたき潰したくても、他のやつを見つければ叩きたくなるのは必至。チーム戦が許されていない以上、俺を潰した瞬間に後ろから狙われる可能性もあるわけだしな。

 

存分に潰しあってくれ。俺はその間に玉を充填していくから。

 

合戦を尻目に死角でせっせと玉を作っていく。当然、これはここから撃ち下ろすためのもの。流石に持っておりる事はできない。こっそり暗殺じみた方法で倒すスタイルだ。一人にしか通用しないが。

 

十個ほど作ったところで、もう一度下を見る。

 

すると、ちょうど俺のすぐ近くで一人、辺りを見渡して警戒している人間が一人いた。

 

それじゃあ、まずは一人目。

 

雪玉を投げると見事に肩にヒット。当てられた本人は驚いて辺りを見て、そしてようやく上にいる俺の存在に気がついた。

 

「いたぞ!九条はここだー!」

 

やられた奴は俺に反撃する事ができないものの、その代わりと言わんばかりに大声でそう叫んだ。

 

まあ、それはルール外だからアリだよな。始めからわかってた事だ。

 

急いでその場から退却。数の暴力には勝てん。

 

逃げている最中にたまたま出会ったやつを倒すと、またさっきと同じように大声を発する。そしてまた逃亡。

 

これが四、五回続いたあたりでなんだかそういうゲームをしている気になってきた。いるよな、倒されると仲間を呼んで数の暴力で主人公を倒すタイプの雑魚キャラ。序盤に出てくるとマジでうざい。

 

倒しては逃げ。倒しては逃げ。その繰り返し。

 

合戦というよりはやはりリンチに近い。なんとか多対一にならないように走り回っていると、不意に俺の鼻先を白い物体が通過した。

 

追撃を避けるため、転がるようにその場を離れると立っていたところに二、三個ほど雪玉が投げ込まれる。

 

すぐさま投げ込まれてきた方角を向くと、そこにいたのはやはりというか、なんというか、雪ノ下陽乃であった。

 

「真打ち登場……ってところか?随分早い登場だな」

 

「そうでもないよ。残ってるのは私と景虎だけだもん」

 

そんな馬鹿な、と言いたかったが、俺が倒したのが七人。仮に俺が隠れたりしている間に雪ノ下陽乃がその倍近くを倒したと考えて十九人。潰しあったら残りの人数が潰し合いで負けた人間と考えれば、開始時間から十分強経っていることも鑑みれば、そこまで非現実的でもないかもしれない。

 

「それで不意打ちが失敗したがどうする?言っておくが、俺は信者みたいにお前だけは狙わない事はないぞ」

 

「わかってるよ。だから、景虎だけは正攻法で倒してあげる!」

 

「その言葉はお前に一番似合わねえっての!」

 

お互いに助走をつけて、相手めがけて思いっきり投げようとする。

 

正面からやり合えば、投球速度は言わずもがな俺の方が上。先に当たれば、後から当たった玉は無効になる。

 

踏み込んで投げ……ようもしたその時、足が滑って体勢が僅かに崩れた。

 

そしてその隙に雪ノ下陽乃がこちらめがけて投げる。

 

このままだと負ける?馬鹿な、そんな事はさせるかぁぁぁぁぁ!

 

体勢を崩しながらも思いっきり投げる。

 

お互いに投げた雪玉は吸い込まれるように………互いの顔面にクリーンヒットした。

 

「あ痛っ」

 

「ぐへっ」

 

硬っ!あいつの投げた玉硬っ!ゴンって言ったんだけど!一瞬目の前に星が飛びそうだったんだけど!なんてもの作ってたんだあの馬鹿!

 

文句の一つでも言ってやろうと雪ノ下陽乃の方を向いた時。何故か雪玉がまたもや俺の顔面をとらえた。

 

「……おい、ハル。てめえ、何してやがる」

 

「それはこっちの台詞かなぁ……さっき景虎は誰の顔に何を当てたんだっけ?」

 

「あん?バトルロイヤルやってんだから、誰のどこを狙っても関係ねえだろ。それよりも俺が言いてえのは勝負がついてんのに何で投げてきたのかっつー事だ」

 

「それこそ関係ないよ。バトルロイヤルに引き分けは許されない。ここからは第二ラウンド。片方が降参するまで試合は終わらないよ」

 

「…………面白え。上等じゃねえか!」

 

かくして誘ってきた人間そっちのけで約三十分間に及ぶ俺と雪ノ下陽乃の全力雪合戦が幕を開けることになった。

 

それを見届けた元参加者もとい雪ノ下陽乃信者は言う。

 

『まさしく鬼神同士の戦いだった』と。

 

そしてその時の反動か、信者が俺に対して企てていた報復計画は中断されたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び場所は変わって俺の家。

 

バトルロイヤル式雪合戦が終わった後、久々にはっちゃけてしまった事に俺は後悔していた。懺悔と言ってもいい。雪ノ下陽乃と雪合戦という名の試合をしていた時は完全にスイッチが入っていた。口調も中学時代に逆戻り。ガラの悪いヤンキーだ。

 

そのことに後悔していたわけだが、何も後悔していたのは俺だけじゃないらしい。

 

「………」

 

俺の隣では雪ノ下陽乃もまた、凄くやっちゃった感を醸し出していたのだから。

 

事実、雪ノ下陽乃も俺と同様、半分くらい外面が外れていた。鬼気迫る表情で、というわけではないが、笑顔で俺を罵倒していたのだから。取り巻きもとい信者も唖然としていた。こいつもこいつで完全にスイッチが入っていた。

 

そして二人揃ってしでかした俺達は完全に葬式ムードだった。

 

「……どうしよう」

 

「……俺が聞きたい。普通、雪合戦程度で我忘れるか?」

 

「そんなの知らない」

 

実際のところ、あれは雪合戦と呼んでいいものだったのかさえ甚だ疑問だ。ただの喧嘩と大差ないと思う。

 

今は解散して俺と雪ノ下陽乃しかいないものの、信者共は面白い映画を観た後のように「凄かった」なんて言いながら、帰って行った。

 

確かにさぞかし凄いかもしれない。

 

わざとらしくしか怒ったことがない雪ノ下陽乃が普通に顔に雪玉を当てられた事に対し、怒りを見せていたのだから。

 

いや、俺も正直悪いと思っている。

 

顔立ちの整った相手に、しかも女性の顔面にものをぶつけるなんてなかなか鬼畜なやつだ。

 

しかし、あの時は足を滑らせて変な姿勢で投げてしまったし、俺も額に普通に硬い雪玉を当てられたのでノーカンにしてほしい。出来ないけど。

 

「それにしても、まさかお前まで普通に怒るなんてな。想定外だ」

 

「………普通怒るよ。女の子は顔と髪が命なんだよ。景虎がゲームのデータ消されて怒るのと同じだよ」

 

「………ああ、マジで悪い。そりゃ殺したくなるわ」

 

雪ノ下陽乃に言われて、事の重大さを改めて理解する。成る程、なかなかえげつない事を俺はしでかしてしまったらしい。今回は俺の方が珍しく非が大きそうだ。

 

「つーか、俺が言いたいのはそうじゃなくてな。何時もならあんな素直に怒らないだろ。朝も普通に予定聞いてきたし。マジでどうした?」

 

いつもの雪ノ下陽乃ならば、あれだけ露骨に怒ったりしない。もっとわざとらしく、あざとく怒るだろう。

 

なのに雪ノ下陽乃は普通に感情を露わにしていた。内側に秘めているとかそういうのではなく、外側に普通に漏れ出ていた。

 

「……わかんない。最近、ちょっと調子狂っちゃうの」

 

「はぁ?そりゃまた、なんかあったのか?」

 

「さあ?それがわかれば苦労しないんだけど」

 

まったくだ。だが、雪ノ下陽乃をしてわからない問題があるのかと思うと、それはもう俺達凡人では到底理解できない壮大な悩みなのかもしれない………いや、違うな。それは決めつけだ。もしかしたら、意外と簡単な問題で雪ノ下陽乃だからこそ、答えが見つからないものかもしれない。

 

どうにも前のことが引っかかる。いつもなら、勝手に雪ノ下陽乃という人間を別次元の人間に置き換えて、勝手に高尚な存在として、初めから理解できないものとして考える事をしなかった。

 

あの日、雪ノ下陽乃が俺に漏らした言葉は確かに本心だったと思う。あれも外面だというのなら、俺は実にあっさりと騙されている事になるが、あれが本心だとしたなら、雪ノ下陽乃は今、確実に迷走している。

 

それが一体なんなのかはわからない。わかるには俺はあまりにも雪ノ下陽乃を知らなさ過ぎる。数ヶ月もの間、雪ノ下陽乃を見てきて、他の人間よりは知ったつもりでも、それはまだほんの一部だ。理解したとするにはまだ知らない事が多すぎる。

 

だからーー。

 

「まあ……あれだ。何か悩みがあれば相談しろよ。俺じゃ力不足かもしれないから、意味ねえかもしれないけど」

 

「それだと私話し損じゃない?言う意味あるの?」

 

「ある。話せば楽になることもあるんだよ。それでもって、そういうのは親友か恋人の役目だろ。なら、俺しかいねえじゃん」

 

「私に親友がいない事前提?」

 

「世間一般で言う親友はいないだろ。お前外面被ってんだから。まあ、強いて言うなら……それも俺だろ」

 

仮初めの恋人でも、それは俺だ。本物がいない以上、偽物しかない。

 

世間一般の親友の定義でいくというのなら、こいつに親友なんてものはいないかもしれない。ただ、血の繋がっていない人間で他の誰よりも知っているというのなら、微々たる差で俺だと言える。全て俺主観になるが。

 

「つーわけだ。こう見えても一時はダメ人間街道を歩いていた人間だ。そういうのには一日の長がある。問題を解決できなくても、解消は出来る……はずだ」

 

尻すぼみに俺がそう言うと、雪ノ下陽乃はくすりと笑った。

 

「何それ。そこは言い切らないとダメでしょ」

 

「無責任な事は言わないようにしてるんだ。特にお前相手だと尚更な」

 

今はそうでもないが、少し前まではそれで墓穴を掘るなんて事はよくあった。

 

「一つだけ。聞きたい事があるんだけどいい?」

 

「おう。どんと来い」

 

「本物ってさ……なんだと思う?」

 

雪ノ下陽乃の口から出てきた言葉は実に抽象的で曖昧で不確定な言葉だった。俺もそういうのは想定していなかったので、思わず首をかしげてしまった。

 

「本物って……何に対してかにもよるだろうな」

 

「私達の関係の正反対を言うんじゃない?心と心を通わせたラブラブなカップル」

 

「そりゃ……まあ、本物だな。けどな、強ち俺達が偽物ってわけでもないだろ」

 

「なんで?別に私達好き合ってるわけじゃないよ?」

 

「世の中には好き合ってなくても付き合ってる奴らもいるだろ。それこそ仮面夫婦なんて言葉があるぐらいだからな。後、玉の輿とか。あれも偽物かもしれねえけど、見る奴には本物に見える。ちょうど今の俺達みたいにな」

 

確かに俺達の関係は俺達からしてみれば偽物だ。片方の利のためだけに作った打算的なカップル。

 

しかし、第三者から見れば、俺達は普通に恋人なんだろう。だって疑われた事なんて一度もない。

 

なら本物とは何か。それはつまるところ見る人間次第の結果だ。決まったものは存在しない。

 

「なら、景虎にとって本物って何?」

 

「俺?俺は………あれだな。唯一無二の存在とか」

 

『重っ!私に言ってた事と比べると重いよ!』ぐらいを言われると思っていたら、雪ノ下陽乃は俺との距離を詰めて、耳元で囁く。

 

「じゃあ、景虎は私にとって本物だね」

 

耳元で囁かれた言葉に俺はドキリとした。

 

完全に不意打ちを食らった。まさか雪ノ下陽乃がそんな事を言ってくるなど露ほども思っていなかった。

 

「なあ、ハルーー」

 

「なーんちゃって。本気にした?」

 

何か言わねば。

 

気まずい空気を打開しようとしていたら、けろっとした表情で雪ノ下陽乃が言った。

 

「はぁ……悪いな。今回は完全に騙された。本気にしちまったよ」

 

「あはは、景虎ってば、ちょっと真剣な話が混じるとすぐに騙されるんだから。まだまだだね」

 

「うるせー。騙す方が悪いんだよ」

 

騙される方が悪いなんていう奴もいるが、それは悪事の正当化だ。騙す方が悪いに決まってる。騙された人間は少し間抜けなだけで、寧ろ騙されるくらいだからかなり善人だと言える。

 

「頼むからこういうときくらいは真面目に話してくれよ……つっても無理か」

 

「無理。私の性分だからね」

 

そういう雪ノ下陽乃の微笑みはやはり作り物の笑みだ。相手を魅了し、唆し、惑わせる。世が世なら美人暗殺者とかスパイになっていたかもしれない。表面上だけでいえば、雪ノ下陽乃は完璧な人間だ。その微笑みだけを見れば、何も疑いようなんてない。

 

だからだろうか。

 

それに僅かに見える綻び。

 

恐らくは殆どの人間が気がつかないほんの小さな誤差。

 

そこから見える内面との誤差に気づいてしまう。そしてその作られた微笑みさえも、全く別のものに見せてしまう。

 

これ程までに雪ノ下陽乃の微笑みが儚く、脆そうなものであるなど一体誰が気づけるというのだろうか。

 

自分が雪ノ下陽乃の数少ない理解者である事に少しばかりの優越感を感じながらも、秘められた哀愁に胸を痛めずにはいられなかった。

 

 


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