大体は陽乃と景虎が同じ学年の総武生という意見が多く、少数派の景虎が年上、陽乃が年下といった感じです。
アンケートはとりあえず本編が終わるまでですので、皆様のご協力お願いします。
「陽乃。こんなところにいたの……」
「お母さん……」
いかにして、母に見つからずにかつ知らぬ存ぜぬを通してこの場を乗り切るか、そう考えていた矢先、私達の前に姿を現したのはその母だった。
こうなったら、もう遅い。
私がどうこう言ったところで、母には意味が無いだろう。昔から母はそう言う人だった。
けれど、今そこは問題では無い。
というよりも、そもそも初めから母の事は問題ではない。
私にとって、母は強い存在ではあるものの、話が出来ないわけじゃない。お互いにとっての妥協点さえ見つけることができれば、そう難しいことではない。
ただ、私が恐れている事は別にある。
「驚いたわ。雪乃もそうだけど、まさか貴女までこんな事をするなんて」
こんな事、とは一体何を指しているのかは容易に想像がつく。母は昔からなんでも思い通りにしたがる人だったから。だからこそ、私は衝突を避けてきた。ろくなことにならないのは目に見えていたから。
「何処で何をしていたの?心配したのよ?貴女はよく出かけるけれど、行き先を告げなかった事はなかったから。連絡も取れないし……」
「ごめんね、お母さん。今回はこの人の家にいたから」
下手に策を弄しても、景虎のいる前じゃ、すぐに嘘だとばれてしまう。そうでなくても、母の事だから嘘でないかどうかなんてわかってしまうはずだ。
だから、正直に言う。後ろめたい事はないわけではないけど、言えない事でもないから。
「あら……?その方々は陽乃のお友達?」
方々、というのは比企谷くんやガハマちゃんの事も言っているのだろう。
「うん。彼が比企谷くんで、こっちがガハマちゃん」
指をさして、母に伝える。もっとも、私の、というよりは雪乃ちゃんのお友達だけど。私としてもお友達みたいなものだし、別にいいかな。
「それでこの人がーー」
「どうも。九条景虎です」
何か引っかかるような事があったのか、珍しく母が訝しむように眉根を寄せた。
けれど、すぐにそれよりも気になる事があると言わんばかりに、母は口を開いた。
「えーと、その九条さんの家にお邪魔していたのかしら?貴女だけで?」
「そう……なるね」
「若い男女が二人で寝食を共にするなんて……子どもならまだしも貴女ももう大人なのよ。節度を持ちなさい」
こればかりは怒られても仕方ない。一般的な家庭でも、これは怒って当然の事だし。間違いが起こる可能性がないわけではないのだから……実際起こりかけてたわけだし。
「確かに無用心ですよね。一人暮らしの男の家に来るなんて。間違いが起こってからじゃ、笑えませんもんね」
母の言葉に便乗するように景虎が言う。これも正論だから、ぐうの音も出ない。逆の立場でも、私は無用心だと言い放つだろう。本当に愛し合って、将来設計までしているような恋人ならまだしも、はたして普通の友人かどうかも怪しいような関係だ。いくら私が護身術を覚えていても、薬を盛られたりされればその限りではない。流石の私も匂いを誤魔化されれば、口にするまでわからない。そこまで人間を辞めてない。
「そうよ、陽乃。彼は恋人でもない、ただの異性の友人なのでしょう?同性ならともかく、そういった事は慎みなさい。別にプライベートにどうこう口を出すつもりはないけれど……今回のようなことがあるのであればそれも考えないといけませんね」
私が恐れていた事はこれだ。
今まで、雪ノ下の長女として振舞っていれば、母の言う事を聞いていればプライベートの大体のことは許された。母も大半は縛るけれど一から十まで全てを束縛するつもりはない。
けれど、今回のように目にあまりすぎるような行為なら、その限りじゃない。
誰でもない。雪ノ下に害が起こるかもしれないなら、母は更に束縛してくる。
それはわかっていた。だから、後回しにして妥協点を考える時間を欲した。
そして母は問うてきた。景虎は「ただの異性の友人か?」と。
今までそういった話はなかった私だ。いつもなら首を縦に振って、肯定していた。だから今回も母はそう断じたのだろうし、それは事実だ。
けれど、私は肯定したくはなかった。
例え事実でも、偽りだとしても。
私にとってこの歪な関係は、ようやく手に入れる事が出来た『本物』だから。
初めて、心の底から欲しいと思えた。壊したくないと思えた。
だから、私は真実を否定したい。肯定すれば失ってしまうから。
でも、景虎は肯定するだろう。
いつだって、煩わしいと言っていた景虎の事だ。この場で即座に否定すれば、関係は解消されるだろうし、以前のように私に振り回されない生活ができるだろう。
初めから、私と景虎には明確な意識の差があったのだから、私がどれだけ肯定しても、景虎自身が否定してしまえば全て終わり。無駄な足掻きだ。
……残念だなぁ。せっかく、私にとって運命とも呼べる出会いがあったというのにーー。
「いえ、俺は雪ノ下陽乃の
……へ?
耳を疑うような言葉が景虎の口から飛び出し、私は思わず、景虎の方に振り返った。
呆気にとられる私をよそに、景虎は続ける。
「クリスマスに一緒にいられなかったものですから、正直な話。俺の我儘に付き合ってもらっただけなんですよ。ですから、軽率だった、というのであれば俺からも謝罪させてもらいます。健全な付き合いをしているつもりですが、まだお母さまからしてみれば、信用出来ないでしょう」
「……では。今回の事は陽乃だけの問題ではなく、貴方も関わっていると?」
「でなければ、一泊する事を許可しませんよ。ただの異性の友人の家に泊めるなんて、色々とマズいでしょう?」
肩をすくめて、景虎はそう嘯いた。
「……陽乃。それは本当のこと?」
「う、うん」
大半が嘘であるけれど、その中には僅かの真実がある。
これが私だけなら貫き通せない嘘ではあった。けれど、景虎も貫くつもりなら、私も貫き通せる。
静寂が訪れ、景虎とお母さんは互いに視線をそらさずに相手を見やる。
それが何秒続いたのか、先に視線を外したのは母の方だった。
「……わかりました。今回の事については不問にします。外泊した事も、男女の関係を築いているのであれば、それを咎めるのはやめておきます……が、今回のように
「はい。陽乃には自分の方から言っておきます」
「陽乃。今日までは許します。今日中には必ず帰ってくるのよ」
お母さんに訊かれて、私は無言で頷き、去っていく母を見送るしかなかった。
そして母がカフェから出て行ったのを見届けて……私はゆっくりと景虎の方を向いた。
「……なんであんな事言ったの?」
あそこで本当の事を言えば、景虎は私から解放される。それは景虎が強く望んでいた事だし、今回はその絶好の機会だった。
なのに、なのに何故恋人だなんて言ったのだろう。私にはわからなかった。
「俺はな……俺からこの勝負を降りるつもりはねえよ。お前が始めた事なんだ。お前の手で終わらせねえと負けたみたいで腹立つんだよ。今までお前には色んなモンで負けてきたけどな。それでもこの勝負まで負けるつもりはさらさらねえよ」
隼人達が近くにいるからか、景虎は私にしかわからないような言い回しでそう言った。
「そんな理由で?」
「お前にとっちゃそんな理由でも、俺にとっては重要だ。それにな……お前と別れたってなったら、俺は殺される可能性があるだろ。俺は死にたくねえんだ」
私にしか聞こえない声で言った言葉は以前から景虎が危惧していた事だった。
私と付き合って、大学の男子のほぼ全てを敵に回し、裏では闇討ちなどの計画を立てられていて、私と離れたらそれら全てが実行されるとの噂。聞いたところによると、その噂はかなり真実味を帯びているようで、そういう裏サークルまで出来ている始末。今度潰しておかないといけない。
「ま、まぁ……それに、なんだ」
「?」
「お前といるのも、最近は……いや、やっぱり今の無しだ」
「そこまで言って無しにする?いいじゃん、全部言っちゃおうよ!」
「言いたくねえよ!絶対に馬鹿にするだろ、お前!」
「馬鹿にはしないよ、茶化すだけで」
「大差ねえって事に気づけ、馬鹿」
そんな事はない。馬鹿にするのと茶化すのは大きく違う事がある。
そこに悪意があるか否か。茶化す時は悪意なんてない。純粋に面白いから、楽しいから、煽っているようなものだ。馬鹿にしているのは見下していたりするから。そこには明確な悪意の差がある。
それに茶化さないにしても、あそこまで言っておいて、やっぱり無しは普通に気になってしまう。
「ともかくだ。俺から白旗は絶対に振らん。お前が続行する気があるなら、何処まででもやってやるよ」
「ふーん……じゃあ、死ぬまでって言ったら?」
「いきなりそこまで行くか………流石にそこまでは知らねえよ」
頭をガシガシとかいて、景虎はそっぽを向く。
わからない、という割に否定はしない事に少しだけ嬉しさを感じる。本当に景虎はツンデレさんだなぁ。言ったら確実に怒るだろうけど。
「なーんか、白けちゃったね。ごめんねー、二人とも。微妙な場に巻き込んじゃって」
「べ、別に大丈夫ですよっ。やー、なんていうか、ゆきのんのお母さん超美人だったし、見れてラッキー、みたいな!」
「俺も別に気にしてません」
言い方こそ違えど、二人とも本当に気にしてないらしい。ガハマちゃんに至っては無用なフォローまでしているけれど、それすらも本音のようだった。
「俺や隼人くんにはないのかよ」
「隼人はこういうのには慣れてるし、景虎は私の彼氏でしょ?なら迷惑かけてもいいんじゃない?というか、寧ろどんどんかけていくけど」
「やめろ。俺だったらなんでもしていいわけじゃねえって言ってんだろ」
「やーだよ。残念だけど、景虎は逃げるチャンスを逃したわけだから。これから覚悟しておいたほうがいいかもよ?」
「怖え……隼人くん。こういう時、どうしたらいいかわかる?」
「い、いやぁ……俺に聞かれても困るというか…」
「モテるんだろ?経験豊富かと思ったけど?」
「隼人は交際経験ないよ。私と同じだから」
隼人は私と同じだ。いや、同じになろうとした、の方が正しいのかもしれない。けれど、こんな生き方は早々できたものじゃないし、はっきり言ってやめた方がいい。必ず後悔する事になる。
……もっとも、それはもう遅いかもしれないけれど。
「交際経験はともかく、陽乃さんと付き合うなら、やっぱり覚悟するとか諦めるとか、そういうのが最善の策だと俺は思いますよ」
「……それはつまり打つ手なしって事じゃないのか」
「ご想像にお任せします」
「二人とも。後で覚悟しといて」
人の眼の前でこの二人はなんて事を言うのだろう。それでは私がまるで血も涙ない外道みたいじゃん。私だって、ちゃんと限度は弁えているつもりだ。それが少し他の人よりも行き過ぎているかもしれないだけで。
「で、これからどうするんだ?」
「うーん。あんまりデートって気分じゃないし。今日はもうやめとこっか」
「まあ……俺は別に構わないけどな。お前がそれでいいんなら」
もしこのままデートを続けていて、面倒な人に会ったら、また空気がぶち壊されてしまう。母に関して言えば、身から出た錆だけど、それ以外は害虫だ。邪魔されると非常に不愉快。
「というわけで、比企谷くん、ガハマちゃん。雪乃ちゃんによろしくね〜。隼人、ファイト!」
ひらひらっと手を振って、二人に別れを告げ、隼人にはこれからも続くであろう恒例行事への参加にエールを送る。例え劣化模造品でも、これぐらいでは疲れはしないだろうけど、私がいない事で更に加わる負担なんかも考慮してみれば、少しは同情してあげなくもない。
「さ。あったかい我が家に帰ろっか」
「お前のうちじゃねえよ……」
side out
僅か二時間のデートを終え、帰ってきた我が家。
帰ってきてもやることといえばゲーム。冬に外に出て遊ぶなんて小学生じみた事をする事はなく、以前よりもずっと低い気温という事もあって、雪ノ下陽乃でさえも外に出て何かしようとは言い出さなかった。
うん、言い出さなかったんですけどね?
「……お前さ。今日やたらと近くない?」
「気のせいじゃない?いつも結構近いよ。目に見える部分じゃ。なんならボディタッチも結構してるし」
「お前の場合、ボディタッチというか、完全に攻撃とかそういうやつだろ。それに近いつっても、ここまで引っ付いてねえ。何考えてんだ?」
「んー……実験?」
「何のだよ……」
笑顔で実験とか怖すぎるんだけど。絶対にろくな事じゃないだろ、それ。
「あ。後」
「?」
「これからはお前禁止。陽乃って呼んで」
「何故に?」
「熟年夫婦じゃないんだから。名前呼んでくれないとやだよ」
「それならハルでも良くないか?」
「いーやーだ。名前が良い」
また気まぐれか……良くある事だし、今更気にもしないが……
「あー、わかった。……陽乃」
「よろしい」
満足げに雪ノ下陽乃は頷くと、更に身を寄せてくる。いや、本当になんなんですか、あなた。新しい遊びでも考案したんですか。
だとしたらこれはあまり俺の精神面において良くない遊びだ。相手が雪ノ下陽乃であっても……否、雪ノ下陽乃であるからこそ、こういう行為における破壊力は抜群なのである。もちろん、下手な気は起こさないし、勘違いなんてまずありえないのだが、それでも意味はある。
なんとか気にしないようにFPSゲームをしているのだが、いつもよりミスが多い上に少しばかり反応速度が落ちている気がする。これも全部、雪ノ下陽乃ってやつの仕業なんだ。
「あれ?ゲームやめちゃうの?」
あまり死にすぎるとゲーム内における俺の戦績が酷いことになってしまうのでやめる。それに、気にしないでおこうとゲームをしていたら、一つ疑問が浮かぶ事があった。
「そういえば、お前の……じゃねえな。陽乃のお袋。聞いてた話とちょいと違う気がするんだが。ひょっとして、あれも『外面』なのか?」
カフェで雪ノ下陽乃の母と話した折、疑問に思った事はそれだった。
雪ノ下陽乃の話から、てっきり邪智暴虐の王すら生温いような人かと思ったのだが、思いの外まともだった。まあ、状況が状況だけにあれでゾッとするような部分が垣間見えたら問題過ぎるわけだが、それにしたって違和感をあまり感じなかった。
「んー、それなんだけどね。多分、景虎が予想外の事をしたからじゃないかな?」
「はぁ?よくわからねえんだけど」
「ほら。景虎は私を恋人って言ったでしょ?」
「まあ、な」
確かに言った。
あの場、あの状況を乗り切るにはそれしかないと判断しての行いだ。もちろん、雪ノ下陽乃が否定すれば一貫の終わりだったが、結果として俺と雪ノ下陽乃は今もこうして関係を終わらせずに話をしているのだから、あの行為は間一髪成功したといったところだろう。
「私って、モテるけど今まで誰とも付き合ったことないし、お見合い話みたいなのも全部蹴ってるの。凄くモテるんだけど」
「なんで二回言った」
「大事な事だから」
事実ですけど二回も言われると非モテ系としては、かなり腹立つんですよ。自慢してんのか、ぶん殴るぞってなる。いや、女の子は殴らないよ。少なくとも今の俺は。
「自分の知らないところで私が恋人を作ってるなんて露程にも思ってなかったんじゃないかな。だから、景虎が恋人だって言って、お母さんも驚いてたし」
「……え?どの辺が?」
全然普通だったと思いますけど?全くわからないんですが。
「わからないのはしょうがないとして……やったね、景虎。これで景虎はお母さんに目をつけられ……認められたと思うよ」
「おい、今目をつけられたとか言いかけたよな?認められたって害虫認定されただけじゃないのか?」
「……」
「そこは否定しろよ」
「冗談。害虫認定はないから安心して」
くすりと笑って、雪ノ下陽乃はそう言ったが、ひょっとしたら合ってるかもしれない。
言ってる事が正しければ、雪ノ下陽乃は母からのお見合い話とかを片っ端から蹴っていて、母の意思に背いているという事になる。そして俺という恋人を作る事で更に反抗の意思を示しているようにも取れる。もしかしたら、この仮面カップルを始めたきっかけはそこにあるのかもしれないが、今それを聞く意味はないだろう。
「それよりもさ。一つ気になってる事があるんだけどさ」
「今度はなんだ」
「景虎の姓の九条ってーー」
「知らん。俺には関係ない」
「私まだ何も言ってないんだけど……それ絶対に関係あるよね?」
「ねえつってんだろ。それ以上言うなら叩きだすぞ」
少しばかりの苛立ちを込めて言う。
そう。今の俺には関係のない話だ。呼ばれたところで帰るつもりはないし、ぶっ倒れても知らんふりを通す。何の音沙汰もない辺り、あっちも俺がいなくても日常が回っている証拠だ。
ともあれ、やっちまったな。
雪ノ下陽乃の前で地雷を晒すというのは、踏んでくださいと言っているようなものだ。嬉々として、どんどん突っ込んでーー
「あ……ごめん。地雷、踏み抜いちゃったね」
ーーこなかった。
それどころか、目を伏せて、少しだけ申し訳なさそうに謝った。
らしくない。何時ものような演技というには全くあざとくないし、それ特有の狙ったかのような雰囲気がまるで感じられない。そのせいで、こちらも少しやってしまったかのように心に罪悪感が湧いてしまった。
「……悪い、言いすぎた。家族のことは掘り返されるのは好きじゃねえんだ。どうにも、折り合いが悪くてな」
「……仲悪いの?」
「悪くはねえさ。俺が一方的に煙たがってるだけ。ちょっとした反抗期ってやつだ」
悪くはなかったし、俺もあの出来事があるまでは普通に両親の事は好きだった。あの事件がきっかけで中学の途中から何年間もずっと反抗期だ。
「景虎も家族の事で苦労してるんだ」
「陽乃に比べれば可愛いもんだ。いや、比べるのもおこがましいレベルだな」
いや、本当に。
つーか、だからこそ言いたくない。雪ノ下陽乃には特に。馬鹿にされるを通り越して呆れられる可能性がものすごく高い。それだけあっけない理由なんだ。
しかし、雪ノ下陽乃が俺の姓に疑問を抱いたということは、雪ノ下の母も疑問を抱いたかもしれない。まあ、知られても痛くもかゆくもないんだが。
「問題はないけどな。とりあえず、家族の事は勘弁してくれ。面白がるのは結構だが、そいつだけはノッてやれねえよ」
「寧ろ、景虎がノってくれた事なんてあったっけ?」
「大体ノってるだろ」
渋々とか嫌々とか、前に付くかもしれないし、やる気もないけど、雪ノ下陽乃の望んだ事には結果的に応えてはいる。ほら、後が怖いし。
「じゃあ……今から私がする事にもノってくれる?」
「内容次第だな。あんまりふざけた事とか、実行不可能な事は無理だ」
「だーいじょうぶっ。悪い事はしないから♪」
何故か唐突に陽気な声で言う雪ノ下陽乃に俺は思わず肩をびくっと震わせた。
今までのノリならこの後に待っているのはロクでもない事だった。そして失念していた。雪ノ下陽乃は嫌だと言ったら、頑としてそれを実行しようとする人間だという事をーー
「景虎。私の婚約者になってくれない?」
「…………………………………はぁ?」
何言ってんだ、こいつは。
あまりにも唐突に。
雪ノ下陽乃は訳のわからない事を口走った。
正気を疑いそうになった。いくら雪ノ下陽乃といえど、こんな訳のわからない冗談はぶっ混んできた事がない。なんならキスしようとすらも言ったことがない。今日の寝起きのあれもキスしたと見せかけて、紛らわしい行為があったが、それも俺が狼狽える様を見たかっただけだろう。
そして、今回のこれも俺を遊ぶためだけのおふざけなのだろう。
そう高をくくっているというのに。
「そうすれば、いろいろと丸く収まるんだけど……どうかな?」
何故こいつはおどけた口調。何時もの表情で。
素の部分をさらけ出しているのだろうか。
どちらかわからない。
演技なのか、本気なのか。
こんなふざけた内容が本気であるはずがないのに。
雪ノ下陽乃を知ってしまったからか。はたまた、俺の心のどこかにそれを期待している心があったからか。
このふざけた言葉さえも、雪ノ下陽乃が本心を交え、そう訴えていると受け取ってしまう。
ごくりと生唾を飲み込み、雪ノ下陽乃と目を合わせること数秒。
たったそれだけの時間でさえも、途方もなく思えてしまう。
「……なーんちゃって。どう?驚いた?」
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩和した。
流石に俺も今回はがくりと肩を落として、息を吐く。
人を小馬鹿にする事にどこまで全力を費やしてるんだ、この女。
「相変わらず景虎はこの手の冗談には弱いね。初心なんだから♪」
「うるせえ。こちとらモテた事もなけりゃ、付き合った事もねえんだよ」
「そんな!私とは遊びだったの!?」
「いや、そうじゃねえだろ。寧ろ、俺が遊ばれてる側だからな?」
「それもそっか」
初心なのは仕方がない。元々男女交際の経験は零なのだから。モテない男子に思わせぶりな行動をするのはやめましょう。マジで勘違いする子がいるから。告白して、振られて、馬鹿にされるというオチまで待ってる。それを笑う畜生共はマジで許すまじ。
「冗談はさておいて。ここからが本題」
「なんだそりゃ」
悪ふざけに冗談とか本題とかあるのか。今初めて知ったわ。
「これからも彼氏続けてくれる?」
「あ?だから、辞めたら俺死ぬから」
「そういう損得感情抜きで、ね。私と一緒にいてくれるかって話」
またわけのわからない事を言ってくるな、こいつは。
確かに、今まで九条景虎は雪ノ下陽乃が作りだした勘違いの脅しで、絶対にその偽りの関係を終わらせられない立場にいたし、今でもそうだ。いくら俺が昔不良だったといっても、昔の話だし、そもそも俺より強い奴だって普通にいるだろう。
だが、それは正直に言って建前のようなものだ。雪ノ下陽乃に弄られず、かつ馬鹿にされない事実。闇討ちとか抹殺計画とか、雪ノ下陽乃を好きな人間は好きであっても崇拝してはいないだろう。
うちの大学はそこまで脳内レベルの低い場所じゃない。事件を起こして、将来を捨ててもいいなんて輩は両手で数えられればいい方だろう。もっとも、雪ノ下陽乃が先導すれば話は別だが、それもない。
なら、何故そこまでわかっていて、俺がこいつと一緒にいるのかなんて考えるまでもない。そんなの、一つしかないだろう。
「くだらん事聞くなよ。そんなの初めから決まってんだろ」
「やっぱり……そう、だよね」
「いいに決まってんだろ。そんな事」
俺が何もかもわかった上でこんな関係を続けているのは、損得感情なんてなくてもいいからに決まっている。
「単に陽乃といるのが楽しいんだよ。暇なんてしねえし、時々胃は痛くなるけど。それでも今まで楽しくやれたのは、陽乃がいたからだって俺は思うぜ。時々頭が痛くなるけど。だからな。損得感情抜きだとしても、俺は俺から陽乃と一緒にいる事はやめねえよ」
これが俺の答えだ。
雪ノ下陽乃といる日常は基本的に刺激的だ。
それは怠惰に過ごす暇すらない、忙しい日かもしれないが、刺激があるという事は『つまらない』と感じる暇もないという事だ。そして、若い人間というものは常に刺激を求める。安寧を求め続けるのはごく一部の若者と四十過ぎたおじさんとかだ。少なくとも、俺は刺激がある方がずっといい。
そして雪ノ下陽乃との日常には常に刺激がつき回る。望もうが望むまいが、雪ノ下陽乃が怠惰を否定し、暇を拒絶し、愉悦を求める限り、俺の意思とは関係なく、当たり前が遠ざかる。
だが、それがなんだというのだろうか。
誰だって楽しい事を求めるし、暇をするのは嫌だろう。何もしないでいたいなんて、それは人である事を放棄したいのと同義だ。
「俺は俺の意思で陽乃といたいって思ってるわけだが……それでなんか文句あるか?」
「文句なんてないよ……けど、ちょっと待って」
そう言うと、雪ノ下陽乃はぷいっとそっぽを向いた。
「どうした?」
「ごめん。今、景虎の事直視できない」
「なんでだよ。なんかおかしいこと言ったか?」
直視されてもこっちも困るけど……そう言われると俺がとてつもなく気持ち悪い事を言ったのではないかと思ってしまう。
「おかしくは……ううん。やっぱりおかしいや」
「は?なんだよ、それ」
「だって普通付き合ってもない子にそんな事言わないでしょ。変だよ、景虎は」
「いや、変じゃねえよ。変なのはお前だからな?」
「お前じゃないでしょ、陽乃。それに景虎の方が変だから。私と一年近く一緒にいて、私の事色々知って、それでも変わらずにいられるなんて、景虎ぐらいしかいないよ。普通じゃない」
「それ自分で自分は普通じゃないって言ってないか?」
「そう言ってるの。私が普通だと思う?」
「普通じゃねえな」
挙げればきりがないほどに雪ノ下陽乃には普通といえる要素がほぼない。やればできる子とでも言えばいいのだろうか。本当にやる気さえあればできない事なんてないのだろう。
「だから、私が選んだ景虎も普通じゃないし、一緒にいてもいいとかいうのも普通じゃない」
「そう言われると……否定できねえな」
雪ノ下陽乃に選ばれた時点で、俺は普通じゃないというのは悔しい事に大いに説得力がある。刺激を求める時点で、普通では満足できない。当然異常性を求め、お眼鏡にかなってしまった俺は普通じゃない。
そしてこの関係を最終的に続けていく事を肯定した事も普通じゃない。
雪ノ下陽乃のように何か才能に溢れているわけでも、飛び抜けた容姿や頭脳を持っているわけでもないが、感性という点では雪ノ下陽乃と同じらしいという事を今の今になって思い知らされた。
「まあいいんじゃねえの。片方だけならともかく、両方変なら問題ねえよ。釣り合い取れてんじゃねえか……つーか、耳真っ赤だけど、本当にどうした?風邪引いたのか?」
そっぽを向いてるから顔は見えないが、髪の毛のかかっていない耳が真っ赤だった。なんだかんだ言って、帰るときは寒いって文句を垂れていたので、それで体調でも崩したのかもしれない。
「……なんでもないって」
「なんでもなくはないだろ。ほれ、こっち向け」
両手で雪ノ下陽乃の顔をはさみ、こちらに向ける。
俺が強制行動に出るとは思ってなかったらしく、無抵抗でこちらを向いた。
「顔真っ赤じゃねえか。本当に大丈夫か?」
「〜〜〜〜っ!?」
バチンッ!
顔を覗きこみ、雪ノ下陽乃の顔がより一層赤みを帯びた瞬間、視界がスパークした。
結論から言うと、雪ノ下陽乃にビンタされたらしい。
………なんで?