冬休みが明けて、一月の中旬頃。
私は喫茶店で一人、ある人を待っていた。
それは景虎じゃない。今日は景虎を除いて、最も私の友人と呼べる人を待っている。
約束の時間まであと数分。本でも読みながら待とうと思っていたけれど、これから話そうと思っている事を考えると、全然内容が頭に入ってきそうにないから、それも止める。
何をして暇を潰そうか、そう考えていたその時、私の待ち人が入店してきた。
周囲を見回し、私の存在を確認すると、こちらに向かって歩いてきた。
「……全く、どういう風の吹き回しか。お前から『相談がある』とはな。陽乃」
「私だって、相談したいことぐらいあるよ?決め付けはよくないなぁ、静ちゃん」
「そうやって、君の暇つぶしに何度付き合わされたことか。あまりふざけた事を言うなら、私も帰るぞ。こう見えて、結構忙しいんだ」
椅子に腰を深くおろし、静ちゃんはうんざりしたように言う。
何回も私が適当な理由をつけて、暇つぶしに付き合わせてしまったことがここにきて、私の足を引っ張っているらしい。それでも断らないところが静ちゃんらしい。
「大丈夫。……今日は結構真面目な話だから」
私がそう言うと、静ちゃんは目を瞬かせた。
多分、私らしくないと思っているんだろう。
私だって、少し前までならこんな風に静ちゃんに真剣に相談なんてしなかったはずだ。
なのに、そう思ってしまったのは、やっぱり景虎のせいに違いない。
「……驚いたな。どういう心境の変化だ?本当に『相談』があるのか?」
「だからそう言ってるでしょー?静ちゃんてば、私の事を何だと思ってるの?」
私の問いに静ちゃんは答えない。静ちゃんが私の事をどう思ってくれていたのかは私もよく知っているし、何よりその話をしていると、話が逸れていきそうだったから、私もあえてそれを追求する事はしなかった。
「それで。相談というのはなんだ?よもや君に限って、進路や将来のことで相談を持ちかけてはこないだろう?」
「うん。それはどうにでもなるし。興味もないし」
進路や将来が興味もないっていうのは問題かもしれないけれど、それでも今の私にはどうでもいいことだった。
「あのね。景虎……えーと、静ちゃんには九条って言った方が伝わるかな?」
「ああ。その九条がどうした?まさか喧嘩をしたから仲直りの手伝いをしろ、なんて言う気ではないだろうな?」
「違うよ。喧嘩なんてするわけないじゃん」
お互いに引き際をわかっているから、喧嘩なんてまず起こらないし、そもそも景虎が本気で怒ったところなんて見たことない。前は地雷を踏んでしまって、苛立たせてしまったけれど、それもすぐになりを潜めていた。
「では、なんだ?」
「私、景虎の事を好きになっちゃったみたい」
「……陽乃。惚気話がしたいなら、他所でしてこい。というか、私もそろそろ君だけは女性だとしても例外として殴ってもいいのではないかと思い始めたんだが?」
苛立った様子で静ちゃんが拳を強く握りしめる。
何故そう取られたのだろう、と思って、私はうっかりしていたことに気付いた。
私達の関係は私達以外誰も知らない。
なら、静ちゃんは私と景虎が元から付き合っていると思ってるんだ。だから、静ちゃんからしてみれば、私が惚気話をしているようにしか聞こえない。
「ごめん、静ちゃん。その前に説明しなきゃいけないことがあった」
じとりと睨んでくる静ちゃんに私は今日に至るまでの全てを説明する。
本当ならこんな面倒な事はしたくないけれど、私が静ちゃんに持ちかけた最初で最後の本気の相談だから。懇切丁寧に、全てを話した。
「……成る程。感じていた違和感はそれか」
「やっぱり静ちゃんは薄々気づいてたんだね」
「確証はなかった。ましてや、君の事だ。普通のカップルの定義で測れる筈もない……が、予想通りに普通ではなかったか」
静ちゃんは、いずれ気づくのではないかと思ってた。
なんだかんだ言って、景虎と出会う以前の私の一番の友達だから。私がどういう人間かもある程度理解してくれていたし、それも込みで付き合ってくれていた。
「しかし、なんとも君らしくないな。策士策に溺れるといったところか、陽乃」
「うぅ~、だってしょうがないでしょ。景虎が普通じゃないんだってば。いつも私の想定外の事ばっかりするし、距離の詰め方が独特だし、いざって時に全然行動が読めないんだもん」
「あの雪ノ下陽乃がか。初めて天敵と出会った挙句、見事に落とされたわけだ」
確かに景虎は私の天敵かもしれない。
普段の行動は読めても、いざという時の行動が予想外で、私を楽しませてくれたけど、それ以上に私の心の深い部分まで見透かされるようなことになってしまった。
その結果、私は景虎に好意のようなものを抱いてしまっている。何もかも見透かされつつある現状を嬉しいと感じてしまっている私がいる。漸く、雪ノ下陽乃を理解しようとしてくれている人物に逢えた事に歓喜している私がいる。
「それで。君はどうしたいんだ?」
「そ、それはもちろん……ちゃんと恋人になりたい、けど……」
つい、私らしくない。口をモゴモゴとさせながら言ってしまう。
うぅ……やっぱり恥ずかしいなぁ。
「ならば、さっさと告白すればいい。君が言い寄れば、九条も何かしらリアクションを返してくるはずだ」
「……多分信じないし、もし振られたら……」
考えるのも嫌になる。今の関係は私にとって、とても良いものだ。
景虎は家族を除いて、私にとっての唯一の『本物』だ。かけがえのない存在だ。
だから、例え関係は偽物だとしても、今のままで景虎のそばにいれるのなら、それでいい。
……あはは、そうやって考える自分に反吐がでる。
だってそれは、私が比企谷くんたちにぶつけた疑問そのものだ。本物を求めて、かけがえのないものを失うのなら、偽物でも今を過ごすという、最悪の選択肢。
つまらないと一蹴したあの時の私の言葉が、今になって返ってくるとは思わなかった。滑稽極まりない。
「怖いか。ふっ……良い顔をするようになったな、陽乃」
「……静ちゃん、馬鹿にしてる?」
「いいや。作ったものじゃない。本当の意味で君も女の顔をするようになった。私は友人として、素直に嬉しく思う」
「……言ってることは年寄りくさいけどね」
「ははっ、なんとでもいいたまえ。今の君の言葉では、私の心に傷を与える事など出来んよ」
いつもなら、露骨に傷ついたような素振りを見せるのに、余裕たっぷりに静ちゃんは笑いを見せた。
初めて静ちゃんに対して敗北感を感じている気がする。なんだか納得いかない。
「さて……その乙女思考はともかく、告白しないならこれからどうするかだが……」
「しないわけじゃないの。ただ、失敗したら、一緒にいられなくなるし、踏み出せないっていうか……」
「ふむ。では、正攻法かつ地道な作業ではあるが、好感度を上げていくしかないだろう」
「えー……なんか、こう、一気に好きになってくれそうな方法ない?」
「漫画じゃないんだ。そんな方法があるわけないだろう」
自分で言っておいてなんだけど、それはそうだ。
私が景虎を好きになるのに半年以上の時間をかけたように。
景虎もまた、私を好きになってくれるようにするには同じようにしなければいけない。
はたして、同じように時間をかければ好きになってくれるのかは定かではないけれど。だって、景虎のタイプからいえば、私はその対極に位置する人間なわけだし。
「あー……凄く辛いね。なんで皆はよく悩みもせずに告白なんて出来るの?」
「悩んでいないわけではないだろうさ。ただ、その想いの度合いが違うんだ。それは陽乃、君もよく知っているはずだ」
想いの度合いが違う。
確かに私に告白してきた人は総じて振ってきたけれど、その時のリアクションはそれぞれ異なっていた。
初めから振られることをわかっているような素振りの人もいれば、淡い期待にかけていたけどやっぱりダメだったと嘯く人、一世一代の賭けに敗れこの世の終わりだと崩れ落ちる人etc…。
今まではさして気にしていなかった事だけれど、思い返してみれば、静ちゃんの言う通り、想いの度合いが違う。
仮に私が今告白して振られたら……どうなるんだろう。みっともなく泣き崩れるのか、はたまた既にわかりきっている結果でビクともしないのか、どちらにしてもあまり喜ばしい事じゃない。
「まあいい。悩む事はそう悪い事ではないし、少なくとも一時の感情……と言えるほど、君の想いは軽くないのは確かだ。そこまで本気なら私も友人の恋を応援しようじゃないか」
「ありがと、静ちゃん。それで何をすればーーあ」
思わず、間の抜けた声を上げてしまった。
というのも、偶々喫茶店に景虎と比較的よく一緒にいる(基本は私と一緒にいるから)お友達(名前忘れた)子が男友達二人と談笑しながら、入ってきたからだ。
……これはひょっとして……ううん、ひょっとしなくてもチャンスかもしれない。
「どうした、陽乃?」
「ちょっと待っててね、静ちゃん」
私は椅子から立ち上がり、スタスタとそのお友達がいる方に向かっていく。
あちらはまだ私の存在に気付かず、談笑していたものの、残り一メートルとなったところで私の目的の子と話していた子が私の存在に気がついた。
「ゆ、雪ノ下さん!?」
「は?いや、なんで雪ノ下さんの名前が……うわっ!?雪ノ下さんだ!」
「なんでこんなところに!?」
「時々、ここに来るんだ。今日は友達に悩み事があって聞いてもらってるの」
私が後ろに振り向くと、三人の視線も静ちゃんへと注がれる。
注目を集めている静ちゃんは特に気にした様子もなく、ひらひらとこちらに手を振るだけだった。
「うわっ、凄い美人な人だ。でも、なんか学生って感じじゃないよな」
「ちょい年上なんじゃね?まあ、流石雪ノ下さんの友達ってだけあるわ」
「……俺、惚れそう」
「確かに哲平のドストライクじゃね?あの人」
「オタクかどうか話して置いておいての話だけど」
静ちゃんを見た三人が口々に思い思いの事を話していく。
思った以上に大人気だね、静ちゃん。いつも、ああしてれば全然モテると思うのに。
因みに敢えて言わないのは、可哀想だけど面白そうだから♪
それと……名前は哲平くんか。
うん、良かった。本人から聞く前に知る事ができて。
「ねえ、ちょっと哲平くんに用があるんだけど……借りてもいいかな?」
私が上目遣いにそう尋ねると、哲平くんのお友達二人はぶんぶんと無言で頭を縦に振り、生け贄でも差し出すかのようにその背中を押した。やっぱりほんの一握りを除けば、私のこの仮面は通用する。初めて恋を知って、果たしてどのレベルにまで通用するのかは知らないけれど、今はまだ自然にできるみたいだ。
「あー、あの、用ってなんですか?」
「うーん。ちょっとここじゃ話し辛いから、あっちで話さない?」
「は、はあ……」
とりあえず、といった感じに哲平くんは頭を縦に振ると、私の後をついてくる。
テーブルに着くと、私が静ちゃんの隣に、私と向かい合わせになるように哲平くんが座った。
「あの……話って、九条の事なんじゃないですか?」
おずおずといった風に尋ねてきた割には、哲平くんの問いは的確なものだった。
「そうだよ。なんでわかったの?」
首をかしげながら、問いかけると哲平くんは言う。
「いや、雪ノ下さんが俺に用があるなんて、九条関係の事でないとあり得ないでしょう。それに、俺の名前、覚えてないんじゃないですか?」
「どうしてそう思うの?」
「九条はともかく、他のやつは苗字じゃないですか。なのに、俺はいきなり名前だなんて、余程馴れ馴れしい奴か、苗字を覚えてなくて今聞いたばっかの名前を口にしたかのどっちかなんじゃないかって」
「それも正解。私からも言わせてもらうなら、流石は景虎の友達だね」
「まあ……あいつとは高校の頃からの付き合いですけど、それなりに友達だと思ってます」
高校の頃からの付き合い……ということは、高校時代の景虎のことを知るチャンスかもしれない。
本当なら色々聞こうと思ったけど、そっちを聞けば何かわかるかもしれない。好きなタイプも、もしかしたら違うかもしれないし。
「高校の頃の景虎ってどうだったの?」
「途中から編入してきたんですけど、あの頃の九条は……なんていうか、飢えた獣みたいな野郎でした。目つきはやばかったし、噂じゃ前の高校で暴力事件を起こしたからこっちに来たんじゃないかって言われてました」
「それって中学までの話じゃないの?」
素朴な疑問。
確か、景虎は自分が不良だったのは中学までの話で、それ以降はなりを潜めたと言っていたような気がする。
「一番荒れてたのはその時期らしいんですけど、編入して間も無い頃はそりゃもうえげつなかったですよ。うちの生徒もビビりまくりで、誰も近づこうとすら思わなかった」
「じゃあ、なんで哲平くんは友達なのかな?」
「ああ……それは、まあなんといいますか。ゲーセンで遊んでる時に偶々他校の奴らに絡まれてるところを助けてもらって、それでその時同じゲームにハマってたんで、そこから意気投合したんすよ。ゲーオタ皆兄弟的な感じで。それからですかね、九条が徐々に周りに馴染もうとし始めたの」
そう語る哲平くんは、昔を懐かしむような表情だった。
一体、その時に何があって、何が景虎を変えたのかはわからないし、知りたいけれど、それは訊いてはいけないのだと思った。
だって、景虎自身の口から、私に伝えられていないから。景虎が私には話したく無いと思っていることだから、それを勝手に私が知るのは景虎への裏切りだと思った。
「って、言っても最初はすぐに手が出るんで、よくからかったりした時に頭にたんこぶ出来てたんすけど。今じゃ、もう見る影も無いって感じでしょう?」
「うん。そうだね」
そんな話なんて、信じられないくらいに景虎は優しい。ぶっきらぼうだし、私と違って、オブラートに包まず毒を吐くけれど、それは景虎が自分に正直で、思った事を伝えてくれている証拠だ。下手に気を遣ってこないだけ、いっそ清々しいくらい。
「あいつも雪ノ下さんと付き合い始めて、一層丸くなりましたよ。殆ど怒らなくなりましたし、いつも上機嫌だし」
「あ、あはは……それは良かったかな」
それはおそらく、私と一緒じゃ無いからだと思うなぁ。
私といると気苦労が絶えない。頭とか胃が痛くなるって景虎も言っていたし、上機嫌なのは自由を取り戻しているからなんじゃないだろうか。
「それ以外にも、よく雪ノ下さんの話もしますよ。惚気話するなって、ぶん殴ってやりましたけど」
くつくつと笑いを噛み殺しながら、哲平くんはそう言った。
一体何の話をしているんだろう。興味半分、不安半分といったところだ。気になるけれど、その一歩が踏み出せそうにない。
それを察したのか、はたまた話すつもりだったのか、哲平くんは続ける。
「九条ってあんなだから、雪ノ下さんに何を言ってるのか大体想像つきますけど、それでも九条は九条なりに雪ノ下さんのことを好きだって思ってますよ」
「?どうしてそう思うの?」
私達は傍目から見れば、カップルらしい行動はとってはいるものの、景虎の態度は雑ではないけれど素っ気ない。実の話、友達から景虎と本当に好き合っているのかと訊かれたことも数度ある。
なのに、何故彼はそう言い切れるのだろう。
「九条のやつは、嫌ってたり、興味ない奴には本当に適当なんですよ。それこそ目も合わせてくれませんし」
「……それって、経験談?」
「そんなところです」
そう言った後、哲平くんは深く息を吐いて、肩を落とした。
「ったく、あーあ、羨ましいったらねえな。なんで毎回毎回俺ばっかりこんな役回りさせられるかねえ。そろそろ、俺にもお鉢が回ってきてもいいと思うんだけどなぁ」
思ったよりも結構苦労しているらしい。
毎回と言っている辺り、景虎の事で哲平くんは色々と苦労をかけされられているみたい。
……でも、その理屈で行くと、景虎って高校のときはそれなりにモテてたんじゃ……。
「ひょっとして、景虎って鈍感だったりする?」
「鈍感っていうよりは、興味ないんですよ。相手がどう思ってるかなんて。なのに、それが妙に女子にモテて……それで毎回俺が取り継ぐ羽目に……なのに、九条のやつはどう言っても通じないし……オブラートに包んで断る方の身にもなって欲しいですよ……」
……今の景虎からは想像も出来ないような話だ。
少し前に総武高校に景虎がいたら、なんて話をしたけれど、その時の景虎じゃ取り付く島もないかもしれない。話を聞くとか聞かない以前に『興味がない』っていうのはどうしようもない。景虎は初対面でも、私に多少なり違和感を感じていたと言っていたし、そうなると対人関係を築いていくという点では、比企谷くんと同等かそれ以上の難敵になるかも。
「まあ、雪ノ下さんは別でしょう。ちょっと普通のカップルとは違う感じもしますけど、お似合いだと思います」
「嬉しいこと言ってくれて、ありがとう。お礼と言ってはなんだけど、そんな哲平くんには静ちゃんを紹介してあげるよ」
「何故、そこで私の名前が出てくる。礼をするなら自分でどうにかできるだろう」
「えー?多分、哲平くんには一番良いお礼だと思うんだけどなぁ……さっきからチラチラ静ちゃんの方見てるし」
「また根も葉もない事を……哲平くんと言ったな。怒っても構わん。こんなふざけた事を言う奴には」
「い、いやぁ……そ、その、全然嘘じゃないです……ね」
僅かに赤くなった頬をかきながら、哲平くんはそっぽを向いた。
……そういえば、静ちゃんみたいな人がタイプな景虎のお友達がいるって言ってたけど………もしかしてこの子の事なのかな?
横目でチラチラと見ていたのは確かだったけど……これはいよいよ静ちゃんにも春が来たのかな?面白そ……じゃなかった。友達だし手を貸してあげなきゃ!
「良かったねー、哲平くん。静ちゃんは今絶賛彼氏募集中だから、立候補したら、チャンスあるかもよー?」
「え?マジっすか。じゃあ、立候補します!」
「待て待て。陽乃の言葉を真に受けないでくれ。君とは一回りも違うんだぞ?」
「寧ろ大歓迎なんですが」
「え?」
「え?」
哲平くんと静ちゃんは二人揃って、間の抜けた声を上げた。静ちゃんは予想外の答えから、哲平くんは問題があるのかと首を傾げた。
「あはは、息ぴったり。お似合いなんじゃない?」
「からかうな、陽乃。笑い事じゃないぞ」
「いつもはあんなに早く結婚したいってーー」
「わかったわかった!さっきの事は謝る。だからそれ以上は言うな!」
慌てふためく静ちゃん。うん、これがいつもどおりな感じがする。私が静ちゃんに遊ばれるのなんて、面白くないし、おかしいもん。
「君もだ。本気にすると、後で痛い目を見るぞ」
「は、はは、なんとなくそんな気がします……」
ジロリと睨まれて、たじろぐ哲平くんだけど、ポケットから紙を取り出して、すらすらと何かを書き始める。
そしてそれを書き終えたとき、哲平くんは静ちゃんに向けて、差し出した。
「……これは何かね」
「俺の連絡先です。暇な時でいいんで、どっか遊びに行きましょう」
「はぁ……君は人の話を聞いていなかったのか?陽乃の冗談に付き合う必要はないんだぞ?」
「俺は本気です。静さんが良いなら、よろしくお願いします」
席を立って一礼した後、哲平くんはそのままお店を出て行ってしまった。……友達を置いて。
「行っちゃったねー。どう?言い寄られた感想は?」
「どうも何もあるものか。確かに私は結婚したい。だが、自分よりも一回り下の男に手を出そうとは思わん」
「いいじゃん。愛に年の差なんて関係ないよ」
「……えらくマトモな事を言ったかと思ったが、その顔は完全に愉しんでいるな」
「うん。景虎は友達も面白いなーって」
なかなか個性的。静ちゃんとセットでなら、一緒にいても全然退屈しなさそうだった。
「やれやれ……恋を知れば変わるものもあるかと思ったが、これではあまり大差はないな」
「まあねー」
伊達に何年も仮面を被り、演じ続けてきたわけじゃない。
例え、恋を知っても、根本的な部分は変わらないと思う。それは私の本性であり、本質だから。比企谷くんが捻くれていても優しいように、ガハマちゃんが空気を読んでいても困っているときはお節介を焼こうとするように、静ちゃんがなんだかんだ言っても面倒見がいいように。私だって変わらない。
けれど、その大差のない変化でも、私にとっては大きな転機だ。
普通の人が生涯に何人も人を愛するとして、私はどれだけの人を愛する事ができるだろう。
はたして、心の底から愛おしいと思える人間は……。
私は知りたい。景虎の事も、私自身の事も。
お互いに知って、理解して、共感して、反発してーー。
どうなろうと構わない。色んな感情をぶつけ合って、本性を剥き出しあって、何もかも曝け出したい。
もしかしたら、その先で景虎に幻滅されるかもしれないし、嫌われてしまうかもしれない。
けれど、だとしても、私は景虎と一緒にいたい。
その為にはなんだってしようだなんて思うのは、私が私である所以だからなのかな?
外の景色を眺めながら、私はそんな事を思っていた時、不意に携帯が震えた。
side out
「はぁ……暇だ」
棚の整理をしながら、俺はそう呟いた。
今は絶賛バイト中なわけなのだが、今日は珍しくほぼお客さんがいない。まあ、元々盛況してるわけじゃないが。
忙しいのは困りものだが、暇すぎるのも時間の経過が遅すぎて怠い。
店長は『暇だから任せるわ。完徹でネトゲして眠いから』といって、裏の休憩室で爆睡している。それでいいのかと突っ込みたくなるものの、あの人にはゲーム関連の無理は通じるし、俺もそれに甘えているときもあるので文句は言わない。もっとも、忙しくなってきたら叩き起こす所存ではある。
しかし、いくらなんでも暇すぎるな。
時間の貯蔵ができるなら、この暇な時間を全てゲームする時間にあてがうのだが……誰か作ってくれねえかな。多分、ものすごい需要があると思う。
と、その時、店の電話が鳴る。
うちの店は喫茶店なので予約してくる人間なんて滅多にない。
電話が来るとすれば、業者さん辺りだと思うんだが……。
いつもなら店長が電話対応しているからなぁ………店長起こすのも可哀想だ。留守ってことにしておいて、後で電話をかけ直すとでも言っておくか。
子機を手にとって、通話ボタンを押す。
「お電話ありがとうございます。こちらーー」
『もしもし、景虎!?』
「うおっ!?」
気を抜いていた時に突然受話器越しに大声が聞こえたので、反射的に電話を投げ捨てそうになったが、電話越しに聞こえた声と名前の呼び方に相手がすぐに誰かわかったため、すぐに電話に耳を当てる。
「お前、陽乃か?」
『うん、そうだよ』
やっぱり……なんでまたバイト中に掛けてくるんだよ。
「あのなぁ、今日はバイトあるから六時くらいまで相手は出来ねえって言ったろ?」
『それは知ってるし、今回は私の用じゃないの!』
「わかったわかった。わかったから電話口で大声出すな。耳がキーンってなるだろ」
こいつにしては珍しい。大声を出す事なんてほぼ無い。つーか、なんか妙に焦ってるように聞こえる。
「お前の用じゃないならなんなんだ。暇つぶし、なんて言うなよ」
『だから違うってば。これは私もちょっと予想してなかったというか、寧ろ当然といえば当然な事が起きたの!』
「なんだそりゃ?」
雪ノ下陽乃をして、予想外とは何事だろうか。未来予知レベルに自分の関わったこと、面白そうだと判断したことへの反応の速さは異常だというのに。
『えーとね。落ち着いて聞いて欲しいんだけど、実は』
と、其処で電話が切れた。
何やってんだ、あいつと思っていたら、電話のバッテリーが切れたらしい。充電器のコンセントがしっかり刺さってなかったせいで、全く充電出来ていなかったようだ。はぁ……また何か雪ノ下陽乃に文句を言われそうだ。結局、何が言いたいのかも聞けずじまいだったし。
電話を改めて充電器に挿し、さっきまでと同じように棚の整理やら、掃除を再開しようとしたその時、入り口のベルが鳴った。
「いらっしゃ……?」
これである程度、暇が潰れるな。なんて考えながら、そちらを向くと、そこには予想外の人物が立っていた。
言葉を失う、俺の視線の先にいた人物。それはーー。
「お久しぶり、といったほうがいいのかしら?九条さん」
雪ノ下母、その人だった。