魔王の玩具   作:ひーまじん

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ようやく二人は本物になる

もう、終わりだと思っていた。

 

一番知られちゃいけない人に知られてしまったから。

 

景虎が逃げるための最高の口実を持って、お母さんが景虎に会いに行ったとわかって、なんとかその前に妨害しようとした。

 

景虎は煩わしく思っていたはずだ。今の関係は楽しいし、自分からやめることはないと言ったけれど、それでも私がかけてきた負担は大きいと言っていた。

 

だから、景虎が出てきた時、もう終わったと思ってしまった。

 

景虎が言いたいことがあると言った時、初めて何も喋らないで欲しいと、そう切に願った。

 

けれど、そう言ってしまうと感情に流されてしまいそうだったから、理性を総動員して、私は景虎の話を聞くことにした。

 

景虎が話すたびに、心が壊れそうだった。

 

その一言一言が私達の関係を終わらせるための、破滅の唄に聞こえたから。

 

かろうじて涙をこらえたものの、体の震えがどうしても止まらない。

 

恐い。

 

私の心の中を埋め尽くしたのは、その感情だけ。

 

今までどれだけの人に恐怖を与えてきたのか、その報いだとでもいうのか。

 

ただ、私は恐かった。

 

このまま、景虎と赤の他人になってしまうことが。

 

ただの友人としてさえも、いられなくなるのが。

 

ようやく見つけた私の『本物』を失ってしまうのが。

 

だからーー。

 

「陽乃。俺はお前が好きだ」

 

これは完全に不意打ちだった。

 

気づけば、景虎の顔が目の前にあった。

 

なんで?どうして?と理解しようとしても、全く理解できない。

 

かつてないほどに混乱している私をよそに、景虎の顔が離れた。

 

「これが俺の本心だ、陽乃。俺にとっての『本物』はお前しかいない。偽物じゃなくて、本当の恋人になってくれ」

 

真摯な表情で景虎は言い放った。

 

その言葉を理解するのに私は十数秒の時間を要した。

 

未だ嘗て、私がこんなにも単純な事を理解するのに時間がかかったことはないかもしれない。

 

そして、景虎が私の反応の無さに首を傾げた所で、私は言葉の意味を理解した。

 

理解したと同時に、私が押さえ込んでいた全部の感情が一気に押し寄せてきた。

 

「っ……おいおい!なんで無言で泣くんだよ!?嫌なら嫌って言えよ!」

 

「へ?」

 

景虎に言われて気づいた。

 

私の頬に伝う涙に。

 

それは服の袖で拭っても、全然止まらない。とめどなく、ただただ溢れ続けてくる。

 

「あ、あれ?なんで止まらないんだろ?」

 

「そこまで嫌だったのかよ……これでも一世一代の告白だったんだが、苦すぎるな。好かれてる、なんて思ってたのはやっぱ自惚れか」

 

景虎は頭をガシガシとかいて、落胆したように言う。

 

そんなつもりじゃなかった。

 

私が泣いているのは嫌だからじゃないと思う。

 

「悪りい。さっきのは聞いてなかったことにーー」

 

「待って!」

 

だから、なかったことになんてしないで。

 

「違うの。これは、嫌だから泣いてるんじゃないの」

 

「嫌じゃなかったらなんなんだ?嬉し泣きってか?」

 

どこか自嘲気味なのは、私が景虎の気持ちに気付けなかったように、景虎も私の気持ちに気づいてくれていないからなのだろう。

 

そうだった。私達は、出会いが、関係が歪であったから、理解しようとする気持ちと理解されたいと思う気持ちが決定的に噛み合ってなかった。だから、肝心なところが分かり合えていない。

 

だったら、伝えないといけない。

 

雪ノ下陽乃の本心を。私の本当の気持ちを。

 

「私も……私も景虎の事が好きだから。偽物じゃなくて、本当の恋人になりたいから……私で良ければ、彼女に……ううん。一生パートナーとして傍にいさせてください」

 

涙声で、とても雪ノ下陽乃らしくない言葉を持って、私は景虎に応える。

 

きっと景虎にしか伝わらない。

 

私の本心。

 

他の人が見ようとしなかったものを、景虎なら見てくれる。

 

「……それは承諾してくれたって事でいいんだな?」

 

「……うん。私の『本物』も景虎しかいないから」

 

漸く止まりそうな涙を拭きながら、私は言った。

 

すると、景虎は小さく息を吐いた。

 

「告白したつもりだが、答えがプロポーズってのはどういう事だ?」

 

「あははっ、鈍いなぁ、景虎は。わかるでしょ?ここまでくれば」

 

「……わかってるよ。……俺も陽乃と一生一緒にいたい。結婚を前提に俺と付き合ってくれ」

 

「はい……喜んで!」

 

応えると同時に、私は景虎の胸に飛び込んだ。

 

なんだか、そのままいるとまた泣いてしまいそうだったから。

 

とりあえず、嬉しさをそのまま行動で表現する事で、涙が出そうになるのを堪え……られなかった。

 

「まだ泣いてんのか?本当に俺の事好きなのかよ?」

 

「嬉しすぎて涙止まんないよ……どうしよう、景虎ぁ……」

 

「いや、知らねーよ。慰めるのも苦手なのに、嬉し泣きとかどう対処すりゃいいんだ」

 

なんて言いながら、景虎はそっと私を抱きしめてくれる。

 

ああ、やっぱり落ち着く。

 

こうやって景虎の温もりに包まれていると、私の中で張り詰めていたものが、弛んでいく気がする。

 

……なので、正直言うと気持ちとは対照的に余計に涙が止まらないんだけど、今は別にいいかな。片手で数えるほどしか泣いたことのない私がこんなに泣くなんて滅多にないだろうし、今のうちにいっぱい泣いておこう。

 

そうして、少しずつ頭の中に冷静さを取り戻し始めた頃、ふと景虎は言う。

 

「……なあ、陽乃。いきなりだけどな。良い知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい」

 

「良い知らせから聞きたい」

 

「今度の休みに親父に会いに行こうと思ってる。それで陽乃の事を親父やお袋に紹介したいんだ。将来の嫁さんって事で」

 

「でも、景虎ってお父さんとはーー」

 

「そこは気にしなくてもいいさ。親父が何を伝えたかったのか、今の俺にはよくわかる。いい加減、俺も大人にならねえとな」

 

景虎は景虎なりに、自分の過去に決着をつけるつもりみたいだ。

 

私から見れば、景虎は十分に大人な気がする。

 

取り繕う事で、演じる事で逃げ続けてきた私なんかよりもずっと。

 

景虎は否定するかもしれないけれど。

 

「悪い方は?」

 

「それなんだがな……ちょっと顔上げて周りを見てみろ」

 

さっきと打って変わり、どこか歯切れの悪い景虎に言われるがまま、顔を上げて周囲を見回す。

 

私の目に映ったのは……私達を囲む大勢の見物客に、お母さんや付き人、静ちゃん、景虎のバイト先の人がこちらの様子を誰に憚る事もなく、見ていた。

 

「もしかして……」

 

「全部見られてたってわけだ」

 

かあっと顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。

 

こんな恋愛漫画やドラマにありそうな展開を道のど真ん中でした事じゃない。それを見られた事については、別に気にしていない。

 

けれど、私とは何の接点もない人も含めて、多くの人間に雪ノ下陽乃の弱々しい姿を晒してしまった。

 

その事がとてつもなく恥ずかしい。所謂黒歴史というものなのかもしれない。

 

景虎に見せるのは構わないけど、それ以外の人にあんな姿を見せてしまったのは、私の人生史上最大の失態だ。

 

「まあ、包み隠さず、これで晴れて公認のカップルになれたっつーことで納得するしかねえな」

 

「景虎は恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしいに決まってんだろ。……まあ、陽乃を改めて俺の彼女だって豪語出来るようになったから、お釣りが返ってくるけどよ」

 

「ッ!?」

 

今度は別の意味で顔が真っ赤になった。

 

なんでさっきの今で、景虎はそんなことを言ってしまうんだろう。

 

今の私は自分の感情が隠せない。地獄から天国へと落として上げられたからだろうか、あまりの感情の変化に対応しきれず、今は思った事がすぐに顔に出てしまう。

 

そもそもどうやって演じていたのか、考えてもわからない。

 

「今まで見たことないくらいだらしない顔してるな」

 

「仕方ないじゃん。全部景虎のせいだもん。責任とってよね」

 

「おう。任せとけ」

 

いつものようなやり取りでも、返ってくる言葉が違うだけで嬉しさがある。たったそれだけのことなのに、頬が自然に緩んでしまう。

 

……これ直るのかなぁ。流石にこんな状態で大学に行くのは嫌なんだけど。

 

この姿は景虎の前だけにしたい。

 

九条景虎にだけ、本当の私を、雪ノ下陽乃を知っていて欲しいから。……なーんちゃって。

 

「またにやけてんぞ。壊れすぎだろ」

 

「じゃあ、景虎が直してよ。壊したのは景虎だよ?」

 

「そう言われると返す言葉もねえな……取り敢えずもう一回キスしたら、一周回って直るんじゃねえか?」

 

「無理。絶対今よりも壊れる」

 

それこそ二度と薄っぺらい仮面さえも作れなくなりそう。

 

それはほんの少しだけ困る。景虎相手には必要ないけれど、他の人間関係には面白おかしく過ごしていくためにも必要なものだから。完全に壊されるとまた一から作り直さないといけない。

 

つくづくなんでもできると自負してきたけれど、景虎と出会ってから、自分にもできないことがあるんだ、と実感させられる。

 

でも、その時に感じるのはどちらかといえば発見に対する嬉しさと驚きみたいなもの、後ほんの少しだけ感謝。

 

周囲の人間とは違うと思い知らされてきた私が、それを知ることで何も変わらないと実感できるから。

 

私だって、普通の女の子が一番良い。

 

長所があって、短所がある。

 

誰かを好きになって、普通に恋をする。

 

ちょっとしたことで一喜一憂する。

 

そんな普通の女の子に憧れていた。

 

だからーー。

 

「ねえ、景虎」

 

「どうした、陽乃」

 

「ありがと」

 

「?どういたしまして?」

 

私の突然のありがとうに景虎は首をかしげるけれど、それでいい。

 

私の望みは景虎が叶えてくれた。些細だけど、一番難しかった願い。

 

私は今日、本当の意味で、雪ノ下陽乃になれたような気がした。

 

side out

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽乃と交際を始めてから数日後。

 

俺は千葉を離れ、東京の方に来ていた。

 

いや、来ていたというよりは『帰って来た』の方が正しいか。元はと言えば、根っからの都会っ子。東京生まれの東京育ちだったわけだから。江戸っ子ってのとはちと違うわけだが。

 

「ここに来るのも、随分久しぶりだな」

 

俺の目の前に立っているのは、この都内で一際目立つ巨大な武家屋敷。

 

ビルが乱立している中でこのクソ目立つ武家屋敷こそ俺の実家。どんな物好き野郎だとつっこみたいところだが、その辺は一応家庭の事情ってやつなのだ。

 

どデカい門の横にあるインターホンを鳴らすと、数秒置いて、「どちら様ですか」と男の声が聞こえる。

 

「バカ息子が帰ってきた。親父はいるか?」

 

『……す、少し待ってください』

 

少しばかり困惑した様子の声が聞こえた後、一分と経たずに門が開かれる。

 

そして黒いスーツを着た男が数人、駆け足気味に出てきた。

 

「も、もしかして、若様……ですか?」

 

「久しぶり、島さん。ちょっと用事があって帰って来たんだ」

 

俺がそう言うと、全員顔を見合わせた途端、こちらに駆け寄ってきた。

 

皆、涙を流しながら、バカみたいにはしゃいでいる。

 

大の男がなにやってんだと思う光景だが、うちは元々そう言うところだ。親父を慕って集まってる奴らばかりだから、特に何もしていない俺にさえも、情が厚い。出て行く時は寧ろこの人達を振り切る方が大変だった。

 

「わ、若……ついに、ついに家督を継がれる決心がついたのですね……!」

 

「まあ、そんなところ。親父はいる?」

 

「玄二様ですか?今は書斎におられますが……」

 

「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」

 

「行ってくるって……玄二様に会いに行かれるおつもりですか!?殺されますよ!?」

 

「それはマズいなぁ。今死ぬと泣くっつーか、どんな手を使っても親父を殺しに行きそうな奴が一人いるから、骨の二、三本で許してもらわないと」

 

「いや、そんな適当な……」

 

「そうですよ!あの人加減てものを知らない人ですから、マジでやばいですって、若!」

 

本当。俺が今死ぬと何しでかすかわからないからなぁ……あいつ。痛いのは慣れてるとして、殺されるのは勘弁してほしい。

 

……しょうがねえ。覚悟決めていくか。

 

「良し。死なないように頑張ってくる。着いて来ないでくれよ」

 

パンと両手で頬を叩き、足を書斎へ向ける。

 

ひと睨み効かせておいたので島さん達は着いて来ない。

 

もちろん、怖いからじゃなく、昔からの名残だ。

 

俺がそうする時は譲ってほしいという合図をそうして出す。

 

だから、あの人達は着いて来ないし、これは俺がけじめをつけなきゃいけない事だ。着いてこられると寧ろ困る。

 

「変わってねえな。この家は」

 

渡り廊下を歩いている時、庭を見てみるが、俺が家を出た時とほとんど変わってない。

 

何時もなら人はもっといるはずなのだが、誰ともすれ違わないのは出払っているからだろうか。まあ、なんでもいい。

 

書斎の前に立って、深呼吸をする。

 

前の時は頬骨にヒビが入ったんだっけか。顔も腫れたもんだから転校するのが少し遅れた。

 

ノックは……必要ねえな。

 

「邪魔するぜ、おや……うおっ!?」

 

扉を開けると同時、ものすごい勢いで何かが飛んできて、後ろの壁に刺さる……ってドスじゃねえか!?

 

「てめえ、クソ親父!何しやがる!」

 

「うるせえ!そこにでけえゴキブリがいるだろうが!てめえが入ってきたせいで壁に余計な穴が空いちまったじゃねえか!」

 

「普通に捕まえろや!どこの世界にゴキブリ殺すのにドスぶん投げる阿呆がいるんだよ!」

 

「ここにいるだろ!てめえの目はビー玉か!」

 

「耄碌したおっさんに言われたかねえよ!」

 

このクソ親父……あの時から何も変わっちゃいなかった。

 

ゴキブリにびびるこのおっさんが俺の父親であり、関東を中心に活動する極道(・・)の親分。つまりはヤクザなのである。

 

そして俺はその息子。若と呼ばれているのもそれが関係している。

 

俺が唯一陽乃についていた嘘。貫けていた嘘がこれだ。

 

何せ、ガキの頃から息を吐くようについていた嘘だ。真実味もあるってものだ。

 

ティッシュ越しにゴキブリを包んでゴミ箱に放り込み、パンパンと手を叩く。

 

「いい加減克服しろよ。それで極道の親分か」

 

「ああん、無理なもんは無理なんだよ」

 

どかっと椅子に腰を下ろし、親父は煙草に火をつける。

 

「……で?なんで帰ってきた。二度とツラも拝みたくねえって言ったのはお前の方だったはずだぜ、虎」

 

「よく覚えてんじゃねえか」

 

まだ俺が中学の頃。

 

その頃の親父は同じくらいの規模の組と揉めていた。

 

揉めてたっていっても、盃を交わそうとしたのを親父が蹴った。なんでも違法薬物をお菓子なんかに混ぜ込んで売ろうとしていたからだそうだ。親父はカタギを巻き込むのが嫌いなタチでそこからちょっとした抗争に発展。

 

息子だった俺も巻き込まれた。

 

だが、その点については何も思っちゃいない。

 

あの頃の俺はむしろ親父に憧れていた。

 

嘘をついていたのは親父がそう言えと俺に教えただけで、何人もの屈強な男を連れ、誰からも慕われていた親父は俺の目指す男そのものだった。

 

だから、拉致られた時も、俺がどうなったところで親父がこいつらをぶちのめすと信じていたし、相手の交渉に乗らないと確信していた。

 

けど、違った。

 

親父は交渉に乗り、何千万と入ったアタッシュケースを渡し、剰え命令されて土下座までした

 

違う。俺の目指した、憧れた男はそんな情けない奴じゃない。

 

結局、親父が時間を稼いでる間に相手の組は全滅。そのあと、本格的に親父は関東一の勢力になったわけだが、俺はそんなことなんてどうでもよかった。

 

家から飛び出した日もそうだ。

 

口喧嘩した挙句、『何時までもくだらねえプライドばっか守ろうとしてるから、てめえはガキなんだよ、虎』なんて言われて殴りかかったら、そのまま殴り飛ばされた。なんだかんだ言って俺に一度も手を上げなかった親父が初めて俺に手を上げた日でもある。

 

あの頃、その言葉の意味を全く理解できなかったし、簡単にプライドを捨てる情けない野郎になるくらいなら死んだほうがマシとさえ思っていた。

 

それも高校で少し、大学で大きく変わったわけだが。

 

「親父。俺からあんたに言いたいことは二つある。一つ目はあの時の事について謝る。ごめんなさい。二つ目はやっぱり家業は継げねえわ」

 

「……一つ目はわかったけどな。二つ目はどういうこった?そのツラを見る限り、あの時とはちっとは考え方が変わったと思ってたが……俺の勘違いか?」

 

「勘違いじゃねえよ……なんつーか、昔のあんたと同じだ。命張ってでも護りたい奴が出来た。そうなったら家業は継げねえよ。わざわざ危険に晒したくねえ。ただ、それだけだ」

 

「はっ。大した理由もなく、家業を継がせろだの継ぎたくないだの言うようならぶっ飛ばしてやろうかと思ってたんだけどな。ガキだガキだと思ってたのは俺だけだったか……ちょいと目を離したうちにいい顔するようになったじゃねえか」

 

灰皿に煙草を押し付けて、親父は立ち上がる。

 

「前にも言ったがな。俺は無理矢理させる気はねえよ。組としちゃ、落第点の答えだが、男なら満点の答えだ。護りてえモンがあるのに何も自分から火の中に飛び込むこたねえからな」

 

「……俺から言っておいてなんだけどよ。良いのか?」

 

「お前がそういう可能性も考えて、後釜は考えてんだよ。そりゃあ、お前が継ぐのが一番良いけどな。やりたくねえならやらせる気はねえな。それとも、殴り合いがしたいのか?今時拳で語り合うなんてのは古いぞ?」

 

「したいわけねえだろ。文字通り骨が折れるっつーの」

 

良くて五本か……悪くて両手の指じゃ足りん。マジで死ぬかもしれん。

 

「煙草吸うか?」

 

「何未成年に煙草勧めてんだ。馬鹿親父」

 

「何言ってやがる。てめえが若いのに煙草買わせてたのは知ってんだ。今更年齢気にしてんじゃねえよ。不良息子」

 

確かにあの頃は酒も飲んでいたし、煙草も吸っていた。今思えばなんともしょぼい反抗ではあるが、中学生なんだから仕方ないか。

 

「駄目だって。そういうの嫌いなんだよ、あいつ」

 

酒は良いが、煙草は駄目っていうのが陽乃のお願い(・・・)だ。

 

命令ではなくお願い。

 

なんというか、むず痒くはあるが、あいつが最初にしてきたお願いは割と現実的だった。

 

「女なんざ興味ねえって言ってたあの虎がねぇ……一体どんな嬢ちゃんだ」

 

「親父に分かりやすく言うなら……母さんに近い」

 

「はぁ?静羽にだあ?」

 

親父は間の抜けた声をあげる。いや、まあそういう反応になるわな。

 

「また凄えのに目をつけたな」

 

「親父も姓は知ってると思うぜ。雪ノ下だしな」

 

途端、親父は噎せた。

 

因みにこういう反応になるのをわかってあえて、煙草の煙を肺に入れた瞬間に言った。

 

親父は噎せ返った後、顔を真っ赤にしたまま、大笑いし始めた。

 

これは予想外だ。てっきり何か聞いてくるかと思ったのに。

 

「はははは!雪ノ下の嬢ちゃんか!なんだ、結局落ち着くところに収まったって感じじゃねえか」

 

「ああ、約束だっけ。お母様方が勝手にした」

 

「そうそう。珍しく静羽が悪酔いしてな。勝手に決めちまった。まあ、俺としちゃべっぴんさんを嫁にもらうってんならそれで良いと思ったから賛成したわけだが」

 

「賛成してんのかよ……まあ、結局その通りになった以上なんとも言えねえけど」

 

つーか、なんか乗せられてるみたいで腹立つ……!

 

「しっかし、人間どう成長するか、わかったもんじゃないな。あの大人しそうな子が静羽みたいになるなんてな」

 

「大人しそう?昔はそうだったのかよ?」

 

「俺が見たときは集団でいるよりも一人でいるほうを好むタイプに見えたな。まあガキの頃の話だし、あの時はまだ小学生にもなってなかったところを考えると人見知りの方が合ってるかもな」

 

「へぇ……あいつが。……って、ん?小学生にもなってなかった?あの時は俺小学二年だったろ」

 

「ん?ああ、そうだな。やんちゃ盛りで手を焼かされたもんだ。それがどうした?」

 

「なんで小学生にもなってねえんだよ。あいつと俺は同い年だぜ?」

 

「はぁ?何言ってやがる。同い年なわけねえだろ。お前と雪乃(・・)ちゃんが」

 

眉を顰めて言う親父に今度は俺が固まる番だった。

 

へ?雪乃ちゃん?なんでそこで雪ノ下妹の方が出てくるんだ?

 

「親父。約束のこと、もっと詳しく教えてくれるか?」

 

「詳しくって言われてもよ。俺も静羽から聞いただけだ。雪ノ下の女とは親友だし、お互いに男と女が生まれたから、いっそ婚約者にでもするかってな。ただ、上の方は実家を継ぐから嫁ぐわけにはいかねえし、こっちも婿入りするわけにもいかねえってんで、妹の雪乃ちゃんになったんだよ。もっとも、お前は二秒で振ったけどな。『本ばっかり読む奴は弱いから興味ない』ってな具合にな」

 

てめーはサイヤ人か。

 

と言いたいところだが、昔の俺なので何も言うまい。

 

あの頃の俺は……よく覚えていないが、強いとか弱いとかそういう事をやたらと気にしていたと思う。だから何でもかんでも勝たないと気が済まないし、順位はトップしか興味ない。あんな小さい自分が親父に近づくにはそれしかなかったからだ。

 

しかし……はあ、雪乃ちゃんねぇ。

 

初対面でも全然似てないって思ったのは、実は初対面じゃなかったからか?つーか、あっちはその時の事を覚えてんのかな。覚えられてたら、次会った時ものすごく気まずいんだが。

 

「あのな、親父。誤解があるから先に言っとくが、俺と付き合ってるのは雪乃ちゃんじゃなくて、その姉貴の方だ。名前は陽乃ってんだがな。多分つーか、絶対あいつと結婚すると思うから。お袋に説明しといてくれ」

 

「成る程な。お前の性格上、その方が納得出来るぜ。俺は雪乃ちゃんの、それもガキの頃の顔しか知らねえから、また暇が出来たら連れてこい。歓迎してやる」

 

「あんたがそれ言うと全然良い意味に聞こえねえよ。……またな、親父」

 

「おう。女にうつつ抜かして、学業を疎かにしたらぶっ飛ばすからな」

 

「……本当、そういうところ、ちゃっかりしてんな」

 

元より、そんな事にはならないはずだ。陽乃がいる以上、成績は絶対に落ちないだろうし、落ちたら落ちたで陽乃の方が怒るだろう。つくづく独占欲の強い奴だが、自分のせいで、というのが気に入らないらしい。なお、今までの人間は陽乃曰く『勝手に勘違いして自滅しただけ』との事でカウント外なんだとか。

 

「さてと、そろそろ帰りますかね。あいつがうるさくなる頃だし」

 

携帯を見て、陽乃からの着信が数件あることに思わず苦笑してしまう。

 

行く前に『ボコられるかも』なんて言ったもんだから、余計に心配させちまったか。

 

このまま電話に出るのも良いが……やめとこう。帰ってからの方が面白そうだ。

 

携帯をポケットに突っ込み、俺は帰路に着いた。

 

……余談だが、後で超怒られた。割とマジで。




次で多分最終回です。

それなりに長めになると思うので、少し期間が空くかもしれませんが、頑張ります。

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