魔王の玩具   作:ひーまじん

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宴に誘われるように魔王は来訪する

季節はいよいよ秋に入り、暑さもゆるやかになりを潜め始めているこの頃。

 

二泊三日のお泊まり会以降、どういう風の吹き回しか、俺が雪ノ下陽乃に呼び出されることはなかった。

 

そのおかげでゲームとバイト時々友達と遊ぶという実に快適な生活を過ごしていたのだが、これがきっと嵐の前の静けさというやつなのだろうとどことなく感じていた。

 

というのも、十月に入れば大体の高校は文化祭という学校生活における一大イベントを開催する。

 

俺の母校も当然ながら雪ノ下陽乃の母校である総武高校もその限りではなく、十月には文化祭をするらしい事をバイト先の総武高校に通う子から聞いた。

 

祭りとか超やばい。絶対に雪ノ下陽乃がそれを聞いて何もしようとしないはずはない。おそらく、勝手にOGとして乱入して「地域との親交を~」的な事を適当にのたまいながら、説得もとい洗脳し、そして気がつけば雪ノ下陽乃の為の文化祭と化しているに違いない。何より可哀想なのは、それを最高の文化祭として完結させたと勘違いさせられた子達だ。憐れにも程がある。

 

憐れにも程があるといえば、それは妹ちゃんもだ。

 

どこの高校に進んでいるのかは知らないが、あの子のいるところにも雪ノ下陽乃の魔の手は進む……というか、ハイパーシスコンであると自負しているであろう雪ノ下陽乃が妹ちゃんのいるところに行かないわけがない。何よりも優先して向かいそうなほどだ。

 

そしてそこには比企谷くんもいる。

 

どんな関係であれ、一緒に外出していたということは同じ高校に通ってはいるということだろう。そうなれば、妹ちゃんの次に目をつけられるのは彼と見た。否、目をつけられないはずがない。

 

しかし、連絡先を渡してかれこれ三ヶ月。何の連絡もないのは比企谷くんが俺や雪ノ下陽乃が思っていたよりも曲者だったのか、はたまた既に雪ノ下陽乃に丸め込まれたのかわからない。もしかしたら、雪ノ下陽乃にしては珍しく限度のある行動をーー。

 

プルルルルルルル……。

 

その時、スマホが鳴った。

 

ダースベイダーではないのでまず雪ノ下陽乃ではない。雪ノ下陽乃はメールも電話もダースベイダーにしてるからな。一発でわかる。

 

送られてきたメールを確認すると、俺は思わず溜息を吐いた。

 

『比企谷です。

雪ノ下さんが来ました。一悶着ありそうなんでよろしくお願いします。千葉県立総武高校の会議室です』

 

短く綴られた文章は、およそその状況を察するのに申し分のないものだった。

 

しかもこの文章。どうにかしてくれとは書かれていないところを見ると、比企谷くんは俺が雪ノ下陽乃をどうこうできる人間ではないと理解しているらしい。やはり思った以上に聡明だ……いや、わかりやすいか。雪ノ下陽乃の本質を知っているのなら、彼女をどうこうできてしまう人間はそれこそ人ならざる何かなのではないかと思ってしまうところだ。

 

ここから総武高校は……徒歩で三十分か、遠いしバイクで行くか。大学が休みになってから乗る機会が無かったが、これを機にまた乗っておかないと。

 

手早く準備を済ませ、俺は魔王の待つ総武高校へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意外にも総武高校にはすんなり入れた。

 

特別な行事でもないし、ぶっちゃけ入るのに一苦労するかと思っていたのだが、雪ノ下陽乃の関係者である旨を伝えると「有志の方ですか」とかなんとかいって余裕でいけた。それどころか、最初に言った比企谷くんの名前を出したら「え?誰ですか、それ」って顔をされた。目立たないタイプだとは思うが、そこまで地味でもなかった気がする。

 

受付を済ませて来賓用のバッジをつけ、校内見取り図を見て会議室へと向かう。

 

向かっている途中で見かける教室ではやはりというべきか、文化祭へ向けて色々と準備をしていた。おかげで俺を見ても、あまり訝しむような生徒はいないし、有志の人間と勘違いしているのだろう。別に悪いことをしに来たわけじゃないんだが、騙しているような気がして少し気がひける。

 

歩くこと三分。

 

会議室に着きはしたのだが、思いの外静かだ。

 

雪ノ下陽乃がいる以上、もっとこう……どんちゃん騒ぎしてるかと思っていた。

 

もしかしてもうやらかしたのか?いや、雪ノ下陽乃のやらかしたはこんな露骨なものじゃない。もっと後になって、そして雪ノ下陽乃に一切の非はない形で発覚するはずだ。本人の性格から考えて、今すぐわかるような事はないだろう。

 

ということは入れ違いになったのか。はたまた会議中なのか、どちらにしても入り辛いことこの上ない。

 

どうしたものかと悩んでいると、不意に隣から声をかけられた。

 

「あの……何かご用ですか?」

 

「ん?」

 

声をかけてきたのはピアスをした赤い髪の女子生徒。

 

見た感じ、『最近の女子高生その一』感を醸し出しているその子は怪訝そうな表情で俺を見る。

 

「実は知り合いに呼ばれたんだ。で、ここには来たものの、中が静かで入っていいかどうか悩んでたんだ」

 

「あ、それじゃあ、私が確認しますね」

 

事の顛末を説明すると女子生徒は自らその行為を買って出てくれた。いや、ありがたいけど、この子も俺の事を有志の人間と勘違いしてるんだろうな。そうじゃないとわかったら面倒くさそうだ。

 

「ごめんなさーい、クラスの方に顔出してたら遅れちゃいましたー」

 

謝ってる割には全然悪びれる様子のない声音で言う女子生徒は中の様子を見ると「入ってきていいですよー」と中から告げる。ほっ、会議中じゃなかったか。

 

「失礼します。こっちに雪ノ下ーー」

 

「あ、やっほー。景虎」

 

「……やっぱりいたか」

 

俺が言い切るまでもなく、雪ノ下陽乃は目の前にいた。一人私服で明らかにこの中では異端の存在でありながら、雪ノ下陽乃はさも当然と言わんばかりに空気に溶け込んでいた。というよりも空気を自分に合わせたと言った方が正しいかもしれない。あ、比企谷くんと妹ちゃんも。

 

「はるさんのお友達ですか?」

 

何処かほんわかした空気を醸し出す、おでこがつるりと光る女子生徒は雪ノ下陽乃に問いかける。

 

「違うよ。彼氏」

 

その瞬間、空気が凍った。

 

事実を知っている比企谷くんと妹ちゃんはともかく、他の生徒の表情は全員驚きに満ちていた。まあ、思ってることはわからないでもないけどな。

 

「それで?なんで景虎がここにいるの?」

 

「あ?超能力だけど?」

 

流石に比企谷くんの名前を出すわけにはいかないのだが、これはいくらなんでも嘘が過ぎるか。

 

「五点。景虎にそんな能力があるなら、私でも勝てないよ」

 

いや、超能力あってもお前には勝てる気がしないんだけど。

 

「ま。なんでもいっか。どちらにしても景虎には来てもらうつもりだったし」

 

「……もしかして有志か?」

 

なんとなく、想像出来たので訊くと雪ノ下陽乃は笑顔で肯定した。

 

ここまで来るとそれぐらいしかないし、そもそも雪ノ下陽乃はそれを目的の一つとしてここに訪れたはずだ。ならば、この状況でその言葉が出るのは何もおかしなことではない。

 

「いいぞ。やってやる」

 

「へ?嫌じゃないの?」

 

意外そうな表情で雪ノ下陽乃は言う。

 

嫌に決まってるだろ。でも、断ったところで意味もないしな。なら初めから肯定するだけだ。

 

「たまにはそういうのもありだと思っただけだ。それで?誰に頼めばいいんだ?」

 

会議室内の全員に問いかけると、全員の視線がさっきの赤い髪の女子生徒に移る。

 

「あ……相模南、です」

 

相模と名乗った女子生徒の声は萎んでいく。

 

それも仕方のない事だ。何故なら雪ノ下陽乃が見ているのだから。

 

それも商品を値踏みするかのように。価値を推し量り、どれだけ利用できるか、どれだけ遊べるかを知る為に。その時の雪ノ下陽乃はある意味では一番外面が消えている状態とも言え、ぶっちゃけ温度差が凄すぎて怖い。嫌いではないが。

 

「ふぅん……」

 

雪ノ下陽乃は小さい息を吐いて一歩詰め寄る。

 

「文化祭実行委員が遅刻?それも、クラスに顔を出していて?へぇ……」

 

さっき相模ちゃんが言っていた事を復唱する声音は低く威圧的だ。先程まで明るく振舞っていただけに凍てついた表情からは怖さが際立っている。従順であるなら友好的に、刃向かうなら徹底的に。それが雪ノ下陽乃だ。

 

それでもって、その為にここに俺がいるわけだ。

 

「はい、ストップ。後輩を威圧するな」

 

二人の間に割って入り、雪ノ下陽乃の方を見る。

 

これ以上は少し可哀想だ。雪ノ下陽乃の機嫌を多少損ねるだろうが、年下の子が目の前で嬲られているのを見る趣味はない。

 

俺の仲裁に、一瞬雪ノ下陽乃はムッとした表情を見せたが、すぐに笑顔になる。

 

「威圧なんて酷いなー。私は『文化祭を最大限楽しめる者こそ委員長に相応しい資質!』って言いたかっただけなのに。えーと、そこの委員長ちゃんに」

 

名前ぐらい覚えてやれよ。と思ったが、寧ろそれは安心できる要素だ。

 

雪ノ下陽乃に名前を覚えられていないということは遊ばれる事はまずない。利用価値も限りなく低いだろう。それぐらい雪ノ下陽乃は価値の無いものに興味を持たないし、関わらない。

 

しかし、そうした意図が汲み取れるのはごく僅かの人間で、相模ちゃんはそれを自己に対する肯定と受け取ったらしい。嬉しそうに頬を赤らめている。あー、これはもう駄目みたいですね。

 

「で、委員長ちゃんにお願いなんだけど、私達有志団体で出たいんだよね。で、雪乃ちゃんに相談してみたんだけど、渋られちゃって。私、あんまり好かれてないから……」

 

くすんとしおらしい態度を取ってみせる。その態度は俺以外にもわかるくらいわざとらしくあるが、あざといし可愛らしいせいで誰も責める気が起きないらしい。

 

「……いいですよ。有志団体足りないし、OGの方が出たりすれば、その、地域との繋がり?とかアピールできるし」

 

……あ、この子ちょろいな。もう雪ノ下陽乃に籠絡されていた。

 

こうなると最早俺が出る幕は無い。何せ、トップが即座に陥落した上、俺と雪ノ下陽乃。競い合うには些か以上にコミュニケーション能力の差が開きすぎている。

 

……仕方ない。アフターケアの方に回るか。

 

「や、久しぶり」

 

俺が声をかけると、依頼主的なポジションである比企谷くんは頭を下げるだけだった。人見知りなのだろうか、はたまた俺が嫌われてるのか。

 

「悪いね。折角来ておいて、何も出来なくてさ」

 

「……彼氏さんでも、雪ノ下さんは手に余るんですね」

 

「俺でも?ははっ、誰でもだよ」

 

今も相模ちゃんやおでこちゃん達と楽しそうに話している雪ノ下陽乃を眺めながら言う。

 

「それはそれとして、意外だね。比企谷くんの事はよく知らないけど、こういうのはやらない子だと思ってたよ」

 

なんていうか、比企谷くんからは『働きたく無いでござる!』というオーラが全力で感じられる。

 

「はぁ、俺もそう思ってたんですけどね」

 

この口ぶりだと適当に仕事を決めてもらったら、割と面倒な仕事につかされたやつか。

 

「あの……雪ノ下さんって、何考えてるんですかね」

 

「さあね。俺にもよくわからないけど、ハルは子どもだから」

 

「雪ノ下さんが……ですか?」

 

どこか納得のいかなさそうな表情で比企谷くんは言う。

 

「まあ、ハルの事は理解しようとしなくてもいいし、俺もするつもりはない」

 

そも、本人が理解されるつもりがない。

 

そういうところは妹ちゃんと同様に心の壁とやらを感じる。ただ、二人の違いは迎撃システムを搭載した薄い氷のような壁か、攻略不可能の迷路の奥にある分厚い鉄の壁かの差だ。雪ノ下陽乃と妹ちゃんの生き方にどれだけの差があったのかなど知る由もないが、妹ちゃんの方は少なくとも他者に理解されることに対して拒絶してはいない。その分、雪ノ下陽乃よりも俺からしてみれば仲良くなれそうな気がする。

 

「皆さん、ちょっといいですかー?」

 

不意に相模ちゃんが一段と大きな声で全員に問いかける。

 

相模ちゃんは調子を整えるように軽く咳払いをすると、緊張気味に話し始める。

 

「少し、考えたんですけど……文実は、ちゃんと文化祭を楽しんでこそかなって。やっぱり自分たちが楽しまないと人を楽しませられないっていうか……」

 

彼女の口から出たのはつい先程雪ノ下陽乃が言ったそれとほぼ同じだった。比企谷くんを見ると、彼も同意見らしく、肩を竦めるだけだった。

 

「文化祭を最大限、楽しむためには、クラスの方も大事だと思います。予定も順調にクリアしてるし、少し仕事のペースを落とす、っていうのはどうですか?」

 

相模ちゃんの提案に皆が考えるように間をとった。

 

反応から察するに彼女の言う通り、進捗状況はまずまずといったところか。

 

しかし、その案に妹ちゃんが異を唱えた。

 

「相模さん、それは少し考え違いだわ。バッファを持たせるための前倒し進行で……」

 

「いやー、いいこと言うねー。私の時も、クラスの方、みんな頑張ってたなぁ~」

 

「ほら、前例もあるし。それに……その時って凄い盛り上がりだったんでしょ?」

 

相模ちゃんは確認するように妹ちゃんに言うが、妹ちゃんは答えない。

 

相模ちゃんは壮絶な勘違いをしている。確かに雪ノ下陽乃は「クラスの方、みんな頑張っていた」とは言ったが、文実とやらを蔑ろにして、とは言っていないし、雪ノ下陽乃が委員長か何かをしていたのなら、帳尻は合わせられていたはずだ。あいつほど人を動かすのに長けた人間が、自身への負担を大きくするはずがない。

 

「やっぱいいところは受け継いでいくべきだしー。先人の知恵に学ぶっていうかさ。私情を挟まないでみんなのことを考えようよ」

 

「あ、ちょっといいかな?」

 

あちらに雪ノ下陽乃がついたのなら、俺は妹ちゃんの方につこう。これ以上、被害の拡大は避けたい。

 

俺が挙手すると、全員の視線が俺に集まる。無論、雪ノ下陽乃も。

 

「部外者の俺がどうこう言っていいことじゃないとは思うけど、妹ちゃん……じゃないな。雪乃ちゃんが言ったように今ある余裕はバッファを持たせるための前倒し進行から生まれてるものであって、決して予定より順調に進んでいるわけじゃないって事は覚えておいて欲しい。実際、負担が集中している子もいるはずだから。そういう子へのサポートもしてあげてほしいかな」

 

まあ、結局俺が何を言いたいのかというと「クラス云々よりも自分の与えられた仕事を全うしろ」である。我ながらオブラートに包んでかつ、遠回しな表現になったが、これでどっちに転ぶにしても多少なり意識改革があるはずだ。

 

そして俺の意図が多少なり伝わったのか、相模ちゃんの意見に同調しかかっていた空気の流れが止まったものの、彼等のうち何人かは自分のクラスへと帰って行く。

 

わかっている。この案の可決は阻止できなかった。

 

それは誰でもない。雪ノ下陽乃の望んだ結果だ。

 

何を企んでいるのかはわからない。ただ、こうしようと望んだのは雪ノ下陽乃であり、それに相模ちゃんは体良く利用された。本人が気づく事はまずないだろうが。

 

元より、阻止できるなど思い上がってはいない。俺が出来ることなど留める事か、或いは逸らす事だけだ。

 

そしてそのどちらも成功はした。実際、雪ノ下陽乃の視線は今現在俺へと向けられたまま……というか、こっちきた。やだ、怖いよ、目が笑ってないよ!

 

「へぇー、景虎はそっちにつくんだ?」

 

「こっちもそっちもどっちもねえよ。俺もお前も、事実を言ってるだけだ」

 

雪ノ下陽乃は経験論を、俺は現実論を唱えているだけだ。

 

両者に嘘はないし、理想論だって述べていない。

 

ただ視点が違うだけだ。俺が凡人目線で語るなら、雪ノ下陽乃は終始自分の目線で語っている。それ故に意識は同じでも結果に誤差が生まれる。相模ちゃんが雪ノ下陽乃と同じ行為をすれば、待つのは破滅だけだ。

 

「俺達はあくまでも部外者だ。自分の勝手でどうこうしちゃいけねえんだよ」

 

卒業生だろうがなんだろうがこのイベントには参加させてもらっている側なんだ。そうした観点でいえば、俺も雪ノ下陽乃の立ち位置はそうは変わらない。あるのは意識の差だけだ。

 

「そ。私は別にどうでもいいけどね。敵もいた方が面白いし」

 

「だからそういうんじゃ……人の話聞けよ。ったく」

 

雪ノ下陽乃の思惑に介入した事で、雪ノ下陽乃に敵対行為と取られたらしい。妨害したのだからそれも仕方がない事なのだが、これはこれで面倒な事になったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と雪ノ下陽乃が会議室に顔を出すようになってから数日、やはりというべきか、委員会を休む或いは遅れる生徒がちらほらと見え始めていた。

 

とはいえ、それらは殆ど支障をきたさない。休んでいる者は本当にごくわずかな上に、遅れたりしても事前にその旨を伝えられている。

 

しかし、有志団体の増加やそれに伴う宣伝広報への協力場所の増加、予算関連の再算出とヘビーな仕事が出てきて、仕事量の偏りも見え始めた。

 

仕事をする期間が文化祭当日の者はまだ良いとしても、有志、宣伝、会計の人員不足は手痛く、そうした部分は執行部に属する人間がカバーしているらしい。そしてそこでの主戦力となるのは生徒会役員と妹ちゃんだ。

 

これが雪ノ下陽乃の狙いだったのだろうか。

 

客観的に見ても、妹ちゃんの介入は大きかった。それでも徐々に仕事は積もりつつあるし、処理しきれていないのは誰の目にも明らかだった。

 

そして終いには全く関係のない役割の人間にも仕事がちょくちょく回っている。完全に相模ちゃんのそれは裏目に出ている事に気付いているのははたして何人いる事やら。

 

何故部外者と称したはずの俺がこんなにも現状を把握しているのかというと、それは今もなお、この会議室には出入りしている……否、雪ノ下陽乃の付き添いでさせられているからだ。

 

雪ノ下陽乃の言葉で有志として参加する羽目になり、休日をその練習やらに割かれるようになったまでは良い。だが、雪ノ下陽乃は暇つぶし目的で会議室を訪れている。そうなると俺も行かないわけにはいかず、否応なく足を運ぶ事になっていた。

 

相変わらず、雪ノ下陽乃はおでこちゃんこと城廻めぐりちゃんと昔の話で楽しそうに話している。ここ数日、わかったことだが、どうもあのめぐりちゃんに関しては普通に年下の友達らしい。彼女の人畜無害そうな雰囲気が雪ノ下陽乃にも通用するのだろうか。だとしたら強いな。

 

「文化祭はみんなでやるものだから!仕事ってそういうものだから!助け合わないと!」

 

なんか生徒の一人が比企谷くんに向けてものすごい勢いで力説していた。ああ、ああいう奴っているよな。助け合うとか言って一方的に頼むだけで自分はいそがしいからまた今度ねって言って永遠にまたが来ないやつ。あ、今度はお茶汲みまで頼まれてる。これは酷い。

 

しかし、残念ながら俺は比企谷くんを助ける事は出来ない。別に面倒だとか、そういうのじゃなく、単純に……。

 

「手が止まっているわよ。目だけではなく、手も動かしなさい」

 

絶賛、妹ちゃんにこき使われているからである。

 

先程も言ったが、妹ちゃんは優秀だ。

 

雪ノ下陽乃ほどではないにしろ、凡俗の俺からしてみれば天才の部類である事は確かだ。俺なら既にパンクしているところだ。

 

だが、これは今現在雪ノ下陽乃基準とした例で進められようとしている。ならば、これをしているのは雪ノ下陽乃でなくてはどうにもならない。

 

だから滞った。流石にこれを放置するわけにはいかず、なんとか言いくるめてから軽く手伝うことにしたのだが、軽くで済まなくなった。

 

最初は何が何でも手助けをされるつもりはないと言わんばかりだったのに、手伝いを始めた途端にこれだ。あれか?俺は雪ノ下姉妹にこき扱われる宿命でも背負っているのだろうか?

 

まあ、雪ノ下陽乃に比べれば遥かにマシだ。あいつはこき扱うのではなく、振り回すの間違いだからな。後搾取するとか。どちらにしたってろくな事じゃない。

 

「よくここまで手伝うわね」

 

不意に妹ちゃんがそう口にした。相変わらず、目も意識も仕事へ向けているのだから、ひょっとすると独り言だったのかもしれないが、聞こえた以上、返しておいた。

 

「こっちが蒔いた種だ。傍観者に徹するのは良くないと思ってな。ほら、こっちの書類は終わった」

 

委員長や副委員長に確認を取らなくていい比較的優先順位は低いものではあるが、書類は全て処理し、妹ちゃんへと渡す。

 

妹ちゃんは何も言わずに書類を受け取り、一通り目を通した後、書類の束を他の執行部の人に渡した。

 

「あなた、優秀ではないけれど、要領はいいのね」

 

「よく言われる。ま、要領が良くないと出来ない事もあるんでな」

 

ゲームとかゲームとかゲームとか!

 

「そう……じゃあ、次はあそこにいる下っ端の手伝いでもしてもらえるかしら」

 

妹ちゃんの指差した方向にいるのは、なんというか、予想通りに比企谷くんだった。今の一言であの時二人の外出は確実にデートではなかった事が確定した上にこれでははたして友人なのかすらもわからなくなった。

 

「こっちの方がどう考えても忙しそうに見えるけど、それでいいのか?」

 

「構わないわ。部外者のあなたにできる事は限られているもの。それなら、使えるところで使うのが一番有効的よ」

 

そりゃそうだ。

 

「それにあの男が手を抜かないように見張りもつける必要があるわ。人数が少ない現状でそんな事が出来るのはあなたぐらいよ」

 

うーん………別に手を抜くような人間には見えないんだけどな。

 

まあ、どちらにしても比企谷くんの机の上も酷い有様だ。

 

そう思って席を立った時、三度のノックの後にガラガラと会議室の扉が開かれる。

 

「有志の申込書類、提出しに来たんだけど……」

 

来たのは以前もいた爽やか系イケメンくん。モデルといっても遜色がない程に顔立ちが整っていて、おそらく雪ノ下陽乃の隣に立てば美男美女として誰もが持て囃すカップルになっただろう。

 

聞かれた妹ちゃんは「申し込みは右奥へ」とだけ答える。接客業的には大いに問題があるものの、それはあのイケメンくんも知っているらしく、「ありがとう」と爽やかに答え、申し込みに向かった。

 

そしてその右奥の人物は今現在俺が担当しているところであった。

 

「書類の審査、お願いします」

 

「OK。不備がないか確認しとくよ」

 

不備の確認やらは大体さーっと見ればわかるので、今まで通りやろうとしたのだが……。

 

「……何かな?」

 

ガン見されている気がしたので先程のイケメンくんに問いかけるとイケメンくんは咄嗟に否定する。

 

「いえ、これといった用事はないんです。ただ……」

 

「雪ノ下陽乃の彼氏にしてはいまいち冴えない奴だな。あんなに綺麗な人なのに意外だ……みたいな感じか?」

 

「全然違います」

 

大学内では割りと思われてる事なのでわかりきったように聞いてみると、即座に否定された。これはまた。妹ちゃんの時みたいに珍しい反応だ。

 

「じゃあ、何?」

 

「陽乃さんの恋人がどんな人なのか、気になったんです。なんていうか……ああいう人ですから」

 

ああいう人……その言葉がイケメンくんの口から出た時、なんとなく察した。

 

彼も雪ノ下陽乃の知己であり、そして俺に等しい扱いを受けてきたのだろうと。てっきり俺は見るからに目立つ人気者オーラを放っている彼を見て、雪ノ下陽乃が何か余計な事をしようと画策していたのだと思っていた。

 

「で、その感想は?」

 

「俺はお似合いだと思いますよ。陽乃さんと付き合う人がいれば、同じような人か、或いは何処までもついていこうとする人間かのどちらかだと思います」

 

「そうかい。俺は君の方がよっぽど似合ってるとは思うけどね。君、スポーツはやってるか?」

 

「サッカー部です、一応主将もしてます」

 

「ほら。見た目はいいし、スポーツも出来る。これだけで普通の人間なら十分だ。これで勉強も出来れば素晴らしいだろうな」

 

「まあ、それなりに勉強も出来ますけど………でも、それだけです」

 

んん?それだけ?いや、一般的な女性が求めそうなものは学生時点で二つ持ってるのにそれだけ?おっかしいなぁ……俺にはそれ以上が見当たらないんだが……。

 

「それにあの人はそんな物に興味はありませんから」

 

確かに。言い得て妙だ。

 

さっき俺は普通の人間なら、と言ったが、そもそも雪ノ下陽乃を普通の人間として捉えるには些か以上に歪すぎる。それに以前、雪ノ下陽乃は「面白い人間ならOK」と言った。雪ノ下陽乃にとっての面白い人間とははたして何なのか?皆目見当もつかないが、あの言葉通りならば、雪ノ下陽乃にとって経歴も見てくれも関係ない。

 

「はい。終わったよ。えーと……」

 

「葉山隼人です」

 

爽やかスマイルを浮かべて、軽く自己紹介をしてくるイケメンくんもとい隼人くん。やばいわー、これ俺が女子なら即落ちだわー。

 

「大変そうですね」

 

会議室内を一瞥して、隼人くんは言う。

 

「いや、そこまで大変じゃない。普通に回ってると思うよ」

 

強いて言うなら、普通に回っている事が問題か。

 

これでは余計に人が来なくなるだろう。自分が休んでも、有能な副委員長がなんとかしてくれるだろう、他の人間も休んでいるし自分だけが咎められはしないだろう、大体の人間がそう思う。

 

それは隼人くんも思っていたらしく、妹ちゃんの方を見る。

 

「でも、見る限りじゃ雪ノ下さんが殆どやってるように見えますけど」

 

しばし沈黙していた妹ちゃんだが、答えを待っているような隼人くんの視線に耐えかねて口を開く。

 

「……ええ、その方が効率がいいし」

 

「でも、そろそろ破綻する」

 

「それもそうだ。だから、まあ。原因の一端として俺が手伝ってるよ」

 

まあ、ごり押しもごり押しだったけど。

 

「俺も手伝うよ」

 

隼人くんがそう言った。しかし、なんというか……妙に引っかかる。裏を考えているとかそういうのではなく、かといって友達を手伝ったり、困ってる人を助けているといった感じでもない。

 

妹ちゃんは答えない。俺の時もそうだったが、どうにも他者から手を借りるという事自体を避けようとしている節がある。何が何でも自分一人の力で解決しようとしているような……自惚れというよりもまるで『そうでなくてはならない』という強迫観念にでも駆られているような、そんな風に見える。

 

となると、ここは年長者として、助け舟を出すべきだろう。

 

「じゃあ、比企谷くんのところを手伝ってくれるか?俺が有志団体の全部取り持つから」

 

「……待ちなさい。あなたに任せているのは一部であって、全部は……」

 

「有志団体側の代表って事でやるよ。仕事が溜まってハルに手伝われるより、よっぽど良いだろ?」

 

俺の問いかけに妹ちゃんは一瞬迷いを見せたものの、雪ノ下陽乃に手伝われるのがよっぽど嫌なのか、肯定した。まあ、今の雪ノ下陽乃は俺がこちらについている限り、絶対に手伝う事はないだろうがな。

 

しかし十中八九、自業自得とはいえ、ちょっとだけ雪ノ下陽乃が可哀想な気がしてきた。嫌われすぎだろう。

 

はてさて、手伝いが一人増えたところでどれだけ持つだろうか。結局は破綻を先延ばしにしているだけのように見えなくもない……というか、多分そうだ。この先待っているのは悪化の一途だけ。それよりも先に文化祭が来るか、こちらが破綻するかのチキンレース。

 

結果は見えているが……やれる事はやってあげよう。

 


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