文化祭が終わって間もなく、俺と雪ノ下陽乃は何故かお好み焼き屋にいた。
飲みに行く、なんていうもんだから、てっきり居酒屋なんだとばかり思っていたんだが……。
「つーか、よく考えりゃお前と飯食いに来るの初めてだな」
「ん?あー、そうだね。基本的にご飯食べた後だもんね、デートするの」
俺は食えてないんですけどね、大体は。休みの日なんて大体アニメ見ながらゲーム消化してるせいで夜更かし上等だし、その日に限ってこいつはデートに誘ってくる。お蔭で身体が辛いのなんの。
「そういや何で居酒屋じゃねえの?飲むんじゃなかったのかよ」
「年齢のことはどうにかなるんだけどね~。流石に私達以外の未成年の子も来るんじゃ、誤魔化すに誤魔化せないし、肩身が狭くなっちゃうでしょ?打ち上げっていうからには皆はっちゃけないと」
「皆?平塚さん以外に誰かいるのか?」
「あれ?言ってなかったっけ」
「平塚さんに誘われて飲みに行くとしか聞いてねえ」
それ以上聞くつもりもなければ、雪ノ下陽乃も俺に言うつもりなんてなかっただろう。聞いても聞かなくても、俺はここに来なければならない。雪ノ下陽乃の言うことは絶対だから。
「で、誰が来るんだよ」
「それはもちろん……あ、来たみたい」
雪ノ下陽乃が入り口の方に視線を向ける。
俺もつられてそちらを向くと……そこにはつい数時間前まで一緒にいたメンツがいた。
「はーい、雪乃ちゃん」
「……なぜここに姉さんがいるのかしら?」
「静ちゃんにお呼ばれしちゃった。えへへ」
「………」
明るい表情の姉とは対照的に、凍てついた表情の妹。相変わらず凄まじい温度差だことで。
「そ、そんな嫌そうな顔しないで欲しいなぁ。私でも傷つくよ?折角のお祭りなんだし、今日くらいは仲良し姉妹でいようよ、ね?」
「今日くらい、ね」
「ええ、今日くらい」
「……まぁ、いいでしょう」
真っ向から雪ノ下陽乃を睨み据えていた雪乃ちゃんと微笑みながらも視線を全く逸らさない雪ノ下陽乃だったが、ぴりぴりとした雰囲気になってきたのを悟ったらしく、雪乃ちゃんの方が折れた。
取り敢えず雪乃ちゃんは納得したようでこちらへと向かってくる。
その後ろには由比ヶ浜ちゃんと平塚さん、ミュージカルに出ていた可愛い子に比企谷くん。後、まだ寒いとは言い難いこの時期にフィンガーグローブつけてコートを来た子。そこはかとなく、痛いオーラを放っている。後、もう一人ちっこい女の子が。こっちはこっちでそこはかとなく雪ノ下陽乃と同じ匂いが……かなりマイルドだが。
「あ、陽乃さん……それに九条さんも」
「ガハマちゃん、やっはろー!」
「それどこの国の挨拶だよ。由比ヶ浜ちゃん、さっきぶり」
「や、やっはろーです」
「それ敬語のつもりなのか……」
「比企谷くんも、やっはろー」
「どーも」
雪ノ下陽乃の挨拶に、比企谷くんは軽い会釈で返す。すると比企谷を押しのけてちっちゃな子がひょこりと出てきた。
「ちゃんとお話しするの初めてですね!兄がいつもお世話になってます。妹の小町です。こちらは戸塚さんと中二さんです」
「あらあらまぁまぁ、雪乃ちゃんがいつもお世話になってます。姉の陽乃です」
小町と自己紹介する女の子丁寧にお辞儀する雪ノ下陽乃。しかし、どっちが戸塚って子で中二って子か一発でわかるな。
………しかし、妹?
「君、誰の妹なわけ?」
「俺の妹です」
そういって即座に手を挙げたのは比企谷くん。
「……似てない」
「ちょっ、どこ見てるんですか。どこからどう見ても俺の妹でしょ」
「いやさ……」
「言いたいことはわかるわ。この頭から足の先まで腐ったこの男には似ても似つかないわよね」
「おい、その比企谷くん死んでるだろ。ゾンビだろ」
「あら、自覚はあるのね」
そういって微笑む雪乃ちゃん。なんか生き生きしてない?つーか、仲いいな。
「こ、こんにちは……」
「はい、こんにちは。雪乃ちゃんと仲よくしてあげてね」
緊張気味に挨拶する戸塚くんに雪ノ下陽乃は優しく声をかける。上っ面だけだが、この人畜無害そうな子なら大丈夫だと判断したんだろう。
一応俺も軽く会釈だけしておくか。
しかし、可愛い子だな。さぞモテるんだろう……男から。
「ぶるぁ!お初にお目にかかるぅ!我が名は剣豪将軍、材木座義輝であるぅ!控えおろう!」
「……」
おおぅ……なかなか重度の患者だった。自分に通り名みたいなのをつけるなんて。
「あは、すごい個性的で面白いね♪話してて楽しそう」
……マジか。流石に今回ばかりは剥がれるかと思ったが、いつも通りの対応で乗り切りやがった。
「る、るふんるふん!よ、よろしお願いするであります!」
雪ノ下陽乃に無駄に敬礼する材木座くん。その後ダッシュで比企谷くんに駆け寄っていた。
「お前、よくアレに何時もの対応出来たな。ちょっと尊敬したわ」
「あははー、我ながら感心してるよ。ちょっと無理があったけど」
雪ノ下陽乃がそう言って自分の太腿を指差す。
……見えない角度で全力で抓っていた。
なるほど。痛みでねじ伏せたと。それ程までに材木座くんは凄かったと。
「ハル。お前のその生き様に初めて敬意を表する気になったわ」
マジで感服する。ぶっちゃけ、今のは引いても誰も怒らないし咎めないのに、それでも外面を維持できたのは雪ノ下陽乃の日頃の行いの賜物である。
そして材木座くんは比企谷くんに何を言われたのか、超冷静になっていた。流石だ。雪ノ下陽乃に洗脳された直後の人間なら、あっという間に元通りにしてしまうその手腕。こちらも感服する。
「それにしても、陽乃さん、雪乃さんのお姉さんなだけあって超美人ですね……。っは!新たな嫁候補!やるなー、お兄ちゃん」
「何がだよ。っつーか、雪ノ下さんには彼氏いるぞ。見ればわかるだろ」
「へ?そうなの?」
こちらへ視線を向けて不思議そうな顔をする小町ちゃん。俺は無言で頷いた。
「そっかー。残念だなぁ……あ、でも他にいっぱいいるしいっか!」
一体何の話をしてるんだろうか。嫁候補って何?気になるんだけど。
「おお、皆陽乃と九条とは挨拶を済ませたかな?今日は奥の座敷を使わせてもらえるように話をつけてきたから、存分に楽しむといい。まずは乾杯からかな。席につきたまえ」
全員が席に着くと、平塚さんはグラスを手にした。それを合図に皆もグラスを掲げる。
当然平塚さん以外はジュース……といいたいところだが、平塚さん同様に雪ノ下陽乃はハイボール、そして何故か俺はジントニック。俺はジュースでいいって言ったのに。
「では、文化祭の成功を祝して」
『かんっぱーい!』
平塚さんの乾杯の音頭の後にめいめいに杯を乾す。
今日のメインは……というか、もんじゃオンリー。サブもあるけど。
もんじゃ焼きとかは値段が手頃で長い時間いられる上に多彩なトッピングを加えて自分の手で作り上げる楽しさまである。高校生なんかはよく集まっているだろう。俺も昔はよくやった。
「そろそろ良さそうだね」
「お、そうだな。では、いただくとしよう」
平塚さんに促され、ヘラを持ち、皆で食べ始める。
「なにこれ!?うまっ!なにこれっ!見た目の割に超美味い!」
「おい、見た目とか言うな。まじまじ見ると食べる気なくしちゃうだろうが」
「景虎ー?あんまり食欲進んでないよ?お姉さんが食べさせてあげよっか?」
「俺はゆっくり食うタイプなんだよ。後、俺の方が誕生日的には先だろうが」
ゲームしながら飯が多いから、時間をかけてゆっくり食うのが俺のスタイルだ。早く食うと腹の調子が悪くなる。
「しかし、打ち上げってこれでいいのか?もんじゃ食ってるだけだけど」
ふと浮かんだであろう疑問を比企谷くんが皆に問いかける。
「え、ど、どうだろ……」
「具体的に何をすればいいのかしらね」
「後夜祭はなにやってたんだ?」
「えー?なんかね、ライブハウスやってて……皆適当にノリノリでアゲアゲな感じ?」
「実質ノーヒントだったぞ、お前の説明」
具体的要素がゼロだった。といいたいところだが、概ねそんな感じだろう。勢いとノリでその場を楽しむ感じ。
「文化祭でライブをやっていた人達のステージがあったわね」
「後、DJやってる人もいたからダンスもあったよ」
「ふぅん、行かなくてよかった」
後夜祭の内容を聞いて、比企谷くんがそう呟いた。
内容を聞いて、雪ノ下陽乃は余裕を持って頷いた。
「うんうん、健全でよろしい。大人になると、打ち上げっていうとお酒の席になってきちゃうからね」
「何をわかりきったみたいに……俺らはまだそういうのじゃねえだろ」
「そうでもないよ。大学生になると大体飲むよ」
「何それ。最近の大学生怖え……」
「そういって平然と自分は飲んでるけど?」
「いやー、マジで怖え。俺なんて足下にも及ばねえわ………あ、ハイボール下さーい」
「あ、あれー?人の話聞いてる?」
「聞いてんよ。あれだろ?最近の大学生はマジでやべえって話だろ?」
「それ景虎が言ってるだけでしょ……」
「やれやれ。完全に酔っているな……」
酔ってねえ。ちょっと気分が良くて、身体が熱いくらいだ。
「だが、まあ。わかるぞ。陽乃の彼氏をしているんだ。飲まなければやってられないだろう。私もハイボールおかわりを」
そういって平塚さんもハイボールを頼み、ぐびぐびと飲む。
「す、凄い勢いで飲んでる……」
「完全に飲み会になってないか……?」
戸塚くんが怯え、比企谷くんが半ば呆れていた。
「飲み会か……教師同士でやるときは大体生徒の愚痴話ばかりしているな」
「うわぁ……聞きたくないこと聞いちゃった……」
「そうは言うがな、由比ヶ浜。最近は生徒への体罰は疎か説教も許されなくなってきているから調子に乗る生徒も多い。かといって成績を下げると親が殴り込みと来たものだ。愚痴の一つや二つ。許されてもいいだろう」
「いや、平塚先生はいつも俺殴ってるじゃないですか。あれはどうなんですか?」
「君は言葉を弄しても無駄だろう。言葉より拳で語る方が早い」
「どこのヤンキー漫画ですか、それ。しかも殴られてるだけなんですけど。反撃する前に沈黙してるんですけど!」
「はははっ、よく言うじゃないか、比企谷くん。『……沈黙は肯定と捉えるぞ?』みたいな」
「強制沈黙はその中には入らないと思うんですけどね……」
「似たようなもんさ」
俺なんて常にそんな感じだから。主に俺の隣に座ってる方にさせられてるから。笑顔で。
そしてその会話を皮切りに平塚さんの愚痴が始まった。
やれ、ビンゴやプレゼント抽選会の受付とクロークは面倒だの、帰り客の荷物を捌いた後、タクシーを拾わされた挙句、二次会の会場を押さえに走り、果ては偉い人の帰りのタクシーを拾わされ、持ち主の現れない落し物を延々に預からなければならないだの、終いには『上司や先輩に言われて嫌だった言葉ベスト3コーナー』を始めた辺りで、俺も話題のあまりの暗さに笑い飛ばすことができず、酔いが醒めてきた。
「はいはーい、静ちゃん、ストップ。これ打ち上げ。暗い雰囲気はダメだから」
「そうですねー。じゃあ、こういうときはゲームでもして盛り上がりましょう!」
雪ノ下陽乃の言葉に同意し、この空気を打開すべく、小町ちゃんが提案する。
なんだろう、このコンビ。嫌な予感しかしねえんだけど。
「どういうゲームやるんだろうね」
「お、いい質問だねー」
「まぁ、定番なのは王様ゲームだろうな」
王様ゲーム……だと!?
「えぇ……おっさん臭い」
ガハマちゃんがぼそりと呟いた一言が平塚さんを沈黙させる。
「女子と王様ゲーム……。夢・シチュエーション!も、ももももしや、楽しい時を創る企業、バンダイの提供でお送りしていますか!?」
「落ち着け、材木座。スポンサーはバンダイじゃないから」
「王様ゲーム……。王位を争うというなら負けるわけにはいかないわね。ルールを聞きましょう」
「ゆきのん!これ、そういうゲームじゃないから!」
確かに王位を争うゲームなんて、デスゲーム感半端ないゲームを打ち上げでやるなんて正気の沙汰じゃない。そもそも一般人が何の王位を争うというのか。
「一応説明しよう。王様ゲームというのは、くじで王様を決め、その人が何でも命令できるというゲームだ。『王様だーれだ♪』の掛け声で一斉にくじを引く。いいか?『王様だーれだ♪』だぞ?」
「ノリノリすぎるでしょ、この人……」
「なんでも命令できる。素敵な響きです!」
「そだね。なんでも命令ができる。つまり、命令された側に拒否権はないから、どんな恥辱も甘んじて受けなければならないって事だから」
そういって雪ノ下陽乃がこちらへ向けて妖艶に笑った。
こ、怖え。あいつ始めから俺しか狙うつもりねえ……ていうか、王様ゲームは断じてそういうゲームじゃ……ないとは言い難いが、親交を深める意味合いの方が強い。ようは皆仲良くということだ。つまり……。
「上等だ、コラ。後悔すんじゃねえぞ、てめえ」
今日は雪ノ下陽乃と親睦を深めるために何時もとは反対の気分を味わってもらおう。別に嫌がらせがしたいわけじゃない。ただ、俺の気持ちも知ってもらいつつ、雪ノ下陽乃の気分を俺も味わうというナイスなアイデアだ。
「あはっ♪誰に向かって言ってるのかなー?酔って、気分がハイになるのはいいけど、喧嘩を売る相手は選んだ方がいいよ?」
「うるせえ。てめえもゲームと名のつく競技で俺に勝てるとか思ってんじゃねえぞ。トータル勝敗は俺の方が上だかんな」
「え、ええ……王様ゲームってこんなゲームだったっけ?」
「ちょっと怖い、かも……」
「あの二人が異常なだけだ。王様ゲームはもっと夢に溢れたゲームだ」
「したり。特に我らのようなモテない男子には夢のようなゲーム。どんな命令も合法的に許されるゆえなっ!」
「彼も彼なりに不満がたまっているという事だろう。陽乃にやり返すなら今ぐらいしかないわけだしな」
「私としては彼に勝ってほしくはあるけれど……玉砕する未来しか見えないわね」
「おおっ!これが俗に言う修羅場ってやつですね!」
視線を交わす俺と雪ノ下陽乃。周りが軽く引いてるような気がしなくもないが、そんな事は関係ない。やり返すなら今が好機!運ゲーにおいて、俺と雪ノ下陽乃は対等だ。おまけに例えどちらが引いても本人に命令できる確率は低い。つまり、俺が仮に攻撃に成功した場合、雪ノ下陽乃はピンポイントに俺を攻撃できないわけだ。俺も出来ないが、それはゲームの醍醐味。目を瞑ろう。
「仕方あるまい。陽乃はこうなると梃子でも動かんからな」
そういって、平塚さんがテキパキと準備を進めていく。
「よし。準備は出来た。では行くぞ。せーのっ!」
『王様だーれだ!!』
全員の掛け声とともに一斉にひかれる。
俺のは……チッ、二番か。
じゃあ、王様は誰だ?もしや、いきなり雪ノ下陽乃ということは……。
「あ、ぼくみたい」
戸塚くんだった。
「えーと、こういうのって、なんて言えばいいの、かな?」
「合コンやパーティーだとその後の話題提供も兼ねてやる事もある。時々際どいのもあるが、君達はやめておいた方がいいだろう」
なんというか、歴戦の猛者みたいな意見だ。というのは言ってはいけないのだろう。多分地雷だ。
「そ、それじゃあ、四番の人は最近始めた趣味を言って下さい」
うん。まあ、在り来たりだな。して。四番の人は誰だろうか。
「あ、あたしだ。最近始めた事………料理、かな?」
「「ダウト」」
「なんで!?ヒッキーはともかく、ゆきのんまで!?」
「お前のアレは料理じゃない。断じてだ」
「由比ヶ浜さん。あなたは料理を始める以前に調理器具の使用方法、食材について知るべきよ」
壮絶なダメ出しを受けてガハマちゃんは唸っていた。普通の料理下手でもここまでダメ出しされないぞ。どんだけ料理下手なんだ。
「う~……次、次行こう!絶対に私が王様になるんだからっ!」
何故か気合十分のガハマちゃん。報復でもするつもりか?
「せーのっ!」
『王様だーれだ!!』
今度こそ!
と、思ったが、今度は八番を引いてしまった。
いや、まだ焦るな二回目だ。ようは雪ノ下陽乃より先に王様を引けば……。
「私引いちゃった~♪」
ガァァァァァディィィィィィッム!!!!
「さぁ~て、何をお願いしよっかなぁ?」
最悪だ。よりにもよって先に雪ノ下陽乃が引いてしまった。
しかも二回目でだ。最初は段階を踏んで、そして内容はソフトから徐々にハードにが暗黙の了解とも言える
この王様ゲーム。ソフトとハードの切り替わりは言い出しっぺの内容で左右される。大抵の人間はその切り替わりのタイミングを見計らうものだが、この魔王にそれはない。あるのはただ一つ。愉悦のみだ。
「それじゃあね……」
ごくりと生唾を飲む音が聞こえる。いや、俺だけど。多分他のメンツもそんな感じだ。一体この魔王がいかなる試練を与えてくるのか、皆一様に警戒していた。
「八番の人は三番の人に壁ドンしてくださーい」
デデーン。九条アウトー!
なんでお前は俺を一発で当ててくるんだよ!?もっとこう、泳がせろや!
「ほらほら、八番の人と三番の人は名乗り出て♪」
こ、この野郎。どこから来てんのか知らんが、確実にどっちかは俺だって確信してやがる……いや、片方は見事に俺ですけども。
「俺だよ……」
「……私ね」
仕方なく、手を挙げた二人の声が重なった。前者は当然俺、後者は……雪乃ちゃん。
最悪の組み合わせだった。
「あはっ♪面白いね♪」
「面白いわけあるか!お前の妹だぞ!?」
「わかってるよ。私が言いたいのは、それに狼狽えてる景虎が、面白いの」
デスヨネー。良い趣味してるぜ。
雪ノ下陽乃の前で、その妹を、というだけでも嫌なのに、相手はあの雪乃ちゃんである。さぞかし嫌そうな顔をするに違いない。いや、俺も嫌だけど。
「一つ聞いても良いかしら?」
特に嫌そうな顔をすることなく、雪乃ちゃんは手を挙げる。
「『壁ドン』というのは何かしら?姉さんが言っている時点で良い事でないのはわかるのだけど」
「……」
うぇーい。マジですか。壁ドンを知らないときたか。
「雪ノ下。壁ドンっていうのはな……」
「はい、比企谷くんストップ。それ以上言うと面白くないから」
雪乃ちゃんに『壁ドン』とは何であるかを教えようとしていた比企谷くんだが、雪ノ下陽乃に止められていた。
「雪乃ちゃんはその辺に立ってて。『壁ドン』の事は景虎が教えてくれるから」
「?ここでいいのかしら?」
雪ノ下陽乃に指定された場所に立つ雪乃ちゃん。そして雪ノ下陽乃が視線で俺に訴えかけてきた。
王様の命令は絶対。別にそんなに難しい事も要求されていないし、拒否すれば俺が反撃する時も拒否される可能性が生まれてしまう。
仕方ないので俺は立ち上がって、雪乃ちゃんと向かい合わせに立つ。
壁ドンを理解している皆はごくりと息を飲み、唯一、雪乃ちゃんだけが未だ首を傾げている。
俺は意を決した。
ドン、と勢いよく壁に手をつき、雪乃ちゃんを見下ろすようにして言い放つ。
「俺の女になれよ」
辺りを嫌な静寂が包んだ。
何故このタイミングで静かになるんだと言いたい。これではまるで俺が彼女を口説いているようではないか。
雪乃ちゃんは特に何の反応も示さずに、顎に手を当て、数巡迷ったような素振りを見せた後……。
「ごめんなさい。それは無理」
断られた。
「あっはっはっは!振られてる!あんなにカッコつけて振られてるよ!」
雪ノ下陽乃は大爆笑してらっしゃった。てめえがやれっつったんだろ。
「第一、恋人の妹にも言いよるというのは如何なものかしら?幾ら私が可愛いとはいえ、節度は持った方が良いわよ」
そして雪乃ちゃんには怒られた。
「いや、今のが『壁ドン』なんだ」
「さっきの行動が?それともその節操のない態度の事かしら?」
「前者です」
後者は種まき鳥とか種馬とか言います。
「次やるぞ、次!次こそは俺が王様だ」
「それフラグだよ、景虎」
「うるせー」
否定はしたものの、そこから俺が一度も王様を引く事はなかった。
材木座くんがツンデレ幼馴染を要求して、戸塚くんがテンプレ発言をさせられていた。比企谷くんと材木座くんを除く全員が白い目で見ていた。
雪ノ下陽乃が引いた時は渾身の土下座をさせられた。俺の志が一日も経たずに砕かれた。
小町ちゃんが王様になった時はガハマちゃんが比企谷くんに「はい、あーん」をした。甘い空気が流れた。
また雪ノ下陽乃が引いた時は俺が三回回って「わん」と言わされた。俺の尊厳が砕かれた。
雪乃ちゃんが引いた時は比企谷くんが黒歴史を喋らされた。空気が重くなった。
またまた雪ノ下陽乃が引いた時は平塚さんの『衝撃のファーストブリッド』を受けた。俺の身体が折れた。
平塚さんが引いた時はどうしたら結婚出来るかを訊かれた。誰も答えられず、沈黙していた。
そしてまた雪ノ下陽乃が……って、おい!
「お前、さっきから王様になり過ぎだろ!?」
「あはは……だって王様だからね……」
ん?雪ノ下陽乃にしてはノリが悪い。というか、元気がない。
それに比企谷くんや雪乃ちゃんも気づいたらしい。顔を見合わせていたが、テーブルの上を見て、すぐに気づいた。
「頭は痛いか?」
「……ん。ちょっとね。飲み過ぎたかも」
力なく答える雪ノ下陽乃。その手には空のジョッキが。
テーブルにも凄い量のジョッキがあった。こいつ、さては面白がってる内に飲みまくって限界点が来たらしい。意識が飛ぶより先に頭痛が来るのは俺も同じだ。二日酔いにはならないが、寝るまでが辛い。
はぁ……こいつらしいっていえばらしいな。
「すんません。俺とハルはこの辺で帰ります。金はここに置いときますんで」
「そうしたほうが良いだろうな。明日は平日だ。大学もあるだろう」
「ちょっと……私、まだ遊びたいんだけど?」
「なら飲む量考えろ、馬鹿」
財布と携帯をポケットに突っ込み、雪ノ下陽乃のバッグを肩にかける。
「じゃあ、高校生諸君。夜遊びは程々にな」
ひょいっと雪ノ下陽乃抱き上げて、そのまま入り口に直行していく。
どう抱き上げてるかって?お姫様だっこしかないだろうに。
「景虎。私、まだ帰るって言ってないんだけど」
「俺の独断だ。止めたきゃ、王様命令使ってみろ」
「……5番の人。今すぐ引き返して」
「外れ。俺は6番だ」
とは言ったが、実は5番だったりする。
何こいつ。どんだけきっちり当ててきてるわけ?王様ゲーム強すぎだろ。
「これ恥ずかしいんだけど」
「俺も恥ずかしいからイーブンだ。タクシーあるところまで我慢しろ」
後、腕も辛い。体育会系じゃないから、いくら雪ノ下陽乃が軽いとはいえ、数十キロある人間を抱えるのはなかなか厳しい。
「……バイクはどうするの?」
「どうするも何も明日拾いに来る。ちと遠いけどな」
最初は俺はジュースを飲んで、雪ノ下陽乃を送って行くつもりだったのだが、飲まされたし、飲酒運転で捕まるのはごめんだし、雪ノ下陽乃も本意じゃないだろう。捕まらないように逃げろとか言い出しかねないというのもある。
いう事がなくなったのか、雪ノ下陽乃は無言になり、俺も特に言う事はないので無言になる。
近場でタクシーを拾い、雪ノ下陽乃を先に乗り込ませてから俺も乗り込む。
タクシーの運転手に俺の住所を伝える。後は雪ノ下陽乃の実家の住所を……と思ったのだが。
横を見ると、さっきの今で雪ノ下陽乃は眠ってしまっていた。
………おいおい。寝るの早すぎだろ。会話を止めて大体二分ぐらいで寝ちゃったよ。
「どうします?」
タクシーの運転手に訊かれたものの、俺はこいつの実家の住所を知らないし、家の電話番号も知らない。
「……取り敢えず、さっき言った住所でお願いします」
残された選択肢は一つしかなかった。
十五分ほどで俺の家に着いたのだが、当然のように雪ノ下陽乃は眠っていた。それもそうだ。何せ、アルコールか入って寝ているのだから、ちょっとやそっとじゃ目を覚まさない。叩き起こすという選択肢はある事にはあるが、後でとんでもない報復を受ける事になる。
代金を支払った後、俺は雪ノ下陽乃を抱きかかえてタクシーを降りる。
タクシーの運転手が妙に良い笑顔だったのは、なんか余計な事を察してだと思う。残念ながら、そんな事はありませんよ。
抱きかかえたまま、器用に鍵を差し込んで扉を開ける。
「たでーま」
一人暮らしなので当然返事は返ってこない。しかし、今回はこれで都合が良いともいえる。もし、親が家族が家に居れば家族会議に発展していたかもしれない。何せ、見てくれは良い。寝ているだけなら取り巻き共が女神扱いするのもわかる。内側は悪魔だけどな。
廊下の電気を点けて、寝室へと向かう。
寝室と言っても、休日は一日の大半を其処で過ごしているのでリビングのようなものだ。本来のリビングかなんて、テレビはないし、ソファーと机があるだけ。後、大量の本。最早息してない。
寝室こと俺の聖地に帰ると、相変わらずゲームや漫画、ラノベの山が積まれていた。足の踏み場はある。必要最低限度ではあるが、動けるようにはしている。ほら、だって蹴飛ばしたり踏んだりするの嫌じゃん?
最低限度の足場を進んでいき、無事ベッドに到達。雪ノ下陽乃を寝かせる。
久しぶりの肉体労働だった。明日は筋肉痛か。
「………本当に。黙ってりゃ、可愛いのによ」
寝ている雪ノ下陽乃を見て、無意識のうちにそう呟いてしまった。
いかん。俺も酔ってるな。こんなの本人に訊かれた日にはまた面倒な事になる。
「景虎……」
部屋を後にしようとしていたその時、ふと名前が呼ばれた。
当然、呼ぶ人間は一人しかいない。
「起きてたのかよ」
振り向いてそう問いかけるも、反応はない。
近くに寄っていって、おそるおそる頬をつついてみるものの、反応はない。何時もなら触る前か、その直後くらいに何か言ってきそうなものだが………寝言か?
驚いた……訊かれてんのかと思ったぜ。
「私の事……好き……?」
………は?
ま、また具体的な寝言を。
「てめー、本当に寝てんのかよ」
問いかけてみるも返答はない。狸寝入りじゃねえよな?雪ノ下陽乃が好き嫌いを訊いてくる事は今まで一度もなかった。
理由はない。ただ、俺達の関係にそんなものは必要はない。所詮は仮初めだ。体の良い男避け。都合の良い暇潰し。深い関係などない。それ以上でもそれ以下でもない。
別に俺自身、雪ノ下陽乃に対しては苦手意識なようなものはない。
結局のところ、こいつが演じているように、俺も演じているだけに過ぎないのだろうか。
……馬鹿らしい。俺はいつだって俺だ。演じているつもりなんてない。合わせる事はあっても、噛み合わせるために演じるつもりなんて毛頭ない。
「嫌い……じゃねえかもな。割と好きだぜ」
完成された外面の内に見える無邪気な悪意も、その更に奥にある本心も。
雪ノ下陽乃と長く関われば、自ずと見えてくる。これがこいつなりのコミュニケーションだと。
「……阿呆らし。俺も寝るわ」
これ以上いると、とんでも無いことを口走りそうだ。
クローゼットから掛け布団を引っ張り出し、俺は息をしていないリビングにあるソファーの上で寝ることにした。
◇◆◇
「ん………うぅん」
目を覚ました時、私は見た事のない……違う。見慣れない部屋にいた。
まだ覚醒しきっていない脳でも、この場所はわかる。私の仮初めの恋人、九条景虎の部屋だ。
所狭しと積まれたゲームや漫画を見て、すぐにわかった。以前来た時よりも更に部屋が狭くなっているような気がしたけど、今はそんな事はどうでも良い。
昨日、景虎にお姫様だっこをされたまま、話した後の記憶がない。あの後、お酒は飲んでいなかったから、飲み過ぎて記憶が飛んだわけではなく、寝てしまったということだろう。
「はぁ……やっちゃったなぁ……」
思わず、深い溜息を吐いてしまった。
でも、仕方ない。きっと家に帰ればお母さんにまたねちねちと説教されるし、携帯の着信履歴なんて凄いことになってて見るのも煩わしい。
特に問題なのは、景虎の前で無防備に寝てしまったということ。
もし、恥ずかしい写真の一つでも取られていたら、下手をすると攻守交代をしてしまうかもしれない。もちろん、そうなった場合は景虎といえど、全力で叩き潰すけど、若い男女が同じ屋根の下で寝泊まりした挙句、朝帰りなんて写真を持って吹聴された日には消した後の事後処理が大変な事になる。
昨日は自分でもよくわからないけど機嫌が良かった。
今まで飲みに行くことはあったけど、あそこまで飲んだ事はなかったし、あんなに素直にされるがままだったこともなかった。
相手が景虎だからって、気を許し過ぎたのかもしれない。これからはもう少し気を引き締めていかないと。
「景虎の匂いがする……なんちゃって」
微睡みを彼方へと追いやり、かろうじて存在する足場を通って、玄関ではなく、リビングに向かう。
このまま帰っても構わないけど、一応ここまで連れてきてくれたお礼と、後何か良からぬことをしていた時の為の釘を刺しておかないといけない。
急いだところで、大学の講義の一限目は遅刻なわけだし、二限目から行けば良い。
リビングに着くと、案の定、景虎はソファーの上で眠っていた。
いつもはどこか不貞腐れたような顔をしている景虎は、寝ている時は寝ている時でどこかだらしない。
涎垂らして寝てるし。撮って後でからかおうっと。
携帯で景虎の寝顔を撮った後、ふとテーブルの上に目がいく。
そこにあったのはお皿の上に乗った数個のおにぎり。
景虎、自分の朝ご飯だけちゃっかり用意してたんだ。
私もお腹減ってるのに。これはお仕置きだね………?
テーブルの上にはおにぎり以外に一つの置き手紙があった。宛名は一応『ハルへ』とだけ書かれていた。
多分、勝手に食べるなとか、そんな感じなんだろう。景虎の性格的に。
そう思って、見てみると……。
『一応、腹減ってるだろうと思うから、食いたきゃ食え。マズイとか、見た目が悪いとか、冷たいとか、中身が好きじゃないとか、聞かねえからな。以上』
「……ふふっ、何これ」
思わず、笑みがこぼれた。
そういえば、景虎はこういう人間でもあった。
いつも文句ばっかり言う癖に、反発してくる癖に、何だかんだでいつも私のお願いを訊いてくれる。
変なところで気を使うし、思ってもないところで私の要求に応えてくるし、時々予想を裏切る。
だから、私はそんな景虎が嫌いじゃない。
利用するだけの一方的な関係のつもりだったけど、景虎なら……。
「ううん。やっぱりダメ」
今の関係じゃないとダメ。私にとっても。景虎にとっても。今以上の関係を望んじゃいけない。
「だから、ね。いっぱい私を楽しませてくれた景虎にはご褒美をあげます。ありがたく受け取るように………なんてね♪」
そう言って、私は景虎の額に軽く触れる程度のキスをした。
今までのお返し。景虎は寝てるけど、景虎には不意打ちぐらいが丁度いい。
起きてるとまた「こんなのがご褒美なんて納得できるかー!」とか言いそうだし。こんな美人を捕まえて、よく言うよ、景虎は。
「ん。ちょっと気が変わったから、恋人の真似事でもしてみよっかな」
腕まくりをして、キッチンへ向かう。
冷蔵庫の中身は………あら、意外とちゃんとしたものがある。てっきりインスタント食品ばっかりだと思ってたけど。変なところでしっかりしてるなぁ、景虎は。
「でも、買い物に行く手間が省けたし。これで朝御飯兼お昼御飯でも作ろっか」
何の見返りも無しに誰かの為に料理を作るなんて、とても私らしくはないけれど、それでも構わない。
いつだって気まぐれ。その日その時の気分によって行動する。
なんて言っても、私は雪ノ下陽乃なんだから。