魔王の玩具   作:ひーまじん

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気を許すと、互いに見えてくるものがある。

季節早く師走こと十二月。

 

寒さが十一月に比べると加速度的になり、そろそろ手袋でもしようかと考え始める頃。

 

「かーげーとーらっ♪」

 

「なんっ……あががががっ!?」

 

今日も今日とて、魔王様の気まぐれにより、俺は朝一番から訳のわからない声を出す羽目になった。

 

冬になると友人同士でよくやるアレである。背中に手を突っ込むやつ。

 

身長的には十数センチ俺の方が上なのだが、その程度では防げない。

 

雪ノ下陽乃はなんの躊躇いもなく、無慈悲に俺の体温で温められた空間に手を突っ込んできた。

 

「冷たっ!おい、ハル!手を抜け!冷てえだろうが!」

 

「はぁ〜。やっぱり暖かいね。流石は景虎。私のために温めてくれてたんだね」

 

「どんな解釈だよ。つーか、人の話聞けや!」

 

「あと二分くらい」

 

「あと二分も待ってたら、普通におまえの手が温もるのを待つのと同じだろうが!」

 

「寧ろそういう意味で言ってるんだけど?」

 

「だよな!」

 

朝っぱらからなんでこんなノリツッコミじみた事をせにゃならんのだ。つーか、襟伸びるんですけど。突っ込む角度の問題的に。

 

「コーヒー買ってやるから。抜けよ」

 

「コーヒーより紅茶がいいな〜」

 

「なんでもいいっつーの」

 

そう言うと雪ノ下陽乃はすっと手を抜いた。ゔ〜、寒かった。折角、俺の体温によって温められた服とそれから生み出される温もりも根こそぎ奪われてしまった。これが男相手なら報復するところだが、雪ノ下陽乃相手では完全にセクハラであるし、もししたとして、後の報復に何をされるかわからん。

 

そしていざ自販機に行こうとした時、唐突に雪ノ下陽乃に手を掴まれる。

 

「……景虎の手も暖かいね」

 

「そう言うお前は冷た過ぎるだろ。氷の女王かよ」

 

「普通に冷え性なだけだもん。それに氷の女王なら、イメージ的には雪乃ちゃんでしょ?」

 

確かに。視線だけで凍りつきそうだもんね。雪ノ下陽乃の場合は炎の、ではなく太陽の女王を装った闇の女王かもしれない。近づきすぎたが最後飲み込まれてジエンド。なんということでしょう。

 

「それに手が冷たい人は心が暖かいっていうよ?」

 

「今世紀最大のジョークだな。ぶっ飛びすぎてて笑えもしねえよ」

 

こいつの場合、心から凍ってるから、手は冷たいけど心は暖かいって理屈はないし、あれはそもそもその場の慰めみたいなものだ。そんなので人の温もりが伝わるなら、冷え性の人間は全員詐欺師にでもなればいい。心が暖かいって確証はあるんだから、疑われることはないはずだ。

 

「景虎の癖に生意気〜。それが自分の彼女に言うセリフ?」

 

「そうやって怒ってるフリしてる時点であざとい。打算的」

 

ぷくっと頬を膨らませる雪ノ下陽乃の頬をつつく。

 

側から見れば、リア充オーラ全開に見えなくもないが、俺達は本当の恋人じゃないので、その辺はちゃんと覚えておくように。テストに出るから。

 

「えーと、確か紅茶がいいんだったよな?」

 

「そうそう。………えいっ」

 

午後の紅茶とブラックコーヒーを買って………と思ったのだが、その前にブラックコーヒーを買う前に雪ノ下陽乃があろう事かMAXコーヒーを押しやがった。

 

「おまっ、何してんだよ」

 

「前々から興味あったんだ。比企谷くん曰く「千葉のソウルドリンク」らしいから」

 

じゃあ、自分で買えよ。

 

そんな事を言ったところで馬の耳に念仏なのは百も承知。自粛と反省から縁遠い人間だ。

 

「つーか、これが千葉のソウルドリンク?ただの糖尿病生産機じゃねえの?」

 

何を隠そうこのMAXコーヒー。病的に甘すぎる。砂糖水を飲んでるんじゃないかと思える程だ。高校の時はよく罰ゲームで飲まされたことがある。謂わば罰ゲームアイテムの一つなのだ。好き好んで飲む人間なんていないとばかり思っていたのだが……世の中は広いな。知り合いだけど。

 

などと考えているうちに雪ノ下陽乃は勝手にプルタブを開けて、MAXコーヒーを飲む。午後の紅茶を買ってやった意味はあるんだろうか。どうせ、後で飲むとか、手を温める用とか言い出すんだろうけど。

 

ごくっと一口飲んだ雪ノ下陽乃は少しだけ顔を顰める。その後、こっちにMAXコーヒーを差し出してきた。

 

「……甘過ぎ」

 

「だから言っただろ。糖尿病生産機だって」

 

おまけにどうすんだ、これ。買った以上、飲まなきゃもったいないし、罰ゲームアイテムをわざわざ買って自分で飲み干すなんて、どんだけMなんだ。

 

勢いに任せて、ごくごくと飲むが、やはり甘い。超甘い。人間の飲み物じゃねえよ。

 

半分ほど飲んだ辺りで一旦止める。ブラックコーヒー買ってから、交互に飲むか……いや、それだと本末転倒な気がしなくもない。何としてでもこれで乗り切らないと。

 

「景虎、気づいてる?」

 

「あ?何が?」

 

何故か愉快そうな笑みで問いかけてくる雪ノ下陽乃。なにか面白い事でもあったのかと視線を彷徨わせてみるが、特に変わった事はない。

 

「間接キスだよ?」

 

言われてみて、初めて気がついた。

 

そういえばこのMAXコーヒーは雪ノ下陽乃が先に飲み、後から俺が飲んだ。となると必然的に間接キスになり、雪ノ下陽乃はその事実を俺に突きつけて、照れる姿でも見たいんだろう。

 

「そういやそうだな。どうりで前より甘いと思った」

 

「?」

 

別に間接キスに照れることはない。直じゃないんだし。屁理屈をこねるなら、レストランなどで使うコップなんて洗ってはいるが結局間接キスまがいのことをしてるだろう。つーか、男子での回し飲みとかよくあったから、今更間接キスどうこう言ってるとキリがない。

 

なので、今回は俺から仕掛けてみることにした。

 

「ハルの味がするわ」

 

………やっべ。我ながらかなりキモい事を言った気がする。

 

なんだよ「ハルの味がする」って意味わかんねえ。イチャラブカップル発言過ぎるだろ。こんなのリアルじゃ絶対にあり得ねえぞ。

 

慣れない攻撃に辟易しつつ、恐る恐る雪ノ下陽乃を見てみる。

 

いつもなら笑いながら「景虎気持ち悪ーい!」とか言ってきそうなものだが……。

 

だが、俺の予想とは裏腹に雪ノ下陽乃はポカンとしたまま、目を瞬かせていた。

 

あの雪ノ下陽乃が呆気にとられていた。一体俺はどれ程のキモい発言をかましてしまったのだろうか、少なくとも外面が消し飛ぶほどだったのかもしれない。

 

「お、おい。ハル?今のはだな……」

 

さっさと弁明しようとしたら、雪ノ下陽乃はハッと我に戻り、俺の手からMAXコーヒーをぶんどる。

 

そして俺同様一息にごくごくとMAXコーヒーをあおった。

 

「ふぅ……景虎」

 

こいつにしてはめちゃ真剣な表情。いつもおちゃらけた表情ばかりしてるから、妙に迫力があるというか、なんというか。

 

「景虎の味がするね♪」

 

超良い笑顔で同じ言葉を返された。

 

成る程。攻撃するのはいいが、されるのは嫌いだから同じ手段で反撃してきたわけか。

 

だが、甘い。

 

日々幾度となく、度の過ぎた悪戯に晒され続けていた俺にこのような温い攻撃は通用せんのだぁ!

 

「……お、おう。そうか……」

 

嘘でーす。すみませーん、全然温くありませんでしたー!

 

よくよく考えてみれば、こっちの方向性の攻撃は喰らったことありませんでした!普通に効果絶大です。

 

「はい、私の勝ちぃー。景虎が私に挑むなんて百年早いよ」

 

「百年も経ってたら別人だっつーの。まあ、その手の事で、お前に勝てる気はしねえけどよ」

 

挑んでみてわかったが、こういう手合いは一日の長どころか、数万歩雪ノ下陽乃が先を行く。無謀にも挑めばこのように返り討ちだ。最近は少しだけ外面よりも内面が押し出されてきたような気がしてきたんだが、気のせいだったのだろうか。

 

「……実はちょっと動揺したんだけどね」

 

「あ?なんか言ったか?」

 

「うんうん。なんでもー。景虎って、なんだかんだ言ってああ言うのに弱いのかって」

 

「男は大体弱えよ。比企谷くん辺りには効かなさそうだけどな」

 

彼の場合、例え本当の恋心を持って、同じ事をしても右から左だろう。まずは疑いかかるべし。って感じだしな。

 

「へっくし!」

 

……それはそれとして寒いな。さっさと屋内に逃げ込むつもりが雪ノ下陽乃に止められてしまって、長居する羽目になっていた。

 

「さっさと中に入ろうぜ。風邪引いちまう」

 

「えー、男の子なのにだらしないなぁ。子どもは風の子でしょ〜」

 

「それだと男は関係ねえだろ。つーか、俺もそうだけどよ。俺が言ってんのはお前の事だ。いくらお前でも風邪ひかねえなんて事はねえだろ」

 

いくら完璧超人でも、人外染みていても、ここが異能やら異形が蠢く世界でもない限り、人の理を外れることなんてできない。雪ノ下陽乃といえど、条件さえ満たせば風邪くらいは引くだろう。

 

「……いや、寧ろこのままいたほうがいいかもしれねえな。お前が風邪引いたらどうなんのか、ちょっと見てみてえな」

 

そうしたらちっとは可愛げがあるかもしれない。こういう奴は弱ったほうがいっそ本心も見れて、いつもと違う可愛げが………やべぇ。単に外面が外れただけで延々と毒を吐いているイメージしか湧かねえ。

 

「へぇ……じゃあ、風邪引いてみよっか?」

 

「やっぱいいわ。碌な事なさそうだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果。

 

…………俺が風邪ひきましたとさ。

 

笑えねえ……風邪引いたら面白えとか考えてる本人が風邪引いて寝込むとか。

 

「あはは、本当に笑えないねえ」

 

ついでに笑えないのは、何故か分かりきったかのように雪ノ下陽乃が俺の家にいるということだ。

 

「……なんでここにいる。どうやって入ってきた?」

 

「またまたぁ〜。前にも勝手に入ってきたでしょ」

 

勝手に入ってきたことは認めちゃうんだ。まあ、今更責めたってなんの意味もない。

 

「ちっ。ちょっと待ってろ」

 

痛む頭を押さえ、ベッドから立ち上がる。

 

確か、棚の中に最近バイト先の店長に貰った紅茶のティーパックがあったはずだ。そこそこ値もするから、気が向いたら飲もうと置いておいて良かった。

 

「はい。景虎、ストップ」

 

「なに……ぐえっ」

 

服を引っ張られて、体勢を崩した俺は積んであったラノベの山に突っ込んでいった。

 

「景虎は病人なんだから。寝てないと駄目だよ」

 

「寝るっつーのはベッドでか。それとも今この体勢のことを言ってんのか?」

 

「ベッドに決まってるでしょ。景虎が掃除してないから、こんな事になっちゃっただけだし」

 

「………否定はしねえ」

 

つーか、出来ねえ。確かに本の山に突っ込んだのは雪ノ下陽乃が服を引っ張ったせいであるものの、積みまくってなきゃそこで尻もちをついていただけだ。

 

「で、なんだよ。今はなにもしてやれねえぞ」

 

「私だって今の景虎に求めてないよ」

 

なら何しに来たんだ。………っ。頭が痛くてよく回らない。いつもならもうちと頭が回るんだが。

 

「ほら、私って景虎の彼女じゃない?」

 

「ああ……それが?」

 

「あれれ。思ったよりも重症みたい」

 

「……そう思うんなら、今日だけはそっとしておいてくれ」

 

「んー。それは駄目。さっきも言ったけど、私は景虎の彼女。寝込んでる彼氏のところに介抱をしに行けば、恋人アピールにちょうどいいじゃん」

 

そういう事か。それならこいつがここに来た理由も納得できた。

 

「なら……」

 

「したフリをするのは無しね。ちゃんと公言しないといけないし、何もしないのは暇だから絶対に嫌」

 

先に言おうとしていた言葉を言われた。

 

中途半端や妥協を許さない雪ノ下陽乃らしくはあるが、俺の介抱なんて酷く面倒なはずだ。面倒も嫌いな雪ノ下陽乃は暇と天秤にかけたに違いない。これだと途中で面白介抱に発展するかもしれないな。

 

「………じゃあ、頼む」

 

「頼まれました。景虎はベッドで横になっててね」

 

そう言うと雪ノ下陽乃は部屋から出て行き、居間の方へと向かって行った。せめて手ぐらい貸して欲しかったが、貸しという響きが何故か雪ノ下陽乃に対して使っちゃいけない言葉のような気がしたので、呼び戻さず、よろめきながら立ち上がり、ベッドにもぐりこむ。

 

やべえ。死ぬ程怠い。

 

風邪を引くのなんてかれこれ一年半ぶりくらいか。いや、あの時は熱が出てなかったし、実質三年ぶりくらいか。割と熱も高かったし、久しぶりに来るとなかなか辛いものがあるな。雪ノ下陽乃がいるからというのもあるが。

 

「景虎持ってきたよ〜」

 

入ってきた雪ノ下陽乃が持っていたのは氷と水の入った洗面器とタオル。雪ノ下陽乃にしてはなんとも古典的と言わざるを得ない。

 

「なんでそれ?冷えピタとか熱さまシートがあんだろ」

 

「こういう方が景虎も嬉しいでしょ?」

 

「別にそんな事ねえけどな」

 

そりゃまあ、ギャルゲーやってりゃ冷えピタでも熱さまシートでもなく、濡れタオルだけども。実用性とかその他もろもろを優先してみれば、どう考えたって冷えピタや熱さまシートの方がいいに決まってる。解熱剤は?と聞かないのは単に家になかった気がするから。

 

「ま、いいや。私に頼んだ以上、景虎がやり方に難癖つけられる権利は持ってないし」

 

ごもっともです。いや、頼んでなくても大体はないんですけどね。あなたが相手だと。

 

雪ノ下陽乃は横になっている俺の額に絞った濡れタオルをおいて、満足そうに頷く。

 

何故満足そうなのかは最早問うまい。

 

そしてそのまま俺の隣に座ってから二分くらい経過した頃。

 

なんだか、眠くなってきたなと思ったその時。

 

「景虎ー。暇だから何かしてー」

 

「……じゃあ、帰れよ」

 

何も望んでないじゃなかったんですかねぇ………矛盾してるよ、この人。今に始まった事じゃないけども。

 

「やだー。せめてお昼まではいるから、それまで暇つぶしして」

 

「それまで我慢してくれよ。頼むから」

 

本気で身体を動かすのが煩わしい。面倒とかそう言うのじゃなくて、普通に怠いんだ。

 

「えー……………あ、じゃあさ。景虎の事、話してよ。喋るくらいならできるでしょ?」

 

「出来なくはねえけど……」

 

寝かせてくれるっていう選択肢はないんですか。ないですね。あなたは魔王様ですもんね。下々の声は届きませんもんね。

 

「別に面白え事なんてねえぞ」

 

「いいのいいの。あんまり期待してないから」

 

「そうかよ」

 

まあ、下手に期待されるよりかはマシか。俺の事なんてさして面白くない事ばっかりだしな。

 

「つっても、何を話せばいい?」

 

「景虎はなんで千葉に来たの?」

 

「なんで……まあ、端的に言えばな。親とソリが合わなかったんだよ。それで中学の時荒れててな。勢いあまって地元の不良を半殺しにしちまった」

 

「ふーん………?え?景虎って実は喧嘩強いの?」

 

「当時はそれなりにな。成績は悪くなかったけど、頭はぶっ飛んでたな。わざわざ喧嘩売るような真似してからもれなく半殺しだ。一時期変な異名もつけられてた」

 

そして当時はそれを聞いて、カッコいいとさえ思っていた。本当にぶっ飛んでる。冷静になるとすげえ恥ずかしいやつだし、そもそも悪質にも程がある。それ程までに当時の俺は荒れていた。理由はものすごくくだらない。中学生が反抗期を迎える理由なんて大抵くだらないが俺もご多分に漏れずくだらない理由で荒れまくっていた。

 

「ただ、まあ。半殺しにした奴等は俺よりも色々やらかしてたみたいでよ。ぶっ潰した時もうちの生徒をボコってた時だったらしい。で、俺はそれを助けたヒーローなんだと。度が過ぎてるって説教食らったけどな」

 

偶然に偶然が重なって、俺の暴力は正当化された。でなければ、普通に高校に通うにしては経歴に問題がありすぎる。

 

「そうなんだ。てっきり『俺の地元にないゲームがあるから』とかそんな理由でだと思ってた」

 

「いくらなんでもそりゃねえよ」

 

確かにゲーマーではあったが、あの当時はゲームをしていたのは面白いと言うのもあったが、それよりも退屈を感じたくなかった。暇になり、一度思考してしまうとどうしても考えてしまった。その度に自分の弱さを突きつけられ、どうしようもなく苛立ち、暴力に走った。

 

「で、一度頭を冷やすって事で爺さんのいる千葉に来て、今に至るってわけだ」

 

親元から一時離れた俺は思いの外すぐに落ち着いた。

 

爺さんや婆さんが優しかったこともある。いつも俺の気持ちを尊重して、過剰に世話を焼くこともなく、適度な距離感を持って接してくれた事もあった。だからこそ、俺はもうあの時代を黒歴史と認識しているし、正直言って地元には帰りたくないでござる。恥ずかしさで死にそうだから。

 

「まあ、こういう事もあってな。お前を尊敬してるところがある」

 

「景虎が?私を?なんで?」

 

「色々言ったけど、つまるところ俺は嫌な事から逃げた人間だからな。俺とは比べものにならない家庭環境で逃げないで闘ってるお前は強い。すげえ奴だって思ってる」

 

純粋な感想だった。

 

雪ノ下陽乃をして、「自分より怖い」と評される雪ノ下母は俺の両親とは比べ物にはないだろう。つーか、俺の両親も、見た目だけならあまり怖くはない。ただ、それ以上に嫌だっただけだ。

 

だが、雪ノ下陽乃は俺とは違う。

 

逃げる事をせず、ただその状況に耐えられている。荒れる事なく、ただ確固たる意志を持って、雪ノ下陽乃は自分を見失わずにここにいる。

 

結局のところ、雪ノ下陽乃と雪ノ下雪乃の強さの違いはそこにあるんだろう。

 

以前の雪ノ下陽乃の言っている事が本当だったのなら、雪乃ちゃんもまた俺とは違うものの、限りなく近い人間だ。抗うこともなく逃げただけの。

 

だから、俺は雪ノ下陽乃には少なからず尊敬できる部分がある。

 

あまりにもくだらない理由で逃げ出した俺には少し眩しいくらいだ。そしてその勢いで雪ノ下陽乃の暗黒面には目を瞑っておこう。そこはあまり尊敬できない。どんな理由があってもだ。

 

「………本当に」

 

「……?」

 

「景虎は私が強いって……本当にそう思ってる?」

 

ぼうっとしていた俺の意識は雪ノ下陽乃のその一言で叩き起こされるように覚醒した。

 

責めるでもなく、貶すでもなく、否定するでもない。

 

諭すように問いかけてくる雪ノ下陽乃の言葉に俺は思わずベッドから身体を起こした。

 

「雪ノ下……お前……」

 

「ん?どうしたの、景虎。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

 

きょとんとした表情でこちらを見てくる雪ノ下陽乃はいつも通りに見える。いつも通りに外面を全面に押し出し、男の理想を当然のように振舞っている。

 

だからこそだ。

 

雪ノ下陽乃の違和感をはっきりと知覚できた。

 

「ハル。さっきのは忘れろ。熱で頭がどうかしてた」

 

失言だった。

 

雪ノ下陽乃ほどの人間ならと勝手に俺の考えを押し付けていた。

 

それで昔痛い目を見たというのに。また自分の愚かしさを露見させてしまうところだった。

 

軽視されるのはいい。いつもの事だ。

 

馬鹿にされるのもいい。もう慣れた。

 

ただ、今の今までこいつと一緒にいて、ちっぽけでもようやく出来た信頼関係をこんなくだらない事で終わらせたくは………ない?

 

ん?ちょっと待て。

 

なんで今そんな事を思った。

 

少し前まではあれ程終わらせたがっていた関係じゃないのか。

 

勝手な都合で振り回されて、うんざりしていたはずだ。

 

なのに。なのになんでそれを惜しいと感じる。

 

こんな関係望んじゃいなかったんじゃないのか。

 

………くそ。やっぱりどうかしてる。風邪引いたせいでおかしな事を思いはじめた。

 

「本当にどうしたの、景虎。厨二病でも拗らせたの?」

 

「厨二病はそんな突発的なもんじゃねえ。もっとこう、土台があってだな」

 

「じゃあ、再発?」

 

「おい、人を元厨二病患者扱いするのはやめろ」

 

ちょっとしか拗らせてないし!名前が珍しいから実は凄い奴の転生体ぐらいだとしか思ってなかったし!男なら誰でも通る道だし!

 

「はぁ……お前といるとやっぱり疲れるわ」

 

「そう?私は疲れないし、楽しいよ?」

 

「そりゃな。楽しくない事を率先してやるような人間じゃねえだろ」

 

雪ノ下陽乃に背を向けて、壁の方に顔を向けて横になる。

 

いつも通りのふざけたやり取り。

 

なんだかんだでこれがちょうどいいのかもしれない。

 

元々、俺達の関係もふざけた関係だ。おもちゃと子ども。一方的に遊ばれ、使われる関係だ。いくら仮面恋人だとしてもここまでふざけた関係もそうないだろう。

 

とはいえ、このふざけた関係が割と居心地がいい。

 

良い意味でも悪い意味でも退屈はしない。させてくれない。それが雪ノ下陽乃だ。

 

こいつは退屈を心底嫌う。暇という時間が大嫌いだ。嫌悪していると言っても良い。

 

その認識は間違いではない。

 

ただ、それが雪ノ下陽乃が愉快犯じみた性格をしているからとか、そういうわけじゃない。

 

考える時間を過ごしたくない。抗えない現実を受け入れたくない。

 

だから他の何かで塗り潰す。考えられないように。それが一時的なものだとしても。

 

そんな憶測じみた考えから、ふと思ってしまう。

 

雪ノ下陽乃は昔の俺と何処か似ているのかもしれない、と。

 

馬鹿馬鹿しい考えだ。雪ノ下陽乃は昔の俺ほど愚かしい人間ではない。

 

俺は俺ほど愚かしい人間を知らない。自分だからそう思ってしまうだけかもしれないが、それでも雪ノ下陽乃がそれ以下のはずがない。

 

だが、それでも。

 

雪ノ下陽乃が思ったよりも近くにいるような気がして、なんとなく嬉しかった。

 

 

◇◆◇

 

 

「景虎ー?」

 

会話が無くなってから十分ほど。

 

名前を呼んでみても返事がなく、聞こえるのは小さな呼吸音だけ。

 

そーっと覗き込んでみれば、景虎は寝息を立てて、眠っていた。

 

頬をつついてみても、耳に息を吹きかけてみても反応はない。完全に寝ている。

 

「折角、タオル用意したんだし、ちゃんと乗せてないと」

 

壁に向いていた身体を仰向けにして、一度タオルを冷やしてから、また景虎の額に乗せる。

 

身体を触ってみたけれど、熱はかなり高いのか、結構熱かった。これでよく、私と普通に会話を続けてくれたものだ。私でも風邪のときくらいは話す事を煩わしく感じてしまうというのに。

 

景虎は前に私が風邪を引いてるのを見てみたいなんて冗談を言っていた。

 

私が挑発するまでもなく、すぐに撤回したけれど、私だって風邪を引いてる姿は他の人には見せたくない。

 

私だって人間だ。人の力で抗えないものには勝てないし、予防はできても対策はできない。

 

熱も三十九度を越えれば頭がぼーっとするし、そうなるといつもの『これ』も維持するのにものすごく神経を使う。その時にわかる。自分が息を吐くようにしている『これ』も結局負担になっている事に。

 

私は私の内側を見せたくない。見抜かれるのなら良い。それは私に落ち度はない。ただ、相手が優れていただけ。

 

見せてしまうのは自分に落ち度がある。どんな状況でも、私は自分からミスを曝け出したくない。

 

だから、さっきのは私の落ち度だ。

 

景虎が私を強いと言った時。

 

何故だか、少しだけショックを受けた。

 

勘違いしてる。私はそんなに強い人間じゃない。

 

突発的にそう言いかけた。

 

すぐにいつも通りに振る舞ったけど、景虎は気づいていた。私が本心を隠した事に。だからすぐに否定した。

 

景虎は想像以上に鋭い。

 

どういう人生経験をしてきたのかはわからない。少なくとも比企谷くんのように他人の悪意に敏感というわけではない。親の仕事の関係上、他者の心を把握する必要性があった私に近いものを感じる。

 

けれど、私と違って景虎は心を隠していない。常に自分をさらけ出している。

 

私と話している時も、ゲームをしている時も、こうして風邪を引いて弱っている時も、さしたる差はないように感じる。強いて言うなら対応が雑になるだけ。

 

文字通り、景虎が私を強いと言ったのは景虎自身も失言だと理解していた。

 

けれど、それは私があんな事を言ってしまったから。

 

いつものように適当に流してしまっていれば、景虎は気がつかなかったかもしれない。いくら景虎が想像以上に鋭くても、他の人間よりは素直に接しているとしても、私に分からない私が他の人間にわかるわけなんてない。

 

ただ、なんとなく。

 

私は景虎には勘違いしてほしくなかった気がした。

 

理想の人間ではない。雪ノ下陽乃については誤解をしてほしくなかった。

 

……私はきっとどうかしてる。

 

今の今まで。誰にも理解されたくない。私が一方的に理解さえしていればそれで良いと思っていた。利用する側に立つのは良い。される側に立ちたくなかったから。

 

人間関係はギブアンドテイクだ。だから私は与える側の人間にはなりたくない。社会はそれを聞いて、心の豊かな人間だと言うかもしれないけど、私から言わせればそれは負け犬の発想だ。そうして自分に言い聞かせることで慰めとしているだけだ。私はそんな事を肯定したくない。

 

相手に何も知られなければ利用もされない。誤った情報を与えれば、そのうち相手が勝手に尻尾を出す。それを私は利用する。心酔してくる人間も、敵対してくる人間も、中立を気取る人間も、何時だってそうだった。

 

景虎を除いては。

 

一方的に利用するだけのいつも通りの関係だったのに。

 

気がつけば、景虎には見せたくないところを見せてしまっていた。景虎は興味がない癖に自然とこちらの領域に踏み込んでくる。興味がないから、その気がないから、こっちも対応するのはいつも気づいてからだ。敵意もなければ構えもない攻撃はいくら達人でも躱せないのと同じ。だって、相手にも意識なんてないから。

 

そんなだから私はーー。

 

ううん。やっぱり駄目。私は所詮雪ノ下の人間だもん。自由なんてない。

 

私が雪ノ下の長女である限り、母がいる限り、行動選択に余地はない。

 

この仮面もそのために作ったものだ。自分を守るために必要な自衛の手段。

 

自分を自分で守るためには必要だった。他人に理解されないようにするために、本心を気付かせないようにするために必要なものだった。

 

けれど、今はそれが少し煩わしく感じてしまう。

 

ーー初めて人に自分を理解して欲しいと思ってしまっていたから。

 


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