幼いころのことは覚えてないが唯一覚えていることがある。
花が咲く丘の上で一人の女の子と遊んだ記憶だ。
みーちゃんというとても可愛い子だった。
本当の名前は知らなかった。彼女も僕のことをなーちゃんと呼んでいた。
僕はその子が大好きだった。
そのことずっと一緒に居たかったから日が昇るのに合わせてその子のところへ向かったし日が暮れるまで二人で遊んだ。
ずっと一緒だった。
気づくと彼女は遠いところへ引っ越しをしてしまった。
彼女がいなくなってからはわんわん泣いた。
しばらくは悲しみに暮れていたがそのうちある決意へと変わった。
彼女に会いに行こう。
いつになっても構わない、必ず彼女に会いに行こう。
幼いころの大きな決意だった。
今日は記念すべき始まりの日だ。
晴れて大学生になった僕は初めての登校日を迎えていた。
街並を歩いていると春の
暖かい風が髪をそっと撫で通り過ぎていく。
髪が風になびくこの感覚は昔からずっと好きだった。
その感覚を味わうためだけにずっと髪を伸ばしているのだが、どうもこれがいけなかった。
周りの男子と比べてしまうと自分は発育が遅い方で、一回りほど体は小さかったし、
おまけに小顔でお目目ぱっちり、肩辺りまで伸ばした長髪。
極めつけには「
この十九年の生涯の中で初対面で男として扱ってもらえることはほぼなかった。
そして旧知の仲の相手にも男として扱ってもらえることは少なかった。
「おーっす!なぐっち!」
突然威勢のいい声に背を叩かれた。
そこには慣れ親しんだ顔が立っていた。
「なんだ
こいつは
こいつも最初は勘違いしていた口で、男だという事実を告げた時大層驚いた顔をしていたのを覚えている。
そして今なお女扱いをやめない主犯の一人でもある。
「へへ、なぐっちがボーッとして歩いてるのが悪いんだぜ」
「別にボーッとしてたわけじゃないってば……、というかそのなぐっちってのやめろってずっと言ってるだろ。小っ恥ずかしい……」
「いいだろ~!いくつになっても俺にとってはなぐっちはなぐっちなんだし~!」
そう、一真は僕の事を昔からずっとなぐっちと呼ぶ。
本人曰く、「『なぐもっち』じゃ語呂悪くて呼びづらいだろ?だから略して『なぐっち』」
らしいのだが、大学生にもなってなぐっち呼びはいくらなんでも恥ずかしすぎる。
やめるよう何度も言っているのだが、まったくもって聞く耳を持たない。
「今日もなぐっちは可愛いなぁ~、お兄さん安心したよ……」
「誰がお兄さんだ気持ち悪い、お前の弟になった覚えはないぞ。あと可愛い言うな」
「お兄さんを邪険にあしらうなんて……、そんな子に育てたつもりはありませんよ!」
「あーはいはい分かった、また後でゆっくり遊んでやるから」
「約束だからな!?男の娘に二言はないからな!?」
一真とはいつもこんな感じだ。どうしてこいつとずっと一緒にいるのか自分でもたまに不思議になる。
「あんたたちまたやってるの……」
また不意に声がした。声の方向へと振り向くとそこには一人の少女が立っていた。
「おお!
「花蓮、おはよう」
「はいはいおはようさん、言われなくても元気ですよっと」
彼女は
女の子のような名前と見た目からいじめられがちだった僕と、脳天気で後先考えず突っ走る一真をずっと気にかけていてくれたのが花蓮だ。
彼女には随分と世話になった。
「朝っぱらからイチャついてないでよね……あんたら二人見てるとカップルを見てるようで憂鬱になるのよ……」
「うんイチャツイてないから、カップルでもないから」
「そうだぞ美早。それにこれに関しては俺じゃなくなぐっちに非がある」
「は?何言ってるんだお前」
唐突な責任転嫁に思わず声が出る。
「興味深いわね。理由を聞かせて」
花蓮も気になったようだ。恐らくろくな答えは帰ってこないだろうが一応話は聞いてみよう。
「ああ……、その理由はな……」
「その理由は……?」
「なぐっちが可愛すぎるのがいけないんだ!!」
「よし分かった。一真、病院行くぞ」
一真に一瞬でも期待した僕が馬鹿だった。こいつはこういう奴だって分かっていたじゃないか。
「なるほど……一理あるわね」
納得した様子で花蓮が頷く。
「いや、一理も三千里もないから。花蓮も目覚ませ」
花蓮も一見真面目そうに見えてこんな調子だ。こんなやりとりを十数年間ずっと繰り返している。
「ってこんなところで油売ってる場合じゃないわよ!あんたら初日から遅刻するわよ!」
ぎょっとして腕時計に目をやると針は一限目の15分前を指していた。
「……っ!一真!花蓮!走るぞ!」
さすがに初日から遅刻はまずい、大学に向かって三人で一斉に駆け出した。
「あんたらもっと急ぎなさいよ!本当に遅刻するわよ!」
「それを言うなら花蓮も遅刻寸前だろ~!?」
「うるっさいわね!!分かってるわよ!!」
「頼むから口じゃなくて足を動かしてくれ!!」
いつものやり取りと初めての景色が流れていく。
空は青く広がっていた。
「なんとか間に合ったわね……」
「一時はどうなるかと思った……」
遅刻5分前のところでなんとか学校に到着した僕たちは息を切らしながら校舎内のベンチに腰を掛けていた。
時折道往く人に不審そうに見つめられるがあまり気にしないほうがいいだろう。
「ふたりともこのくらいで息切らすとかだらしないな~、普段から運動しないからだぞ!」
一真はいい汗かいたと言わんばかりにタオルで汗をぬぐうと満面の笑みをうかべていた。
それに対して僕と花蓮は引きつった笑みを顔に貼り付けていた。
「おだまり筋肉バカ……、あんたと一緒にしないで……、こっちは二人共か弱い乙女なのよ……」
「だから乙女じゃないって言ってるだろ……」
冗談が言えるということは実はまだ余裕が残ってるんじゃないだろうか。
「ところでそろそろ一限目始まるぞ?休んでていいのか?」
一真の声でハッとなった。
「そうだな、たしか取ってる授業はみんな違ったよな?」
「ええそうね、じゃあまた後で」
「ああ、また後で」
二人に別れを告げると教室へと足を進めた。
教室へ入ると殆どの生徒が集まっていた。恐らく自分が最後だろう。
とりあえず空いている席に座り教授が来るのを待つことにした。
あたりを見渡していると一人の女性が目に入った。
思わず息を呑んだ。あの顔には見覚えがある。
そこには思い出の中の少女がいた。
みーちゃんだ、間違いない。
彼女は花蓮な女の子ではなく美しい女性へと成長していた。
一瞬で幼いころの思い出が浮かび上がってきた。
目尻に涙が溜まり始めた。
「~であるからして……」
気が付くといつの間にか講義が始まっていた、どれほどの時間が立っていたのだろうか。
(とりあえず今は講義に集中しなきゃ……)
しかし、あの彼女のことがどうしても気になってその後の講義が頭に入ってくる事はなかった。
家に帰ってきた僕は何をするわけでもなく、テレビのチャンネルを変えては戻し、変えては戻すを繰り返していた。
「ああなるほど、君だったんだね」
「……銀座店まもなくオープン!」
「インカ帝国に関する貴重な文献が…」
テレビの内容が全く頭に入ってこない。どうしてもみーちゃんのことが忘れられない。
僕のことは覚えているのだろうか。また明日も会えるのだろうか。
思いにふけっていると突然電話のベルが鳴った。
「はい、南雲です」
「おーす、なぐっち!」
「……切るぞ」
「まぁまぁ、そう急ぐなって」
いや急いでないから。
こいつが電話をかけてくるときはろくなことがない。
「……何の用だよ」
「お前今からって暇か?」
「まぁ暇だけど、何かあるのか?」
「いや大したことじゃないんだけどさ、ちょっと頼みたいことがあるんだ。一回家に来れない?」
大した用事もないので長年の好で引き受けてやることにした。
「分かった、今から家行くよ」
「おっ!サンキュー!流石なぐっちだぜ!」
電話越しで聞こえる一真の声は随分と嬉しそうだった。
まだ夢見心地だがひとまずは一真の家に向かうことにした。
一真の家に着くとそこには花蓮もいた。
「なんだ、花蓮も一真に呼ばれたのか?」
「違うわよ、私と一真があなたを呼んだの」
そういうと花蓮は真剣な
こんな真剣な花蓮は久しぶりだ、よっぽど重要な事なのだろう。思わず身が引き締まる。
「実はね……小凪に合コンに参加してほしいのよ」
前言撤回。彼女もこういう人間だということを忘れていた。
「いや実はね、私の大学の友達と一真の大学の友達で合コンをすることになったのよ。けどどうしても一人メンバーが足りないのよ」
こちらのことはお構いなしに花蓮が話を続ける。
「あんま小凪はこういうの気乗りしないだろうけどさ、助けると思って、ね?」
確かにあまり気乗りはしないが散々世話になった花蓮の頼みとあっては断る訳にはいかない。
しかしここで花蓮の言葉で一つ引っかかった。
「なぁ……大学の友達って昔からの友達が大学にいたとか?」
「ううん、普通に今日出来た友達よ。一真もそうよね?」
「あぁ、俺の友達も全員今日が初対面だぞ?」
二人はさも当たり前と言わんばかりのトーンで淡々と述べた。
我が親友たちの社交性、恐るべし。しかも出会った当日に合コンとかどんな行動力しているんだ。
自分の社交性のなさに少し落胆する、まぁずっとみーちゃんのことを考えてたので他人と話す余裕などなかったのだが。
「丁度いいじゃない、友達探しだと思って行きましょうよ」
花蓮は身を乗り出してこちらに視線を送ってくる。
はなから断る気もなかったがここまで言われれば断る理由もない。
「分かった、行くよ。
僕が承諾すると二人は一度顔を見合わせて小さくガッツポーズをした。
「おっしゃ!ありがとななぐっち!」
一真は無邪気な笑顔を浮かべていた。しかしさっきとは一転、花蓮は怪訝な表情を浮かべていた。
「けど、合コンにその服装はないはね……」
花蓮は僕の全身を見回してからそう述べた。
確かに、一真の家だからとほぼ部屋着で来てしまったがそんなに悪いだろうか?
「そんなことだろうと思ってピッタリの服装を用意しておいたぜ!」
一真は自信満々に鼻息を鳴らした。
一真にしては準備がいい、さては最初から断らせる気なんてなかったんじゃないだろうか?
まあそんなこと考えたって仕方ない、せっかくの合コンなんだから楽しもう。
「じゃあ男子から自己紹介な!俺は藤堂一真!よろしく!」
「僕は
「
「
「じゃあ女子サイドね。あたしは藤浪花蓮、よろしく」
「
「な、南雲小凪です……、よろしくお願いします……」
「へぇ~小凪ちゃんって言うんだ。可愛いね。」
「あ、ありがとうございます……」
「そりゃそうだ!なぐっちは俺らのアイドルだからな!」
「も、もう~、一真くんったら~……」
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。話は数時間前に遡る。
「うん、やっぱり俺の見立て通りぴったりだ!」
「ええ、よく似合ってるわよ。小凪。」
二人は口を揃えて褒めちぎる。
「それはご期待に添えたようで何よりだ。けどな」
「どうして女の格好なんだよ!!」
事が理解できずに声を荒立てる。
「だって女子のメンバーが足りないんだからしょうがないだろ~」
「しょうがないじゃねえよ!そうして女が足りなかったら男を連れてくるって発想になるんだよ!」
一真の考えには理解出来ないことが度々あったがここまでひどいのは初めてだ。
「まぁまぁ、待ちなさいって小凪」
花蓮が僕達の間に割って入る。
「別にただの男に女装させて女として合コンに連れてく気なんて毛頭ないわ」
花蓮、ドヤ顔で解説してるけど何を言ってるのか全く理解できないよ。
「いい?小凪、あなたは男の娘なの。唯一男でありながら女の子になれる選ばれた存在なの」
やはりこの友人達は一度病院に連れて行こう、絶対にそうすべきだ。
「とにかく僕は行かないぞ!こんな格好で人前に出たら末代までの恥だ!」
ここで二人の言いなりになったらどうなるか分かったもんじゃない、絶対にこの場から逃げなくては。
「あら?さっきやってくれるって言ったわよね?」
「それとも、男とあろうものが一度言ったことを簡単に引き下げるのかしら~?」
「うぐ……」
花蓮は邪悪な笑みを浮かべていた。
こうして二人に押し切られる形で僕は今女子としてこの場にいることになる。
何が友達作りだ、こんな格好で友達など作れるものか。
仮に出来たとしても「実は男なんです」と事実を打ち明けて「そういう趣味の方なんですね」とドン引きされてそれで一貫の終わりだ。
「そういえば女子一人足りないみたいだけどどうかしたの~?」
高野と名乗った人懐っこそうな青年がシンプルな疑問を発した。
確かに今この場には四人の男性に対して三人の女性しかいない。
その問いに花蓮が応える。
「実は遅れてるみたいなのよ。もうそろそろ来ると思うんだけど……」
その時、人の気配がした。
「ごめんなさい、遅れました。」
「
美咲と呼ばれた女性の声がする方へ振り向くとそこには思い掛けない人が立っていた。
みーちゃんだ。途端に心拍数が高くなった。
「初めまして、です」
木乃宮美咲。みーちゃんの本当の名前を、僕は噛みしめるかのように何度も繰り返していた。
「ほら、美咲も座って」
花蓮に促されると、彼女は僕の隣の席に座った。
いい匂いがする、これだけで意識が持ってかれそうだ。
「じゃ、メンバーも集まったことだし早速合コン始めましょう~!」
花蓮が音頭を取り合コンがスタートした。
「好きなモノって何?」
「読書とショッピングです~」
「今一番欲しいものは?」
「可愛いお洋服ですかね~」
必死に女子になりきり受け答えをするが隣が気になって気が気でない。
あまりにも耐え切れなくなって電話に出るふりをして外へ逃げ出した。
外の空気を吸っていると後ろから足音がした。
振り向くとそこには美咲がいた。
「あら……確か……南雲さん?」
美咲に名前を呼ばれた、身が引き締まる。
「あ……はい……そうです」
「電話はもう大丈夫なの?」
「え?ああおかげさまで」
あまりの出来事に自分が電話に出る振りをしていたのを思い出す。
「そう、なら良かった。実はね、あなたとお話してみたかったのよ」
「え?私とですか?」
「そう、あなたと」
急展開に頭がついていけない。
僕も彼女には聞きたいことが山ほどある。
なぜ何も言わずに引っ越してしまったのか?僕のことは覚えているのか?
しかし、今の僕は"女の子"の南雲小凪であり、彼女が知る男の子"のなーちゃんではない。
「あの、私から一つ聞いていいですか?」
「ええ、もちろんよ」
いま自分の正体を明かさずできる質問、それは。
「好きな男性のタイプってあります?」
今の僕が彼女の好みにふさわしい男か否か、それが気がかりだった。
今できる質問はこれが精一杯だったがこれでも僕にとっては重要だった。
美咲は少し悩んでいるようだった、しかし、意を決したように口を開く。
「あのね、私好きな男性のタイプってないのよ」
思わぬ答えが帰ってきた。どういうことだろうか、答えの意味が理解できない。
しかし次に彼女から発せられた一言は更に理解の域を超えていた。
「実はね、私ね」
「女の子しか好きになれないのよ」
神様、僕の長年の初恋は思わぬ妨害で困難を極めそうです。