正道ではなく。アストレイ物語   作:ファーファ

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ユウナという男

「ああっぁあ!」

 

 二度目の彼の生は絶叫から始まった。

 

 空から降り注いだ鋼鉄に自身の身体が押し潰され、切り刻まれた感覚。骨が潰れ、頭蓋が砕ける音を想起し発狂してしまったのだ。その時、何故こうして叫び声をあげることができているのか、どうして眼に入る自身の指が子供の様に小さいのかには考えも及ばなかった。

 家の従者が異変に気付き彼を取り押さえ、駆けつけた医者が、全力で跳ね回る彼の小さな身体に鎮静剤を打ち込むまで、ユウナは地獄の幻覚に苦しんだ。

 

 そして次に目覚めると、今度は自身の正気を疑った。

 あの状況ではほぼ確実に死んだはずの自分。それが全くの無傷で更には幼少のころに戻っている。目覚めた場所もかつての邸宅で、彼を危ぶんで駆けつけた両親も随分と若々しい。

 周りの状況は、SFや物語にあるように在りし日の昔に戻っていた。

 

 そんな奇跡のような事態を前にして少年がしたことは、自身のベッドに潜りこむことだった。

 実は自分は植物状態で、これは自分が都合よく見ている夢ではないのか。考えが脳裏をよぎった。ユウナは恐ろしい想像に背筋が凍る。身を震わせ、広いベットの中で震え続けた。

 

「僕は悪くないっ。僕は悪くない……僕は悪くない!」

 

 また彼の心を蝕んだのは恐怖だけではなかった。

 目覚める前の直前の記憶が彼を苛んだ。ジブリールに屈してしまった自分。前例を踏襲すれば戦争は避けられると思考停止してしまった自身。雲霞の如く押し寄せる大軍に自軍を成す術もなく呑みこまれる無能な己。

 

 そしてなにより、自身を蔑む周囲の視線!

 

 自尊心はずたずただった。夢遊病の如く弁明の言葉を呟き、子供の様に泣きじゃくる。

 そこに謝罪の言葉は無かった。

 これがただの夢であったならば、早く終わってくれと願った。

 

 だが彼の願いは虚しくも届かず一日がたち、一週間が過ぎ。彼が目覚めてから一か月が経過した。その頃になると周囲は彼の病気を疑い医者に見せようとしていたのだが、当の少年は頑なにベッドに籠城して出てこなかった。

 

 それでも変化はあった。

 

 覚めない夢を漸く彼は現実の物と理解するようになった。

 震える両手を見つめ、自身をかき抱き、嗚咽の声を漏らした。

 神か悪魔か分からぬが、何者かは彼にやり直しの機会を与えたのだ。

 

 そう認識した彼は力が上手く入らない足を床に降ろし、徐に寝室のドアへと向かった。

 漸く出てきた少年に、従者達は胸を撫で下ろした。そしてすぐさま彼を医者へと連れて行く。

 出される食事を真面目にとっていないせいで細くやつれたユウナは、自身に何があったのか尋ねる医者に向かって、病状を応えずこう言った。

 

「この国を出たい」

 

 誰が与えたかも知らない機会を、彼は逃亡へと使った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室で、少年と秘書は紅茶のひと時を楽しむ。

 

「うん。やっぱり紅茶はダージリンに限る。そうは思わないかい? セシリア」

「そうは思いません。ダージリンの特徴はその特有の香りと風味。ですがそれはC,E初頭に遺伝子工学で誕生した『ダージリラント』には適いません。それは科学成分調査においても、評論家の評においても一致する所です」

 

 秘書の否定にユウナはち、ち、ち、と指を振りながら講釈を垂れる。

 

「ダージリラントも確かに良い。あの湯気に乗る芳醇な香りと、舌を楽しませる風味はダージリン以上ではある。そこは認めるけどね」

 

 手に持つカップを徐に上げる。

 旧世紀から好まれて使用される、ウエッジウッドのカップは陽光に照らされ美しく輝く。

 

「作り手の意思が見えない。見てごらん。人類は宇宙すらも生存圏とするノアの箱舟を造る技術を手に入れたが、人を感動させる美術品は、未だ人自身の手を直接使わなければ作れない。このカップはその証拠さ。所詮は工場生産。ダージリンの人の血が通った味には勝てない」

「証拠と称して非論理性の塊を出されましても困ります」

 

 無情な両断に少年は肩を竦めると、又顔を顰められているのも無視しして新聞を片手に取り眺める。そこには昨日に続いてコーディネイター問題がでかでかと載せられている。

 このところはどの新聞社もずっとこうだ。

 

「やっぱりだ。我らが首長はちゃんと分かってる」

 

 はい、と彼女に新聞を手渡す。迷惑そうにしながらもセシリアはしっかりと受け取った。

 渡された一面には昨日の太平洋連邦議会の法案可決を受け、オーブ首長ウズミ・ナラ・アスハが公式にコメントした内容が載せられていた。新聞社はオーブ地方紙ではなく、英語圏では一流紙と評されるものだ。

 

『「割れる対策。非加盟国オーブは規制案を否定」

 先日遂に議定書加盟国全てにおいて、子に対する遺伝子操作の禁止が敷かれたが、早くもその体制の有効性が疑われだした。非加盟国オーブが禁止法案に明確に反対の意を示したのだ。

 昨日深夜オーブ首長国連邦首長ウズミ・ナラ・アスハ代表が異例の記者会見を開き、強い口調で断じたのは以下のとおりである。

 

『我が国はいかなる国家、人種に対して中立であり続ける。出生時に遺伝子操作を受けた人々、世間で言われるコーディネーター達が我が国の国民の生命を害したという明確な証拠が無い限り、首長国政府は如何なる対策も行うつもりがない。又例えそのような証拠があったとしても、我々が行うことは飽くまで国民の保護で在って、コーディネーターと称される者達との敵対ではない』

 

 これにより非加盟国に対し、禁止を要請していこうとする加盟国政府等の目論見は頓挫する見込みとなった。各国政府が禁止したのは、飽くまで自国内における子に対する遺伝子操作の禁止のみである。そのため未だ他国においてコーディネイターとして新生児を生むことや、その子が加盟国の国籍を取得することは禁止されていない。

 各国の対策が注目されることになるだろう』

 

「ね? 安心しただろ?」

 

 ほっ、と安堵してしまった彼女をユウナは茶化す。すると又もや顔をむすっとさせてセシリアは少年を睨んだ。それでもおかしそうに笑う主人に諦めた彼女は、素直に疑問をぶつけることにする。

 

「それにしても随分と早い。大国とはいえ他国の法案にすぐさま意見を述べるなんて普通はやりませんよ。まさか貴方の差し金ではないでしょうね」

 

 それに思わせぶりな顔が返ってくるが、すぐさま崩される。手をひらひらさせながらのコメントとしては。

 

「そうだ、と言いたいけどそんなわけないだろ。五大氏族の血縁とはいえ、成人していない子供が口を出せるはずがない。あれは完全にウズミ様の独断だ。オーブの獅子とは良くいった物だよ。すぐさま飛び掛かった」

「分かりませんよ。なんせ貴方は巷では迷惑も考えない『ビッ…」

「そのあだ名は辞めてくれ。僕とは無縁のあだ名だ」

 

 心底嫌そうな表情を少年から引き出すことに成功したセシリアは、満足そうに鼻を鳴らした。

 ユウナは基本何時も余裕そうな表情をしているが、この名前を呼ばれるときは毎回その表情を崩す。まあそれだけではなく、大体余裕がなくなると狼狽をするのだが。

 兎も角主人の負け面をみれたので、彼女は勘弁してやることにする。

 

「まあ首長の発言もそう非常識な物でもないですか。オーブにおいてもコーディネイターはかなりいますし。人口比で言ったら、1%でしょうか。他人事では有りません」

 

「そんな大勢の国民のデリケート部分にこの法案は突き刺さる。事実上の生まれの否定だ。不快どころじゃすまない。何故今頃禁止するんだと突っ込まれたらどうする? 素直に私達は世論に後押しされ、貴方達を迫害するつもりですとでも答えるか? 馬鹿らしい、冗談じゃない」

 

 

 こんな法案、自国でするつもりが無いならば見逃すことはできないのは当然だろう。もしかしたら自国でも行われるのではと対象となる国民に思われたらたまらないのだ。

 

「それだけ世論はコーディネイター憎しの色が強いという事だ」

 

 忌々し気に言い切った。

 

 この法案は劇薬だ。安易な気持ちで服用などできない。

 それを加盟国が口に含んだという事はだ、彼らが薬を一口で止めることはないだろう。とことんまで呑みきる腹積もりのはずだ。

 

 身を投げ出し、背もたれに体重を預ける。

 ああっもう、とばかりに右手を額にやると愚痴を零しだす。

 

「別に憎んだっていいさ。そんなの個人の自由だ。法律にしてもそう。他国なら我がオーブ国民に関係のない事ならどうぞお好きなままに。だが下らない事で我々に迷惑を掛けないで欲しいよ、全く」

「……」

 

 いつもならここで終わるはずの彼の弱音は、今日は何やら違う色彩を帯び始める。

 愚痴に熱が籠められ始めたのだ。

 

「オーブは中立。言葉は美しいけど所詮は大国同士の間に浮かぶ島国さ。吹けば飛ぶ虚しい存在だ。こうして直接関係のない事でもすぐかき乱される。時々僕はね、こんな時になると中立なんてくそくらえと思う時があるんだ」

「……」

「でもそのたびに考え直す。何故かって? それは実際どこかの国に尾を振ったとしても、くそくらえな状況にしかならないからだ。この立地と国力じゃ結局は鉄砲玉にしかならない」

「……」

「だから掲げるべきなのはそう、中立だ。オーブは誰の味方にもならない。オーブは、オーブ首長国連邦は自国のみのため、自国のみに味方する。そのためにはなんだってするべきだ。裏で手を握ったっていいし、ピンチになれば一時的に中立を捨ててもいいかもしれない。でも最後に立ち返るべきなのは中立なんだ。僕はね、例え泥水を啜ったとしてもこの国を、この国の国民を守ってみせるぞ」

「……ふふっ」

 

 いつの間にかユウナは立ち上がって、大きな身振りで演説していた。

 セシリアは、愉快そうにくすくすと笑っている。それがどうにも彼にはいたたまれなくて、顔をあからめながらコホンと息を付くと、椅子を整えて座る。

 それでも格好が付かず、逆に中途半端に取り繕ってしまったことが余計に恥を増した。

 

「ユウナ様は本当にこの国がお好きなのですね」

 

 セシリアが笑みを零す。

 ちなみに彼女が少年の名前を呼ぶときは決まって機嫌が良い時だ。

 

 火照る顔が未だに冷めやらない中、彼は言葉を返した。

 

「まあね。僕はこの国が大好きだ。馬鹿な僕でもこれだけははっきりと、本心から言える」

 

 紅茶を一口飲み、カップを机に置いた。

 

「この国を得てからも気付かなかったし、失ってからも気付かなかった。でも再び手に戻ってきた時、心から僕はそう確信した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狼狽したり、引き止めたりする周囲を振り切って彼は逃げ出そうとした。

 これから二度も燃えることになる祖国から、彼を死に追いやった責任と危機から背を向けようとした。

 立ち向かおうとは微塵も考えなかったのだ。

 数か月の時を使って両親を説得し、数年だけの療養のためと、海外へのチケットをもぎ取った。当然二度とこの地には戻ってこないという考えを隠して。目的地は小さな島の、太平洋連邦の自治区。前世の記憶では二度の大戦の戦火が及ばなかったところだ。

 

 そこでひっそりと暮らそう。前の世界の知識を使えば自分でも一人で何とか生きていける。いざとなったら実家の支援を利用したって良い。どんなに苦労したって良い。ただただ、今は、逃げたかった。

 

 

 そして飛行機が出発する日時となった。

 

 

 漸く逃げ出せる日になっても彼の顔は暗い。逆にどんどんと悪くなっていた。

 逃げ出すことに対する罪悪感が込み上げてきたのだ。

 それでも彼の脚を止めるには足らなかったが。

 

 家から出ようとするとき一つ問題が発生した。

 暫くはここを離れるのだから、少し遠回りをして街並みを見ていきなさいと両親に言われたのだ。心臓が撥ねる思いとはその時の彼の心境を言うのだろう。

 

 自身の失策で焼かれた、かつての街並みを見れば今自身が感じている罪悪感は、どれ程自分を苛むことだろうかと戦慄した。それでも最後だから、と自身に言い聞かせて少年は了承した。

 

 彼を乗せた高級車が遠回りをしながら街並みを走っていく。人通りの多い道だった。

 ユウナはその時座ったまま俯いて、膝だけを見ていた。

 

 だが隣に居た父はそれを許さなかった。

 街並みをみなさい。暫くこの国を見れなくなるのだ。私達の国を、国民をみなさい。

 そう彼に告げた。

 

 どきりとする声だった。それは捕まる直前の弱弱しい父の声ではなく、力強く思いの籠った物だった。

 もっと言うならば、彼を最後に弾劾した者達が持っていた力強さに似ていた。

 

 だからそれに惹かれて彼は従ってしまった。

 そして見てしまった。

 

 外で楽し気に歩く人々の姿を。

 手をつないだ親子が、汗を拭きながらも懸命に仕事に励むサラリーマンが、安心して道を歩く老人が。

 様々な人が生きていた。

 彼が壊してしまった物が、そこにはまだあった。

 

 それが眼に入り、彼の心からある物が込み上げてきた。

 罪悪感ではない。

 

「よか、った」

 

 安堵だ。

 大切な物が帰ってきた喜びだ。

 

「よか、った。まだ、あ、る。オーブが、オーブがまだある、燃えてない。まだ、ここには、おーぶがあるっ!」

 

 涙が、嗚咽が零れた。それは目覚めた時と同じだったが違った。何故だかそれが無性に熱く彼には感じられた。

 

 彼はその時気付いたのだ。

 オーブが陥落しそうになった時、自分のせいで国が焼かれそれを責められたとき。

 悔しかった、屈辱的だった、自分のせいではないと思った。だがそれ以上に感じていたことがあったのだと。

 焼かれてしまう。僕の国が、皆の国であるオーブが焼かれてしまう。止めてくれ、この国を焼かないでくれ!

 

 そう、大好きな自分の国を焼かれてしまうことが何よりも悲しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウナ・ロマ・セイランを評するのは難しい。

 肯定的に捉えるならば才児。彼は4歳の時には巧みに言葉を操り周囲を驚かしている。その後も教育機関を駆け足で上り詰め、6歳の時にはアカデミーで学士を得ている。人並み外れた知性を持ち合わせていることは誰もが頷くことだろう。

 若年ながらも既に社交界では大人達と真面に会話し、相手をはっとさせる発言をすることも少なくない。所詮は知恵のついた子供とする評価も、彼は投資市場に少額で参戦し、その資産を魔法の如く膨らませ続けることで黙らせた。

 

 総評するならば麒麟児の一言に尽きる。

 一時はコーディネイターではないかと噂される程だ。

 

 では完璧児かと言われればそうではない。彼には無視できない悪癖あった。

 とんでもなく稼ぐ代わりに、それに見合う分だけとんでもなく金を融かすのだ。融かす先はロボット工学。その力の入れようは念入りで、建物やら人材やらを一から集め事業団を設立したほどだ。

 

 そして資金の投資先もどこから嗅ぎ付けたのかえげつない所が多い。事件や醜聞で暴騰、暴落する前の株を的確に突き止めて売り抜けている。しかも政治的にグレーどころか真っ黒な所にも平気で突っ込んでいくのだから余計に太刀が悪い。先日のフェブラリウス市の件が良い例だ。

 

 

 そんな悪癖と、彼が時々舞台俳優染みた口まわしをすることから、口傘が無い者達から度々零れる言葉がある。

『ビック・チャイルド』

 能力はあるが、他人の迷惑を考えられず空想に耽りがちで、その上玩具趣味に没頭する子供。

 そう嘲弄されていた。

 

 現在、話題性に事欠かない彼はオーブ財政界では度々名前が上がる人物である。五大氏族では中堅に当たるセイラン家が、異端児である彼によって繁栄するのか沈むのか。実利と興味が含まれた視線が彼に注ぎ込まれることになる。

 

 なお最近彼に一番近しい秘書の人物が評するに、

『彼の中身が純金なのか贋金なのか、それは未だに分からない。はっきりとしているのは、彼は格好つけたがりのナルシスト野郎ということだ』

 

とのことである。


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